学習時間中のおしゃべり,無意味な席立ちなど,やって欲しくない行動がありますね。
それをなくすにはどうすればいいか。
たいていはそういう問題行動をしたときに,注意するということが考えられます。
それで,なくなることもあります。
ただ,問題行動というのはけっこう屈折したものがあります。
つまり,叱られたいために問題行動を起こすことが少なくないのです。
というよりも,叱られてもいいから注目されたい,関係を持ちたいというのが人間の中にはあるのです。
それで,わざと問題行動を起こす。注意される,叱られる。その子にとっては効果はあったわけですから,また問題行動を起こす。そういう悪循環におちいるのですね。
それではどうするか。
問題行動を起こしていないときを多くするように指導するのです。
具体的にいえば,静かにしているときに,肩に手をかけながら,声をかけます。
「おっ,○○くん,やっているな」
これだけでもいいのです。
先生はぼくに注目してくれた,それがその子にとってはとてもいい気持ちにさせるのですね。
たいていは,静かにしているときは,ほっとしていてその子に声をかけることはありません。だから,かなりこちらが気をつけなければいけないのですね。
以下,正直なところを書きます。
この方法は有効です。私はできるだけそのようなことをするように努めています。それができているときは効果があると思っています。
しかし,現実は,学習時間中は生徒の質問に追われていて,ゆっくり問題行動を起こす子に注意がいかないのですね。だから,静かなときには無視しているという状態が多いです。
ただ,あまり知られていないこのような方法をみなさんにも知ってもらいたくて書いてみました。
(mixiに書き込んだものの転載です)
{: 2007年12月17日(月) から引っ越し}
親は最悪の教師である
と言っています。なぜか。
まず,親と子どもは感情的に密着しすぎるのです。
たとえば教師としては学校で子どもにとてもやさしいのに,家に帰って子どもの勉強を指導すると,鬼のようになる人もいます。自分の子どものことになると,感情を殺すことができない。
次に,子どもは子どもで甘えるのです。他人に対しては遠慮というものもありますが,親に対してはそれがない。だから,わがままが出るのです。いうことをきかない,だから親は叱る,しかると,ふくれる,それの悪循環。
最後に,時間的に親はなかなか子どもの勉強のために時間をとってあげることができない。家庭教師や塾だとお金での契約であり,その時間は仕事でもあるので,きちんきちんと時間を守って勉強を見てあげる。
しかし,親だと,家事をみながら,ということになる。また,来客があったり,いろいろな用事があったり。お金がからんでいないので,子どもの勉強は「きょうはやめようね」ということになる。
ただ,それを乗り越えると,親は「最良の教師」になれます。なぜなら,子どものことを思っている,愛しているのは親だからです。一所懸命にできるのですね。他人より。
ただただやると「最悪の教師」になってしまう,ということをきちんと自覚しなければ,親にとっても子どもにとっても地獄ですよ。 !」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
研修をしていただいた先生から「君達は遅刻して来た生徒にどんな言葉をかけているか。なぜ、遅刻してきたんだ!と怒ってばかりではないか。時には『遅れてでも良く来たな。今日も頑張って勉強しような。』と声をかけてやりなさい。そうすれば、遅れてきた生徒もテキストを開く。」といわれたことがあり、目からうろこが落ちまくりました。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
こういう指導が続けばどうなるでしょうか。
ぼくは,生徒が「あっ,遅刻してもいいんだ。遅刻しても塾に行けばいいんだな」と思うようになるのではないか,と懸念します。
遅刻したときに,ほめられたのですから,行動が強化されるからです。
では,どうするか。
「両立しない行動を強化する」のです。それについては以下のページへ
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-74.html
遅刻に対してはどうするか。
遅刻しないで来た日に,声をかけるのです。
「おっ,きょうは時間通りに来たな。感心。感心」などと言って。
では,毎日遅刻ならどうするか。
いつもより少しでも早く来た日に声をかけるのです。
「きょうはいつもより早いじゃないか」
そして,次はその日より早く来たときに
「前より早くなったね」と言って。
それで「フェイドアウト(フェイディング)」という方法を用いました。
「フェイドアウト」
音楽で,あるフレーズを繰り返しながら徐々に音が小さくなり消えていくというものがありますね。あれがフェイドアウトです。
行動分析においては,手を貸していたのを徐々に引いていって自分でできるようにすることです。
93÷3 では,まず例を示して解き方を一応教えてあと,
次のようにヒントの多い計算をさせます。商,積については,直前に復習します。

次は,「たてる→かける→ひく→おろす」のヒント

それを数問やって後で,
次は下の左のように言葉によるヒントはなくし,順番を表す番号と□だけ,次は□だけ,そして□もない計算にします。

このようにこちらのヒント,ヘルプを少しずつ減らしていって,自分でできるようにするのです。
この4月にKくんが入塾しました。中学1年生,男の子です。まだ小学生らしさがたっぷりたっぷり残ったとても小柄な子です。目が大きくくりくりしています。
オリエンテーションのときにお母さんから「うちの子はだいぶ後れているのですが・・・」と相談がありました。「どのくらい後れているのですか?」の質問にお母さんなりに答えはするのですが,はっきりしません。最近は通知表では成績がよく分からないのでしかたありません。
とにかくスタートさせました。案の定,みんなと同じようには進みません。漢字も十分に読みとれないので,セルフラーニングはまったくできません。
それで,まずは学力を測りました。漢検の過去問題をさせました。小学1年レベルの10級は合格点でしたが,小学2年レベルの9級は合格点にほど遠い点数でした。200点満点中,合格点は120点ですが,Kくんは1回目79点,2回目61点でした。それで,小学2年の漢字の練習をさせていかなければいけません。
算数の計算をさせると,2けた×1けた,3けた÷1けたのわり算はできました。ただ,1000-7 のようなくり下がりのひき算が最初はできませんでした。これくらいできれば何とか中学の数学の学習ができるので,簡単な中学数学の学習をさせていくことにしました。
さて,特別席でぼくの目の前に座らせます。そしてひとつ一つ指示しながら学習を進めていきます。
最初は,素直にこちらの指示もきいて学習に取り組んでいました。学習量も少な目にして終わったら帰します。
3日前のことです。ここは若い指導者のみなさん,気をつけてくださいね。子どもたちは力関係を見るためにテストをするのです。ぼくら大人を試すのです。これまでやさしくしてきたものですから,どこまでわがままが許されるかどうか,だんだん助長していくのです。
学習中に口笛を吹いたのです。ぼくはやさしく注意しました。「口笛はやめなさい」と。
「はい!」と答えましたが,1分とたたないうちに,先よりも小さいのですが,また口笛です。これはぼくを試しているのです。これを許したら,その後の指導ができなくなります。
「K!! 立て!!」大きな声で怒鳴りつけました。ぼくの声にまわりの方がびびったそうです。そして「いま,口笛を吹くな,と注意しただろう。・・・・」短めではありますが,きつくしかりつけました。
さて,口笛は吹かなくなりましたが,次は学習が進まなくなったのです。ぼけっとして,進みません。軽く注意をしたり,それでも聞かないのできつめに注意したり。
こういう子は,何もしないことに慣れているのです。何もしなくても何時間でもぼけっとしていられる。そのときは9時すぎ。塾の最終時間が10時30分ですから,それまで何もしないでいるつもりでしょう。
それでぼくは言いました。「K,これだけのことをやらなければ,きょうは12時までは帰さないよ。」
Kくんは泣き出しました。「これだけ」というのは,前にやった漢検9級の間違い直しです。その気になれば30分もあれば終わることができます。
そのうちに,漢検の用紙の余白に発作的という感じで何か書いています。細かく細かく。後で見ると「うざい」という言葉がいっぱい。
10時前になり,お母さんが迎えに出ると困るので,家に電話をしました。
「お母さんですか。きょうKくんは学習態度が悪いので,12時まででも残すことにしました」
もちろん,Kくんも聞こえたはずです。目の前ですから。
しばらくして,課題に取り組み始めました。ぼくに教わりながらやっていきます。もちろんぼくはやさしく教えます。そして10時30分には課題を終えることができました。
さて,おととい,きのう。彼の態度はとても良好です。漢字の練習,数学の問題をやってさっさと帰っていきます。
ひとつの山は越えました。これでスムーズに行くかどうか。また,ぼくを試すことがあるかもしれませんが
塾の生徒に読書をさせているのですが,その中に星新一の「服を着たゾウ」というのがあります。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ある催眠術師が動物園にやってきて,いたずらでゾウに催眠術をかけた。「おまえはゾウではない,人間なのだ」と。
催眠術師はそのまま帰る。催眠術がかかったことも知らずに。
ゾウは催眠術にかかって自分を人間だと思いこむ。そして,人間として行動する。そして,いろいろ事業を起こし大成功するのです。「あなたは成功した秘訣は?」というインタビューにゾウは答えます。
「わたしの心の奥に,おまえは人間だ,という声がひそんでいるのです。しかし,人間とはなにか,わたしにはよくわからなかった。そこで,本を読んで勉強をしたのです。人間とはどういうものか。人間ならなにをすべきか,などについてです。つねに学び,考え,その通りにやってきただけです。わたしが世の役に立っているとすれば,このためかもしれません。あなたがた,自分が人間であると考えたことがおありですか。」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
数年前に,NHK大河ドラマで「新撰組」をしていましたね。あのドラマを観ながら,この話とそっくりだなあ,と思いました。
新撰組の近藤,土方らはもともと百姓です。それが武士になった。そして武士とは何かを考え,それを理想としてそれに近づくように努めた。それでもともとの武士以上に武士らしくなった,ということでしょうね。
人間であっても人間とは何か,よく知らない。しかし,人間なのだから知っているつもりになっている。そうではないでしょうか。
だから,改めて人間とは何か,なぜ,そのような行動をとるのか学ぶということが大切なのではないか,と思うのです。
その知識はぼくの仕事にとても役だっていると思っています。生徒の指導においても。
人間の行動は,心理学の分野と生物学の範囲に分かれると言っていいでしょう。
生物学の範囲は,ある意味では,心理学の何倍も何倍も広い。まず「人間の行動」という前に人間でなければいけません。それは生物学の範囲です。人間という高度に学習をする生物はどのようになっているのかを研究するのは生物学です。(ぼくはいま生物学というのをかなり広い意味に使っています。)
いま人間行動に関して,生物学の範囲で大切なものは,脳科学,遺伝子科学,そして栄養学です。
脳はどのようなもので,どのように働くのか。人間の行動は脳がつかさどっていると言われますが,それを知る必要があります。
そして,その脳もですが,人間は遺伝子の情報によって子どもに伝えられます。例えば「頭のよさ」は遺伝子かどうか,といったことも知りたいところです。
最近,脳と遺伝子の研究は飛躍的に進んでいて,その分野で人間の行動について学ぶことはとても大きいです。
そして栄養学も大事です。脳が学習の中心ですが,脳はタンパク質でできています。そして糖をエネルギーとして働いています(この辺り専門ではないのでかなりおおざっぱです)。だから成績を伸ばすためには,栄養面での気配りも大切です。朝食をとるかどうかということが話題になりますが,そういう意味で大切。
さて,なぜこのような面倒なことを書くのか。
かなり前のことです。心理学者(行動主義者)のワトソンはこう書いています。(本は持っているのですが,記憶で書きます)
「私に3人の赤ちゃんを与えてください。1人は医者に,1人は弁護士に,そして1人は泥棒に育ててみせましょう」
つまり,彼は学習だけによって何でもできると思ったのです。
昔,経験主義の哲学者ジョン・ロックは,「人間は白紙の状態で生まれる」と説きました。生まれたときは白紙で,その後の学習によっていろいろ書き込まれて,いろいろな人間になると考えたのです。
しかし,ぼくはロックもワトソンも間違えていると考えています。
人間は学習だけはない,生物学的なことがかなり大きく作用しているのです。白紙ではなく,かなり書き込みがされた状態で生まれてくるのです。もちろん余白はたくさんありますが。
そのことを認識していなければ,自分と全能の神のように思ってしまいます。
セルフラーニングができないのは,自分の意志が弱いからだ,この子が伸びないのは,私の指導のせいだ,子どもには無限の可能性がある,だから育て方によってこの子は医者にもなれるはずだ,などなど。
確かに,学習の力もかなりのものです。しかし,それは生物学の範囲にかなり制限を受けているのです。自分にはできないことが山ほどあるんだ,しかたのないことだと悟らないといけないのです。
要するに,肩の力を抜いてリラックスしてセルフラーニングを行うということが必要だということを書きたかったのです。
そして,できるだけ引用をしないようにします。引用すると難しくなりそうだからです。まあ,不精者だからということでもあります。
できるだけやさしく書きますが,必要な専門用語は理解してもらわないと書きにくいので,説明します。
まずは「強化」からいきましょう。
日常使われているのとは少々ちがいますが,まあ基本的には同じかな。
「手を挙げる行動が『強化』された」などとつかいます。
今まで授業中に手を挙げることがなかった生徒が,手をよく挙げるようになった,というようなことです。
ぼくらは,子どもに,生徒に,そして自分自身にやって欲しいことがありますね。
毎日早く起きる,自発的に学習に取り組む,読書をする,ていねいに字を書く,大きな声であいさつをする,言われなくても毎日のゴミを出しにいく,などなど
あげればきりがありません。
そういう行動を自分で考えてやるようになる。そうなったらその行動は「強化された」と言います。
いままでほとんどやらなかったことをやるようになった。
いままで週に1度くらいしかやらなかったのに,毎日のようにするようになった。
そういうときに「強化」とい用語が使われるのです。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=30697035&comment_count=17&comm_id=380962
先天的に個人差はあります。努力をする子と努力をしない子はいます。
それを生後の教育によって育てることはある程度できます。
知的好奇心や愛情など,外からの賞(ほうび)をあてにしないで,内側から出てくる動機付けを心理学では「内発的動機付け」といいます。それに対して,お金がもらえるから勉強をする,あの男の人と結婚したらその後,お金には不自由しない,点数目当ての勉強などは,外はつて軌道気付といいます。
内発的動機については,セルフラーニングのコミュで何度か意見交換を行いました。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=8205192&comm_id=1037793
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=8242666&comm_id=1037793
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=8340065&comm_id=1037793
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=22054313&comm_id=1037793
さて,やる気,努力,向上心について,教育によって育むことはできると思っています。
それは子どもにあった課題を与えることです。
英語はやる気がないが,数学ならがんばって解こうとする子
勉強はきらいだが,野球となると朝早くから起きて練習をする子
ゲームの攻略法については寝ないでもいい子
ある一面をみればやる気のない子でも,他の面ではやる気満々の子がいます。
それは,その方面に関して,自分の力などについてその子に適した課題だからです。
さて,ぼくらにとって関心のあるのは,生徒の学習についてのやる気です。学習を努力してやるような子に育てたいということです。
学習を行う能力には大きな個人差があります。
それを一律に同じ課題を与えても努力しようという気にはなりません。
中学生になっても小学1年の漢字さえ読みない子がいます。そういう子にみんなと同じ課題をさせても努力しません。その子に小学1年の漢字の練習をさせれば,努力して身につけようとします。
だから,それぞれの子どもにあった課題を与えることにより努力をすること,向上心は育てることができます。
そのためにも,セルフラーニングということが大切だと思うのです。
強化するには,「プラスの強化子」がその行動のあとにつづくことが必要です。
授業中に手を挙げたら,先生があてて答えたら賞賛された。「手を挙げる」という行動の後で「あてる,そして賞賛」ということが起こると,手を挙げる頻度が高くなりますね。その「あてる,賞賛する」というのが「プラスの強化子」です。
問題を解いたら,解けた。この「解けた」というのが強化子です。
親切にしたら,相手が「ありがとう」と言った。「ありがとう」の言葉が強化子。
働いたら,給料がもらえる。給料が強化子。
勉強をしたら成績が伸びた。成績が伸びることが強化子。
心理学では,この強化の実験は,ねずみや鳩を使って行われました。だから,えさが強化子でした。バー押したら,またはパネルをつつくと餌が出てくる。バー押し行動,パネルつつきが多くなる。
だから,餌など物でつるのが強化子だと思って批判する人もいますが,それだけではありません。
お金などいらない。私は病気で苦しんでいる人を救ってやりたいんだ。という場合も,病気の人が治って喜ぶ,というのが強化子です。
宗教の布教のために,ジャングルの奥まで入って苦労しながら布教活動をする。神が自分を認めてくれる,あるいは神が喜んでくれる,そういったことも強化子となります。
いや,だれに認められたいからということではない。とにかくこの仕事をやり抜くんだという場合,その仕事の完成に一歩一歩近づいていくというのが強化子になるのでしょう。
これまで何度も書きましたが,「学ぶ喜び」。
その「学ぶ喜び」が強化子となって学習を続ける子,それを育てるためにはどうすればいいのか,それがまた課題ですね。
なお,行動分析学では「欲求」などという言葉は使わなかったと思います。欲求というのは,ある意味あいまいだからです。でも,ここは学問的なことを追究するのではないので,あいまいでも分かりやすいのでいきます。
いま思いつく中で一番強い欲求は呼吸です。息ができないときにはとにかく必死で空気を吸うために動きます。また,傷つくことを避けるのもそれと並ぶ欲求です。つまり,生きていくたまにいますぐやらなければならないことです。
そして,飲むこと,食べること。個体保存のためには飲まない,食べないでは生きていけない。
また性の欲求です。私たちは,遺伝子の乗り物だそうです。遺伝子は利己的で,自分が生きながらえることができるように私たちを利用している。種族保存,というより遺伝子の保存は,個体保存を上回るものだとのこと。
上のような欲求は確かに大切です。しかし,それがあれば人間幸せかと言えばけっしてそうではない。
みんなとなかよくする,というのも大切な欲求です。他人を愛して,愛されるというのも。知的好奇心というのもあります。また自己実現をするのも欲求のひとつです。美しいものを求めて芸術的行動をするのも。人に認めてもらいたいというのも。子どもの笑顔をみるのも。ペットとふれあうのも。政治権力を握るために行動する人もいますね。
整理しないまま,思いつきで書いています。できるだけ自分の言葉で書こうと思っているものですから,ネットで調べたり,本棚に行って調べる欲求をおさえています。調べて書くと正確な情報は得られるかもしれませんが,分かりにくいものになりそうで。
きちんと調べたい人は,マズロー,欲求,をキーワードにネット検索してみてください。マズローという心理学者が欲求をきれいに整理しています。いま検索したら多くのサイトが出てきました。
いろんな欲求があります。これらは強化子として働きます。ただ,人によってかなり違うこころがあります。飲む,食べるという生理的な欲求はだれにでもありますが,その強弱は人によってことなります。また,政治権力がとても欲しい人がいるかと思えば,まったくいらないひともいます。
ここではそのことに焦点をしぼって書いてみます。なお,これはぼくの解釈したスキナーです。
「特に,人間の行動には心的な原因が存在しないことを前提とした。スキナーは,言語も行動主義のモデルを拡張することで説明できると考えて,『言語行動』と呼んだのである。これは,心を非物質的であるときめつけ,その存在を否定することで心理学を『科学的』にしようというこころみではあったが,内部のメカニズムを極力排除することで非科学的になってしまったのは皮肉な結果である(p42)」
スキナーについてまったく理解していないと思います。心の存在は,否定できません。ただ,心は見えない。それに関して,ああだ,こうだと類推しては科学にならないのです。 被験者が心について語ることは実験対象になります。
例えば,「あなたはそのときどう感じましたか。」に対して「うれしかった」と答えたとします。「『うれしかった』と言った」ことは,客観的な事実です。それは,実験対象になります。しかし,そこで「彼はうれしいと思った」としてはいけないのです。心の中を解釈してはいけない。本当にそうなのかは分からないのです。精神分析家はそれをとことんしますね。無意識まで推し量ろうとする。そうなると科学ではない,ということです。
厳密な実験では,だれでもが観察できることに限ろう,ということであって,「存在しない」とは言っていないのです。
行動分析学は,疑い深いともいえます。
ただ,ぼくは日常的にはいろいろな条件から類推しています。これは学問ではなく,実践です。
これもまったくの無理解ですね。特に応用として行動分析学は対象を人間にまで広げています。障害児教育においては行動分析学に基づくものは多い。研究も多い。また,ぼくは実際教育において行動分析学を用いています。「行動主義の研究の特徴は,ハトやネズミのように,内的プロセスを仮定せずにとらえる動物に実験対象を限っていることだ。チンパンジーや人間を対象にすると,意識や記憶の問題を避けて通れないので,あえて対象を限定して,批判を受けないようにガードを固めている」
さて,ぼくは塾をやっている関係もあって,チョムスキーの生成文法に関心があります。
チョムスキーとスキナーは,言語に関してかなりの論争を行ったそうです。実はぼくは詳しいことはよく分かりません。スキナーの著書「言語行動」は翻訳されていないと思います。英語を読むのには一大決心がいるのでまだ読んでません。
さて,そのような段階のぼくですが,チョムスキーとスキナーはまったく相容れないものではないのではないか,と思います。
確かに,スキナーは学習重視です。しかし,脳や遺伝の影響をまったく排除したわけではありません。
そうです。「チョムスキーは,自然言語には文を作るための必然的な文法規則があり,これが普遍的かつ生得的な原理であることを提唱した」
つまり,脳の中に自然言語の文法があるのだそうです。
ぼくは,それを認めてもいいと思います。そうした上で,言語行動の学習がどう行われるかを行動分析学の立場からアプローチすればいいのではないでしょうか。なお,チョムスキーらは,「獲得」と「学習」を区別しているようですが,そうする必要はないように感じています。
前に読んだ本(ピンカー著「言語を生み出す本能」)でも,この「言語の脳科学」でも,スキナーは完全に負けた,決着はついたというようなことが書かれていました。
しかし,杉山 尚子 (著)「 行動分析学入門」では,スキナーによる言語行動のことにけっこうなページがさかれていて,負けたとは書いていない。
どうなっているのかな,と思って,
次の島宗 理さんのサイト(自然と人間を行動分析学で科学する)を開いてみました。
そこでチョムスキーを検索すると,
2006/09/23
『チョムスキー入門』
なんとなくだけど、彼のいう「普遍文法」を、あらゆる言語に共通ないくつかの機能としておきかえれば、スキナーとチョムスキーで実はおんなじようなことを言っている可能性もあるんじゃないかとは感じた。
チョムスキーはそれが生得的で遺伝的に組み込まれたメカニズムととらえたのに対し、スキナーは環境と行動の相互作用にある共通性ととらえられないかと論じただけじゃないかと。
という記述があり,ぼくが考えていることもまんざら的を射てないこともないな,と思いました。
子どものかんしゃく行動です。
子どもが,何か欲しいときに泣き叫び,床に寝ころび手足をばたばたさせる,あの行動です。
それをスーパーなどでやられるとたまりませんね。子どもは人がいようが,ところかまわずはじめます。
「あのお菓子買って」
「だめよ。」
「買って」
「だ~め」
「買って」
「だめ」
そのうち泣き出します。
「泣いてもだめよ」
「わ~ん!わ~ん!」
「だめ。お母さん怒るからね」
「わ~ん!わ~ん!」「わ~ん!わ~ん!」だんだん大きくなる。
「泣くのをやめなさい。」
「わ~ん!わ~ん!」「わ~ん!わ~ん!」床に寝ころんで,手足をばたばたさせます。
「分かった。買ってあげるから,立ちなさい。恥ずかしいじゃないの。きょうは買ってあげるけど,次はこんなことしたらだめだよ。約束できたら買ってあげる」
「うん,次からしないよ」
子どもの勝利です。
どうですか。「強化」ということが分かったら,この「かんしゃく行動」が強化されたことが分かりますね。
約束なんか,へのかっぱ。絶対に守りません。
さて,ここで注意。お母さんも強化されたのが分かりますか。
子どものかんしゃく行動 → 買ってあげる → かんしゃくがおさまる
お母さんの買ってあげる,という行動が,こどものかんしゃくがおさまるということで強化されたのです。
だから,お母さんも買ってあげるという行動がその後も続くことになります。
では,このようなかんしゃく行動への対処方法も書いておきます。
無視するのです。交渉はしない。
スーパーだったら,さっさと自分の買い物を切り上げ,レジに行き,スーパーから出ていきます。そこまでできなくても,少なくとも子どもに見えないところまで子どもからはなれます。子どもはお母さんがいるからかんしゃくを起こすのです。お母さんへの訴えですから。
家でかんしゃく行動が起こったら,お母さんは子どもを家に残して家から出ていきましょう。少なくともその部屋から出ていきます。
いたずらをしたら,叱る。するといたずらをしなくなる。この「叱る」がマイナス強化子です。
さてと,このマイナス強化子は使うのが難しいです。マイナス強化子を与えているつもりが,プラス強化子を与えている場合が少なくないのです。
問題行動の多い子をみてみましょう。教室でおしゃべりをする。先生の授業をじゃまする。先生をからかう。
すると,たいてい先生は注意しますね。「そういうことをしてはいけません」と。マイナス強化子のつもりでつかっています。
しかし,たいていの場合は,その場は「はい」と従うようなふりをしますが,しばらくするとまた同じことをします。
マイナス強化子のつもりがプラス強化子をつかっているのです。
問題行動を起こす子はたいていほめられることがほとんどない生徒です。だから静かにしているときには,先生は自分を向いてくれません。しかし,問題行動をやると先生は然りながらも自分を向いてくれるのです。
子どもたちにとって(いや大人もですね)自分の存在を無視されるというのは,耐え難いことなのです。
叱られてもいい,罰を受けてもいい。そうであっても自分に関心を示して欲しい。関心を示すというのは,とても強いプラス強化子なのです。
いたずらをしたら,叱る。するといたずらをしなくなる。この「叱る」がマイナス強化子です。
さてと,このマイナス強化子は使うのが難しいです。マイナス強化子を与えているつもりが,プラス強化子を与えている場合が少なくないのです。
問題行動の多い子をみてみましょう。教室でおしゃべりをする。先生の授業をじゃまする。先生をからかう。
すると,たいてい先生は注意しますね。「そういうことをしてはいけません」と。マイナス強化子のつもりでつかっています。
しかし,たいていの場合は,その場は「はい」と従うようなふりをしますが,しばらくするとまた同じことをします。
マイナス強化子のつもりがプラス強化子をつかっているのです。
問題行動を起こす子はたいていほめられることがほとんどない生徒です。だから静かにしているときには,先生は自分を向いてくれません。しかし,問題行動をやると先生は叱りながらも自分を向いてくれるのです。
子どもたちにとって(いや大人もですね)自分の存在を無視されるというのは,耐え難いことなのです。
叱られてもいい,罰を受けてもいい。そうであっても自分に関心を示して欲しい。関心を示すというのは,とても強いプラス強化子なのです。
なお,最近プラス強化子を好子,マイナス強化子を嫌子とする本があります。ぼくはいいとは思いませんね。そうする必要はないし,感情が入ってくるようでかえって悪くなっていると思います。
では,なぜある子には「こんなことをしたらダメ」というのがマイナス強化子として働くのに,別の子にはプラス強化子として働くのでしょうか。
プラス強化子として,親や教師の関心を勝ち得ている子は,軽い注意でもマイナス強化子として働きます。
別のトピで次のようなことを書きました。
カウンセリング用語に「ラポート」というのがあります。カウンセラーとクライエントとの心と心が通じ合った状態、信頼関係が成立することを言います。
お互いを信頼し,心が通じ合うようなラポートができることは,教える,教えられる関係においてももっとも大切なことで,初めのころはそれを心がけるように,ぼくもしています。ラポートがとれていないときに,叱ってもなかなか相手の心には通じないですね。
行動分析では「ラポート」などという用語は使いません。でも,それは十分にプラス強化子を与えた状態だと思えばいいです。
「九つほめて一叱る」だったかな,まあそのような言葉がありますね。基本はプラス強化子におかなければいけないのです。そうしなければマイナス強化子は十分に働かない。
「でも,この子は悪いことばかりするので,ほめるところはないのです」という言葉も聞こえてきそうです。
要求水準を極端にさげればいいのです。先日読んだばかりの本「詭弁論理学」に次のような話が載っていました。
政策攻撃から首相の個人攻撃に移った野党の追及の仮借なさに,母性本能を刺激された(?)某女流作家が,次のような趣旨の発言をしたことがある。
「あの人を極悪人のようにいうのはどうかと思います。何かよいところもあるはずで,たとえば,毎朝歯をみがくかもしれない」
まあ,首相が毎朝歯をみがくというところまで要求水準を下げて,いいところもあるじゃない,などとするのはどうかと思いますが,子どもの教育においては要求水準を下げて下げて,プラス強化子を使えるようにするというのも大切なことです。
反対のこともありますね。プラス強化子だと思っていたらマイナス強化子だったということ。
嫌われている場合は,やさしく声をかけたつもりでも,相手は「うざい!!(いやな言葉ですね)」と思うことがあります。
プラスにもマイナスにも働かないこともあります。馬耳東風といった状態。よくありますね。
だから,プラス強化子なのか,マイナス強化子なのかは,相手(または自分)の行動がどのように変わったかという結果によるのです。
ほめることによって発言の回数が増えたとしたらプラス強化子として働いたのですが,変わらなかったら強化子として働かなかったとみなします。
自分の「つもり」で評価してはいけません。
この子のために一所懸命にやった「つもり」なのに,ということと,その子のためになったかどうかは,まったく異なるのです。
だから,自分は子どものころにこのように励まされたからやる気になったからといって,同じようなことを子どもにやっても励ましにならずにかえって負担になるということもありますね。
何をしたか,ではなく,その結果その行動がどのように変わったのかに注意することが大切だということです。そしてそのような結果を考えに入れで,次に何をしたらいいのかを考えるようにします。
なお,このようなことをフィードバックといいます。
おしゃべりをする子にヘッドフォンで音楽を聴かせながら課題に取り込ませるのです。
おしゃべりの子は注意が分散する子でもあります。となりの人が何かするとすぐ反応する。
また,相手の話すことが聞こえなければおしゃべりのしようがありません。
ヘッドフォンを聞かせていればまわりの音が聞こえないので集中して勉強できます。
なお,音楽はモーツアルトなどクラシックにしました。先日テレビ「ためしてガッテン」では,せせらぎ音など癒し系のものもいいようですね。
ただ,人間の声の入った音楽は禁止です。カラオケもだめです。そういうのはいっしょに歌を歌っているので,かえって勉強に集中できません。
一斉授業では使えませんね。
ただ,こういうことはできませんか。先生の声だけが聞こえるヘッドホン。
ぼくはよく分からないのですが,いまいろんな機具が発達しているので,そのようなのができそうな気がします。それができれば,絶対におしゃべりはしないで,授業に集中するでしょう。
まわりの勉強に集中したい生徒がうらやましがるかもしれません。
> 新2年生と新1年生は問題ないんですが、新3年生の子は平気で20~30分くらい授業に遅れて来る子がいます。
> 遅れてきた時はその子を抜いて授業を行い、遅れてきた罰としてもう授業で説明したことはその子には説明しないことにしようかと思ってるんですが、どのように思われますか?
> そのようにしようかと思いつつ、ずっとその子が来るまでは自習や前回間違っていた問題の直しなど、各自で他のことをやらせていて、全員がそろったら授業を行うようにしています。
> このままの状態では、遅刻する子は遅刻し続けるだろうと思うんですが何か良い手はないでしょうか・・・
> もしご経験がおありであれば教えて頂きたいのですが
(Yojiの回答)
ぼくの塾は,完全なセルフラーニングです。だから,他の生徒が遅刻しようが,それぞれの生徒にはまったく関係ありません。自分で自分の課題をこなせばいいので,気になりません。
そして遅れた生徒は,来た時間から課題に取り組みます。だから帰りが遅くなる。
ぼくの地域では部活がとても盛んで,そして沖縄なので日が暮れるのが遅い。夏場は8時ごろに来る子もいます。
認めているわけではないのですが,個人の努力ではどうしようもないところがあって,黙認している感じです。ただ,一斉授業ではないので,損をするのはあなただよ,といった程度ですませています。
一斉授業なら,ぼくはどうするか,考えてみました。
大切なところを,遅刻したという理由で教えないと,成績が伸びないので,困ります。
だから,最初の30分は,基本的ではないが,おもしろいことをする。
あなたは歌が得意だから,英語の時間には,英語の歌をぼくのギターにあわせて歌ってみようよ,と言って英語を覚えさせる。いま流行の歌の(英語の部分があるもの)の英語をきちんと意味を教えて,歌う。
社会は,一問一答で,早押しクイズのようにして遊ぶ。あめ玉を商品にしてもいい。
数学は,おもしろいクイズのようなもの(それなりに単元に関係するもの)をみんなで解いてみる。
まあ,ようは,早く来たらおもしろい,ということにすることです。あなたの持ち味を出してみてはどうでしょうか。
今回は,失敗したことを書きます。失敗したといってもまったく効果がなかったわけではありません。
このようにいろいろやってみる,その中から成功する方法が見つかります。失敗はおそれないでいろいろやる方がいいよ,ということで読んでくれたらうれしいです。今になっては笑い話でしょうか。卒業生の中にはこれを読んで懐かしむ人もいるでしょう。
ひとつは,紙をくわえさせる方法です。紙をくわえたら口が動かせないのでおしゃべりができません。
確かにおしゃべりはできませんでした。しかし,ずっとくわえていて,紙が唇にくっついてしまう子がでました。くわえる紙に新聞折り込みチラシを使ったのが悪かったかもしれません。
また,中にはくちゃくちゃと紙を口の中に入れてかんでしまう子もでてきました。それには笑ってしまいましたが,
紙の質を少し工夫すれば,効果のある方法かもしれません。あれ以来やっていないです。
次は割り箸をくわえさせました。割り箸を噛む子はいないでしょうから。はい,噛む子はいません。しかし,割り箸をくわえると少し隙間ができます。そのせいでしょうが,唾液が出てしようがない,という苦情がでました。また,おしゃべりをする子はくわえながらもうまくおしゃべりをしてしまうのです。
それでやめたと思います。
そして,マスクをさせることもしました。格安のマスクを買って,おしゃべりの子専用のものにしました。マスクをすると話しにくいですね。おしゃべりをするのが面倒になるのではないかということをねらってのことです。でも,おしゃべりの子はちょっとマスクをずらしてしゃべります。マスクをするように注意するのに手間がかかりました。
ヘッドホンの前は,耳栓をさせました。しかし,耳栓というのは音を完全にシャットアウトできるものではありませんね。だから,おしゃべりを防止する効果はほとんどありませんでした。
そしてヘッドホンです。あれは効果があります。でも,ヘッドホンをさせるのは重度のおしゃべり魔です。
気軽にやっているのは,席替えです。おしゃべり仲間から席を離して指定席にします。
セルフ塾では,毎月席替えをします。くじ引きでしますが,気分転換にはいいようです。みんな今月はどの席になるか楽しみにしているようです。
でも,おしゃべりなど要注意の子はこちらが指定した席に座らせます。
ぼくの妻Kyokoは,いっしょに塾の援助者をしていますが,かなりきびしいです。彼女ににらまれたら大変。渇が飛びます。だから,みんなKyokoの前を避けたがります。でも,おしゃべりが多い子などは指定席ですぐ目の前に。そこでおしゃべりはなかなか難しいようで,効果的です。
失敗を多くすることが進歩に通じるんだということです。
生殖には,無性生殖と有性生殖があります。もちろん,有性生殖の方が高度に進化しています。なぜか?
無性生殖は,遺伝子がそのまま子に継がれます。ようするに親子の遺伝子はまったく同じです。
有性生殖のばあい,雄と雌からそれぞれ半分ずつ遺伝子をもらいます。親子で共通なのは50%です。親と子は半分はちがう遺伝子をもっています。そしてまた有性生殖によって別の子ができます。それぞれ違う個体です。有性生殖だとどんどんちがうものがでてくる。
近親相姦は禁止されています。近親相姦は遺伝子の上では無性生殖に近いのです。親と子は半分の遺伝子が共通です。
親子で近親相姦を行うと,75%は同じ遺伝子になります。(これはぼくの計算です。少し自信がないです。ただ,ほとんど同じなのが分かりますね。
違うのが出来る中で突然変異も起こりやすく,その中から優秀なものが出てくる。あるものは淘汰されるが,またあるものは進化の道を進む。
話は変わります。アフリカなどで飢餓が多いですね。なぜか。ただ遅れているからではありません。欧米の植民地になって,お金になる作物を作るようになったからです。それもただ1種類だけ。例えば,コーヒーだけを作るというように。
うまくいけばいいです。大量生産でもうける。
しかし,天候不良でコーヒーに適しない気候になったらコーヒーは全滅です。ほかには何も作っていないので,収入はなくなる。だから飢餓になるのです。
昔はどうだったか。細々とではあるが,いろいろな作物を作っていた。だから気候不順でもそのうちのいくつかはその気候に強いのがあって,全滅にはならない。だから貧しくはあっても飢えることはありません。
だから一種類だけというのはだめなのです。いろいろな種類があった方がいい。
もとに戻します。
無性生殖の場合は,まわりのみんながまったく同じ遺伝子をもっています。だから,ある条件になると,全滅してしまいます。
しかし,有性生殖の場合には,いろいろな型の遺伝子を持った個体がいます。それである病気がはやり,多くの個体が死んだとして,ちがった型の遺伝子を持った個体は生き残る可能性があります。
近親相姦の場合も似たようなものです。遺伝子的には似ています。だから,ある病気で全滅してしまう可能性が高いのです。
さて,いろいろと書いてみましたが,要するに,いろいろ失敗してでもいろんなことを試みた方がいいのではないか,ということを言いたかったのです。
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-252.html
「スコアボードを使った正負のたし算」
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-296.html
で紹介したTくんです。
学力がとても劣っています。
きのうのことです。翌日は中間テストで数学があります。「スコアボードを使った」方法はだいぶ身に付きました。有効です。でも,繰り返しやっておかないと当日できるとは限りません。
それで,学校で配布されたプリントをさせました。プリントの問題から分数,小数のあるのはのぞきます。整数の計算にしぼります。
最初はいいのですが,長続きしません。集中力がとぎれるのですね。
それで,課題を細かく切る,という方法をとりました。
問題数は20問。これだけをいっきにはできないようです。
それで,4つに分けました。要するに5問ずつ。
「ここからここまでまずやるんだよ」といって,鉛筆で区切ります。
そして,時間を決めます。
「これだけを5分でやろう」
「10分にして」
「だめ,じゃ7分にしよう」
「分かった」
時間はある程度はいくらでもいいのです。その子ができそうな時間を設定する,それが鍵です。これまではかってきたわけでもないので,ぼくも適当です。
タイマーを7分にセットして,「用意,スタート」
かなりのスピードでやって,「はい,できたよ」
タイマーを一時停止。まだまだ時間は残っています。チェックします。
ただ,スピードだけが速く,間違いが多いです。
「耗,一度」「用意,スタート」
タイマーを再起動。
集中してやっていました。そして,時間内にできました。
「よし,よくできたから休みにしよう」
「いいよ,早く帰りたいからすぐやろう」
それで,次の課題。そして次の課題へ。また別のプリントにうつります。
いい調子で進んでいたのですが,またまた集中が切れました。ぼけっとしています。
「またぼけっとしているな。よし,できなければ罰を与えよう。何にしようかな。・・・・・。よし,時間内に終わらなければ,帰る時間を延長しよう。一回負ければ5分園長。また負ければまた5分。わかった」
「だめ」と言ってもそれは聞き入れません。
「用意。スタート」
また,様子をみているのか,進みません。
ピッピッピッピッピッ
「はい,時間です」ぼくは一回とメモします。
「5分延長ね」
「はい,用意スタート」
今度はいい調子で進みました。
「よし,できたから,前のはクリアーしよう」
と言ってメモを消します。
このような調子で最後までなんとかやりとげました。
今頃はテストも終わっているでしょうが,うまくいったでしょうか。
プラス強化子で強化してある行動がよく起こるようになったとします。ある時を境に強化子を与えないようにすると,行動は少なくなりなくなってしまいます。このようなことを「消去」といいます。
「金の切れ目が縁の切れ目」といいますね。お金を与えている間はいい顔をするけど,お金がなくなったら顔も見せてくれない。お金で強化していたのが,お金がなくなったので強化できなくなり,いい顔をするという行動が消去されたのですね。
問題行動があり,それを強化している強化子が特定できたら,それを取り除くことにより,問題行動を少なくする,消去することができます。
授業中に先生をからかう。先生がはずかしがる。この「はずかしがる」という行動が強化子だとしたら「はずかしがる」ことをやめればいいのです。
ただ,注意しなければならないのは,プラス強化子がでなくなった直後は,その行動が一時的に急激に増えるのです。
自動販売機を考えてみましょう。お金を入れる,ボタンを押すという行動をして後,ジュース(プラス強化子)が出てくる。
しかし,お金を入れボタンを押してもジュースが出てこないときにぼくらはどうするでしょうか。ボタンをカチカチ何度も押す。おつりのレバーを何度も回す。ジュースでもいいし,お金でもいいからなんとか出てこないかいろいろする。自動販売機を蹴飛ばす。これまで得られていたのが得られなくなったので,何とかしようとしますね。
先生をからかっても先生がはずかしがらなければ,その子のからかうという行動は急激に多くなります。これでもか,これでもかと。そこでがまんできるかですね。それができれば消去の道に進みます。
しかし,できなければもっと悪化します。なぜかはまた別のことを学習しなければならないのでそのときに。
さて,行動分析への批判に次のようなのがあります。
サルの実験です。サルにパズル(知恵の輪のようなもの)を与える。するとサルは一所懸命にパズルに挑戦するのです。サルにも知的好奇心(内発的動機付け)があるということです。
さて,サルがパズルを解けたときに,ほうびとして餌を与えるのです。強化ですね。すると,サルのパズル解き行動が急激に多くなる。
しかし,ある日パズルが解けても餌を与えないようにします。すると,パズル解き行動が少なくなります。そして,最初のころ,つまり餌で強化する以前よりもパズルをしなくなり,まったくしなくなるのです。だから,外発的動機付けで勉強をさせようとするのはいけない,というのです。
確かにそうですね。それへの反論もあとでします。
ボランティア活動を内申にのせるようなことを文部科学省が言っていますね。正確にはよく分からないのですが。
要するに,ボランティア活動をすると点数が与えられるのでしょう。これは確かに強化です。ボランティア活動をする人は増えるでしょう。しかし,サルのパズルと同じで,そうすると点数目当ての活動になり,点数がなくなると活動をしなくなることが予想されます。
なにもなければ,内発的に他人にやさしくしていた人が,点数目当てにない,点数がなければやさしくしなくなる。そういうことになりかねないです。
もうすぐ英検が行われます。Yくんは今度3級を受けるとのこと。「4級はもっているの?」とたずねたら「0級だ」との返答。これまで英検は受けたことがない,なぜなら,3級以上でないと高校への内申に記載されないから,とのことなのです。
生徒会活動,部活動も高校入試で有利になるからやっていると公言する生徒をみてきました。
また,ちょっとしたお願いをすると「いくらくれる?」とお金を要求する子どももいます。
お金,点数の威力は強い。しかし,注意深く使わなければ子どもの心をすさんだものにしてしまうなあ,と思いますね。
その関心というプラス強化子によって強化された行動を消去するには,関心を示さなければいいのでう。つまり「無視」するのですね。
授業中に先生をからかうという生徒の行動に対して,怒る。怒ることは関心を示しているので,プラス強化子として働く。だから,怒らないで無視すればいいのです。
さて,無視する,というと,何て冷たいことを言うんだという声が聞こえてきそうです。
そうです。シカトするというのは,いじめの一種です。ぼくが無視しましょうというと,それではいじめではないですか,となりますかね。
だから,注意が必要です。前にラポートの関係が何より大切だと書きました。要するにお互いに信頼関係があり心が通い合う関係です。それを築きながらでないと指導はできません。
無視するのは,問題行動に対してです。無視するという方法を使うことに決めたら,これまで以上にラポートをとることを意識的にする必要があります。
問題行動をしていないときに,これまで以上に声をかけて,本当はあなたのことが好きなんだよということを伝えるようにします。もちろん,そう言う必要はありません。人格そのものは尊重する,しかし,その問題行動は認めないというはっきり区別して対応するのです。
ただし,その問題行動を無視したことにふれることはいけません。「さっきは無視したけど,本当は・・・・」と言う必要はありません。そうすると,その行動に関心を示したことになるからです。
さて,先生をからかうという行動は,残念ながら先生が無視するだけでは直らないことが予想されます。なぜなら,その子のからかうという行動は先生の怒るという行動だけによって強化されているのではないからです。その場に居合わせたその他の生徒の反応,笑う,賞賛する態度,などもプラス強化子として働くからです。そのような生徒たちのプラス強化子まではなかなかコントロールできませんね。では,どうするか。次回に。
「バッテリーⅡ」をもう一カ所,教育書として読んでみたい。
まず,次の場面を読んでください。
主人公の巧は中学1年,天才的なピッチャー。洋三は,巧の祖父。昔は野球の監督として活躍。
洋三が首を振る。
「はったりじゃ。言うた本人は、はったりとは思うてないかもしれんが。けどな、おまえぐらいの年ではな、身体の有り様なんて、川の流れみたいなもんでな。今日と明日では、ちごうてくる。背がのびる、肉がつく、筋力もちごうてくる。一日、一日で、恐ろしいほど変わってくる。そういう時期なんじゃ。中学の子どものことが、そう簡単にわかると思うとるなら、そいつは、まちごうとる。若い男か?」
「よくわかんないけど、三十と四十の間ぐらいかな」
「指導者としては脂ののったときじゃな。うん、わしもそうじゃった。わしの相手は高校生じゃったけどな・・・,子どものことはなんでもわかったような気になるんじゃ。恐れがのうなるんじゃな」
「恐れ?」
野球の指導の話にしては、ずいぶん場ちがいな言葉に思える。洋三は、もうー度、その言葉を繰り返した。
「恐れじゃよ。子どもに対する恐れじゃ。中学、高校・・・・、さあ、それ以上はわしにはわからんけどな、そのころの子どもていうのは、ほんまにわけがわからん。それまで全然めだたなんだやつが、好きな女の子が試合を見にきたいう理由だけで、ホームラン三本かっとばしたことがあった。ひと月に十センチ背がのびて、守備範囲が急にひろうなったショートがおった。練習をさぼってばかりおったのに、じつに均整のとれた身体をして、きれいなバッティングフォームをくずさなんたやつがおった。まったく、あきれる。こいつはこうだなんて決めつけてしもうたら,たいていあとでしっぺ返しがくる。おまえらの年代はな,そういうもんなんじゃ。怖いぞ,ほんまに」
これを読んで思い出したことがあります。
沖縄にある俳優養成学校(?)の校長をしている人が新聞紙上でこういっていました。その方の学校から,みなさんも知っている歌手が輩出しています。その自信からでしょう。
「私は子どもの才能を見る目がある。」と。
その方の主張は,子どもにはそれぞれ才能があるのだからそれを伸ばすために早めに区別して教育すべきだ,というものでした。
つまり,勉強の得意な人は勉強を,スポーツの得意な人はスポーツ,その他,音楽,美術などなど。
要するに,スポーツの得意な人はもう勉強はいいではないか,ということですね。極端にいうと。
それに対して,ぼくは投稿しました。子どもの力なんて分からないものだ。だから,基本的な教育はすべての子どもに必要だと。
この洋三さんの言葉はぼくが言いたかったことです。
それで,強制的に消去する(プラス強化子をのぞく)方法があります。前に「毅然とする」のところでも書いた「タイムアウト」です。あそこで書いたのを少し手直しして書きます。
子どもが,望ましくない行動をしたときには、一定の時間別の場所に隔離するのです。
おしゃべりをする,隣の席の人のじゃまをする,授業のじゃまをする,先生をからかうなどの問題行動をしたときに,一時的にその場から出ていってもらいます。
昔は,廊下に出してバケツを持たせるということが行われました。あれは罰的要素が強いですね。
タイムアウトもまあ一種の罰ではあるでしょうが,それよりも「消去」です。プラス強化子を与えないということです。
先の問題行動をすることによって,まわりの人から注目される,先生が困っている姿を見ることができるなど,プラス強化子が与えられるので,その子にとって「いい気分」になるわけです。その「プラス強化子」を与えないというのがこのタイムアウトの目的です。
教室の一番後ろの隅にタイムアウトの席を作っておきます。後ろ向きに壁に向いて座らせる。時間は5分か10分くらいでかまいません。とにかく一時的にその「いい気分」から隔離するということです。
ぼくはきびしくします。高校受験の前には一斉授業をよくします。一つの教室には黒板があり,そこで授業するのですが,おしゃべりがひどい生徒はその教室から追い出します。ぼくらの場合は,別の学習室には自分の席があるので,そこにもどってセルフラーニングで学習すればいいので,学習を奪ったことにはなりません。
「毅然とする」のトピでは,強化子,消去という用語が使えなかったのですが,ここではこれまで書いてきたので,使えるので便利です。
失敗を多くすることが進歩に通じるんだということです。
生殖には,無性生殖と有性生殖があります。もちろん,有性生殖の方が高度に進化しています。なぜか?
無性生殖は,遺伝子がそのまま子に継がれます。ようするに親子の遺伝子はまったく同じです。
有性生殖のばあい,雄と雌からそれぞれ半分ずつ遺伝子をもらいます。親子で共通なのは50%です。親と子は半分はちがう遺伝子をもっています。そしてまた有性生殖によって別の子ができます。それぞれ違う個体です。有性生殖だとどんどんちがうものがでてくる。
近親相姦は禁止されています。近親相姦は遺伝子の上では無性生殖に近いのです。親と子は半分の遺伝子が共通です。
親子で近親相姦を行うと,75%は同じ遺伝子になります。(これはぼくの計算です。少し自信がないです。ただ,ほとんど同じなのが分かりますね。
違うのが出来る中で突然変異も起こりやすく,その中から優秀なものが出てくる。あるものは淘汰されるが,またあるものは進化の道を進む。
話は変わります。アフリカなどで飢餓が多いですね。なぜか。ただ遅れているからではありません。欧米の植民地になって,お金になる作物を作るようになったからです。それもただ1種類だけ。例えば,コーヒーだけを作るというように。
うまくいけばいいです。大量生産でもうける。
しかし,天候不良でコーヒーに適しない気候になったらコーヒーは全滅です。ほかには何も作っていないので,収入はなくなる。だから飢餓になるのです。
昔はどうだったか。細々とではあるが,いろいろな作物を作っていた。だから気候不順でもそのうちのいくつかはその気候に強いのがあって,全滅にはならない。だから貧しくはあっても飢えることはありません。
だから一種類だけというのはだめなのです。いろいろな種類があった方がいい。
もとに戻します。
無性生殖の場合は,まわりのみんながまったく同じ遺伝子をもっています。だから,ある条件になると,全滅してしまいます。
しかし,有性生殖の場合には,いろいろな型の遺伝子を持った個体がいます。それである病気がはやり,多くの個体が死んだとして,ちがった型の遺伝子を持った個体は生き残る可能性があります。
近親相姦の場合も似たようなものです。遺伝子的には似ています。だから,ある病気で全滅してしまう可能性が高いのです。
さて,いろいろと書いてみましたが,要するに,いろいろ失敗してでもいろんなことを試みた方がいいのではないか,ということを言いたかったのです。
その中に,マシュマロ実験が紹介されていました。
ある部屋に幼児を入れます。目の前の皿にマシュマロが1個置かれています。
そこで実験者がこういいます。「私は,ちょっと用事があって出ていくので,しばらくここで待っていてください。このマシュマロは私が出てすぐに食べてもいいです。でも,私がもどるまで食べないでいたら,もう1個マシュマロをあげます」
と伝えて,出ていきます。
要するに,いま1個だけマシュマロを食べるか,しばらくがまんして2個のマシュマロを手に入れるか,子どもに判断してもらうのです。
「明日の百より今日の五十」や「のちの千金」というのは,明日、ほんとうに手にすることができるかどうか分からないようなものをあてにするよりも、不十分であっても今確実に手に入るものの方が大切だ、というたとえだそうです。web上で調べてみました。
とすると,いま1個のマシュマロを食べてしまった方がいい,ということになりますね。
強化においては,強化子を与えるタイミングはとても重要です。ハトやネズミの実験です,10分の1秒ずれるだけで,強化が難しくなるそうです。
今,目の前にある強化子の方がずっと力があるのです。
ここにセルフラーニングを難しくする鍵があります。
1年後に入試がある。それにぜひ合格したい。これは大きな+強化子です。ただ,それを得るのがずっとずっと後のことになります。
逆に勉強をするのは苦しいから,テレビを見る。ゲームをする。寝る。これはプラス強化子としては入試に比べると小さい。しかし,すぐ得ることのできるものなのです。
強化子を得ることのできるタイミングがいつのことなのか,というのが行動に及ぼす影響がとても大きい。だから,いまがまんして勉強をして欲しいと親は教師は思うのですが,そうはしてくれない。
セルフラーニングにおいてもそうです。自分では入試に合格するためにがんばりたいと思っている。しかし,目の前の誘惑につい負けてします。これは+強化子が与えられるのが遅いからです。
こういうのはもういくらでも例を出せます。
甘いものを食べてばかりいると虫歯になる。虫歯になるということはとても痛いことなので,強いマイナス強化子です。それをのがれることは強いプラス強化子です。つまり,甘いのをがまんするということが虫歯にないという+強化子として働く。
しかし,目の前にあるのは甘いもの。虫歯になるのはずっと後のこと。
目の前の甘いものという小さいプラス強化子によって,少しずつ虫歯に向かって進んでいくのです。
ぼくもダイエットしなければならないので,書きにくいのですが,
もう分かりますね。体重を減らしたい。それにうそはない。でも体重が減って大きなプラス強化子が得られるのはずっと先のことです。目の前にはおいしそうなものがある。その誘惑にはつい負けてしまうのです。
愛林檎さんのコメントに
>>そして問題が解けた場合は、「即」答えが合っているかどうかが気になるらしいのです。
全体で40人程での学習なのに、いちいち「先生、これで合ってる?」と自分の元に呼び寄せたがります。
「後で答えあわせするから・・・」とこちらが応対すると「ケチ!!」と言い出す始末。
これも,プラス強化子をすぐにほしがるヒト一般の性質が見えています。
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この記事はmixi,セルフラーニングのコミュ,心理学入門のトピにぼくが書き込んだものの転載です。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=30656790&comm_id=1037793
強化の与え方には,連続強化と部分強化があります。
ある行動をしたら,いつでも強化子を与えるのが連続強化です。
「おはよう」という → 毎回「おはよう」と答える
スイッチを押す → 明かりがつく
「お菓子買って」 → 買ってあげる(毎回)
問題を解く → 問題ごとにチェック,すべて正解
連続強化ですね。電化製品は故障さえなければたいては連続強化してくれます。
それに対して,部分強化は毎回ではなく,時々与えるのです。
バットをふる → ヒットになったり,アウトになったり
問題を解く → あるときは正解,またあるときは不正解
先生の質問に挙手する → 指名する or 他の人を指名
ふだんはねだっても買ってもらえないがクリスマスや誕生日 → プレゼント
給料日(毎日ではない) → 給料
つり → 魚がつれる(いつ釣れるか分からない)
部分強化もけっこう身の回りにあります。
連続強化と部分強化は,性格がかなりちがいます。その性格を知った上で利用すると子どもたち,いや自分自身をコントロールすることができます。
セルフラーニングでもそのことを知っておいたほうがいいです。
それぞれの特徴について次回書くつもりです。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
この記事はmixi,セルフラーニングのコミュ,心理学入門のトピにぼくが書き込んだものの転載です。
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