ヤフーの大辞泉には
とあります。「国語の品詞の一。事物の動作・作用・状態・存在などを表す語で、形容詞・形容動詞とともに用言に属する。活用のある自立語で、文中において単独で述語になりうる。その言い切りの形は、一般にウ段の音で終わるが、文語のラ行変格活用の語に限り、「り」とイ段の音で終わる。口語の動詞には、五段・上一段・下一段・カ行変格・サ行変格の5種類の活用形式があるが、文語の動詞には、四段・上二段・下二段・上一段・下一段・カ行変格・サ行変格・ナ行変格・ラ行変格の9種類の活用形式がある。」
これでは分かりにくい。
簡単に,「動きを表す詞(ことば)」と答えている人が多いのではないでしょうか。「動詞(動きの詞」ですから。
しかし,「水泳」は,動きのあることばですよね。生徒はそう理解します。言い切りの形がウ段といっても,例えば「すもう」は動詞かと言うと,もちろんちがいます。
私は「ます」をつけて不自然にならないのが動詞だ,と教えています。
「水泳」「すもう」に「ます」をつけて,「水泳ます」「すもうます」ではおかしい。
「泳ぎます」「泣きます」「教えます」 不自然ではありません。
活用してから「ます」がつくのですが,そのくらいは日本人ならまずできます。
国語
「セルフ塾のブログ」の記事をまとめて、キンドルで出版しました。
名前のことば,と教えている人も多いのではないでしょうか。
それでは,生徒はなかなか分かりません。
ぼくは,
○○がある,○○がいる,
の○○に入ることばと教えています。
意味的に少々無理のあるのも出てきますが,まあこれでできます。
主語になることばですね。でも,そう教えても,主語ということ自体まだじゅうぶんに理解していないのに,できません。
齋藤孝氏の3色ボールペン方式です。3色ボールペン方式とは,大切なところは青色,とても大切なところは赤色,おもしろいところは緑色で線を引く方式ですね。
生徒に,本をそれぞれ与えます。保護者にはその旨伝え,読書を始める年度から月謝を500円上げました。
青い鳥文庫,岩波少年少女文庫,ポプラ社の文庫,フォアー文庫など,少年少女文庫から選びます。
これまで,星新一「おーいでてこーい」,Oヘンリー短編集「最後の一葉」,アガサクリスティ短編集,小泉八雲「耳なしほういち(怪談)」 (思い出しながらかいているので正確ではありません)
ノルマは1日15ページ。週2~3回。
生徒は,読書のある日は15ページ読み,赤,青,緑の線を入れ,しおりをはさんで提出します。私は,次回の読書の暇でにそれをチェック。赤線をみます。それが適切なかしょに引かれていれば,○,だいたいよければ△,見当違いの場合は×をつけます。
○の生徒は,次回はその次を読み進みます。×,△の生徒は間違い直しにきます。私との問答の中で,その文章のポイントをつかんでいきます。
齋藤孝氏も述べていますが,本にはその作者が述べたいところがあります。それをつかむことができなければいけません。それを赤線で引くのですが,ちゃんと引けているかどうかで,その生徒の理解度がよく分かります。
上に列挙した本は,赤線がはっきりしています。どこでもいいわけではありません。
私との問答の中で,その生徒がそのポイントを理解したときは,本当に目を輝かせるのですよ。
この方法はとてもいい方法です。目の前の成績をあげることはできないかもしれませんが,学力を考えると一番大切なことだと思います。
先日,卒業生からメールが届きました。
学校で漢文をしているが,杜子春が出てきた。セルフで芥川龍之介の杜子春を読んでいたので,楽しく授業を受けることができた,とのことです。うれしかったですね。
セルフで星新一を知って,学校の図書館にある星新一の本はすべて読んだよ,という子もいます。
また,不良っぽい生徒がいましたが,その子がお母さんに,「この本おもしろいぜ,読んでみたら」と勧めた,とお母さんがとてもうれしそうに語っていました。星新一は人気です。
何とか読書をさせることができないか,と以前から考えていました。しかし問題はチェックです。
読書感想文では読書をきらいにするだけです。でもこの方法なら簡単です。もちろん,チェックをするのは大変ですが。宮沢賢治は私もどこに線を引いたらいいのか分からなかったですね。「ぼっちゃん」も難しい。でも,読んでくれればいいと思い,読ませました。
Hくんが漢字検定9級(小学2年レベル)に,Tくんが10級(小学1年レベル)に合格したのです。
実はHくんは中学3年生,Tくんは小学6年生です。
二人とも漢字の覚えが極端に悪いのです。
Hくんは例題を見ながらだと,二次方程式を解くこともできます。しかし,漢字が読めない。もちろん書けない。
中学1年のときにセルフ塾に入塾しました。最初はみんなと同じようにその学年のものをさせました。しかし,すぐに漢字が読めないことが分かり,漢字の練習を重点的にさせました。
小学レベルの漢字が読めないとすべての科目に影響します。それで足早に小学漢字の読みの練習をしました。しかし,まったくといっていいほど頭に残っていないのです。
その後,いろいろ試行錯誤して,結論として,急いでもしようがない。じっくりと小学1年の漢字から始めよう。ということになりました。1年,2年の練習を終わったころ,漢字検定を受けさせました。去年の秋,9級(小2)です。
しかし,結果は1点足りずに不合格。小学2年のレベルに達していないということで,また小学2年程度の勉強をずっとしてきました。そして,今回合格です。合格ラインを少し上回っただけではあるのですが,とにかく合格。
中学3年生ではありますが,この9級合格はとてもうれしいものでした。
漢字検定というレベルがはっきりしたものがあるので,それをひとつクリアーしたということで,次のやる気にも通じます。
Tくんは今年途中で入塾しました。同じく漢字の覚えが悪いので,今度は最初からじっくり進ませています。そして,まずは10級合格です。次の9級に向けて,2年生の漢字の学習に取り組んでいます。
なお,このような指導をできるのは,セルフラーニングだからですね。
ぼくらのころに比べて,教える時間が少なくなっているのでしょう。
いろいろありますが,カタカナの「シ」と「ツ」をきちんと区別して書けない。小学高学年,中学生になっても。たぶんそのまま高校生,社会人になっている人も多いのではないでしょうか。
ぼくはこう教わりました。
ひらがなの「し」はこう書くでしょう。だからカタカナの「シ」も「し」をなぞるように上から下に来て左下から右上にはねる。
ひらがなの「つはこう書くでしょう。だからカタカナの「ツ」も「つ」をなぞるように左から右に来て右上から左下におろす。
幼児や小学1年生にはそう教えた方がいいでしょう。
ただ,小学高学年や中学生には簡単な方法があります。
「うみ(海)を書いてごらん。そのさんずいの部分が『シ』だよ」
「学校の学を書いてごらん。その上の部分が『ツ』だよ」
ふしぎなことにカタカナの「ツ・シ」は書けなくても,「学・海」はちゃんと書けるのです。
セルフ塾はセルフラーニングの塾なので,自分で学習を進めることができなければいけません。だから,そういう観点で選んで一番いいものだと思っています。
これをそれぞれの生徒に買ってもらい,それぞれがやっていきます。週3回,1日2ページ進めば1年足らずで終わります。
もちろん,家庭学習としても最適です。
内容は,「漢字・語彙」「文学」「作文」「説明文」「文法」に分かれ,国語いっぱんを網羅しています。
「漢字・語彙」のときには,国語,漢字の辞書をよく引いて解いています。
文法は,独特な方法もあり,最初はとまどいましたが,けっこういいです。
難を言えば,読解(文学・説明文)です。記述式の答えを求めるものがあり,正解に達するのがとても難しい。中には,ぼくでも正解に達せないのも少なくありません。それで,私どもはヒント用のテキストを作っています。
国語だいすき―基礎学力アップ (小学1年生)
国語だいすき―基礎学力アップ (小学2年生)
基礎学力アップ 国語だいすき 小学3年生
基礎学力アップ 国語だいすき 小学4年生
国語だいすき 小学5年生―基礎学力アップ
国語だいすき―基礎学力アップ (小学6年生)
コア理論とは,ひとつの単語にはその核(コア)となる意味がある,という理論です。中心語義,基本語義と言っている学者もいます。
多義語であっても,その中心のコアをつかんでその派生としてひとつひとつの意味を理解すべきだというものです。
ぼくは,このコア理論を高く評価し,ぼくが生徒に教える場合にも利用させてもらっています。
さて,きょう言いたいことは,国語辞典においてもこのコア理論をとりいれて欲しいということです。
ぼくの塾はセルフラーニングの塾なので,自分で調べることができるように辞典類は数多く揃えています。国語辞典もいくつもあります。いま数えたら15種類ありました。「はじめての国語辞典」から「広辞苑」まで,小学生用,中学生用,大人用,いろいろです。生徒に広辞苑を引かせることもあります。
しかし,これらの辞典すべてが,意味を羅列しただけです。羅列は言い過ぎで,たぶん使用頻度の順か,コアに近い順になっているのでしょう。
しかし,この言葉のコアは何々で,それから派生した意味として,何々といったコアにふれているのはありません。(ぼくが知らないだけかもしれません。知っている方がいらっしゃったら教えてください)
日本語の単語,多義語にもコアはあるはずです。そして,その基本となるコアをまず押さえるということは,国語教育においても大切なことではないかと思います。
これから国語辞典を編集する出版社にお願いします。コア理論をとりいれた国語辞典を作ってください。
なお,英語のコア理論をとりいれた辞典のひとつ,エクスプレスEゲイト英和辞典 です。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4828804668?ie=UTF8&tag=selfyoji-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4828804668
小学部では漢字の練習を重視しています。漢字が読めなければすべての科目の足を引っ張ります。だから,小学生レベルの漢字はどうしても読み書きができて欲しいからです。
この本の一番の魅力は,書き順がはっきりしていることです。漢字辞典にも書き順はのっています。しかし,省略が多い。例えば,総画数20画の「議」を9つ分けて表しています。しかし,この本では一画一画出ていて20に分けて表しています。
簡単なところは省いていいだろうということでしょうが,初めて学ぶ生徒にとっては簡単ではありません。また,間違えて覚えている生徒にはこの本を見せながら書かせるとすぐに間違いに気づきます。てへんを,たて,横,横 で書く人,また,横,横,たて で書く子も少なくありません。
また,はねる,とめる,長く,など,細かいところの説明もなされています。だから,「売」の上の方を「土」と間違えて書いている生徒には,この本を見せればいいのです。きちんと上の横棒から線が延びていて「下のヨコ棒より長く」と書かれています。このような細かい注意書きがすべての字にあるので,便利です。
ほとんどの中学生が間違えた字を書きます。中学生で新出の漢字でも基本は小学の漢字です。「怖」も「りっしんべん」と「布」でできています。りっしんべんの書き順,布の書き順,どちらも間違いやすいです。この本を示しながら確認させます。
もちろん,総画数,部首,音読み,訓読みものっています。
欲を言えば,その漢字の基本語義(コア)が載っていればいいのにと思います。
例えば「路」だと「人が踏み通るところ。みち」など。多くの漢字は訓読みで意味が分かるのですが,「路」のばあい音読みしかないので分かりにくい。
この記事は,2010年3月3日に,以下を付け加えました。
いま,ぼくは「漢字の使い方に工夫・・・「小学漢字1006字の書き方辞典」の方がベターだと思っています。次の記事をどうぞ。
漢字の使い方に工夫・・・「小学漢字1006字の書き方辞典」
やさしい国語読解力
やさしいとは,優しい,そして易しい ということらしい。
たしかに「やさしい」本です。とても読みやすい。中学生でもすらすら読めるでしょう。
どのくらい読みやすいか,p78~79 にかけて,コピーしてみます。
主観客観いつしょじゃアカン!
主観と客観の区別
主観的、客観的という言葉を聞いたことがあるかい?実はこれらは学校で教えなければいけないことの中には入っていない。だから知らない人が多くてもそれは仕方がないこと。だけど、このニつの区別ができないで文章を読むのはほとんど不可能に近い。というか、読むことはできても正しく読み取ることができない。それだけでなく、普段の生活にも大きく影響してくる。いわゆる「アタマのいい人」つていうのは、実はこの主観と客観 の区別が上手にできている人だと言ってもいい。今回はその主観と客観がどういう意味なのかをマスターし、何が主観的で何が客観的なのかの区別かつけられるようにしよう。
1953年のアメ]力映画『ローマの休日』は半世紀以上前の白黒映画にもかかわらず,いまだに民放地上波の洋画劇場で放送されるほど人気が高い作品。この映画で主演のオードリー・ヘップバーンはアカデミー賞の主演女優賞を獲得した。ところで彼女が主演女優員を獲得したというのは,誰がなんといおうが事実。こういうことを客観的という。つまり誰から見ても事実として認められるもの。それに対して、そのオードリーの演技が本当にうまかったのか、賞に値するものだったのか、これは人によって意見が分かれるだろう。ある人の演技をうまいと思うかそうでないと思うかは人それぞれ。こういうのを主観的という。
つまり客観的とは誰が見ても同じように判断するようなこと。それに対して主観的とは人それぞれで感想が違うようなことをいう。
(以下,略)
どうですか。読みやすいでしょう。
そして,内容的にも的を射ています。とてもよくまとまっています。
ただ,これで中学生の読解力が高まるかというとなかなかでしょう。問題をさせなければなりません。これにそって問題集を作ると,いい問題集ができそうだな,と思います。やってみようかな。
「やさしい国語読解力」の著者,後藤武士さんがコメントを書いてくださいました。
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-373.htmlコメントだけでももったいないので,記事としてアップします。
タイトル「問題集 存在します。」
著者です。書名で検索してたどり着きました。
お褒めの言葉ありがとうございます。
ところで
>ただ,これで中学生の読解力が高まるかというとなかなかでしょう。問題をさせなければなりません。これにそって問題集を作ると,いい問題集ができそうだな,と思います。やってみようかな。
とのことでしたが既に存在します。
というかそちらの方が先に書籍化され、おかげさまでロングセラーになっております。
『これ一冊で必ず国語読解力がつく本』がそれです。
記述対策 難問対策の『これ一冊で必ず国語読解力がつく本 入試対策編』もございます。是非ご高覧ください。
実は『これ一冊で必ず国語読解力がつく本』は,その後購入して手元にあります。いまつん読の状態。著者からコメントをもらったので,すぐ読むことにします。
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-373.html
読解と解釈と鑑賞の違い。
読解というのは与えられた文章から確実に言えることを正確に読みとること。だから読解は客観的なもので,正しい読解と間違った読解がある。
(中略)
正しい読解から想像できること,推定できること,それが解釈。だから解釈の幅は読解よりも広くなる。それに間違った解釈というのも存在する。
(中略)
「3人の息子かあ,女の子もいればよかったのにね」これは鑑賞。もうこれは完全に個人の感想。感想だから当然いい悪いはない。もし間違った感想なんてのがあれば,それは間違った感想ではなくて,間違った読解あるいは間違った解釈のあげくに抱いてしまった感想というのが正しい。
(中略)
入試問題などに文章が採用された作家たちが言っている「ぼくの作品をどのように受け取ってもらうのも読者の自由なのだから,○×をつけるのはやめてほしい」
これ,実は正しくない。何で正しくないかはもうわかるでしょ。そう,鑑賞,感想に関する部分,これについては個人の自由だから登場人物が行ったことについて「これはおかしい」とか「いや、よくやったよ」というのはアリ。でもね、本当は中学生だった主人公を高校生だと読み間違えていたり、死んでしまっているおばあさんを生きていると読み間違っていたりというのは明らかな間違い。
作家や大学の先生たちというのは、当然自分自身は文章がうまく書けて読める人たちが多いから、まさかそんなところで読み間違う読者がいるなんて思いもしないんだろうね(ぼくはこの仕事をやっているおかげで、死んでいるはずの登場人物が生きていると読み取ってしまうような人さえ決して少なくないことを知っている)。
星新一のショートショートに「おーい,でてこーい」というのがあります。中学生に読書として読ませています。
簡単に紹介します。
ぼくは,生徒に質問します。都会からあまりはなれていないある村
直径1メートルぐらいの穴があった。のぞき込んでみたが,なかは暗くてなにも見えない。
「おーい,でてこーい」
若者は穴にむかって叫んでみたが,底からはなんの反響もなかった。彼はつぎに,そばの石ころを拾って(中略)投げ込んだ。だが底からはやはり反響がなかった。
(穴はとても深そうなので,いろんなものを捨てます。原子炉のカス,不要になった機密書類,死体,汚物,古い日記,犯罪者の証拠物件)
穴は捨てたいものは,なんでも引き受けてくれた。
ある日,建築中のビルの高い鉄骨の上でひと仕事を終えた作業員が,ひと休みしていた。彼は頭の上で,
「おーい,でてこーい」
と叫ぶ声を聞いた。(中略) 声のした方角から,小さな石ころが彼をかすめて落ちていった。(後略)
「この村はその後,どうなるでしょう」
その後のことはいっさい書いてありません。しかし,書かれていることをきちんと読みとって,推し量るとこれは明らかです。星新一さんもこれを読みとって,推し量ってこの話を楽しんで欲しいと思ったので,それを書いたはずです。
それが解釈ですね。これは客観的です。正しい解釈は決まっています。
しかし,それが分からない生徒は多い。だから,いろいろ質問して導いてあげるのです。
「この村に何があったの?」「最初の方で,ひとりの青年がその穴に何をした?」「その穴に人々は何をした?」「最後の方で,上から何かが聞こえたね。」
「読解と解釈と鑑賞の違い」
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-414.html
の中で
「日頃ぼくが考えていることを,『やさしい国語読解力』にうまくまとめてあるので・・・」
と書きましたが,少々異なるところもあるので,書きます。
ぼくは,これまで「読解」と「解釈」をきちんと区別していませんでした。それで,後藤武士氏による説明はいいな,と思いました。
ただ,ふつう「読解」には「解釈」も含まれるのではないでしょうか。
「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」
には,
「読解」のことが次のように書かれています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%AD%E8%A7%A3
「それを理解し,解釈するまでの」とあります。読解とは、読み解く(文章などを見て、その内容を理解すること)ことである。
[編集] 概念
読解とは文章に触れ、そこに内包された情報を、読者と書き手とが共有する文章表現の規則や約束事であるコードと読者に既有の知識や情報および経験を手がかりとして解読し、それを理解し、解釈するまでの、読者の一連の行為を指す概念である。
やはり,読解には,解釈も含むと考えた方が一般的でしょう。
ただ,後藤氏の書いてあるような,「読解」と「解釈」を区別するのはいいことだと思います。
読解ではなく,「読みとり」にするのもひとつかな。
または,読解には解釈(書かれていないことを推し量ること)は含まないことにしましょう,とみんなで確認するか。
いずれにしても,
読解(読みとり),つまり書かれていることを理解するところでつまずいていることがあります。
読書指導で,「それで,犯人はだれ?」の質問に答えきれない子がいるのです。ちゃんと書かれているのですが。
また,解釈がうまくないことがあります。その例は前に書きました。
それは,別々の指導法があるのではないかと思います。
清水さんはぼくの大好きな作家でほとんど読んでいます。
抜粋します。
言いたいことがないのに書かされる。しかも、家族は大切ですとか大人を安心させることを書かないといけない。子どもじゃなくても、そんなの面白いわけがない。
そう思わせるのは先生や親の指導のせいだ。けんかの作文を書くと、相手のいいところはないの?ってつい指導する。お父さんとお母さんのけんかを書くと、家の恥ずかしいところ書かないで、と言われる。だから子どもは作文には書いていいことと悪いことがあると思い込んでいる。いい子のふりをしたうその文章が作文なのだ。
思ったことを文章で伝えるために書くのが作文だ。お母さんのことがムカついたと書くなら、どんなことで、どうムカついたか分かるように書いてあるのがいい作文だ。道徳教育ではないんだ。
すごく面白かったと思えば、だれかに伝えたくなるのが普通だ。子どもが、聞いて、聞いて、とよく言うが、伝えたいからだ。それを伝えるのが作文なんだから、もともと嫌いではないはずだ。 伝えたいことが伝わったと思えばだれだって気持ちがいい。そんな快感を味わえば、文章はたちまち生き生きしてくる。偽善のイメージを取り払い、楽しんでいい、遊んでいい、笑わせてやれ、となればしめたものだ。
大切なのは、ほめるこだ。直すよりいいところ見っけてこれでいいだと思わせることだ。字の違いの指摘なんかもってのほかだ。
だが、ほめるのは実は難しい。全体的によかったねとか、頑張ったねとか態度をほめるのはだめだ。どこがどう良かったか、具体的に成果をほめないといけないから大変だ。先生も親も、二回くらいはじっくり読んで、作文にしっかり向き合ってほしい。ちゃんと伝わっていると思えるようほめることが大切だ。
セルフ塾では,小学生には,作文指導もしています。いま使っているテキストが民衆社の「国語大好き」。それには,作文のページがあるので,そのページをするときに,やるのです。
このテキストのいいところは,ただばくぜんと作文をさせるのではなく,ポイントがけっこうしっかりしていることです。
「中心ズバリの文」では,起こった順にではなく,いいたいことを先に書いたり,長く書くことを教えます。
また,小さいときの写真を貼り付けて,それについてお母さんから話を聞いて作文にするなど。
ぼくも,指導をするときは,偽善的なことではなく,おもしろくて話したいことを各様にすすめています。そこは清水さんにまったく同感です。ただ,子どもたちが本当にそのように書くよう指導することはできていません。難しいです。
石原千秋さんは,中学入試,高校入試に出題される国語読解の主人公はみな「いい子」だ,というようなことを書いていたと思います。
中学生の部では基本的に作文はありません。ただ,高校受験では作文があるので指導します。
漢字や語句の使い方を手直ししますね。ここに清水さんが書いてあることに関して(字の違いの指摘なんかもってのほかだ),もっともだとは思います。しかし,高校入試ではそこが減点の対象になるので,しかたないことだと思っています。
学習塾の場合には,目の前の高校入試にはどうしても合格させなければいけないので,・・・
なお,清水義範さんには,次のような本もあります。
以前,「動詞とは?」ということで記事を書きました。
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-133.html
この記事に書いたように,品詞は活用や用いられ方で区別した方がいいのです。
ぼくは,生徒に「ます」がつけば動詞だよ,と教えます。
「『走る』は『走ります』になるから動詞。『考える』も『考えます』だから動詞」
「動きのある言葉」などと教えたら生徒は混乱します。考える,住む,止まる,は動きのある言葉かどうか,考え込んでしまいます。また,「水泳」,「かけっこ」などは動きのあることばと思っても不自然ではないです。
だから,「『ます』のつくのが動詞」
これで,普通に日本語を使える人ならOKです。
形容詞は。「くない」「かった」がつく単語です。
「美しくない・美しかった」のようになるので「美しい」は形容詞。
ただ,最近は日本語が乱れて「きれいくない」「きれかった」などという子がいますから,それは訂正してあげなければいけないですね。
言い切りの形が「い」になるのは形容詞,も悪くはないけど,「い」がつくのは多いです。言い切りの形だけで判断すると「きれい」「闘い」を形容詞と思う生徒は多いです。
形容動詞は,「な」「だ」になる単語。「静かな,静かだ」 のように。
「きれいな」「きれいだ」になるので,「きれい」は形容動詞なのです。
このように活用がある単語(動詞・形容詞・形容動詞)は,活用を少し教えて判断させる方が判断しやすいです。
次に「名詞」です。
ぼくは「○○がいる」「○○がある」の○○に入るのは名詞だ,と教えています。
「辞書がある」「車がある」「ライオンがいる」「先生がいる」
このように。
いくつか,名詞なのに「○○がいる」「○○がある」にあてはめると少し不自然な日本語がありますが,でもこちらが分かりやすい。
本当は,それだけで主語になる言葉,ということですが,それでは判断しにくいです。簡単にできる作業を通して判断させた方がいいです。
「名詞」だから「名前の詞(ことば)」だよ,といっても判断できないです。
代名詞は名詞の一種ということで,名詞を理解させてから具体的に例をあげて説明すると特に問題ないです。数も多くないので。
連体詞・接続詞・感動詞は,活用はないのですが,数が多くないし,性質がだいぶ他の品詞と異なるので,例をあげて分かってもらいます。
問題は「副詞」です。これはまず活用がないので,活用が使えません。数も多いです。また,性質も少しずつ違っている。
いまは,用言(動詞・形容詞・形容動詞)を主に修飾する,ということで教えていますが,決定的な方法がないです。何か知っているひとがいれば教えてもらいたいです。
何かの本に他に分類できないのをすべて副詞にした,というのを読んだように記憶しています。ようするにゴミ箱みたいなものかな。だから,分類しにくいのでしょう。
あと,助詞・助動詞について。これは難しい。別にまた書きたいです。
ブログの国語に関する記事をまとめました。
学校では,文節を「ね」などを入れて事前に区切ることのできる単位のような教え方をしています。
でも,どこで切ったら不自然なのかはかなり個人的なところがあります。
「これを読んでください」は,「これを(ネ)読んでください」なのか「これを(ネ)読んで(ネ)ください」なのか。
ぼくは,「これを(ネ)読んで(ネ)ください」は不自然だと思うのですが,こちらの方が文節で分けてあることになっています。
教科書や多くの参考書は文節を自然に分けられるように区切った単位と教えています。
それについて,町田 健著「まちがいだらけの日本語文法 (講談社現代新書) (新書) 」で詳しく批判されています。
ヤフー辞書には「日本語の言語単位の一。文の構成要素で、文を実際の言葉として不自然にならない程度に区切ったとき得られる最小のひとまとまりのもの。文節は、音声上の単位としても特徴をもち、一つの自立語またはそれに付属語が一つないし二つ以上ついたものからなる。橋本進吉の用語から。」とあります。
「不自然にならない程度に区切った」というのでは主観的になりますが,
「一つの自立語またはそれに付属語が一つないし二つ以上ついたものからなる」
で定義すれば客観的で問題ありません。
文節を最初に教えるから問題なのです。動詞,名詞などの品詞を自立語,付属語を簡単に教えて後で,文節を教えるべきです。
そして,自立語の上で文節は切れると教えれば間違いありません。もちろん,自立語,付属語の区別は難しいです。だからすぐできるようになるわけではありませんが,「不自然に~」よりも客観的です。
ぼくの作った国文法の文節の部分をPDFファイルでアップしました。
ご覧になりたい方は,次の「PDFファイル」をクリックしてください。
そして,次に「6文節(日本語文法) 」をクリックし.そして「ファイルを開く」をクリックしてください。
PDFファイル
Yoji著「セルフ塾の国語 わかる教え方」をAmazon Kindle で電子出版
それに,terakoyaさんからのコメントがありました。terakoyaさん,ありがとうございます。
(前略)
私もyojiさんに賛成です。うちの中1では、自立語と付属語の区別をつける練習をしたあとに、文節に区切る練習をしています。この順序でないと、教える側としても、子どもを納得(理解)させるだけの説明ができません。
文節で区切る以上にさらに困るのが、単語で区切る問題です。
これは用言や助動詞の活用の学習が不可欠になるので、1年生にはまだ教えることができかねるのですが、たびたび1年生のうちに登場するので困っています。
品詞全てを1年生の前半で教える時間は取れないので、単語に分ける問題は2年生の1学期に品詞の種類と活用をすべて教えた後にやっています。
(後略)
terakoyaさんの書いてあるとおりです。文節以上にやっかいなのが単語です。中1の最初のころ,文節と単語を学びます。そして,「次の文を単語に分けなさい」なんて問題が出されます。
国語を教えている人は別にして,みなさんはできますか。
単語をヤフー辞書で調べると次のように出ます。中学生もそのくらいのことを教えられて,問題を解くように求められるのです。
単語: 文法上、意味・職能をもった最小の言語単位。例えば「鳥が鳴く」という文は、「鳥」「が」「鳴く」の三つの単語からなる。日本語では自立語・付属語に大別される。
問題 次の文を単語に分けなさい。
この問題は難しくないそうですが,ぼくには,解くことができませんでした。
どうですか。できましたか? いま即興で作った文です。恥ずかしながら,ぼくも少々自信がないので,解答は控えさせてください。
terakoyaさんが書かれているように,品詞について学び,その上で用言(動詞,形容詞,形容動詞),助動詞の活用を学ばないとこの問題は解けるものではありません。
本当に,何を考えているんだ,と怒鳴りたくなります。
さて,ぼくもterakoyaさんの考えに賛成ではあるのですが,学校では中学1年にこの課題に取り組まなければいけないので,しかたなくヒントを出しながら最初の方で「単語」を教えています。
ぼくの作った国文法の文節の部分をPDFファイルでアップしました。
ご覧になりたい方は,次の「PDFファイル」をクリックしてください。
そして,次に「7単語(日本語文法) 」をクリックし.そして「ファイルを開く」をクリックしてください。
PDFファイル
Yoji著「セルフ塾の国語 わかる教え方」をAmazon Kindle で電子出版
係り結びです。係り結びを中学で教えることになっているようで,頻繁に出てきます。
係り結びは、古典が大の苦手だったぼくでさえ、「ぞ・なむ・や・か・こそ」と覚えたくらいの有名なものですね。
「係り結び」をヤフー辞書の「大辞泉」で検索すと,
文語文で、文中に係助詞が用いられる場合、それに応じて文末の活用語の形態に変化の生じる現象。
◆狭義には、上に「風ぞ強き」「風なむ静かなる」「風や出づる」「風かやまざる」のように「ぞ」「なむ」「や」「か」を用いると連体形で結び、「風こそ出づれ」のように「こそ」を用いれば已然形で結ぶことをいうが、広義には、疑問詞に対する連体止めや、「は」「も」に対して終止形で文が結ばれることも含まれる。
とあります。「大辞林」には,
中世以降、終止形と連体形が同じ語形になるとともに次第に衰えていった。
ともあります。
これで分かるでしょうが,係り結びというのは,終止形,連体形,已然形が分からないと理解できないものなのです。中学生で古文は出てきますが、重要語句の説明や筋を流すくらいで、活用までは教えません。
そういう生徒にどのようにして係り結びを教えればいいのでしょうか。
はっきりいって、ぼくはお手上げです。ただし、テストに出てくるのは、このような法則を何といいますか、のようなものだけ。
だから、「ぞ・なむ・や・か・こそ」が出てきたら、係り結びと書きなさい、と教えています。どのようなものか辞書に書いてあるようなことくらいは話しますが、理解できるとも思っていないので、流すだけ。
これがまだ現代文に似たようなのがあればいいのですが、ぼくは思いつきません。
辞書にあるように、現代の文法では、連体形が終止形と同じ形をしているのです。だから現代文に係助詞を入れても終止形と変わらないので意味がないのです。
まあ、とにかく高校で古文の活用を学んであとに学ぶのが自然で、中学生に係り結びを教えるなんて馬鹿なことはやめてもらいたいです。
どうしても中学生に教える理由なんてあるのでしょうか。
助詞と助動詞のちがい分かりますか?
助詞も助動詞も付属語ですが,助動詞は活用があるが,助詞は活用がない,ということで区別されるのです。
さて,
推量・意志の助動詞「う」「よう」は,終止形,連体形だけしかありません。連体形も「う」「よう」で,活用しません。打ち消しの推量・意志の「まい」もそうです。
文英堂の「くわしい国文法」には,無変化型とあります。
どうですか。活用がなければ,助詞ではないか,と思うのですがどうでしょうか。
長い間,そのように思っていて,国文法はめちゃくちゃだとぐちっていました。
でも,これには訳があったのです。
何で読んだのか忘れましたが,
これらの助動詞は文語では,ちゃんと活用があったのだそうです。
「う」は文語では「む(ん)」だったのでしょうか。古典はまったくだめなので検索してみたのですが,自信ありません。
「む」は,「む・む・め」と活用します。だから助動詞。それが変わって「う」になり,そして活用がなくなった。しかし,助動詞としての分類だけが残った。
そういうことなのでしょう。
だから,まあそれはしようがないかな,と思います。活用がなくなったのだから助詞ということにしましょう,というのもひとつの手かもしれませんが,それもどうかな,と思います。
ただ,そういう説明はぜひして欲しいです。ぼくのような理屈っぽい人間には,理屈が通らないと頭に入らないので。
ブログの国語に関する記事をまとめました。
セルフ塾では,漢字の練習をします。生徒たちは,新出漢字の単語や短文を書いてぼくらのところに持ってきます。
そのときに,正しい筆順で書いているかどうかもチェックします。
例えば「方」です。これはよく間違えます。
この「方」の字を,ベレー帽をかぶった横顔と考えましょう。
この字の書き順は,まずベレー帽の点,2画目は横棒(一)です。
問題は3画目です。正しくは,あご(])の方を書かないといけません。そして最後,4画目が鼻,(ノ)です。
かなり多くの人が鼻(ノ)を3画目に書いて,そしてあご(])を最後に書きます。
このように間違えた筆順で書くと鼻(ノ)が短くなるのです。鼻を書いて次にあごに行くので次につなげるために短くなるのです。字を書くときは,次のことも考えながら書いているのです。
正しい筆順だと,最後が鼻なので,すーっと長く伸ばして次の字に進みます。
鼻が長いと正しい筆順,短いと間違えた筆順です。
極端な場合,鼻からあごにつなげている人もいます。「ク」のような感じになるのです。
大人でも間違えている人がいます。貼り紙の中にもありますね。
近くに子どもがいるなら「方」の字を書かせてみてください。「万」も同じです。
このような知識は妻のKyokoに教えてもらったものです。彼女は漢字が強いです。ぼくは弱い。子どもたちは,ぼくにテストされるのは平気だが,彼女の前ではびくびくしています。ちょっとしたことにも気付くからです。
今度は,「発」や「登」の「癶(はつがしら)」の部分です。
この正しい筆順は,1画目が左側の払い(フ),そして2画目が点。その後,右上の小さなノ(3画目)です。ここまではいいです。次が問題。正しくは右側の払いです。その後で右上の小さなノを先のノの下に並べるのです。
文字で説明すると分かりにくいのですが,右上に並んだ小さなノ2つ。それが3画目と5画目なのです。連続しないということ。
それを間違えて連続して書くと,その2つの「ノ」がきれいに平行に並ぶのです。だから,間違いだと分かるのです。正しい書き方で書くと,この2つの「ノ」が平行にならず,微妙に角度が異なります。
いまぼくは自分で書いてみたのですが,最初の「ノ」は次の右払いに移るために少々上の方に向きます。そして2つもの「ノ」はまっすぐに伸びます。
きれいに並んでいると,「はい,この『発』の字を書いてごらん」と言って,書き順をチェックするのです。すると,連続で「ノ」を書きます。ほとんどが。間違えてというよりも,そのように覚えているのです。
「はい,間違い。書き順を調べておいで」と言って調べさせます。すると,「変な書き方」と言いながら戻ってきます。確かに変ですよね。なぜこのような筆順になったのでしょうか。
このような筆順がきちんと説明されているのが,
旺文社の「小学漢字1006字の正しい書き方」です。
ていねいに説明されているので,小学生にはいいですよ。
廿,丗 です。廿は,革,度,席にあります。丗は,帯の上にありますね。
この書き順を間違える生徒がかなりいます。
廿の正しい書き順は,
①上の横棒(一),②左の縦棒(1),③右の縦棒,④下の横棒 です。
間違えるのは,2画目の左の縦棒を書きながら,下の横棒まで書くのです。つまり2画目をLにするのです。だから全体として3画になります。
間違えた字は,2画目の角が丸くなっています。続けて書いたのがすぐ分かります。角ばって書く人もいますが,つづけて書いているのできちんと合わさっています。
正しく書くと,2画目の縦棒と,4画目の横棒にずれが出ます。横棒が少し飛び出す感じです。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=40544212&comm_id=1230369
息子(中一)の期末テストが返って来ました
ほとんど50点以下です
毎回感じていましたが、国語が出来ない故に全てのレベルが下がっていると痛感しました。
全教科通じて
①漢字で書くべき字を「ひらがな」で書いている
まくらのそうし、てんぴょう文化、あすか文化、せっかん政治 等など
②誤字脱字多々・・・・・「源氏物語」は「原子物語」と書いてありました
③文章(問題の意味)読解ができていない
つまり、勉強をするベースである国語力がないのです。
息子には、「日本語で生きているんだから、読み書きを頑張ろうね」と言いました。
どうすればいいでしょう?
これまでに家庭でやってみたことは
・公文式の漢字問題集の小4を一緒に買いに行き、「続けよう」と言っていますが、三日坊主です。
・本を読んで感動する気持ちを味わって欲しいと好きな本を買っていますが、どう見ても流し読み。じっくり文字を追うことができません。一冊も読破したことはありません。
・数学のみ公文へ行っています。これ以上、習い事はイヤだそうです。
親が本を読めば子どもも読むと言いますが、私は読書が好きです。
日本国語力が上がるいい方法はないでしょうか?
皆さんよろしくお願いします
(それにぼくは次のように書きました)
国語は,ダイアナの書かれているように,「勉強をするベース」となる科目です。国語ができなければ他の科目も難しいです。ある意味では一番大切な科目です。
しかし,国語は,はっきりいって一番成績の上がりにくい科目です。
数学などは,10の努力で10の効果があらわれることがあります。(個人差,項目にもよります)
それに比べると,国語は10の努力で1の効果が出れば上出来といった感じがします。いま,入試にむけての学習を行っています(きょうが最終)が,この期におよんでは国語はすててもいい,とさえ言っています。
では,何もしなくてもいいかと言えばそうもいきません。いま目の前の国語の成績を上げるのであれば,教科書準拠の問題集を買ってきて解くことでしょうね。そうすれば定期テストではある程度点数がかせげます。
ただ,本当の国語力には結びつきにくいです。やらないよりはずっといいのですが。
ダイアナさんが書かれているように,やっぱり「読書」です。最終的には読書にかかっています。ただし,効果があらわれるのは,何年も先のことになると思います。
では,どうすれば読書をする子になるかです。読み聞かせもいいです。親が読書する姿をみせるのもいいです。ただ,そうすれば読書をする子になるかといえばそうではないです。
ぼくは,強制的にでも読書をさせたほうがいいと思っています。
強制はかえって悪いという意見が多いですね。
しかし,ぼくは読書に関して大きく次のグループに分かれると思っています。
もともと読書が好き,強制されても読書を楽しむ
読書は好きではない,強制されることによって読書のおもしろさを知る。
読書は好きではない,強制されても好きにはならない。
強制のしかたにもよるでしょうが,強制されたからということで,好きだった読書をきらいになってケースをぼくは知りません。
それよりも,読書を強制することによって,読書のおもしろさを知った子をぼくはたくさん知っています。
なぜなら,ぼくの塾では,読書を時間割に入れて読書を強制しているからです。ぼくはいま大成功だと思っています。もちろん,上のグループにもあるように,全員が読書好きになったわけではないのですが。
簡単にぼくの塾の読書を紹介します。
齋藤孝氏の「3色ボールペン式読書」をさせるのです。おもしろいところは緑,大切なところは青,とても大切なところは赤で傍線を引きます。そして,ちゃんと引いているのかぼくがチェックを入れるのです。
齋藤孝氏は,家族での読書をすすめています。
家族で同じ本を読む。
それぞれが3色ボールペン式読書をする。
読み終わったら,どこに緑色を引いたのか話し合う。緑色は「おもしろいところ」だから,どこでもいいのです。
そして,どうおもしろかったのか話す。
これが家族でできれば読書もすすむのではないかと思います。
ぼくの塾の読書について,詳しくは次のブログのページにあります。
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-158.html
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-677.html
漢字の学習もルーティン化(毎日のきまりきった作業)することが必要です。
塾では,清風堂書店 岸本裕史監修/桝谷雄三編集の「漢字習熟プリント」{小学1~6年生(全6巻)、手書き、B4判、税込価格/各1,365円(本体価格1,300円+税)}と
新漢字習熟プリント―子どもにやさしい手書きプリント (小学4年生)
それと,旺文社「小学漢字1006字の正しい書き方―書き順・音読み・訓読みがすぐわかる 」{価格:¥ 630 (税込)文庫 サイズ}を使っています。
小学漢字1006字の正しい書き方―書き順・音読み・訓読みがすぐわかる (Obunsha study bear)
塾で作成した「漢字学習ノート」に,
①読み方(音・訓),②書き順(大きく一字書き,書く順に番号をつける),③部首,そして④練習,⑤単語(習熟プリントから写す),⑥短文(習熟プリントから)を書きます。

1日教科書の新出漢字3文字ずつをします。
本当は,漢字の意味も書き写したいのですが,上の2つプリントと本にはないのでやっていません。
家庭では,普通のノート1ページに何をどう書くか,決めましょう。とにかくパターンを決めることが大切です。
子どもが書いたら,それをチェックします。
塾では,ちゃんと書いているかどうかをチェックしながら,単語,短文を正しく読むことができるかどうか,テストします。「音・訓」の読み方の部分を手で書くし,単語,短文を読むことができるか,読ませてみるのです。読めなければ,「はい,ちゃんと覚えておいで」と言ってもどします。
そして,塾では次の日に書取のテストをします。書取用のテスト用紙を準備しています。といっても原稿用紙のようなものを印刷してつづっただけのものです。家では,市販の原稿用紙ノートを使えばいいですね。
それに,前回書き写した単語,短文の読み方をひらがなで右の方に書きます。これは前回覚えた読み方をまだ覚えているかどうかのテストにもなります。思い出せない場合は,空欄にしておきます。そして,それをぼくらがチェックします。間違えていたり,空欄がある場合は,訂正させます。自分でプリントを見て確認するのです。
これで,読みのテストと同時に,書取のテスト用紙ができあがりました。子どもが自分自身で作成した書取テスト用紙です。
次に,子どもたちはノートに2回ずつ単語,短文を書いて練習します。練習したのは正しく書けているかどうか,ぼくらがチェックします。間違えていたら書き直させます。きちんとできたら,書取のテストです。テストですから,ノートや本は見ないで書くのです。分からないところは空けておきます。それをぼくらがすぐにチェック。赤ペンで○をつけていきます。間違えたところはチェックです。間違えた字は再度練習します。このようにして全部できたら漢字の練習は終わりです。
30分くらいの作業です。これだけやっていればかなりの漢字力がつきます。
前にも書きましたが,何をどのようにすればいいのか,決まっていれば,子どもたちはさっさと自分で作業します。要するにルーティンになるのです。だから,こちらも楽です。
お母さんは,テーブルで何か家事をしながら子どもがやったことをチェックするだけでいいのです。
学校教育で教えたり、行政・マスコミなどで使える漢字「常用漢字」。その27年ぶりの大改訂が行われている。
とのこと。
ぼくは,小学生に漢字を教えていますが,教えながら感じることがいくつかあるので,書いてみます。
一番大切なのは,漢字が読めることです。番組でもやっていましたが,最近はコンピュータの普及で,漢字を書くから打つに変わっていて,あいまいに覚えていても漢字が使えるようになってきました。
ぼくもそうです。ぼくは,このように今でも漢字を打っています。しかし,鉛筆を持って実際に書きなさいと言われたら書けないことがあります。
ぼくの塾はセルフラーニングなので,ほとんど書くことはありません。ただ,テスト前や入試前には,黒板を使って教えることがあります。そのときに,漢字が書けなくて立ち止まることが少なくありません。もともと漢字力はなかったものですから,それがコンピュータのせいなのかは,分かりません。でも,影響は大きいと思います。
しかし,書くことはこの程度でもそれほど困ることはあまりありません。でも,読めないといけませんね。絶対に。
だから,読めればいい,という立場にいます。
しかし,小学生,中学生が学ぶときには,読めればいいということで指導していたら,定着が悪いように感じます。
以前,漢字力が極端に弱いHくんについて書きました。
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-262.html
中学生ですが,小学生の漢字がほとんど読めないので,とりあえず読めるようにしようということで,読む練習をしました。しかし,まったく定着しなかったのです。
読めればいい,ということで指導すると,読みさえもきちんとしません。
それで,ぼくらの塾では,読みと書きをいっしょに練習します。ちゃんとしたデータがあるわけではないのですが,その方が定着はいいようです。
読むことよりも,書くことの方が数段難しいです。読むことはできるが,書けない字はたくさんあります。逆はほとんどありません。あっても特殊な覚え方をした漢字でしょうね。
だから,書けるようにまでなった字は読めます。それで,ぼくらは書けるまで練習をするようにしています。
ぼくがそれを「こもじ」と読むと,「おかしい,『しょうもじ』じゃないの?」とある中学2年の女の子が言いました。これまでも何度もあります。
ぼくのが間違えているのかなあ,と思って,辞書を引いたら,やはり「こもじ」でした。「しょうもじ(小文字)」はありません。
ネットで調べても,やはり「小文字」は,「こもじ」です。
数人の子に「小文字」を読ませると,「しょうもじ」が多いですね。
ぼくの地域の子どもたちだけでしょうか。
ある先生が「しょうもじ」と教えているのでしょうか。
もちろん,「こもじ」と読もうが,「しょうもじ」と読もうが,英語の力には影響しません。
「大文字」を「だいもじ」と読む子はいません。『大文字』は「おおもじ」です。全員。なぜ,『小文字』を「しょうもじ」と読むのでしょうか。
「小(しょう)」は,音読みです。それに対して「大(おお)」は訓読み。だから,
訓読み同士で,「大文字(おおもじ)」に対しては「小文字(こもじ)」です。
「大(だい)」に対しては「小(しょう)」でしょうね。
「大型(おおがた)」の反対は「小型(こがた)」
「大口(おおぐち)」←→「小口(こぐち)」
「大声(おおごえ)」←→「小声(こごえ)」
「大味(おおあじ)」←→「小味(こあじ)」
「大物(おおもの)」←→「小物(こもの)」
「大判(おおばん)」←→「小判(こばん)」
「大潮(おおしお)」←→「小潮(こしお)」
「大柄(おおがら)」←→「小柄(こがら)」
「大粒(おおつぶ)」←→「小粒(こつぶ)」
それに対し
「大差(たいさ)」の反対は「小差(しょうさ)」
「大食(たいしょく)」←→「小食(しょうしょく)」
「大国(たいこく)」←→「小国(しょうこく)」
「大脳(だいのう)」←→「小脳(しょうのう)」
「大事(だいじ)」←→「小事(しょうじ)」
「大腸(だいちょう)」←→「小腸(しょうちょう)」
「大教室(だいきょうしつ)」←→「小教室(しょうきょうしつ)」
小を大にすれば反対語になるかと言えば,そうでもないようです。
小人(こびと)に対して大人(おおびと)とはふつう言わないです。大男,大女と言う。
小言(こごと)の反対は大言(おおごと)ではない。
大風呂敷を広げる,大ほら吹き,大もうけ,小心,小冊子,
こういうのは,大を小にすれば反対になるわけでもないようです。
大人数は(おおにんずう)ですね。「だいにんずう」も聞いたことがありますが,辞書にはありません。
大人数(おおにんずう)の反対は,小人数(こにんずう)です。
ぼくは,少人数(しょうにんずう)はよく使いますが,小人数(こにんずう)は使わないですね。
大人数の反対は少人数だと思っていたが,
たぶん,大人数(おおにんずう)の反対は小人数(こにんずう)
多人数(たにんずう)の反対が少人数(しょうにんずう)なんでしょう。
小文字の読み方から,漢字に弱いぼくがいろいろ考えてみました。
漢字を学ぶ順序がいまは系統的になっていないです。
英語教育についてとだいぶ似ているように感じます。英語教育は最近会話中心になっています。話せる英語ということでしょう。だから,使用頻度の高いのを教えているのでしょうね。
How are you? Can I help you? Here you are. Thank you.
確かにこれらの表現は便利です。でも,応用がきかない。発展性がないです。最初にこれを学ぶということはとにかく意味も分からずに,覚えなさいということになるからです。
漢字もそうです。とにかく覚えなさい,ということで,どんどん出てきます。応用がきかない。
ぼくは漢字が大の苦手でした。覚えるのが苦手だったのです。理屈もなく,ただただ覚えるのがおもしろくなかったのでしょう。
漢字というのはそういうものだろうと思っていました。もちろん,象形文字というのは知っていました。そのときは,漢字もおもしろいなあと思ったものです。
そして,塾で国語も教えるようになりました。
民衆社の「国語だいすき」を使っています。それを教えていると,漢字ってけっこうおもしろいじゃないか,と思いますね。
例えば,「交」の音読み「コウ」ですね。
学校の「校」の音読みも「コウ」
効果の「効」も「コウ」
郊外の「郊」も「コウ」
絞殺の「絞」も「コウ」 です。
「交」がついていると音読みは「コウ」になるのです。
そういうのを「音符」といいいます。
辞書には,音符:漢字の構成で、音を表す部分。「胴」「銅」の「同」など。
こういうのを教えながら漢字も教えると,発展性があります。ぼくはこのことを知ったのは,塾をするようになったからです。ただ,なんとなく「交」があると「コウ」と読むと知っていたようには思いますが,本当はどうだったのか。
部首が意味を示すというのは,学んだように思います。いま,生徒に「貝」がつくとお金に関係があるんだよ,などと話すと,「へぇ~」と感心します。
購,買,貯,預,
売は「賣」だったんですね。
などなど。
そういうふうに意味を表す部分を「意符」というそうです。
漢字の成り立ちはおもしろいです。だから,こういう漢字の中にある法則性を教える,って大切なことだし,そうすると覚えるのもまだ楽しいんじゃないかと思いますね。
英単語には,ぼくの大好きな田中茂範氏によるコア理論があります。また,政村氏の英語基本語義辞典には,単語の中心的な意味があきらかにされています。
コア(コアイメージ)とは
たとえば,make は,単に「作る」と覚えるのではなく,
「(材料に手を加えて)何かを作る」と覚えます。これがコアです。
She makes me happy. は「彼女が私という材料にに手を加えて,私をハッピーな状態に作った」と考えればいいのです。
ぼくにとっては,make 「~を・・・にする」よりずっと理解しやすいです。ケーキを作るのと同じイメージで理解できます。たぶん,ネイティブの人は同じイメージを持っているのではないでしょうか。
さて,漢字にもコアになる意味があるはずです。
ぼくは,漢字辞典を数多く見てきたわけではないのですが,ぼくの知る限り,コアを前面に出した辞典はありません。あってもいいのではないかと思います。
セルフ塾には,漢字辞典を数種類おいてあります。ぼくは小中学生に教えるときは,旺文社の「小学漢字新辞典」を使います。「小学」とありますが,中学レベルも入っています。いい辞典ではあります。
旺文社小学漢字新辞典
それには,意味はあります。しかし,基本語義としてではなく,羅列的です。
「行」
(意味)
(一)いく。ゆく。歩いてゆく。(例)行進,通行
(二)列。ならんだもの。(例)行列
(三)もち歩く。旅をする。(例)行脚
と,(七)まであります。
もちろん,漢字辞典にそれは必要です。しかし,これをずべて覚えるわけにはいきません。中心になる語義(コア)を覚えて,あとは派生したものとして理解することがいいと思います。
ただし,まったく書かれていないわけではありません。
この辞典にはそれぞれの漢字の「なりたち」が書かれています。
「行」
(なりたち)(象形文字)十字路の形をえがいた字。通り,道のいみ。それから,ゆく,おこなうのいみとなった。
とあります。
だから,中心になる語義は,「ゆく,おこなう」ということでしょうか。
それをもっと前面に出して欲しいのです。
(基本語義)ゆく,おこなう
のように。
ぼくの塾では,小学生に「小学漢字1006字の正しい書き方―書き順・音読み・訓読みがすぐわかる」(旺文社)を持たせています。
小学漢字1006字の正しい書き方―書き順・音読み・訓読みがすぐわかる (Obunsha study bear)
とてもいい本です。ただ,漢字の意味がまったくありません。漢字は,読み方,書き方といっしょに意味も覚えるべきだと思います。基本語義は一行でいいのです。それを付け加えてくれればいいのですが。
漢字能力検定協会のサイトにある問題例から転載しました。
(四) 漢字検定には,次のような熟語の構成を答えさせるのが,あります。
熟語の構成のしかたには,次のようなものがある。
ア 同じような意味の漢字を重ねたもの (岩石)
イ 反対または対応の意味を表す字を重ねたもの (高低)
ウ 上の字が下の字を修飾しているもの (洋画)
エ 下の字が上の字の目的語・補語になっているもの (着席)
オ 主語と述語の関係にあるもの(国立)
次の熟語はどれにあたるか,記号マークせよ。
1,油脂 2,感涙 3,繁栄 4,到達 5,抜群
6,公営 7,是非 8,越冬 9,独占 10,優劣
こういうのは,漢字一つひとつの意味が分からないと解けません。
生徒が習いに来たときは,この字の訓読みは何? と問います。
油脂 だと,油は「あぶら」,脂も「あぶら」 すると,同じような意味の漢字だと分かりますね。
前回は,漢字の基本語義(コア)について書きましたが,訓読みは基本語義だと思ってたぶん間違いないでしょう。訓読みとコアがダブルことになります。
往復 は,ぼくらがとてもよく使う熟語です。
いまPCで「いく」を打つと「往く」と出てきますが,旺文社の小学漢字新辞典には,
「往」には,音読みの「オウ」しかありません。訓読みはありません。意味は「歩いて行く」です。
「復」も音読みだけで「フク」です。意味は「行った道を重ねて帰ってくる」です。
だから,往復で,歩いて行って,その道を帰ってくる,という意味になります。
「往」と「復」は反対の意味を表す字が重なって出来た熟語ということです。それが分かるには,漢字の意味が分からなければならない,ということは理解してもらえたと思います。
だから,ぼくは漢字の練習には,その後の基本語義を学ぶことをどうしても入れなければいけないと思います。
ついでに,いま塾では
清風堂書店 岸本裕史監修/桝谷雄三編集の「漢字習熟プリント」{小学1~6年生(全6巻)、手書き、B4判、税込価格/各1,365円(本体価格1,300円+税)}
を使っています。とてもいいプリントです。熟語,短文をそれで利用しています。ただ,熟語の意味がないのです。熟語は漢字検定にある熟語の構成に従っています。それが分かるようなちょっとした意味を付け加えてくれればと思います。
例えば
「往復」:「行って,その道を帰ってくる」 のように。
国語
「セルフ塾のブログ」の記事をまとめて、キンドルで出版しました。
小学生ぐらいですと,算数に比べて,国語の能力にはたいへん大きな個人差があります。低学年でも大人の文章を平気で読める子もいれば,高学年になっても低学年の子どもが読むような易しい本すら読めない子もいます。国語力の高い子であれば小学生であっても大学入試の国語の問題で合格点をとれるというのは,けっして珍しいことではありません。
小学生で大学入試の国語が解けるかどうかは分からないのですが,国語の力にとても大きな差があるのは実感しています。
だから,国語を教えるのはとても難しいです。僕自身が国語を苦手にしていたせいもあります。
有坂誠人の現代文速解 例の方法 というのもありましたね。正攻法で教えることが難しいので,あのような方法が出てくるのだと思います。
アマゾンの「出版社からの内容紹介」
問題文を読まずに設問のポイントと出題者の心理をつかみ、正解を見抜く驚異のテクニック。
例の方法の前に,清水 義範 (著) 「国語入試問題必勝法 」(講談社文庫)というのがありました。
アマゾンの「出版社/著者からの内容紹介」
ピントが外れている文章こそ正解!問題を読まないでも答はわかる!?国語が苦手な受験生に家庭教師が伝授する解答術は意表を突く秘技。国語教育と受験技術に対する鋭い諷刺を優しい心で包み、知的な爆笑を引き起こすアイデアにあふれたとてつもない小説集。吉川英治文学新人賞受賞作。
「有坂誠人の現代文速解 例の方法」を読んだときは、「なんだ国語入試問題必勝法ではないか」と思いました。
国語の問題をすらすらと解く子がいます。一方,かみ砕いてかみ砕いて説明し,解答直前のヒントを与えても理解できない子がいます。国語力の差はとても大きいです。
日常の会話の中,そして読書などで鍛えられたのが国語力としてあるのでしょう。
だから,結局は読書が大切ということになります。
また、ぼくはもっと国語の学習法を考えるべきだと思います。数学は遠山啓氏が「水道方式」というすばらしい教授法を作り出しました。
国語もそれに似たような教授法が必要です。
国語もある程度のパターンがあります。それをきちんとパターンに分けて、そして学びやすいように順序だって教えるという方法が必要です。
その点、「やさしい国語読解力」
はよくまとめられていると思いました。
石原千秋氏の方法も悪くないと思います。
そういう方法をひとつにして、学習書にしてもらえないか。解説書はもういいから。
そこに次のようなかしょがありました。
言葉の問題は、本質的な事柄から、使い方の難しさや、いわゆる言葉の「乱れ」まで、中学入試によく出題される。
言葉の「乱れ」なんてつまらない問題はここでは扱わない。たいていの場合、よくモノを知らない人が自分の好みを押しつけているのが「言葉の乱れ論」の実体だからだ。最近話題の「ら抜き言葉」にしても、明治、大正の文献を読んでいるとよく見かけるものだし、僕が息子に読んで聞かせた井上靖の「しろばんば」にもちやんと出てきた。多くの場合「言葉の乱れ論者」は、よく知りもしないで「昔は良かった」と叫んでいるだけなのだ。僕はこういうのを「オヤジの文化論」と呼んでいる。(僕自身は「ら抜き言葉」にいまだに慣れないのだけれど。)
ぼくも「オヤジの文化論」をやってしまうことがあるなあ、と反省しています。
自分が使っていた言葉とは違うのに拒絶反応を示してしまうのですね。
上の主張はなにも目新しいものではありません。ぼくもそう思っています。しかし、ついやってします。
つい最近ブログに書いたことです。
沖縄方言では、兄も姉も「シージャ」と言います。ネット上の辞典に、「兄」を「ニーニー」、「姉」を「ネーネー」とありました。それはないだろう、と感じて、「そういうのは認めたくない」とブログに書きました。
しかし、あとで、方言って何だろうと考えました。地方で使われている言葉ということなら、沖縄では兄を多くの人がニーニーと言っていたら、それが方言として認めなければいけなくなります。
人間って、あくまで自分を中心に考えてしまうのですね。ぼくは、「シージャ」という言葉を知っているから、「ニーニー」「ネーネー」ではおかしいと思う。しかし、「シージャ」を知らない人にすれば「ニーニー」「ネーネー」で十分だと思うのでしょう。
「ら抜き言葉」が、明治、大正の人も使っていた、「しろばんば」にもある、というのは初めて知りました。