セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

学び手は常に正しい
インストラクショナルデザイン―教師のためのルールブック (単行本)
島宗 理 (著) 価格: ¥ 2,100 (税込)
を読みました。


 その中に「鉄則12 学び手は常に正しい」というのがあります。
p64から抜粋します。


「教えようとしていることがうまく教えられないとき、教えては《個人攻撃の罠》に陥りがちだ。
 個人攻撃の罠とは、教え手が教えようとしていることを学び手が学んでいないときに、それを学び手や教え手の能力や適正、やる気のせいにしてしまって、改善のためのアクションをとらないことだ。
 (中略)
 インストラクションを改善していくための鉄則中の鉄則として、《学び手は常に正しい》というルールを覚えておこう。


 このことは、とても大切なことです。鉄則中の鉄則、まさにそうです。私が教材を作るとき、教えるときに、肝に銘じてきたことです。もちろん、よく忘れて、個人攻撃の罠に陥ることはたびたびですが。
 とにかく、学び手が理解しないとき、できないとき、学び手が悪いとしないで、教材が悪い、そして教え方が悪いとして、それを改善することを考えることが次のステップにつながるのです。

 このことはこれまでも書いてきたと思うのですが、《学び手は常に正しい》という端的な表現に感心したので、ここでとりあげたいと思います。

 なお、「インストラクショナルデザイン」は、行動分析学をもとにしたものです。行動分析学は私がこれまで行ってきた塾での指導、生活の中の行動の基本をなすものです。プログラム学習も行動分析学に基づいたものです。


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両方向の学習
mixiの「セルフラーニング」で立ち上げたトピックです。


 私が,教材を作るとき,そしてたまにやる一斉授業のときに心がけているのは,一方通行のものにならないことです。

 生徒の応答を要求します。
 テキストでは,数行説明をしたら,それをきちんと理解しているかどうかの質問をします。授業のときもそうです。その説明を理解できたか問いかけます。

 中にはつまらない質問もあります。しかし,とにかく問いかける。一方通行にはしない。

 そして,生徒の反応をよく観察します。生徒はぼくの説明を理解してくれたのかどうか。
 理解できたのなら,この問題はできたはずだ。
 できないということは,理解できていないということだ。

 それではどうする。何が分からないのか。

 このように生徒の反応をきちんとキャッチすることができるように,アンテナをしっかり張っているということ,それをいつも気をつけるようにしています。

mixiのトピックに行くには下の「両方向の学習」をクリックしてください。

両方向の学習

プログラム学習と水道方式
 セルフ塾は,セルフラーニングの塾です。

 その基本方針は,行動主義のスキナー博士によるプログラム学習,行動分析学,そして遠山啓先生による「水道方式」に大きな影響を受けています。
 
 スキナー博士からは,セルフラーニングの方法を学びました。

 水道方式からは,理解することの重要性,理解のさせ方を学びました。

 このふたつが合体することにより,理解しながら,自分で学ぶことのできる塾を目指してきました。

 ある程度,達成されたとは思うのですが,その評価は生徒にまかせましょう。


{ジオログ : 2007年11月6日(火) から引っ越し}


プログラム学習とは
 「プログラム学習」をYahoo辞書で調べると次のようになっています。

心理学で、小刻みに分割された学習内容を系列化し、段階ごとに、学習者の積極的な反応を強化させながら、学習の目標値に確実に到達できるように配慮された学習方法。 (大辞泉)

学習者に一連のプログラムを与えて、それに従って自己のペースで個別に学習を進める学習方式。(大辞林)

 私なりにまとめてみます。

1,自己のペースで個別に学習を進める学習方式
  一斉授業方式ではなく,それぞれが自分のペースで学習を進めることができるということです。

2,小刻みに分割された学習内容
そのために,学習内容をできるだけ細かく分けて,スモールステップで進めるようにしている,ということです。

3,学習内容を系列化
 目標に到達するように,小刻みにされた学習内容を系列的に並べていきます。

4,学習者は小刻みにされた学習内容を理解しているかどうか,反応するということです。つまり,細かい質問,問題が並んでいて,それに答えなければなりません。

5,その答えが正しいかどうか,チェックがすぐにできることです。間違えた理解のまま,進んでいてはいけないので,すぐに軌道修正できるようにすることです。


{ジオログ  : 2007年11月7日(水) から引っ越し}


学び手から学ぶ
 プログラム学習から学んだことのひとつに,学ぶ手から学ぶことの重要性があります。

 プログラム学習(教材)は,個人で学習を行うのですが,多くの人が間違えるところは,プログラム学習そのものがよくないという考え方です。

 教えるものが悪ければ,きちんと学ぶことができないに決まっています。それが一人や二人なら,きちんと読んでいない,考えていない,と学び手のせいにしてもいいのですが,多くの人が間違えるのでは,教材そのものが悪いということになる。

 だから,実際に生徒に使わせながら,うまくいっているかどうかいつもアンテナをはっていることが大切です。よくできたつもりでも,間違えてばかりであれば,教材を手直しする必要があります。

 私は,自分の教材は,お偉い大学教授が作ったものよりもはるかにいい,と豪語しています。それは,生徒が使いながら作ったからです。


{ ジオログ: 2007年11月12日(月) から引っ越し}


基本的に学校の進度に合わせる
 セルフ塾は,セルフラーニングで学習しています。それで,進度は個人によってかなりのばらつきがあります。

 しかし,基本的には学校の進度に合わせています。

 それは,子どもたちの学習意欲を重視しているからです。

 学習においては意欲を持って行うことができれば半分以上は成功です。やる気があれば,少々困難であってもそれを突破できます。

 生徒のやる気を出させる最大のものは学校の成績があがることです。テストで点数が上がった,席次が上がった,
 それだけで子どものやる気は上がるのです。

 そして,学校の授業でやっていることが分かるということも学習の歓びです。塾でやったことを学校の授業でやった。よく分かった。よし,がんばろう,ということになります。

 また,たまたま授業であてられたらうまく答えられた。塾でやったのが役に立った。それはやる気を起こします。

 だから,基本的には学校の授業に合わせた進度でいくのです。


{ジオログ: 2007年12月11日(火) から引っ越し}


最高席次を讃える
 沖縄の中学では,定期テストの席次が個人に知らされます。

 セルフ塾では,それをニュースレターの中で紹介します。

 さて,そこで何よりも重視しているのが,自己最高席次です。これまでの中で最高(タイ記録を含む)をあげた生徒を讃えるのです。その子たちの写真を写し,ニュースレターに掲載するのです。

 生徒の勉強へのやる気を出させるのが私どもの何よりも大切な仕事です。勉強へのモチベーション,意欲を上げることができれば,私どものしごとは半分は成功したも同然。

 他人との競争より,自己との競争を重視します。そのために,単なる席次がいいとか悪いというのではなく,過去の自己よりも勝ったときにそれを讃えるのです。行動分析学では「強化」といいます。(昨日,行動分析学の学生さんからコメントをいただいたので,意識的に使ってみました)

 他人との競争では,いつも負ける人がいるわけです。それは当然ですね。例えば,席次100番以内に入ったとき,ほめるとします。すると,ほめられる人はいつもほめられるのですが,そうでない生徒はいつも無視される。

 しかし,自己との競争だとみんなに可能性があります。例えば5番でもほめられない子がいる一方で,200番でも讃えられる子がいる。
 これまで200番が最高だった生徒は,199番が目標になり,5番が最高だった生徒は4番が目標になる。それぞれががんばることができるのですね。

 写真は,2学期期末テスト最高席次の生徒達です。つまらなそうな顔をしていますが,内心はうれしいのです。


最高席次

Yahoo!知恵袋で,ベストアンサー
Yahoo!知恵袋で,ぼくの回答が、ベストアンサーに選ばれました。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=1414178684


英語の勉強方法を教えて下さい。


ベストアンサーに選ばれた回答

回答日時: 2008/1/13 00:26:24 回答番号: 44,547,177

私の本を紹介させてください。
私は,自己学習の小さな学習塾をしています。自分で学べることを目標にしていて,そのために自分で学べる教材作りをしてきました。
実際に生徒に教材を使わせて,生徒がよくつまずくところを,何度も何度も修正し,分かりやすいものにしてきました。
私は,大学のえらいせ先生方のように英語ができるとは思っていません。しかし,実際に生徒にさせて,分かりやすいものにしてきたので,分かりやすさという点では,どの教材にも負けないと思っています。
自分でできる英語の教材としては他にないと思っています。
この本をじっくりやれば確実に力がつきますよ。

それから,NHKラジオの各種の英語講座はおすすめです。少しやさしいと思われるところから聴いてみてはどうでしょうか。



http://www.amazon.co.jp/%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E3%83%97%E3%83%AD...

「わかる」へのこだわり
 ここ数回,正の数,負の数の減法について書きました。

 わたしのテキストを使った人から,「こだわりすぎるのでは」という感想をいただきました。

 たしかに,ただ「できる」ためにするには,このような説明は不用です。

 減法は反数の加法に直す,ということだけと徹底してたたきこめばできるようにはなります。(反数とは,正負の符号が逆になった数です。例えば+5の反数は-5)

 でも,ぼくはただただ覚えるのは好きではありません。

 なぜなのかを徹底して追及しました。そういうことにはとてもこだわっています。

 回り道かもしれませんが,わかってできるようにすることが大切だと思うのです。

「解ける」と思った人が「解ける」
 もうすぐ高校入試ですが,この時期生徒に特に言っているのは
「解けると思ったら解けるが解けないと思ったら解けない」です。

 私は精神論,根性論は大嫌いですが,これは真実です。説明しましょう。

 野口悠紀雄氏の著書に「超発想法」というのがあります。
 これに,「創造力のある人とない人を比べると,ひとつだけ違いがあった。それは創造力のある人は自分を創造力があると思い,ない人はないと思っているということであった」
(これは孫引きです。原典も読んだのですが,手元にないので。また,ぼくなりの言葉で書いています)

 最初は「うそだ!」と思いましたね。精神論的で好きではなかった。

 しかし,考えると納得です。
 例えば,短歌です。

 自分は短歌を作ることがうまいと思っている人は短歌を作ります。実際は下手でも。作って他人に見せる。評価してくれる。もっとうまく作れないかと本を読む。他の人の作ったものを読んで参考にする。つまりいろいろ工夫するのです。そうするうちに実際にうまくなっていきます。
 しかし,できないと思っている人は,作ろうともしない。まして工夫などしない。これでは下手なままに決まっています。

 では,受験生。
 文章問題や図形の問題,関数の問題が出たとたんに,「できない」と思っている生徒が少なくありません。そうなるとできないに決まっています。思考停止ですから。
 実際は易しい問題であっても思考停止してしまえばできるはずがありません。

 ぼくは,過去問題で一見難しそうにみえるが,実は簡単な問題を生徒にさせるときに,強調します。

 「Aくん,Bさん,あなたは解けるはずだ。解きなさい。」と。
 そして,時間をとります。必ず解ける,やってみなさい,と言って。

 そして,解けるのです。
 考えて,そして考えていけば,解けるのです。

 もちろん,解けると思えば必ず解けるとは限りません。難問もある。また力不足もある。

 しかし,逆は真です。「解けないと思ったら,絶対に解けません」

 ぼくは正直に言います。「解けると思っても解けないことはある。しかし,解けないと思ったら絶対に解けないんだ。あなたたちが解けないと思っている問題の中には実際には解ける問題がたくさんたくさんあるんだ。だから,解けると思って問題にぶつからなければいけない。ほらこの問題は解こうと思ったら解けたでしょう」と。



セルフラーニングの長所と短所
 昨日は,Hくんのことを書きました。

 その中から,セルフラーニングの長所と短所が浮かび上がってきました。

 まずは長所

 なんといっても,その子にあった課題を与えることができる,ということです。
 Hくんは,漢字,英単語を覚えるということに関しては,かなり能力が劣ります。障害といってもいいでしょう。ぼくは,脳のその部分に傷がついているのではないかとさえ思っています。
 しかし,その他の能力は悪くありません。確かに,学校の成績は悪い方です。ただ,数学などを教えていたら理解力はあります。漢字ができないという決定的なハンディがあるので,学校のテストで点数がとれない,また教科書が読めないために授業の理解ができないということも考えられます。漢字の力は日本人として決定的なものだけに,それだけができないのか,その他の能力も劣るのか分けて考えるのが難しいです。

 まあ,とにかく漢字力はかなりおとり,その他はそれほどでもない。

 そういう生徒でもセルフラーニングでは,その子にあった課題を与えることができます。
 漢字は小学2年生のところから定着していないので,その練習を何度もする,ということが可能です。そして,数学はそれほど劣らないので彼の属する学年(中3のときには中3)の課題をさせることができます。
 一斉授業ではそうはいかないでしょう。みんなが国語の教科書を広げている中で小学2年の漢字の練習をするのは難しい。先生も対応が困難。

 漢字が小2だということで,小学2年に落第させるわけにもいかないでしょう。そうすると数学は中学のものでも理解できるのだから,数学の能力がもったいない。

 自慢になるかもしれませんが,ぼくはHくんがこの間セルフ塾で行った漢字の練習は彼の人生においてかなりおおきなプラスになると思っています。小学2年までしかできませんでしたが,それでも大きなステップだと思います。

 次に短所です。

 漢字が読めないと他の科目の学習ができないのです。
 一斉授業だと,先生の話を聴くことで知識を増すことができます。歴史の話は,先生の話で分かるようになります。こういうのも「耳学問」といっていいいのかな。

 しかし,ぼくの塾でのセルフラーニングは,読み中心です。説明を読んで問題を解いていきます。
 だから,漢字が読めないとなると学習がまったく進みません。
 Hくんは,社会の参考書をながめ,漢字を文字としてではなく,図形として認識し,それに推理を働かせて課題をこなしていったような感じです。それでもなんとかこなしていました。そこが彼のまじめさで,いいところです。
 また,「この字は何て読む」とよく来ました。漢字にふりがなをつけてあげたたこともありますが,きりがありません。邪険に扱ったこともあります。彼には悪いことをしていると思いながらも,他の生徒の指導もしないといけないので,どうしようもなかったのです。
 よく習いに来ました。だから,セルフラーニングではない部分が多かったです。

 Hくんに限らず,漢字は読めても読解力のない生徒はセルフラーニングは難しいです。読解力ない生徒はかなりいます。もちろん,できるだけやさしい理解しやすい文で説明しています。
 読解力のない子もセルフ塾での学習の中で徐々に読解力もつくことが多いのですが。

 このように,セルフラーニングには長所とともに短所もあることを考えさせられました。

やるべきことが分かれば自分で学習できる
 あるブログ
http://sakura394.exblog.jp/7980295/

 に「勉強のやり方がわかんない。」という生徒がいる,ということが書かれていました。

 うちの塾ではどうかな,と考えたら,少なくとももういませんね。入塾当初はいたでしょう。

 なぜか。それは,こちらが何をするか決めているからです。

 中学生に,自分でどのように何を学習したらいいかを決める力はありません。皆無とはいいませんが,ほとんどの生徒が。

 だから,開塾数年でぼくの方針はこうなりました。

 やるべき課題をこちらで決める。それをやる中で自分でやる方法を身につける。そして,セルフ塾を離れてもそれが身に付いていればいい。

 卒業生の便りの中に,セルフ塾でやった学習がいま身に付いているというのがときどきあります。ぼくのねらったのが的中。

 さて,セルフ塾の生徒は,塾に来たら自分で時間割を見て,課題に取り組み,やるべきことをして帰っていきます。勉強のやり方が分からないとは言いません。

 それは,課題がはっきりしているからです。何をすればいいのかはっきり分かれば子どもたちはそれをきちんとやります。分からないからやらないのです。

 だから,やるべき課題はきちんと分かるようになっています。
 そして,テキストもセルフラーニングできるように工夫しています。テキストを読めば自分で学習ができます。もちろん分からない,解けない問題は出てくるので,学習援助者に援助してもらうことはありますが。

 セルフラーニングできる環境を作ってあげれば,「勉強法が分からない」とは言わないのですね。

成せば成るか?
 mixi のセルフラーニングのコミュに立ち上げたトピックです。

http://mixi.jp/list_bbs.pl?id=1037793&type=bbs

成せば成る 
成さねば成らぬ 何事も 
成さぬは人の 成さぬなりけり (上杉鷹山)

 まあ,いい言葉ですね。しかし,難しい言葉です。
 成せば,本当に成るか。
 成らないことがありますね。それをその人のせいにできないことが。
 特に能力の違いは,どうしようもない。

 いま1人の女の子を思い浮かべています。
 まじめな子でした。まあ,欠点もあったけど,基本的にまじめにこつこつと勉強に励んでいました。校内席次では4~50番くらいでしたか。全校で280人くらいだったと思います。まあいいほうです。
 中1に入塾してがんばっていた。

 さて,その子には弟がいます。彼は中1には塾に入りませんでした。部活に打ち込んで勉強は適当にしていたようです。しかし,成績は彼女より上。彼女は言っていました。「塾にも行かないのに,私より上をとるなんて」
 弟の方も中3にはセルフ塾に入塾。やはりできました。

 高校になり,彼女は鬱状態に。そして不登校。なんとか卒業し,地元の私立大学に進学しました。別に弟のせいではないでしょうが。
 弟の方は,高校でも部活をしながら,地元国立大学に。姉のいった大学より上だといわれている大学です。

 さて,「成せば成る」「がんばれ」という言葉。どこまで使えるか。
 ぼくは使わないわけではないが,慎重に使わないといけないな,と思っています。

 能力があるからです。しかし,中学生に「あなたの能力はここまでなんだから,それで満足しなさい」とも言えない。「がんばればできるよ」とつい言ってしまう。

 「こんなにがんばっているのに,なぜあんなに勉強をしない人に負けるの?」と言われたとき,みなさんはどう答えますか。

一斉授業は,先生が泳ぐのを見ているようなもの
 前に紹介した「日本語力と英語力」の中におもしろいたとえがありました。

(齋藤孝)
 授業では、文章を読ませること自体も少なく、先生が説明している時間が長いでしょう。まるで先生一人がプールで泳ぎながら、「ほら、バタフライだぞ」「次、背泳ぎのお手本を見せるから、よく見ておけ」と言うのを、生徒たちがじっとプールサイドで観察している印象です。ときどき生徒をー人呼んで、「おまえ、ちょっとやってみろ」とね。英語だったら、単語や文型を覚えるなり、音読をするなり、スポーツで言えば、実際に泳ぐとか球を打つといった作業を生徒にどんどんこせるべきです。(p72 ~73 )


 ぼくは,セルフラーニングがすぐれているということのひとつに,学ぶ人が受け身ではなく能動的に学習に取り組むことだ,と言ってきました。
 そのたとえとして,車を運転している人と,助手席に座っている人では,道順の覚え方に差がある,と話していました。

 しかし,齋藤孝氏の水泳の例の方がよく分かりますね。これは使えそう。

 要するに,一斉授業というのは,先生が泳いでそれを生徒が見て分かった気になっています。
 先生が数学の解き方を黒板に書いて教える。生徒は先生が解くのを見て,自分でも解ける気になる。

 しかし,先生が泳ぐのを見ても実際に水に入って泳ごうとしないかぎり泳げるものではありません。

 これと同じで,自分でいろいろ解いてみないと数学の問題は解けるものではありません。

 もちろん,解き方の例を示すのは大切です。しかし,何を主とするかでしょう。

 セルフラーニングの場合は,自分で解くことが中心になります。例は,教材に書かれているのをみて,じっくりと読み,理解する。

 この,水泳の教え方の例のようにセルフラーニングで学んだ方が,ずっと頭に入り,残るものなのです。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4121501284?ie=UTF8&tag=selfyoji-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4121501284

「窓ぎわのトットちゃん」に見るセルフラーニング
 黒柳徹子著「窓ぎわのトットちゃん」読みましたか。



 1981年に初版が出ています。そのころベストセラーになり,ぼくは妹に勧められて読んだ記憶があります。
 もう30年近くになりますね。とてもおもしろい本です。一読をお薦めします。

 さて,トットちゃんが退学になり,トモエ学園に通い始めます。そして,そこでの授業の様子を描いたところを引用します。

 ぼくのめざしているセルフラーニングがよく描かれていると思います。

 でも、なによりも”かわっていた”のは、この学校の、授業のやりかただった。

 ふつうの学校は、一時間目が国語なら、国語をやって、二時間目が算数なら、算数、という風 に、時間割の通りの順番なのだけと、この点、この学校は、まるっきり違っていた。

なにしろ、一時間目が始まるときに、その日、一日やる時間割の、全部の科目の問題を、女の先生が、黒板にいっぱいに書いちゃって、

「さあ、とれでも好きなのから、始めてください」

といったんだ。だから生徒は、国語であろうと、算数であろうと、自分の好きなのから始めていっこうに、かまわないのだった。だから、作文の好きな子が、作文を書いていると、うしろでは、物理の好きな子が、アルコール・ランプに火をつけて、フラスコをフクフクやったり、なにかを爆発させてる、なんていう光景は、どの教室でも見られることだった。この授業のやりかた は、上級になるに従って、その子供の興味を持っているもの、興味の持ちかた、物の考えかた、 そして、個性、といったものが、先生に、はっきりわかってくるから、先生にとって、生徒を知る上で、何よりの勉強法たった。

また、生徒にとっても、好きな学科からやっていい、というのは、うれしいことだったし、嫌いな学科にしても、学校が終わる時間までに、やればいいのだから、なんとか、やりくり出来た。従って、自習の形式が多く、いよいよ、わからなくなってくると、先生のところに聞きに行くか、自分の席に先生に来ていただいて、納得のいくまで、教えてもらう。そして、例題をもらって、 また自習に入る。これは本当の勉強だった。だから、先生の話や説明を、ボンヤリ聞く、といった事は、ないにひとしかった。

(窓ぎわのトットちゃん,p40~41)


セルフラーニングは甘い罠か?

 ぼくが管理人をしているmixi「セルフラーニング」コミュに立ち上げたトピックです。


http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=42370971&comm_id=1037793


 クリスさんの紹介があったので,糸山泰造著「絶対学力―『9歳の壁』をどう突破していくか?」を読みました。

 おもしろかったです。

 この中にこのコミュで話し合ったらいいな,と思うことがいくつかあったので,取り上げてみたいと思います。

 まずは,このコミュの根幹にかかわることです。

 p37~p38 にかけて抜粋します。

 「自学自習」・・・・・自学自習の甘い罠

自学自習とは誰もが目指す究極の学習方法です。究極の学習方法ですから簡単にできるわけがありません。少なくとも小・中学生にできる方法ではありません。多くの場合は、親が子供に手間をかけたくないので、自分で勉強しなさいと言っているだけにすぎません。本来の自学自習とは専門的な研究活動ができる施設・頭脳・方法を持った人だけができる方法なのです。

にもかかわらず、「詳しい解答解説があればー人でも勉強できる。一人で勉強することが自 学自習だ」と思っている保護者が大勢います。しかし、これは大間違いなのです。参考書を読んで分かる子は、学習内容が既に分かっている子、あるいは、読解力・思考力が優れている子です。参考書の多くは、分からないと言っている子供と同じしベルの言葉では書かれていないのです。そんな参考書をいくら読んでも子供が分からないのは当たり前です。解説が詳しいので自学自習ができるというテキストの謳い文句に乗せられてはいけません。

子供の言葉のしベルは一人一人違います。ということは、子供が読んで分かるテキストは一人一人違っていなければならないはずです。ところが現実にはそんなテキストはありません。また、効果的な学習方法も知らない子供に自学自習は無理であり危険です。好きな科目だけやって終わりにしたり、分かっていないのに答え合わせだけをする子供になってしまいます。

自学自習は小1~中3の9年間を通して初めて獲得できる勉強方法なのです。つまり、9年間かけて効果的な学習方法を学び、読解力・理解力・思考力を付けて、初めてできるのが自学自習なのです。



 ぼくは,このコミュを2つの意味で立ち上げました。
 1つは,参加者自身がセルフラーニングをするためのもの,
 2つめは,参加者が親,教師,塾の講師,家庭教師などの立場,つまり指導者として子どもたちにセルフラーニングをさせるためです。

 糸山氏の書いてあることがそのまま真実なら,2つ目の意味はなくなってしまいます。だからこのコミュの根幹にかかわることなのです。

 検討してみましょう。

 ぼくは,糸山氏の書かれていることはほとんど真実だと思っています。

 小学,中学の子どもにセルフラーニングをする力はありません。だから,自分で勉強しなさい,ということで,セルフラーニングをする子は,まったくいないとは言いませんが,ほとんどいません。

 「参考書の多くは、分からないと言っている子供と同じしベルの言葉では書かれていない」

 ということも真実です。でも,「多くは」であって,皆無ではありません。

 これから書こうとすることは自画自賛だと思われそうですが,誤解をおそれず書きます。
 
 ぼくは,学習書を作ってきました。これまであちこちで書きましたが,作るときには,子どもの立場に立って作ってきました。子どもたちがよくつまずくところを何度も練り直しました。だから,「分からないと言っている子供と同じしベルの言葉」で作ったのです。

「テキストは一人一人違っていなければならないはずです」

 というのも真理です。

 しかし,子どものほとんどが理解できるテキストを作ることは可能です。80~90%の生徒が自学自習できるテキストを作る。あとの10~20%は人間が補助してあげるのです。

 「自学自習は小1~中3の9年間を通して初めて獲得できる勉強方法なのです。」

 これも正しいです。
 前に自転車に乗る練習に喩えて書いたことがありますが,最初は支えてあげながらセルフラーニングをさせ,自分で走り出したら手をはなすのです。そのようにしながらセルフラーニングでの学習は子どもたちにも可能です。






釈迦は矛盾を恐れなかった
 きょうも三田誠広著「はじめての宗教」から引用します。

  もっとはっきり言えば、釈迦の内部には、大きな分裂があったのだ。

 解脱に至るのは民衆にとっては至難の道であるということ。そのことを知りながら、釈迦は教団を運営し、ある意味では表面的な教えを説いて、民衆に希望を与え続けた。

 釈迦は矛盾を恐れなかった。ある人には禁欲を説き、ある人には禁欲からの解放を説いた。ひたすら禁欲だけを説いたほうが、教義としてはわかりやすい。そこをあえて、状況に応じて、異なる教えを説いたところに、釈迦のスケールの大きさと意志の強さを見る。

 細かいことにこだわらずに、悠然と、鷹揚に構えている。そこが宗教家としての釈迦の最大の魅刀だったのだろう。


 釈迦と似ているというと,おこがましいのですが,僕も生徒によって指導方法を変えます。
 ある生徒には手とり足とり丁寧に説明をし、そして答えの直前まで導いてあげます。別の子には少しだけアドバイスをして、そして追い返すように自分であとはやってごらんといます。

 また,ある子には、「ここまででいよ」ということで楽な課題を与えます。別の子にはかなり厳しい課題にします。

 子どもたちの能力の差はかなりあります。また性格もまったく違います。だから子どもによって指導を変えなければいけないのです。このように子どもによって変えることができるのは、セルフラーニングの一つの大きな特徴だと思っています。

 生徒の中には、「あの子にはこうやるのに私にはこうする。なぜ?」と不満を述べる子もいます。でも、本当の意味での平等というのはその子にあった指導をすることではないでしょうか。どの子に等しくするというのでは,どの子も伸ばすことはできません。

 釈迦が「状況に応じて異なる教えを説いた」というのを読んで,気持ちを強くしました。

 細かいことにこだわらずに、悠然と、鷹揚に構えている・・・そういう人は私はなりたい。
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