セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

子どもに愛が伝わっていますか
 昨夜,テレビ日曜洋画劇場で「デイアフラー」を観ました。録画で観るので1週間遅れです。
 巨大洪水がロンドンを襲う物語。主人公は父と息子です。
 前半では,息子は父を嫌っている場面が出ます。しかし,洪水から市民を救うために2人が協力する中で,息子は父の愛を感じるようになります。そして,息子も父を愛するようになります。

 よくある話です。多くの人が共感するので,繰り返されるテーマでしょう。

 今回のトピのテーマは「子どもに愛が伝わっていますか」としました。

近藤知恵 著「子どもに愛が伝わっていますか―心のかけ橋をきずく“親業”」

 からお借りしました。

 もうだいぶ前に読んだので,内容はすっかり忘れてしまいましたが,本の題はとても気に入っているのでしっかり覚えています。

 親が子どもを育てるとき,そして教師が生徒を教えるとき,愛というのがとても大きなウエイトを持つことにたぶん多くの方が賛成してくれると思います。もちろん,ぼくも賛成です。

 ただ,もう一歩進めて,
 愛していればいいというものではない,ということです。

 デイアフラーの父親は,洪水の前から息子やその他の家族を愛していたのです。しかし,頑固者で仕事第一の科学者である親の愛は息子に伝わっていなかった。
 伝わっていない愛は,無力なのです。それが伝わって初めて力を持つようになります。
 父親が「愛している」ということ,それも大切ではありますが,それよりも子どもが「愛されている」ということに気付くことがもっと大切なことなのです。

 「愛されている」と知った子どもは,まっすぐに生きようと思うものです。

 一所懸命にやっているから,子どもたちも分かってくれるはずだ,というだけではなく,その気持ちを子どもがきちんと受け止めているかに気を配り,そのように努めなければいけません。

 ぼくもそういうのは,だいぶ不器用です。でも,ぼくなりのやり方で努めていきたいです。

mixiのセルフラーニングでも同じ内容でトピを立ち上げました。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=35245141&comm_id=1037793 
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しっかり死んでください
 「アドラー心理学入門」の著者岸見一郎は
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-587.html
 で引用した文に続いて,
次のような例を書いています。


 家族で「四国の森の村」に帰省していた大江健三郎一家が東京に帰る日、娘が帰りの飛行機の中でしきりに気にかけていることがあった、と大江健三郎が書いています(大江健三郎『恢復する家族』講談社)。息子の光さんが家を出るとき、おばあさんに、それも大きな声でこういったのだそうです。

「元気を出して、しっかり死んでください!」

おばあさんはこれに対して答えました。

「はい、元気を出して、しっかり死にましょう、しかし、光さん、おなごりおしいことですな!」

 幸い回復するのですが、しばらくしてからこういわれたそうです。

 「自分が病気である間、いちばん力づけになったのは、思いがけないことに、光さんの最初の挨拶だった。元気を出して、しっかり死んでください・・・その言葉を光さんの声音のままに思い出すと、ともかく勇気が出た。もしかしたらそのおかげであらためて生きることになったのかもしれない」


 ふつうは,お年寄りに「しっかり死んでください」とは言いません。禁句です。
 でも,その言葉がおばあさんを勇気づけたのです。

 ふつう「がんばれ」という言葉は人を励ます言葉です。
 テレビを観ると,マラソンで走り終えた選手が,みなさんの「がんばれ」の言葉に後押しされて走り続けることができました,のようなことを言っています。

 でも,この「がんばれ」を鬱病に人に言ってはいけないそうです。そのがんばれが鬱病の人を苦しませるというのです。

 つまり,相手の主観的世界の中で,その言葉がどのように働いているのかを気にしないといけないということです。

大人と子どもは,縦の関係? or 横の関係?
 いまmixiの「セルフラーニング」のコミュで「大人と子どもは,縦の関係? or 横の関係?」をテーマに意見交換を行っています。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=35571828&comm_id=1037793

 そのままぼくの部分を転載しても意味が分からないだろうと思うので,いま思っていることを書きます。

 ぼくは,教師と生徒,親と子は,たての関係でないと指導ができないと思っています。

 ところが心理学者のアドラーは,上下関係を否定しています。どんな子どもとでも「よこの関係」であるべきだと主張します。

 でも,「アドラー心理学入門」に次のような記述を見つけました。(p91~92)


 私は大学でギリシア語を教えています。毎年、教科書を選ぶのですが、ギリシア語については、私は専門家ですから、かりに学生が「先生、この教科書は練習問題が少ないですから、これを使いませんか?」と申し出ても、おそらく断るだろうと思います。学問的にも教育的にも学生にとって最善の教科書を選んでいるのですから専門家の私としては譲ることはできないのです。

 しかし、どんな仕方で講義をするかについては、学生と相談します。講義形式なのか、それとも、学生が発表するという演習形式にするのかは、学生との相談の上で決めてもいいと思います。教師と学生は「同じ」ではありませんが、人間としては「対等」なのです。



 これなら理解できます。たぶんアドラーは,人間として対等だということをとても重要視して「たての関係」を否定しているのでしょう。
 教える側としてはどうしても譲れない線はあります。それをとっぱらうと教えることができなくなると思います。
 なお,ぼくにとっては「どんな仕方で講義するか」,それも譲れない線です。セルフラーニングがいいと思ってやってきているので,それを生徒が一斉授業にするといくら主張しても譲れません。

ほうびは後で与えるもの
 先日,A香さんのお母さんが相談にみえました。

 その相談ごととは別の話ですが,
 ぼくに「ほうびは後であげるものですよ」と言われたことが,とても勉強になったと言っていました。

 それは,次のような話です。

 A香さんはまじめな子でほとんど休まずに塾に通っています。お母さんが塾は休まず行くものだという姿勢を貫いているからかもしれません。

 修学旅行の前,A香さんがお母さんに頼んだそうです。
「お母さん,修学旅行の準備をしたいから,きょうは塾を休んでいいでしょう。次のテストでがんばって50番以内に入るから」

 お母さんは,迷いながらも同意したそうです。そして,欠席届の電話を塾にしました。 そのときに,ぼくは,
「分かりました。もう決めたことでしょうから。でも,ほうびというのは,後であげるものですよ」と答えました。

 お母さんはそのときの言葉がとても心に残ったそうです。
 A香さんの弟は,「テレビ見ていい?見たら勉強するから」というようなことをよくお母さんと約束するようです。しかし,守らない。
 ぼくとの電話のあと,それを逆にしたら,勉強するようになったとのこと。


 Nくんとおばあさんの話です。Nくんにお母さんはいるのですが,基本的におばあさんが世話をしています。おばあさんは,小学校の校長もやった人です。

 孫のNくんがおばあさんに頼みました。
 「コンポ買って。塾は休まないで行くから」

 おばあさんは買ってあげたそうです。もちろん,塾は休みが続き,結局退塾しました。


 このように,ほうびを先に与えているようなことは子育てにおいてよくやっているのでしょうね。

 「ほうびは後であげるもの」

 です。

 子どもが「○○するから□□して」という場合,

 先にほうびをあげてはいけません。それではほうびにならないのです。

 子どもの行動を先にして,ほうびを後にします。

 「塾に休まず行くから,コンポ買って」と言う場合,

 コンポの値段をはっきりさせます。そして,それに見合う塾へ通う日数は何日くらいか決めます。例えば30日としましょう。それはある程度主観です。

 それが決まったら,子どもと契約します。もちろん口約束でいいです。

「では,30日間塾に通ったら,コンポを買ってあげるよ」

 そして,カレンダーに行った日をしるしていきます。30日にしるしがついたらコンポを買ってあげましょう。
 このように行動の後でほうびがあると子ども(大人も)はやる気が出るのです。


 「ものでつる」ということに抵抗を感じる人もいると思います。
 ぼくは,ケースバイケースで,ものでつることも必要なことがあると思っています。それについては,何かの機会に。

「勉強しなさい」・・・言う? or 言わない?

 以下は,mixiの「セルフラーニング」のコミュに立ち上げたトピックです。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=41677155&comment_count=6&comm_id=1037793


 子育ての本には,「勉強しなさい」とは,言ってはいけない,と書かれているのが,多いですね。
 みなさんは,それについてどう思いますか?

 ぼくは,ケースバイケースだと思っています。

 偉い人の書いている子育ての本は,自分の体験に基づいているように思います。

 自分は,親に「勉強しなさい」とは言われなかった。しかし,勉強をした。あるいは,小学のころはしなかったが,ある日目ざめてやるようになった。

 または,自分は自分の子どもに「勉強しなさい」と決して言わない。しかし,子どもはそれなりの成績をあげている。

 だから,子どもに「勉強しなさい」と言ってはいけない,と。

 確かに「勉強しなさい」と言われるのは,いやな気分になります。できれば言わない方がいいですね。
 言わなくてもそれなりにやっているのなら,言うべきではありません。

 しかし,それでは言わなくても,だれでも勉強するようになるか,と言えば,そうではないでしょう。言わなければ,そのままやらない子が多いです。

 そういう子はやらなくてもいいではないか,という意見もあると思います。しかし,ぼくはどの子にも基本的な学力はつけて欲しいと思います。だから,このままでは基本的な学力がつかないと思ったら,嫌われてもいいから「勉強しなさい」と言った方がいいのではないか,と思っています。

 「勉強しなさい」と言わなくても環境を整えれば,自発的に勉強するようになることもあるでしょうね。そういうことができればそれにこしたことはありません。

 親が勉強している姿を見せる,などでしょう。そのほかにもあるでしょうね。そういう意見もお待ちしています。

腹式呼吸
 ぼくは常日頃,「親は最悪の教師なり」と言っています。

 それは,感情的に親子が密着しすぎているからです。
 だから,自分の子どものことになると冷静でいられなくなります。すぐに頭に血が上ります。そういうときのために,腹式呼吸を覚えましょう。ぼくも生徒の行動で怒ってしまうときには,腹式呼吸をして心を静めるようにします。

 女性の場合は特に胸式呼吸をするので,少し練習をしてお腹で呼吸をする練習が必要です。

 お腹に手のひらを置き,ゆっくり息を吐きます。そのときにお腹がへこむようにします。胸で息をするのではなく,お腹ですることに集中します。吐ききったらゆっくり吸います。お腹がふくれるようにします。実際に腹式呼吸ができているときはお腹ははふくれます。十分に吸ったら1,2秒息を止めます。そして,吐きます。吐くときが吸うときよりゆっくりゆっくりとします。

 落ち着いているときに練習をしましょう。腹式呼吸が自然にできるまで練習を続けます。

 そして,子どもの勉強をみてあげているときに,頭に血が上ってきたら,「ちょっと待って。お母さんは腹式呼吸をするから」と言って,ゆっくりやります。4,5回でもだいぶ落ち着くはずです。

 私たちは気持ちそのものに働きかけてそれを変えるのは難しいです。「落ち着け,落ち着け」という暗示も悪くはありませんが,それより効果があるのが,腹式呼吸です。

 心と体はつながっています。強いストレスを受けると胃潰瘍になりますね。あれは心と体が密接な関係にあるからです。

 いらいらすると,心臓が速く動きます。呼吸も荒くなります。体温も血圧も上がります。逆に落ち着いているときは,心拍もゆっくり,呼吸もゆっくり,体温も血圧も平熱になります。

 それの逆を行うのです。心臓をコントロールするのかなり難しいので,呼吸をコントロールするようにします。腹式呼吸でゆっくり息を吐いたりすったりしていると,心臓もゆっくり打つようになり,そして心も落ち着くのです。腹式呼吸を行うだけで怒りが静まって冷静になれます。

 冷静になることができれば,子どもの勉強をどうしようか考えることができますね。

 腹式呼吸をもっと押し進めたものに,自律訓練など,弛緩法,リラックス法があります。子どもの勉強ということだけではなく,自分の健康のためにもいいです。関心のある方は挑戦してみてください。書店に行けば本が並んでいます。

親は火星人,子どもは金星人
ジョン グレイ著・大島 渚訳 「ベスト・パートナーになるために―男は火星(マース)から、女は金星(ヴィーナス)からやってきた」(三笠書房)の冒頭にある話です。


「そもそも、男は火星人で、女は金星人だった」そう想像してみよう。

遠い昔のある日、火星人たちは望遠鏡をのぞいているうちに金星人を発見した。彼らは、そのはじめて見る 〃異星人〃 の魅力にひと目でとりつかれ、ただちに宇宙船を発明して金星へと飛んだ。

金星人たちは、両手を広げて彼らを大歓迎してくれた。この日が来ることを、直観的に感じとっていたのである。かつてないほど激しく胸がときめき、そして恋が生まれた。

この異星人同士の恋は、まるで魔法にでもかけられたような勢いで急速に進展していった。まったく異次元の世界で生まれ育った二人だったが、彼らは嬉々としてー緒に行動し、楽しみを分かち合うことができたのだ。

はじめの数か月は、互いのことについて学び合った。好みや行動パターン、要求することの違いなどを探り、充分に理解し合うことができた。そして、深い愛情と相手を敬う心に支えられた仲むつまじい生活が始まった。

やがて、彼らは地球に移住することを決めた。この新しい天体での生活も、はじめの頃は快適で素晴らしいものだった。双方ともに、互いの違いをよく心得、認め合って金星時代と同じように幸せな日々を過ごしていた。

ところが、地球の環境と雰囲気の中にとげ込んでいくうちに、しだいに大切なことを忘れがちになっていった。そして、ついにある朝、彼らは目覚めると同時に完壁な 〃記憶喪失〃 に陥ってしまったのである。

火星人も金星人も、お互いがそれぞれ異なった天体からやってきた身であることと、それゆえに双方の間に根本的な違いがあることをすっかり忘れてしまったのだ。金星で学んだことは、すべて彼らの記憶から消え失せた。

その日から、男と女の闘いが始まり、今日に至っているのである。



 この本は,男女の関係のために書かれた本です。男と女というのは根本的にちがうのですよ。だから,「双方ともに、互いの違いをよく心得、認め合って」いけば,お互いが幸せになるのですよ。同じだと考えるから争いができるのですよ,ということを言っているのですね。

 しかし,ぼくは男女関係だけに限ったことではないと思います。同じ男同士でもちがうものです。あなたはぼくと同じ考えでなければいけない,ということを押し通したらけんかになってしまいます。

 親子もそうです。お母さんは,自分の子どもは自分のお腹から痛い思いをして産んだんだ,だから,この子は自分と同じなのだ,などと考えたりします。だから,この子のことは私が一番よく知っています,などと言います。

 それが「最悪の教師」への道ですね。親子でも根本的にちがうと思った方がいいのです。お母さんは火星人で,子どもは金星人,それくらいのちがいがあるのだと思いましょう。そして,お互いを理解するように努めるのです。互いの違いを認めましょう。それが「最悪の教師」から脱出の道へつながります。

親は最悪の教師


親のあこがれにあこがれる
 「子どもは,親の背中を見て育つ」と言います。

 よく言われるように,口先だけで,「勉強しなさい」と言っても,親はテレビをみてばかり,というのでは,勉強する子に育つはずがありませんね。

 齋藤孝著「教え力」から抜粋します。



・相手のやる気をかきたてるために,何がいちばん大事なのかというと,教える側の人間が,いまからやろうとしていることに恐ろしいほどの憧れをもっていることです。(p52)

・ヘーゲルの言葉に「欲望は模倣される」という言葉があります。(p52)
・のめりこんでいる人が語る話というのは非情に魅力的です。それによって,人は,モチベーションをかきたてられてしまします。(p53)

・いま,自分自身もそれに憧れているんだというメッセージを胚(はら)の底から持つというのが,教える相手のモチベーションをかきたてるためにももっとも大事なことです。(p55)

・教える側の憧れが,生徒の憧れを生む。これは,生徒のほうから見ると,先生の憧れに憧れるという図になります。(p56)

・大事なことは,教える側も現在進行形で学び続けている,それも常に学ぶ側の何倍もの速度で学び続けている,ということなのです。(p62)



これは,ぼくら教えることを仕事にしている人へのメッセージです。その通りだと思います。

 ぼくは塾ですべての科目の学習をみています。中学生には,英語,数学,国語,理科,社会の5科目です。ぼくは学生のころ,好き嫌いが激しく,理科,数学は大好きだったのですが,あとは大嫌いでした。この仕事をするようになり,文系の科目も学ぶうちにおもしろいところも分かって来ましたが,それでもやはり,理科,数学が好きです。

 物理の話をするときには,つい熱が入ってしまいます。そして,脱線も多くなります。そのようなとき,生徒の目も生き生きしているのを感じます。これが,教える側の憧れが教わる側の憧れを生む,ということなのだと思います。

 さて,親も基本的には同じです。ただ,教えるのを仕事にしているのではないので,英語,数学などの教科が好きではない人の方が多いでしょう。子どものために教えているんだという感じでしょうね。

 親は,自分の仕事や趣味に憧れて,それを子どもに伝えればいいのではないでしょうか。自分の仕事(趣味)は,これこれで,これはすごくおもしろいんだよ。どこがおもしろいかっていうとね,・・・・。できるだけ子どもに分かる言葉で説明した方がいいのですが,情熱は伝わるはずです。

 もし,憧れるものが何もなければ,作りましょう。親が憧れるのがなければ,子どももそうなります。親の憧れる姿を見せることによって,子ども何かに憧れるようになります。すると,学校の教科にもやる気を出してくれるかもしれません。

母と読書の思い出
 ぼくは,「読書の好きな子に育てる方法」について新聞投稿したことがあります。それをぼくの母が読んで、妻に次のように語ったそうだ。「私は共働きで、ゆっくりした時間もなく、子どもたちに本の読み聞かせをすることもできなかった」。さびしそうに語っていたそうです。保健婦をしていた母は,家事と仕事を両立させるために,いつも忙しそうにしていたのを思い出します。

 ぼくも親不孝をしたものです。その罪ほろぼしというのではありませんが、母と読書のということで思い出すことがあるので、書いてみます。

 ぼくが小学校六年のときです。担任が授業の中でビクトル・ユーゴーの「ああ無情」を読むことをすすめました。それに興味を持ったぼくは母にその本をねだりました。そのころぼくは首里に住んでいました。母はそのぼくを那覇まで連れて行ってくれました。そして、書店に入って「ああ無情」を探してくれたのです。すぐには見つかりませんでした。4~5軒の書店をまわってやっと見つかりました。もちろん、ぼくはその本を夢中で読みました。

 もう一つの思い出は、日本文学全集をそろえてくれたことです。ぼくが中学生のころでしょうか。あのころはぼくの家族は大家族で経済的にはそんなにゆっくりしていなかったのではないでしょうか。一月に一冊配本されていたと思います。与謝野晶子訳の「源氏物語」から始まって昭和の著名な作家の作品が並んでいました。

 ぼくは、短編集で読みやすかった芥川龍之介から読み始め、夏目漱石、森鴎外、武者小路実篤、太宰治・・・、と読み進みました。学校の図書館に行けば読むことはできたでしょうが、やはり目の前にあると気軽に読むことができます。今でも実家の書棚にはその全集が並んでいます。あれがなければ、あんなには日本文学を読まなかったでしょう。

 今ぼくは読書が好きです。確かに、母に読み聞かせをやってもらったことはありません。しかし、母が読書の好きな子に育てたかったことは確かです。それは子どもには伝わるのもです。

 ピグマリオン効果については前に書きました。子どもに期待をかけていると、実際にその通りになるというのです。母はぼくに読書好きになってもらいたいという期待をかけていたので、私が読書を好きになった面もあると思います。

 もちろん、そんな単純ではないでしょう。読書好きになってもらいたいと思って、読み聞かせを続けてきたのに大きくなって読書をするようすもないという例を数多く知っています。読書好きな子に育てるというのはいろいろな要素が複雑にからみあっているように感じます。

旅と子育て
 ある日,生徒が「旅行に行ったよ」と言って,おみやげを持ってきました。

 「ありがとう。どこに行ったの」とたずねると

 「わからん」という返事。

 また,別の子は「東京」と答えました。でも,後で知ったのは,実は行ったのは長野。東京を経由したからなのか,本土はすべて東京だと思っているのか。

 もったいない話ですね。せっかく高いお金を出して旅行に行ったのに,どこに行ったかさえ知らないのでは。

 どうせ,子どもだから,何も知らなくてもいい,などと思わずに,旅行に出かけるのなら,それを利用して,いろいろその地についての知識を増やしてはどうでしょうか。

 行き先を教えるのは,もう当然です。次は,そこを地図できちんと確認しましょう。何に乗ってどこを通ってどう行くのかも,地図を見ながら話しましょう。そして,通りながら,地図を広げ,いまここを通っているんだよ,と確認しましょう。最低,ここまではやりたいですね。

 カーナビという便利なものが発明されて,地図を見なくなりました。ぼくも旅に出ると,カーナビを利用します。目的地に着くということにかけてはとても便利です。しかし,地図が頭に入りません。ただただ車を走らせているだけ。カーナビを利用するにしても,ときどきは地図で確認したいものです。

 次に書店に行き,旅行のガイドブックを買いましょう。ぼくの妻は,ガイドブックを2~3冊買います。1冊では分からないのだそうです。それを見ながら,こことここに行く予定だよ,と話してあげましょう。子どもがガイドブックを読み,ここに行きたいという要望を出したら,行く方向で検討してあげましょう。

 おじいさん,おばあさんの家,親戚の家に行くときも,ガイドブックを手に入れ,近くの名所旧跡を訪ねるようにしたいものです。

 ぼくの妻は,旅行が好きなので,ぼくは用心棒を兼ねながら,ついていきます。行動記録をつけるのは,ぼくの役目です。ICレコーダに吹き込み,後でコンピュータに書き込みます。写真は数多く撮ります。

 帰ったら,アルバム整理。それは,妻の仕事。いや楽しみですね。ガイドブックの説明を写真のそばに貼ったりしていろいろ工夫しています。旅を10倍,20倍楽しんでいます。

 このような旅をしていると,後でテレビを観るのも楽しみです。行った場所がけっこうテレビで放映されるのです。それまでは知らなかったからただなんとなく見て,気にもとめなかったが,その後は,「あっ,ここ行ったね」と記憶がよみがえり,画面に釘付けになります。「旅行に行ってあとは,そこのことをやる番組が多い」と感じます。もちろん,それ以前も同じ頻度でやっていたのでしょうが,気にもしなかったのです。

 そして,さらに知識が増えていくのですね。

マシュマロ・テスト(EQ―こころの知能指数)


ダニエル ゴールマン (著)「EQ―こころの知能指数」(講談社)にある,マシュマロ・テストを紹介します。

 マシュマロ実験
 でも書きましたが,原典からちゃんと引用しようと思ってここに長々とやりました。
 昨日書いた,「きょうの50より,明日の100」に通じるものです。

 この「マシュマロ・テスト」を読めば,いかにがまんすることが大切かが分かってくれるでしょう。子育てにおいて,もっとも大切なことの一つです。

 (マシュマロ・テスト)

 あなたが四歳の子供だとする。あなたに向かって、実験者が次のように言う。
「ちょっとお使いに行ってくるからね。おじさんが戻ってくるまで待っててくれたら、ごほうびにこのマシュマロをふたつあげる。でも、それまで待てなかったら、ここにあるマシュマロひとつだけだよ。そのかわり、今すぐ食べてもいいけどね」。
(中略)
 この研究は、一九六〇年代にスタンフォード大学の心理学者ウォルター・ミシェルが大学構内にある付属幼稚園で始めたもので、研究対象となったのはおもに大学の教職員や院生らの子供たちだ。研究では、四歳の子供たちが高校を卒業するまでを追跡調査した。

四歳児のうち、何人かは実験者が戻ってくるまでの気の遠くなるような十五分ないし二十分間をがまんして待つことができた。持っているあいだ、子供たちはマシュマロを見なくてすむように両手で目を覆ったり、腕組みをした上に顔を伏せたり、自分を相手におしゃべりしたり、歌をうたったり、手あそびや足あそびをしたりして、内なる欲望とたたかった。なかには、眠ってしまおうとする子もいた。そうして最後までがんばりぬいた子供たちは、ごほうびにマシュマロを二個もらった。

 おなじ四歳児でも、より衝動的な子供たちは目の前のー個のマシュマロに手をのばした。しかもほとんどの場合、実験者が「お使いに行く」ために部屋を出た直後に。

このときの衝動への対処法が予言したことは、それから十数年後、園児たちが青年になった時点で実施された追跡調査で明らかになった。即座にマシュマロに手をのばしたグループと実験者が戻るまでがまんできたグループのあいだには、情緒や社会性において劇的な差が生じていた。四歳のときに誘惑に耐えることのできた子は、青年となった時点でより高い社会性を身に付けていた。対人能力にすぐれ、きちんと自己主張ができ、人生の難局に適切に対処できる力がついていた。少々のストレスで破綻したり行き詰まったり後退したりせず、プレッシャーにさらされても狼狽したり混乱したりすることが少ない。困難な課題にもすすんで立ち向かい、難しそうだからといって投げ出したりしない。自分に自信を持ち、信頼に足る誠実さを持ち合わせている。いろいろなプロジェクトに率先して参加する。そしてマシュマロ・テストから十年以上経過した時点でも、目標を達成するために欲求の充足を先へ延ばすことができた。

 しかし、マシュマロにすぐ手をのばした三分の一くらいの子供たちにはこのような長所がそれほど認められず、反対に心理的に問題の多い姿が浮かびあがってきた。青年期を迎えた彼らは対人関係を避けようとする姿勢が目立ち、強情な半面優柔不断で、小さな挫折にも心の動揺を見せる。自分自身のことを「だめ」な人間、あるいは無価値な人間と考える傾向がある。ストレスを受けると動けなくなったり後退しやすい。疑い深く、自分が「恵まれていない」ことを恨み、嫉妬心を抱きやすい。感情の起伏が激しくいらだつと過激に反応しやすいので、言い合いやけんかになりやすい。そして、七年あまりの歳月を経てもやはり彼らは欲求の充足を先へ延ばすことができなかった。
(中略)
 さらに驚くべきことに、高校を卒業する時点でマシュマロ・テストの子供たちをふたたび評価してみたところ、四歳のときに忍耐づよく待つことのできた子供は、そうでない子供と比較して、学業の面でもはるかに優秀なことがわかった。(p131~p134)


「疑わしくは,罰せず」のジレンマ
「足利事件」で無期懲役が確定し、服役中だった菅家利和さん(62)が4日午後、千葉刑務所から釈放された。逮捕から17年半ぶり。

 大変なことですね。「今までの17年間の人生を返してもらいたい」と言っていますが,その通りです。
 えん罪というのはあってはならないことです。

 だから,「疑わしくは,罰せず」です。疑わしいけれども,確実ではないときには,罰をしてはいけないのですね。

 さて,これからあと,ちょっと愚痴っぽいことを書きます。

 生徒が悪さをしたとします。例えば,いじめで本などを隠す。

 いじめられたBくんは,Aくんがやった,と訴えます。状況証拠もある。しかし,現場を目撃したわけではないので,確定はしません。

 ぼくは,Aくんを呼び出し,問いただします。
「あなたがやったのか?」
「いいや,ぼくはやっていません」
 頑とした態度です。

「別に,このことであなたを罰するつもりはない。ただ,やったのならやったと認めて,今後はやらないことを約束してくれればいい」
「本当に,ぼくではないのに」

 しばらくはこうです。日ごろの態度からもAくんだろうとは思うのですが,確たる証拠はないので,それ以上の追求はできません。

 ここでぼくの頭には「疑わしくは,罰せず」という言葉が浮かびます。えん罪はどうしても避けなければいけませんから。Aくんではないかもしれませんから。

 以下は,彼がやったというのが真実ということで書きます。
 ここで彼の言い分を認めるということは,うそを認めるということになります。
 うそというのは,それが通れば,強化されます。うそをついたら得をするのですから。Aくんは,ここで,自分がやったことを認めたら,罰されるだろう,うそをついていれば,罰されずにすむだろう,という風に考えます。

 このようにすると,ここで認めると,この場のうそを認めるというだけではなく,Aくんをうそつきにしたてあげている,ということになります。彼は,その後もうそをつくでしょう。うそが巧妙になって,ばれないようにします。だんだん本物のうそつきになってしまうのです。そういううそつきをいまぼくは作っているのではないか,

 そういうことを考えてしまうのです。

保育園児はストレスに強い
「心と遺伝子」を読んでいます。これに,保育園児はストレスに強いことを暗示する実験があります。


これらの研究は、そもそも「人に可愛がられて育ったラットは穏やかで社会性豊かに育つ」という実験者の経験則からスタートしている。子供の時になでなでしてやることが、生涯にわたってラットの行動にいい影響を与え、行き過ぎた攻撃や過度の恐怖などを示さないようになるというのである。それはストレスに対して強い、ということの反映である。このなでなですることを「ハンドリング」という。

 ストレスに強いか、弱いかというのは,
 副腎皮質から放出されるステロイドホルモンのーつ、グルココルチコイド
 によって,客観的に分かるそうです。

その結果、授乳期にハンドリングを受けて育った子ラットは、成体になった際、副腎の重量が他より軽くなった。これは、成体になってからのストレスに対する耐性が著しく高まっているということを示している。


 人間にそのままあてはめると,かわいがられて育った子どもはストレスに強いということです。
 だから育児書には子どものときには十分に甘えさせましょう,のようなことが書いています。実験結果もそれを裏付けているということでしょう。
 かわいがられた子どもはいろいろな面でいいように育ちます。それはほぼ定説になっています。

 さて,おもしろいのは次です。

その後、必ずしもラットをハンドリングしなくても同じ効果を引き出せることがわかった
単に、母ラットからー日あたり三分程度引き離し、それを生まれてから乳離れまでの二〇日間続けるだけで、ハンドリングを毎日したのと同じ効果が表れたのである。
 (中略)
引き離されていた子ラットが檻に戻されると、母ラットはその子に対して入念にグルーミング(毛づくろい)とリッキングをする。隔離されていた子ラットに対しては、それ以外の子ラットの倍以上、母ラットはケアをするようになるという。


 ぼくは二〇数年前,保育園をやっていました。身びいきだからだとは思わないのですが,保育園の子どもたちは我慢強いと思います。だから,積極的に保育園に入れた方が子どものためになると思っています。

 それは,お母さんだと甘えるのに,保育園では簡単に甘えられなくて,がまんしなければならないからそうなると思っていました。それもあると思います。ただ,この実験から別の要素も考えられます。

 この実験は,ラットをつかってのものです。それを安易に人間にあてはめてはいけないでしょう。

 しかし,何か人間も同じではないかという風に思われます。
 保育園というところにあずけるということで,同じような効果があるかもしれない,ということをこの実験は示しているように思うのです。

 保育園に預けるということで,親子が離れます。そして,子どもが保育園から帰ると,お母さんは強く抱きしめます。それが子どもにいい結果をもたらすのではないでしょうか。

 これはもちろんまだまだ仮説です。しかし,そういう面もあるのではないかと思われます。離れている時間は長すぎてもいけないかもしれません。

 保育園に預けて働くことに罪悪感を感じている母親もいるようです。
 そうではないですよ,保育園に預けることは子どもにとってもいいことですよ,ということが科学的に明らかにされれば,お母さんは罪悪感に悩まされることなく子どもを保育園に預けることができるのではないでしょうか。

あわせ絵(うさぎ)
 きのうは彼岸で、首里の実家に行きました。
 姪の息子Koくんも来ていました。2歳かな。おしゃべりも上手になりました。ニコニコしてみんなの人気者です。

 ふと思いつき、保育園をやっていたころに作った教具を作りました。保育園のときは、おおくの子どもに使わせるために板で作りましたが、いまは簡単に厚紙で。

 作るのはとても簡単です。新書や文庫の大きさの厚紙に絵を描きます。きのうはうさぎの絵を描きました。そして、それを真ん中で切ります。まっすぐに2等分です。それでできあがり。

 まず、「うさぎさんです」と言って見せます。上下左右を逆にして与えて、「うさぎさんを作ってごらん」と言います。

 まっすぐに切られているので、逆さまにあわせてもぴったりしますが、絵はおかしなものになります。Koくんもおかしいとは思っているようですが、できあがりとしてしまいます。ただ偶然にできてしまいました。

 やさしすぎたかな、と思って、Koくんのお母さんに、アンパンマンの絵を描いてもらって、今度は4つ切りにしました。

 もうできません。また、先ほどのうさぎのものもまったくの偶然だったようで、その後はできません。

 しばらく楽しそうに遊んでいました。
 
 このようにとても簡単にできる教具ですが、子どもにはとてもいいと思います。

 塾にもどって、このことをブログに書こうと思いつきました。Koくんのやっているのを写真に撮っておけばよかった。

 下の絵はぼくの描いたものではありません。ネットからさがしました。こんな感じの教具です。

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火のありがたさは分かるか?
 ぼくの家は「IHクッキングヒーター」を使っています。

 今朝,妻がIHクッキングヒーターの近くに紙を置くので
「コンロのそばに紙を置くと燃え移って大変だよ」と冗談を言いました。

 その後で考えました。

 これからの子どもたちは,火,炎を見ないで育つのではないか,と。

 ぼくの回りを見渡してみると,火がほとんどありません。IHクッキングヒーター後はコンロの火も見なくなりました。
 ぼくは蚊が嫌いなので,蚊取り線香をつけます。ライターで。そのときには炎を見ます。仏壇に焼香するときに火を用います。
 その他は,・・・・。思いつきません。

 蚊取り線香を使わないで蚊取りマット,ノンマットを使っている家が多いのではないでしょうか。
 仏壇のない家も多いでしょう。

 とすると,炎を見ないで育っていく子どもは多いのではないでしょうか。

 キャンプファイアーのときに,獣のように炎を恐れるのではないでしょうか。

 歴史では,人類にとって大きなできごととして,二足歩行,言葉の使用と並んで,火の使用が出てきます。これからの子どもたちは,それが実感として理解できないかもしれません。

 ギリシア神話では,プロメテウスが天上の火を盗んで人間に与え,ゼウスの怒りをかったというのがあります。それが理解できないのではないでしょうか。

 IHヒーターはとても便利です。でもそれと引き替えに,火の大切さが分からない世の中になるのは,さびしい思いがします。

反抗期は、ホルモンのせいだよ
 Kyokoがテレビを見ていると、アグネス・チャンが話しをしていたそうです。その話しが面白かったと言って、僕に話してくれました。

 アグネス・チャンの息子たちが反抗期を迎えようとしたときのことです。反抗期になる前に、アグネス・チャンは息子にこう言ったそうです。
 これから、あなたはいろいろといらいらすることがあります。しかし、それはあなたのせいでもないし、そしてまたお母さんのせいでもないのよ。それはホルモンというもののせいなのよ、と。

 とても面白いと思いました。

 子どもによっても違いますが、中学生のころは、第二反抗期といわれています。これは、子どもから大人への変わり目です。子どもでも大人でもない時期です。子どものころは、大人の言うことを素直に聞いていたのですが、大人の言うことを素直に聞かなくなります。それまでは大人がえらいもんだと思っているので、素直に聞けるのですが、大人を客観的、批判的に見ることができるようになるのです。だから、大人は子どもが反抗的になったと見るのです。

 心理学では、そのころを反抗期ということで否定的に見るのではなく、子どもから大人に変わるとても大切な時期だとみます。

 しかし、子どもにとっても、大人にとっても、その時期はぶつかり合うことが多くなり、いらいらすることが多くなることは確かです。高校生にもなると、大分大人になって落ち付いてきます。だからある意味では、嵐のようなもので、ただただ通過するのを待った方がいいのです。

 そういう時期が訪れる前に、お母さんから、これからのことをお母さんのせいでも自分のせいでもない、と教えられると、気分的にとても落ち着くのではないでしょうか。そして、お父さんのせいでも、先生のせいでもないと考えます。このイライラがホルモンというもののせいにすることができれば、かなり落ち着いていろいろと考えることができると思います。
 親にとっても、ホルモンのせいだと思えると精神的に楽になります。

 この「ホルモン」というのは、実際に私たちの心理にとても大きく影響しているようです。私たちは自由意志によって何でも自分が考えて決定しているように思っていますが、ホルモンによって私たちの意志が決定されていることが少なくないようです。例えば、恋愛というのはホルモンによってきまる、という本を前に読んだことがあります。それがすべてだとは思いませんが、かなり大きな影響を与えるものだとも考えられます。更年期障害というのもホルモンのせいだと言われていますね。

 だから、中学生のころに訪れる反抗期というものがホルモンのせいだというのは、決して口から出まかせということものではないと思います。実際に、性的にもこのころに変わります。体も変わってきます。ホルモンの出方がだいぶ違ってくるのでしょう。その変化が精神的にも落ち着かなくしていることは十分に考えられます。

 それで、反抗期のようなものをモルモンのせいにして、そのうちに過ぎ去っていくという見通しが立てば、かなり落ち好いて反抗期を迎えることもできるのではないでしょうか。

 とてもいい考えだと感心しました。



ママできるよ
 甥のKoくんに次の本をプレゼントしました。



 ぼくは以前保育園をやっていたのですが,この「ママできるよ」シリーズをそろえていました。

 見た目は,幼児向けの問題集のようなものです。「こんな子どものときから問題集を」と思われるかもしれませんが,そうでもありません。子どもたちはとても楽しそうにやっていきます。

 著者の滝沢 武久氏は,ピアジェ関係の発達心理学の本をいくつも書いていて,ぼくもよく読みました。だから,子どものことをよく知っています。

 この「ママできるよ」をお母さんがいっしょに読んで,この年頃の子どもはこういうことに関心をしめるんだ,ということを理解してもらいたいです。もちろん,個人差もありますが。

 子どもは学びたがっています。それに応えてあげるのが,親のつとめです。
 でも,どういうことを学ばせればいいのか難しいですね。そこで,こういう本が役に立ちます。
 お母さんがいっしょにこの本で遊んでやってください。そうすれば,実生活の中で同じような遊びをすることができます。
 この本は,お母さんにとっていい本だと思います。

 最初の1ページには,道が描かれていて,その回りにいろいろな絵が描かれています。そして,道を通りながら,何がいるかな,あるかな,と言ってみましょう,という課題です。

 実際に,子どもと散歩しながら「あれは何?」のような遊びができればいいですね。

しつけは難しい
 きじさんから2つの記事にコメントをいただきました。ありがとうございます。


Yojiさんの顔写真を載せて

お久しぶりです
名前だけよりも顔写真。更にプロフィールなどあると記憶されやすのではないでしょうか?是非顔写真も。


 ありがとうございます。
 出版が現実化したらまじめに考えてみたいと思います。

しつけのできていない生徒が多い

> 塾のルールはもちろんですが、社会のルールや常識も家庭でしつけが必要ですね。社会の始まりは家庭ですからね。
> 私も子供には厳しくしているつもりですが飴と鞭とタイミングが難しいです。私の心の状態で一定してない時もあると思いますが、親の親からのしつけや家庭環境も影響していると思いますが、普通の大人に育てる為の子育てには親の努力も相当必要ですね。考えさせられます。


 しつけは難しいですね。コメントにあるように、親の努力が求められます。塾では私どもの努力です。いろいろ工夫して、家庭でできていない分を塾でしつけていきたいと思います。

コメント,メールのブログ掲載について

クーラー禁止令
 午後7時15分,中学生の学習開始のチャイムが鳴ります。それを聞いたぼくは,エアコンのスイッチを切ります。入れるのではなく,切るのです。

 ホワイトボードには,「小学習室でクーラーを勝手に使った人がいます。それで,3日間はクーラー禁止です」と書かれています。

 沖縄は梅雨明けしました。そして毎日がもう夏です。暑い日が続きます。まだ夏の暑いのに体が慣れていないので,エアコンなしはかなりきついです。

 扇風機は自分でつけてもいいよ,だけどクーラー(エアコン)は勝手にいじってはだめだよ,と生徒には言っています。

 しかし,先日エアコンの設定温度が極端に低くなっていました。それで,そのときに勝手にいじったら,エアコン使用を数日間禁止にするからね,と生徒には伝えていました。

 しかし,勝手にスイッチを入れた人がいるのです。

 言ったことは実行します。それで,先の火曜日にはホワイトボードに布令を書き込み,7時にはスイッチを消したのです。

 老体のぼくにもきついです。でも,こういうふうにしつけていかなければいけないのですね。

尖閣漁船衝突事件とかんしゃく行動
尖閣漁船衝突事件、中国人船長を処分保留で釈放へ
 のニュースは、多くの日本人を怒らせました。

2010年 09月 24日 16:45 JST
 沖縄県の尖閣諸島(中国名・釣魚島)周辺で発生した日本の海上保安庁の巡視船と中国漁船の衝突事件で那覇地検は24日、公務執行妨害の疑いで逮捕、送検された中国人船長を処分保留で釈放すると発表した。
 同地検は、捜査継続した場合の国民への影響や、今後の日中関係などを考慮して釈放を決定したと説明した。



 尖閣諸島問題での、処分保留で釈放のニュースを聞いて、ぼくは子どものしつけにおける、下手なやり方が頭をよぎりました。

 三歳から四歳ぐらいのの子どもを「かんしゃく行動」を起こすことがあります。

 おもちゃ売り場などで、「あれを買ってほしい」と親に要求します。しかし親はお母さんはそれを認めてくれません。「前に買ったばかりでしょう」などと言って拒否します。

 それでも子どもは諦めません。そしてだんだんエスカレートします。

 大きな声で泣きます。それでもだめなら床に寝ころんで手足をバタバタさせて、大きな声でわめきます。

 そこで、しつけの良しあしが大きく分かれます。

 大きな声で泣いて、まわりに人たちは注視します。
 お母さんは恥ずかしくてたまりません。

 そこで「今度だけよ」と言って、子どもの要求をのんでしまいます。

 この「今度だけよ」というのがポイントです。

 こういうものは「今度だけ」ということになる筈が全くないのです。

 とにかくお母さんは、その場を収めたいということだけで、「今度だけよ」ということを言ってしまうのです。

 しかし、子どもは大きな声で泣きわめいたら自分の要求が通る、ということを学習してしまったのです。

 次に同じように欲しいものがあったら、大きな声で泣きわめけばいいんだ、ということがすっかり身についてしまいます。

 お母さんは、次はもう少し頑張って拒否するかもしれません。しかし、いったん身についた大きな声でわめくという、かんしゃく行動は簡単にはなおりません。

 前と同じくらいでだめなら、今度はもっと大きな声を出せばいいんだと思うでしょう。

 お母さんが折れるまでに大きな声を出し続けます。そして、またお母さんは折れてしまうのです。今度もお母さんの負けです。

 かんしゃく行動はどんどんどんどんエスカレートするだけです。そしていつもお母さんは負けてばかりです。子どもは我慢することを学ぶことができず、わがままな子に育っていきます。

 そういう場合に賢いやり方は、その場を静かに離れていくことです。下手な交渉を子どもとやるべきではありません。

 「泣くのなら、泣いておきなさい」ということで、お母さんはさっさと別の場所に移動すればいいのです。子どもは、お母さんがいないところで泣き喚いても意味がないことは分かっています。

 家の中でそういうかんしゃく行動が起こった時には、お母さんはトイレの中に入ってしまうか、または外出してしまえばいいのです。

 とにかくかんしゃく行動を起こした時には、それを認めて助長するようなことは決してやってはいけないのです。一度認めたら、それを学習してしまうのです。

 尖閣諸島の問題は、かんしゃく行動のしつけによく似ていると思います。

 中国側とてもとても強硬に出てきました。それに日本側は屈したのです。

 日本は「今度だけよ」と思っているかもしれません。

 今回は、それで収まるかもしれません。

 しかし、中国は日本という国は強硬に出れば屈してしまう、ということを、もうすでに学習してしまったのです。

 次回も似たような問題があれば、強硬姿勢を貫くでしょう。日本は弱腰だということを中国側思い込んでしまっているのです。

 それをどうやって再学習させるかです。強硬な姿勢に出ても絶対に引かないという強い態度しかないでしょう。


マーガレット・ミードの説も否定されている
 9月30日に、
オオカミに育てられた少女の話は作り話
 を書きました。

 オオカミ少女の話ほどではないのですが、心理学の世界ではマーガレット・ミードの説はとても有名です。

 僕は大学生の時心理学を学びました。

 その時にマーガレット・ミードの説に触れて、なるほどそうなのかと思いました。

 僕らは、男と女の性格の差が大きく存在することを知っています。

 男性と女性はかなり違いますね。

 それについて、ミードはそれは、生まれつきの性質ではなくて、社会的に身につけられたものなのだとは言っています。それを文化人類学的に調査によって行なったのです。

 ・ミードはチャンプリ族においては「男性と女性の態度が逆転しており、女性が優位であって感情的ではなく仕切る側であり、男性側が責任を欠き依存的である」とした。



 のです。ある社会では、男性らしさ、女性らしさが逆転しているということです。つまり、男らしさ、女らしさというのは、社会的に作られるということです。

 親や周りの大人たちが、男の子はこのようなことをしてはいけない、女の子はこのようにしなければいけない、などという期待をかけます。

 それを子どもたちは察知して、男の子らしさ、女の子らしさを身につけていくというのです。もっともな意見です。

 僕はそれをすっかり信じていました。

 さて、ぼくは学習塾をやる前は保育園をやっていました。

 そこでは、もちろん男の子と女の子を区別するようなことは全くしませんでした。親の態度を見ても、そのような区別をするような人はほとんどいませんでした。区別した子育てはしないように、ぼくは話していました。

 しかし、子供たちの遊びそして生活態度などを見ると、男の子と女の子は全く違うのです。

 男の子は元気に遊びまわります。一方女の子はままごとのように静かな遊びが好きです。紙飛行機が好きなのは圧倒的に男の子です。

 これは単に社会的に身につけたというよりも生まれつきにもっている性格なのではないだろうか、と保育園をやりながら思ったものです。とにかく違いが大きすぎます。

 もちろん個体差もあります。女の子で活発に動き回る子もいます。男の子で静かに遊ぶ子もいます。

 しかし全体的に平均をすると、完全に男の子と女の子の間には違いはあるのです。

 学習塾をするようになってからもその違いを痛切に感じています。

 国語や英語の得意なのは女の子です。男性との英語の苦手さんにはあきれてしまいます。しかし女の子は英語が苦手だといってもある程度はできるのです。

 一方、生徒の図形的な感覚のなさにはあきれてしまうこともあります。

 全体的な学力ではトップクラスの女の子でも、図形の問題は苦手です。図形の問題だけに関してだと、それほど学力の高くない男性よりも劣ることさえもあります。

 もちろんこれも個体差があります。語学の得意な男性といるし、図形問題の得意な女生徒もいます。平均的な問題です。

 さて、このように考えてみるとやはり男と女の性差というのは、生まれつきのものではないだろうかと思うのです。

 さて、マーガレットミートの、性差が逆転している部族があるという調査が正しくなかったという報告を知りました。

 これはマーガレットミードが作り話をしたというよりもどうも調査が不十分だったためのようです。

 いずれにしても性差が逆転している部族があるかどうかというのは疑わしいことだということです。

 これについては、ある意味ではオオカミ少女の作り話よりも罪は重いかもしれません。

 なぜならオオカミ少女の話はあってもなくても、人間はやはり社会の中で作られていくというのは疑いのないことです。

 しかしマーガレット・ミードの調査によって、男性と女性の性差というのは社会によってつくられるのか、または生まれつきのものなのかという、根本的な違いが出てくるからです。

マーガレット・ミードは完全に否定されている!

マーガレット・ミード

我慢させられる経験が我慢する力に
「家庭からの通信」でお便りをいただきました。

ゲームとテレビに依存性が強く、困っていました。学校の宿題の量も増えて2学期は苦戦しています。末っ子という特権を利用して甘えてきますが、心を鬼にして達成するまでゲームの許可を与えません。

 以前に比べ、学習意欲も出ているように思います。宿題の量が多いので、自分は勉強依存症と訴えています。

 学ぶ楽しさを知るのに、まだまだ時間がかかります。



(塾から)

「心を鬼にして達成するまでゲームの許可を与えません。」

 ご立派です。頑張って下さい。応援します。

 周りの人に「我慢させられる」という経験が、自分で「我慢をする」という力になっていきます。我慢させられなかった子供は我慢のできない大人になっていきます。

 子供を我慢させるということは、私たち大人が我慢することでもあります。
 僕も心を鬼にして指導していきたいと思います。


子どもころの小さなずれが大人になると大きなずれに
 一次関数のグラフの書き方に「2点法」というのがあります。

 直線というのは2点が決まればいいわけです。だから2点だけを決めて、直線を引けば一次関数のグラフが出来上がるのです。

 理論的に言えば、この2点というのはどのような2点でもかまいません。

 しかし、距離が短い場合には狂いがかなり生じるのです。距離が短い2点を定め直線を引くと、最初は少しの差であっても、端に行くとかなり大きくずれているのです。

 それで、できるだけ離れている2点を定めて直線を引くように指導しています。

 さて、人間の性格というのもこのようなものかなと思います。

 子どものときには少ししかずれていなくても、それがだんだん大きくなって大人になるころには大変なずれになっているということがあるように思います。

 塾の生徒に我慢のできない子がいます。少し面倒な計算をさせると、ぶつぶつと愚痴をこぼします。そして途中で投げ出してしまうのです。

 我慢する力というのは幼い時にできあがるのではないでしょうか。

 小さいころに小さな我慢をさせることで、だんだん大きな我慢ができるようになります。

 その小さながまんをさせなかったら、大きくなっても小さながまんさえもできなくなるのではないでしょうか。

 一次関数のずれのように、性格のずれも最初は小さいがだんだん大きくなるように感じます。

あえて叱る
 Tくんが習いに行きました。
 教えてやると、「Yojiさん、教え方うまい。Yojiさん天才」と言い、去り際に「照れてる」とからかうのです。

 僕は、すこしムッとしましたが、それに腹を立てては大人げないと思い、聞かないふりをしていました。

 ところが、それを何度も何度も繰り返すのです。

 それで考えました。

 それに腹を立ててしかるのは、確かに大人げないことかもしれません。

 しかし、そのような行動をTくんがするのを見過ごすというのは、その子のためにならないと考えたのです。

 大人をからかう行動をして楽しむということを他でもやっているのでしょう。そして今後もやっていくのでしょう。

 周りの人を不愉快にするというのを、一応教育者である僕が見過ごすわけにはいきません。

 それで先日またからかった時に、厳しく叱りつけてやりました。

 子どもたちのために「あえて叱る」というのも必要なことだと思います。

子育てには父の役目と母の役目が

昨日メールで教育相談質問がありました。それに対して次のような回答をしました。


メッセージありがとうございます。

 基本的なところに絞って僕の意見をかきます。

 母子家庭いでいらっしゃるとのこと。母子家庭でも立派に子どもを育てているお母さんが大勢います。頑張ってもらいたいです。

 しかし、子どもを育てるには、やはりお父さんとお母さんの両方が必要です。
 母子家庭の場合には、お母さんが、お父さんの役割とお母さんの役割を担わなければいけません。二役ですね。

 まず子どもにとって一番大切なことは、お母さんになることです。

 お母さんになるというのは、無条件に子どもを受け入れるということです。

 子どもの立場に立っていろいろ考えることのできるお母さんが理想です。子どもの味方になるのです。

 そのためには、まず何でもお母さんには話せるという気持ちを子どもに持たせるようにしなければいけません。

 子どもが何か話しはじめたら熱心によく聴くということです。カウンセリングの一番のポイントは、「話を聴く」です。話を聴くだけで問題が解決することが多いのです。

 聞きながら子どもの立場に立つということも大切です。いつも指導的な立場ではなく子どもがどう考え、どう感じているのか、それを本当にお母さんが自分の気持ちとして受け止める必要があります。

 次はお父さんの立場です。最近は権威のないお父さんが多くなってしまって心配なのですが、お父さんには権威が必要です。

 お母さんの気持で子どもをしっかり受け止める。しかし、子どもの言い分だけでそのままそれに従うだけではいけません。

 子どもをどう育てていこうか、どうのように導けばいいのか、それを考えながら子育てしなければいけません。

 そういう意味では厳しさが大切になります。

 その場合に気をつけなければいけないのは、子どもの力を見ながら、それが達成可能かどうかをきちんと見極めながら指導していかなければいけないということです。

 子どもは学校の授業にもやっとついていけるくらいなのに、有名大学をめざすとなると子どもはプレッシャーに負けてしまいます。

 子どもの力でできるだけのことをするということです。

 塾の仕事をしていて感じるのですが、子どもの力というのはそれぞれによってとても差があります。だからその子に応じた指導をして、そして目標をもつことが大切になります。


 最後に、よく言われていて蛇足になるかもしれませんが。兄弟で比べるというのは絶対にやってはいけないということです。

 「弟がこれだけできるのに、なぜあなたは」というのは禁句です。

 それぞれが自分自身と闘う必要があります。過去の自分を乗り越えればいいのです。他人との競争ではありません。

 そのことに関して、最近テレビで柳生一族の言葉に似たようなことがありました。近々ブログに書こうと思っています。。


 今回は一般的なことだけをかきました。何か細かいことでもご質問があればお気軽にメールください。

追伸
 子どもが嫌がらなければ、できるだけ早い時期から塾に通わせた方がいいと思います。

 早い時期からしっかりとした学力をつけていけば、勉強も楽しくできます。それがわかる喜びに通じ、さらに勉強しようとする気持ちにつながります。

 わからなければ、勉強は面白くなく、やろうと思いません。6年になると落ちこぼしているときところが多くなり、もう勉強するのが嫌になる可能性がかなりあります。


「いっちゃーおしめーよ」ポイントをカレンダーに
Oさんからメールをいただきました。ありがとうございます。次に紹介いたします。

セルフ塾 仲松さま

こんばんは 無事に届きました。
早々にありがとうございました。

第2章の(ここまで読みました)
ルーティンのところで長男が中学生に(今中2)なってからを振り返ってみました。

学校から帰ってから小学生のころは守れていたことも、だんだんと、ラジオやイラスト 卓球の練習など好きなことの時間を優先するようになり学習時間のスタートが、一定でなくなってきていました。

それでも学習の課題をこなしていましたのであまり声をかけずに、言うと反抗もされるのでそのままにしていたことに気が付きました。

みだれたところで、声をかけなければいけなっかたのですね。

朝の登校もだらだらし始めたのも気になっているところでした。

まずは、生活リズムの一定(あ~情けないです)の声がけからと私の方は「いっちゃーおしめーよ」ポイントをカレンダーに付け始めようと思います。

どうもありがとうございました。


 「親が変われば、子は変わる」といわれます。まさにそうだと思います。

 それも親が1だけ変われば、子どもは10も変わります。

 Oさんのように、自分が変わろうと一歩踏み出したことは、もう大きく変ったことになります。

 さて、NHKの「ためしてガッテン」で「計るだけダイエット」は効果がある、というのをやっていました。

 人間というのは、自分の行動を記録するだけで良い方向に変わるものです。このことは行動分析学でも言われています。

 「親は最悪の教師」の中で、「それを言っちゃおしまいよ集」について書きました。子育ての禁句集のことです。

 そして自分の行動を律するためにカレンダーに記録をすることも提案しました。

 それを書き込むだけで親の行動は変わるものです。そして、それに輪をかけて子どももいい方向に変わっていくものです。

 Oさんが、拙著「親は最悪の教師」を読まれることによって、最良の教師になってくれればうれしいです。

仲松庸次著「親は最悪の教師・・・最良の教師への道」を販売

自分の子どもの能力が劣ることを受け入れる
 ノーベル文学賞を受賞したパール・バックは知的障害児の母親でした。彼女は娘と歩んだ道を手記「母よ嘆くなかれ」に書いています。

 彼女は、自分の娘が知的障がいを持っていることをなかなか受け入れることができません。そして次々と病院を訪れます。どの病院の医者も「娘さんの障害は治ります」と告げます。

 しかし、ミネソタ州のメイヨー・クリニック病院で終止符が打たれます。

 ドイツ人の医師が強い口調で言います。

「奥さん、このお嬢さんは決して治りません。空頼みはおやめになることです。あなたが真実を受けいれるのが最善なのです。お嬢さんは決してよくならないのです。その負担に耐える準備をなさってください。この子どもさんは決してちゃんと話せるようにはならないでしょう。よくて4歳程度以上には成長しないと思います。奥さん、わたしはあなたのために本当のことを申しあげているのです。」

 その医者の言葉によって、パールは現実を受け入れるようになります。真実を告げられる親はつらいです。しかしまた、真実を告げる医者もつらいのです。だからあいまいなことを伝える医者が多いのです。

 さて、障がいではないにしても、理解力、記憶力の劣る子がいます。残念なことですが、人間の能力は平等ではありません。一を聞いて十を知る子がいる一方で、十を聞いてやっと一を知る子もいるのです。

自分の子の能力が低いことを受け入れられない場合は地獄のようなものです。いらいらし、「なぜあなたは成績が良くないの。努力が足りないからよ」と叱りつけます。子どもは子どもで、まだ頑張りが足りないのだと自分を責めます。

 確かにどの子も伸びます。しかし伸びる速度は子どもによって違うのです。そのことを親は理解しなければいけません。頑張ることは大切です。しかし同じように頑張っても、同じように伸びるとは限りません。子どもに期待することは大切です。しかし、その子の能力以上のことを期待すると、親はイライラするし、子どもは押しつぶされてしまいます。

 子どもの能力が劣るのは、誰のせいでもありません。親が悪いわけでも、子どもが悪いわけでもないのです。

 子どもの成績が悪い時に、それがその子の能力のせいなのか、それとも努力不足のせいなのか、冷静に見つめ、能力が劣るためならば、それをしっかりと受け入れることが必要なのです。

 そして教師も、それをしっかりと告げるべきなのです。それがつらいことであっても。

 今朝の琉球新報論壇に掲載されました。


不登校の子どもの指導、行動療法で。

不登校について相談メールをいただきました。それで、前に書いた文があるのでこれをここに掲載致します。


1996年11月6日、家庭内暴力のひどい息子を父親が金属バットで殺害するという事件が起りました。精神科医は暴力をあえて受忍するのも解決策の一つと父親をさとし、父親も子どもの暴力に耐えることが最善の治療と信じていたとのことです。事件後、精神科医への批判が集中しました。専門家にも間違いがあることをしめした事例です。

 不登校、登校拒否が、いろいろ問題になっています。新聞などマスコミは精神科医など専門家による「登校刺激を与えないように」、つまり「学校に行きたくなければいかなくてもいい」という指導をよく取り上げています。不登校の子を持つ親は専門家の言うことだからと、我慢して「学校に行きなさい」という言葉を飲み込んでいます。

 私には、カウンセラー、親、教師の「学校に行きたくなければいかなくてもいいよ」という物分かりの良さが、不登校の子どもを作り、不登校を長期化、慢性化させているように思われてなりません。

 本当に行きたくなければいかなくてもいいのでしょうか。そのうちに自発的に行くようになるのでしょうか。親、教師が学校は行かなくてもいいと認めてくれれば、子どもは気軽に休むようになるのではないでしょうか。欠席が1日や2日なら、学友のだれも不思議がることもなく、再登校を受け入れてくれます。しかし、休みが長期化すると学友も不思議に思います。休んだ子も、学校に行くと友だちも先生も、なぜ休んだのか聞くだろうなと考え、学校に行くことがより一層おっくうになります。そして休みが習慣化します。

 学校の授業もどんどん進み、難しくなります。授業についていけるか不安が増します。席替えも行われるので教室に行っても自分の席がどこかわからないかもしれません。休んでいる間に、クラスで新しい取り決めがなされていることもあります。

 みんながそのあいだに購入した教材をまだそろえていないかもしれません。休んでいる間にいろいろな面で取り残されてしまい、不登校上の壁が高くなっていきます。このように不登校が長期化すると再登校はだんだんと難しくなっていくのです。

 マスコミでは、登校刺激を与えない方がいいと主張する専門家がよく登場しますが、すべての専門家がそうではありません。学習心理学、行動理論を応用して、人間行動のいろいろな問題を解決しようとする行動療法という方法があります。不登校、登校拒否においても、どうすれば再登校できるかという観点からアプローチし、色々と成果を上げています。

 登校刺激を与えず、ただ待つだけでなく、どのようにしたら学校に行くようになるのか工夫をすることが大切です。不登校の子に関わる人たちがもっと行動療法に理解を示し、学んでもらいたいと思います。

1998年9月11日沖縄タイムスに掲載されたぼくの文です。


登校拒否 (2) (行動療法ケース研究 (9))



 行動療法では、「登校刺激を与えない」「学校に行きたくなければいかなくてもいい」「子どもが学校に行きたくなるまで待つ」という姿勢ではなく、

 どうすれば子どもが学校に行くようになるのかという立場から、いろいろ工夫しています。

 専門的な文章で読みづらいかもしれませんが、不登校の子どもに関わる方にぜひ読んでもらいたい本です。


目次・執筆●
 
登校拒否の理解のために=坂野雄二
登校拒否児の父母に対する行動カウンセリング=茨木俊夫
友人を恐がり外出しない小学生=小林正幸
シェイピング法による登校拒否の治療=安東末廣
ケースに学ぶ<小学生>=田畑治
自信の喪失と対人的不安による登校拒否=田上不二夫
中学生不登校の治療=小野昌彦+小林重雄
ケースに学ぶ<中学生>=高山巖
登校拒否症に対する充電治療の試み=曽我昌祺
友人関係に悩み不眠・不登校となった高校生=神村栄一
主張訓練を適用した短大生の不登校治療例=杉若弘子+松原秀樹
ケースに学ぶ<思春期>=松原秀樹
文献解題・登校拒否の行動療法=池田真紀+上里一郎


子育ては応用問題、基礎力をつけて対応
 「子どもは、みんなそれぞれ違うのだから、子育ての講演会なんかに行ってもしようがないのよ」

 知人が言いました。

 心理学の本には、平均的な子ども像が描かれています。しかし、そこに描かれている「子ども」と全く同じ子どもは絶対にいません。子どもはみんな違うのです。

 素直な子がいますが、わがままな子もいます。明るくおしゃべりな子がいる一方で、殻に閉じこもりがちな子がいます。活発な子、おとなしい子、ほんとうにいろいろな子がいます。だから知人の意見はもっともな感じがします。

 しかし、次はどうでしょうか。

「入学試験の問題はそれぞれ違うのだから、勉強したってしようがないんだよ」

 これはあきらかに間違っていますね。確かに入学試験の問題に同じものはありません。しかし、基礎的な学力をつけ、いろいろなパターンの問題をたくさん解いてこそ、初めて出合う問題が解けるのです。基礎的な力がなければ、入学試験の問題を解けるはずがありません。

 現代社会には、育児ノイローゼに悩むお母さん、子どもを虐待してしまうお母さんが多くなっています。それは、おばあさんからお母さん、お母さんから娘へと受け継がれた子育ての知恵が、断ち切られてしまったことも原因の一つだと考えられています。核家族化が進んだせいです。

 「こんなことをするのが子どもというものなんだよ」というおばあさんの一言が、お母さんをどんなに慰めてくれることでしょうか。子育て経験者にとってはなんということもないささいな問題に悩み、そして虐待してしまうお母さんが多いのです。

 どの子にも適用できる画一的な育児法というのはありません。子どもはみんな、それぞれ違うのですから、それぞれに適した、いろいろな育児法というのがあるのです。でも、それは、お母さんの勝手な思いつきでいいというものではありません。その子に適した、その子を伸ばす育児法があるはずです。それを考え出すには、育児についての基礎的な知識と柔軟な考えが必要なのです。

 子育ては、入学試験よりも複雑で難しいです。でも、試験は自分一人で解かなければいけませんが、子育てはみんなの力で対応できます。

 おばあさん、お母さん、そして友人の話を聞き、子育て講演会に行き、育児書を読み、子育ての基本を学びましょう。そのうえで自分の子どもを見つめ、まわりの人に相談し、試行錯誤を繰り返しながら、子育て応用問題を解いてもらいたいのです。


1月5日付琉球新報「論壇」に掲載されました。
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