セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

5科の要点チェック
 私が生徒にすすめている本です。

受験前,何をしていいのか分からない生徒が多いです。

 一問一答は,気軽に出来,そして友達と問題を出し合ってゲーム感覚でできるのでいいです。

 文英堂は,基本的なことをきちんと取り上げるという点でとてもいい出版社です。

 この本は5科目がひとつにまとまっているという点でもいいです。

 基本的なことがきちんと押さえられます。

 これをまずやる。そして次にうつったらいいです。

 難関高校を受験するには,これだけでは足りないでしょうが,公立の中以下だったらこれだけをおさえるだけでも合格圏内に入ることができるのではないかと思います。

 社会はこれをきちんとやってあとで学研の「要点どん」などに進んでみてはどうでしょうか。

 理科や数学は,これをやってから問題をたくさん解けばいいでしょうね。

 生徒に推薦し,購入希望者が7人出たので,いまアマゾンで注文したところです。



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精神と物質
 利根川進氏と立花隆氏の「精神と物質」です。

 とてもおもしろい本でした。だいぶ前に読んだので細かいところは忘れてしまいました。

 ここでは,p255~p257 の部分を転載します。

 ・・・・は,立花隆氏,「 」は,利根川進氏の言葉です。

 立花氏の非科学的な見方,そして利根川氏の徹底した科学的な見方の対比がとてもおもしろいです。

 それから,最近多くの若者が陥っているスピリチュアルな見方に対する正しい科学的な見方を教えてくれるものだと思います。

 掲載文の後もとてもおもしろい話が続くのですが,長くなるのでそれだけにします。ぜひ買って読んでもらいたい本です。




・・・・・・遺伝子によって生命現象の大枠が決められているとすると、基本的には、生命の神秘なんてものはないということになりますか。

「神秘というのは、要するに理解できないということでしょう。生物というのは、もとも地球上にあったものではなくて、無生物からできたものですよね。無生物からできたものであれば、物理学及び化学の方法論で解明できるものである。要するに「生物は非常に複雑な機械にすぎないと思いますね。」

・・・・・・そうすると、人間の精神現象なんかも含めて、生命現象はすべて物質レベルで説明つけられるということになりますか。

「そうだと思いますね。もちろんいまはできないけど、いずれできるようになると思いまよ。脳の中でどういう物質とどういう物質がインタラクト(相互作用)して、どういう現象が起きるのかということが微細にわかるようになり、DNAレベル、細胞レベル、細胞小集団レベルというふうに展開していく現象のヒエラルキーの総体がわかってきたら、たとえば、人間が考えるということとか、エモーションなんかにしても、物質的に説明できるようになると思いますね。いまはわからないことが多いからそういう精神現象は神秘な生命現象だと思われているけれど、わかれば神秘でも何でもなくなるわけです。早い話免疫現象だって昔は生命の神秘だと思われていた。しかし、その原理、メカニズムがここで解明されてしまうと、もうそれが神秘だという人はいないでしょう。それと同じだと思いますね。精神現象だって、何も特別なことはない」

・・・・・・だけど、そういう精神現象まで分子レベルの物質の動きにまでさかのぼって説明をつけようというのは、まあ、いってみれば新幹線がなぜ走るのかを、素粒子までさかのぼって説明をつけようとするようなもので、そこまで説明しだしたら、説明が膨大になりすぎて、エフィシャントな説明にならないでしょう。

「その比喩は、あてはまらないでしょう。今いっているのは、精神現象に物質レベルの基盤があるかどうか、ということです。免疫の問題にしても、分子レベル、細胞レベルの説明をつけてはじめてぼくらは本当の意味の理解ができたと考えるわけですよ。だから、そういうしベルの説明がつくまで研究を重ねてきたわけでしょう」

・・・・・・だけど、精神現象というのは、はたして新幹線や免疫現象のような意味で、物質的基盤を持つといえるんでしょうかね。あれはー種の幻のようなものじゃないですか。新幹線や免疫現象なら、そこに生起している現象も物質の運動であり、物質の化学反応ですね。だからとことん物質レベルで説明をつけることに意味があるだろうけど、精神現象というのは重さもない、形もない、物質としての実体がないんだから、物質レベルで説明をつける意義があまりないと思いますが。

「その幻って何ですか。そういう訳のわからないものを持ち出されると、ぼくは理解できなくなっちゃう。いま精神現象には重さも、形もない、物質としての実体がないとおっしゃいましたが、こういう性状を持たないもの、例えば電気とか磁気も現代物理学の対象になってるわけです。ぼくは脳の中で起こっている現象を自然科学の方法論で研究することによって、人間の行動や精神活動を説明するのに有効な法則を導き出すことが出来ると確信しています。そのあかつきには、いま立花さんが幻だと思っておられることも『なるほど』と思われるようになるでしょう。要は、人間がもろもろの対象を理解するのに、過去においてこれだけすばらしい効果を挙げてきた自然科学の方法を、人間の精神活動を司っている脳にあてはめないという手はないし、実際そうすれば、立花さんが今考えておられるよりも、もっともっといろいろな事がわかるだろうということです。そこまでいかないレベルで説明をつけようというのは非科学的でナンセンスだと思いますね。
  あのね、こういう話がある。あるときアフリカの未開の部族を訪ねたイギリス人が、そこの若い男の子が非常に優秀なのを発見してイギリスへ連れて帰り、ケンブリッジで教育を受けさせた。少年は有能な医者になった。あるとき、故郷の村で変な病気が蔓延し、村の人々がバタバタ死んでいるという話を聞き、それを救おうと村に帰った。ところがそれから消息を絶ってしまった。それでイギリスの友人たちが心配して、村をたずねていった。すると酋長が出てきて、説明していうには、その男は非常に優秀だった。おかげで村の人人はみんな助かった。それでみんなでその男を殺してその脳をわけ合って食べてしまった。脳を食べれば、あの男の頭のよさがみんなに分け与えられると思ったという。非科学的な説明に納得するというのは、この酋長のような説明に納得するというのと、本質的には変らないことですよ」


ヴィスタ英和辞典
ヴィスタ英和辞典 (単行本(ソフトカバー))
若林 俊輔 (編集) 出版社: 三省堂

大好きな辞書です。大好きなところのひとつを,「この辞書で工夫したこと」から抜粋します。

○日本語訳理解を助ける(←......)を用いたこと
 これは,たとえばbadに「悪い,よくない,ひどい」という「語義」を与えても,「用例」の
Friday the 13th is a bad day for wedding. に「13日の金曜日は結婚式にはふさわしくない」という日本語訳をすると,「悪い,よくない,ひどい」が現れない。そして,こういったことは,入門期にある学習者にとってみれば不可解なことと受けろとめられるのである。その解決策として「←」を持ち得た解説を設けた。上の「用例」について言えば(←よくない日である)と説明するのである。

 私はずっと英語を教えるときに,英文と日本語の間の中間言語的なものを重視してきた。
 和文英訳をさせることが多いのだが,そのときの和文は自然な日本語ではなく,中間言語,つまり英語的な日本語を与えるのである。
 上の「用例」だと
「金曜日,その13番目(13日の金曜日)は結婚式としては(向き),一つの悪い日です」という和文を与えて,それを英訳するというものです。{(向き)というのは,前置詞forを「向き」として教えているので}

 だから,このヴィスタは大いに利用させてもらっています。







 


{ジオログ 2007年11月21日(水) から引っ越し}


頭のよさ」は遺伝子で決まる!?
 表題からして、知能の遺伝子でも見つかったのかと思いました。そういう意味では期待はずれで、ある意味ありふれた結論になっています。しかし、新しく得た知識もあり、おもしろかったです。 いつものように、おもしろかった部分を抜書きします。

○身長などの遺伝的要因が大きい形質と、創造性、協調性などの環境的要因が大きい形質とがありますが、知能はその中間型といえます。

○(イギリスの)ある市で、そのとき77歳を迎えた人たちが11歳のときに受けたIQテストのデータが、たまたま見つかったのです。 87500人のサンプルのうち、身元を探し出せた77歳の人は全部で174人いました。そしてその人たちに、ふたたびIQテストを受けてもらったのです。結果は、11歳のときのテストの順位と77歳現在の順位がきれいに並んだのです。 つまり、むかし成績がよかった人はいまでもいい、悪かった人は半世紀以上経っても悪いというわけです。唯一アルツハイマーの人はこの例から漏れましたが、それ以外の健康な人は成績がみごとに比例しました。このように、IQはふつう年齢とともに変わることはありません。

○能力を数値化したくないのは、それがわかれば差別につあがるという短絡的な考え方が含まれているのではないでしょうか。むしろ才能をさらに伸ばす、能力の劣っている分野は、その遅れをどうやってとりもどすか、という方向に力を注ぐことを考えるべきなんです。本来あるはずの能力差を見えないようにしても、差があることに変わりはないのです。能力が劣っているのなら、それを補う教育をする、能力が高い子どもはさらにその能力を開発する。数値化してきちんと見極めれば、それができるはずです。

○人権が平等であるからといって、能力は残念ながら平等ではありません。

○いわゆる暗記力があるかどうかは、生まれつきの遺伝で決まっている面がおおきいのかもしれません。

○好奇心が遺伝子と関係している可能性は大いに残されています。

○アルコール依存症になりやすいかどうかは遺伝子で決まる可能性が出てきたわけですが、このアルコール依存症になりやすい人はギャンブル依存症にもなりやすいのです。

○左脳と右脳の決定的な機能差は「言葉を話す」という活動だけなのです・・・

○頭を要領よくつかっている頭がいい人の脳は、じつはあまり働いていないのです。

○これ(運動能力)については遺伝的素質が大きいと考えられています。

○どうも、音楽はすべて環境で決まるものではないかというのが、現段階での私の印象です。

○音楽をやればやるほど聴覚野が広がるわけです。

○絶対音感は、5歳以前の幼いときから音楽を勉強しないと身につかないのです。

○5歳くらいまでは神経細胞は分裂しますが、6歳になると分裂がとまります。つまり、細胞分裂しているあいだに音楽を聴いたり、楽器を演奏したりすることで、脳の再編性がうまくいくのですね。

○サルの親指と小指を縛って、残りの3本の指しか使えなくするという実験をしました。3ヶ月ほど経つと、中指と人差し指と薬指を動かす部分が、親指と小指を動かす部分に侵入してきて、脳のそれらの部分が大きくなります。つまり、親指と小指以外の3つの指を使う部分が広がってきて、親指と小指を使っていた部分がなくなったわけです。これは有名な実験ですが、このように脳の可塑性は1ヶ月ぐらいで変わります。

○音楽にしても絵画にしても、もって生まれた能力、遺伝的な要因が大きいような思われがちですが、いまのところは、環境で育まれる要因のほうが大きいと考えていいのです。

○O型の人はある酵素が欠損しています。A型やB型はそれぞれ、赤血球の周囲に別の糖がついてるのですが、O型には何もついていないのです。

○Oは病気に強いと考えるのが妥当なのではないでしょうか。たとえばペストやコレラは世界中に蔓延して多くの人が命を落としたわけですが、このような死を招くほどの病気にO型は強いのではないかと、いまの段階では考えられています。

○頭がいいというのは、神経と神経が速くっつく、回路がつくられる、速く神経が伸びていく、ということではないかと予測されます。

○学校の成績は、一般に女性のほうが優秀です。これは、女性のほうがまじめに授業にも出るし勉強するからです。

○カフェインには興奮作用だけでなく、認知機能や運動機能を高める効果もあります。

○コーヒーは気分をスッキリさせて、頭を回転させる効果があるということです。

○ハチについて、最近、女王バチになる遺伝子と働きバチになる遺伝子の存在が明らかになりました。

○しかしわかったことは、女王バチは特殊な物質を出して、同じメスである働きバチの生殖能力を抑える物質を出すということだけです。


[般若心経」を読む
「般若心経」を読む―「色即是空、空即是色」 愚かさを見すえ、人間の真実に迫る / 水上 勉
PHP研究所

 素直と言おうか、変に分かったふりしないで、正直に自分の感想を述べているところに好感がもてる。ただ、入門書のつもりで読んだのだが、難しかった。再度、別の本で入門し直さなければならない。

「こう思うのも、私に仏眼がひらいていないからか。」

「私には、この世のものは無常であるがゆえに、増えたり減ったりしているふうにも見える。」


「般若心経の哲学は、はなはだ深遠に思える。と同時に、厄介なことに矛盾の自己同一を要求している気がする」

「それはことばの上ではわかっても、私には、何やかや見えるもの、きくものがたえまなくあるのだ」

「妻がいるにかかわらず、町で出会う美人に心がときめいたりするのである。」

「私は、いかに女性が醜女でも、意地がわるくても、ぼうーっとしてしまって、弥勒菩薩を拝むような気分になるのである。」 (醜女T女と淋病の話 p84~87)

「はじめがないといわれても、私をうんだ父母は厳然として存在したのである」

「世の中は、垢と不浄だらけではないのか」

「私たちは凡夫であるがゆえに、不浄を美しいと思うときがある。私は、嘗て、私の先の妻が、入院して、お産をなしたとき、戦時下の苦しいときでもあったので、看護婦のいない病室で、妻の恥部を洗ったことをおぼえている。また、早死にした嬰児が黄疸症状の、ひからびた尻から、青いウンチをたらすのを、何べんもふきとったことをおぼえている。」

「私はむしろ、凡庸を愛する。そうして、凡庸なるがゆえに、すれちがう女を美しいと思えば、欲情も起きる」

「心経はここへくると、いかに観念的であるかがわかってくる。凡夫の情緒にほど遠いかが分かってくる」

「その凡庸を愛するのである。六塵まみれの私をいとおしみたいのである。菩薩よゆるせ。私は地獄におちても、このコスモスの花をうつくしいと思う。これがあるかぎり現世に生きていたいと願う」

「私の娘は二分脊椎という生涯を背負うて生誕した。(p153~156)」

「私にとって、般若心経は、この『乃至無老死尽、無苦集滅道』にいたってまことに冷たいお経だなという気がしてくる。さよう、色身の心底からいえば、心経の何と冷静なことよ、クールであることよ」

「何も、自分だけ悟境に入って、悠然と、ありのままをありのままにみてくらす境界になどいないで、妻子とともにいっしょに苦しみをともに生きもがいた方がよいような気もする」

「妻子とともに、のたうちまわって生きるしかないのではないか」


アナタとわたしは違う人 / 酒井 順子
 おもしろい本だった。作者の見る目がおもしろい。頭のいい人だなあ、と思う。



心の力―人間という奇跡を生きる
心の力―人間という奇跡を生きる / 村上 和雄, 玄侑 宗久
致知出版社

中学の同級生の山田くんにすすめられて読む。なかなかよかった。新しく知ったことも少なくなかった。村上氏の本をこれから読んでみたい。
(おもしろいところを抜粋する)


人間の体の中で実際に動いている遺伝子はわずか3%程度だ (p15)

私には全体の97%に意味がないとはとうてい思えません。(p18)

運動やトレーニングによって遺伝子がオンになったり、オフになったりする(p21)

心の持ち方や心の動きによってもオンになったり、オフになったりするという仮説を出しました。(p22)

彼(ダライ・ラマ)は「仏教にはサムシング・グレートはないんだ」と簡単に言うんです。(p29)

遺伝子が体の中で動いているから、細胞も臓器も体もきちんと機能している。そして、そうした遺伝子の動きに、笑いも関係しているのではないか、というのが私の仮説です。(p46)

恋をすると、あるタンパク質の量に変化が現れるという事実が科学的に確かめられているんです。(p50)

笑うことが病気に利くのならば、それは遺伝子の働きが変化しているに違いない、という仮説(p53)

老子は「道は笑いに近し」と言っています。私も真理は笑っちゃうようなことの中にあると思うんです。(p78)

私たちはここで「病気は本当に悪いことですか」「いつもでも長生きすることがほんとうに幸せなことなんですか」という問題を考えなければならないのだと思います。(p134)

"人の為”と書いて”偽り”と読みますかれね。 「自然に拷問をかけて自白させた。それが科学である」という言葉があります。(p179)

中心に不動の信念があれば自由自在に動けるのです。仏教で言う不動心というのは、ゆらぎまで含んでいます。(p180)

科学者は信仰者なんです。自然や人体には見事な調和があり、何らかの法則性があるということを信じている。信じていなければ、研究なんかやれないわけですよ。だから研究者は、ある意味では非常に敬虔な信者なんです。自然教を信仰している。(p212)

科学者はわずか細胞1個の生命体である大腸菌のひとつすらつくることができません。ノーベル賞学者が集まっても、世界中の富を集めても不可能なのです。つまり、人間は生命をゼロからつくることはできない。(p216)

東洋の教えには科学的なものを含む懐の深さ、柔軟性、あるいはいい加減さがあると思います。(p238)

たとえば「おかげさま」という言葉は、サムシング・グレートを想定している。「何のおかげか」と訊かないところが、日本のいいところです。(p240)



たのしい英文法
たのしい英文法

 拙著「プログラム学習英語」を作る上で大きな影響を受けた本です。
 
 「はじめに」から抜粋します。

 ただ文法の規則をならべて,さあ暗記しなさいというのでなく,どこからそのような規則が生まれてくるのか,また,なぜそうなるのか,ということをできるだけ自分で考えるようにみなさんに求めています。
 なぜ Why ? ・・・と考えることは,人間にとってこの上なくたいたいせつなことなので,英文法についても「なぜか?」をいつも考えるようにした。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 数学,理科などでは,「なぜ?」というのはたいせつだよ,とよく言われていますが,英語で「なぜ?」を重視した本はほとんどありません。
 だから,この本はおもしろいのです。
 この本を読みながら,「へー」と「目から鱗」のことが少なからずありました。

 多くの方に読んでもらいたい本です。

 ただ,中学生には難しい。はっきり言って読み切れないでしょう。

 著者は,英文法についてはよく知っているが,中学生はあまり知らないのではないか,というのがぼくの感想です。

 だから,英語を学び直す人にお勧め。そして,英語を教える人にお勧めです。


ナスカの壺
 この4月に,ペルー旅行を企画中。
 それで,この本を読みました。

 おもしろかった。
 単なる旅行記ではなく,アパートを借りて,ゆっくりペルーの人の生活に入り込んでいく。
 そこから見た目は単なる観光客の見た目とはちがうものがある。

 地元の衣装を着てまつりにでかけ,観光客から地元の人だと間違えられるかしょなどは楽しかった。

 「観光客たちの多くは,きっとタキール島のことは,たいへんな後進貧困の地と思って帰っていくのでしょう。けれど,人類の長い長い歴史のものさしで見るなら,ほんのきのう,私たちや欧米人たちが置いてきたばかりの,そういう質素で誠実な生活を,島では今も守っているだけのことです。」

 まさに同感である。



フランクル「夜と霧」
「解けると思った人が解ける」の内容を
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-160.html

  mixiにも転載ました。
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=28471727&comm_id=1037793

 それに対して,次のようなコメントをいただきました。

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 

 「解けると思っても解けないことはある。しかし,解けないと思ったら絶対に解けないんだ。…」

 同じ事を言ってますよ~!常に!もっと過激な例ですが…。「山で遭難したら…もうダメだ~!ってヤツは必ず亡くなります。生への執着のある奴等は指の一本や二本ダメに成っても必ず生きて帰ってくる!」…完全に精神論ですね~最後は心の持ちようだと思ってますが…。

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 
 (ぼくのコメントです)


 ○○さんのコメントを読んで,フランクルの「夜と霧」を思い出しました。
 ドイツの強制収容所で,生き抜こうという気力のある人は生き残り,それのなくなった人から死んでいくそうです。

 確か,フランクルは実存主義精神分析家だったと思います。この「夜と霧」は,もう古典でしょうが,アマゾンをみると新訳も出ていて,まだ読み継がれているようです。

 心理学の本にはよく引用されます。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4622039702?ie=UTF8&tag=selfyoji-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4622039702

 ぼくは,このような経験を本でしか知らないのですが,○○さんは登山という実際の体験で語ることができるのですね。聴いている子どもたちの受け止め方がまったく違うでしょうね。

ペルーをしるための62章


 高校入試指導のため,読書の時間がとれなかったが,久しぶりに一冊を読み終えた。ペルーのことを知るには最適な本だと思う。このシリーズでメキシコも読んだが,このシリーズはいい。

 p95~96
トゥパック・アマルはキリスト教に改宗させられ、そのうえでクスコの広場で斬首された。この日、クスコの先住民は広場を埋めつくし、屋根という屋根に鈴なりになって処刑を見守った。エクアドルのカニャル系先住民の死刑執行人が刀を引き抜くと、群衆はー斉に悲鳴とも怒号ともつかない叫びをあげ、その響きは大地を揺るがした。これを見たインカば、やにわに右手を頭上にかざし、振り下ろした。そのー挙動だけで群衆は沈黙し、一瞬にして何千人が傾聴の姿勢をとった。想像以上のインカの権威を目の当たりにしたスペイン人は、最悪の事態を予期して肝を冷やした。ところが、そのあとトゥパック・アマルが群衆に語りかけた内容は、誰もの予想を裏切った。自分がこのように斬首きれるのは、子どものころ自分がいたずらをしたとき、母親が、おまえのような者は首をはねられて死ぬがいい、と自分を呪ったためである。おまえたち、くれぐれも自分の子どもにこのような呪いをかけてはならないぞ。そのあとトゥバック・アマルはいとも従順に断頭台にうずくまり首を落とされた。

(何とも情けない。その程度の考えしか持っていないのだから,征服されてしまうのだろう)

p263
 現在のペリーワルツの基礎を築いたとされるフェリー・ビィングロ・アルバでさえ,亡くなった時にはニュースにすらならなかった。
(その人はまったく知らないが,差別というのはこの国にもあるんだと感じた)

p316
 奴隷は所有主の財産と考えられており,契約労働者であるクーリーよりも大事にされた側面がある。
 ( 奴隷は最低な扱いを受けたと思っていたが,なるほど自分の財産なら大切にするな。現在の派遣労働者も同じか)

p320
 頼母子講は資金を持ち逃げしないと信用できる仲間の間でしか成立しない。
 ( 日本以外では難しいかも。沖縄で「もあい」が盛んに行われているのは,お互いを信用できるからなのだな)

p321
 移民国においては,それぞれの民族集団の特徴をうまく表現する言い回しがあるものだ。たとえば次のようなフレーズである。「移民先でその設立・建設を最優先させるものは何か。イタリア人は協会,イギリス人はクラブ,中国人は同郷者会館,日本人は学校」
(何か理解できますね。さすが日本人)

 p329
 日本語の使用という点に関しては,一世の出身地がどこかという問題が微妙な影響を与える。 (中略) ①沖縄(58%)②熊本(8%) (中略) 圧倒的に沖縄出身者が多く,その家庭内で沖縄方言が使われた場合,家庭は日本語を伝承するための場にはならなかったといえる。

 (沖縄出身は方言を使っただろうね。こんなに沖縄が多いのも初知り)

 「行動分析学入門」
 行動分析学は,米国の心理学者B・F・スキナーによって創始された心理学です。

 ぼくは学生時代にそれに出合い,これまでいろいろその理論をもとに動いてきました。
 塾の生徒にたいするときも,いつもこの理論が頭にありました。

 そういう意味でもこのような入門書が出たことをとても歓迎しています。

 この生徒はなぜこのような行動をするのか。そして,それを変えるにはどうすればいいのか,そのことがこの本の中からある程度は読みとることができます。
 でも,やはり入門書なので,それで十分ではありませんが,とりあえずこれで入門し,さらなる知識をつけていくことが大切だと思います。

 さて,入門書として成功しているかどうかですが,「あとがき」に

 どうしても教科書的になるのを避けえなかったことは,痛恨の痛みである。

 とあるが,その通りだと思います。
 ぼくはこれまでいくつも行動分析学の本を読んでいるので,この本はやさしく書かれているとは思うのですが,初めて学ぶ人にとっては少し難しいかもしれないと思います。
 でも,それをかくごしてじっくりと読んで,行動分析学について多くの人が知ってもらいたいです。 


となりのクレーマー
 おもしろい本でした。いろいろな事例が出ていて,気軽な気持ちで読めます。机の上に積んでいたら,中学1年生が先に借りて読んでいました。
 
 この本から改めて「毅然とする」ことを教わりました。
 百貨店側からするとお客はひとつ上の人。だから,気を悪くしてはいけません。
 しかし,毅然とすべきことは毅然とする,それがクレーマーへの対応術だなあと思います。
 その場を何とか収拾することは簡単かもしれないが,それではクレーマーを育てるようにもなりかねません。ある線を引いたら,そこからは一歩も退かない,そういう態度が大切です。

 子育て,学習塾,学校で,毅然とすることができない人が多くなっています。だから,素直に大人のいうことに従わなくなる。この本を多くの人が読んで「毅然とする」ことを学んで欲しい。


本を読む読まないは自由か?
 齋藤孝著「読書力」にぼくのいいたいことが書かれています。全く同感だということで,特に付け加えもせず引用します。

 私が読書の重要性を強調し、何としても本は読まなければ駄目だというと、学生の中には、あとで授業の感想文に「本を読む読まないは自由だから、強制しないでほしい」と書く者もたまに出てくる。
  本当に、「本を読む読まないは自由」なのだろうか。
私はまったくそうは思わない。少なくとも大学生に関しては,百パーセント読書をしなければ駄目たと考えている。こんなことは大学ではかつては当たり前のことであった。しかし現在は、「なんで読書しなくちゃいけないの?」という問いに答えなければならない時代になっている。「なぜ人を殺してはいけないか」について、まじめな議論かなされる時代なのだから、読書の必要性について疑問が出されるのも無理のないことなのかもしれない。
(中略)
 本は読んでも読まなくてもいいというものではない。読まなければいけないものだ。こう断言したい。
(中略)
 読書は放っても自然にするものだ,などということは大きな勘違いだ。






高校生が感動した「論語」
 おもしろかった。
 前書きに
本書はこれまでの経験を踏まえ,読者が肩を凝らさず読めるように『論語』を構成し直し,補筆・翻訳したものである。

 とあるが,成功していると思います。
 通常だと別に解説を加えるところを訳の中に入れて,読み安くしてあるのもいいです。

 「人知らずして慍らず、亦君子ならずや」を「周りが自分を認めてくれないからってクサるなよ,オンリーワンとなるよう精進しようや」と訳している。「君子」をここでは「オンリーワン」としているのもおもしろい。

「そうさな,とびっきりの天才と,とびっきりの怠けものばかりは,教育によっても変えようがないかもしれないねエ」
 (同感です。いろいろやってきたが「とびっきりの怠け者」をやる気にすることはできないなあ)

「真の教育は教わる者の自発性を高めることに力を注ぐべきなんだ。自発性さえ芽生えれば,誰もが自学自得するようになるよ」
(同感だなあ,と思っていたら,「教員時代の経験を踏まえて蛇足を加えて訳した」とある。この「蛇足」があちこちにあるが,それがまたおもしろい)

「出来の悪い生徒は,教育者にとっては良い生徒かもしれないよ」
「教育者というのは,問題児や出来の悪い弟子によって鍛えられ,育てられる面があるものだ」
(これもまったく同感。佐久氏の「蛇足」であろうが,孔子もこのように感じていたのでしょうね。教材を作るときも,できる子がすらすら解いていたのではこちらは怠け者になる。できない子がつまずくから,では工夫してみようという気になる)

「『いい加減』という詞は『過不足のない,ちょうど良い加減』という最高の意味なのに,最近では,すっかり『ちゃらんぽらん』という悪い意味でしか使われなくなってしまったねェ」
(「中庸」を「いい加減」と訳している。「中庸」の「庸」は,ぼくの名前(庸次)の「庸」なので関心がある。沖縄方言の「てーげー」も「中庸」ということか?)

「子是の日に於て哭すれば則ち歌わず」を「弔問に行って泣いたあとは気分直しにカラオケに寄ったりしないこと」としている。また,おもしろい。



世界反米ジョーク集
おもしろい本です。
 まず,ジョーク集とあるように,ジョークもおもしろい。
 ただ,この本はジョーク集というだけではない。それだけを目当てに読むと,おもしろくないかもしれない。
 この本の大部分は,ジョークというより,現在のアメリカについて書かれている。いろんな側面から書かれていて,よくまとまっていると思う。現代アメリカ入門にもなる,アメリカの矛盾がとてもよく分かる。そのような解説があるかろこそ,ジョークが生きてくる。

 ブッシュ大統領は頭が悪いとして描かれているジョークが少なくない。

 その中のひとつ
● アメリカ合衆国の現大統領は神童だった。なにしろ10歳にして現在と同じだけの知性と理解力を有していたのだから。

 攻撃の可能性が差し迫っているかもしれないという予測の段階で,「今のうちに攻撃して叩いておこう」ということになるとこれは「予防戦争」であり,国際法にも反することになる」
 といった解説の後に,次のジョークが来る。
●200X年,ブッシュ大統領は,結局戦争犯罪人として国際法廷で死刑を宣告された。ブッシュは怒りで顔を紅潮させながら,叫ぶようにして言った。
「確かにイラクではうまくいかなかったかもしれない。しかし,たった一つの国に対して間違いを犯しただけで,死刑だなんてあまりにひどすぎる!」
すると裁判官は顔色一つ変えずにこう言った。
「あなたを死刑にするのはイラクが原因じゃない。これから幾つもイラクのような国ができるのを予防するためです。あなたは差し迫った脅威ですからね。つまり予防的先制攻撃ですよ」

 アメリカは戦争大国である。それに関して
●あるアメリカ人の人類学者が,食人種の村を訪れて調査していた。ある日,彼はイラクで起きている戦争について村人たちに話をした。すると村人達は眉をひそめ,口を揃えて彼に聞いた。
「そんなに大量の人肉をどうやって食べるのですか?」
人類学者は苦笑いしながら答えた。
「アメリカ人はそんな野蛮なことをしません。殺した敵の肉など食べません。」
村人たちはさらに驚いて囁き合った。
「食べもしない敵を殺すなんて,アメリカ人というのはなんて野蛮な人種だろう」

● 中東を旅していたアメリカ人の若者が,窃盗の容疑で地元の警察に捕まった。法廷に立たされた彼は裁判官に向かって言った。
「僕はとても不安です。こんな遠い異国で裁かれるなんて。僕は自分の生まれた国であるアメリカ合衆国での裁判を望みます」
それを聞いた裁判官は苦笑いをしながら答えた。
「安心しなさい。いくらここがあなたにとって異郷の地であろうと,法は常に公正に執行されますから」
 若者はため息をつきながら呟いた。
「だから困るんじゃないか・・・・・」

 これは,なかなか単純に笑えない。沖縄にとっては現実の問題だからだ。レイプしたり,殺人を犯しても,アメリカに連れていかれてその後どうなったのか分からない米兵が多いからだ。


遺伝子・脳・言語

 サイエンスカフェということで,カフェで2人の科学者とお客さんが語り合ったものを本にしたもの。そういう意味では,あまり成功しているとは言えないとぼくは思う。
 なぜなら,それに参加したのは,教師などけっこう知的レベルが高く,自分の意見を持っている人。発言した人がそうかもしれない。それぞれに自分の立場があるものだからあっちに行ったり,こっちに来たりといった感じ。少しまとまりに欠けていると思う。
 それでも得るところはあった。以下●は引用。

●ですから,神様ほど無能なものはない,というのが僕の意見なんです。あるものをちょっと変えるだけで,神様だ,創造主だ,なんて言われるけれど,実は創造なんかしていない。実に単純なことを積み重ねて,その時その時,その場その場でやっつけ仕事をしている。

 (そうなんですね。まったく同感。神様を持ってくる必要はないのです)

● ホモサピエンスは全員ホモサピエンス語というものを持っている。これはアメリカ人でも日本人でも同じで,前にもお話ししたように「脳言語」といってもいいものが脳にある。

(スキナーとチョムスキーの言語に関する有名な論争というのがある。詳しくは知らないが基本的にはこの「脳言語」があるかないかということかと思う。これまでいくつかの本で,チョムスキーが論争に勝ったような書き方がほとんどだと思う。ただ,先日読んだ「行動分析学入門」ではスキナーの立場で言語が説明されていたので,スキナー側はまだ負けたとは思っていないのだろう。この本の酒井氏の著書に「言語の脳科学」があり,それに詳しく述べられているようだ。読んでみたい。) -



●(双子の兄弟の発言)中学生のころ,英語の個人塾に通っていたのですが,そこの先生が2人の答案を見て,同じ問題を間違えるのは,学習能力が同じだとか教え方が同じなのでまぁ良いけれど、間違っている場所まで同じというのは珍しい,と言ってました。

(間違えるところも同じ場合,ぼくはカンニングをしているのだろうと思ってしまいますね。でも双子でそこまで同じというのはおもしろい)

● 僕と弟の間にテレパシーはないと思います。

(これも双子の兄の発言。こういうのをマスコミはしっかり報道して欲しいです。いまはオカルト的な放送が多すぎる。その方が視聴率はあがるのだろうが,国民全員が非科学的になり,国自体がだめになるのではないかと危惧する)

● 女性科学者の最大の課題はいかに非論理的になれるかということです。

● デルブリュックという有名な先生が,科学書として成功するための秘訣を私に教えてくれたのです。それはlimited sloppiness 「限定的ないい加減さ」といいますか。これが重要だと。

(女性はまじめすぎるのでしょうね。だからある程度「いい加減」でなければいけない。沖縄の「テーゲー」がやはり必要なのか。沖縄の場合は「限定的」でなく,すべてにおいてそうだから,問題かも)


●実は(脳)細胞が減った方が利口になる可能性もあるんですね。悪い細胞があるためにバカなのかもしれませんから。

 (それが本当なら,年をとって脳細胞が減るのも気にならない。うまい話だ)

●学習したってことは何かを得たことだと思うかもしれないけれど,得たんじゃなくて余計なことをしなくなったんだということもある,というのがひとつの観点だと思います。

(だから,脳細胞が減っても大丈夫,ということなか)

佐賀のがばいばあちゃん


 よく売れているとのことなので,古本になるのを待って読んでみました。

 気楽に読んで,笑えて,おもしろかったです。

 机の上においていたら,生徒が「これうそ2割,作り話8割,ってテレビで言っていたよ」と言っています。そうかもしれないが,まあフィクションにしてもおもしろいものはおもしろいです。

 とくに,吉永小百合に似た先輩との話はいかにも作り話かなって感じますが,どうなんでしょうか。

●学校から帰った俺はランドセルを置くやいなや
「ばあちゃん,腹減った」
 とうったえたが,その日はきっと何もなかったのだろう。ばあちゃんはいきなり
「気のせいや」と返してきたのだ。
 そう言われると,まだ9つかそこらの俺は「そうかなあ」と大人しくしているしかない。
(中略)
 多分,夜の11時半くらいだったんだろう。俺はいくら気のせいやと言われても,お腹がすきすぎて目が覚めた。隣に寝ているばあちゃんを
「やっぱりお腹減った」
 と揺り起こしたら,今度は
「夢や」
と言われてしまった。布団の中だったので、一瞬に夢かと思ったけど・・・・・空腹と寒さで涙がこぼれた。


●佐賀にやってきてからというもの、俺は年に一回、夏休みしかかあちゃんに会えなかった。
(中略)
「ばあちゃん、俺、今度の冬休みも広島に帰りたい」
「それは無理たい」
「なんで?」
「冬は、汽車が走っとらん」
 俺は勢い込んだ分,がっかりした。でも、まだ望みが残っている。
「じゃあ、春休みに帰りたい」
「それも無理たい」
「なんで?」
「春は、運転手さんは用事があると」
(中略)
 ところがその時、線路の向こうの方から汽車がやってきたのだ。
「うわぁ,汽車、走っとっと!!」
 これでは、話が違う。
 俺は友達もそっちのけので大急ぎで家へ帰った。
「ばあちゃん、汽車が走ってる!今年の冬は休みと違う!」
「まさか」
「今、見てきたもん!」
「それは、貨物列車や」
「違う!手を振ったら、振り替えしてくれたよ」
「それは、家畜やろう」


(まあ,子どもだましのうそで,罪はないだろう。頭の回りのいいばあさんだったようだ)

言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか


 おもしろい本でした。

 チョムスキーの脳科学の立場から立証しようという試みです。まだ脳科学が十分に発達している訳ではないので,きちんと立証できたわけではありません。しかし,その方向性は確かに正しいと思われます。

 ただ,スキナーの行動主義批判の仕方がよろしくない。ぼくはスキナーの理論を学んだが,著者の無理解さは激しい。矮小化して,自分で作り上げた行動主義を批判して満足している感じがしまする。もっときちんとスキナーを理解して欲しい。
 チョムスキーとスキナーはかなり激しい議論を行ったことは有名なことだが,一方的な意見という感じです。

 ●は本書からの引用で,( )はぼくの意見,感想です。

● チョムスキーは,発生の仕組みで体ができあがるのと同じように,脳に「言語器官」があって,言語も成長に従って決定されると考えた。言い換えると,言語は,本人の努力による「学習」の結果生ずるのではなく,言語の元になる能力,すなわち言語知識の原型がすでに脳に存在していて,その変化によって言語の獲得が生じると考えればよい。

( この長い人間の進化の中で,言語の原型が脳にあっても不思議ではないかもしれない )

● チョムスキーは,自然言語には文を作るための必然的な文法規則があり,これが普遍的かつ生得的な原理であることを提唱した。一方,意味や概念の学習は後天的であり,単語と意味のつながりは連想に基づくものであって,その連想関係は偶然的である。
● 言語獲得は一定の成長の過程をとるのに対して,学習の過程は教育のやり方で大きく変わるし,個人差も大きい。文字や第二言語の勉強に学校教育が貢献しているのも,学習の必要性を反映したものである。母語における文法の獲得や使用は,無意識的に行われるのに対し,第二言語を取得するときに意識的な反復学習が必要なのは,多くの人が経験済みであろう。

( 英語教育において,学校教育を批判する人の中に,「アメリカの子どもたちはみな英語を楽に話すのに,なぜ中学,高校と英語を学んでいてまったく話せないのか。それは文法重視の教育が悪いのではないか,」という人がいますね。チョムスキーの理論からすれば私たちが日本語を習得するのと中学生になって英語を学ぶのとではまったく異なるものだということでしょう)

● クリストファーという1人のサヴァンは,20カ国語を使いこなす「言語天才」であり,
● クリストファーの特殊技能を概観するうえで,注目すべきもう一つの点は,言語を習い覚えるその速さと容易さである」
●巧みな文法能力を発揮して,わずかな例から自然に使いこなせるようになった。
● 幼児のときには,誰でもクリストファーと同じように,この「言語モジュール」を使って,どんな言語でも獲得しているのだから,クリストファーは,幼児の言語モジュールの能力を大人になっても失わなかったことがユニークなのである。

( 幼児期には,みんな言語の天才です。それは分かります。日本人の赤ちゃんはいとも簡単に日本語を話せるようになります。それが中学生になっていくら勉強しても話せるようにはならない。それは,幼児期にあった言語を獲得する能力を中学生では失ってしまっているのですね。
 とすると,幼児期と中学生では,英語教育の仕方が根本的に異なる必要があるのではないかと思えます。やはり,意識的に文法を学ぶというのは必要ではないのか)


詭弁論理学




 前に紹介した「数と計算の意味がわかる―数学の風景が見える (数学の風景が見える)」がおもしろかったので,同じ野崎昭弘氏が書いたものだからおもしろいだろうと思い,読みました。

 とてもおもしろかったです。「詭弁論理学」というから「詭弁」の使い方とあるので,悪賢くなる方法かななどと思いますよね。でも著者自身がそんなに悪くなれれない「善人」という感じ。こんな詭弁,強弁があるよ,おもしろいね,みたいな本です。
 また論理学だからとてつもなくむずかしい,という感じを持ちますが,基本的にはとても気軽に読めます。ただ,難しいところもあるので,適当にスルーしましょう。

 さて,その中から

どこがまちがっているか?
【中級問題】買物上手のA君に、B、C、Dの三人が千円ずつ出して、三千円のレコードを買うのを依頼した。A君は五百円だけ値切って買い、二百円を着服して、残り三百円としコードを三人に渡した。三人は喜んで、おつりを百円ずつわけた。
さて・B・C・Dはー人九百円ずつ出したことになるので,三人の出費はあわせてニチ七百円である。これにA君が着服したニ百円を加えるとニ千九百円になり、最初の三千円より百円少ない。



 初級問題もありますが,それは簡単に分かりました。この中級問題は考え込んでしまいました。どこがおかしいんだ。図に書いたり,はさみで100円を作ったり。どれくらいたったかな。20分くらいかな。やっと分かりました。分からない人は,読んでください。

「上級問題」は,まったく解けなかった。解説を読んでやっと理解。だから,ここに引用しません。

 さて,おもしろいもの

女房よりいいものはない。
「ない」よりは十円玉のほうがいい。
ゆえに、女房よりは十円玉のほうがいい。
これはかなり苦しい訳文であるが、もとの英文はさらりとしている。
Nothing is better than my wife.
A penny is better than nothing.
Hence a penny is better than my wife,


 また,次もおもしろかった。

「動詞」は名詞である。
「歩く」は動詞である。
ゆえに、「歩く」は名詞である。


一人でやる仕事を六十人でやれば、六十倍の早さでできる。
柱を立てる穴を掘るのは、一人でやればー分でできる。
ゆえに、柱を立てる穴を掘るのは、六十人でやればー秒でできる



 次は,大傑作。大笑いしてしまいました。この娘さんは,詭弁を使ったわけではないでしょうね。たぶん本当に知らなかった。でも,それまでかなりこれでもうけたのでしょう。ニューヨークには算数ができないのが多そうだから。

 雑誌『数学セミナー』に、慶応大学の斎藤利弥先生のおもしろい記事がのっていたので、次に引用してみよう(一九七四年十月号、巻頭言)。
「ニューヨークでのこと。ホテルの中のタバコ屋でタバコを買って10ドル札を出した。代金はたしか70セントたったと思う。
日本でなら、店番の娘さんはひき算でおつりの額(9ドル30セント)を出す。それから1ドル札を9枚、10セント貨を3枚の順で、お客に渡すにちがいない。しかし外国ではふつう、ひき算はせずに、「10ドル札に対しては10ドルのものを渡す」というふぅに考える。まず70セントのタバ コを渡し、次に10セント貨を1枚ずつ出しながら、「80セント、90セント、1ドル」とかそえる。
 それから1ドル札を「2ドル、3ドル、4ドル、……」とかぞえながら、10ドルになるまで渡す。
  つまり30セントがさきで、9ドルがあとから返されることになる。ところが・・・・
「店番の娘さんは手順通り10セント貨・・例のダイムという奴を次々に3枚私に手渡して『これで1ドル。OK?』と念を押した。それから1ドル札を次々に出して2、3、4と数を読んでいったが、どういうわけか9でストップしてしまった。1ドル足りないと注意すると、さっきこれで1ドルと念を押したじゃないか。9と1とで10になるから、おつりはこれだけだという。・・・・・押問答をしているうちに弥次馬が集まりてきて、どちらが正しいかについての議論がはじまった」




バッテリー

 NHKのクローズアップ現代で紹介されているのを観て,読む気になり,読みました。

http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku2007/0708-1.html

 まあ,おもしろい本でした。このような本は嫌いではないです。

 しかし,「読者の7割は20代~40代の大人の女性たち」だそうだが,それがなぜかよく分かりません。
 傲慢ともいえるほど自分に自信をもつ主人公。あまり友達にはしたくないですね。まわりの人はみんないい。好感がもてる。
 しかし,やはり主人公なんでしょう。自分の生き方に自信をもって妥協せず,ぶつかってもいいからそれを貫く。それがいいのかもしれませんね。まだ1巻を読んだだけです。もっと読み進んでからまた考えてみます。

チョムスキー




●ノウム・チョムスキーは、ユダヤ文化を尊び、シオニズム運動にかかわり、ヘブライ語の復興に熱意を注ぐ両親のもとに生まれ育ったのである。

( チョムスキーもユダヤ人なんですね。ユダヤ人ってすごいなあと思います。)

● チョムスキーが行う新聞批判も、この論説にかかれたマルクスの指摘と驚くほど似ている。実はチョムスキー自身、マルクスから感化されたことを認めている。

( ぼくも学生時代はマルクスをだいぶ読み、感化を受けました。いまでもマルクスは尊敬しています。なにかチョムスキーを身近に感じます )

● チョムスキーの考えでは、ヒトの中枢神経系や大脳皮質には”発話”を生み出す生物学的能力ばかりでなく、”言葉という秩序”そのものが、あらかじめ組み込まれている。さまざまな単語を整然と並べて”言葉”という構造物をつくり出す能力は、ヒトに生まれつき備わっているのだ。

● あらゆる言語の文法構造は”普遍文法”という土台の上に築かれているという結論に行き着く。

( ここがスキナーとの違いだったのだろう。ぼくは、それを認めてもいいと思う。この本では、言語がこんなに難しいのに、幼児がいとも簡単に身につけるからということで、脳に組み込まれているとしている。それだけでは弱いと思う。幼児が驚異的な学習能力を持っていると仮定してもいいのではないか。

 ただ、進化の中で普遍文法なるものが人間に備わったと考えても不思議ではない。またそれは行動分析学と矛盾するものではないと思う。
 この本ではスキナー批判がなされているが、そこに描かれているスキナーはスキナーではない。後日その点についてはいろいろ調べながら書きたいと思う)

 (ぼくが知りたいチョムスキーは言語学者としての彼である。しかし、この本では社会批評家としてのチョムスキーの方にページがさかれている。

 もちろん,その方面も関心がないわけではない。
 イラク戦争のあとの米国は多くの人が知ってのとおりである。それ以前から米国を批判していたというのは先見性があったのだろう。
 ただ、ぼくにとっては特に新しいことではない。メディアの問題や米国の問題は、日本共産党の主張とおりである。かなり共通していると思う。

 なお,ぼくは沖縄に住んでいる。長い間,アメリカの統治下にあった。そして米軍基地に畑を取り上げられたり,殺人,レイプなど,アメリカの横暴さをみてきた。瀬長亀次郎さんらがそのアメリカの本質を以前から見抜いてきた。だから,ここに書かれていることはぼくらにとってはすでに知っていたことではある。)


チョムスキー入門


  イラスト,漫画入りで見た目は,気軽に読めそうな本。しかし,中身はかなり難しい。チョムスキーの理論そのものが難しいので,気軽に読めるものではないのだろう。少しでも知識があればいいのだろうが,入門とは言えない本だと思う。
 前に読んだ「チョムスキー」より,中身はある。
 もちろん,いくらかはチョムスキーについてぼんやりとは分かるような気がする。ただ,まだまだ入門の段階にも入った気がしないので,さらなる入門書をさがすことにする。

バッテリーⅡから学ぶ
 バッテリーⅡ,おもしろかったです。



 ぼくは教育に携わるものだからか,これを教育書として多くのみなさんにも読んでもらいたいと思います。もちろん,物語として楽しみながら。

 主人公の原田巧が野球部に入部。戸村監督(オトムライ)との会話です。


「ただし素質はみがかなければ、それだけのもんで終わる。努力と理にかなった練習、試合経験。これからーつひとつ、学んでいくんだ。これからだぞ、原田。わかっとるな」
「はい」
「けっこう。では、手はじめに」
オトムライの手が、巧の髪をつかんだ。
「髪が長すぎる。野球をする頭じゃない。ちゃんと散髪してこい」
巧が振りはらうように身体をよじった。肩が豪にぶつかる。
「髪を切ったら持続力がつくんですか」
ひと呼吸、息を整えて、巧が言った。
「なんだと」
「理にかなった練習って、監督言ったじゃないですか。髪の長さなんて、どうでもいいでしょう」
「おまえな、さっき素直じゃてほめてやったのに、どうしてそうなんだ。指示にしたがえ。そうしないと指導ができんだろう」
「練習方法についてはそうします」
オトムライの顔がゆっくりと赤くなる。


 ここを読んで思い出したことがあります。
 塾の生徒が大会前に坊主頭になります。ぼくはその子たちに言ったことがあります。
「丸坊主をしたら,野球がうまくなるのか? プロ野球の上原は髪が長いよ」

 また,ぼくが高校生のころ,ビートルズ,ヒッピーの影響か,長髪が流行った。男も肩まで髪を伸ばしていた。先生に注意されたので,クラスで先生と話し合いをしたことがあります。あのころは学生運動の影響だったのか,生徒も強かった。
 だから,この巧くんのように先生に反抗するのを読むと胸がすーっとしますね。ただ,このような生徒はできれば持ちたくないですが。

 さて,ここから学ぶことがあります。要するにぼくがいいたいのは,この監督を反面教師としてもらいたいということです。
 教師と生徒は上下の関係にあります。だから教師の指示には生徒は従う。しかし,それは理にかなっていなければいけない。

 教師は,権威というか権力というか,それを持っている。中にはそれがまったくなくて生徒に馬鹿にされるのもいるようですが。
 まあそれは別にして,権力を持っているから,理にかなっていなくても力ずくで従わせることができます。

 しかし,そこをぼくらが自分を見つめて,いま従わせようとしているのは理にかなっているかを自分自身に問いかけてみるのは必要なことだと思うのですね。

 トムライ監督のために書きますが,監督はあとではこの巧を認めます。さて,ぼくにこの監督のようなことができるか。少し心配。こんな反抗的な生徒でも認めるべきところは認める。これも広い心がないとできませんね。

あさのあつこさんに脱帽
 「バッテリーⅡ」を読んで感じたことをもうひとつ書き残しておきたいです。

 それは,主人公巧の行動のすごさです。いや,巧の行動は著者が作り出すものですから,著者あさのあつこさんのすごさですね。
 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 最後の部分。野球部で不祥事が起こる。校長は,巧たちを校長室に呼び,話し合いをする。静かに語りかけます。決して威圧的ではない。民主的な感じです。
 その中で,知らないふりもできないので,野球部の活動をしばらく休み,次の大会には出場辞退とすることを告げます。

 校長は巧たちの気持ちも理解しながらも協力を求めます。

 しかし,巧は納得しない。

 (ここまではぼくも分かります。しかし,しかしです。)

 巧は校長室を出ると,3年生のキャプテンに言います。
 「やりましょうよ。部活」

 (これには,びっくりです。ええ,そこまでさせるのかよ? といった感じ)

 キャプテンは断ります。下手をすると野球部が廃部になる。そして,学校に逆らうと受験にも影響する。

 (当然ですね。これが普通の考えでしょう)

 しかし,キャプテンは鍵を巧に渡す。
 そして,巧たちは練習を始める。それにキャプテンも加わる。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 いやー,びっくりです。ぼくは自分でかなり反体制だと思っています。しかし,ここまで逆らって自分を押し通せるか。それを主人公にさせるあさのあつこさんに脱帽です。

 ぼくも感じていることですが,国語学者の石原千秋さんが「国語の入試問題に出てくる主人公はみなおりこうさんです」のようなことを書いています。

 ほんとうにそうです。頭がよくて勉強大好き,部活も懸命に取り組む。お年寄りにはやさしくて,ボランティア精神旺盛。親のいうこと,教師のいうことに素直,ときどき反抗的な子がでてきますが,ある経験をして心を入れ替え親と仲直り。
 みんないい子,いい子です。

 バッテリーは,一応,児童文学書でしょう。それをいい子でない子を主人公にする。そこまで自信を持って自分を生きる子を描こうとする。負けたなあ,という感じです。




落合の「コーチング」


 正直にいうと,落合は優等生だなあという感想です。現役時代の落合には悪いが,力はあるが,わがままな選手というイメージでした。「俺流」というのが勝手に一人歩きしたところがあったのでしょう。

 mixiの意見交換の中で,落合の監督としてのすばらしさを語る人がいたので,読む気になりました。

 その通りでした。すばらしい方です。

 ただ,はっきりいって,この本から,コーチングとして学ぶところは少なかった。
 悪い意味ではありません。

 ぼくは,これまで人を育てる本をいくつも読んできました。それが仕事ですからね。

 その,これまで読んだ本に書かれていることが,この「コーチング」にも書かれているのです。要するに,落合の語っていることは,先人の語っていることであり,とても理にかなっているということです。だから,読む価値は十分にあります。ぼくも再確認としてよかたっと思います。

 それから,彼はとてもやさしい人だと思いました。この本にも先入観のことが書かれていますが,ぼくは彼は人を傷つけても平気な人だという先入観を持っていました。しかし,そうではない。とても人のことを気にする人です。
 この本には多くプロ野球選手が実名で出てきます。いろんなエピソードが出ます。悪いことも書きますが,それをフォローするためにまた多くのページをさいています。


 それでは,ぼくがおもしろいと思ったところ。

● 山内さんは,私にも様々たとえを使って丁寧に指導してくれた。ホースで水まきをする時の腕の使い方から,洗顔する際の水のすくい方まで・・・実に細やかな指導であったが,私はそのすべての話を聞いた上で「俺のことはほっておいてください」と言ってしまった。振り返れば無謀な言動だったが,それ以降,山内監督は私に対して何も言わなくなった。

(ここだけ取り出したら,さすが落合。わがままものですね。)

● キャンプからオープン戦と時間を経ていく中で,斎藤の気持ちが徐々に前向きになってきたとみるや,森監督は斎藤を呼んで「俺は,おまえと心中する」という殺し文句を口にした。斎藤も,「この言葉で吹っ切れた」と,後にインタビューで語っていた・・・・

● 若手を育てるために必要なことは何か。精神的なモチベーションを高めさせることである。そのためには,目の前にニンジンをぶら下げてやる。(中略)これだけ頑張って一軍に上がり,そこでこれだけの数字を残せば,こんなに多くの年俸が手にできる。そうすれば,こんな贅沢な暮らしができるのだ,ということを何度も言ってやる。

● 私はテレビで野球解説をしているが,実況しているアナウンサーに何か聞かれて,わからない時は「わかりません」と言う。嘘を言う必要はないし,間違ったことを話すのはあまりに無責任だ。いくら20年間取り組んだ仕事とはいえ,わからない部分は必ずある。ましてや,野球解説では「あの選手は今,どういう精神状態でしょうか」という質問がくることもある。「それはその人の考え方だから,私にはわからない」と答えるしかない。第三者が考えていることだから,わからなくて当然だろう。
 また,引退してもよく聞かれる質問に「どうしたらホームランやヒットを打てますか」というものがある。「その答えこそ私にください」と言いたい。

 (いいですね。こんな人が言うから重みがある)


● オーナーや球団社長に,必ずと言っていいほどかけられた言葉が「君は,思っていたよりも話のわかる人間じゃないか」というものだ。私は,一体だんな人間だと思われていたのだろう。

( ぼくもオーナー,球団社長と同じ感想です,)

● 自分の人生を見誤らないためには、親友というか、本当に親身になって自分のことを考えてくれる良きアドバイザーを見つけることが大切だ。3人必要である。(中略)あmず、一人目を見つけるのに、もっとも手っ取り早いのが結婚だ。

バッテリーⅢ


 バッテリーⅢ もおもしろかった。野球小説としておもしろい。

 そして,また次の部分も。まず,抜粋します。


 (紅白試合のあと校長先生が語ります)

「(前略)そう、学生のやるスポーツというのはそうでなくちゃいかんのだ。みんなで力を合わせてやりぬく。ひとりじゃできないことでも集団ならできる。集団を生かすためには、自分の欲や思いを殺さないといけないこともある。それがチームワーク、チームプレイというものだろう。きみたちはそれを学ぼうとしている。そうですよね、戸村先生」
 (中略)
「技術的なことを言ってるんじゃないんです。精神ですよ。懸命に何かに打ち込むことで得られる協調と助け合いの精神、それが学生スポーツの神髄でしょう。その精神が、野球部には、芽生え始めていると感じたわけです。友情や努力も・・・・」

(その後,ちょっとしたトラブルそして,3年の展西が原田に言う。)

「なあ、原田・・・おまえ、ほんまに大会で優勝したいとか、チーム全本が強くなったいいとか、そんなこと思ったことあるんかよ。みんなで力を合わせて、仲間と信頼深めてがんばって・・・それでみんなで喜んだり悲しんだりして、そういうこと思って、野球してるんか」
展西の問い方は穏やかだった。答えを聞きたいのだという穏やかな響きがあった。
「思ってません」
答える。隣で、豪の身体がぴくりと動いた。
「けど、ひとりじゃ野球はできないってことぐらい、わかってます」
(中略)
「ただ、試合の勝利とかチームの成長とかのためより、自分の最高の球を投げるためにやっているというか・・・」
(中略)
「これは、また、ずいぶんと自己中心的な考え方だねえ」
校長は首を横に振り、眼鏡を押し上げた。
(中略)

校長の声が荒くなる。
「スポーツ活動は、教育のー環です。健全な精神と肉体を養うためにあるのでしょう」
「おっしゃるとおりです」
「あなたは、長年、野球部の活動を指導してきて、子どもたちに学校スポーツの基本も教えられなかった。責任問題です。野球部の活動再開も考え直さないと・・・」
「なんで、そんなこと、あんたが決めるんだよ」
巧は叫んでいた。
「おれたちのやることを、なんで、勝手に決めるんだよ」
(中略)
(キャプテンの海音寺が言う)
「先生、原田の言うとおりです。許可するだのしないだの、勝手に決めないでください。いろいろ、ごちゃごちゃあっても、部員はみんな野球が好きで、都活ができるようになって喜んでるんです。おれたちの部なんですから、やらせてください」
校長は海音寺の顔を見つめ、かすかに目を細めた。
「海音寺くん、ちがうんだよ」
「は?」
「学校内にある部というのは、文化部、運動部を問わず、全て学校活動に組み入れられている。新田東中の野球部は、新田東中という中学校のものなんだよ。むろん、きみたちのものだ。けれど、きみたちだけのものじゃない。わかるね? きみらが他校と試合をする。そのとき、きみらは新田東中の名前を背負うわけだ。新田東の野球部は強い、新田東の野球部はりっぱだ、きちんとしている、礼儀を知っている・・・・そういう風にいつも、校名かついてまわるんだ。いいか、誤解してはいけないよ。

 ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  
 校長先生のきれいごと。それに対して,巧の素直な気持ち。

 ぼくは,きれいごとが好きではない。何かとってつけたようで,そういうのを言うのは恥ずかしくります。

 しかし,ここでも巧にこのような発言をさせるとは。著者あさのあつこさんって,どんな人なのか?


コーチング




 行動分析の立場から書かれています。行動分析を初めて学ぶ人にもわかるようになっていて、入門書としていいです。

 教育、仕事などで人を動かすことをする人にぜひ読んでもらいたいです。著者はアメリカンフットボールの監督でもあるので、スポーツの好きな人にはおもしろいでしょう。

 以下はぼくにとっておもしろかったところです。

 ● 行動心理学者を確立したスキナーは、「喜びというのは、強化子(つまり、自分にとって楽しいものとかいいもの)をもらえるという予想である」と定義づけている。

 ● 原田ヘッドコーチに言わすと「自由というのはハードなんです。選手にしたらノルマをあたえてやったほうが楽だろうし、コーチとしても手間がかからない。その方が手っ取り早いかもしれないが、それでは創意工夫は生まれない。

● ローゼンとアンドレイドという心理学者は、心理テストを使って子どもを「やる気」が非常にある子とあまりないない子の二つのグループに分けてみた。そして、子どもに目隠しさせて片手で積み木を高く積み上げさせた。その前に、親に自分の子どもが何個ぐらい積み重ねることができるかを言ってもらっておいた。「やる気」の高い子どもの親は「やる気」の低い子どもの親より高い要求水準を言うことが多かった。次に、子どもが実際に積み木を積み上げるときに、手を貸してはいけないが、言葉ならいくら手伝ってもいいと言うと、「やる気」の高い子どもの親は、叱ったり、怒ったりせずに、暖かく励ますことが多かったというのである。
 この実験からすると、厳しく叱ることや命令するよりも、暖かい励ましの方が子どものやる気を高めることがわかる。




バッテリーⅣ




 この巻,ストーリーとしておもしろいです。
 少年が壁にぶちあたってしまうという話です。なかなか傷が深い。

 結論は分かったが,もっと詳しいことを話してくれよ,といっても,著者はもったいぶって,最初は少しずつ少しずつ。そうして物語に引き込まれていきます。うまいですね。


 さて,このⅣには,「3歳の巧を描いた文庫だけの書き下ろし短編『空を仰いで』」が載っています。

 そこから抜粋します。

 巧の祖父洋三は,元高校野球の監督。しかし,妻の余命が最短で1年と告げられます。


「それで、わたしは、何をすればいいんでしょうか」
  監督、おれ、何をすればいいんですか。
子ども達がそんなことを訊いてきたなら、躊躇も容赦もなくー喝していただろう。
馬鹿者、自分がせんといけんことぐらい、自分の頭で考えてみぃ。
自分の頭で考え、探し、答えを手にした者は強い。強くなる。プレイヤーとしてだけではなく、人間としての強靱さを身につける。指導者とは、己の意のままに選手を動かせる者のことではなく、一人の人間として自分を尊び信じることのできる強靱さを若い魂に教える者のことだ。確信し、身体能力とともに思索の力を重んじてきた。なのに、今、頭の中で羽虫が飛ぶ。思索どころではない、何も考えられず息子ほどの年齢の医師に縋(すが)ってってしまう。
「何をすればいいんでしょうか、先生。教えてください」

(セルフラーニングの塾をやっていて,生徒が習いに来たとき,よく言います。
「自分で考えなさい。セルフ塾は,自分で学ぶからセルフなんだよ」と。
 もちろん,教えもしますけどね)



医師の診断を伝えたわけではないのに、聖名子は、自分に下された余命の時間をちゃんと察していた。
「大丈夫ですよ」
ベッドの上で髪をなでつけながら、こともなげに笑った。
「わたしは巳年じゃからね、しぶといの。あんたも、よう知っとるでしょ。そうそう、お医者の言うようにはならんからね。心配しなくてええですよ。ちゃんと鍛えてあげますから」
「鍛える?  誰を?」
「あんたに決まっとるじゃないですか。何を言うてるの。わたしがいなくなっても困らないように、一人暮らしのコッを教えてあげます。しっかり鍛えてあげるから、覚悟しときんさいよ」
そう言って、にやりと笑った妻の顔を洋三は、半ばあっけにとられて見つめていた。

マンガ仏教入門
 マンガとありますが,内容は深いです。マンガ気分で読むと読めない。

 仏教にも関心があります。仏教は派によってもかなりちがうのでしょうが,霊やあの世を信じません。

 しかし,仏陀は人間の苦しみと向かい合った。そしてそれから逃れることはできないが,解き放される方法を模索した。

 要するに,無常を知ることだと思います。いま幸せだとそれがずっと続くと思ってしまう。それは間違いだと悟る必要があるのですね。

 笑われそうですが

 ぼくはねこに教えられたところが大きい。
 ねこをこれまで何匹も飼ってきました。そして何匹も死んでしまいました。失踪もあります。

 最初のころ,猫白血病で死んだ猫(名前を「ねね」と言いました)をを看取ったときは,もう完全に打ちのめされました。苦しんで死んでいくのに,自分は何もしてあげることができない。大きな苦でした。

 その後もこの苦は続きました。

 しかし,そういうものだと悟らないといけない。生あるものは死ぬということを頭では十分に分かっているつもりでも,それを受け入れることができなかったのですね。

 仏教はそれを見つめるものなんですね。

 以下●は引用,( )はぼくの感想です。


●懐疑をもって世界を眺めることが仏教では重視される。

( 宗教というのは、「信じなさい」というものかと思っていたが、仏教では「懐疑をもって・・・」という。仏教はやはり宗教というより哲学かもしれない)


●世のいっさいは無常じゃ
永遠不滅の
時も事も物もない。
この無常を理解すれば,
永遠の自分もないこと
とこしえのものなど,
何もないことがわかる。
だからジタバタせず
変化に身をまかせることじゃ。
生まれる時は生まれ
老いる時は老い,
病むときは病み,
死ぬときは死ねばいい。
さすれば
生老病死の苦しみも
なくなるというもの。


( 変化に身をまかせることができればいいなあ,と思います。)


●火をもって金の純度を試すように、己の修行によって私の言葉の真偽を確かめなさい。
私を尊敬するあまり、教えを無条件に受け入れるな。

(自分の教えも無条件で受け入れるな、というのはなかなかなものである)

●真理は実践し、検証できるものだ。
その真理が正しいなら、実践によってただちに結果が得られよう。
不確かな来世を約束するような教えは、真理ではない、単なるペテンかもしれんぞ。

( マルクスの言葉かと間違えてしまいそう )

●人は自分の願望や利益を基準にして物事を見るが、世の中そう意のままになるものじゃない。そこで苦しみが生まれるんだな。
 「我」という意識がある限り、苦しみはコバンザメのようについて回るぞ。

( 意のままにならないということを悟らなければならないなあ )
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