東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長を務めていた森喜朗・元首相が、女性蔑視発言の責任を取り、辞任しましたね。
その時「老害」という言葉が話題になりました。
インターネットの辞書によると
【老害】とは
自分が老いたのに気づかず(気をとめず)、まわりの若手の活躍を妨げて生ずる害悪。
今日の琉球新報に、老害について書かれていました。
森喜朗の場合は、老害というより個人的資質だ。老害という言葉で老人差別になる、というような内容でした。
そういう側面もあると思います。
しかし森喜朗の場合は、個人的支出+老害です。
老害というのは実際にあり得ることです。 年寄り、大先輩だということで、その意見には反対しないで従おうという人たちが少なくないのです。
先輩方が言ったことには反対しないでおこう、という意見を実際に聞いたこともあります。
年を取ったということだけで優位な立場に立っているということは実際にあります。
同じ意見を言っても、若者がいった場合には、若いくせに何を言うかとすぐに却下されてしまうが、年寄りが言うと誰も反対しないと言うことがあります。
年齢の差によってそれだけで格差ができているのです。
それを意識しないでいると、年を取ったということだけで老害になり得るのでしょう。
森喜朗氏の場合、元総理でもあるし、さらに年齢も重ねている。そして彼の性格もあったのでしょう。周りの人達は素直な意見をいうことができなかったのではないでしょうか。
僕も年寄りに足が入りつつあります。年寄りだからという優位な立場にたちつつあるのです。
何も考えないでいては、老害になります。
これからは、それを十分意識して、若者の意見も素直に聞くような姿勢がこれまで以上に求められてくるような気がします。
3月になりました。「2021年2月のセルフ塾ブログ拍手ランキング」です。FC2のブログの拍手数は、30日合計で出されます。2月は28日なので、きょうまで待ちました。
2月は69の拍手をいただきました。ありがとうございます。
1位は拍手数3の次の3つ。
85歳の自分に会ってみたい
メールアドレスを推理する
カニステルに被せた網の袋を食いちぎるのはこうもりかも
身近な話題ですね。身近な方が拍手してくれたのだと思います。
先日京都からの知人と沖縄県立平和祈念資料館に行きました。
その帰り昼食に首里辺りで琉球料理のレストランに入ろうとするのですが2箇所とも閉まっています。
コロナの影響でしょうか。
近くにチラー小という沖縄そば屋があったのでそこに入りました。
周りのレストランが閉まっているせいか、そこはお客がいっぱいで、順番待ち。
自動発券機で食券を買います。それぞれが自分の食券を買い、しばらくして着席しました。
京都からの知人の前に運ばれてきた食事を見て彼女は、あれ?という表情をします。
彼女が注文したのは、沖縄そばとそしてジューシーです。
「これは何ですか?」と尋ねるので、
「これはジューシー、雑炊ですね」 と僕が言いました。
そうすると「そうなんだ」という返事。
そして食事名のジューシーの文字を見てジュ~シ~のことだと思ったと言います。
ジュ~シ~とは、肉や果物などがみずみずしくて美味しいような時に使う言葉ですね。
肉汁たっぷりのジューシーな食事が運ばれてくると思ったのでしょうか。
そう言われれば、雑炊のジューシーもみずみずしいジュ~シ~も同じ文字になります。 これまで気づかなかった。
僕らにとっては、食べ物のジューシーは馴染みなので、メニューに載っているときは雑炊又は炊き込みご飯のジューシーだと分かります。
しかしウチナーグチを知らない人にはみずみずしいジュ~シ~と思っても仕方がないです。
改めて発音してみると、みずみずしいジュ~シ~は前の方にアクセントがあり、それに対して雑炊のジューシーはフラットな感じですね。
席に座ってメニューを見ながら注文をするのなら、ジューシーというのは何ですか、という質問もあって、そういうことにはならなかったでしょう。
自動発券機で食券を買うことでそういう会話が無かったのです。
仲松庸次様
光の反射について,以前お世話になりましたKSです。
先日はお忙しい中お返事頂き,本当にありがとうございました。
その後,光の応用問題で,鏡の作図について再度分からない点が出てきてしまいました。
自分なりに2週間ほど色々と考えたのですが,それでも理解出来なかったので,
度々大変恐縮なのですが,鏡の作図について再度質問をさせて頂けますでしょうか。
【質問①】
http://blog.livedoor.jp/veritedesu/archives/1928895.html
上記のHPで「像1と像2の光の道すじ」の作図については,先日仲松様に教えて頂いた「反射の法則」によって
よく理解出来ました。
ただ,「像3の光の道すじ」についての作図がどうしてもよく分かりません。
サイトの管理人様にコメント欄で質問をさせて頂き,ご回答して頂いたのですが,解説が難しく理解することが出来ませんでした。
1,
像1と像2の光の道すじの作図は目と像1を結び,鏡との交点を求めることで,「物体→鏡との交点→目」という「光の道すじ」を求めることは理解出来ました。
また,今回は合わせ鏡で鏡が2枚あるので,像3の光の道すじが像1や2と同じように「「物体→鏡との交点M→目」」とならずに,
「物体→鏡との交点N→鏡との交点M→目」(図の赤線)になるというのは,何となく理解できます。
しかし,そもそもなぜ像3のみ反射点が2つあるということが分かるのでしょうか。
2.
像3の光の道すじについて,目と像3を結び、鏡との交点Mを求めるところまでは理解できましたが鏡の交点Nの求め方がよく分かりませんでした。
なぜ交点Nが「B-B' を軸にしてMと線対称な位置にあるM′と物体を結ぶ直線が鏡2と交わる点」であるということが分かるのでしょうか。
3.
コの字型の「物体→鏡との交点N→鏡との交点M→目」(図の赤線)の道すじは,「像2と鏡2との交点」,「像3と鏡1との交点」を通っていますが,なぜ「像1と鏡の交点」は関わらないのでしょうか。
【質問②】
https://chuugakurika.com/2018/06/26/post-2919/?unapproved=363&moderation-hash=21548f143df6880c93e967a1e1d13565#comment-363
こちらも合わせ鏡の作図のHPなのですが,上記のサイトは最初のサイトとは異なり,交点Nを複雑に求めず,単に「光が反射する点1」と「光が反射する点2」を求めて,像3の光の道すじとしています。
「鏡A・鏡Bがつくる像P’’’」(質問①のサイトの像3にあたる像)の光の道すじが,質問①のサイトと異なり簡単に求められております。
質問①の交点Nにあたるのが「光が反射する点2」だと思うのですが,質問①のように難しく交点Nを求めなくても良いのでしょうか。
質問①と同じような質問になってしまいますが,虚像が3つ出来ているのに,なぜ光の道すじは2点のみで良いのでしょうか。
度々質問してしまい,大変恐縮です。
メールですと対面でないため質問の仕方がうまくお伝え出来ず,私のお聞きしている内容が分かりづらい点があるかもしれません。
申し訳ございません。
合わせ鏡の作図が全体的によく分かっていないのかもしれません。
考えれば考えるほど,自分が何が分かっていて何が分からないのかが,段々分からなくなってしまいました。
上記の質問と合わせて,前回反射の法則をご解説して頂いたように,合わせ鏡の作図について解説して頂けますと幸いです。
物理がご専門でないということでしたので,お返事が難しいようでしたらお気になさらないで返信なさらずそのままで大丈夫です。
もし可能でしたらで構いませんので,何卒よろしくお願い申し上げます。
長文失礼致しました。
(以下、ぼくの回答です)
質問1,
しかし,そもそもなぜ像3のみ反射点が2つあるということが分かるのでしょうか。
(回答1)
まず物質はあらゆる方向に光を出しています。

ある光線は鏡Aに反射して進みます。(青色)
別の光線は鏡Bで反射します。(茶色)
また鏡に当たらないでそのまま遠ざかっていく光もあります。(黄色)
そして鏡Aで反射して、それが鏡Bで反射するのもあります。(赤色)
二つの鏡で反射するのです。
逆に鏡Bで反射して、それが鏡Aで反射するのもあります。(緑色)
次の図はそれを表したつもりですが分かるでしょうか。ちょっとごちゃごちゃしていますね。
そのうちで、目に届くのが3つだけあります。 それを作図するという問題です。
質問2.
像3の光の道すじについて,目と像3を結び、鏡との交点Mを求めるところまでは理解できましたが鏡の交点Nの求め方がよく分かりませんでした。
なぜ交点Nが「B-B' を軸にしてMと線対称な位置にあるM′と物体を結ぶ直線が鏡2と交わる点」であるということが分かるのでしょうか。
(回答)
このサイトの管理人は、難しいやり方をしています。入射角=反射角 で反射点を求めているのです。
もし、以下の説明が分からなければ理解しなくてもいいです。中学2年以上の知識が必要で2番目のサイトの作図の仕方でいいからです。
図を見てください。

OM=OM’ になるような点をM’としています。OMと同じ長さのOM’ですね。
そうすることによって、△OMNと△OM’Nは合同になります。合同とは同じ形で同じ大きさということです。合同の証明は中学2年で学びます。
また、対頂角は等しいです。対頂角というのは、2つの直線が交わってできる四つの角のうち、向かい合いの二つの角のことで、対頂角は等しいです。
すると、∠aと印している3つの角は等しいです。これで、点Nで反射する光は、入射角=反射角 になります。
だから、物体Aを出て鏡2の点Nで反射した光は点Mに向かいます。
いいでしょうか。
質問 3.
コの字型の「物体→鏡との交点N→鏡との交点M→目」(図の赤線)の道すじは,「像2と鏡2との交点」,「像3と鏡1との交点」を通っていますが,なぜ「像1と鏡の交点」は関わらないのでしょうか。
(回答3)
回答1 に添付したファイル図でも分かりますが、2つの鏡、目、物体の位置関係から、鏡1で反射した光が鏡2で反射し、そして、目に届くことがありません。
それで、像3に関する光の進路に像1は関係ないのです。
物体から出た光が、鏡1で反射し、そして鏡2,目に届くのがあるか、しらべてみてください。もちろん、入射角=反射角 でです。
【質問②】の1
質問①の交点Nにあたるのが「光が反射する点2」だと思うのですが,質問①のように難しく交点Nを求めなくても良いのでしょうか。
(回答4)
最初のサイトのような難しいやり方をする必要はありません。
先の質問でも答えましたが、入射角=反射角で始める方法は難しいです。
線対称の位置に虚像を描いてやれば、結果的に入射角=反射角になります。
後のサイトは、虚像の位置をうまく使って作図してあるので、これで十分です。
【質問②】の2
質問①と同じような質問になってしまいますが,虚像が3つ出来ているのに,なぜ光の道すじは2点のみで良いのでしょうか。
(回答5)
上の回答でいいでしょうか。
鏡、目、物体の位置関係で、2つの鏡が関係する場合、その順序は決まります。それでその場合、関係ない虚像は出てきます。
ただし、1つの鏡により2つの虚像は見え、2つの鏡により1つの(虚像の)虚像が見えますね。
以上、回答しましたが、理解できたでしょうか。
さくらさんも書かれているように、顔が見えないので、これで理解しているのか分からず、説明が難しいです。
まだ納得できなければ、再度、質問ください。こういう質問は歓迎いたします。
仲松庸次
「ひとりで学べる数学中学1年生」を作っています。 作りながら面白いと思うところを紹介します。
2−5=−3ですね。
または(+2)−(+5)=−3 です。
計算はできると思いますが、子どもや孫に、なぜ-3になるの、と聞かれた時説明できますか。
「ひく5」ということは、「5をとる」ということです。2から5をとることはできません。
5-3 なら簡単に説明できます。
5個のリンゴから3個を取ったら2個残る。
5万円財布にある。 3万円使うと2万円が残る。
これは実感としてわかります。
水道方式ではタイルを使って説明します。2−5の説明もタイルを使って見事に説明していました。僕はその説明に感動しました。
ところがそれを中学生に教えてもピンとこないようです。
それで僕は色々考えました。
僕が考えた説明です。水道方式の説明を元にしたものです。
2万円財布にある。5万円の服を買いたい。 どうするか。
お金を借りますね。3万円借りれば足ります。
それで3万円借りて、そして5万円の服を買いました。
財布には現金はありません。その代わりに借金の3万円が残るのです。
3万円の借金というのは返さなければいけないものなので「−3万円」ということになります。
だから
2万円引く5万円は−3万円になるということです。
理解できたでしょうか。
3万円借りるということは現金の3万円は手に入るが、返さなければいけないという義務もできるということです。
もちろんここでは利子についてはないものとします。
この説明は中学生も理解できるようでした。
僕は今68歳です。元気で毎日健康のために運動をしています。
踏み台昇降運動、スクワット、腕立て伏せ、そしてテレビ体操。 自分では十分にやっているつもりです。
ただ僕と同年代の人はまだまだみんな元気ですね。 健康にそれほど気をつけていない人もいます。それでも僕と全く変わらない。
だんだん差が出てくるのではないでしょうか。
年配者を見ていると75歳の頃から差が出て、85歳だとかなりはっきり違いがわかります。
本当に元気に動き回ってる人がいるかと思えば、腰が曲がって杖をついて年寄りだなぁと思ってしまう人もいます。
まだこの辺りで見かける人は元気な方で、病院にいたり施設にいたりする人もいるでしょう。
僕はこの調子で運動を頑張っていれば元気な85歳になれるのではないかなと期待しています。
ただ運動はしていても何か病気をすれば一瞬でダメになるでしょう。
先日いとこの一人がくも膜下出血で亡くなりました。 僕と同じ年齢です。
僕もある日ポッコリと死んでしまうかもしれない。 または倒れて半身不随になっているかも。
交通事故にあうかもしれないし、癌にかかって闘病生活を送るようになるかもしれない。
そういう心配もないではないですが、とにかく気力が続く限り運動を続けていきます。
85才にはどうなっているかな。 85歳の自分に会ってみたいものです。
一ヶ月ほど前コーヒーメーカーを買い替えました。
サタプラというテレビ番組には「ひたすら試してランキング」というコーナーがあり、そこでコーヒーメーカーのランキングをしていました。
そこで第2位だったアイリスオーヤマ コーヒーメーカーを買いました。紹介されていた商品の中で一番安かったし、2位なのでいいかなと思ったからです。
だいぶ経って商品が届き使いました。早速コーヒーを作りました。 最初は説明書も読みながら作り、無事終了。
2回目のコーヒー作りの時です。 どうしてもスタートしないのです。
コンセントを入れ替えたり、そして色々セットし直してもスタートをしません。欠陥商品なのかとも考えました。
そして、色々やってるうちにスタートしました。その時には何が間違っていたのかわからなかったように記憶しています。
そのうちに気づきました。 スタートボタンが違っていたのです。 次の写真のどれがボタンだと思いますか?
僕は、緑色に光ったボタンの下にある、少し飛び出たものがスタートボタンだと思ってそれを押していたのです。
しかしそれは、豆1、豆2、粉、切る、の切り替えスイッチなのです。 スタートボタンは緑色に光ったところ。
緑色のところは単なるシグナルだと思っていました。
今では頭でははっきりわかっています。 でも何気なく下の切り替えスイッチを押していることがよくあります。
さて、せっかく買い換えたコーヒーメーカーですが、僕には味はよく分かりません。 いいのを飲んでいるだろうという自己満足だけ。
これまで使っていたコーヒーメーカーは、宿泊者用の部屋におくので無駄にはならないけど。
女性である話し相手の配偶者のことを話題にするとき、なんて呼んでいますか?
僕は「ご主人」と言っています。 でもいつも言う時に違和感があります。
「ご主人」に対しては「召使い)。
夫がご主人なら、妻は召使になってしまいます。
もちろん僕はそうは思っていないので、出来れば「ご主人」という言葉を使いたくありません。
「奥様」も本当は避けたいのだけども、直接の上下関係を表すのではないので、まだ「ご主人」よりはいいかな。
では何というか。
「あなたの夫」で本当はいいのでしょうが、世間ではあまり使われていないので、何か失礼な言い方に感じます。
「ご主人」ではなく「夫」を使おうと言う運動でもあれば、僕はすぐに乗っかるのだけど。
僕の耳に聞こえていないだけなのかな。
宿泊客のJさんがミステリー作家の岸田るり子さんを紹介してくれると言うので、書店で岸田るり子さんの「天使の眠り」を買って読みました。
とても面白かったです。これから読む人もいるでしょうから細部にわたって書くことはしません。
次は裏表紙にあったあらすじです。
京都の医大に勤める秋沢宗一は、同僚の結婚披露宴で偶然、十三年前の恋人-亜木帆一ニ三に出会う。不思議なことに彼女は、未だニ十代の若さと美貌を持つ別人となっていた。昔の激しい恋情が甦った秋沢は、女の周辺を探るうち驚くべき事実を摑む。彼女を愛した男たちが、次々と謎の死を遂げていたのだ・・・気鋭が放つ、サスペンス-ミステリー!
このあらすじの範囲内で書きます。
ミステリー小説は好きですが久しぶりに読みました。 吸い込まれるように読み進めました。
動機もアリバイもしっかりしているし、そして組み立ても素晴らしいです。
途中で何気なく交わされる会話が布石となっていて、後で重要な意味を持ちます。
読んでる時に、これはホラー映画やSF 小説のような非科学的な小説なのかなと思ったりもしました。
でもそうではありません。 ちゃんと科学的な本です。分からない病名が出てきますが 、Google 検索するとちゃんとその通りのことが出てきました。
岸田るり子さんに会って話をした時に
「この話はとても面白かった。テレビドラマや映画にしてもいいと思うが」と尋ねると、
「そういう話はあったけどこれは映像にはならないのです」との答えでした。
そう言われるとそうです。 これは映像にしてしまうと面白くなくなるでしょう。
主人公の秋沢宗一が、13年ぶりに会った元恋人は別人になっていたというところです。そこのところを小説でなら曖昧な感じで描き、そして話を続けることができます。
そしてそのことがこの話のかなり中心的な意味を持ちます。そこを描ききれなければ映像にしても面白くないでしょう。
面白いのですが、テレビや映画にはできないので、ぜひ小説を読んでみてください。
今ポルトガル人のJさんが長期宿泊中です。
真面目でフレンドリーです。僕らともよくおしゃべりをします。
読谷村のホテルに友人Mさんが泊まっているとのこと。Jさんは京都にいるのですが、京都での知り合いのようです。
また同じ読谷村座喜味の民泊に近々別の友人岸田るり子さんが来るとのことでした。
後で知ったのですが、同じ読谷に M さんがいるのは偶然のようですが、二人がいるということで、るり子さんは呼ばれてきたとのこと。
岸田るりこさんはミステリー作家で、本をいくつも出版しているとのこと。 Amazon を見るとたくさんの本が出ています。
失礼ながら、僕はその方を知りませんでした。
Jさんとの話の中で、
「僕はミステリー小説が好きだ。
アガサクリスティはたくさん読んだし、英語の勉強のために英語の原書もいくつか読んだ」
と告げました。
すると
「岸田るり子さんに会ってみたいか?」と言います。
僕は「もちろん会ってみたい」と答えました。
それでJさんが一緒の食事の場を設定してくれました。
約1週間後です。
僕は書店に行って岸田るり子さんの本を買ってきて、読みました。
とても面白かったです。それについては明日書くつもりです。
沖縄料理が食べたいとのことなので読谷村のあちこちにあたってみたのですが、閉まっているところが多いです。コロナのせいでしょうか。
近くの和食のレストランに入りました。 そして岸田るり子さんを紹介していただき、本にサインも頂きました。
そして楽しく食事をすることができました。
やちむんの里に行きたいとのことでそこを案内し、知人の登り窯にも案内しました。
後日ホテルに泊まっている M さんも交えてイタリア料理店で食事し楽しいひと時を過ごしました。
帰りに、るり子さんが
「Jさんはスーパーコネクターだ」といいます。
「スーパーコネクター」という単語は初めて聞きましたが、意味するところはすぐに理解できました。 確かにそうですね。
僕は人見知りします。 友達は少ないです。
Jさんのおかげで、有名な作家の方ともMさんともお知り合いになりました。
いろんな人をつなぎ合わせる、スーパーコネクター、Jさんはまさにそうですね。