セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

「セルフ学習公民」の7大特長
 「セルフ学習」は,セルフ塾が作成した社会の学習書です。

 セルフ学習「歴史」の最初のページをPDFファイルアップしました。

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PDFファイル

 「セルフ学習」の特長を以下に述べます

「歴史」「地理」も基本的に同じです。


① 文英堂の「くわしい公民」に完全準拠
 伊藤光利編「くわしい公民」(文英堂)は名前の通り、とてもくわしい良い参考書です。しかし、中学生に「くわしい公民」だけを与えてもなかなか学習が進みません。「セルフ学習公民」は、「くわしい公民」に完全準拠しているので、「くわしい公民」を完全に学習することができます。

② 楽に楽しく独学ができる
「セルフ学習」の問題は、「くわしい公民」の当該ページを読むことで、とても簡単に解くことができます。学習をするものにとってはとても楽な学習です。教師、指導者がいなくても一人で学習することができます。「くわしい公民」を読むだけより、問題を解くという作業をしながらなので、楽しく学習が進みます。

③ 理解しながら学べる
「くわしい公民」は、くわしく説明されているので、「セルフ学習」と「くわしい公民」で、よく理解しながら学習が進みます。「セルフ学習」の問いを読み、何を問われているかを考えながら、「くわしい公民」を読んで解答を探すので、理解が深まります。

④ 一問一答方式で、何をすべきかはっきりしている
 すべて一行から数行の短い問題に答えるという「一問一答方式」で、書き込み式になっています。それで、教師などの指示がなくても何をすべきかはっきりしていて、学習がスムーズに進みます。そのため、教師はいなくても「くわしい公民」「セルフ学習公民」と鉛筆だけで学習が進みます。

⑤ 重要語を書く
 「書く」という作業はとても大切です。重要語は書いてこたえるようになっているので、書くことにより、重要語を記憶することができます。

⑥ 学習計画が立てやすく、チェックがしやすい
すべてのページが一問一答方式になっていて、問題の難易が似通っているので、1回のノルマ(課題)を決めやすくなっています。セルフ塾では、週3回、1回3ページをノルマにし、それを終わったら公民の課題は終了としています。
 宿題にも適しています。「セルフ学習を3ページ宿題にします」と告げるだけ、やったかどうかも簡単にチェックできます。

⑦ 繰り返し学習
 「くわしい公民」は、本文のほか、「ポイント」「教科書のまとめ」「テスト直前チェック」もあり、それらはすべてセルフ学習に組み込まれています。だから、重要な事項については4回繰り返し学習することになります。なお、そのほかに、「くわしい今民」には、「中間・期末テスト予想問題集」「入試問題にチャレンジ」もあり、力をつけることができます。







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文英堂「くわしい」シリーズ」選定理由
(こーすけさんからの質問)

社会の学習について、ブログ拝見いたしました。参考書を読み下すというのは、自学自習の基本をいく感じですね。

私は社会を専門に(本来は英語ですが…)講師をしておりますので、プリントがどのようなものか、大変興味深いです。待ち遠しいです。

文英堂の「くわしい」シリーズを選ばれた理由は何でしょうか?学研の「ニューコース」シリーズや、数研の「チャート式」もありますが、オススメの点があるのかなと。
セルフ塾には参考書もたくさんあるんですよね。私の始める学習スペースでも、たくさんの参考書や本、辞典や事典、インターネットやニンテンドーDSも用意するつもりです。メディアリテラシーの研究も考えているので。

また質問いたします!よろしくお願いいたします。


(Yojiの回答)
 文英堂の「くわしい」シリーズ」を選んだ理由ですね。

 実は以前,学研「ニューコース」を使っていました。それが改訂になり,こちらも作り直さなければいけなくなりました。
 改訂後の「ニューコース」は,要点集のような感が以前よりも強くなっています。見やすくはあるのですが,理解するには不十分だと感じたのです。
 それで,書店を回って参考書を読み比べました。
 その中で一番よいと感じたのが文英堂の「くわしい」シリーズ」です。
 その名の通り「くわしい」です。詳しいので理解が深まります。
 実のところを言えば,テストに出ないことも多く載っています。地理に関していえば,教科書では扱わない部分がとても多くあります。
 いま地理では地元,東京など数都道府県,また外国も2,3の国しか学ばないようですね。教科書については詳しくないので間違えているかもしれませんが。
 それに比べて「くわしい」は扱っているのがかなり広範囲です。そして,詳しい。
 これを生徒にきちんと読んで欲しいと思ったのです。
 それで,「くわしい」を選んだのです。

 セルフ塾には,参考書というより,辞典,事典,本をたくさんそろえています。
 自分で分からなくなったときは,辞典,事典をすぐ調べて欲しいからです。
 分からないところを習いに来たとき,自分で調べられることだと,「辞典を調べた?」と訊いて自分で調べるように指示します。
 インターネットをできるような体制にはないのですが,こーすけさんが考えておられるようにそれもあったらとてもいいと思っています。

写真は,生徒が使う辞書類です。
hondana.jpg


事典類

唯物史観(史的唯物論)を学ぶ
 mixi「授業の工夫」に次のようなトピックが立ち上がりました。

(前略)
 ゴロ合わせ、単なる暗記以外もっと科学的な、いや革新的な社会の教授法を試行錯誤しながら考えています。ただし、一人では限界がある。一人だとそれまでのドグマから抜け出せないので、みなさんの知恵を借りたいと思います。 (中略)
 考えて、おぼえて、そこから整理して、文章にできるという一連の流れがわかりやすく理解できる教授法をみなさんと一緒に考えたいのですか。どうですか。
(後略)

(以下はぼくのコメントです)
 中学生に教えるかどうかは別にして,またそれに同意するかどうかは別にして,歴史を教える方は,「唯物史観(史的唯物論)」を知っておいた方がいいのではないか,と思います。

 マルクス,エンゲルスによる歴史観です。歴史の流れが必然的な法則がある,というものです。

 物質がもとでそれから精神が出てくるというのが,唯物論です。
 それを歴史にもあてはめたものです。

 それは,経済が基礎で,その上に政治,文化があらわれるとします。もちろん,政治が経済に影響も与えます。

 昔昔,日本でいえば縄文時代までは,生産性がとても低かった。だから食べるのに精一杯です。原始共産制の時代です。みんな基本的に平等です。格差がおこることはなかった。

 稲作が始まり,弥生時代になります。
 生産性が飛躍的にあがります。余剰生産物が出てくるのです。そこで貧富の差が出てきます。これは教科書にも書かれているのではないでしょうか。
 王が現れ,余剰生産物を支配します。戦争で負けたものは奴隷となって,働かされます。
 経済が政治形態を決定しているのです。

 農業は徐々に発展し,生産性があがってきます。すると,奴隷として人民を働かせるよりも,土地にしばりつけておいた方がいいとなります。
 公地公民,荘園,そして封建制度です。

 その土地制度の中で,それにふさわしい政治形態がとられるようになります。

 江戸時代も封建時代です。農民を土地にしばりつけ,その年貢で士族階級が暮らすという形です。
 ただ,その中で工業も発展してきます。家内工業,問屋制・・・,工場制・・・・(正確な呼び方忘れてしまった) とにかく工業の発展です。

 工業がさかんになると商品経済になります。封建制度では経済の自由がないので,工業が頭打ちになってしまいます。自由な経済活動を求めるようになります。

 資本主義の芽生えです。
 そして,イギリスでは産業革命がおこり,資本主義が発達します。
 日本も開国となり,西欧の資本主義がなだれ込みます。日本は鎖国状態だったのですが,それなりの経済の発展はとげていたので,西欧の資本主義を受け入れることができました。そして,資本主義が発展します。資本主義というのは商品経済です。とにかく自由に物の売り買いを行い,その中からもうけを生み出すのです。
(なお,少々余談ですが,資本主義は自由経済といいます。それは経済の自由という意味です。もうけるのは自由にしましょう。競争は自由にしましょう。というもの。権利の自由という意味ではありません。)
 資本主義では,資本家と労働者が生まれます。一部の資本家が多くの労働者をやとってもうけるという経済です。そして,資本家階級と労働者階級の対立がおこる。

 マルクスはその後社会は社会主義,共産主義に向かうとしました。そこのところは賛否いろいろでしょう。

 以上,ぼくが昔学んだことを思いだしながら書き出してみました。細かいところは分かりませんが,大筋は間違えていないと思います。
 最初にも書きましたが,これが正しいかどうかの判断は別にして,歴史を教える方は学んでいた方がいいのではないかと思います。 

セルフ学習「歴史」のPDFファイル
 前に,

「プログラム学習」と「セルフ学習」の違い


「セルフ学習公民」の7大特長


 を書きました。

 PDFファイルをアップロードできるようになったので,セルフ学習「歴史」の最初のページをアップしました。

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中国の王朝名を覚える
 受験前になると,中国の王朝名も覚えなければ,ということで,念仏のように唱えている子がいます。

 ぼくは,日本との関係で覚えたほうがいいよ,ということで,次のような話をします。

秦・・・この王朝は日本とまったく関係がない。「秦の始皇帝」というのは有名だからそう「秦の始皇帝」を覚えて,「秦」という王朝を覚える。最初の統一王朝だ。

漢・・・「漢書地理誌」に最初に「倭」について書かれている。「漢字」は,「漢」の国の字だから漢だ。

魏・・・統一王朝ではないが,魏を覚える。卑弥呼,邪馬台国のことが書かれているのが「魏志倭人伝」。それを覚えながら王朝名「魏」を覚える。

隋・・・聖徳太子が小野妹子を中国に送ったけど,その使いを何という。そう遣隋使だ。隋への使いだから遣隋使。もう「隋」の名前は覚えたね。

唐・・・平安時代の中国への使いは? 「遣唐使」。これで唐もOK。空海,最澄も遣唐使といっしょに唐に行っている。菅原道真が遣唐使を廃止したのが894年(白紙にもどそう遣唐使)だ。その廃止によって,国風文化が生まれ,ひらがなができ,紫式部の源氏物語,清少納言の枕草子が生まれた。ついでに確認。

宋・・・平清盛が行った中国との貿易は,日宋貿易。日本と宋との貿易だからだ。

元・・・鎌倉時代に中国が日本をおそった事件が元寇。元が攻めてきたから元寇。ついでに,元寇の「寇」は,「外から侵入して害を加える賊」という意味。日本の海賊を「倭寇」というね。

明・・・その倭寇と区別するために発行された勘合符を使った貿易が勘合貿易。それの別名を日明貿易という。足利義満のころ。日本と「明」との貿易だからだ。

清・・・江戸時代,鎖国だが,外国との貿易もあった。2カ国。オランダと清。清の時代は長くて,明治時代の日清戦争のときも清だ。

中華民国・・・孫文の辛亥革命によってうまれた国。もう王朝ではない。日本との間では,日中戦争などが起こったが,教科書では「中国」として扱われているかな。

中華人民共和国・・・現在の中国の正式国名。地理でも学んだね。

 このようにして覚えたら,中国の王朝名もまったく新しく覚える必要はないです。日本との関連で覚えると,日本の何時代のころだということもいっしょに覚えることができます。そして,入試でも日本との関連で出題されることが多いです。

偏西風を教える
 日本の上空を一年じゅう西から東に吹く風を偏西風と言います。

 地理の問題で出てきます。

 それが出てきたとき,ぼくは,「風船爆弾」の話をします。
 太平洋戦争のときね,日本軍は風船に爆弾をつけて飛ばしたんだ。日本の上空に浮き上がらすとそれが偏西風に乗ってぷかぷかと流れていき,そしてアメリカに落ちて爆発する。

 これだけの話です。
 いま,ネットで調べると
 戦果に

風船爆弾によるアメリカ側の人的被害はほとんどなかった。すでに作戦が終了していた1945年5月5日、オレゴン州で不発弾に触れた民間人が爆死した例がある。この時は、ピクニック中の6人(女性1人と子供5人)が爆死した。アメリカ国民は報道管制のため風船爆弾の存在を知らず、危険を察知できなかったために起こった事件である。これは第二次世界大戦中にアメリカ本土で日本軍の攻撃により死者がでた唯一の事例とされる。


 とありました。
風船爆弾出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 こういう話をすると,偏西風のイメージが浮かび,そして記憶にも残ってくれるのではないかと思うのです。

円高と円安
 中3のKitaruくんがやってきて言いました。

「円高と円安がよく分からないから,教えて」

 これは,難しいね。円高と円安について説明するから,聞きたい人はおいで。
(数人集まりました)

 いまだいぶ円高になっている。いまいくらくらいかな。

「きのうは,1ドル94円でした」
(Soichiroくんが答えました。興味があるそうです)

 そうか,94円だったか。80円台になったこともあったね。

 では,1ドル95円だったのが90円になったとしよう。それは円高か?円安か?

「円高。」
(さすがに受験生。それは一応知っているようです)

「でも,なぜ,95円より90円が円高なのか分からない。ぼくの感じとしては円安なんだけど」

 よし,では説明しよう。
 分かりやすいように,極端な例でいく。
 1ドル100円と1ドル200円の場合。

 お金も売り買いができる。1ドル100円の場合,100円は1ドルで売ることができるということだ。

 では,1ドル200円の場合は,100円はいくらになるか計算してみよう。ここでも田の字表が役に立つ。


200円  100円
1ドル   xドル

200x=100 だから,x=0.5

 100円が0.5ドル,50セントになってしまった。

 1ドル=100円のときは,100円は1ドル
 1ドル=200円のときは,100円は0.5ドルにしかない。

 だから,1ドル=100円の方が円高になるんだ。ふつうはドルを中心に言われるから分かりにくいけど,円を中心にすると分かる。

(なるほど,という雰囲気です)

 さて,よく出題されるのは,円高,円安と輸入,輸出の関係だ。

 1万ドルの車があるとするね。

 1ドル=200円のときは,
 田の字で
200円  x円
1ドル   1万ドル

 200万円になる。その車をアメリカで売ると,200万円が入るわけだ。

 しかし,円高になり,
 1ドル=100円になったとする。すると同じ車がどうなるか。
100円  x円
1ドル   1万ドル

 100万円になる。100万円にしかならない。


 同じようにアメリカで1万ドルで売っても
 円安のときには,200万円だが
 円高のときには,100万円にしかならない。

 だから,円高になると輸出は不利なんだよ。大損だね。
 円高だから高くしてくれとはなかなか言えないし,また買ってくれないだろうね。

 輸入はその逆だ。
 同じ商品を円高のときには安い円で買うことができるわけだ。

 海外旅行も有利だね。円高が。

 同じ1万円が1ドル200円の場合(円安だね)は50ドルだが,
 1ドル100円(円高)だと100ドルになる。

 分かったかな。

(分かったの反応です)

扇状地と三角州
 扇状地と三角州の区別をあいまいにしている生徒が少なくありません。受験生に「扇状地と三角州,どう違うの?」と質問して答えきれる生徒はほとんどいません。

 どちらも川によってできた三角形の土地というくらいにしか理解していないのですね。その区別をきちんと説明されたこともないのでしょう。
 扇形も三角形ですから。

 ヤフーの辞書で調べてみました。

扇状地: 川が山地から平地へ流れ出る所にできた、扇形の堆積(たいせき)地形。川の勾配(こうばい)が急に小さくなり、流水の運搬力が急減するため、上流から流れてきた砂礫(されき)が堆積してできる。沖積扇状地。

三角州/三角洲:河水の運搬してきた土砂が河口付近に堆積(たいせき)してできた地形。デルタ。

 なんとなく読んでは違いが分かりませんが,ちゃんと書かれています。

扇状地・・・山地から平地へ流れ出る所
三角州・・・河口付近

 そこが違いです。簡単に山を描いて平野を描き,海を描きます。山から平野に出たところに三角形(扇形)を描き,ここが扇状地,そして河口に三角形を描き,ここが三角州,ということを強調します。

扇状地と三角州


 そして,山から出たところ,ここは山から急にゆるやかな流れになるので,粗いれきが堆積する。だから水はけがいいんだ。

 河口付近,ずっと平野を流れてとてもゆるやかなのでこまかい土砂が堆積する。だから扇状地のようには水はけがよくない。

 ぼくはなぜだか知らないが,水はけのいいところは果樹ができる。だから扇状地には果樹畑。そして,河口の三角州には水田が多い。

 というような説明を加えます。ふたつを対比させながら違いを強調して説明をするのです。



次の動画でとてもよくわかりますよ。

せん状地のでき方(40秒)

三角州のでき方(29秒) NHK for school





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 「セルフ塾のブログ」に書いた記事の中から、社会科のカテゴリーに分類した記事をまとめて、 「セルフ塾の社会科わかる教え方」として、アマゾンキンドルで電子書籍出版しました。



共産主義と社会主義との違いは
 mixiの「授業の工夫」で次のような質問がありました。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=5399675&comment_count=41&comm_id=380962


 中学2年生の歴史で中国共産党などがでてきますが、

共産主義と社会主義との違いは、中学生にどう説明しますか?

お知恵をおかりしたいです。

書き込みよろしくお願いします。


 (それにぼくは次のようなことを書きました。)

 社会主義と共産主義のちがい,ぼくの理解するところを書きます。

 社会主義は,能力に応じて働き,働きに応じてもらう

 共産主義は,能力に応じて働き,必要に応じてもらう

 資本主義は,労働者からすると搾取されているのです。だから働いた分はもらっていない。それを働きに応じてもらえるようにしようというのが,「働きに応じてもらう」ということになります。

 資本主義は,労働力を売っているのであって,労働を売っているのではない,というkとになります。労働力と労働の違いは難しいのでこれ以上深追いはやめます。

 ただ,社会主義は,労働力に応じてではなく,労働に応じて受け取るということです。

 共産主義の場合は,社会主義をさらに進めます。

 家族を考えてみましょう。お父さんが働き,給料をもらってくる。そしてそれを家族みんなで使うわけです。子どもは働かないが必要な食べ物,衣類などはもらえます。

 このように,働ける人が働いて,必要とする人がそれに応じてもらうという社会が共産主義です。

 家族はある意味では共産主義です。社会が進んで,社会が家族のようにみんなで助け合っていけるいけるようにならないかということを目指しているのです。





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オーストラリアは、なぜ季節が日本と逆なのか
中学三年生のYukaさんが習いに来ました。地理の問題です。
簡単に言うと、「オーストラリアは、なぜ季節が日本と逆なのか」という問題です。

 答えは、「南半球にあるから」です。

 それはYukaさんもわかっていたようです。ただ、南半球にあると、季節がなぜ逆なのか、ということがちゃんとを理解できない、とのことです。

 それで、僕は次のような図を描いて、地球がどの状態のときに夏なのかそしてまた冬なのかを尋ねました。
kisetu.jpg


 理科の天体で、そのことは学んでいます。だから、Yukaさんは、それにすぐ答えることができました。
 僕は、それで「夏」「冬」を書き込みました。
 そして、その図を百八十度回転させたのです。
kisetu2.jpg

 Yukaさんが「あっ!」と発しました。理解力のあるYukaさんは、その図を見てすぐに気づいたのです。

 「分かった ?」
 「うん、わかった」
 そのあとの説明は不要でした。








地球上の 2点の最短距離
 地図中に示したロスアンゼルスと東京の間の最短距離にあたるものはどれか。最も適当なものを地図中の アからエから一つ選び、記号で答えなさい。

 という問題が出ました。

 こういう問題では、言葉でいくら説明してもよく理解してくれません。だから、地球儀と糸を使って実際に最短距離を調べてみるのが一番いいです。
saitan.jpg


 地球儀の上で、糸の端を東京にあてます。そして別の端をロスアンゼルスにあてます。それをぴんと張るのです。すると東京ロスアンゼルス間の最短距離になります。緯線にそってではなく,北の方にふくらんだ,弧を描いたようになります。

 問題に出てくる地図はメルカトル図法の地図です。つまり、経線は平行直線、緯線は経線に直交する平行直線になる地図です。一番よく見かける世界地図ですが、最短距離ははっきりわかりません。

 本当の地球は、球になっています。それを、2次元、平面で表すのですから正確なものにはなりません。

 一人の生徒が、「最短距離は直線になるんじゃないの?」とやってきました。
 平面の上では最短距離は直線です。数学で最短距離の問題が出たら、直線を考えるように教えています。

 しかし、地球は、本当は球なのですから、それを平面にした地図では直線にならないのです。メルカトル図法の地図では緯度が高くなるほど面積が広くなるようになっています。だから、最短距離が地図上の直線と一致しないのです。

 そういうことは、言葉でいくら説明してもよく理解できません。だから、地球儀と糸を使って実際に測ってみる方が一番よくわかるのです。
 百聞は一見に如かず、というのがこれほどはっきりするのも、あまりありません。

 僕も、頭では理解していたつもりだったのですが、地球儀で実際にやってみて、びっくりしました。感動に近いものを感じました。

 日本からヨーロッパに行くときにその最短距離は、ロシア(北極近く)を通ります。それも、地球儀と糸を使ってやると本当によくわかります。

 そのためにも、地球儀は手元に置いていた方がいいと思います。理科の天体でも地球儀はよく使います。利用価値はかなりありますよ。

(指摘があったので、一部修正しました)

時差は,時計を描きなさい
 高校受験の予想問題(社会)で次のような問題が出ました。

 日本時間午後5時に成田空港を出発した飛行機が,11時間かけてアメリカのロサンゼルスに到着した。日本とアメリカ西海岸との時差が17時間であるとすると,ロサンゼルスへの到着は現地時間で何時か。午前か午後かも記入し,時刻を答えなさい。


 ほとんどの生徒ができません。

 ぼくは,時計の絵を描きなさい。
 と指示しました。
tokei.jpeg

 この図は,イラスト集から借りたものなので,ていねいに細かい目もりもついていますが,簡単に数字が書かれていればいいです。
 その図を描くのに時間はかかりません。

 それを見ながら,時間を追います。

 出発したのが,日本時間で午後5時。11時間かかったのだから,到着したのは日本時間で何時?

 目もりをみながら,1,2,3・・・・11 と数えると,午前4時ということが分かります。この場合は,時計の針の動きの向きです。

 日本は,もっとも時間の早い国と思って,間違いない。だから,他の国に行くときは,時間をさかのぼるんだよ。日本とロサンゼルスの時差は17時間だから,午前4時から17時間後戻りしてごらん。

 そこで,時計の数字を指で追いながら,1,2,3・・・とすると17で,前日の午前11時だということが分かります。

 計算方法を教えるよりも,アナログ時計の絵を描いて,考えた方が理解しやすいので,間違いが少なくなります。

歴史って,分かったらおもしろいね
 中学3年生のRinaさんが「長篠の闘いって,何?」とたずねました。ぼくは手短に説明しました。
 すると「千利休って秀吉に殺されたんだよね」ときました。また,それについて話します。
 次に「秀吉って,いい人なのか,悪い人なのか,分からないね」
 「いい,悪いっていうのは,・・・・」ぼくの考えを述べました。

 どうも,ぼくから歴史の話を引き出したいようです。

 そして,
 「歴史って,分かったらおもしろいね」とつぶやきました。

 Rinaさんは,高校受験生。間近にせまった入試に向けて,歴史事項も覚えようとしています。そして,覚えたら興味がわくのですね。そして,それについてもっと知りたくなる。そして,さらに興味がわく。
 このような状態なのでしょう。

 入試を悪くいう人がいます。確かに悪い面はあります。しかし,詰め込まれたものとはいえ,知識は知識です。それは次の関心に向かいます。
 知っていることは,おもしろいのです。だから,受験知識であっても,それを基礎に本物の学力につながっていきます。

 それに関連してですが,NHKって賢いなあ,と思います。民放も同じようなことをしているかもしれないのですが,よく知らないのでNHKということで。

 あるドラマをこれからしようとする。すると,それに関連した番組をいろいろ企画するのですね。「坂の上の雲」の放送のときに,正岡子規とその妹のドキュメント番組をしていました。

 またオリンピック。
 バンクーバーオリンピックは終わりました。それが始まる前,クローズアップ現代で,上村愛子,加藤条治,清水宏保のことをしていました。
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku2006/0602-2.html

 すると,それらの選手についてある程度の知識が頭に入ります。すると,どうなるかな,という関心が芽生えるのですね。それで,オリンピック番組を見てしまう。
 知ると関心がわく,というのをNHKはよく知っているんでしょうね。

歴史年代暗記は時代区分をから
 高校入試も終わりました。沖縄県の社会科の問題では、単に暗記すればいい問題がよく出るので一問一答式な問題をたくさんするように言っていました。年代も覚えるようにいました。

 そして、年代を覚えるときは、まず時代がわかるようなものを先に覚えるようにと強調しました。具体的には、

平城京の 710年。
平安京の794年。
鎌倉時代の始まる 1192年。
そして鎌倉時代が終わる 1333年。
徳川家康が将軍になった1603年、または関ケ原の合戦の1600年。
明治維新の 1868年。以上です。
それに、豊臣秀吉が全国統一をした1590年も加えてもいいですね。

 室町時代が始まる年代よりも、鎌倉時代が終わる1333年の方が有名です。それは鎌倉時代が終わって後醍醐天皇による建武の新政があり、その後南北朝が続くといった状況で、室町幕府がひらかれた年というのが、そのころの日本では比較的重要なことではなかったからではないかと僕は推測しています。

 いずれにしても1333年に鎌倉幕府が倒されて、そして後醍醐天皇による建武の新政がその次の年から行われ、そして足利尊氏による室町幕府が 1338年に開かれます。このあたりは流れを押さえておいて 1333年の鎌倉幕府滅亡をきちんと覚えておけばいいでしょう。

 これらの歴史区分をきちんと暗記すると、ある年代が出て来たときに、これは何時代のことなのかというのがはっきりします。
 例えば1221年に承久の乱がおこったということが何かで出て来たときに、1192年に鎌倉幕府がひらかれて1333年に鎌倉幕府が滅亡したというのを押さえておけば,これは鎌倉時代の出来事だというのがすぐに理解できます。
だから、時代を区分する年代をきちんと暗記するというのはとても大切なことなのです。

 大きな流れをおさえてから、細かいことを覚えるようにするのです。

それで、僕はこの時代を区分する年代をまず覚えなさい、と生徒には何度も言いました。上にあげた年代はやはり大切なようで、よく出てきます。ごろ合わせもよくつくられています。だから生徒も結構覚えてはいるものです。


明治の3戦争の年代は10年ごとに
 多くの参考書に書かれていることなのですが,
 日清戦争(1894年)、日露戦争(1904年)、第1次世界大戦(1914年)は,10年間隔で起こっています。

 このことは,多くの生徒が知らないので,受験前には教えてあげます。

 「日清戦争は何年?」と生徒に問いかけます。時期にもよりますが,ほとんど知りませんね。当てずっぽうに「1600年」などと言う生徒がいるので,「日清戦争は何時代にあったんだよ」などと言いながら,年代をせばめていきます。「1900年」には,「もう少し前だね」などと言いながら,1894年を出します。
 黒板に,「日清戦争・・・・1894年」と書きます。

 「では,日露戦争は?」これもなんとか「1904年」
 「日露戦争・・・・1904年」

 そして,「第一次世界大戦・・・1914年」
 
 日清戦争  ・・・・1894年
 日露戦争  ・・・・1904年
 第一次世界大戦・・・1914年

 どうなっている?
 と問うと,「10年ごとだ」と気づきます。
「だから,日清戦争の年号だけ覚えて,あとは10年ごとと覚えればいいんだよ」と言います。

なぜ,源政子ではなく北条政子なの?

 なぜ,源政子ではなく北条政子なの?


 小学6年生のAyariさんに尋ねられて,恥ずかしながら答えることができませんでした。

 食事のときに妻に尋ねると

 「そもそもあの頃の女性に姓なんてあったの?」とのこと。

 なるほど。そうだよな,

 ネットで検索。

 すると確かにそうです。あの頃の女性には姓がないのです。それで,~~の娘の~~という言い方をしているのでしょう。

「教えて!goo」の次のページはとても詳しくて,おもしろいです。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1500540.html

北条政子と通称される女性は、
「平遠江守北条時政の娘。源右近衛大将頼朝の妻。名は政子」
と呼ぶのが、当時の実情に最も近かったと思われます。

 

のだそうです。

 頼朝の妻というより北条時政の娘というのが当時は大きかったのでしょうね。

 細川ガラシャは,夫の名前を使っているがキリスト教の影響とのこと。

 また

 中国や韓国では今でも妻が婚家の姓を名乗ることはなく一生実家の姓で通します。

 
そうです。

 和宮も徳川和宮ではなく
「和宮 親子内親王(かずのみや ちかこないしんのう」とふつう呼ばれていますね。明治以後まで生きているようですから,そのころは徳川を名乗ったのでしょうか。

 天璋院 / 篤姫(てんしょういん / あつひめ、
 も徳川篤子というのは聞かないが。

現代史は、実体験
 年をとるとたまにはいいこともあります。

 中学三年生が期末テストに向けた勉強をしていました。そこで現代の歴史というのでしょうか、
 白黒テレビが出たころ、カラーテレビが出たころ、車が普及したころ、クーラーが普及したこのなどが出てきました。それがいつのことか、といった問題です。

 今の中学生にとっては、それは自分が生まれる前のことです。文字の上で別口に覚えるということになります。

 でも、僕にとってはそれは自分の実体験なのです。

 白黒テレビが出た頃のことをよく覚えています。小学低学年のころでした。
 近くのお金持ちの家にテレビが入りました。それを見せてもらおうとそこを訪ねて行ったのです。そんなに親しくしていたわけではありません。そのうえ家に行くのは初めてだっでした。多くの子供たちが集まってテレビに見入っていました。

 そのことを中学生に話すと、そういう話ってテレビのドラマの中の話だと思ったと返ってきました。

 このように現代の歴史については僕らは改めて覚えるというよりも自分の体験を思い出すという感じの方が強いのです。

 小学6年生のときに東京オリンピックが開かれた、大学2年生のころに石油ショックがあったなどというのは、自分の体験を思い出せばすぐに出てくることなのです。

 何かとても生き生きしています。
 東京オリンピックの東洋の魔女、柔道のヘーシンク、 マラソンのアベベ、100m走のヘイズ、すぐに浮かびます。
 大学の生協の書店に並んでいる同じ本ですが、値段が極端にちがうのです。石油ショックの前と後に出たものなのです。

 文字の上での知識とはだいぶ異なるものだと思います。

1964年の東京オリンピックのとき,ぼくは小学6年生だった
 1966年にビートルズが初来日,と言われたとき,ぼくが中学2年のときだな,とすぐに分かります。

 1973年に石油危機が起こった,と言われたら,大学2年のときだなと分かります。

 なぜかというと,1964年の東京オリンピックのとき,ぼくは小学6年生だったということ,1972年に沖縄が祖国復帰し,その年にぼくは大学に入学したことをはっきり記憶しているからです。

 この2つの年代を覚えていると,それをもとにして計算すればすぐに分かります。

 1964年が小学6年だから66年は中学2年,
 1972年が大学1年,73年は2年というように。

 中学時代,スポーツ好きだったぼくは1968年にメキシコオリンピックがあり,そのとき高校に入学したこともよく覚えています。

 スナックでカラオケを歌っていると,何年に発売された歌なのか画面に出てきますね。それを見ながら,この歌はぼくが高校2年のときのものだ,などと考えるのです。

 このように自分の節目の年をきちんと覚えていると,何年には自分は何をしていたという自分の実体験と関連することができるので,けっこう便利です。というよりおもしろいです。

 1952年,誕生。
 1981年に結婚。
 1990年に保育園を閉じて,塾だけに専念。

 そこまではいいのですが,その後自分にとって大きなことがないです。いろいろなことは塾でもありましたが,生活を変えるほどのことがないです。

 だから,2001年に同時多発テロが起こったと言われても,塾をやっているころだということは分かっても,とても漠然としています。

 あと4年で塾を閉めたいと考えているので,2014年は大きな変化になると思うのですが。 

北海道が12時のとき,沖縄は11時
 きのうは,地理の過去問の説明をしました。そこに,時差の問題が出てきたので,説明するうちに標準時の話になりました。

「太陽が南中したときを正午,昼の12時とするんだ。

南中というのは,太陽が真南に来た時をいう。この方向(南)に太陽が来たときだ。
3年理科でこれから教わるよ。

 (地球儀を見せながら)

 北海道の札幌がいま南中している。Nくんを太陽とすると,真正面に見えるね。

 だから,いま札幌はお昼の12時。NHKの12時のニュースをしている。

 でも,沖縄はまだ太陽が南中していないね。だいたい午前11時だね。

 だから,北海道が12時のときに,沖縄は11時。

(そこで,「へぇ~,北海道と沖縄で時差があるの?」
 という感じで動揺が走ります。)

 (地球儀をまわしながら)
 そして,東京が12時になって,そしていまやっと太陽がやってきて沖縄に南中し,沖縄が正午になるんだね。そのとき北海道は午後1時ごろだ。

 (生徒達の顔に,知らなかった,そうなんだという表情)

 というのは嘘です。
(えぇ~!! やっぱり,Yojiさんは,ときどきまじめな顔で嘘を言うから分からなくなるんだ)

 同じ日本で,このように時間がずれていたら面倒だね。北海道に電話をして,「きょうの3時に・・・・」と言っても,時差を計算してとなると面倒だ。

 だから,どうするかというと,「標準時」をいうのを決めたんだ。

 東経135度の線に太陽が南中したときを日本全国で午後12時ということにしようと決めたんだね。

 その135度を通る都市は?

(分かる,分かる,明石市だ)

 そう,明石市で南中したときを正午にするんだね。それを標準時というんだ。分かった?


(じゃ~,夜になる時間もちがうの?)

 そう。北海道では6時に日が沈むけど,沖縄では7時になってやっと沈むんだよ。

 沖縄は夜型社会と言われるね。遅くまで活動している。遊んでいる。

 それは,沖縄の人がノンビリしているせいもあるけど,日が暮れるのが遅いせいでもあるんだよ。夜になるのが遅いから。

次のページに,日の出,南中,日の入りの時刻を見ることができます。
国立天文台天文情報センター暦計算室

札幌(北海道)
2010年8月6日(金)
日の出 4:30
日南中時 11:41
日の入り 18:51

那覇(沖縄県)
2010年8月6日(金)
日の出 5:57
日南中時 12:35
日の入り 19:13
月の出 1:27



ついでに,グーグルの地図から

札幌東経141° 
セルフ塾,北緯26.398943, 東経127.741771


なぜ本初子午線はイギリスを通るのか
 緯度、経度の話をすると、きまったように

 「なぜ本初子午線がイギリスのロンドンも通るの?」

 という質問が出ます。

 本初子午線というのは経度が0度の経線です。

 緯度が0の線は赤道です。北極と南極の間の赤道が0度とするというのは何かとても自然ですぐに納得できます。地球をまっぷたつにする線は赤道ですから、そこを0としよう、ということです。

 しかし、経度0の本初子午線がなぜイギリスを通るのか、よく理解できないようです。

 僕は、
「それを決めたときにイギリスが世界の中で力が強かったからだよ」と答えます。何で学んだのか、勝手に推理していてのか忘れました。

 イギリスは強かったから自分の国を通るところを 0度としたのです。自分の国が世界の中心だということですね。今のアメリカのような感じです。

「では日本が強かったら日本を本初子午線が通るようになったの?」

 というので「たぶん、そうなっただろうね」と答えていました。

 さて毎年のようにそのように答えていたのですが、生徒の中から

「太平洋上を日付変更線が通るように決めたんじゃないの?」という声が出てきました。学校で教わったのかもしれません。

 太平洋には国がほとんどない、だからそこを日付変更線が通ると便利だ、そうなるように経緯180度の線をきめたんじゃないのか、ということです。

 そのことについては僕は知らなかったのですが、そう言われれば理屈は通ります。

 日付変更線が多くの国々を通ると面倒になります。太平洋上を日付変更線が通るというのはとても理屈にかなっています。

 それで僕はネットでいろいろ調べてみました。

 すると以下のようなページに出合いました。

276 本初子午線がパリを通過するフランスだけのローカルルール

110 世界一周で1日ずれた日付の謎

ロンドン郊外 グリニッジ 

 それをまとめて、そしてぼくの推理も加えて言うと次のようになります。

 最初、それぞれの国がそれぞれに自分の国を本初子午線が通るとしていました。
 日本も日本を中心とした本初子午線を持っていました。

 しかし世界の交流が広がるにつれてそれでは不便だということになりました。

 そして世界の統一した本初子午線を決めることになりました。
 そのための会議を開いたのです。それが万国子午線会議。

 その時に強いリーダーシップを持っていた国はイギリスでした。

 イギリスは、その国力の強さで自分のところに本初子午線を持っていこうとしたわけです。そうなれば、世界の中心はイギリスになります。

 そして調べてみると自分のところを本初子午線が通るとなると太平洋上が180度になります。

 日付変更線のこともそのころには話題になっていました。
 イギリスを本初子午線が通るとすると日付変更線は太平洋の中心を通ります。

 だからそういう点でも本初子午線はイギリスにおいたほうが便利なんだと主張したのでしょう。 

 また、「グリニッジ天文台という、世界で第一級の天文台がイギリスロンドンにあるしね」と言ったのでしょうね。

 このように、国の力が強かったイギリスが自分の国が世界の中心だとするために、いろいろ理屈をつけ、本初子午線はイギリスロンドンのグリニッジ天文台を通ることに決めたのでしょう。




2013年12月21日追記

山田武司さんから、「万国子午線会議の件」で、メールをいただきました。ここに転載いたします。山田さん、ありがとうございます。

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失礼します。上記の件につき、当時のワシントン・ポスト紙に概略が報じられていましたので、紹介しました。
kazaguruma.wook.jp で読んでいただくことができます(無料です)。よろしければご覧ください。
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万国子午線会議の話(改訂版)
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万国子午線会議の話(改訂版)
ワシントン・ポスト紙も面白い!

明治十七年十月一日、アメリカ合衆国チェスター・アーサー大統領の要請により、合衆国国務省で万国子午線会議が開催された。その概要は、明治十八年一月六日の官報に掲載されているので紹介します。
その後、当時のワシントン・ポスト紙に、この会議の模様が報じられていることが判りましたので、それを追加して改訂版を出しました。

目次
(1)万国子午線会議始末
(2)本邦委員理科大学教授菊池大麓意見書
(3)六省審査委員申報書
(4)番外=韓国の標準時設定はちょっと複雑
(5)当時のワシントン・ポスト紙の報道
(6)明治初期の地球儀発売広告

韓国で,琉球の人って言ったらOK!
 きのうの高校入試夏期学習,国語の問題でしたが,大脱線をして長々と話をしました。子どもたちが興味津々で次々と質問をするので,それに答えているうちに長く長くなってしまったのです。

 国語の問題の趣旨は,日本語を大切にしよう,ということでした。自国語がなくなると,文化もなくなってしまうということです。

 ぼくは,韓国や台湾では70代80代の方々が日本語を話すのがとても上手であるという話から始めました。

 それは日本語を強要されたからだよ,と。

 それとの関連で,韓国では日本人が嫌われている,いや恨まれているということも話しました。

 (韓国の俳優がいるでしょう。あの人達も日本人を恨んでいるの?)

 たぶんそうだね。歴史の教科書には,日本にいじめられたことが書かれていて,そして授業では,先生によるだろうけど,だいぶひどいことを教えているとのことだからね。

 (日本ってそんなにひどいことしたの?)

 そう。だいぶ前からあるけど,まあ豊臣秀吉のときだね。

(秀吉って,いい人じゃないの?)

 もっと早く死んだら,いい人だったとぼくも思っただろうね。

 こういうふうに話が進みました。文禄・慶長の役,伊藤博文暗殺,韓国併合,太平洋戦争の強制労働と慰安婦,孫基禎,関東大震災で流言などなど。

 孫基禎は,そのとき名前は思い出せませんでした。いまネットで調べました。

 また,慰安婦の問題を説明するとき,「売春」という言葉を使ったら,「売春って何?」と女の子がとなりの人につぶやいていたのですが,無視しました。

 このように話はふくらんでいきました。

 だから,朝鮮の人たちは日本人をうらんでいるんだよ。でも,観光地では大丈夫。お金をつかってくれるから,にこにこしている。

 「でも,気をつけないといけないね」と言うので,

 ひとつ,いいことを教えてあげるよ。

 日本人でも,「私は琉球の人です」って言ったら大丈夫。とても親切にしてくれるよ。

 琉球の人も朝鮮人と同じように,日本人にいじめられたことを知っていて,日本人とはちがうということも知っているから。

 沖縄の人も日本人にいじめられたんだよ。薩摩に支配されていたでしょう。

 それからね,「朝鮮人と沖縄人,お断り」って書いて,差別されていたそうだ。ぼくは知らないけど。

 ぼくは金沢に住んでいたけど,差別された経験はまったくない。

 でも,沖縄の人が朝鮮人と同じように差別され,苦しめられたというのを韓国の人は知っているそうだから,朝鮮人は沖縄の人を仲間だと思っているそうだよ。

 そうこうするうちに時間になりました。

「きょうは,かなり横道に逸れてしまったなあ」と言うと
 Yukaさんから「Uターンだよ」と返ってきました。

円高の教え方
 円高が進んでいます。1ドル85円くらいになっています。

 1ドル150円だったのが 1ドル 100円になった。これは円高か、円安か。

 中学3年生の公民のテストによく出てきます。

 ほとんどの子たちは150円が100円になったのだから、安くなった、と答えます。

 これまでは、後述のように、ドル中心ではなく、円中心に計算し直して説明していました。子どもたちもそれを理解してくれました。

 でも、もっと簡単に理解できる教え方はないかな、と考えてみました。それで、思いついたのが、これから述べる方法です。まだ子どもたちには試していません。


 最初から、○○円というから、高い、安いが混乱するのです。

 だから、次のような例をあげます。

 これまで、1ドルで消しゴム2個を買うことができた。ある日、文房具店に行ってみると、1ドルで消しゴムが1個しか買えない。これは、消しゴム高くなったのでしょうか、それとも安くなったのでしょうか。

 これは子どもたちもすぐに分かってくれるでしょう。

 次にコインを考えます。1ドルでコインが2枚を買うことができた。それが1ドルでコインが1枚しか買えない。コインは高くなったのでしょうか、それとも安くなったのでしょうか。

 消しゴムの場合と変わりません。子どもたちも分かってくれると思います。

 次にドルで円を買うことを考えます。
 アメリカに旅行に行った。ドルをたくさん持っています。日本に帰るので、ドルを円に替えることにします。ドルを円に替えるというのは、ドルで円を買うということだね。

 では、以前は1ドルと200円を交換することができた。1ドルで200円を買うということ。それが、1ドルで100円しか買えないことになった。1ドルと100円が交換できるということ。これは、円が高くなったの?安くなったの?

 上の消しゴム、コインの例があるので、分かってくれるのではないかと思いますが、どうでしょう。

 以下に、これまで、生徒に教えてきた説明の仕方を書きます。これでも一応理解してくれました。

 1ドルと200円を交換することができた。それが、1ドルが100円としか交換できなくなった。これはドル中心の考え方だね。

 それを円中心に考えてみよう。1ドル200円ということは、50セント(0.5ドル)と100円が交換できるということだ。100円出せば50セントをもらうことができる。

 それが100円出せば1ドルもらうことができるようになった。100円の価値が50セントから1ドルに高くなったということでしょう。だから、1ドル200円より1ドル100円の方が円高ということになるんだよ。

 どちらが分かりやすいでしょうか。実際に試してみたいです。

なぜ円高だと輸出に不利か ?
 円高や円安について書きました。

円高の教え方
 今度は、なぜ円高だと輸出に不利なのかについて書きます。
 以前も書きましたが、もう少し丁寧に書こうと思います。

 100万円の車を輸出しようと思います。

 日本では100万円と円で売りますが、アメリカだとドルで売らなければいけません。

 円が安いころ 1ドル=200円としましょう。
 1ドルが200円ですから 100万円は5000ドルになります。

1ドル:200円=xドル:100万円

 100万円÷200 
 で求めることができます。
(田の字表でできますが、田の字はまだマイナーなので、比例式で説明)

 アメリカで5000ドルで売って、その5000ドルを日本に送る。それを円に替えて100万円とする。100万円の車ですから、これでいいのです。


 さて、いろいろなことがあって円が高くなったとします。1ドル=200円だったのが 1ドル=100円になったとするのです。

 アメリカでは先ほどの車は5000ドルで売るのですね。だから一台売ると5000ドル入る。そのお金を日本に送るわけです。そして5000ドルを円に直すと 1ドル = 100円ですから50万円になります。

1ドル:100円=5000ドル:x円

 5000×100 で求めることができます。

 こんどは50万円しか手元に入りません。

 同じように5000ドルで売れても
 1ドル=200円だと、100万円だったのに
 1ドル=100円になっただけでそれが、50万円になるのです。

 一台の車を売ると100万円入ったものが、円高になったために1台売っても 50万円にしかならないのです。

 円高になっただけで同じように売っても、入るお金が少なくなるということです。

 それならば値上げすればいいということになるでしょうか。

 100万円得るためには、10000ドルで売らなければいけません。
 5000ドルだった車を 10000ドルで買う人がいるでしょうか。

 少なくとも買う人は激減するはずです。車が売れなくなれば収入もまた減るわけです。

 このように、ほかの条件は全く同じでも、円が高くなるだけで輸出をして得る日本円は少なくなるということになります。

 だから円高になると輸出産業は大きな痛手を受けるということになるのです。


 現在1ドルが \85とか\84といった状況です。だから1ドルが \200というとめちゃくちゃな例だと思われるかもしれません。

 しかし、僕が高校生のころ沖縄が復帰する前のころです。
 あのころは1ドルが\360だったのです。その頃は変動がなくいつでも1ドルが\360でした(固定相場制)。

 それがアメリカ経済が悪くなり、変動するようになりました。それに切り替えた直後に円がドルが急に安くなったのです。まあそういうことですから、1ドル=\200というのもという時代もあったのです。

1ドル360円であった固定相場制の時、何故360円であったか教えて下さい。

 現在の問題としてとらえたいのなら、計算は少しだけ面倒ですが、

 1ドル=90円から1ドル=85円になった場合を例としてとりましょう。

 アメリカで1万ドルで車を売ったとします。1ドル=90円ですから、1万ドルは90万円になります(1万ドル×90)。

 それが円高になり、1ドル=85円になったとします。すると85万円にしかなりません。

 5円円高になっただけで、90万円が85万円と5万円も少なくなるのです。

 1台で5万円です。それを何台も売る工場にとってはとても大きいでしょうね。

円高だと、なぜ輸入に有利か
 円高だとなぜ輸出に不利かについて書きました。
なぜ円高だと輸出に不利か ?
 輸入というのは輸出の逆ですから、有利になるというのは何となくわかるはずです。

 それを、中学生が分かるように、きちんと説明してみます。

 1ドルが 200円のころを考えてみます。

 アメリカ産牛肉5kgを買います。アメリカでは 100ドルで買うことができるだとしましょう。

 1ドルが200円ですから 100ドルだと 2万円になります。2万円をドルに替えると100ドル。

 つまり、2万円で5kgのアメリカ産牛肉を買うことができるということです。

 それが何らかの理由で円高になったとします。1ドルが100円の円高です。円が2倍になった。

 同じく5kgの牛肉を買います。アメリカでは100ドルで買うことができます。それは変わりません。100ドルを円に替えると100ドルは1万円になります。

 つまり、1万円を出せば5kgの牛肉を買うことができるということです。

 1ドルが200円の円安のころには5kgの牛肉が 2万円した。

 しかし1ドルが 100円の円高になると、同じ5kgの牛肉を1万円で買うことができるということです。

 差額の1万円はまるまる儲けということになりますね。

 だから円高になると輸入は有利になるのです。


 理解しやすいように、かなり単純化して説明しました。実際の輸入というのはもっと複雑だと思います。

 また、牛肉5kgが100ドルというのは適正かどうかは知りませんが、ここは仮にということでご勘弁を。


円高だと,なぜ海外旅行に有利か
これも昨日まで説明したことから楽に理解できます。

でも,中学生には一応説明しておきましょう。

アメリカに旅行に行くので,10万円をドルに換えます。

1ドル=200円だとします。すると10万円は500ドルになります。それでアメリカ旅行を50ドルですることができるわけです。

そして円高が進み1ドルが100円になったとします。同じく10万円をドルに換えます。100,000÷10で=1000ドルになります。

今度は1000ドルを持ってアメリカを旅行することができるということです。

つまり、同じ10万円をドルに換えて旅行するとする場合でも
円安(1ドル200円)だと500ドルにしかならないのに
円高(1ドル100円)となったら1000ドルを持って旅行することができるということです。

このように、円高のいまは海外旅行はお勧めです。ぼくも行きたいのですが,ぼくがいなければ,塾は閉めるしかないので,だめですね。

鎌倉幕府跡3カ所を巡る
鎌倉に行こう、ということになって、鎌倉幕府跡はぜひ訪ねたいな、と思いました。

 それで幕府跡がどこにあるのか調べてみました。鎌倉幕府は3カ所あるのですね。初めて知りました。次の3カ所がそうです。

大蔵幕府跡 宇都宮辻子幕府跡 若宮大路幕府跡

 僕は大学受験の時には日本史をとったので、その時は学んだかもしれません。でも学んだ記憶さえ全くありません。

 とにかく、地図や資料を参考にしながらその3カ所を訪れることができました。比較的簡単に道に迷うこともなく。

 3カ所とも石碑が建っているだけです。だから、それぞれの印象というのはありません。周りは住宅地という感じ。稲荷神社の隣にあるというのもありました。

 ネットで探すと「鎌倉史跡碑事典」というのがあり、石碑の文とその説明が書かれていたのでそれを引用をいたします。

鎌倉史跡碑事典

大蔵幕府旧蹟

碑文
今を距(へだて)る七百三十七年の昔 治承四年(1180) 源頼朝邸を此の地に営後覇権(はけん)を握るに及びて政(まつりごと)を此邸中に聴く 所謂(いわゆる)大蔵幕府是なり 爾来(以後) 頼家(よりいえ) 実朝(さねとも)を経て 嘉禄(かろく)元年(1225) 政子薨(こう:死)じ 幕府の宇津宮辻に遷(移)れるまで 此の地が覇府(はふ:幕府)の中心たりしこと 実に四十六年間なり


説明
今から820年前の1180年に、源頼朝がこの場所に屋敷を建ましたが、権力を得てから後には政治を屋敷内で行いました。いわゆるこれが大蔵幕府であります。それ以後、頼家(よりいえ)、実朝(さねとも)と続き、1225年頼朝の妻の政子が死に、幕府が宇津宮辻に移るまで、この場所が幕府の中心であり、その期間は46年間でありました。

位置
雪ノ下3-11-45清泉小学校の南西端で,頼朝の墓所から南方200メートルに建つ



bakufu1.jpg


宇都宮辻子幕府旧蹟

碑文

仏鎌倉幕府は始め大蔵(おおく ら)に在りしが 嘉禄(かろく) 元年(1225)政子薨(こう:死)じ てより之を他に遷(移)さんと の議(論)起り及(すなわ)ち時 房(ときふさ) 康時(やすと き)等巡検評議の末 同年十 一月この他に 造営 十二月 将軍藤原頼経(よりつね)此に 移り住す 爾後(以後)嘉禎(か てい)二年(1236) 頼経再び之 を若宮大路に遷(移)せるまで  天下の政令の此に出ずるも の凡(およ)そ十二年なり


説明
鎌倉幕府の場所は最初大蔵 (おおくら)にありましたが、 1225年源頼朝の妻政子が亡く なった時に別の場所に移すこ とが検討され、北条時房(ときふさ)、北条康時(やすとき) などが議論の末、同じ年の11 月にこの場所に建設され、12 月には将軍の藤原頼経(より つね)がここに移り住みまし た。その後1236年に頼経が更 に幕府を若宮大路に移すまで の12年間は、幕府の政治はこ こで行われました。

位置
小町2-14-19,若宮大路の雪ノ下カトリック教会の南側の道を東に80メートル行くと稲荷 社が在り,その中に建つ



bakufu2.jpg


若宮大路幕府跡

碑文

鎌倉の幕府は初め大蔵に在りしが 嘉禄(かろく)元年(1225)政子の薨(こう:死)ずると共に 将軍藤原頼経(よりつね)之を宇都宮辻(うつのみやつじ)に遷(移)し 後(のち)十一年にして 嘉禎(かてい)二年(1236) 再び此の地に遷(移)す 爾来(じらい:以後)九十八年 頼経以後六代の将軍相継ぎて政(政治)を此に聴けり 元弘(げんこう)三年(1333) 新田義貞(にったよしさだ)の鎌倉に乱入するに及びて廃絶(はいぜつ:滅亡)せり


説明

鎌倉幕府は初め大蔵にありましたが、1225年頼朝の妻の政子が死ぬと、将軍藤原頼経(よりつね)は幕府を宇津宮辻(うつのみやつじ)に移動させました。その11年後の1236年には更にこの場所に移動させました。 それ以後98年間、頼経(よりつね)以後六代の将軍が相継いでここで政治を行いました。 1333年新田義貞(にったよしさだ)が鎌倉に攻め入ったことにより亡びました。

位置
雪ノ下1-11-22付近で,宝戒寺から南へ100メートル進み,小道を右折し100メートル進んだ曲がり角の右側に建つ



bakufu3.jpg



 さて、鎌倉を歩いてみると、石碑がきちんとしていることに気付きます。鎌倉町青年会などの名前で立っています。大正や昭和初期のものです。青年会がよく頑張っているなと思いました。

 似たような感じの石碑がきちんとをたっているので、その場所を探すのがとても楽でした。形、大きさなどが定型化されているので、遠くからでもすぐにわかるのです。観光客にはありがたいです。

 そしてネットで調べてみると次のようなことが書かれているページが見つかりました。



鎌倉の石碑「88箇所巡り」


奈良や京都と比べても鎌倉には石碑が多くある。これは大正時代から戦前にかけて鎌倉町青年会(10石碑)、鎌倉同人会(4石碑)、鎌倉町青年団(58石碑)/鎌倉市青年団(6石碑)によって 78の石碑が建てられたからであろう。


わいろは、お金で「成績あげて」というようなもの
 中学三年生、公民の学習の時です。

 わいろについて説明をしました。

 すると、Moekoさんが

「わいろって悪いことなの?」という質問をしました。

 僕が、わいろがなぜ悪いかを説明しようとすると、隣に座っていたYukaさんが、Moekoさんにこう言いました。

「わいろって、先生におカネを上げたりして、通信簿の成績を5にしてって言うようなものだよ」と。

 Moekoさんは、すぐに納得して「そうか」と言いました。

 ぼくも「そうだね」と続けました。

 ちゃんと実例に沿った説明よりも、彼女らにとって身近なこのような喩えの方がわかりやすいですね。次からはこれでいこう。

屋良朝苗さん、個人的思い出
 昨日は中学3年生に社会を教えました。学年末テストに時事問題が出てくるかもしれないということで、最近のニュースを話したのです。

 生徒たちが、かなり興味を持っていろいろ質問するので、ついつい長い時間話してしまいました。まるで「池上彰のここが知りたいニュース」に似たような雰囲気でした。
 ぼくは池上さんになったつもりで話していましたね。

 さて、北方領土問題が出て、その話をしているうちに、沖縄の復帰運動に話が及びました。

 そして、屋良朝苗さんの話を少ししました。

 屋良朝苗さんは、ここ読谷の出身なのです。
 地元出身でもあるし、高校入試にも出てくる可能性があるからしっかり覚えておくように、と話しました。

屋良朝苗(やらちょうびょう) [ 日本大百科全書(小学館) ] (1902―97)

 教育者、政治家。沖縄県読谷(よみたん)村で生まれる。広島高等師範学校卒業後、沖縄県教諭となる。1943年(昭和18)台北師範教授。敗戦後、沖縄に戻り知念(ちねん)高校校長として自主性と創造性を重んじた教育を実践。50年(昭和25)沖縄群島政府文教部長に就任し、戦災校舎の復興改善に尽力。52年沖縄教職員会を組織し初代会長。60年沖縄県祖国復帰協議会会長。68年初の琉球(りゅうきゅう)政府主席公選に野党統一候補として出馬当選。返還闘争が激化するなか、米民政府や佐藤栄作首相と折衝を重ね、施政権獲得に全力を傾ける。さらに72年6月復帰後最初の沖縄県知事選で革新統一候補として出馬、圧勝した。76年知事退任。平成9年2月14日没。


 さて、ここに個人的な話をします。

 僕が高校三年生の時だと思います。だから1970年か71年でしょう。復帰直前です。

 そのころ、屋良朝苗さんは、初の公選主席でした。その屋良朝苗さんがぼくの通っている首里高校に来たのです。

 新しくできた体育館で、たぶん講演をしたのでしょう。

 恥ずかしながら、その内容などはまったく覚えていません。

 ただ覚えているのは、握手をしたことだけです。

 友人の一人が、せっかく屋良知事が来たのだから、握手をしようと誘いました。それがだれだったかよく覚えていません。

 とにかく新しくできたばかりの体育館から職員室か正門に向かおうとしている屋良朝苗さんのところに駆け寄り、握手をお願いしました。

 にこにこしながら、それに答えてくれました。

 そのころも、僕は長髪で顎ひげをはやしていました。今のように長くはないのですが。

 その僕を見て、「あなたも高校生ですか」といったのを覚えています。

 そのころからふけて見えたのです。よくそう言われていました。

 さてもう一つの思い出です。

 僕の父仲松庸幸(ようこう)は復帰前は屋良朝苗知事のもとで琉球政府の労働局長までやりました。

 そして復帰後は総務部長をやって屋良知事を支えていました。

 その父が、僕が結婚して数年後に亡くなりました。

 そして、49日か何かだと思いますが、法事の時に、屋良知事がご夫婦でぼくの家にいらしたのを覚えています。

 ぼくの妻は読谷の出身です。舅は読谷に住んでいました。同じ読谷ということもあり、僕の舅は屋良さんと親しくしていたそうです。

 妻は、「曽根信一の娘です」と屋良さんにあいさつしていました。

 舅からは、屋良知事の若いころの思い出をよく聞きました。

「2万5千分の1地形図と5万分の1地形図では,どちらがくわしいか」
「2万5千分の1地形図と5万分の1地形図では,どちらがくわしいか」
の意味が分からないと中1のRさんがやってきました。

 僕は少し考えてから、Rさんの似顔絵を簡単に描きました。

 そしてその似顔絵の2分の1の大きさの絵を描きました。
 また別に元の絵の4分の1の大きさの絵を描きました。

 ここでは一太郎のイラスト集から借りてきた少女の顔を載せておきます。

chikeizu.jpeg


 そして、「この2分の1の絵と4分の1の絵では、どちらが詳しくかけると思う?」とRさんに尋ねました。

 すぐに、2分の1の方をゆびさして、「こちらが(詳しい)」と答えました。

 4分の1の絵の方が、2分の1の絵より小さくなるね。分母が大きいと小さな絵になる。
 5万分の1地形図は、2万5千分の1地形図より小さくなるんだよ、と話すとすぐに理解できたようです。

「やませ」と「冷害」はどう違うか。「やませ」は風で「冷害」は災害
 中学1年生は地理を学習しています。そこで、「やませ」と「冷害」が出てきます。

 この2つは明らかに違う概念なのですが、混乱しているようです。

 「やませ」と「冷害」って同じことじゃないの、という質問があったのです。

 関連がとても深いので、いっしょに出てくるからでしょう。

 それで、きちんと説明しました。

 「やませ」というのは風です。冷害は災害のことです。

 ただ無関係というわけではありません。

 次の記述はヤフーの辞書からです。

やま‐せ【山背】
1 山を越えて吹いてくる風。フェーンの性質をもつ風。

2 夏季に北日本の太平洋側、特に三陸地方に吹く冷湿な北東風。オホーツク海高気圧から吹き出す風で、長く続くと冷害の原因となる。



れい‐がい【冷害】
夏季の異常低温や日照不足のために、稲などの農作物が実らない被害。特に、北日本に多い。《季 夏》



 冷たいところにある空気が東北地方などに流れてくる風が「やませ」です。冷たい風です。

 その冷たい風が吹くと、夏なのに寒くなります。稲などは、ある程度気温が高くならないと実らなくなり、米とならないのです。

 このように冷たいために起こる災害が、「冷害」です。

 「やませ」が原因となって、冷害を引き起こすのです。

 僕等沖縄に住んでいる者にとっては、冷害というのはどうもイメージしにくいものです。

 夏に気温が低くなるというのは、僕らにとってはうれしいことでしかありません。夏の暑さに苦しめられているからです。

 宮沢賢治の「アメニモマケズ」に、

サムサノナツハオロオロアルキ


という節がありますが、最初はなんのことなのかまったく理解できませんでした。

 僕もなかなかイメージしにくいのですが、夏に気温が上がらなければ稲が育ちにくいんだよ、だから冷害という災害になるんだ、というようなことを説明しました。

 とにかく、「やませ」というのは「風」のこと、「冷害」はそれによっておこる「災害」のことだ、ということを強調して教えました。


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