もっとはっきり言えば、釈迦の内部には、大きな分裂があったのだ。
解脱に至るのは民衆にとっては至難の道であるということ。そのことを知りながら、釈迦は教団を運営し、ある意味では表面的な教えを説いて、民衆に希望を与え続けた。
釈迦は矛盾を恐れなかった。ある人には禁欲を説き、ある人には禁欲からの解放を説いた。ひたすら禁欲だけを説いたほうが、教義としてはわかりやすい。そこをあえて、状況に応じて、異なる教えを説いたところに、釈迦のスケールの大きさと意志の強さを見る。
細かいことにこだわらずに、悠然と、鷹揚に構えている。そこが宗教家としての釈迦の最大の魅刀だったのだろう。
釈迦と似ているというと,おこがましいのですが,僕も生徒によって指導方法を変えます。
ある生徒には手とり足とり丁寧に説明をし、そして答えの直前まで導いてあげます。別の子には少しだけアドバイスをして、そして追い返すように自分であとはやってごらんといます。
また,ある子には、「ここまででいよ」ということで楽な課題を与えます。別の子にはかなり厳しい課題にします。
子どもたちの能力の差はかなりあります。また性格もまったく違います。だから子どもによって指導を変えなければいけないのです。このように子どもによって変えることができるのは、セルフラーニングの一つの大きな特徴だと思っています。
生徒の中には、「あの子にはこうやるのに私にはこうする。なぜ?」と不満を述べる子もいます。でも、本当の意味での平等というのはその子にあった指導をすることではないでしょうか。どの子に等しくするというのでは,どの子も伸ばすことはできません。
釈迦が「状況に応じて異なる教えを説いた」というのを読んで,気持ちを強くしました。
細かいことにこだわらずに、悠然と、鷹揚に構えている・・・そういう人は私はなりたい。
ぼくが管理人をしているmixi「セルフラーニング」コミュに立ち上げたトピックです。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=42370971&comm_id=1037793
クリスさんの紹介があったので,糸山泰造著「絶対学力―『9歳の壁』をどう突破していくか?」を読みました。
おもしろかったです。
この中にこのコミュで話し合ったらいいな,と思うことがいくつかあったので,取り上げてみたいと思います。
まずは,このコミュの根幹にかかわることです。
p37〜p38 にかけて抜粋します。
「自学自習」・・・・・自学自習の甘い罠
自学自習とは誰もが目指す究極の学習方法です。究極の学習方法ですから簡単にできるわけがありません。少なくとも小・中学生にできる方法ではありません。多くの場合は、親が子供に手間をかけたくないので、自分で勉強しなさいと言っているだけにすぎません。本来の自学自習とは専門的な研究活動ができる施設・頭脳・方法を持った人だけができる方法なのです。
にもかかわらず、「詳しい解答解説があればー人でも勉強できる。一人で勉強することが自 学自習だ」と思っている保護者が大勢います。しかし、これは大間違いなのです。参考書を読んで分かる子は、学習内容が既に分かっている子、あるいは、読解力・思考力が優れている子です。参考書の多くは、分からないと言っている子供と同じしベルの言葉では書かれていないのです。そんな参考書をいくら読んでも子供が分からないのは当たり前です。解説が詳しいので自学自習ができるというテキストの謳い文句に乗せられてはいけません。
子供の言葉のしベルは一人一人違います。ということは、子供が読んで分かるテキストは一人一人違っていなければならないはずです。ところが現実にはそんなテキストはありません。また、効果的な学習方法も知らない子供に自学自習は無理であり危険です。好きな科目だけやって終わりにしたり、分かっていないのに答え合わせだけをする子供になってしまいます。
自学自習は小1〜中3の9年間を通して初めて獲得できる勉強方法なのです。つまり、9年間かけて効果的な学習方法を学び、読解力・理解力・思考力を付けて、初めてできるのが自学自習なのです。
ぼくは,このコミュを2つの意味で立ち上げました。
1つは,参加者自身がセルフラーニングをするためのもの,
2つめは,参加者が親,教師,塾の講師,家庭教師などの立場,つまり指導者として子どもたちにセルフラーニングをさせるためです。
糸山氏の書いてあることがそのまま真実なら,2つ目の意味はなくなってしまいます。だからこのコミュの根幹にかかわることなのです。
検討してみましょう。
ぼくは,糸山氏の書かれていることはほとんど真実だと思っています。
小学,中学の子どもにセルフラーニングをする力はありません。だから,自分で勉強しなさい,ということで,セルフラーニングをする子は,まったくいないとは言いませんが,ほとんどいません。
「参考書の多くは、分からないと言っている子供と同じしベルの言葉では書かれていない」
ということも真実です。でも,「多くは」であって,皆無ではありません。
これから書こうとすることは自画自賛だと思われそうですが,誤解をおそれず書きます。
ぼくは,学習書を作ってきました。これまであちこちで書きましたが,作るときには,子どもの立場に立って作ってきました。子どもたちがよくつまずくところを何度も練り直しました。だから,「分からないと言っている子供と同じしベルの言葉」で作ったのです。
「テキストは一人一人違っていなければならないはずです」
というのも真理です。
しかし,子どものほとんどが理解できるテキストを作ることは可能です。80〜90%の生徒が自学自習できるテキストを作る。あとの10〜20%は人間が補助してあげるのです。
「自学自習は小1〜中3の9年間を通して初めて獲得できる勉強方法なのです。」
これも正しいです。
前に自転車に乗る練習に喩えて書いたことがありますが,最初は支えてあげながらセルフラーニングをさせ,自分で走り出したら手をはなすのです。そのようにしながらセルフラーニングでの学習は子どもたちにも可能です。
1981年に初版が出ています。そのころベストセラーになり,ぼくは妹に勧められて読んだ記憶があります。
もう30年近くになりますね。とてもおもしろい本です。一読をお薦めします。
さて,トットちゃんが退学になり,トモエ学園に通い始めます。そして,そこでの授業の様子を描いたところを引用します。
ぼくのめざしているセルフラーニングがよく描かれていると思います。
でも、なによりも”かわっていた”のは、この学校の、授業のやりかただった。
ふつうの学校は、一時間目が国語なら、国語をやって、二時間目が算数なら、算数、という風 に、時間割の通りの順番なのだけと、この点、この学校は、まるっきり違っていた。
なにしろ、一時間目が始まるときに、その日、一日やる時間割の、全部の科目の問題を、女の先生が、黒板にいっぱいに書いちゃって、
「さあ、とれでも好きなのから、始めてください」
といったんだ。だから生徒は、国語であろうと、算数であろうと、自分の好きなのから始めていっこうに、かまわないのだった。だから、作文の好きな子が、作文を書いていると、うしろでは、物理の好きな子が、アルコール・ランプに火をつけて、フラスコをフクフクやったり、なにかを爆発させてる、なんていう光景は、どの教室でも見られることだった。この授業のやりかた は、上級になるに従って、その子供の興味を持っているもの、興味の持ちかた、物の考えかた、 そして、個性、といったものが、先生に、はっきりわかってくるから、先生にとって、生徒を知る上で、何よりの勉強法たった。
また、生徒にとっても、好きな学科からやっていい、というのは、うれしいことだったし、嫌いな学科にしても、学校が終わる時間までに、やればいいのだから、なんとか、やりくり出来た。従って、自習の形式が多く、いよいよ、わからなくなってくると、先生のところに聞きに行くか、自分の席に先生に来ていただいて、納得のいくまで、教えてもらう。そして、例題をもらって、 また自習に入る。これは本当の勉強だった。だから、先生の話や説明を、ボンヤリ聞く、といった事は、ないにひとしかった。
(窓ぎわのトットちゃん,p40〜41)
(齋藤孝)
授業では、文章を読ませること自体も少なく、先生が説明している時間が長いでしょう。まるで先生一人がプールで泳ぎながら、「ほら、バタフライだぞ」「次、背泳ぎのお手本を見せるから、よく見ておけ」と言うのを、生徒たちがじっとプールサイドで観察している印象です。ときどき生徒をー人呼んで、「おまえ、ちょっとやってみろ」とね。英語だったら、単語や文型を覚えるなり、音読をするなり、スポーツで言えば、実際に泳ぐとか球を打つといった作業を生徒にどんどんこせるべきです。(p72 〜73 )
ぼくは,セルフラーニングがすぐれているということのひとつに,学ぶ人が受け身ではなく能動的に学習に取り組むことだ,と言ってきました。
そのたとえとして,車を運転している人と,助手席に座っている人では,道順の覚え方に差がある,と話していました。
しかし,齋藤孝氏の水泳の例の方がよく分かりますね。これは使えそう。
要するに,一斉授業というのは,先生が泳いでそれを生徒が見て分かった気になっています。
先生が数学の解き方を黒板に書いて教える。生徒は先生が解くのを見て,自分でも解ける気になる。
しかし,先生が泳ぐのを見ても実際に水に入って泳ごうとしないかぎり泳げるものではありません。
これと同じで,自分でいろいろ解いてみないと数学の問題は解けるものではありません。
もちろん,解き方の例を示すのは大切です。しかし,何を主とするかでしょう。
セルフラーニングの場合は,自分で解くことが中心になります。例は,教材に書かれているのをみて,じっくりと読み,理解する。
この,水泳の教え方の例のようにセルフラーニングで学んだ方が,ずっと頭に入り,残るものなのです。
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http://mixi.jp/list_bbs.pl?id=1037793&type=bbs
成せば成る
成さねば成らぬ 何事も
成さぬは人の 成さぬなりけり (上杉鷹山)
まあ,いい言葉ですね。しかし,難しい言葉です。
成せば,本当に成るか。
成らないことがありますね。それをその人のせいにできないことが。
特に能力の違いは,どうしようもない。
いま1人の女の子を思い浮かべています。
まじめな子でした。まあ,欠点もあったけど,基本的にまじめにこつこつと勉強に励んでいました。校内席次では4〜50番くらいでしたか。全校で280人くらいだったと思います。まあいいほうです。
中1に入塾してがんばっていた。
さて,その子には弟がいます。彼は中1には塾に入りませんでした。部活に打ち込んで勉強は適当にしていたようです。しかし,成績は彼女より上。彼女は言っていました。「塾にも行かないのに,私より上をとるなんて」
弟の方も中3にはセルフ塾に入塾。やはりできました。
高校になり,彼女は鬱状態に。そして不登校。なんとか卒業し,地元の私立大学に進学しました。別に弟のせいではないでしょうが。
弟の方は,高校でも部活をしながら,地元国立大学に。姉のいった大学より上だといわれている大学です。
さて,「成せば成る」「がんばれ」という言葉。どこまで使えるか。
ぼくは使わないわけではないが,慎重に使わないといけないな,と思っています。
能力があるからです。しかし,中学生に「あなたの能力はここまでなんだから,それで満足しなさい」とも言えない。「がんばればできるよ」とつい言ってしまう。
「こんなにがんばっているのに,なぜあんなに勉強をしない人に負けるの?」と言われたとき,みなさんはどう答えますか。





