嘉手納高校の倍率が上がることは予想はしていました。なぜなら,嘉手納高校野球部の甲子園出場が決まったためです。
だいぶ前になりますが,読谷高校が甲子園に出場したことがあります。その年,読谷高校の倍率が極端に上がったのです。
野球をする生徒が甲子園出場校に受験するのは分かります。しかし,まわりの話を聞くと,どうもそうではないようなのです。女生徒も多くなっているとのこと。また,男の子でも,まったく野球をする気もないが読谷を受けるというのです。
まだよくその子たちの心理は理解できませんが,甲子園出場ということで有名になったから,という単にそれだけの理由で,受験校を決めているようなのです。
それで,今年,嘉手納高校の甲子園出場が決まって,嘉手納の倍率が上がるだろうと予想していました。去年は倍率が1以下です。ここ何年も嘉手納はかなりの空き定員があります。
でも案の定,今年は倍率は1.35,49人もオーバーしています。甲子園の魔力です。
ぼくにはまったく理解できません。野球をするなら十分理解できます。野球をするものにとっては,甲子園出場はあこがれですから。
しかし,野球のためではない子がなぜ嘉手納に受験することを決心したのでしょうか。
進路について,よく考えていないのではないでしょうか。
自分は何がしたいのか,十分に考えていればそのような行動は出てこないと思うのです。ぼくの考えが古いのでしょうか。
セルフ塾にはそういう子はいません。嘉手納を受ける子も甲子園出場だからということで,嘉手納に決めたわけではありません。ぼくもその子が嘉手納を受けることは納得しています。
とにかく,倍率があがったというのは現実なのですから,気を引き締めて,受験勉強に励み,合格してもらいたいものです。
予想はしていたのですが、いつもは倍率の低い嘉手納高校総合学科の倍率がとても高くなっています。嘉手納高校野球部の甲子園出場が決まったためだと思われます。その影響もあって、読谷高校普通科の定員が、倍率がいつもより低くなっています。読谷高校を受験する生徒にとっては良かったのですが、嘉手納高校を受験する生徒には厳しくなっています。厳しいということを自覚して、最後まで頑張ってもらいたいものです。
球陽高校,美里工業の倍率もかなり高いです。こちらも気を引き締めて頑張ってもらいたいものです。
平成22年度県立高等学校入学者選抜一般入学初回志願状況
読谷(普通)定員(320)志願者数(253)内定者数(80)倍率(1.05)空定員数(△13)
嘉手納(総合学)定員(160)志願者数(190)内定者数(19)倍率(1.35)空定員数(△49)
球陽(理数)定員(160)志願者数(151)内定者数(64)倍率(1.57)空定員数(△55)
美里工業(調理)定員(40)志願者数(53)内定者数(12)倍率(1.89)空定員数(△25)
浦添商業(国際観光)定員(80)志願者数(57)内定者数(23)倍率(1.00)空定員数(0)
空定員数の△は定員オーバー
平成22年度入学者選抜志願・内定・合格等の状況
15人は、在籍中の35.7%にあたります。12月は,26.2%だったので,9.5ポイント高くなりました。12月が低すぎましたね。でも,少しでも持ち直してよかったです。
受験生である3年生の皆出席が30.8%で,全体より低いです。心配です。
1月もインフルエンザが多かったです。インフルエンザは,個人の出席すべき日数からはのぞきましたが,この記事での皆出席者には含みませんでした。
(小学部)
4年(0人/1人)
5年(5人/8人) 我如古Misaki・濱元Riko・比嘉Ayari・野々部Shunya・長浜Marin
6年(1人/1人) 屋良Kisa
(中学部)
1年(4人/9人) 伊波Saika・国吉Asuka・末吉Kodai・吉山Seiryu
2年(1人/10人) 比嘉Kanta
3年(4人/13人) 伊波Ayaka・宮城Ryota・岸本Wakaho・與古田Rina
以下の生徒は,インフルエンザをのぞいたら皆出席の生徒です。
中1 當山Shuya 中2 奥原Chika・仲宗根Makoto


ヒカンザクラ(緋寒桜) からの引用
ヒカンザクラ(緋寒桜)は、別名をカンヒザクラ(寒緋桜)とも言います。 まだ寒い早春に、新らしい葉より先に、緋色または濃桃色の小花を、枝一杯に咲かせる、樹姿にまとまりのあるバラ科サクラ属の落葉小高木です。花が開ききらず、俯き気味に咲きます。花弁や、ガク(萼)も緋色をしています。
樹形図を黒板に描いて説明すると、Rinaさんが
「試験の時にこれをどこに書こうか、ノートを準備しなければいけないのかな」などと言っていました。
僕は「ノートは持ち込み禁止だろう,数学の場合には問題用紙を破いて,計算用紙として使うんだよ」と言いました。
「問題用紙の裏は白紙になっている。だから問題用紙を破いて裏を使うんだよ」と付け加えます。
子どもたちは,「えっ!!問題用紙を破いていいの?」という反応。
問題を破くということにとても抵抗があるようです。
僕は「毎年,数学の時間には問題を破りなさいと言っている。問題用紙は自分で持ち帰ってもいいことになっている。だからこれをどのように使うが自分の勝手だよ。もちろん,解答用紙は丁寧に扱わなければいけないけどね。」と続けます。
「今まで毎年僕はそのように言って,そして試験の時には破いたという生徒が何名もいるよ。
そして破いたために叱られたという話しを聞いたこともない。だから,今年も破いて,それを計算用紙として使えばいいんだよ。」と話しました。
ほかの都府県ではどうかわかりませんが、沖縄では問題用紙は破いても構わないのです。もちろん,試験官が破いてもいいとは言いません。
問題用紙を破ることに中学生はかなり抵抗があるので、少し強めに押して破くことを勧めます。数学では計算などをしっかりと紙と鉛筆を使ってやらなければいけません。そのためには計算用紙がどうしても必要です。だからそれを、問題用紙を破いてそれに当てるというのは受験テクニックとしても大切なことだと思います。
この程度は自分で考えてもいいはずですが、問題用紙を破くということに抵抗感あるので,自分でそのようにすることはまずありません。だから,ぼくらから勧めた方がいいと思うのです。
もっとはっきり言えば、釈迦の内部には、大きな分裂があったのだ。
解脱に至るのは民衆にとっては至難の道であるということ。そのことを知りながら、釈迦は教団を運営し、ある意味では表面的な教えを説いて、民衆に希望を与え続けた。
釈迦は矛盾を恐れなかった。ある人には禁欲を説き、ある人には禁欲からの解放を説いた。ひたすら禁欲だけを説いたほうが、教義としてはわかりやすい。そこをあえて、状況に応じて、異なる教えを説いたところに、釈迦のスケールの大きさと意志の強さを見る。
細かいことにこだわらずに、悠然と、鷹揚に構えている。そこが宗教家としての釈迦の最大の魅刀だったのだろう。
釈迦と似ているというと,おこがましいのですが,僕も生徒によって指導方法を変えます。
ある生徒には手とり足とり丁寧に説明をし、そして答えの直前まで導いてあげます。別の子には少しだけアドバイスをして、そして追い返すように自分であとはやってごらんといます。
また,ある子には、「ここまででいよ」ということで楽な課題を与えます。別の子にはかなり厳しい課題にします。
子どもたちの能力の差はかなりあります。また性格もまったく違います。だから子どもによって指導を変えなければいけないのです。このように子どもによって変えることができるのは、セルフラーニングの一つの大きな特徴だと思っています。
生徒の中には、「あの子にはこうやるのに私にはこうする。なぜ?」と不満を述べる子もいます。でも、本当の意味での平等というのはその子にあった指導をすることではないでしょうか。どの子に等しくするというのでは,どの子も伸ばすことはできません。
釈迦が「状況に応じて異なる教えを説いた」というのを読んで,気持ちを強くしました。
細かいことにこだわらずに、悠然と、鷹揚に構えている・・・そういう人は私はなりたい。
釈迦は原理を、巧みな譬喩で語ることが多かった。その譬喩の中で、ぼく自身が最も印 象的だと思う物語をここで紹介しておく。
その話を以下に引用しますが、僕もその話は知っていました。とても感銘を受けた物語です。
あるところにキサーゴータミーという女かいた。女は貧しい家の生まれだったが、 男に見そめられて裕福な家に嫁いだ。しかし実家が貧しいために、婚家の人々からは冷遇されていた。だがやがて女に男児が生まれた。女は親族の人々から大切にきれるようになった。女は幸福の絶頂にあった。
その男児が、突然の病で死んでしまった。
女は死んだ男児の遺骸を抱いて、「この子に薬をください」と位きわめきながら、村々をさまよい歩いた。遺骸が無残にひからびていることにも気がつかなかった。村人たちは女を仏陀の前に連れていった。
狂った女は、仏陀に向かって言った。
「この子に薬をください」
仏陀は言われた。
「村々のすべての家を回り、死人を出したことのない家から、芥子種を貰いなさい。それが子供の薬になる」
女は喜んで、村の家を回り始めた。どの家にも芥子種はあった。だが、死人を出したことのない家はなかった。村々のすべての家を回り尽くし、死人を出したことのない家がー軒もないことを知った時、女は悟った。
「わが子だけが死んだのではなかった。死は人の定めだったのだ」
このようにして女は狂気から覚め、尼として仏陀のー行に加わることになった。
どうでしょうか。だれもが苦しみ悩んでいるのです。そう思うと少し気が楽になります。
この物語を久しぶりに読んで、イエスの物語の中に似たような話があったのを思い出しました。それで引用します。
イエスはオリーブ山へ行かれた。朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。
そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。
イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。
これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。
イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」
ヨハネ 8:1-11
各漢字の書き方を1画ずつ、省略せずにすべて示しましてあること、
「とめ」「はね」「はらい」「つける」「出す」など、漢字を書くときのポイントが詳しいこと
漢字の意味がのっていること
をあげ、すばらしいと書きました。
今日、改めてこの辞典をにながめていて、別のよい面を見つけました。
漢字の使い方、例がかなり工夫されているのです。
例えば「来」の字です。音読みでは「ライ」です。その下に例として「来客 ,来週,未来,由来」が書かれています。ふりがながすべてついています。そこまでは普通の辞典です。
訓読みは、「くる・きたる・きたす」です。その下に例として「春が来る・来る十月十日・出来事」という使い方がのっているのです。このように訓読みの例も詳しくのっているというのがこの辞典の特徴です。
漢字の練習の時には、書きだけではなく読み方も大切です。漢字にはいろいろな読み方があります。それをできるだけ覚えなければいけません。このように詳しい使い方があると勉強しやすいと思われます。
なお、旺文社の「1006字の正しい書き方」では、訓読みの例は「出来心」だけです。旺文社の場合は使い方として熟語にこだわっているところがあるように感じます。熟語にこだわると、音読みにかなり偏ってしまいます。訓読みが軽視されるのです。「春が来る・来る十月十日」は、熟語とは言えませんから。
旺文社の「正しいかき方」もかなりいいと思っていたのですが、この小学館の「1006字の書き方辞典」はそれをさらに上回るものだと感心しています。
次のページには
「小学漢字1006字の書き方辞典」の小学館側からの詳しい紹介がのっています。
http://www.web-nihongo.com/dictionary/dic_58/d-index.html

きのう、昼食後にニンニク酒を作りました。ニンニクの皮をむき、容器に入れてそれに泡盛を注ぎました。容器は二つで泡盛は一升です。ニンニクは一つの器に200gぐらいです。1か月後にはニンニク酒が出来ているはずです。
よそでは知りませんが、沖縄ではニンニク酒は健康に良いとかなり重宝されています。多くの家庭でニンニク酒を造っているようです。
子供のころに、風邪をひくとニンニク酒をのまされた記憶があります。からくて、とても飲みにくいので嫌でした。
最近、酒飲み友達の上地Shueiさんがニンニク酒をよく飲んでいると聞きました。医者嫌い、薬嫌いの上地Shueiさんはこのようなもので健康を維持しているのです。
ニンニクは体にもいいと僕も思っているので、ニンニク酒を飲もうかと思ったのです。
それで妻にニンニクと泡盛を買ってきてもらい、作りました。妻は呑みにくいから飲まないと言っています。薬と思って飲まなければいけないと言っているのですがね。ニンニクだけではなく泡盛ものみにくいのでしょうからしょうがないですね。
なお沖縄ではニンニク酒のことをヒル酒と言います。なぜヒル酒というのか、ニンニクをなぜヒルというのか知らなかったので、インターネットで調べてみました。次のような記事が出ていました。
「蒜(ひる)」は、ネギやニンニクの古名。
かむと辛くて「ひりひり」することから→「ひる」
http://www.hana300.com/nobiru.html
ヤフー辞書の大辞泉
ひる【×蒜/×葫】
ネギ・ニンニク・ノビルなど、食用となるユリ科の多年草の古名。
なるほどニンニクなどの古い名前をヒルといったのですね。納得です。





