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御成敗式目と武家諸法度の違い、
中学生にとって、御成敗式目と武家諸法度は、とても混乱するようです。それで、ここに似ている点、違う点を書き出してみます。

まずは、Yahooの辞書から二つの意味を引用します。

ごせいばい‐しきもく【御成敗式目】
鎌倉幕府の基本法典。貞永元年(1232)、執権北条泰時が評定衆に命じて編纂(へんさん)させたもの。51か条からなる。源頼朝以来の慣習法・判例などを規範とし、行政・訴訟などに関して定めた武家最初の成文法。後世の武家法の基本となった。貞永式目。
[ 大辞泉 提供: JapanKnowledge ]



ぶけ‐しょはっと【武家諸法度】
江戸幕府が諸大名を統制するために制定した法令。元和元年(1615)徳川家康の命により2代将軍秀忠のときに発布された13箇条が最初。その後必要に応じて改訂された。城の修築や婚姻・参勤交代などについて規定。
[ 大辞泉 提供: JapanKnowledge ]


 まず、どちらも武家による法律だということです。そのことはとても大切なもので共通点として押さえておきましょう。

 武家による法律という点では共通ですが、違いはかなりあります。

 まずは時代です。
 御成敗式目は、鎌倉時代のもので、
 武家諸法度は、江戸時代のものです。それが決定的な差です。

 時代が違うので作った人も違ってきます。御成敗式目は執権の北条泰時、武家諸法度は将軍徳川秀忠との関連で覚えましょう。

 どちらも、本人が作ったというよりも、学者たちにつくらせたのでしょうが、とにかく御成敗式目は北条泰時、武家諸法度は徳川秀忠と覚えましょう。

 内容もだいぶ違うようです。でも、中学生にとっては内容はそれほど知らなくてもいいと思います。

 ほかに覚えておいた方がいいのは、
 御成敗式目が、武家による最初の法律だということ、

 武家諸法度には、あの参勤交代のことも書かれているということです。

 以上の知識があれば、中学生にとっては十分だと思われます。



マスコミとマスメディアの違いは? マスメディアがすることがマスコミ
中学3年、公民では、マスコミとマスメディアを学びます。密接に関連しているし、意味も重なっているところもあるので、区別がわかりにくいようです。

いま辞書で確認したのですが、マスメディアのことをマスコミといってもいいようです。

 でも、基本的な違いは、ちゃんと理解したほうがいいですね。

まず、「マスコミ」は、「マスコミュニケーション」の略です。これは大丈夫ですね。

次は、辞書[ 大辞泉 提供: JapanKnowledge ]からです。

マス‐コミュニケーション【mass communication】
新聞・雑誌・ラジオ・テレビ・映画などのマスメディアによって、不特定多数の人々に対して大量の情報が伝達されること。また、その媒体であるマスメディア。大衆伝達。マスコミ。


マス‐メディア【mass media】
マスコミュニケーションの媒体。新聞・雑誌・テレビ・ラジオなど。大衆媒体。


 要するに、新聞・雑誌・テレビ・ラジオなどをマスメディアといい、それによって大量の情報が伝達されることをマスコミというのです。


マス【mass】2 大量。多数。「―プロダクション」



ばい‐たい【媒体】
1 一方から他方へ伝えるためのなかだちとなるもの。


図示すると、次のようになるでしょう。

masskomi.jpeg

 この関係は、「電話」によく似ています。

 ぼくらは電話機を使って、話をします。それを「電話する」といいます。

 電話機にあたるのが、マスメディアで、電話するにあたるのがマスコミニケーション(マスコミ)ですね。

 でも、ここでも、電話というのをどちらにも使いますね。

請願権と請求権はどう違うか。法的拘束力を持つかどうか。
 中学3年生は、公民で請願権と請求権について学びます。この2つの権利はとてもよく似ているので、区別が難しいです。

 どちらも、国や地方公共団体に何かをしてくれるように請(こ)う権利です。

 請願権は、何かをしてくれと「請い願う」権利で、請求権は「請い求める」権利です。

 「願う」と「求める」の違いです。
 「求める」方が、「願う」よりも強い感じがしますね。そして、実際に請求権の方が請願権よりも強いのです。

 何かをしてくれとお願いするとき、都合が悪いからと拒否されることがありますね。お願いは必ずしもその通りにしなくてもかまわないわけです。

 それに対して、何かをしてくれと求められた場合には、都合はどうであれ、そうしなければいけないということです。

 1万円請求します、というのは、お願いではなく、支払うように要求しているのですね。

 「お願い」は弱く、「求める」は強いのです。ここに根本的に違いがあります。

 どのように強さに差があるのか。

 請求権には法的拘束力があり、そうしなければいけないのです。

 それに対して請願権でお願いされたことは、その通りにしなくてもかまわないということになります。

請願が行われた場合、官公庁には誠実に処理する義務が課せられるが、内容を審理・判定する義務までを負うものではない
請願権 - Wikipedia



 それでは、どういう時に請求権で、どういう場合に請願権になるでしょうか。

 まず、請願権から行きましょう。

 一般に、日本国民や、その地方公共団体に住む住民が幸せになるためには、このような政治をしたらいいですよ、と請う時には、請願になります。

 消費税は上げないで下さい、TPPには参加しないでください、などという意見を表明するのは、請願権の行使になります。

日本国憲法第十六条  何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。



 請求権の場合には、国に対する場合と地方公共団体に対する場合で違いがあります。

 まず、国に対する場合、
 その個人の基本的人権が侵されたときには、お願いというような生ぬるいものではなく、きちんと求めることが必要ですね。

 基本的人権が侵されたのに、こちらにも都合がありまして、ということで聞かないふりをするということは許されるものではありません。

 これはきちんと強い力でちゃんとしなさい、と要求することが必要になります。それを請う力だから、請願権ではなく請求権であるのです。

 その請求権には、裁判を受ける権利、損害賠償を請求する権利、刑事補償請求権などがあります。

 それぞれについては、日本国憲法の条文を添えておきます。

第三十二条  何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。



第十七条  何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。



第四十条  何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。


  
 次に、地方公共団体における請求権について述べます。その時には直接請求権といわれます。

 地方の住民は、一定数の署名によって、いろいろなことを地方公共団体に請求することができます。これを直接請求権と云います。

 それには、条例の制定、改廃の請求権、監査請求権、議会の解散請求権、解職請求権があります。

 国会への請願の時も署名を集めます。でも、その場合の署名は、いくら集めても、法的な拘束力はありません。もちろん多く集めればそれなりの価値はあるのですが、法的な力はないのです。

 でも、地方公共団体における請求権は、署名を一定数集めれば法的な拘束力が生じるのです。

 例えば、有権者の1/3以上の署名を集めることができれば市長をやめさせることもできるのです。このようなことは法律できちんと決まっています。

 法的拘束力を持っているので、請求権となるのです。

 このように、請願権には法的拘束力はありませんが、請求権には法的な拘束力がある、という点で違っているのです。

 なお、何かをするように請うという権利という点では、請願権も請求権も同じですね。

 それをまとめて、請求権ということもあります。請願権も請求権の一種とするのです。
 請求権(請求権+請願権)という感じです。




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「指名」と「任命」の違い。天皇による「任命」は形式的、儀礼的なもの。
 中学3年の公民には、「指名」と「任命」という語句が出てきます。

第六条  天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。


 のようなものです。

 この場合の「指名」と「任命」は、どう違うのでしょうか。

 次に、Yahoo国語辞典から「指名」と「任命」の意味をあげます。

し‐めい【指名】
[名](スル)名をあげて、その人を指定すること。なざし。「―を受ける」「総理大臣を―する」


にん‐めい【任命】
[名](スル)ある官職や役目に就くよう命じること。「適任者を所長に―する」


 国語辞典の意味からは、その違いはよく理解できませんね。

 ここでは、日本国憲法における「象徴天皇」というのを理解しなければいけません。

 日本国憲法においては、天皇は象徴的存在です。

 天皇は国事行為を行うことになっていますが、それは実質的には何ら権限はなく、形式的なものです。

 内閣総理大臣は、国会によって指名されますが、それで決定なのです。そのあとにおこなう天皇による任命は単なる形式的、儀礼的なものでしかありません。

 形式的には、最終の任命を天皇が行い、指名よりも上という感じになっていますが、内容において、何の意味もないということです。

 このように、この場合は「指名」が決定的で、「任命」は単なる形式的なものだということで理解しましょう。

 最高裁判所の長官もそのようなものです。

 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。



 内閣が最高裁判所の長官を指名します。これで決定なのです。そのあとで、形式的、儀礼的に天皇が任命するということです。

 国務大臣は内閣総理大臣が指名し任命します。

第六十八条  内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。



 これで決定です。天皇はそれを「認証」するという形をとっています。

 これは国務大臣が内閣総理大臣より低い地位にあるということで、天皇のかかわりを小さくしているのかもしれません。

 さて下級裁判所の裁判官についてです。これは最高裁判所が指名し、内閣が任命するとなっています。

第八十条  下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によつて、内閣でこれを任命する。


 この場合の内閣による任命は、どういう位置付けなのでしょうか。僕はよく知りません。これも単なる形式的なものなのかもしれません。



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「利子」と「利息」の違いは? 意味の違いはない。
「利子」と「利息」の違いは何でしょうか。

結論を先に書きます。意味の違いはないと思っていいようです。

次は辞書[ 大辞泉 提供: JapanKnowledge ]からの引用です。

り‐し【利子】
金銭の貸借が行われた場合、その使用の対価として借り手が貸し手に支払う金銭。利息。

[用法] 利子・利息――「借りた金の利子(利息)を払う」「貸した金に利子(利息)がつく」など、意味の違いはなく、相通じて用いられる。

◇法令などでも、「利息制限法」「利子税」「利子所得」のように両語とも用いられる。

◇「御利息は通帳に記入します」「債券の利息」など、金融機関では「利子」でなく「利息」を用いるのが普通である。

◇「利子を付けて返してやらあ」「利子はいらねえ」など、日常用語としては「利子」を使うことが多い。


り‐そく【利息】
金銭などの使用の対価として、金額と期間とに比例して一定の割合(利率)で支払われる金銭その他の代替物。利子。


 これを読むとわかるように、2つの言葉に意味の違いはなく、どちらを使ってもかまわないということです。

 お金を借りたら、借りた金額以上のお金を返します。逆にお金を貸した場合は、貸した金額以上のお金を返すように要求していいわけです。

 その元のお金より多く返すお金を、利子、または利息というのです。

 ただ、もともとは違いがあったようです。

 次はWikipediaからの引用です。

利子 - Wikipedia

利息(りそく)と利子は通常同じ意味で使われるが、

借りた場合に支払うものを利子、

貸した場合に受け取るものを利息と使い分けることがある。

また、銀行預金では利息と呼ぶ(ゆうちょ銀行では利子と呼ぶ)。

法律用語としては利息を用いるのが通常である。



 つまり、お金を貸した場合につくものは利息というのです。
「10万円貸したら 1万円の利息が付いてきた」というふうに使います。

 一方、借りた場合に支払うものが利子です。
「10万円借りたので1万円の利子を付けて返した」という感じです。

 でも、今は基本的に区別しなくてもいいので、気にしないで使いましょう。

 さて、利子の「子」は、もちろん子どもの意味です。

 また利息の「息」も子どもという意味があります。

そく【息】むすこ。子息。[ 大辞泉 提供: JapanKnowledge ]


 熟語「子息」「息子」は、どちらも子どもの意味の漢字を並べた熟語です。

 つまり、元金から子どものように出てくるので、利子、または利息というのですね。

「国庫支出金」と「地方交付税交付金」の違いは?。使い道が指定されているものと、自由なもの。
 中学3年生で学ぶ公民に「国庫支出金」と「地方交付税交付金」というのが出てきます。どちらも、国から地方公共団体に与えられるお金のことです。

 その2つはどう違うのでしょうか。結論から書きます。
 国庫支出金は、その使い道が国によって指定されているものです。

 一方、地方交付税交付金は、地方公共団体が自由に使えるお金のことです。

 次にヤフー辞書から2つの意味を転載いたします。
[ 大辞泉 提供: JapanKnowledge ]

こっこ‐ししゅつきん〔コクコ‐〕【国庫支出金】
国が使途を特定して地方公共団体に交付する資金の総称。国庫補助金・国庫負担金・国庫委託金などがある。


ちほうこうふぜいこうふきん[―はうかうふぜいかうふきん]【地方交付税交付金】
「地方交付税」に同じ。


ちほう‐こうふぜい〔チハウカウフゼイ〕【地方交付税】
地方公共団体間の財政不均衡を是正し、必要な財源を保障するため、国から地方公共団体に対して交付される資金。財政不足額から算定される普通交付税と、災害時などに交付される特別交付税とがある。国税のうち、所得税と酒税・法人税・たばこ税・消費税の収入額の一定割合が充てられる。地方交付税交付金。交付税。


 少しわかりやすく説明します。

 例えば読谷村が、読谷中学を移転するとします。大金がかかります。村はそのお金を、国に要求します。国はそれを検討して援助することにしました。

 そこでもらったお金は、読谷中学移転のために使わなければいけません。そのためにもらったのですから。

 このように、使い道が国によって指定されるが国庫支出金です。

 さて、東京都のように財政が豊かな金持ち地方公共団体があります。一方、沖縄のように財政が貧しい、貧乏地方公共団体があります。

 その貧乏な地方公共団体に与えるお金が地方交付税交付金です。

 財政が乏しいので、十分にその地域の住民のための仕事ができない、それではいけないということで、地方公共団体にお金を与えるのです。

 そのお金は、地方公共団体が自由に使って構いません。もちろん、その住民のためを考えて使わなければいけないのですが。

 さて、次のページにおもしろいいたとえがありました。それをまねて、僕なりに書いてみます。
地方交付税と国庫支出金 | OKWave

 Aくんが、地方から東京の大学に来ました。アルバイトなどをして生活費を稼いでいます。

 さて、そのAくんが、コンピューターが必要になりました。

 それで親に、コンピューターがほしいので、そのお金を送ってほしいと頼みます。

 そこで送られてきたお金は、コンピューターを買うために使わなければいけません。国庫支出金のようなものです。

 さて、アルバイトのお金だけでは生活が苦しいので、援助してほしいと親に頼みました。その時に送られてきたお金はAくんが自由に使って構わないのです。これは地方交付税交付金にあたります。

 このように、使い道が指定されたのが国庫支出金で、
自由に使えるのが地方交付税交付金です。




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倭寇、元寇の「寇」の字は、「外敵」を表す
 中学で学ぶ歴史に、「倭寇」「元寇」という言葉が出てきます。
 どちらもとても大切な用語で、覚えなければいけません。



わ‐こう【×倭×寇/和×寇】
13世紀から16世紀にかけて、朝鮮および中国大陸沿岸に出没し、略奪行為や密貿易を行った海賊集団に対する朝鮮・中国側の呼称。15世紀までの前期倭寇は瀬戸内海・北九州を本拠とした日本人が多かったが、16世紀の後期倭寇は中国人を主体とした。八幡(ばはん)。[ 大辞泉 提供: JapanKnowledge ]


げん‐こう【元寇】
文永11年(1274)と弘安4年(1281)に、元のフビライの軍が日本に攻めてきた事変。蒙古来(もうこらい)。蒙古襲来。[ 大辞泉 提供: JapanKnowledge ]



 さて、この倭寇、元寇の「寇」の字は、それ以外にはお目にかかったことがありません。倭寇、元寇の意味はわかりますが、この「寇」の1文字の意味ははっきりしませんでした。それで調べてみました。

あだ【×仇/×寇】
《室町時代までは「あた」》
1 仕返しをしようと思う相手。敵。かたき。「親の―を討つ」
2 恨みに思って仕返しをすること。また、その恨み。「恩を―で返す」
3 害をなすもの。危害。「親切のつもりが―となる」
4 攻めてくる敵兵。侵入してくる外敵。
「しらぬひ筑紫(つくし)の国は―守る押への城(き)そと」〈万・四三三一〉[ 大辞泉 提供: JapanKnowledge ]


そのなかの、
3の害をなすもの。危害。

あるいは
4の 攻めてくる敵兵。侵入してくる外敵

にあたるのでしょうね。

 攻めてきて危害をなる日本の外敵が和冦、攻めてきて害をなす元の国の敵兵が元寇ということになるでしょう。

 そう覚えると理解しやすいです。

 さて、白川静著「常用字解」で、「冦」は「完」の字の解説に出てきます。

 戦いでとらえた敵を廟に連れて来て、元(頭)に攴[ぼく](打つの意味がある)を加えて呪いをかける字が寇[こう](あだする、かたき)で、敵、外敵の意味がある



 とあります。なるほどです。

 元寇や倭寇には、呪いをかけたくなりますね。





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小学社会はどう学ぶか
 相談メールを受け取りました。
 3点の相談ですが、3つの記事でに分けて答えます。

 まず、小学生の社会についてで、どのような学習書で、どのように学習したらよいか、という相談です。小学4年生で地理を学んでいるようです。

 知ったかぶりをしてもしようがないので、正直に書きますが、僕は小学生の社会については、ほとんど無知です。
 どのように勉強したらいいのか、よくわかりません。

 セルフ塾では、小学生は、国語と算数に限って学習しています。国語と算数がきちんと身についておれば、中学校になってから理科や社会を学んでも大丈夫だと思っているからです。

 これまで多くの中学生を教えて、小学生で社会や理科をこぼしたからどうしようもない。という子はいませんでした。

 それよりも、国語力が足りないために、中学校での理科や社会の学習に支障をきたしている子をよく見てきました。
 だから、小学生には、国語と算数の基礎力をきちんと身につけてほしいのです。

 でも、国語や算数の基礎は大丈夫と思われるなら、家庭でも理科や社会を学習してもいいと思います。

 特に、社会や理科に子どもが関心を示しているのであれば、学習させない手はありません。

 子どもの関心を伸ばすことができれば、そのほかの教科にも好影響を及ぼします。

 歴史についてなら、すぐに頭に浮びます。
 歴史の漫画を読むのです。

 僕は、歴史は漫画から入って興味をのばすというのはいいことだと思っています。それで、セルフ塾にも歴史の漫画本をいろいろそろえてあります。

大月書店「まんが日本の歴史」全12巻、
国際情報社「学習まんが物語 人物日本の歴史」 15巻
同じく国際情報社の「学習まんが物語 人物世界の歴史」全15巻
などです。

 でも、いま調べると、どちらも絶版になっているようです。だいぶ前に買いましたから。

 僕の「ひとりで学べる算数」を出版している朝日学生新聞社からは
「日本の歴史 きのうのあしたは・・・」というのも出ています。僕は中身を見たことがないのですが、説明を読むといいように感じます。



 全部で9千円近くもするので、それに類似のものを図書館から借りて読むのもいいと思います。

 さて、地理ですが、歴史のような漫画本はほとんどないようです。ストーリーにするのが難しいのでしょうね。

 さて、僕は、中学生にも勧めていますが、社会はまず一問一答的な問題集で細切れの知識を記憶することが大切です。

 細切れの知識を批判する知識人は多いです。でも、まずは県の名前、山や川の名前、産業など、断片的な知識も覚えなければしようがありません。

 覚えていると、それらをあとでつなぎ合わせて、なぜそうなのかという総合的な知識に持っていくことができます。

 それで、中学生には一問一答の参考書を買って、友達などとやるように勧めています。一問一答はゲーム感覚で楽しくできます。

 お母さんが、子どもと一緒に一問一答をする中で、知識を一つ一つ増やしてみるのはどうでしょうか。

 小学生用のものを、アマゾンで探すと次のようなのが見つかりました



 それから、実際に足を運んで、あちこち見るのはとてもいい学習です。

 僕の妻が旅行が好きなので、用心棒代わりに僕はついていくのですが、訪れた場所については、よくイメージできるし、関心も深まります。
 テレビにその場所が映ると興味深く見るようになります。

 教科書に出てくる場所に、できるだけ足を運んでみるというのはとても深い学習になると思います。

勉強をしなくてもいい、という法律が、出来ないかな
 「勉強をしなくてもいい、という法律が出来ないかな」
Ayrさんがつぶやきました。

 「そういう法律があったんだよ。
もっと積極的で、勉強をしてはいけない、という法律があったんだ。

 王様が、国民に勉強はするなという法律をつくったんだよ。

 するとどうなると思う。国民はみんな、勉強ができず、読むことも、書く事も出来ない。考えることもできない、そして馬鹿になるんだね。

 そして王様が、『王様は偉くて、国民はそれに従うものだ』と言う。
 すると、国民は馬鹿だから、それをそのまま信じてしまう。

 反抗もしないんだね。

 国民が勉強しなければ、支配が支配をしやすくなるんだよ。

 そんな法律できてもいいと思う?」

「そうなったら大変だね」

 ちょうどそれは、歴史を習いに来たときのことです。

 寛政異学の禁が出ています。

かんせい‐いがくのきん〔クワンセイ‐〕【寛政異学の禁】
寛政の改革の一政策。寛政2年(1790)幕府の学問所である昌平黌(しょうへいこう)で朱子学以外の学問を禁じ、官吏登用は朱子学を学んだ者のみとした。
[ 大辞泉 提供: JapanKnowledge ]


 「これは、朱子学以外は勉強したらいけない、といきまりだよ。

 朱子学というのは、将軍が一番偉くて、そのほかの人はみんなそれに従いなさい、という学問だ。

 それ以外の勉強はしたらいけないのだから、みんなそれを信じていたんだね。

 このように、勉強をするなという法律が、いろいろ作られたことがあるんだよ」

「へぇ~。勉強はしないといけないね」と言っていました。

 その時は思い出せませんでしたが、こういうのを「愚民政策」と言いますね。

ぐみん‐せいさく【愚民政策】
為政者がその権力を保つため、人民を政治的に無知な状態にしておこうとする政策。
[ 大辞泉 提供: JapanKnowledge ]










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県立高校入試問題(社会)、沖縄関連問題
沖縄県の県立高校入試問題(社会)には、沖縄に関連した問題がよく出されます。過去の問題からそれを拾い出してみました。

沖縄は第3次産業人口比率がとても高い。

2000年、琉球王国のグスクおよび関連遺産群がユネスコの世界文化遺産に登録された。

2000年、主要国首脳会議サミットが、九州沖縄で開催された。

2007年に新石垣空港予定地の白保竿根田原の洞穴で発見された人骨は日本最古のものである可能性が高い。

沖縄のグスクがつくられた時期は日本の平安・鎌倉時代と重なる。

港川人の化石は約18000年前の人類のほぼ全身の骨が残っている。

尚巴志は、三つの勢力に分かれて争っていた沖縄の島を1429年に統一し、琉球王国をきずいた。

第二次世界大戦後、連合国軍による占領からの日本の独立や、沖縄、奄美、小笠原などの諸島が引き続きアメリカの統治下に置かれることなどを定めた平和条約は何か。サンフランシスコ平和条約

日本の独立後も日米安全保障条約でアメリカの軍事基地施設及び区域を置くことが認められた。現在、日本国内にあるアメリカ軍専用施設のうち、何パーセントが沖縄県にあるか。約75パーセント。

1972年に核抜き本土並みを基本方針に沖縄が日本に復帰した。

サンフランシスコ平和条約によりアメリカが奄美諸島、沖縄や小笠原諸島を引き続き管理下に置くことなどがとりきめられた。
同時に日本とアメリカとの間にむすばれた日米安全保障条約により、日本はアメリカ軍が国内に軍事基地(施設及び区域)を置くことを認めた。

尚巴志王(しょう はしおう、1372年 ~1439年)琉球王国・第一尚氏王統、第2代目の国王。

尚真王(しょう しんおう、1465年~ 1527年)は、琉球王国第二尚氏王朝の第3代国王。50年にわたって王位に在り、琉球王朝の最盛期を現出した。

尚泰王(しょうたいおう、1843年~1901年)は、第二尚氏王統第19代にして最後の琉球国王。

沖縄戦は、沖縄本島中心の戦闘であったが、各離島でも戦争の被害があった。

平和の礎(いしじ)は、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなった人々の氏名を刻んだ祈念碑である。

沖縄戦では6月23日(慰霊の日)に、組織的な戦闘は終了したが、戦争はその後もつづいた。

沖縄県の地方税は、収入(歳入)の約2割であり、自主財源の割合が低い。

1872年、明治政府によって琉球が沖縄県とされた。

日本にアメリカ軍が駐留し、基地を設置することを定めた取り決めを何と云うた。日米安全保障条約。

復帰後、本本土復帰は果たしたが、日本にあるアメリカ軍基地の約75パーセントは沖縄に集中している。

通気性がよく、高温多湿な沖縄の気候に適し、現在は大宜味村を中心に生産されているこの織物を何と言うか。芭蕉布

沖縄周辺の海には黒潮がながれ、海水の温度は 20℃以上あり、このために写真(省略)のような海岸が形づくられる。このような岩礁を何と言うか。サンゴ礁。

沖縄の伝統的な住居について。
高く積み上げた石垣は、強い風を弱めるためである。
家の周りの福木(フクギ)などの樹木は、風の防止のためである。
寄せ棟の屋根は、四方からの台風被害を防ぐためである。
屋根瓦が漆喰(しっくい)で固められているのは、台風で瓦が飛ばされないためである。

写真(省略)の建物は沖縄戦で破壊され、戦後復元されました。建物の名称を答えなさい。守礼の門。

江戸時代、薩摩藩は琉球王国を支配し、将軍や国王が変わったときには使者を江戸へ派遣させた。

琉球は中国との貿易を盛んにおこない、東南アジア、日本、朝鮮をむすぶ交易でさかえたが、このような貿易の名称を答えなさい。中継貿易。

図(省略)は平和を願う沖縄の心を世界へ発信するという目的から、2001年に設けられた賞です。この賞の名称を漢字で答え
なさい。沖縄平和賞。


沖縄移民の父とよばれ海外移民の推進に力を尽くした人物を答えなさい。当山久三。

写真(省略)は、12~17世紀ごろにわたる沖縄最古の歌謡集である。全 22巻、1623年に成立したこの歌謡集の名称を答えなさい。おもろさうし

沖縄は亜熱帯気候で、サトウキビ、パイナップルの栽培をしている。

学童疎開船の対馬丸はアメリカ軍の攻撃で沈没し、多くの学童が亡くなった。

平和の礎には沖縄戦などで亡くなった、沖縄県民だけでなく、県民以外の名前も刻まれている。

沖縄戦がはじまったのは 1945年。
沖縄の日本復帰は1972年。

琉球は15世紀初めに、尚氏によって統一された。
琉球は16世紀に薩摩藩によって征服された。

1945年6月23日に沖縄戦が終了した。

1872年、琉球藩を廃止し、沖縄県が設置された。

写真(省略)は沖縄の代表的な伝統芸能である。日本の歌舞伎などを参考に18世紀に創作されたこの芸能の名称を答えなさい。組踊

歴史を多角的に学ぶ  
  
  滋賀県の旅行に行ってきました。地図を見ると関ケ原があります。隣の岐阜県です。でも、地図上で見るとすぐそこです。

 予約申し込みが遅かったせいいで、レンタカーを1日目借りることができませんでした。列車で関ケ原に行くことにしました。

 この旅で、歴史を多角的に学ぶということは必要だな、と感じました。

 学校の授業、教科書で歴史を学びます。天下分け目の戦いとして、関ヶ原の戦いは重要な戦いだと学びます。教科書にも載っているというのは、やはり印象に残ります。

 漫画の歴史本、テレビドラマ、映画でも関ケ原の戦いは繰り返し見ることができました。それで印象も高まります。視覚的でいいです。

 歴史小説でも関ケ原の戦いはよく取り上げられます。詳しい内容を楽しく学ぶことができるのでぼくは好きです。

 このようにいろいろな学び方がありますが、やはりその場に立つ、というのはまたは深く学ぶことにつながります。

 テレビや映画の場面は、やはり切り取られた部分でしかありません。

 位置関係を学ぶには地図はとてもいいのですが、実感がまだわきません。

 現実に徳川家康が陣を最初に張った桃配山、石田三成の笹尾山などから、周りを見おろすとイメージがわくものです。

 来てよかったなと思いました。

 司馬遼太郎の歴史小説「関ケ原」をまだ読んでいません。帰ったら読みたいと思いました。いまアマゾンで注文しました。







予想以上にすごかった安土城跡
 安土城跡に行きました。予想をはるかに超える、すごい城跡です。安土城は、もちろんあの織田信長の城です。

安土城(あづちじょう)
戦国期、織田信長が天下統一のための拠点として築いた城。滋賀県近江八幡(おうみはちまん)市安土町下豊浦(あづちちょうしもといら)にある。(以下略) [ 日本大百科全書(小学館) ]


 歴史ドラマなどでは、よく観るのですが、観光地としてはあまり宣伝されていないように思います。

 観るべきものはあまりないのだろうと思っていました。でもあの織田信長の城です。ぜひい訪れたいと思っていました。

 来てみると、すごい城です。予想以上に、石垣や石段が残っています。そしてかなり大きな山城です。

 頂上に達するのにとても疲れました。
「この階段を登れなくなると隠居するんだろうね」などと話し合い話しながら登りました。

 天守閣のあった場所で、コンビニで買った弁当を食べました。

 この山の上に天守閣がたつとすごいでしょうね。信長の権力の大きさに、ほかの武将たちは圧倒させるされたことでしょう。

 来てよかった、と思いました。

 予算や設計などは全く知らないので、やじ馬的な意見ですが、この上に安土城天守閣を復元してほしいなと思います。
 そう思ってる人は少なくないでしょう。

 天守閣ができれば、観光客はものすごく多くなるでしょう。

高校入試5科の要点チェック (シグマベスト) [単行本]
Kさんから

一問一答式の参考書で具体的な本の名前等を教えていただいたら助かります。


 というメールをいただきました。ありがとうございます。

 さて、Kさんのおまごさんは小学生ですね。

 中学生にすすめているのは

高校入試5科の要点チェック (シグマベスト) [単行本]
文英堂編集部 (編さん)

 です。


 基本的なことが一問一答にまとめられています。

 小学生用に関しては、すみません、よく分かりません。

 いま、ネット上で調べてみたのですが、ふさわしいのが見あたりませんでした。

 文英堂と学研は、基本的なことをよくまとめているように思います。

尊王攘夷の「攘夷」とは
 日本歴史を学ぶと、幕末で「尊王攘夷」という言葉がよく出てきます。
 この「攘夷」の意味がわからない中学生がとても多いです。

 そういう僕も、長い間は知らずに過してきました。知ったのは大学受験のころでしょうか。

 中学、高校の授業で「攘夷」の意味をきちんと説明された覚えがありません。
 ただ僕は授業をまじめに聞く生徒ではなかったので、先生は説明したのかもしれませんが。

 漢字というのは便利なものです。初めて触れる熟語でも、大体の意味はわかるものです。

 尊王攘夷の「尊王」はすぐ見当がつきます。

 王様を尊敬する、尊(たっと)ぶという意味です。
 これまで幕府中心だったのが、天皇を中心にしようという動きです。

 漢字は、初めて触れる熟語も見当がつきますが、その字が何の意味なのか分からない場合にはお手上げです。「攘」も「夷」も、その意味はよく分かりません。

 ほかにもいろいろな熟語で使われていれば推測もできますが、「攘」を使った熟語は思いつきません。

 「夷」は、歴史用語の「蝦夷(えぞ・えみし)」、「征夷大将軍」で使われていますが、「夷」一つの意味は明らかにしないまま使っていることが多いです。

 だから、中学生には丁寧にそこのところを教える必要があります。

 攘夷の「攘」は、「払いのける」という意味です。

じょう【×攘】[音]ジョウ(ジャウ)(漢) [訓]はらう
払いのける。払い除く。「攘夷(じょうい)・竜攘虎搏(りゅうじょうこはく)」



「夷」は、ここでは「異民族」という意味です。

い1 【▼夷】東方の異民族。野蛮人。えびす。



 「蝦夷(えぞ・えみし)」は、「東方の異民族」という意味です。
「征夷大将軍」は、「夷(東方の異民族)を征討する大将軍」です。


えぞ1 【〈蝦夷〉】
[1]〔補説〕 アイヌ語のエンジュ・エンチウ(人、の意)からという
古代に、北関東から東北・北海道にかけて住み、朝廷の支配に抵抗し服属しなかった人々。えみし。えびす。



せいいたいしょうぐん[―しやうぐん] 13 【征▼夷大将軍】
[1]
平安初期、蝦夷(えみし)征討のため臨時に派遣された遠征軍の指揮官。大伴弟麻呂・坂上田村麻呂・文屋綿麻呂などが任ぜられたが、以後中絶。
[2]
鎌倉時代以後、幕府政権の長たる者の称。征夷将軍。将軍。



 もともとは、中国で使われた言葉で、「攘夷」は、「東方の異民族を打ち払う」という意味でしたが、それを幕末には、「東方」は抜いて「異民族を打ち払う」という意味に使ったのです。幕末にやってきたのは、西洋人ですからね。

 歴史においては、幕末に外国船が次々にやってくる。その外国の人たちを打ち払うという意味でつかわれているということです。

日本史カルタ・・\100円ショップのダイソーで
 のんびりしてる沖縄の受験生もそろそろ、受験生らしい緊張感が少しだけ出てきました。

年号を覚えるように言っています。
 ほかの塾ではよく歴史年号を覚えているようで、刺激を受けているようです。
 
 セルフ塾では、年号などは自分でできるのだから、自分で覚えるように、と言っています。


 先日、100円ショップのダイソーに「日本史カルタ」があったので、買いました。\210です。

 きょう、「こんなのがあるよ」と言って見せると、とても関心を持って、「すぐにやろう」と乗り気です。

 最初に、僕が読め札を読んで、みんなで競争してカルタをとっていました。楽しそうにやっていました。

 しばらくして、自分たちでもやっています。

 受験ということもあるし、カルタ取りというゲーム性もあって、楽しく覚えられる、いい教材です。生徒たちも喜んでいます。

 Aktくんは、「アイデア商品だね、遊びながら覚えられる」と言って、満足そうです。

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「均衡価格」と「市場価格のちがい
「均衡価格と市場価格は、ちがうんだよね。学校の先生がそう言っていたよ」、と中学3年生のTgr君が言いました。

 僕は、それまで市場価格と均衡価格は同じものだと思っていました。

 以前は、市場価格と言ってました。

 それが、均衡価格に変わっていました。これは、ちがう意味の用語としてではなく、同じ意味のものをちがう用語に変えただけという感じでした。

 ぼくは「知らないなあ。調べてみるよ」と言いました。

 教科書「教育出版」には、次のようにありました。

 (前略)
 (リンゴの)価格が100円だと需要量と供給量が、ともに1000個で等しくなるのです。
 これは買いたい量と売りたい量が、ちょうど等しくなることを意味しますから、リンゴは売れ残りも品不足も出さない、適正な価格で取引きされたことになります。このような価格を「均衡価格」と言います。

 実際に取引きされる時の価格(「市場価格」)が均衡価格に等しければ問題はありませんが、、、(以下略)


 次のページには、次のようにありました。

きたちくんの吹奏楽の窓

東京書籍のQ&A、「教科書に関する質問事例を紹介します。」というページがヒット。(http://www.tokyo-shoseki.co.jp/e-mail/qanda/q-js-shakai/q03-01.htm)

Q 教科書p.117で使われている「市場価格」と「均衡価格」の違いを具体的に教えてください。    

A 市場価格は需要と供給の変化に影響を受けますが,現実の経済状況では,市場価格は需要と供給の「一致」する均衡価格にはならないことがあります。

 市場価格と均衡価格を区別したのは,市場での価格(市場で決まる価格,市場価格)が必ずしも需給を一致させる価格(=均衡価格)ではないことを明確にしたかったからです。

価格は長期的には需給を一致させる傾向があるとしても,短期的には需給の不一致を残す不均衡価格となる可能性があります。


たとえばある商品が品不足のとき価格は上昇していきますが,均衡に行き着くまでは不均衡価格です。

この不均衡価格も現に市場で取引がなされる価格である以上,市場価格とよぶことができます。教科書ではこのように(不均衡価格を含む)市場価格と均衡価格とを使い分けています。

 なるほど、です。
よくわかりました。均衡価格と市場価格は違うものです。
 市場価格は、均衡価格も含み、均衡価格は、市場価格の一部とするのです。

 市場価格=均衡価格+不均衡価格 です。

 教科書「教育出版」では、リンゴの価格を例に説明しています。

 「買いたい量と売りたい量が、ちょうど等しくなるとき、リンゴは売れ残りも品不足も出さない、適正な価格で取引きされたことになります。このような価格を「均衡価格」と言います。

 つまり、この例では、リンゴの価格100円が「均衡価格」です。

 しかし、リンゴは 150円になることも、50円になることもあります。

 この150円、50円は、不均衡価格です。つまり、均衡価格ではありません。
 しかし、市場での価格なので、これも市場価格なのです。




セルフ塾の社会わかる教え方
「セルフ塾のブログ」の記事をまとめて、キンドルで出版しました。



中学生のための、「寝殿造」と「書院造」
 中学歴史で、住宅のつくりに、寝殿造と書院造が出てきます。

 中学生にとっては、

寝殿造は、平安時代の貴族の住宅、
書院造は、室町時代に始まった武士の住宅

 と覚えればいいと思います。

 そして、書院造は現代の和風建築の基本だということも知っていたらいいですね。

 なお、京都御所、厳島神社は、寝殿造りで、
http://i-zukan.net/ic/h_japan2.htm

 二条城、金閣寺、銀閣寺は、書院造りだそうです。
http://i-zukan.net/ic/h_japan3.htm

 難関高校の入試に関してはわかりませんが、公立高校の基本的な問題はそれだけで十分です。

 一応、ヤフー辞書からそれぞれの言葉の意味を転載します。

しんでん‐づくり【寝殿造(り)】
平安中期に成立した貴族の住宅形式。中央に寝殿とよぶ主屋があり、その東・西・北にそれぞれ対屋(たいのや)を設け、渡殿(わたどの)で結ぶ。東西両対屋から南に中門廊を出し、中ほどに中門を、先端の池畔に釣殿を設ける。屋根は檜皮葺(ひわだぶ)き・入母屋(いりもや)造り。室内は板敷きで、置き畳を用いた。寝殿の前庭は白砂敷きで、その南に中島のある池がある。建物の配置は左右対称を理想としたが、平安後期にはしだいにくずれ、簡略化されていった。



しょいん‐づくり〔シヨヰン‐〕【書院造(り)】
室町時代に始まり桃山時代に完成した武家住宅の様式。基本として座敷に、床の間・違い棚・付け書院・帳台構えを設備するもの。銀閣寺(慈照寺)の足利義政の書斎であった東求堂同仁斎は、ほぼその形式が整った現存最古の例。





中学生のための領海、公海、排他的経済水域
 中学生の地理では、領海、公海、排他的経済水域について学びます。

 それについては、次のページできちんとをのべられています。

排他的経済水域(EEZ)と領海及び公海の違いを教えて下さい。

 ただ、中学生にとっては難しいと思うので、僕なりに説明します。

 かなりおおざっぱな説明になりますが、中学生にとってはわかりやすいはずです。中学生はこの程度の理解でいいです。

 ここでは、「日本にとって」ということで説明します。

 まず「領海」についてです。
 海岸線から12海里(約22キロメートル)までは「領海」です。

 領海は日本のものです。領海は日本なのです。

 いろんな面で、領土と同じような扱いをします。
 だから、日本の法律が適用されるところです。

 外国の船などが勝手なことをすることはできません。そこに入るな、と日本が言えば、出ていかなければいけません。

 領土が自分の家(建物)だとすると、領海は、自分の家の庭のようなものですね。


 次は「公海」です。

 日本の海岸線から200海里(約370キロメートル)より遠い海で、他の国の領海、排他的経済水域でない海は公海です。

 公海は、どの国のものでもない海のことです。

 公海は、公園のようなものです。

 個人的なだれのものでもありません。みんなのものということです。
 だから、公海では、どの国の船も自由に航行できます。

 さて、その中間にあるのが「排他的経済水域」です。つまり、12海里(約22キロメートル)から200海里(約370キロメートル)までがそうです。

 「排他的経済水域」とは、名前にあるように、経済的なことに関しては、ほかの国の権利を排する水域だということです。
 経済的というのは、お金に関係すると考えていいでしょう。

 だから、その水域の魚などは日本のものです。魚は釣って売ればお金になりますね。だから経済なのです。
 ほかの国の漁船が勝手に、その海域で魚をとることはできません。

 また、その水域で、石油がみつかったとします。その石油は日本のものになります。
 ほかの国が勝手にそれをとってはいけません。

 このように、経済的なことに関しては日本のものだ、ということになります。

 しかし、経済のほかについては日本の権利はありません。
 だから、それ以外のことなら、自由です。

 ほかの国の船が航行することができます。
 また、海底ケーブルなどを設置するのも自由なのです。



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五・一五事件と二・二六事件
 五・一五事件と二・二六事件、その共通点、違う点を整理してみました。

 まずは、Goo辞典から

五・一五事件
昭和7年(1932)5月15日、海軍青年将校・陸軍士官学校生徒らが首相官邸などを襲撃し、犬養毅首相を射殺した事件。軍部はこれを利用して政党内閣に終止符を打ち、軍部独裁政治への一歩を進めた。



昭和11年(1936)2月26日、陸軍の皇道派青年将校が武力による政治改革を目ざし、下士官・兵を率いて起こしたクーデター事件。内大臣斎藤実・蔵相高橋是清・教育総監渡辺錠太郎らを殺害、国会議事堂・首相官邸周辺を占領した。翌日東京市に戒厳令が公布され、29日鎮圧された。将校の大半は死刑となり、以後、統制派を中心とする軍部の発言権が強化された。



 どちらの事件も軍の青年将校の起こした事件として共通。

 武力で首相など政府中枢部などを襲っていますね。

 そして、2つの事件によって、戦争への道が加速されます。

 どちらも捕まり、処罰されています。


五・一五事件が1932年、
その4年後の1936年に二・二六事件が起こっています。

1932年 いくさに向かう5・15
1936年 ひどく寒い日 2・26

五・一五事件によって、戦争に進んでいきます。
二・二六事件の日は、東京も大雪。

五・一五事件は海軍将校が中心で、陸軍将校も引き込んでいます。

二・二六事件は、陸軍将校が中心。

 二・二六事件(1483名)は五・一五事件に比べると大規模です。

 五・一五事件はテロ事件、二・二六事件はクーデター事件といえるでしょうか。その区別は微妙でしょうが。

テロリズムとは、
政治的目的を達成するために、暗殺・暴行・粛清・破壊活動など直接的な暴力やその脅威に訴える主義。テロ。

クーデター事件とは、
実力手段(武力)を用いて短時間で国家中枢を制圧して権力を(非合法に)奪取すること。

五・一五事件では、犬養毅首相を射殺しています。

そのとき、「話せばわかる」「今の暴れ者をもう一度呼んで来い、話して聞かせてやる」といった名言を犬養首相は言ったそうです。

二・二六事件で、岡田啓介首相は、押し入れに隠れて、無事、その代わりに岡田と容姿が似ていた義弟の松尾伝蔵が射殺されています。

第二次世界大戦と太平洋戦争の関係は
 テスト勉強の時に N海さんが質問しました。
「第二次世界大戦と太平洋戦争との関係はどうなっているの。全く違うものなの」

 僕はそれに説明を加えてあげました。

 わかってしまえば、なんということがありませんが、考えれば全く違う戦争だと思っても仕方ないのかもしれません。

 1939年第二次世界大戦がはじまる。
 1941年太平洋戦争がはじまる。
 そして、第二次世界大戦の説明では、ドイツやイタリアがイギリス、フランスなどと戦うこと書かれます。
 それとは独立して、が、日本がアメリカと戦う太平洋戦争の説明がなされます。

 全く別物ととらえてしまっても仕方がないと思われます。

 第二次世界大戦は、1939年にはじまった世界的規模の戦争です。だから世界大戦ですね。それはヨーロッパを中心に始まります。

 そして、太平洋戦争は第二次世界大戦の一部なのです。

 第二次世界大戦という大きな枠の中に、太平洋戦争やヨーロッパの戦争が含まれるのですね。

 日本にとっては、絶対的に太平洋戦争の位置が大きい。だから太平洋戦争が大きく扱われ、第二次世界大戦とは独立に詳しく説明がなされます。

 それで、ヨーロッパでの戦争は第二次世界大戦で、日本は太平洋戦争に参加したような感じにとらえられてしまうのです。

 生徒にはどこかできちんと、太平洋戦争は第二次世界大戦の一部だよ、ということを説明する必要があるでしょう。

 次はヤフーの辞書からです。

この中にも
太平洋戦争は

第二次大戦のうち、アジア・太平洋地域で行われた、日本と米国・英国・オランダ・中国など連合国との戦争。


という説明がありますね。


だいにじ‐せかいたいせん【第二次世界大戦】
日本・ドイツ・イタリアなどの枢軸国とアメリカ・イギリス・フランス・ソ連などの連合国との間で行われた世界的規模の戦争。
1939年のドイツのポーランド侵入によって始まり、イギリス・フランスの対独戦争、独ソ戦争、太平洋戦争と拡大した。
初め、枢軸国が優勢であったが、のち、連合国が優位に立ち、1943年イタリアが降伏、1945年5月ドイツが降伏。
また、日本もソ連の対日参戦とアメリカによる広島・長崎への原子爆弾投下によって、同年8月に降伏し、大戦は終結した。第二次大戦。WW(World War )。




たいへいよう‐せんそう〔タイヘイヤウセンサウ〕【太平洋戦争】
第二次大戦のうち、アジア・太平洋地域で行われた、日本と米国・英国・オランダ・中国など連合国との戦争。
昭和16年(1941)日本の真珠湾攻撃によって始まり、初め日本が優勢であったが、同17年半ば以降連合軍が優位に立った。
同20年、広島・長崎への原子爆弾投下とソ連の参戦によって日本がポツダム宣言を受諾、無条件降伏し、終結した。
戦争中、日本では大東亜戦争と称した。アジア太平洋戦争。


鎌倉幕府は1192年か 1185年か
中学3年生のAyrさんが 心配そうに言いました。

「いい国(1192)つくろう鎌倉幕府、と覚えているけど、いい箱(1185)作ろうという人がいるけど、どちらなの? 入試にそれが出たらどうすればいいの?」 とのこと。

 僕はそれについては ニュースで聞いていました。

 でも、鎌倉幕府成立が 1192年ではないらしいという程度です。

 Ayrさんに僕は答えました。

 「これは入試には 出ないよ。大丈夫だ。
まだまだ十分みんなのものには なっていないから、そういう問題はまだ出さないと思うよ」と答えました。

 その後 インターネットで調べてみると、次のページが出てきました。

中学校の歴史 1192は違うの?鎌倉幕府成立 - 朝日新聞デジタル


語呂合わせ「1192(いいくに)つくろう」で、鎌倉幕府が成立した年号を覚えた人は多いはず。しかし、現在の中学歴史教科書の多くは、鎌倉幕府の成立が、1192年ではなく1185年に変わっている。語呂合わせなら「1185(いいはこ)つくろう鎌倉幕府」ということになる。

 東京書籍などによると、92年は源頼朝が征夷大将軍に就いた年。頼朝は85年、軍事・行政官「守護」や、税金集めなどをする「地頭」を任命する権利を得、幕府の制度を整えたのだという。

 社会編集部副編集長の和田直久さんは「実質的に幕府が成立したのが85年。92年は征夷大将軍という『名』を得て名実ともに幕府が完成した年と考えられます」と話す。

 この変化を東京書籍の教科書でたどると――、

 1955年=1192年、頼朝は朝廷から征夷大将軍に任じられ、鎌倉に幕府という政府をおいた

 66年=1192年、頼朝は朝廷から征夷大将軍に任じられ、ここに鎌倉幕府による武家政治がかたちのうえでも整った

 現在の06年版=頼朝は朝廷に強くせまり、国ごとに守護、荘園や公領ごとに地頭を置くことを認めさせ、鎌倉幕府を開いて武家政治を開始しました。……1192年に征夷大将軍に任じられた頼朝は……

 「変化の背景を知ると、もっと歴史を好きになります」


そして、読谷中学で使っている 教育出版の 教科書「中学社会 歴史」をみました。
 その部分を書き出してみます。

 「平氏との戦いの最中に、頼朝は鎌倉を拠点とする政府を作り、武家政治を始めました。まず、東日本の荘園や公領の支配権を朝廷から認められ、さらに対立した義経をとらえる口実で、国ごとに守護を、荘園や公領ごとに地頭をおくことを朝廷に認めさせました。
 その後 奥州藤原氏を滅ぼした頼朝は1192年 朝廷から征夷大将軍に任命され、全国の武士を従える地位に就きました。頼朝が始めたこの政府を 鎌倉幕府 といいます
( 以下略)


  このように、鎌倉幕府が何年に始まったのかはきちんと書かれていません。
巻末にある 年表でも

1185 平氏がほろぶ
1185 源頼朝が守護 地頭をおく
1192 源頼朝が征夷大将軍になる


とだけあります。

 鎌倉幕府成立が何年なのか、はっきりと書いていません。

 教科書でこのような記述ですから、入試には出ないと考えて 問題ないと思います。

 私立は分かりませんが、公立高校の入試には出ないでしょう。

 ただ、鎌倉幕府成立ではなく、源頼朝が征夷大将軍になったのが 1192年だということをしっかり記憶する ことが大切ですね。

方位、東と西の方向の覚え方
 北と南はどの方向なのか、ほとんどの人がしっかりおぼえています。
 ふつうは、上が北で、下が南です。
 さて それは覚えていても、東と西がどの方向なのか とまどう人がとても多いです。

 北をむいたときに右が東です。そして 左が西です。

 それを,東は、右だったかな 左だったかなと、迷うのです。

 では、その覚え方を ここに書きます。

 日本地図を思い浮かべてください。
 東京と京都の位置がわかりますか。まだ覚えてない人は、しっかり覚えなければいけません。

 略地図にかいてみました。
 東京と京都の位置を確認してください。

higashi.jpeg

 さて、「東京」というのは どういう経過でその名前に決まったのか知っていますか。

 平安時代に、朝廷が京都におかれます。そしてずっと天皇は京都にいたのです。江戸時代の末まで。

 そして 天皇が江戸に引っ越します。その江戸のあったところが 東京です。

 天皇がいるところが「京」です。

 引っ越したときに「東の京」ということで 「東京」という名前がついたのです。

 だから地図の上で 京都は西の方に、東京は東の方にあります。これで分かりますね。

 日本地図の右側が東で、 左側が西です。世界地図でもそうです。

  関東と関西の区別でおぼえてもいいです。

 東京 神奈川あたりを関東といいます。それに対して、大阪や京都付近を関西といいますね。


higashi2.jpeg

 地図で見ると、右側に 関東、左側に関西があります。

 右が東、左が西だとわかります。

 これで、しっかりと 北が上の地図では、右側が東で、 左側が西だということがわかったと思います。

 東日本と西日本で考えてもいいです。自分で覚えやすいので覚えてください 。

閘門式 パナマ運河
 昨日友人のYoshihiroくんと ビールを飲んでいる時、彼が パナマ運河について説明してくれました。

パナマ運河 【ぱなまうんが】知恵蔵2013の解説

パナマ中央部で太平洋と大西洋(カリブ海)を南北に結ぶ全長約80kmの運河。閘門(こうもん)が両側に2列3カ所ずつあり、船は階段を上り下りする格好で約9時間かけて通る。



 彼によると、

 大西洋と太平洋をそのまま結ぶ運河を作るのは、経済的にも技術的にも難しかった。
 カリブ海(大西洋)から太平洋に抜ける時、高いところに階段を上るような感じで、上っていき、そして 階段を下りるように 太平洋側に降りるのだ

 ということでした。

 僕は、パナマ運河が 閘門式だということは知っていました。

 閘門(こうもん)あるいはロック(英語: Lock)は、水位の異なる河川や運河、水路の間で船を上下させるための装置である。

 ただ、深く考えずに、太平洋側と カリブ海(大西洋)側では水位がちがうのだろうと考えていました。

 調べてみました。

 Yoshihiroくんの説明が 基本的に正しかったです。

  そのまま、水位を等しくしたまま大西洋と太平洋を結ぶのは、技術的に難しかったのですね。

 少し高いところに 湖が2つあります。それを利用したようです。

HPTIMAGE_20130806011736c98.jpeg

上の図は次のページから
http://withyoume.seesaa.net/article/181522718.html


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8A%E3%83%9E%E9%81%8B%E6%B2%B3

カリブ海 ⇔ ガトゥン閘門 ⇔ ガトゥン湖 ⇔ ゲイラード・カット ⇔ ペデロ・ミゲル閘門 ⇔ ミラ・フローレス湖 ⇔ ミラ・フローレス閘門 ⇔ 太平洋



 カリブ海から 少し入ってきて 階段を上るように 高いところにある湖まで のぼり、 そして 階段を下りるように 太平洋側に降りてくるのです。

 その時に閘門を利用するのです。

 次の動画で その様子が分かります。こまかく見てください。せき止められたりして 水がながれていくのがよく分かります。
http://www.pancanal.com/eng/general/howitworks/como-funcion1.html



子どもの歴史 大人の歴史
 歴史という科目ほど、 子ども(生徒)のときと、 大人になってからで、好き嫌いが 違うのはないと思います。

 中学生の頃には 歴史という科目が嫌いだったのに、大人になって 好きになるひとが結構いるのです。

 数学や理科については、 子どもの時に嫌いだったけど 大人になって 好きになったというのを身近で聞いたことがありません。

 国語の授業は大嫌いだったが、小説は面白いという人はいます。 僕もその中の一人です。

  さて 「なぜ昔のこと(歴史)を学ぶなければいけないの?」と たずねる生徒が 少なくありません。

 ほかの科目 国語 算数 理科 社会の地理や公民は、生活の場で必要かもしれないと思うようです。

 ただ、数学では、「二次方程式や三平方の定理など、日常生活で必要なの?」とたずねる生徒は多いです。

 歴史をなぜ?と思うのは、まずは面白くないと思ってるからでしょう。

 歴史をなぜ学ぶなければいけないのか、に対しては 昔のことを学んで現在に活かすんだよ というようなことを話します。「ふーん」 と言いながらも、 完全に納得はしませんね。

 さて そういう生徒でも大人になって 歴史が好きになることがあります。

 好きな歴史上の人物ができて、 その人については とても詳しく知っているということもあります。

 中学生の同級生Yくんは、 どちらかといえば不良ぽい生徒でした。勉強も まじめにやるタイプではありませんでした。

 それが大人になって一緒に酒を飲むようになると、 彼から 歴史について話題にすることがよくあります。

 彼は特に 高杉晋作が好きで、かなり詳しく知っていて、感心させられました。

 最近は「歴女」という人もいるそうですが、 そういう人も 中学生の頃には それほど歴史が好きではなかったのではないでしょうか。

 もちろん中学生の中に歴史が好きな生徒も います。

 歴史はストーリー性がありますね。
 テレビでも歴史番組 は よくやられています。

 そのようなのを見るうちに 歴史上の人物について知り、 そして興味を持つ人も多いのでしょう。

 司馬遼太郎をはじめとする 歴史小説も多いです。 それを読んで歴史が好きになった人も 多いです。

 お酒の場では歴史上の人物や事件などを話題にすることも少なくありません。
 数学や物理について話題にする人は、かなり変わった人でしょう。

 わかるようになると、関心が深まり、さらに 知る努力をし、 そしてまた 好きになる というのが、 歴史ファンが多くなる原因かもしれません。

  分かるということが好きにつながるのですね。 それは他の科目でも同じことです。

行政って何?立法って何?
 テスト勉強を行っています。

 中学3年生は公民で、三権分立のところを学んでいます。

 そこに行政権、 立法権、 司法権 というのが出てきます。

 K香さんが、やってきて 「行政と立法ってなんなの?」と尋ねました。

 行政とは何なのか、いまネットで調べても、その定義はかなり難しいようです。

 厳密な定義を持ち出しても中学生は、混乱するばかりです。

 厳密さは無視して、イメージを持ってもらった方がイイと思います。

 それで、厳密さは無視して、次のように話しをしました。厳密さを求める人は別のページを読んでくださいね。

 「行政というのは、国民や住民のために、仕事を実際に行うことだよ。

 そして、立法というのは、その仕事について、いろいろ意見を言いあったり、そして決定することだよ」と話ました。

 読谷村で言えば、村長さんを中心とした村の役場の人たちがおこなっているのが行政だね。

 そして、読谷村には 読谷村議会 というのがある。選挙で選ばれた議員さんたちが、村民の代表として、話し合う。 そこが 立法機関だね。

 さて 道路を作りたいとする。

 それを村長さんをはじめとして、役場の お偉いさんや関係者などが集まっていろいろ計画を作る。

 そして、その計画案を 議会にかけるんだね。

 議会では議員さんたちが、それぞれに その道路計画に意見をいう。
 この道路が村民のためになるかどうか話し合うんだよ。
 賛成の人もいるだろうし、反対の人もいる。

 いろいろ話し合って、そして、計画を決定するんだ。

 そして、道路を作ることに決まったとするね。

 その決定にしたがって、村長さんをはじめとした村役場の人たちが道路を作るための仕事を行う。

 実際に道をならしたり、アスファルトをはったりするのは、その専門の業者がやるけど、その計画を話したりするのは、村役場の人、行政の人たちだね。

 道路を作る人たちに、このような道路を作るように、お願いして、実際にそのようにできるために意見を言ったりするんだね。

 このように、国民、住民のために実際にいろいろな仕事をすることが行政だよ。」

 国でもそうだよ。

 内閣総理大臣を中心とした内閣が、いろいろ、国民のためになる仕事を考える。

 そして、このようにやりたいけどいいかな、と国会に計画を提出する。

 国会議員は、国民の選挙で選ばれた国民の代表者だね。

 その人たちが意見をいいあって、その仕事のことについて決めるんだよ。
 これで本当に国民のためになるのか、考えるんだよ。

 その決めたことに従って、実際に仕事をするのが行政になる。

 行政とは、このように実際に仕事をすることだね。

 厳密に言えば問題はあるかと思いますが、中学生にはこのようなイメージでいいのではないかと思います。

検察と警察の違い
 中学3年で学ぶ公民では、司法権、裁判について学びますが、そこに「検察」が出てきます。

 中学生の多くが、検察と警官がどう違うのか、よくわからないまま学習をすすめています。
 名前が似ているせいもあって混同してしまうのかもしれません。

 検察と警察は、協力関係はありますが、あきらかに違います。

その説明は、次のページにあります。
検察と警察との違い

 僕は専門家ではないので、あいまいなところもあります。
 それでも 自分の理解のために 僕なりの説明をしてみます。間違いがあればご指摘ください。

 犯罪が起こったとします。例えば テレビドラマであるような 殺人が起こったとします。

 そこに駆けつけてくるのは 警察です。

 警察が殺人が起こる現場を見たり、死んだ人の様子を見たり、目撃者はいないかどうかを調べたりします。

 容疑者を探すのです。

 容疑者をつかまえたら取り調べ をおこないます。

 そして、証拠がそろったら容疑者を逮捕します。

 そこまでが警察の役目です。

 そして、容疑者が犯人だと思ったら、検察にバトンタッチをします。

 ここで検察がでてくるのですね。

 検察は、容疑者をバトンタッチされたら 検察自身でも それをいろいろ調べます。

 取り調べをしたり、そして もっと知りたいことがあったら 警察に頼んで 証拠集めなどもおこないます。自分でやることもあります。

 その中で、その人が容疑者ではないと思ったら、ここで終わり、釈放となります。許すのですね。

 しかし、その人が犯人だと確信したら裁判に持ち込みます。これが起訴です。

 その人が罪を犯したのだ思って裁判に訴えるのですから、検察は裁判にも立ちあって、なぜその人が犯人であるかということを、裁判で訴えていくのです。

 警察は、最初に犯罪を調べて容疑者を捕まえて 検察にバトンタッチし、検察がさらに調べて 裁判まで行うという感じですね。

 このように 警察と検察はあきらかに違います。そのあたりは中学生に きちんと理解させるべきですね。

縄文時代と弥生時代の境目は 子どもと大人の境目のようにはっきりしない
 昨日は 「歴史においては、時代のはじめの年号を 覚えることが大切だよ。 そうすると いろいろな出来事の 位置づけもはっきりするから」 という話しをしました。

 「例えば 奈良時代は710年から 平安時代は794年から などなど。

 ただ、縄文時代と弥生時代、 そして古墳時代などの境は はっきりしていないよ、と付け加えました。

 奈良時代のはじめは 都が奈良、平城京に移った年、 平安時代のはじめは京都の 平安京に都がうつった年ということで、何年かはっきりしている。

 しかし、縄文時代と弥生時代は、何年に変わったということはなく、徐々に変わっていったんだよ」 という話しをしました。

 特に難しい概念でもないので、 みんなよく理解しているようではありましたが、何かいいたとえはないかな、と少し考えて
「水とお湯の違いのようなものだ。冷たいのは水で、熱いのはお湯と区別はあるけど、何度になったらお湯になるという、境目はきちんとはないだろう」と話しました。

 後で、もっといいたとえはなかったかな と考えました。

 そこで考えてついたのが次の通り。次はそれで話してみようかと思います。

 「あなたたちは、小学生になった年は分かるね。そして中学生になった年も。
 そして、今年合格したら、今年が高校生になる年になる。

 そのようなのは何年の何月ということで きちんとわかる。

 しかし、 子どもと大人の境目というのは はっきりしないね。

 あなたたちは、子どもかな、大人かな。

 お母さんは、ある時は、もう大人なんだから、もっとしっかりしないと、と言うけど、
 また、別の時には、子どもはそんなこと知らなくてもいいよ、と言ったりしないかな。

 あなたたちの年頃は子どもから大人に変わろうとしているときだね。

 縄文時代から弥生時代もそのようにはっきりしないときがあったんだよ。」

 このように話したら、はっきりと分かってくれるのではないでしょうか。

 法律的には、子どもの定義 大人の定義はあるようですが、子どもと大人の境目がはっきりしないのは、 子どもたちもすぐに理解してくれるでしょう。

 あるいは 1月と2月の境目はハッキリするが、 冬と春の境目がはっきりしないということの方が分かりやすいでしょうか。

中学生のための、「土一揆」「百姓一揆」「打ち壊し」「米騒動」
 中学3年生のK香さんとS弥さんが、「米騒動と 打ちこわしの違いについて 説明してほしい」と やってきました。そのあと 「百姓一揆と土一揆の違い」も質問しました。

 そのことについて、ここに書いてみます。
 詳しく言うと、 これから書くことは間違えてるところもあるかもしれませんが、 中学生は おおざっぱに 次のように 理解して いいと思います。

 まず、土一揆と百姓一揆について。
 土一揆も百姓一揆も どちらも 農民が、「年貢が重いから軽くしろ」 または「役人が 悪いことをするので やめさせろ」 ということで、農民が団結して、 武力をもって強く要求することです。

 その中で、「土一揆」は、 室町時代に起こったことで、 江戸時代になると同じことを「百姓一揆」 というようになります。

 室町時代の農民一揆が「土一揆」、江戸時代の農民一揆が「百姓一揆」です。

 次は「打ちこわし」です。
 土一揆、百姓一揆は、主に農民が、農村で起こすものです。

 それに対して 「打ちこわし」は、江戸や 大阪などの都市で、都市の 貧しい人たちが起こすものです。

 米の買い占めをして、値段を吊り上げる 悪い商人の家などを遅い、家などを打ち壊す ことです。

 中学で習う「米騒動」は、1918年(大正7)富山県魚津の漁村の婦人がおこした騒ぎが全国的に広がった事件をさすと思っていいです。

 「米騒動」も「打ちこわし」の 一つだと考えられます。

 高校入試には、それだけの知識でいいと思います。



http://chu.benesse.co.jp/qat/10987_s.html?utm_source=overture&utm_medium=cpc&ac=01f022y000587&wapr=530a15de

打ちこわしと百姓一揆(いっき)は,次のような点が違います。

■打ちこわし
[だれが]都市の貧しい人々
[どこで]都市(おもに江戸や大阪など)
[何のために]ききんなどで米が不足し,商人が米を買い占めたことによってつり上がった米価を引き下げるなどのため
[何をしたか]米商人らを襲った

■百姓一揆
[だれが]百姓
[どこで]農村
[何のために]年貢(ねんぐ)の減免や,不正をはたらく村役人を交代させるなどのため
[何をしたか]領主に直訴したり,村役人らを襲った

打ちこわしも百姓一揆も,18世紀以降,大きなききんの後にとくに多発しました。これは,米の不足で生活に苦しむ人々が,不満をぶつけたものだといえます。 打ちこわしは「米よこせ」運動,百姓一揆は「年貢を減らせ」運動と覚えると,わかりやすいと思います。



(以下はネットの辞書から)

打ちこわし
江戸時代,中下層の百姓・町人が群集して豪農・米穀商・高利貸しらの家屋・家財などを破壊すること。一八世紀半ばから都市の米騒動を中心に,百姓一揆や幕末の世直し騒動の中で多くみられた。

こめそうどう【米騒動】
米価騰貴を原因とする民衆暴動。特に,1918年(大正7)富山県魚津の漁村に端を発し,全国に波及した騒動をさす。軍隊によって鎮圧されたが,時の寺内内閣は総辞職に追い込まれた。

ひゃくしょういっき【百姓一揆】
江戸時代の農民闘争。年貢の減免や代官・村役人の交代などを要求し,蜂起・越訴(おつそ)・強訴(ごうそ)などの形をとって行われた。

どいっき【土一揆】⇒ つちいっき(土一揆)

つちいっき【土一揆】
室町時代,畿内およびその周辺を中心に頻発した農民の一揆。惣を基盤とし,諸郷村間の広範な連合によって武力蜂起し,幕府・守護・荘園領主に対して徳政や年貢・夫役の減免などを要求した。1428年(正長1)の正長の土一揆が有名。どいっき。





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選挙における「当選」と「当選確実」の違い
選挙では、「当選」と「当選確実」があります。
その違いを書きます。

例として、1人区。つまり1人だけ当選する場合を考えます。
候補者Aと候補者Bの2人が立候補しています。

 開票の途中、選挙管理委員会の発表で
候補者Aは200票、候補者Bは100票。
まだ開票されていない票が50票。

どうですか。この未開票の50票を候補者Bが全部とったとしても
候補者Bの票は150票です。
候補者Aの200票には届きません。

だから、この段階で候補者Aの当選は決まっているのです。当選が確定しているのです。
それで「候補者Aは当選」となるのです。奇跡の逆転があり得ない段階です。

プロ野球をよく知っている人なら、マジックナンバーも知っていますね。
2位のチーム(試合の組み合わせでは3位のチームになることも)が残り試合に全勝した場合を考えます。1位のチームは何勝すれば優勝できるか、というものですね。

マジックナンバーが0になると、残り試合にすべて負けても、優勝が確定します。
選挙でもその段階が「当選」となるのです。

「当選確実」は、予想です。

 いろいろなデータや情報などを考えると、A候補の当選だろうな、と考えて、「当選確実」を出すのです。

 テレビなどでは、投票が終わった時刻にすぐ「当選確実」が出たりしますね。
世論調査、出口調査の結果、A候補の当選は確実だろうな、と考えれば、「当選確実」にするのです。

 開票の途中、選挙管理委員会の発表で
候補者Aは200票、候補者Bは100票。
まだ開票されていない票が110票。

もし、この110票が候補者Bの票だと、
候補者Aは200票、候補者Bは210票で、Bの当選になります。

でも、110票すべてがBのものだとはふつう考えられませんね。
やはり、候補者Aの当選確実でしょう、ということになります。

奇跡の逆転は絶対ないとはいえないが、まあないだろうな、という段階です。

 メディアは競争です。他のメディアより早く「当選確実」を出したいのです。それでたまにはそれがひっくり返ったりすることもあるのですね。

 A候補が100票、B候補は200票という段階で、票数の少ないA候補の方に「当選確実」が出ることはありえます。

 B候補の強い地区の開票はほとんど終わったが、A候補の強い地区はまだかなり票が残っていたりしたときなどです。それに世論調査、出口調査も考えるとA候補が「当選確実」だな、ということになるのですね。

最終開票の段階では、「当選確実」ではなく「当選」になるのです。

地方分権って何?
水沢 恵莉さんから質問メールをいただきました。
ありがとうございます。

私は中学3年生で、公民の授業で地方分権というのを習ったのですが、いまいちよく分かりませんでした。
なので、地方分権について詳しく教えてください。
出来れば、国から地方への仕事や財源を移すとはどういう時に移すのかまで教えてもらえるととても嬉しく思います。
お願いします。


 まず、イメージしやすいように、家庭のことを考えてみましょう。
 家庭には、お父さん、お母さんがいて、そして、子どもたちがいるとします。
 家の中心、トップである人を「家長」と言います。会社のトップを社長、学校のトップを校長というようにです。

 多くはお父さんが家長です。

 さて、日本国憲法の前の憲法、大日本帝国憲法(明治憲法)では、家長の力がとても大きかったのです。

 子どもが成人して好きな人ができ、結婚したいと思っても、お父さんが反対すれば、結婚することができませんでした。テレビドラマなどでよく見ると思います。
 就職などもそうです。

 子どもはお父さんのいうことに従わなければいけなかったのです。

 お母さんもそうです。妻は夫の言うとおりにしなければいけなかったのです。

 ところが、日本国憲法では、結婚をするのは、子どもが決めることになっています。その他、いろいろと妻や子どもの権利が拡大してきたのです。

 さて、そのような関係が、国と地方でもあったのです。

 国というのは、日本政府のことです。地方というのは、都道府県、市町村のことです。

 大日本憲法では、中央集権でした。

 権力を中央である政府が握っていたのです。

 だから、地方は政府のいうことに従わなければいけまでんでした。

 首長である知事は、政府が決めた人がなったのです。政府のいうことを素直にきく人ですね。

 地方で、このようなことをしたい、という考えがあっても、政府がだめだ、と言えば、それに従わなければいけなかったのですね。

 お父さんが反対すれば、妻や子はそれに従わなければいけなかったのとよく似ています。

 それが、日本国憲法では、地方には地方の言い分があるんだ、それを決定するのは地方の権利だ、ということが認められるようになったのです。

 権利を中央に集中するという中央集権から、地方にも権利を分け与えるという地方分権になったのです。

 もちろん、憲法や法律に反するようなことを地方で行うことはできません。国とつながってはいるが、地方のことは地方にまかせる、というのが地方分権です。

 子どもに権利があるといっても、お父さんの意見をよく聞くことは大切ですね。そのようなものです。

 次に、国から地方への仕事や財源を移す時期についてです。

 1947年(昭和22年)5月3日に、現在の日本国憲法が施行されました。
 そのときに、それまでの中央集権から地方分権に大きく変化しました。

 これまで国が行っていたたくさんの仕事を地方がやることになったのです。そして、税金なども地方が徴収し、地方のお金として使えるようになったのです。

 だから、1947年(昭和22年)5月3日が、国から地方への仕事や財源を移されたときだ、と考えていいですね。

 また、最近でも、福祉などの仕事を国から地方への移す動きがあります。
 政府は地方分権のさらなる徹底のようなことを言っています。

 ただ、ぼくには、福祉はお金がかかり大変だから、地方でやりなさい、と責任を地方に転嫁させる行動のように思われます。

 いずれにしろ、政府、国会で、この仕事はいま政府の責任でやっているが、それを地方にやってもらおうと決めれば、国から地方に仕事を移すことができます。それに使われる財源も地方に移すのです。
 それを決めたときが、国から地方への仕事や財源を移されたときですね。

 これでいいでしょうか。まだ納得いかなければ、また連絡ください。
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