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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

イスラエルはとても治安の良い国です


 イスラエルに着いて2日目になります。

イスラエルに旅行に行くというとみんながみんな口を揃えて「大丈夫か。あぶなくないか」と言いますてる。

テルアビブの空港につくというと、兄は赤軍を思い出す、と言いました。

「危ない」という人には、「僕がイスラエルにいる間はニュースに注意してね。僕の名前が出るかもしれないから」と冗談で 言っていました。

  前もっての添乗員の電話では、夜は出ないようにとのこと。 やはりそれなりに治安が悪いのかなとも感じました。

僕の考えは、旅行会社が企画したところは基本的に大丈夫なところだというもの。

もちろんそれなりに危険もあるでしょう。
でも治安の良いと言われている日本に住んでいても、事故にも事件にも巻き込まれる可能性はゼロではありません。

さてテルアビブ空港につくと、日本人現地ガイドが
「イスラエルはとても治安の良い所です。女性が一人で夜歩いても危険ではない」と言いました。

実際に街の中を歩いても、とても平和です。人々も危険に感じる人は見当たりません。

現地ガイドによると、イスラエル人とアラブ人は共存していて、仲良く生活しているとのこと。
テレビで見られるアラブ人とユダヤ人が憎み合っているのは一部の人たちだけだとのことです。

そのガイドはをイスラエルよりの考えを持ってる人だなとは感じます。

でも共存しているというのは確かなことです。

観光地を回っていると とても多くの観光客がいます。 治安がいいから観光に来るのでしょう。

ただこんなに観光客が多いのに日本人のグループには一度もまだ会っていません。 中国人や韓国人らしき人達には合います。それよりもヨーロッパの人たちが圧倒的に多いです。

今日は 夕食の後 ホテルの外を歩きましたが、 危険な感じは全くありませんでした。

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イスラエル入国審査イランに行った人は大変

 イスラエルに来ています。妻と二人で クラブツーリズムのツアーです。

入国管理前での 話題はイランに行ったことがある人です。

イランに行ったことのある人は 入国審査がとても厳しいとのこと。イスラエルとイランはとても仲が悪いからですね。

別室に 連れられて 執拗に質問されるといいます。

旅行に出る前、添乗員から電話がありそのことを伝えられました。

「地球の歩き方」にも
審査は旅程や滞在期間などを答えるだけで簡単に通されることが多いが、時間がかかることもある。

特にパキスタンやイラン、シリア、イラクなどに滞在した痕跡がパスポートにあると時間がかかってしまう傾向にある。 (以下略)

とあります。

僕らの ツアーの中に 最近 イランに行ったことがありパスポートにもその記録があるとのこと。

その人は添乗員の後ろに並び不安そうにしています。

もう一人旅行慣れしたような男性、
彼もイランに行ったことが あるそうですが、もうだいぶ前でパスポートには そのことは記載されていないから大丈夫だと、 堂々としています。

ただ パスポートには記録がなくても 情報はちゃんと残っているはずです。

実は僕らもイランに行ったことがあります。 もうだいぶ前で パスポートには記載されていません。

その旅慣れした男性の話では、1人が 別室に連れられて厳しく審査されたとのこと。

その人のことかは知りませんが、英語が全く通じなかったので、 審査する係員は もうしょうがないという感じで許してくれたとのこと。

ツアー仲間のイランにいったことのある女性はそれなら泣き落としでもしようかなと言っています。

さて実際どうなったか。

その女性も僕らもとてもスムーズにすむました。
ぼくは、ここに来るのは初めてかという質問だけ。 とてもにこやかでした。

これで一件落着。 ほっとしました。

添乗員がまず審査に行き、 後ろにいるのは日本人のツアーメンバーだと言ってくれたからスムーズだったのでしょう。

こういう話を竜頭蛇尾というのでしょうか。 もっといい表現があるかな。
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漢字を成り立ちに沿って学習させようと思った理由

漢字の練習ノートを作っています。

漢字の 部品を学んでから その組み合わせで漢字を 学ぶというようなもの。

最初僕は 漢字の成り立ちに沿って学ぶという方針で 作り始めました。

しかし作り始めてしばらくすると、それは無理だとわかりました 。

なぜ僕が漢字の成り立ちに沿って学んだ方がいいと思ったか振り返ってみます。

僕は以前学習塾をやっていて、小学生,中学生に国語も教えていました。

そこで漢字の成り立ちについて僕も学び、そして教えました。

漢字には、象形文字,指事文字,会意文字 ・ 形声文字があることを学びました。

そして、象形文字、指示文字が最初にできて、その組み合わせで会意文字ができ、また漢字の読み方を 利用した形声文字ができる ということを参考書などをもとにして学んだのです。

そこに例として出てくる漢字はとてもわかりやすいものです。

おひさまの 絵のようなものが、だんだん 省略化されて、漢字の「日」ができ、手のひらの上のしるしが、「上」になります。

そして 、人が動くことで、「働」ができます。

反の読み方「ハン」を利用して、(食べるのに関連する「ハン」)で「飯」ができます。

分かりやすいですね。

このように わかりやすいのであれば、この順序に学べばいいと思ったのです。

ただ漢字練習ノートを作っていると、 そのように単純なわかりやすい漢字は、ごく一部だというのがわかったのです。

その他の漢字は、説明されてもすとんと 理解はできないものが多い。

そして 漢字自体が変わってきています。 戦後、旧字体が新字体に変わりました。
もっと昔も漢字は変化しています。

古い漢字だと 成り立ちが分かるのですが今の漢字ではそれで説明ができない。

こういう漢字がかなりの数あります。

これから漢字を学ぼうとするものに古い漢字を覚える必要はないと僕は思います。

そのように考えると、 漢字の成り立ちに沿って漢字を学ぶのは 無理だと思ったのです。

では例の出し方がまずかったのかと言うと、そうではないでしょう。

漢字の成り立ちというものを教えるなら僕でも単純でわかりやすい 漢字の成り立ちを 例として持ってきますね 。

それは仕方のないもの。

漢字の成り立ちに沿った練習ノートはあきらめましたが、部品となる漢字を学んでから、その部品の組み合わせで、漢字を学ぶ方法で練習ノートを作っています。

漢字の成り立ちに沿った 練習ノートにはなっていませんが、いいのができそうな 気がします。

ソテツのでんぷんは日常的に食べられていた


「改訂ジュニア版 琉球・沖縄史」に次のようにあります。

 沖縄では、この恐慌(昭和恐慌)をソテツ地獄と呼んでいます。
 極度に疲弊した農村では、米はおろか芋さえも口にすることができず、調理を誤れば命を奪うソテツの実やみきを食べて、飢えをしのがなければならなかった、という、悲惨な状況を例えて言った言葉です。

ソテツ地獄については、 僕も学生の頃に学んだ 記憶があります。

この「沖縄・琉球史」に書かれていたような 歴史を学んだようなことです。

ソテツはとても危険な毒のある植物で、 それを食べるのは、命がけなんだと思っていたのです。 死ぬかもしれないと思いながら、もうどこにも食べるものがないから仕方なくそれを食べようとしたという感じです。

ふぐ料理 は 処理を間違えれば 命を失うと言われます。 そしてふぐ料理をするためには特別な免許があるとも聞いています。

 ソテツもふぐのようなもので、命を失う危険を承知で、しかたなく食べていたのだ、と思っていたのです。

 さて、母と話しているときに、ソテツの話が出ました。 するとソテツのデンプンは日常的にも結構食べていたとのこと。

母は自分で作ることはできないが、 母の母がよく作っていたそうです。

その過程はわかりませんが、 きちんと処理さえすれば 危ないものではなかったとのことです。

全然イメージが違ったので びっくりしました。

ソテツの実を食べるのは 一般の人が免許もなしにやっていたのですから、ふぐよりも 処理が簡単なんだったんでしょうね。

ソテツ地獄という強烈な名前が 僕に強い感じを持たせていたのでしょう。

琉球の女の物の持ち方カミーン
ジュニア版琉球・沖縄史のp135に、次のような一節があります。

 中国皇帝の使節である 冊封使一行は、女性達の荷物の運び方に興味を持ったようで、1800年に来琉した李鼎元(りていげん)は、
「琉球の女性は物を肩に担いだり、背負ったりはしない。
ものは全て頭の上に乗せて運んでいる。この頭上運搬の方法をカミーンという。たとえ百斤(約60 kg) の重さでも、山を登り下りしても落としたりはしない。
これぞ国内一の技である。」( 原田禹雄訳 注徐葆光 「中山伝信録」

  僕が小学生頃まで 女性が頭の上に物を載せて運んでいるのを、たまに見かけたように記憶しています。

たらいに 魚を入れ 行商をしている女性も いました。 箱にいれた豆腐を頭に乗せて家まで持ってくるお年寄りもいました。

そういえば今でも観光施設の琉球村 に、一升瓶を頭にのせて カチャーシーを踊るおばあさんが います。ちょっとした知り合いです。

そういうのも 琉球の女性のものの運び方と 関係があるかもしれません。

今ではもう全くそういう姿は見えませんね。今では 物は車で運ぶものです。

 また、ガンシナーというのがあります。わらなどをドーナツ状にあんだもの。それを頭と物の間に入れると、安定します。

 旧盆のとき、すいかを仏壇にそなえますが、ガンシナーを新聞紙で作ってその上にすいかを置きます。これはいまでもぼくの実家ではやっています。ぼくもよく作りました。




改訂 ジュニア版 琉球・沖縄史 沖縄をよく知るための歴史教科書
 いい本でした。 沖縄、琉球の歴史を知ることは大切なことです。今の沖縄を理解するためにも必要です。

 日本の歴史はそれなりに知っていますが、沖縄、琉球の歴史は 詳しくありません。

 これまでも入門書を数冊読んだことがあります。その中でもこの本は入門書としておすすめです。

 教科書と書いてあるので包括的に きちんと書いてあるのでいいです。 ジュニア版なので やさしい。高校生ぐらいが ちょうどいいかな。 僕のレベルは高校生くらいだから、僕にとってもちょうどいいです。

 政治的立場かすると革新的な感じがします。 沖縄戦の 集団自決の問題、基地の問題、平和についてなどではそれがはっきりしています。

 僕の立場と同じなので 共感しながら読めましたが、保守的な人が読むと 反発するところもあるかもしれません。



Yoji著「ひとりで学べる算数 小学6年生」増刷(3刷)
 Yoji著「ひとりで学べる算数 小学6年生」増刷され、きのうその本が届きました。第3刷です。

 増刷されるというのは、売れているということですね。ぼくとしてはやはり、うれしいです。

 販売努力を続けている、朝日学生新聞のみなさまに感謝しています。



アフリカ分割、座喜味栄通り、普天間基地
 アフリカの地図を見ると、国境が東西または南北に直線に引かれている。 これは住民の意見を考えずに、ヨーロッパの人たちが 地図の上で線を引き、ここから向こうはあなたの国、こちら側は私たちの国にしよう、などと勝手に決めたからだ。そのために一つの民族が 別々の国に分断され、また違ういくつかの民族が一つの国民になった。それが 現在もアフリカで内戦が多い理由の一つだ。「アフリカ分割」と言う。

 僕が住む読谷村座喜味の集落の真ん中を、東西に一直線の車道が走っている。栄通りという。その通りの名は僕の舅が名付けたそうだ。公募があり、それに応募したら採用されたと生前語っていた。

 戦後かなりの間、座喜味の人達は 自分の集落に入ることができなかった。米軍がいて住民をいれなかったのだ。妻の両親も近くまでは来たのだが、座喜味の自分の家には戻れなかった。それで妻は家から離れたところで産まれた。戦後6年目の1951年のことだ。

 その住民が入れない間に、そこに住んでいた人のことはまったく考えずに米軍が勝手に東西に一直線の道を作った。以下はぼくの想像だが、車が通りやすいことだけを考え、ブルドーザーで家や畑をつぶしながらまっすぐに走ったのだろう。反対する住民はいないのだから、いくらでも勝手なことができる。

そのために家屋敷や畑の真ん中を道が通り、屋敷や畑は分断され、道の両側に小さな屋敷や畑ができた。わずかに残った土地は利用しにくいだろう。また班が分断され、その一部は飛び地になっているところもある。その補償があったのかどうかぼくは知らない。

 「アフリカ分割」とよく似ているではないか。
 アフリカでは国境で、座喜味では道路という違いはあるが、住んでいる人のことはまったく考えないで、別の国の人たちが勝手なことをするというところに共通するところがある。

 「普天間基地は田んぼのなかにあった。周りには何も無い。そこに商売になるということで住みだした」と発言する人がいる。しかし、普天間飛行場は、住民が収容所に入っているうちに、米軍が集落の点在する土地に建設したものだ。多くの住民は元の土地に戻れず、飛行場周辺の土地に住んだのである。

 それは座喜味の栄通りができた経緯に似ている。栄通りは、いまでも屋敷が分断されていることが見られ、米軍が勝手なことをしたという証拠として見ることができる。普天間基地の縮図を見る思いがする。



きょうの琉球新報に掲載されました。

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チョコフレークを買ってきてもらい、食べました。
  妻に頼んでチョコフレークを買ってきてもらいました。 長い間食べたことがありません。
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  新聞報道で 生産終了のニュースを読んだからです。

  僕はチョコレートそのものよりチョコフレークが好きです。 カリカリとしていて美味しい。

  ただお菓子類は自分で買うことはありません。
 糖分取りすぎは少し注意しているので 食べないようにしていました。

 でも生産終了 するなら もう一度食べたいなと思って 買ってきてもらったのです。

 やはり美味しいです。

  手がべたつくということで 売上が落ちているとのこと。
 妻は、それならスプーンで食べればいいのにと言ってスプーンで食べていました。

100円の炊飯器
 妻が100円均一のショップで 炊飯器を買ってきました。 炊飯器といってもプラスチック製で、 電子レンジで 作るものです。

  1合の米を入れ、200mLの水を入れ、中蓋をして、 きちんと閉まる蓋をし電子レンジに入れます。

  僕が 分量通りにやって作ったのですが、出来上がりは かなり固めです。
  でもしんまで火は通りちゃんと食べることはできました。 もう少し多めに水を入れればもっと美味しくなるかもしれません。
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  ただ1合だけのご飯を作るのも面倒ですね。

  普段は多めにご飯を炊き、それを おにぎり用のタッパーに 入れ冷凍保存。そして使う分だけ 電子レンジで解凍して食べています。

 炊きたてとほとんど変わらず美味しく食べています。 こちらの方が100均の炊飯器よりも便利です。

 多分100均の炊飯器はもう使わないでしょう。ただ、人によっては便利に使えるのではないかな。
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