セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

中国に行こう
 中国に旅行に行こう、という話が出ています。

 民商の仲間たちです。それも僕の所属している沖縄民商に限らず、那覇民商、北那覇民商の人たちもいます。

 その話しが出たのは、僕が作った山陰旅行のアルバムをがきっかけとのことです。

山陰の旅のアルバム
 おととしの2009年12月、民商の気のあう仲間と、山陰旅行をしました。

 アルバムは、写真をちりばめ、ボイスレコーダーでとった記録メモ、資料などを加えました。

 僕もなかなかいいのが出来たと思っています。

 それをコンビニでカラーコピーし、アルバムの冊子にして、一緒に行った人たちに、コピー代だけの値段で買ってもらったのです。

 そのアルバムはとても好評で、買った人たちがまわりの多くの人に見てもらったようです。

 それを見た人たちが、楽しそうだからということで、次の旅行には加えて欲しいと集まり、計画を始めました。

 そして、旅行積み立て模合を始めました。

 模合というのは、沖縄で盛んなのですが、定期的に集まって、お金を出し合う頼母子講です。

「模合」(もあい)
 ただ、僕はその模合に参加していません。

 僕は前の山陰旅行のときに、もあいの会計でもあり、旅行中の会計もしていました。

 僕は他人のお金を扱うのが好きではありません。ルーズでもあります。それで、また僕に会計をさせられるかも知れないと思って、参加を断ったのです。

 でも、もし行くなら僕も参加するし、アルバムも作っていいよ、ということは伝えてありました。

 そして旅行積立金がそれなりにたまったようです。

 さる7月30日(日)に旅行に行く具体的な話し合いをするので参加してほしいとの連絡があり、僕も参加しました。

 楽しく飲んだり食べたりしながらおしゃべりをしました。

 その中で、円高だから思い切って海外に行こうよ、という提案がK川さんから出ました。そして、いいろいろ意見が出た後で中国に行こうということになりました。

 それがまとまった段階で、座長のB瀬さんが、
「あとは仲松さんにお任せていいでしょうか」と言ったのです。

 どうも、僕が参加しないうちに僕は旅行のスペシャリストで、数多くの旅行をして、旅行の企画も上手だということになっているようです。

 日程の方は僕にあわすとのこと。
 僕は塾をやっているのでなかなか休みが取れない、中学生のテスト勉強代休くらいしか休めないということを伝えました。

 そういうことであっても、是非僕に参加してもらいたいとのことです。

 このように期待されていたら引き受けざるをえません。

 その場でもアルバムの話しが出ました。

 N地さんは、「あのアルバムはとてもよかった。妻に見せると、是非旅行に行きなさい、冥土の土産にできるよ」などと言われたそうです。

 かなりのプレッシャーではあります。山陰旅行では、勝手に作ったので自分の好きなように作りました。
 今度は、さらにいいのを作らなければいけません。

 このように話の流れで、あとは僕が中心になって中国旅行をまとめなければいけなくなっています。期待に応えて頑張らなければいけないだろうなあ。
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中国大使館にメール GPS機能付きのカメラ
 カメラを買いました。


 この春、イタリアに旅行し、フィレンツェで SDカードを買いました。

 すると、僕のカメラを見て、「このカメラは古いので、このSDカードが使えるかどうか」と店の人が言うのです。

 そんなに古いかなと思いました。

 これを買ったのが、2006年2月16日。5年前です。Yahoo!オークションで、落札価格落札価格が\39,300です。

 今回買ったのが\18,611。2倍以上もしたのですね。

 このカメラ、気に入っているので、新しいカメラを買ううことをそれほど考えていませんでした。しかし、古くてSDカードが使えるかどうかということになると考えようかなと思っていました。

 そして GPS機能付きのカメラが販売されていることも知り、ほしくなりました。

 旅行に行った時に、自分の足跡が写真にも付いていれば楽しい記録ができると思うからです。

 さて来月、民商の仲間と中国に旅行することになっています。

 それで、この機会にと思い買いました。

 ところが、中国ではGPSを使ったらいけないようなのです。

 カメラの説明書には、次のようにあります。

「中国では政府への申請なしに位置情報ログを収集することは違法になります。」



 それで、中国大使館に、次のようなメールを送りました。


 突然のメール、失礼いたします。

 十月に中国旅行を計画しています。それに合わせてカメラを購入しました。GPS機能つきのカメラです。

 その説明書を読むと
「中国では政府への申請なしに位置情報ログを収集することは違法になります」とあります。

 今回の、僕の中国旅行は、旅行会社のツアーで、観光が目的です。

 僕は、観光以外の目的で写真を撮るつもりは全くありません。その写真にGPSログが記録されれば、楽しい旅行の記録ができると思っています。

 それで、位置情報ログを記録することを許可していただきたいです。

 もし、観光以外にその情報を利用することがあれば、カメラを没収されても不服は申しません。

 よろしくお願いいたします。

 追伸

 さきほど位置情報ログについてお尋ねした仲松庸次です。

今回の旅行は北京と西安です。

 よろしくお願いします。


Mon, 29 Aug 2011

 メールを送ってからもう2週間になりますが、何の返事もありません。やはり駄目なのでしょうか。

気仙沼住吉地区産業祭りで、財布のひもを緩める
 「(ホテルの)フロントの近くに、気仙沼住吉地区産業まつりのポスターがあります。そこに行きませんか」
と嘉手川さんが言いました。

 僕は最初、今日もスケジュールが詰まっているし、予定外の行動はしたくないなと思いました。

 しかし、「ほかのみなさんがいいならいいですよ」と答えました。

 みんな積極的に行きたいといいます。それで行くことになりました。

 後でゆっくり考えてみると、とてもいいことだな、と思いました。

 今回は、被災地の実態を見て回ることが目的です。

 そして、できる範囲での復興のお手伝いです。
 僕らができることは、現地にお金を落とすことです。わずかではあるでしょうが、僕らが買い物をすることにより、東北にお金が落ち、それが回れば復興のお手伝いにもなるかと思っていたのです。

 だから、出発の前から今回は積極的にお土産を買おうと思っていたのです。

 ただ、どこかの商店街でお土産を買うつもりでいました。産業まつりのことは全く知りませんでした。

 でも、商店街で買うより、産業まつりの方がいろいろなものが集まるはずです。そこでお金を落とした方がかえっていいのではないかと思いはじめたのです。

 僕は、基本的に買い物をしない方です。普段は、見て回るだけで、財布のひもは固く締めています。

 でも、今回はできるだけ財布のひもを緩くしようとつとめました。

 それで、会場に来た時には積極的にお土産を探して歩きました。

 まず、塾の生徒たちへのお土産です。一人一人に分けられる、お菓子のようなものがいいです。

 それでまんじゅうを3種類買いました。
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 また、民商の仲間にワインを1本買いました。

 ほかのメンバーも、まな板やレトルトパックなど、かなり買っていました。

 気休めかもしれませんが、これが復興につながらないでしょうか。

 かなり買ったので、福引き券を何枚もいただきました。

 そして抽選。
 なんと、そのうち1枚で 3等賞のお米 5 kg が当たったのです。
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 旅先で5kgものをコメを持って歩くのは大変ですが、当たったのはうれしかったです。

 福引き券をくださったお菓子屋さんの女性に、3等賞が当たりましたと報告に行くと、自分のことのように喜んで下さいました。

「東北都市観光協議会」のホームページに、ぼくの写真
 「東北都市観光協議会」の公式ホームページに、今度の東北被災地めぐりでぼくが撮した写真が掲載されています。

 今回の東北の旅の日程は大学時代の先輩、松本礼二さんに立ててもらいました。

 その先輩は、東北都市観光協議会のホームページを管理していて、

 今回のアーでの被災地の様子を撮影した写真を管理している「東北都市観光協議会」のホームページに掲載させて欲しいとのメールをいただきました。

 それで昨日、送りました。

 早速、「東日本大震災被災600日後の三陸海岸被災地画像」として掲載してくれました。そのページの一番下の9枚が僕が写した写真です。


 次のページです。被災地だけの写真を並べると、復興はまだまだだなと感じます。

東北都市観光協議会公式ホームページ
2011.3.11東日本大震災・被災600日後の三陸海岸被災地画像]

東北3県被災地めぐりの旅 のアルバム
東北3県被災地めぐりの旅 のアルバムが一応できました。
 これから細かいところは手直ししますが。

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武蔵府中熊野神社古墳
東京都 府中市に行ったので 府中市 観光 を少ししました。

一番行きたかったのは、武蔵府中熊野神社古墳です。
駅前から、旧甲州街道を30分余り歩いてやっと到着。

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古墳の上が円、下が四角形の形をしています。「方」は「四角形」のことですね。それで、「上円下方墳」です。 かなり珍しいようです。

このあたりが 古墳時代にはそれなりの勢力があったということですね。
石で固められていました。 とても綺麗です。 周りをぐるっと回りました。

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発掘調査もまだすすめられているようです。
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以下は、Kotobankより

むさしふちゅうくまのじんじゃこふん【武蔵府中熊野神社古墳】

東京都府中市西府町にある7世紀中ごろから後半の上円下方墳。多摩川が形成する立川段丘崖から500mほど段丘内に入ったところに所在。2003年(平成15)から行われた内容確認のための発掘調査で、下部2段が方形、上部1段が円形の上円下方墳であることが明らかになった。内部主体は凝灰岩質砂岩を用いた切り石積みの横穴式石室で、石室は南からハの字に開く前庭部、羨道(せんどう)、胴張り気味の前室と後室、胴張りの玄室へとつながり、内側にせり出す門柱状の石材によって各々が区切られていた。石室からは銀象嵌鞘尻金具(ぎんぞうがんさやじりかなぐ)1点、ガラス小玉6点、刀子(とうす)3点、鉄釘約300点が出土した。この古墳は7世紀中ごろから後半にかけて築造された、武蔵における最大級の墳丘をもち、内部主体も大型の石室であるため、この時期の武蔵を代表する首長墓と位置づけることができる。当時の武蔵国の動向を知るうえでも貴重なことから、2005年(平成17)に国の史跡に指定された。JR南武線西府駅から徒歩約8分。





国指定文化財(史跡) 武蔵国府跡
府中で、もう1つ行って見たかったのが、「国指定文化財(史跡) 武蔵国府跡」。
府中駅のすぐ近くにありました。地図をみながら行ったので、まあまあ楽にさがすことができました。
国府は、「古代日本を構成する各国ごとに置かれた役所のことで、現在でいえば県庁」にあたります。

武蔵の国の県庁といったところですね。武蔵国(むさしのくに)は、現在の東京都、埼玉県および神奈川県 川崎市・横浜市にまたがる地域を占めた旧国名。

そこの中心が府中で、その役所跡が武蔵国府跡です。

いまは、写真のように柱が見えるだけです。でも、ここが武蔵国の中心だったんだ、と思いながら見ると、また格別です。

武蔵国府跡

大化の改新によって、武蔵国(現在の埼玉県・東京都・神奈川県の一部)がおかれ、その政治の中心地「国府」は現在の府中市に置かれました。国府の政務機関である、”国衙“(こくが)の跡が30年余りに及ぶ発掘調査の結果、大國魂神社の境内および、その東側一帯に存在していたことが確実となり、さらに、その中枢施設”国庁”とみられる大型建物跡が発見されました。 この建物跡は最重要施設として、史跡に指定されています。



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大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)
大國魂神社にも行きました。
府中の駅のすぐ近くにあります。

立派な神社です。

厄除け祈願は大國魂神社


大國魂大神[おおくにたまのおおかみ]を
武蔵の国の守り神としてお祀りした神社です。
この大神は、出雲の大国主神と御同神で、
大昔、武蔵の国を開かれて、人々に衣食住の道を教えられ、
又、医療法やまじないの術も授けられた神様で、
俗に福神、又は縁結び、
厄除け・厄払いの神として著名な神様です。





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駅前の本やで「府中Walker」を買ったのですが、そのランキング1位が「大國魂神社」です。

イタリア本場ナポリのピザ
 先月11月 23日から7日間、間南イタリアの旅行に行きました。

  先日、高校のクラスメイト末吉くんと会うと、このブログに旅行に行くと予告してあったので イタリア旅行記が読めると思ったら、スマートフォンなどの記事だけで、何にもおもしろくなかった、と言われました。

 それで、頑張って旅行にまつわることを書いてみようと思います。

 那覇から羽田、羽田からカタールのドーハ、そしてイタリア ローマの レオナルドダヴィンチ空港に到着。 そしてすぐに ナポリに向かいました。

  ナポリで 夕食です。

  ナポリは ピザの 本場だとのこと。期待しながら食事につきました。
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 ところがかなり不評なのです。
 「沖縄のヒラヤーチーみたい」
 「チーズが少ないのではないか」
 「具も少ない」などなど、散々です。

  僕もそう感じました。沖縄で食べるピザのほうがずっとおいしいです。

  イタリアのピザというのはそういうものかと思っていたら、バス移動時のトイレタイムなどで寄ったドライブインのショーケースにあるピザは 厚みもあり、具もいろいろ。種類も豊富で、とても美味しそうです。

  旅行会社はわざわざ美味しくないピザを僕らに食べさせたのでしょうか。

 そこで考えました。 本場のナポリのピザというのは 元々はで素朴なのではないだろうか。

 ネットで「ピザの歴史」で検索するとウィキペディアに次のようにありました。
 

ピザが現在の形に近くなったのは、16世紀にスペイン人がインカからトマトを持ち帰ってからである。18世紀にはスペイン領ナポリの貧しい住民がトマトとチーズをパンに乗せる具として使い始め、19世紀後半にイタリア王妃マルゲリータが気に入ってから一般にも広まった。



 ナポリの貧しい住民が始めたのです。素朴で当然ですね。

 最初はそのようなものだったというのを旅行会社は僕らに味わせたかったのではないでしょうか。

  その後 世界各地にピザが輸出され、そこでいろいろ発展してきたのでしょう。

 日本でも具がたっぷりのおいしいピザができたということです。

  だから今回は美味しくないピザであったにしろ、最初のピザを 味わった、歴史を味わったということで満足しなければいけないのかな。

ポンペイ、石膏で出来た人の形
 南イタリア旅行、ナポリのを後にしてポンペイに向かいました。

  ポンペイは火山灰で覆われた都市として有名なところですね。次の説明はウキペディアからです。

火山灰で覆われた ポンペイは、イタリア・ナポリ近郊にあった古代都市。79年のヴェスヴィオ火山噴火による火砕流によって地中に埋もれた


 さて、確かに色々なのが残っています。
 
 石畳の道路、それを横断する 飛び石、そして居酒屋、パン屋、公衆浴場、などなど。いろいろなものがきちんと残っています。

  ただヨーロッパは石の文化です。 火山灰で覆われなくても、このようなローマの遺跡はあちこちで見ることができます。微妙な差はあるでしょうが。

 でも 石膏でできた人や犬の形などが、ポンペイでは見られるのですが、他では絶対に見られないと思います。

 その石膏像がどのようにできたか、現地ガイド が説明してくれました。
  次の説明は wikipedia からですが、現地ガイドが説明したのと基本的に同じです。

発生した火砕流の速度は時速 100 km 以上であり市民は到底逃げることはできず、一瞬のうちに全員が生き埋めになった。後に発掘されたときには遺体部分だけが腐ってなくなり、火山灰の中に空洞ができていた。考古学者たちはここに石膏を流し込み、逃げまどうポンペイ市民が死んだときの形を再現した。


 凄いですね。
 ただ それよりも面白かったのは、同じツアーの団体の一人が説明していたことです。
  仲間の一人がよく理解できなかったようで、次のような説明をしていたのです。

 おまえが、 箱の中に入れられたとするよ。
 そこにセメントを流し込むんだ。いいっぱいに。
 すると おまえの周りは全てセメント。生き埋めだね。

 もちろん、 息ができないので死んでしまうだろう。

 そのような状態で2000年だったとするね。 セメントはもちろん固まっている。

 そして、その間に、おまえの死体は腐敗し、風化してなくなってしまう。するとそこのところは空洞になるだろうな。

 そのセメントの塊を 掘り出した人が、その空洞に石膏を流し込む。

  そして石膏が固まってあとにセメントを割るんだ。すると おまえの綺麗な石膏像が出てくるというわけだ。


 どうでしょうか。 わかりやすいのですが、リアルすぎて恐ろしいです。

 ポンペイの石膏像は、セメントではなく火山灰だったというのがちがうだけです。火山灰に覆われたのでなければこのような石膏像はできないでしょう。だから、他で見ることはできないでしょうね。

女性の石膏像
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犬の石膏像
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子どもの石膏像
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 税金対策だったアルベロベッロのとんがり屋根
  ポンペイを後にしてアルベロベッロに向かいました。

 ガイドブックなどには
 おとぎの国を思わせるような とんがり屋根の とあります。

  その通りで そのままおとぎの国にでも入っているような感じがします。

 さてトゥルッロと呼ばれるそのとんがり屋根。
  モルタルを使わず平たい石を積み重ねただけです。
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  それは税金対策だったと言われています。

 次はウキペディアからの引用です。

当地のトゥルッリについては以下のような話が伝わる。
 伯爵は家屋の建築にあたってモルタルを使わない方法のみを認めたため、市街地にはトゥルッロが広がった。伯爵がこのような建築を義務化した理由としては、ナポリ王国のスペイン人総督(ナポリ王は1700年までスペイン・ハプスブルク家が王位を継承し、ナポリに総督が派遣されていた)に納める税を逃れる意味合いがあった。1700年まで効力があった Pragmatica de Baronibus によれば、新たな町の建設には王の認可が必要で、領主は王宮に税を納めなければならなかった。このため、取り壊しをしやすいような家屋を建てさせ、王の監督官が視察に来る際に領民に命じて取り壊させていた、というのである(実際、1644年のナポリ王国の徴税官の報告に、徴税を妨害するための家屋解体が行われたと記載されている[4])。


  要するに屋根がある家には税金がかかったのでしょうね。 それで、役人が街にやってくるという情報が流れると、それを街の人に知らせて、屋根を取り壊させた。

  するともう屋根のある家ではないのですから税金を支払わなくても済むということでしょう。

 それを聞いて思い出すのが、沖縄のある離島です。

 今では大きな橋ができて、その橋を渡って観光客が大勢やってきます。

 しかし、以前は船で 島までは渡らないければいけなかったのです。

 僕の兄嫁はその島の出身なので、度々渡りました。

 するとナンバープレートのついていない車があちこちにあり 、そして、走り回っているのです。 ほとんどがついていません。

 なぜなのか聞いてみると、車検などを受けなくても済むからとのこと。

  それで 船で警官や役人がやって来る時には、島の拡声器で島中に「警官がやってくるぞ」と知らせるのです。

 するとその車を隠したりするということだったと思います。

  これも一つの税金対策でしょうね。

  今では 橋ができたので、そういうことも全くないでしょう。

 税金対策といえば、今年はパナマ文書が問題になりました。これは大金持ちによる税金対策です。

  最近、日本でも格差が広がっています。
 お金持ちはさらに大金持ちになっています。

 ぼくは、累進課税と消費税が原因のひとつだと思っています。

 累進課税が緩やかになったためお金持ちの税金が安くなり、また、消費税によって、どんなに貧しい人でも税金を払うようになっています。

 それが、格差を広げていることは確かです。

 大金持ちは、貧しい人たちにもっと優しくしてもいいのではないでしょうか。

 政治を変えることで格差社会は解消されるはずです。


アルベロベッロの白いチーズは豆腐のようなものかな
 アルベロベッロの話題をもう一つ。

  アルベロベッドへ向かう バスの中で、添乗員がアルベロベッロのチーズ ことを話しました。

 アルベロベッロには美味しいチーズがある。
1日に作る個数は限られていて、 売り切れ御免だ。
賞味期限がとても短く、日本に持って帰ることはできない。だからアルベロベッドで食べるしか ない。
ジャンボツアーズの社長はそのチーズが大好きだ。

  それを聞いた仲嶺さんはみんなに
  「ぜひ、その白いチーズを食べようね。ここでしか食べられないのだから」
  と言い、 強い期待感を表していました。

 アルベロベッロにつくと、それを作って売っている店を現地ガイドに教えてもらったのですが、まだ開店前です。

  僕らは近くのお土産品店に寄ったり、 とんがり屋根の 建物を見たりしながら、ぶらぶらと 歩きました。

  そして 集合時間の少し前に店に行ってみると、仲嶺さんが立っています。
  そして「チーズは売り切れたよ。でもあなたたちのものは残しておいたよ」
  と チーズのかけらを差し出してくれました。

 そして「美味しかったよ」と言うのですが、 表情はどこか曇っています。
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  これはと思いながらチーズを口に入れました。案の定です。淡白すぎます。 味も感じられません。 これは僕にとっては美味しいものではないですね。

  仲嶺さんもこれはうまく ないよと不服そうに言いました 。
 期待が大きかっただけに仲嶺さんの落胆は 大きかったようです。

ナポリのピザに続いて、アルベロベッロでもチーズに裏切られた気持ちです。

 さてこれをどう考えればいいか。

 日本の豆腐のようなものかもしれませんね。

  味が豆腐と似ているということではありません。 食感が全く違います。 味も 似ても似つかません。ただ淡白だという点で共通しています。

 今でこそ日本の豆腐は全世界的になりました。 tofuは 英語として使われています。

 でも最初の頃はどうだったのでしょうか。
  外国人が豆腐を食べた時に美味しいとは思わなかったのではないか。

 淡白すぎて 蜂蜜をかけて食べたという話を聞いたことがあります。

  僕らにしても少し醤油をかけたり 、なべのなかで 味を付けたりしてよく食べます。
  でも、豆腐をそのまま食べても、そのおいしさは分かりますね。
それは長年食べ続けてきたからかもしれません。

 この白いチーズも 長年食べ続ければ その美味しさもわかってくるのかもしれません。

イタリア、マテーラの洞窟住居サッシは沖縄のガマ
 アルベロベッドを後にしてマテーラに向かいました。

 そこには洞窟住居サッシがあります。

  遠くから見ると 全体的に白く、 崖にはりつくようにあちこちに家があります。素晴らしい眺めです。
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 次は wikipedia からの抜粋です。

マテーラの洞窟住居(サッシ)
サッシ(石・岩を意味するサッソの複数形)は、マテーラにおいて洞窟住居を意味する。マテーラのあるグラヴィナ渓谷は石灰岩の侵食により形成され、渓谷にはこのサッシが何層にも重なって存在している。



 そのひとつに入りました。キッチン、ベッド、テーブル、タンスなどもあります。馬などの家畜も室内で飼っていたようです。
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 単なる洞窟ではなく、まさに一軒の家です。

 石灰岩は雨水に溶けやすいので 洞窟ができるのです。
 その自然にできた洞窟にいろいろ手を加えて、人が住みやすい住居にしたのでしょう。

 さて、そう考えると、それは沖縄のガマと同じではないか。

  沖縄もマテーラと同じ石灰岩でできた島です。
 それであちこちに 大きな洞窟があります。

  太平洋戦争、沖縄戦では、それを 防空壕としてとして使われたそうです。

  有名なひめゆりの塔の洞窟、 豊見城村にある旧海軍司令部壕、そして、ぼくが住んでいる読谷村には集団自決をしたところとして知られるチビチリガマもあります。

 旧海軍司令部壕はとても長く、すごい施設です。

 それらのガマ(洞窟)も 自然にできた穴に手を加えて、人が 住みやすいように したものですね。

 そういう意味では マテーラの洞窟住居とよく似ていると思います。

 そう考えると、沖縄のガマ群も世界遺産になるかもしれない。

イタリア人カップルから写真を依頼される
 イタリア、マテーラの洞窟住居観光を終わり、バスに向かって坂道を登っている時です。
 下の方からかけてくる足音がして、イタリア人カップル(?)が僕を抜き去り、前を歩いている上地さんに 話しかけています。

 どうも一緒に写真を撮ってもらいたいと頼んでいるようです。

  上地さんは 一人では恥ずかしいようで、僕に一緒に入れと誘います。
  イタリア人カップルも僕を招くので、それに入りました。

  僕は自分のカメラをグループの一人に手渡し撮ってもらったのがこの写真です。
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  髭を蓄えた日本人が珍しかったのでしょうか。まあ 日本人というのも知っていたのかどうか。

 そういえば、上地さんは中国旅行をしたとき、兵馬俑の前でドイツ人に被写体にされていました。

 ぼくは、イランを旅行したときには、何度もいっしょに写真を撮らせてくれと頼まれました。イランでは人気者だったのです

 イランといえば何か怖い感じがしますが、親日家がとても多いそうで、確かにそのような感じをしました 。

映画「ローマの休日」は、イタリア・ローマのジェラードのコマーシャル
 マテーラを後にして、長時間バスに揺られてローマに入りました。その日はホテルに泊まり、翌日はローマ観光、最後の観光地です。

 有名なトレビの泉にも行きました。

 トレビの泉に到着する前に、添乗員が人気のジェラートのお店を紹介してくれました。トレビの泉のすぐ横にあります。

 ジェラートというのはアイスクリームに似たようなものですね。味音痴の僕にはジェラートとアイスクリームの違いはよく分かりません。

 さて僕も仲間と一緒にその店に入り、ジェラートを買い、食べました。すごい混雑です。美味しかったです。

 ビールやワインしか似合わないおじさん達もジェラートをほおばっています。
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 それを見て、思い浮かべるのは、オードリーヘップバーン主演の映画「ローマの休日」です。

 あの映画のヘップバーンは、可愛いと言うか、きれいだと言うか、本当にいいですね。惚れ惚れします。

 そのオードリーヘップバーンがスペイン広場にある階段でジェラートを食べるシーンは、名場面の一つです。
スペイン広場

 ローマに向かうバスの中では、「ローマの休日」のビデオが流されていて、みんな見ていました。

 僕はその時ひどいバス酔いで、バスの一番後ろで3つの座席を独り占めし横になり、ずっと寝ていました。それでビデオは見ていません。

 それでも前に映画を見ているのでジェラートを食べるヘップバーンの姿は目に浮かびます。

 あの場面があるから、おじさんたちまでもが、ローマに行ったらジェラートを食べなければと思うのではないでしょうか。
 
 そういうことを考えれば、 「ローマの休日」はローマのジェラートのコマーシャルとして十分に働いていると思います。

 ヘップバーンは、ジェラートの店からCM料をもらっていたかな。

なぜ、日本では洞窟住居が発達しなかったのか
 高校時代のクラスメイト末吉君からメールをいただきました。ありがとうございます。

イタリアの坂道での写真には笑いましたね。外人さんには、どこか東洋の国の仙人二人という風にうつったんでしょうか?

前回の洞窟住居のエピソードに一言。トルコのカッパドキアもそうですが、外国には洞窟住居がありますね。言われるのは夏は涼しく、冬は暖かいと言いますね。

中国のある地方にもあることが、テレビでやっていました。この洞窟住居というのが、日本では聞かないのは、ひとえに日本が「木の国」であり、木が豊富に求められることから来ているのでしょうか。次号を楽しみにしています。



 僕のブログを読んでくれているようで、嬉しいです。

 さて、日本ではなぜ洞窟住居が発達しなかったのか。
 僕なりの勝手な仮説を書きます。裏付けはあまりないので、そのつもりで読んで下さい。

 確かに日本では洞窟住居はほとんど聞きません。

 それでも、原始時代には洞穴に住んでいたのですね。

 それから竪穴式住居になります。

 この竪穴式住居というのは、半地下住宅です。地上の住宅よりも、夏は涼しく、冬は暖かいそうです。

 でも、その後ではそれもなくなり、普通の現在のように地上に家を建てるようになっています。

 末吉君も書いているように洞窟住居は、夏涼しく、冬は暖かいそうです。

 それなら理想的な住居ではないでしょうか。
 なぜ日本では発達しなかったのか。

 しかし、考えれば日本だけではありません。
 洞窟住居があるのは世界でも限られたところだけです。

 それは湿度の関係ではないでしょうか。洞窟住居は湿度が高いと言われています。これは僕のかって意見ではありません。いろんなところに書かれています。

 湿度が高いと菌類、細菌類などが発生し、食べ物などがすぐに腐ってしまいます。

 気温の点では、夏涼しく冬は暖かいというプラスの面がありますが、湿度が高いというマイナス面があります。

  カッパドキアや中国の竪穴住宅がある所は内陸部です。乾燥地帯なのだと思います。

 イタリアのマテーラはそれに比べると海に近いのですが、やはり乾燥しているのではないでしょうか。

 そういうところでは、まだ湿度は気にならないのかもしれません。

 しかし、日本は周りが海に囲まれて、ただでさえ湿度が高い気候です。
 そこでは湿度は嫌われます。

 地上よりさらに湿度が高い洞窟住居は嫌われたのではないでしょうか。

 だから、洞窟住居というのは発達しなかったのではないか。僕はそう考えています。どうでしょうか。

ローマのコロッセオの壁にある穴は
 ローマ観光で見逃せないのはコロッセオ、巨大な円形闘技場です。その巨大さに圧倒されます。よくぞ、こんな大きなものを作ったものです。
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 さて、その壁を見るとあちこちに穴が空いています。
 大砲や鉄砲の弾が当たったような感じ。

 でもその穴は、規則的に並んでいる感じがします。
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 現地ガイドの説明によると、
それは戦時中に大砲や鉄砲のに使うため、コロッセオに取り付けられていた金属を取り出した時に残った穴とのこと。

 日本の戦時中を描いたドラマのなどでは、戦争に使うために、家庭から金属類が供出されるように強いられるシーンがあります。

「家庭鉱」と言っていたようです。家庭が鉱山とみなされていたのでしょう。

 また学校に設置されていた二宮金次郎の銅像やお寺の鐘が戦争のために使われたりしたとも聞いたことがあります。

 イタリアでも日本と同じようなことが起こったのです。

 戦争で使われる大砲や鉄砲は、相手の国の文化財を壊すだけではなく、自国の文化財も破壊しているのです。


ローマ教皇と ビッグバン、進化論
  ローマ観光では、最初にバチカン市国に入りました。
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バチカン市国の国土面積は世界最小。そのことは、中学地理の教科書にも載っています。

 世界最小といっても、ちゃんとした一つの国です。
 僕らは中継地としてカタールのドーハにも寄りました。だから今回の旅行では3つの国を訪ねたことになります。

 バチカン市国はカトリック教会の中心地で、いわば総本山です。
ましt
 キリスト教といえば、神が世界を創造し、そして人間を含む動物、植物を作ったと教えています。だから科学の立場といろいろ対立してきました。

 ガリレオが地動説を唱えたことも咎めました。ガリレオが裁判の後に、「それでも地球は動く」と言ったのは有名です。

それに対して
1983年に教皇ヨハネ・パウロ2世は公式にガリレオ・ガリレイに謝罪しました。

 旧約聖書にある立場からすると ビッグバンや進化論とも対立します。
 それでも次のページには

http://blog.livedoor.jp/drazuli/archives/7613322.html

 宇宙が誕生したビッグバンも進化論も、神の教えと矛盾しない――。ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は28日、天地創造に関する科学の理論を肯定した。

 世界の高名な科学者が集うバチカン科学アカデミーでの会合で語った。法王は「世界の始まりは混乱の産物ではない。創造主の手がビッグバンを必要とした」「神は、自然の法則に従って進化するよう生物を造られた」などと述べた。


 とあります。

 僕に言わせれば、もう神の存在する余地はないのですが、そのような形ででも神を残さなければ自分たちの立場がなくなってしまうのでしょう。

 それでもまだ賢い方だと思います。アメリカのある州では進化論を教えることができないとのこと。
 愚かなことです。

偏西風で、飛行時間がこんなに変わる
 南イタリア旅行に行ってきました。

 以下は、旅行社からいただいた旅程表による発着時刻です。

 11月23日、
23時50分に東京羽田空港発(カタール航空813便)
6時 00分 ド一ハ空港(カタール)到着

 単純に考えたら、6時間10分。

 でも、日本とドーハとの時差は、6時間です。

 だから、12時間10分

 8時35分、ド-ハ発(力タ-ル航空131便)
 12時40分、イタリアの首都ローマ到着。

 4時間5分ですが、
ドーハとローマとの時差は、2時間なので、

 6時間5分

 東京からドーハが12時間10分、ドーハからローマが6時間5分で、
 合計18時間15分です。

 いっしょに行った仲間は、大変だったと言っています。

 その中で一番若い仲嶺さんは、今回の旅に満足して、次回はエジプトに行こうと言っていますが、他のおじさんたちは、飛行機に18時間も乗るのは大変だ、もっと近場にしようと言っています。

 さて、帰りです。

 16時30分、ローマ発(カタール航空 132便)
 23時45分、ドーハ空港到着。
 7時間15分ですが、時差2時間をひくと5時間15分。

 2時59分、ドーハ空港発(カタール航空806便)
 19時00分成田空港到着
 16時間1分。
 時差は6時間なので、10時間1分です。

5時間15分+10時間1分=15時間16分

 行きは、18時間15分
 帰りは、15時間16分 です。

 3時間もちがうのですね。

 それは偏西風によるものです。西から東に年中風が吹いているのです。

 偏西風によって、飛行時間に差が出るのは知ってはいましたが、今回計算してみて、こんなにちがうのかとびっくりしました。

南イタリア旅行、全旅費は15万円足らず
 南イタリアに行ってきました。
 それにかかった全旅費は15万円足らずでした。

 こんなに安くできたのは、驚異的です。

  10月1日・2日の2日間、『沖縄旅フェスタ』を宜野湾市の沖縄コンベンションセンターにて開催されました。

 それに先立ち、新聞にジャンボツアーズの公告が出て、南イタリア旅行がなんと9万9800円。

 以前から旅行をしようという仲間がいて、その話をすると、すぐにまとまり、10月1日に行き、予約しました。

 安いからでしょう。会場前から長い列ができていました。

 旅行代金がとても安かったので、自由時間が多く、食事もついていないのではないかと思いました。

 でも、最終のローマ観光だけがオプショナルで、他の日は現地ガイドにより観光案内もあり、食事もついていました。

 沖縄、東京の航空運賃、東京の宿泊代金もこみです。

 でも、もちろん、9万9800円ですべてではありません。

 前もって
 旅行会社には、燃油チャージなど:9650円
AIU海外旅行保険:7220円
 を払いました。

 それから、最終日のローマ観光はオプションだったので
 それに3600円 。通常は8000円だとか。それも特別価格です。

 また、成田、羽田間のバス代で、3200円。

 旅行社に支払ったお金の合計は、12万3470円でした。

 その他、個人的に使う、小遣いなどです。ぼくは、お土産もチョコレートや干フルーツなど、少しだけ。

 それで、
 飲み物代、枕銭、お土産代など、3万円足らず
 (成田の居酒屋、6000円+タクシー代3000円を含む。これが大きかった)

 家を出る前に、所持していた日本円とユーロは記録していたので、差を出しました。それによると、

使用した金額は日本円で2万2113円
ユーロで43ユーロ 16セント=5209円
日本円に直しての合計は2万7322円

 ただ、東京ではカードで支払ったのが少しはあります。でも、大きな差はないでしょう。

 だから、今回の旅費はおよそ15万円です。とても安くあがりました。

ワンビケーン、ママックヮ アチケーシ(私だけ、継子扱いして)
 夕食の時話したら、妻と母に受けたので、ここにも書きます。

 南イタリア旅行をしました。7人のグループで、ツアーに乗っかったのです。

 飛行機の座席は3人掛けですね。
 ツアー会社の添乗員が、機械的に座席を決めたので、仲地さん一人だけは離れた席になりました。いつも1人だけです。

 さて、帰りのローマからドーハへ向かう飛行機でのことです。このときも仲地さんは離れたとろこに一人だけ。

 彼が、仲嶺さん、比嘉くんの座っているところにきました。そして、

 「大柄の黒人女性にいじめられてる」と言うのです。

 よく聞くと次の通りです。

 3人がけの座席にぼく(仲地)と黒人女性が両端に座って、最初は間の席が空いていた。

 しかし、しばらくすると、その女性が僕の隣の席に移ってきて、体をすり寄せるんだ。よその人が見ると夫婦か恋人のように見えただろうよ。

 そして、英語で何か話してきた。

 僕は気持ち悪くなり、何も答えずにいた。それでトイレに行くふりをしてここにきたんだ。

 パスポートやお金などの貴重品をねらっているかもしれない。だからパスポートと財布を預かっていてくれ。

 そして、できたら席を代わってくれないか。


 でも、仲嶺さんも比嘉くんも怖がって、席は替わってあげませんでした。

 仕方ないので仲地さんは席に戻ったのですが、飛行時間中、一睡もできませんでした。
 その女性も眠る気配が全くなかったのです。

 ドーハで飛行機を降りた仲地さんは、僕に言いいました。

 

大変な目にあった。僕だけ一人別の離れた席にして、
 ワンビケーン、ママックヮアチケーシ(私だけ、継子扱いして)


  ぼくらは、さらに、ドーハから東京まで飛行機に乗ります。それを聞いたぼくは、仲地さんと席を交替しましたが、隣はその女性ではありませんでした。

チップや枕銭には払った方が良い
 少し前のことになりますが、思い出したので書きます。

 去年の11月下旬に南イタリアを旅行しました。

 ナポリのホテルで添乗員が言いました。
 「ここの枕銭は1ユーロです」

 それに対して、僕らのグループの一人Uさんが
「俺は払わないよ」と言います。

 それに対し、僕はこう言いました。

 「枕銭は払った方がいいと思うよ。
 ここで部屋を掃除したり、ベッドメイキングをしたりする人は、枕ゼニがあるからということで、低賃金になっているんだ。

 枕銭をもらってやっと人並みの給料。
 枕ゼニをがなければ生活に困るようになるだろう」

 それで思い出した事をもついでに付け加えました。

 ある空港でトイレに入った。
 すると、そこにモップで掃除をしている人がいて、ぼくがトイレを出る時に手をさしのべてチップを要求してきた。

 僕は無料のトイレだろう、ということで無視して出てきた。

 その話をすると、妻が
 ここの人たちは賃金なしで働いているんではないかな。チップは自分のものにしてもいいという条件で、トイレの掃除をさせてもらって生活をしているんだと思うよ

 それの真偽はわからないですのですが、それもあり得るでしょうね。

 ぼくは、悪いことをしたなと思いました。

 そのような話をすると
 Uさんは、「そんな制度はおかしいだろう」と言います。

 まぁ確かにそうです。僕も日本のように、チップや枕銭は宿泊料金の中に入れて、労働者にはそれなりの給料を払ったほうがいいとは思います。

 でもそういう文化なのですから仕方ないです。

 Uさんも、渋々
「それなら払うよ」と言っていました。

ベトナム ハノイに来ています
ベトナムハノイに来ています。
弟が琉球ガラスに勤めていて、沖縄とベトナムを行き来していました。それが定年退職になり、ベトナムを引き払うとのこと。

 Kyokoが引っ越しを手伝って来たらと言うので ベトナム行きが決定しました。

  ベトナムは僕にとってはよその国とは違います。ベトナム戦争です。

 ベトナム戦争は僕が3祭の時に始まり、そして大学生のときに終わりました。

 高校生の頃沖縄復帰運動が盛んで、僕もデモ行進は参加しました。

 そこでよく歌われたのが「一坪たりとも渡すまい」

 その歌に

黒い殺人機が今日も
ベトナムの友を撃ちに行く
世界を結ぶこの空を
再び戦(いくさ)で汚すまい



というのがあります。「沖縄を返せ」といっしょに何度も歌ったので覚えています。

沖縄の嘉手納基地から B52が飛び立ってベトナムの攻撃をしたのです。強烈な印象があります。

 一度は訪ねてみたいと思っていた国。

  特にそういうベトナム戦争を訪ねての旅をする予定ではないのですが、なんとなくそれを思いました。

きようは移動だげです。

ベトナムで道を横断する


ベトナム、ハノイに来ています。

みなさんご存知のようにベトナムは経済的に発展し、オートバイがすごく多いところです。

そこで道を横断するのがたいへんです。
横断歩道はあってもなきがごとし。

日本では横断するときには渡る動作をし、運転手を見て渡るよと目で伝えると止まってくれるのを待ちますね。

ここではそれは通用しません。

どうするか。
運転手の方は見ないで、前を向き、ひたすら前にすすむのです。すると、運転手の方が避けてくれたり、ちょっとブレーキを踏んだリしてくれます。

それで事故に合うこともなく、渡ることがてきるのです。

横断歩道がないところでもまったく同じです。前を向いてひたすら歩くのです。

 何年もベトナムに住んでいる弟は、特に横断歩道を探す様子もなく、道を横切ります。

 ぼくは弟の背中を見ながら、置いていかれないように必死に歩いています。
 

赤信号でもつっこんでくるベトナムのバイク

ベトナムに来ています。
ここのバイクの運転ルールを守らないのはすごいです。最初はびっくり、 そしてそれを通りすぎておかしくて。楽しくなります。

自分にまだ被害がないからかな。

ヘルメットをかぶらないのは当たり前。
ベトナムに何年も住んでいる弟に尋ねるとヘルメット着用は義務とのこと。
 
それから3人乗りは数え切れないほど、そして4人乗りをしている のも何度も見ました。

後部座席で横座りも普通に見られます。 一度は横座りをしていて警察官に捕まるのを 目撃しました。

そして逆走をするバイクも頻繁に見ました。 僕らもちょっとここを逆走すれば楽だけど と思うところをそうせずに遠回りすることがありますね。

ここでは遠回りすることはないのです。 近ければすぐに逆走という感じ。

たいていは道の端を逆走しますが真ん中を走るのも目撃。

さて 極め付きは信号無視です。

かなり大きな通りで。
最初はびっくりして見ていました。 確かめるため、15分から20分ほどゆっくり立ち止まって見ていました。

すると赤信号でも交差点にそのまま突っ込んでくるのです。

沖縄にも信号無視をするバイクはいますがそれは例外 。ここではすべてのバイクがです。女性のライダーも。例外ではないのです。

反対側の青信号の車ももちろんそのまま進行します。

そこを お互いにぶつからないようにうまく避けているのですね。

これでよくぶつからないものだと感心してみていました。

マスゲームでお互いに90度交差するのですがスムーズに通り抜けるのがありますね。あれに似た感じ。

さて次の日 ここは信号を守ってちゃんと止まっているね、と弟に話すと、ここは警察官が見張っているからだとのこと。

そういえば交差点に警察官が立っています。何をするわけでもないのですがやはり見張られていると 信号を守るのですね。

郊外には 警察官がいないので信号を守らないが、市内は交差点に 警察官が立っていることが多いので信号が守られるのだそうです。

ベトナムにとっての沖縄

ベトナムハノイにいます。
今日は 1010年から1804年の間都が置かれた世界遺産タンロン遺跡(ハノイ城跡)に行きました。

 地球の歩き方に次の一節があります

  ドアン門のすぐ裏の建物の西側にも地下室があり、こちらも公開されている。
  壁に貼られた手書きの地図にはアメリカ軍の基地があった日本の沖縄もマーキングされており、ベトナム戦争時の日本とベトナムの微妙な関係も見て取れる 。

 沖縄に住む僕らにとってもベトナムは大きな存在でしたが、ベトナムから見ても沖縄は大きな存在だったのですね

 と言うことでその地図も探しました。
 そして見つかりました。次の写真

ベトナム人にとって沖縄はどうだったのか気になります。

 長年ベトナムに住んでいる弟に尋ねてみました。

 ベトナム戦争で 日本はアメリカの協力者だった。だから 日本のことをベトナム人は 恨んでいたりするのではないか。特に沖縄の米軍基地からB52が飛び立ち直接ベトナムに行き爆撃した。

 すると彼は言いました。

 若い者は知らないが、年配の人は沖縄のことをよく知っている。
 沖縄はベトナム戦争に反対し、 アメリカ軍基地撤去も要求していた。
 沖縄はアメリカの植民地のような扱いを受け、それに立ち向かっていた。

そして今でもアメリカ軍基地に反対している。

  ベトナムの人達は沖縄のことを良いように見ていてくれてるのですね。

  アメリカ軍基地撤去運動にも、辺野古基地反対にも頑張らなければと思います。

  さて今日は セルフ子のHさんに 会い、いっしょに食事しました。

彼女はベトナムハノイに住んでいるのです。 facebook で知っていました

久しぶりに会って楽しいひと時を過ごしました 。 

 さて、彼女がベトナムに行く ということになった時 、おじいさんが
 なぜあんなところに行くのだ 。ベトナム人は日本人を憎んでいるはずだ。ひどい目にあうよと

おじいさんは米軍基地に勤めていたので アメリカ軍人が ベトナム戦争でどのようなめにあったかもよく知っていたとのこと。

 そのような心配もするのは、ぼくだけではないのですね。

しかし、Hさんはベトナム人はとても親日だと強調していました。

ベトナム人女性は大食い
ベトナムの女性はスマートですね。確かにそうです。

今僕はベトナムにいます。ベトナムにいた弟が定年退職になり引き上げるのでその手伝いをしなさいと妻に言われたので来ています。

 でも 手伝いはしないでただ観光だけ。

 さて弟の 職場の女性達が送別会をしたいと言うので 夕食を共にしました。20年前の 創業当時から勤めていたという4人の女性です。アラフォーです。
 
 スリムと言うほどではないのですが、中肉と言う感じ。若いころはスリムだったのでしょう。

相撲バーベキューというレストラン。 相撲と言うので和食かと思いきや、韓国の焼肉料理です。

その食べ放題のコースを注文したようです。 僕も弟もそれなりに食べます。 

 最初はみんなと同じようなペースで食べていました。でもある程度くるとも満腹で入りません。ギブアップです。

でも彼女たちは どんどん食べていくのです。 これでまだ注文するのかと呆れながらも 4皿5皿は注文したと思います。

それからすし、 混ぜご飯の様なものも。

そしてデザート。 一人の女の子は アイスクリームを3つも食べています。

彼女たちが鍋料理をにするかと言ったのですが、弟が僕らはいらないと言うと彼女たちも遠慮してやめました。

ベトナムでは最後は鍋でしめるそうです。残念そうです。

正直呆れてしまうぐらい食べました。

ベトナムの女性は体型はスリムですがかなりの大食家のようです。

この段階では4人だけのこと。 サンプルとしては少ないですね。弟に尋ねると一般的にそうだとのこと。

昨日セルフ子のH さんと食事を共にしました。彼女はハノイにいます。

その場で ベトナム人女性はよく食べるかと聞くと よく食べるとのこと。やはり大食いなのだそうです 。

やはり一般的にそうなのかもしれません。
DNA が違うのでしょうね 。

テレビを見るとよく食べるが太らない 人がいますね。ベトナムの女性は一般的にそうなのかもしれません。

もっとサンプルを多くして調べたら面白いかも。

ベトナムにはエネルギーを感じる


ベトナムに来て感じることはエネルギーです。

 ベトナムのハノイは人が多いです。そしてよく動いている。若い人が多い気もする。

 バイクが多く、人が動くのがはっきり分かるからかもしれません。

それに比べると車は人を感じないし、静かです。

東京はハノイ以上に人が多い。

ただ東京の場合にはその動きが整然としています。

車の動きはもちろんベトナムと比べ物にならないくらい整然としています。前に書きましたが、ベトナムは赤信号でも突っ込みます。

人の動きも一定の方向に動いていることが東京では多い。

それに比べてベトナムは雑然としています。
動きが読めない。

とにかくそれぞれがバラバラに動いているという感じです。

街の中を歩くと、この人たちは何をしているだろうと言う感じで、じっと座っている人も確かにいます。

僕が彼らは何をしてるんだろうと言うと弟は「バイクタクシーで客待ちをしているんだ」とのこと。

聞いてみないと分からないものです。

とにかく座っている人もいますが、全体的に動いている。

遊びのために動いてるかもしれませんが、とにかくエネルギーを感じるのです。

そのエネルギーでぼくもかき回されそうです。

ベトナム、ハノイの治安はとても良い
 弟が財布をお尻のポケットに入れました。
 僕はそれを見て「ハノイは治安が良いんだね」と彼に言うと、

「いけないとは思うんだけども、クセになっている。それにこんな風にしても被害にあったことはないし」と返ってきました。

やはり治安が良いんですね。

街を歩いていて、別の男性がやはりお尻のポケットに財布を入れるのを見たことがあります。

 それから街頭でお金を広げている人も度々みました。

 海外旅行では、添乗員から、人がいるところでお金を広げてはいけない、お金を持っているという事を教えるようなものだからと注意されます。

ここではお金を広げても取ろうとする人がいないのでしょうね 。

 夜一人で歩いたこともあります。身の危険を感じることは全くありませんでした。

 もちろん度々書いていますが、道を横断する時などバイクにはとても注意しないといけないのですが。

ベトナムハノイの治安はとても良いのです。


ベトナム人の体は ゲリラ戦に適している
ベトナム戦争の時には、ベトナム兵のゲリラ戦にアメリカ兵は悩まされたと言う話を良く聞きました。

ハノイの街を歩いて観光をしていた時です。 街角に立っていた警官に道を尋ねました。

地球の歩き方を開いて、ここに行きたいと言うとそれを見て親切に教えてくれました。

その後、こんな小さな文字をよく裸眼で読めるな、僕らも若い頃はそうだったんだろうね、とぼくが話すと

弟は
ベトナム人はゲリラ戦に適していたんではないかと思うよ、と 言いました。

単に目が良いだけではありません。
夜でも よく ものが見えるそうです。

夜に目が見えればゲリラ戦に はもってこいですね。

それだけではありません。
体がとても柔軟で狭い所に閉じこもっても平気だと言うのです。

弟はハノイのガラス工場に勤めていました。

ガラス工場では火を使います。そして煙突があります。

その煙突に不都合があった時にはそこに潜って なおすのだそうですが、狭いところです。

ベトナム人がそこに入って、体育館座りをして、そして何時間でも その姿勢で作業が出来ると言うのです。

確かに 狭いところでそのように動けるというのはゲリラ戦にはもってこいというところでしょう。

弟の話で、どこまで一般的かは知りませんが、 面白いと思いました。

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