
きのうは忙しい1日でした。
浦添市美術館で,
人間国宝 秋山信子人形展 この道を行く - 来た道、往く道
http://www.miraito.jp/
をみました。Kyoko とふたり。
よかったです。沖縄の人形もたくさんありました。柔らかい美しい人形達。Kyokoは人形の材質に興味をもったようでした。
ぼくは,一見沖縄らしい衣装なのだが,独特な工夫がされているように感じ,じっと見ていました。ただ,沖縄の衣装も満足に知らないので,違いははっきりせず。
DVDも見ました。
DVDを見終わったあと,ロビーを歩いていると,Kyokoが「あれ,秋山さん本人じゃないの?」と言うので,見ると,まさにいまDVDで見た方です。
「売店で何か買ってサインをもらおう」と言って売店に向かったのですが,秋山さんはすたすたと事務所のドアの向こうに消えてしまいました。
「握手だけでもしたかったなあ」とKyoko。
とても人の良さそうな方だったので,快く握手してくれたでしょう。残念。
カフェ・ルマーニ浦添店 [ ピザ、パスタ ]で昼食。バイキングでたくさん食べました。
7時からは,中学3年生のYさんが出演するということで,
ゴスペル・エクスプロージョン 2008
http://www.kazkato.com/Gospel%20Explosion%202008.html に。かでな文化センター
スペシャルゲストとして,LAからマキーダさんが
http://www.shinshiro-church.or.jp/call/Makeda.html
すごい迫力でした。これだけでもよかった。
もっと聴きたかったが,約束があったので,中座。
卒業生のMくんのお母さん(コンサートの係りをしていた)と立ち話。
Mくんは,今年3月高校受験。1次志望のY高校に不合格,C高校に進学。
彼が,最近「お母さん,ぼくこの学校でよかったかもしれない」と言っていたそうです。
その後,さしみ好酒家のYさんのところに。二階にビアガーデンをこしらえたのでみんなで飲もうということでした。
仲間とゆっくりビールを飲んで楽しみました。
ここでは,読解を「読みとり」と「解釈」に分けます。
「読みとり」は,書かれている内容をそのまま理解すること。
「解釈」は,書かれている内容から,書かれていないことを推し量ること,
とします。
「かこさんがかけっこをしました。50mを走るのに10秒かかりました。かこさんの速さを求めましょう」
単純な問題です。
「読みとり」では,
10秒・・・50m
が読みとれればいいですね。複雑な問題だとその段階でつまずく子もいます。
そして,前提として,速さ(秒速)とは,1秒間に移動する距離ということを理解しているとします。
「速さ」は書かれていません。だから,書かれている内容から推し量るわけです。
速さは,距離÷時間 で求めることができるので,
50m÷10秒=5m/秒
速さの求め方は学ばなければ難しいでしょうね。
このように,書かれている内容から,書かれていないことを推し量るのですから,読解の「解釈」ということになります。
つまり,算数・数学の文章問題は読解の問題なのです。そして答えはひとつ決まります。
このように考えると,国語の読解も答えに○×があることが理解できます。
国語の場合には,どうなんでしょうか。解釈,推し量り方もていねいに子どもに説明できればいいのでしょうが。
「読解と解釈と鑑賞の違い」
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-414.html
の中で
「日頃ぼくが考えていることを,『やさしい国語読解力』にうまくまとめてあるので・・・」
と書きましたが,少々異なるところもあるので,書きます。
ぼくは,これまで「読解」と「解釈」をきちんと区別していませんでした。それで,後藤武士氏による説明はいいな,と思いました。
ただ,ふつう「読解」には「解釈」も含まれるのではないでしょうか。
「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」
には,
「読解」のことが次のように書かれています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%AD%E8%A7%A3
「それを理解し,解釈するまでの」とあります。読解とは、読み解く(文章などを見て、その内容を理解すること)ことである。
[編集] 概念
読解とは文章に触れ、そこに内包された情報を、読者と書き手とが共有する文章表現の規則や約束事であるコードと読者に既有の知識や情報および経験を手がかりとして解読し、それを理解し、解釈するまでの、読者の一連の行為を指す概念である。
やはり,読解には,解釈も含むと考えた方が一般的でしょう。
ただ,後藤氏の書いてあるような,「読解」と「解釈」を区別するのはいいことだと思います。
読解ではなく,「読みとり」にするのもひとつかな。
または,読解には解釈(書かれていないことを推し量ること)は含まないことにしましょう,とみんなで確認するか。
いずれにしても,
読解(読みとり),つまり書かれていることを理解するところでつまずいていることがあります。
読書指導で,「それで,犯人はだれ?」の質問に答えきれない子がいるのです。ちゃんと書かれているのですが。
また,解釈がうまくないことがあります。その例は前に書きました。
それは,別々の指導法があるのではないかと思います。
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-139.html
ぼくは,幸いだったのか,子どもに恵まれませんでした。それで,自分の子どもの難しさを知りません。
先日読んだ,齋藤孝著「教育欲を取り戻せ!」に次のようなのがありました。
姿形が自分そっくりの子どもを目の前にすると、親はどうしても冷静になれません。自分の過去の願望を投影するかのように、期待値が必要以上に跳ね上がってしまうのが、そのー因です。さらには、自分の悪いところを改めて指摘されているような、不愉快な感覚をもってしまうのではないでしょうか。
人が我を忘れて怒るときは、たいてい自分でも薄々自覚しているような欠点を指摘されたときです。そんな欠点を何とか克服しようと努力して大人になったわけですが、子どもはそんな経験を経ていませんから、親のもっている生来の欠点が露骨に見えてしまうのです。あるいは、ふだんは我慢している配偶者の嫌な面が子どもの中に凝縮されているような気がして、どうにもこうにも腹が立ってくる。これはもう、冷静であれと言われても、無理な相談かもしれません。
このように、自分の子どもを教育するということは、そもそもとても難しいことなのです。しかし、自分の得てきたものを誰かに伝えたいという欲求は、教育欲の根底にある健全なモチべーションです。手元に置いて慈しみながら育てられる子どもは、この欲求を実現させてくれる大事な存在です。しかし、自分のDNAを受け継いだ子どもに対しては、どうしてもヒートアップしてしまう・・・・
そういうものなのでしょうか。ぼくにはよく分かりません。
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-373.html
読解と解釈と鑑賞の違い。
読解というのは与えられた文章から確実に言えることを正確に読みとること。だから読解は客観的なもので,正しい読解と間違った読解がある。
(中略)
正しい読解から想像できること,推定できること,それが解釈。だから解釈の幅は読解よりも広くなる。それに間違った解釈というのも存在する。
(中略)
「3人の息子かあ,女の子もいればよかったのにね」これは鑑賞。もうこれは完全に個人の感想。感想だから当然いい悪いはない。もし間違った感想なんてのがあれば,それは間違った感想ではなくて,間違った読解あるいは間違った解釈のあげくに抱いてしまった感想というのが正しい。
(中略)
入試問題などに文章が採用された作家たちが言っている「ぼくの作品をどのように受け取ってもらうのも読者の自由なのだから,○×をつけるのはやめてほしい」
これ,実は正しくない。何で正しくないかはもうわかるでしょ。そう,鑑賞,感想に関する部分,これについては個人の自由だから登場人物が行ったことについて「これはおかしい」とか「いや、よくやったよ」というのはアリ。でもね、本当は中学生だった主人公を高校生だと読み間違えていたり、死んでしまっているおばあさんを生きていると読み間違っていたりというのは明らかな間違い。
作家や大学の先生たちというのは、当然自分自身は文章がうまく書けて読める人たちが多いから、まさかそんなところで読み間違う読者がいるなんて思いもしないんだろうね(ぼくはこの仕事をやっているおかげで、死んでいるはずの登場人物が生きていると読み取ってしまうような人さえ決して少なくないことを知っている)。
星新一のショートショートに「おーい,でてこーい」というのがあります。中学生に読書として読ませています。
簡単に紹介します。
ぼくは,生徒に質問します。都会からあまりはなれていないある村
直径1メートルぐらいの穴があった。のぞき込んでみたが,なかは暗くてなにも見えない。
「おーい,でてこーい」
若者は穴にむかって叫んでみたが,底からはなんの反響もなかった。彼はつぎに,そばの石ころを拾って(中略)投げ込んだ。だが底からはやはり反響がなかった。
(穴はとても深そうなので,いろんなものを捨てます。原子炉のカス,不要になった機密書類,死体,汚物,古い日記,犯罪者の証拠物件)
穴は捨てたいものは,なんでも引き受けてくれた。
ある日,建築中のビルの高い鉄骨の上でひと仕事を終えた作業員が,ひと休みしていた。彼は頭の上で,
「おーい,でてこーい」
と叫ぶ声を聞いた。(中略) 声のした方角から,小さな石ころが彼をかすめて落ちていった。(後略)
「この村はその後,どうなるでしょう」
その後のことはいっさい書いてありません。しかし,書かれていることをきちんと読みとって,推し量るとこれは明らかです。星新一さんもこれを読みとって,推し量ってこの話を楽しんで欲しいと思ったので,それを書いたはずです。
それが解釈ですね。これは客観的です。正しい解釈は決まっています。
しかし,それが分からない生徒は多い。だから,いろいろ質問して導いてあげるのです。
「この村に何があったの?」「最初の方で,ひとりの青年がその穴に何をした?」「その穴に人々は何をした?」「最後の方で,上から何かが聞こえたね。」
「解ける」と思った人が「解ける」
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-160.html
「もてないと思っている人はもてない,もてると思っているひとがもてる」
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-376.html
という記事を書きました。
その中で,野口悠紀雄氏の著書「超発想法」から孫引きした引用文を紹介しました。
元の本が見つかったので,ここに直接引用します。
最近、ある大手出版社のCE0(最高経営責任者)が編集やマーケティングの部員に創造性かないことを気にかけていた。彼は創造的な社員とそうでない社員の違いは何なのかと思い、心理学者に調査を依頼した。
社員を1年間にわたって調査した結果、創造性のあるグループとないグループの間にはたったひとつの差異しかないことが発見された。
それは創造的な人は自分が創造的だと思っており、創造的でない人は自分が創造的でない と思っているということだけであった。
まだ読まれていない方は次のページへどうぞ。
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-387.html
さて,
子どもに愛が伝わっていますか―心のかけ橋をきずく“親業” (単行本(ソフトカバー)) 近藤 千恵 (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4837916872?ie=UTF8&tag=selfyoji-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4837916872
という本があります。
「親業」の本です。「親業」についてはまたの機会に。
さて,本当は子どもを愛している。しかし,それが子どもにはきちんと伝わっていない。
つまり,客観的世界においては,親が子どもを愛している。
しかし,子どもの主観的世界においては,子どもは親に愛されていない。
お父さんはぼくを嫌っているんだ。どうせ,ぼくなんかどうなってもいいと思っているんだ,と。
客観的世界と主観的世界,子どもに影響が大きいのは,主観的な世界です。
客観的に愛しているなら,それを子どもに伝えないと力にならないのです。
最近の父親はだいぶ違ってきましたが,昔の父親は子どもに愛を伝えるのがとても苦手だったように思います。ぼくも何も学ばなければそのようなものだったと思います。
数週間前,テレビ映画で「地下鉄(メトロ)に乗って」をやっていました。いい映画でした。
http://www.metro-movie.jp/
http://www.enjoytokyo.jp/OD009Detail.html?TITLE_ID=9373
暴力的で横暴な父親小沼佐吉を嫌い絶縁状態の主人公長谷部真次。地下鉄に乗るとそれはタイムマシンで,過去に。そこで青年時代の父親に出会う。過去の父親と接する中で父親を理解する。
まあそういった内容です。真次の主観的世界での父親と客観的世界での父親の間にはとても大きなギャップがあった。それが過去をのぞくことで,そのギャップが埋まるのです。
これまで書いてきたように,まず
この子もこの子の人生の中では主人公なのだということを確認する。
この子も価値があるんだと思う
その思いをその子に伝わるようにする。
思うだけではだめです。その思いが相手に届かなければいけないのです。
言わなくても分かってくれる,だけでは伝わらないかもしれません。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=25093093&comm_id=1037793
アダルトチルドレンにピグマリオン効果は効くかどうか,ですね。
ぼくは,アダルトチルドレンについてよく知りません。検索してみました。
アダルトチルドレン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
アダルトチルドレンとは、機能不全家庭で育ったことにより、成人してもなお内心的なトラウマを持っている人のことを指す。Adult Childrenの頭文字を取り、単にACともいう。学術的な言葉ではないため、論者により定義が異なる場合がある。
一般的には虐待やアルコール依存症のある機能不全家庭で育ち、その体験が成人になっても心理的外傷として残っている人をいう。破滅的であったり、完璧主義であったり、対人関係が苦手であるといった、いくつかの特徴がある。また、無意識のうちに実生活上の人間関係に悪影響を及ぼしている場合も多い。
以上でいいでしょうか。
とすると,ぼくはアダルトチルドレンにピグマリオン効果は効くと思います。推論で書き込むので,よろしく。
ピグマリオン効果がありうるのはなぜか。
それは,教師が心理学者で言われた子どもたちがその後伸びると本当に信じたからです。そう信じるとそれは行動に表れる。その子への質問が多くなる,その子に答えさせる,その子を認めるなどの行動によって子どもたちが引き上げられるのです。そのような行動は無意識かもしれない。しかし,そのような行動が出てくることによって子どもが変わるわけです。
教師が厳密な平等主義者ならピグマリオン効果は出てこないでしょう。伸びると言われた子も言われなかった子も同じように扱えば,差は出ないはずです。
さて,アダルトチルドレンの場合。
Aさんも伸びるとその教師は言われた。しかし,Aさんはアダルトチルドレンであった。
心の底からそれを信じた教師は,Aさんに関心をむけるでしょう。そしてなぜそのような行動をとるのかも考えるようになる。いまこのような行動をとっていても指導次第で伸びるはずだ,と信じている。
そして,アダルトチルドレンだということを突き止める。すると,アダルトチルドレンについて学ぶでしょう。そして,それへの対処の仕方も学ぶはずです。
そして,その子をみながらその子に適した方法で学習を導いていく。
すると,その子は伸びるのではないでしょうか。
ピグマリオン効果はなぜ起きるのかは,見えない不思議な力ではありません。その子に教師(親)が関心を向けるということです。
最初はうそからはじまったかもしれません。しかし,そのうそを信じた教師は,それが実現する方向で行動を起こしているのです。
また,その教師が研究熱心でなければ効果はないでしょう。ほかの子と同じように画一的な指導をしていたのでは伸びるはずがありません。
いまシェークスピアのマクベスを思い出しました。
魔女に「未来の国王」になるという予言を告げられたマクベスです。その国王の座が自然に舞い降りたわけではありません。マクベスが殺人を犯すという行動によって国王の座を得るのです。
ピグマリオン効果も
予言 → 教師の行動の変化 → 子どもの伸び
です。
ただ,これを単なるテクニックとして使っていると危ないです。人間ってけっこう相手の心理を見抜くことがあります。かなり間違えた読み方をする場合もありますが,当たる場合も少なくない。人の心を読むことが生きていく上でとても大切だからです。
だから,生徒や子どもとの会話の中で,テクニックとしてだけカウンセリングの技法を使っていると,見破られたときが大変です。
「あんたは,本当はそう思っていないのに,見せかけだけだったんだな」ということで,信頼を失ってしまいます。一度失った信頼を取り戻すのはかなり難しい。
ぼくは前回,それぞれの人生の中ではそれぞれが主人公だということを書きました。
どうでしょうか。それぞれが主人公なら,その人は関心をもつに値すると思いませんか。
どんなに頭が悪かろうが,どんなに性格がひねくれていようが,どんなに顔が不細工であろうが,どんなに脚が短かろうが(おっと,つい自分のことを書いてしまった)
その人は主人公なんです。そう思うと,この子も生きているんだ,主人公として,と関心をもつことができます。尊敬するまではいかないにしろ,この子も価値のある人間なんだ,と思うようになる。
もし,まだ思えないようなら,自分に言い聞かせましょう。この子も価値があるんだ。話を聞く価値があるんだ,と。
そうしながら,それぞれの子どもと接していると,素直にその子の言葉に耳を傾けることができます。
「(今度の期末テストの)数学,83点だったよ」
「83点か。これまではだいたい何点くらいだったの?」
「これまでは,80点とったことなかったよ」
「そうか,じゃー,今度はよくがんばったんだね」
主人公なら関心を示しながら対話できます。もっと高得点をとった生徒がいることも知っています。しかし,その子にとってどうなのか,とう立場にたって話をする,それができるようにならなければいけません。
巧は、主人公。中学1年生で、野球をやっている。天才ピッチャー。洋三は巧の祖父。昔は高校野球の監督。
洋三が巧に言う。
「何もできないんじゃのうて、野球以外のことを、何もやろうとしていないんじゃないんか」
「他のことなんて、必要ないだろう」
この子はそうして、こういう言いきり方をするのだろう。
洋三は、目の前の孫の顔を見つめていた。
他のことなんて、何も必要ない。そんな台詞を13,4の子が、こともなげに言いきる。力強くも潔くも聞こえるけれど、違う。聞こえるだけで実は、ひどく危ういものなのだ。
巧、おまえ、いつか、その台詞に追いこまれるぞ。
(中略)
「おまえ、世の中に、どんなものがあるか知っとるんか。自分が何ができるんか。何ができないんか。何一つはっきりわかってないじゃろうが。そこをちゃんと知った上で、それでも野球をやろうとする者だけがな、自分の野球を選んだと言えるんじゃ、あんまり自分を過信するなよ」
子どもを指導するときに、夢を持ちなさいといいます。夢がないからやる気にならないのではないか、という人もいます。
確かにそういう面はあるでしょう。
しかし、ぼくは中学生が「将来、○○になります」と言いきるときに、
それでいいのかな、と思うことがあります。
特に工業、商業、高専などに進もうとしている子に不安を感じます。
自分のことを知っているのか。これから進もうとするところを知っているのか。その他のことを知っているのか。その他の中に自分にあっているものがないのか。
普通高校に進む場合、それを考える時間が3年間は延びます。
中学生に、これらのことが分かるのか。
(ぼくの説明)
もえこさんのお店で,果物の詰め合わせを売っています。1かご1000円。
かご代100円に,りんご300円分,みかん200円分,いちご200円分,なし200円分が入っています。
さて,ある日,なしがなかったのです。どうすればいいでしょうか。
もえこさんにとってはよくあることです。なしの代わりに,店にあるかきを200円分入れて出来上がり。
なしも200円,かきも200円なので,交換してもいいですね。このように,同じ価値のあるものなら,代わりに入れてもいいのです。
もう一つの例
ちかさんは,よく自動販売機でジュースを買います。ジュースは100円です。それで,いつもは100円玉硬貨を1枚入れて買うのですが,きょうは100円硬貨がありません。しかし,10円玉がたくさんあります。どうすればいいでしょうか。
もちろん,10円玉を10枚入れればいいですね。
数学の場合もそうです。同じものなら代わりに入れることができます。これを代入といいます。
さて,x=3 とします。x+3 はいくらになるでしょう。
,泙此ぃ+4 を書きます。
◆。のまわりに( )をつけます。(x)+4 になります。
xを消しゴムで消します。 ( )+4 になりますね。
ぁ。=3 ですから,( )の中に3を入れます。(3)+4
ァ 複魁法棕粥瓧掘,播え 7
慣れてきたらすぐ代入してもいいですよ。
( 最初は,これくらいていねいに教えた方がいいです。 )
教科書(東京書籍)の順序
1,共通因数 ax+bx=x(a+b)
2,x²の係数1 x²+(a+b)x+ab=(x+a)(x+b)
3,平方公式 x²+2ax+a² =(x+a)² ,x²-2ax+a² =(x-a)²
4,平方差 x²-a²=(x+a)(x-a)
そして,「いろいろな因数分解」で,平方公式,平方差のx²の係数が1以外の場合を教えています。
6x²+21x+15 のような因数分解は教えていません。いわゆる「たすきがけ」で解くものです。これは高校で教えることになっています。
さて,ぼくは,6x²+21x+15 から入ります。一般的な因数分解です。ただ,「たすきがけ」ではなく,表を使います。これについては後日。
ぼくのテキストでの順序
1,一般公式 acx²+(ad+bc)x+bd=(ax+b)(cx+d) 「たすきがけ」で解くもの
2,x²の係数1 x²+(a+b)x+ab=(x+a)(x+b)
3,平方公式 a²x²+2abx+b² =(ax+b)² ,a²x²-2abx+b² =(ax-b)²
4,平方差 a²x²-b²=(ax+b)(ax-b)
5,共通因数 ax²+bx=x(ax+b)
一般公式での因数分解は,確かに難しいです。しかし,これができると他の因数分解もすべて解けます。共通因数は少しだけパターンが異なるところがありますが,
これは数学の苦手とする生徒にとって特にいいと思うようになりました。
なぜならば,どの公式を使えばいいのかを判断することがけっこう難しいのです。式をみて,
ゞδ粍数はないか判断する。
△修譴なければ,2乗の差になっているかどうか。
x²の係数と定数項が2乗の数になっているか,そして,そのxの係数はそれの積×2になっているかどうか,
ぜ,法x²の係数が1かどうか。
これだけのことを考えてから,どの公式を使うか決めます。そして,それぞれの公式をきちんと覚えなければいけません。前に弁別刺激について書きました。因数分解では,弁別刺激をきちんと弁別して公式を使わなければいけないのです。
ところが,一般公式の解き方を覚えたら,それだけを使ってを覚えたらだから,すべてこれでできるからです。
結果的に2つが同じ式になれば,二乗でまとめる(平方公式)
平方差は,xの項が0と考えればいい
xの係数が1のものは,楽な式だなと思うだけ
共通因数のものは,定数項が0と思えばいい
このように,いちいちどの公式を使うか,考えなくていい。因数分解が出てきたらとにかく一般公式のやり方で解くのです。
昨夜,K高校の生徒(K美さんとY香さん)が「明日数学のテストがあるから教えて」とやってきました。K美さんは,数学が苦手。中学生のときは塾で学習してだいぶできるようになったのですが,高校に行き,塾も行かず部活に明け暮れているようで,勉強はしていないとのこと。
今回は,因数分解で,公式はほとんど覚えていないようでした。それで,とにかくすべて一般公式(彼女には表を使って解くと言っています)で解くように指示しました。3乗のものはまったくできないようなので,もうこれは捨てようということにしましたが,他のものは何とかやっていました。
ただ,公式を使いきれるようになったら楽だよ,ということで公式もちゃんと教えてはいます。
わかる解けるできる中学数学3年
また,子ねこがやってきました。
おとといの夕方5時ごろ,読書をしていると,犬の梅子が急に激しくほえ始めました。
それで気づいたのですが,子ねこの鳴き声です。
「しまった。またか」と思いながら,鳴き声のする方へ急ぎました。
すると,庭に子ねこがいて,激しく鳴いています。まわりを見渡してもだれも見あたりません。
「しまった」と思ったのは,これまでにも塾の近くにねこが捨てられることがよくあったからです。
塾にはいま4匹のねこがいます。ねこというのは,新参者をとても嫌います。そして,家出をしてしまうことがよくあります。
前には,野々宮というねこがそのために家出をしてしまいました。
いまいるねこに家出をされては困ります。だから,ねこは来て欲しくない。
しかし,この子ねこに罪はない。しようがない,塾の生徒で飼ってくれるのはいないだろうか。
生徒は「かわいい」といって,かまいはするのですが,家でお母さんに反対されるから,ということで連れて行ってくれません。
びっこをひいています。右脚をけがしているのでしょう。
しかたない,他の塾ねこのことを注意しながら飼うか,と思っているところです。
しかし,なぜねこを捨てるという無責任なこと,かわいそうなことができるのでしょうね。
数学が大の大の苦手です。1年のころの数学の点数は4点だったとか。
数学が4点も納得です。正負の計算も満足にできません。ただ,頭のすみには残っているようで,「マイナスとマイナスでプラスでしょう」といいます。
ただし,たし算,引き算でも,マイナスとマイナスでプラスになるから問題です。
さて,期末テストも目前に迫りました。今回のテストの中心は「連立方程式」。
簡単な方程式でいいから解けるようにする,ということを目標にぼくは挑みました。
まずは,1年で学ぶ一元一次方程式から。
(1) 2x=6 のような問題をたくさんさせます。
(2) x−5=3 , x+5=3 のような移項が入る方程式。
(3) 2x−4=6 のようなもの。正解率が悪いので,似たような問題を何日も繰り返します。50問くらいはやったでしょうか。不安定ながら何とかできるようになりました。
(4) x=8
x+y=9
です。代入し,移項しx,yを求めるものです。
代入の指導はまた別の記事で書きます。:
(5)
x+2=8
x+y=3
簡単な一元一次方程式を解き,それを別の式に代入し,yを求めます。
2y+6=−2
x−y=5
のような問題までできるようにします。
(6)
2x+y=10
x+y=9
そして,このような連立方程式です。上の式から下の式をひけばすぐにxを求めることができます。それを代入し,yを求めます。とてもとても簡単なものとはいえ,これは連立方程式です。
これも最初は苦労していました。ラッキーなことに,生徒数の多いY中のテストは終了し,K奈さんのF中の指導に集中できます。F中は在塾生たったの3人。
一問解いては,ぼくがチェックします。
「ここでx=3,となっているのに,なぜx=5になっているの?」
書き写すことさえ間違えるのです。代入で間違えたり,移項で符号を変えなかったり。とにかくありとあらゆる間違いをしてくれます。それをそのたびに指摘。
しかし,繰り返すうちに正解まで自分でできるようになってきました。
ぼくもうれしいものですから「K奈,GOODだよ」とほめます。
K奈さんもにっこり。
そして,正解率がどんどん高くなってきます。とてもとても簡単なものとはいえ,連立方程式です。それができるようになっていきます。
「これもGOODだよ」が多くなります。
もちろん,K奈さんもにっこり。
「ほら,できるようになるとうれしいでしょう」
「うん,Yojiさんの『GOOD』が,とてもうれしい」
教える仕事をしていてよかったと思えるときです。
「秋葉原通り魔事件と「無視する」
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-372.html
さて,加藤智大容疑者の人生にとって,彼自身が主人公なのです。しかし,それが皆からは無視されていた。主人公が無視されていいのか,という気持ちだったのでしょう。
「湿っけたポテトチップ」に書いたように無視されるよりは,悪いことをして叱られるほうがまだましだと思うのです。
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-402.html
殺人を犯すとなると,まわりは無視するわけにはいきません。いま彼は「湿っけたポテトチップ」を多量にもらっているようなものなのでしょうね。
悪役かもしれないが,彼の人生の中で主人公としてみんなに注目され,満足ということでしょうか。
とにかく,だれでもがそれぞれの人生の中では主人公であり,注目されたがっている。それがかなわず無視されるようだと,殺人とまではいかなくても悪いことをしてでも注目を集めたい。それが人間なんですね。
(秋葉原加藤智大容疑者の心理については,資料がないので,まったくの想像で書いています。)
ダドソン博士の「しつけの百科」の中にある,「湿けたポテトチップの法則」を紹介します。
そのまま引用します。
子どもが親の望むような行動をしているとき、友達と協力して楽しく遊んでいるとき、ぐずったりすねたりし ていないとき、親の要求に従っているとき、何か起こるでしょう。報いを得るでしょうか。積極的なほうびがあるでしょうか。抱き締められたり、ほめ言葉をもらったり感心されたりするでしょうか。いいえ、子どもは無視されています。両親はこの好ましい行為をあたりまえに思って、何も言いません。望ましい行為にほうびを与えないことは、望ましく行動することをやめるように教えているということに、親は全く気づいていません。
しかし、状況が逆であったら、どうなるでしょうか、考えてみてください。よい行いをするかわり、子どもは悪さに走ります。友達をぶち、床にスープを投げつけ、妹をいじめ、母親の財布から金を盗み、反抗的になり、従うことをこばみます。手短に言えば、一千種類もの悪さのどれでも自由にやってのけます。この結果はどうなるでしょうか。よい行いをしていたとき、親は無視していました。しかし、悪さをしだしたとたん、子どもはすぐに関心を得ました。親はしかり、小言を言い、体罰を与え、あるいはただちになんらかの否定的な注意を与えたのでした。
親がこのように行動するとき、親は「湿けたポテトチップの法則」と私が呼ぶ法則を破っているのです。子どもはもちろん、湿けたポテトチップよりパリパリのポテトチップが好きです。しかし、もし子どもが、湿けたポテトチップか全くなしか、どちらかを選ばなければならないとしたら、湿けたほうがいいと思うでしょう。同じように子どもは、親の肯定的関心のほうを否定的関心よりも好むものです。しかし、もし否定的関心か無視か、どっらかなら、否定的関心を選ぶでしょう。子どもにとって否定的関心は無視されるよりはよいのです。
写真を見るときに,まず自分をさがします。どんなふうに写っているかなと思って。
カラオケでは,どんなに歌のうまい人が歌うより,自分が歌う方が好きです。
友だちと話をするとき,相手の話を聞くより,自分が話す方がいい。特に酒を飲むとそれぞれが勝手に自分の好きなことを話す。相手のいうことなんかまったく聞いていない。
雑踏の中でも,自分の名前を呼ばれたら,すぐに反応します。
これは,もう本能です。個の保存のためには自分のことを中心にしなければいけない。
ただ,個の保存より種の保存が強いことがあります。
だから,自分の孫の写真を見せたがるおじいさん。自分がかわいいと思ったらみんなもわいいと思っているはずだ,と思っています。
まあ,種の保存は横に置いておきます。
「自分の人生の中では,だれもがみな主人公」という歌がありました。さだまさしの「主人公」という歌です。(ぼくはよくカラオケで歌います。)
「ぼくの人生ではぼくが主人公」です。しかし,「Aさんの人生ではAさんが主人公」「Bさんの人生ではBさんが主人公」なのです。
時代劇を見ると,自分より主君を主人公にすることもあります。それはゆがんだ関係でしょう。
「自分の人生の中では,だれもがみな主人公」
頭では分かるはずです。でも,ついそれを忘れてしまうことがあります。みんな自分を見ているんだ,自分に注目しているんだ,と思ってしまう。
「やさしい国語読解力」の著者,後藤武士さんがコメントを書いてくださいました。
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-373.htmlコメントだけでももったいないので,記事としてアップします。
タイトル「問題集 存在します。」
著者です。書名で検索してたどり着きました。
お褒めの言葉ありがとうございます。
ところで
>ただ,これで中学生の読解力が高まるかというとなかなかでしょう。問題をさせなければなりません。これにそって問題集を作ると,いい問題集ができそうだな,と思います。やってみようかな。
とのことでしたが既に存在します。
というかそちらの方が先に書籍化され、おかげさまでロングセラーになっております。
『これ一冊で必ず国語読解力がつく本』がそれです。
記述対策 難問対策の『これ一冊で必ず国語読解力がつく本 入試対策編』もございます。是非ご高覧ください。
実は『これ一冊で必ず国語読解力がつく本』は,その後購入して手元にあります。いまつん読の状態。著者からコメントをもらったので,すぐ読むことにします。
牛島満大将(当時は中将)が自決した日だそうです。しかし,それを知っていたのは,当事者だけ。沖縄の住民も米軍も知らないので,そのまま戦闘はつづき,多くの人が亡くなっています。
だから,きょう6月23日を慰霊の日にすることに反対の人も多いですぼくもそう思います。
さて,きのう友人に誘われて,ドキュメンタリー映画「ひめゆり」を観ました。
「ひめゆり」長編ドキュメンタリー映画 公式HP
http://www.himeyuri.info/
感想
歎異抄の一節です。
「我が心の良くて殺さぬにはあらず。また、害せじとおもふとも、百人千人をころすこともあるべし。 」
親鸞上人のような立派な人であっても「自分の心がいいから人殺しをしていないというわけではないんだ。もし,状況が状況ならば,殺したくないと思っていても,人殺しをするかもしれない」と言っているんですね。
(ちゃんとした訳ではないです。ぼくの意訳)
映画で1人の方の証言です。(記憶で書いているので,詳細は???)
壕の中で手術の手伝いをしました。そして,切り落とされた腕を持って,ちり箱に捨てに行く途中で,ある人に出会い,「何を持っているのだ」と訊かれました。
私は「腕です。捨てに行くのです」と答えました。
すると,彼は「なんて恐ろしい女だ」と言ったのです。
私は,最初何のことか分からなかったですが,考えてみて分かりました。
私も,最初は,腕を切り落とすこと,そしてそれを捨てに行くことがとても怖かったのです。しかし,数回繰り返すうちに,それが平気になっていたのです。
私は,こんな恐ろしい女になってしまったのだ,と改めて思いました。
環境により,恐ろしいことも平気でやるような人間になってしまうのです。だからこそ,平和な世の中でなければいけない。そうでないと,ぼくも人殺しを平気でするようになるだろう。
さて,言い古されたことではありますが,大切なので書きます。
教育の恐ろしさです。
米軍につかまると,裸にされ,辱めを受け,股裂きにされると教えられた女学生たちは,米軍の「出てきなさ〜い」の声があっても出ていかなかった。
間違えたことでも教育によって信じさせることができるのです。
もうひとつ。
アメリカ軍は今でもイラクなどで,軍人だけではなく,民間人を多く殺しています。
あの沖縄戦でも多くの沖縄県民が殺されました。それは避けることができたのではないか。女学生たちだと分かっていながら,銃を撃ったのではないかと思われる証言がありました。
さて,この映画「ひめゆり」は
毎月第2,第4土曜日PM2時から上映されています。
くすぬち平和文化館(938−4192)
{沖縄市安慶田1−29−10)
大人1,000円,(当日1,300円)
高校生800円
小中学生 500円
多くの方に観てもらいたいです。
行動分析学について学ぶことのできる本のリストです。
ぼくが昔読んだ本は絶版になっています。これらはいま手に入る本です。
行動分析学入門―ヒトの行動の思いがけない理由 (集英社新書) 杉山 尚子 (新書 - 2005/9) 新品: ¥ 693 (税込)
行動分析学入門―ヒトの行動の思いがけない理由 (集英社新書)
パフォーマンス・マネジメント―問題解決のための行動分析学 島宗 理 (単行本(ソフトカバー) - 2000/3) 新品: ¥ 1,785 (税込)
パフォーマンス・マネジメント―問題解決のための行動分析学
インストラクショナルデザイン―教師のためのルールブック 島宗 理 (単行本 - 2004/11)
新品: ¥ 2,100 (税込) 4 点の全新品/中古商品を見る ¥ 1,580より
インストラクショナルデザイン―教師のためのルールブック
コーチング―人を育てる心理学 武田 建 (単行本 - 1985/9)
新品: ¥ 2,048 (税込) 22 点の全新品/中古商品を見る ¥ 302より
コーチング―人を育てる心理学
ダドソン博士の子育て百科 (単行本)
F. ダドソン (著), その他
(育児書の古典で,絶版ですが,アマゾンの古本で何冊か安く手に入ります。)
ダドソン博士の子育て百科
ほめて子育てトイレット・トレーニング―自立サポートの指導法入門
ほめて子育てトイレット・トレーニング―自立サポートの指導法入門
(実は,この本は読んでいません。姪の子どもがそろそろトイレットトレーニングということでこの本をプレゼントしました。以前保育園をやっているときに読んだ本は絶版になっていました。ネットの上で行動分析学の立場で書かれた本ということでさがしだしたのがこの本です)
ぼくは大学は本土でした。学生運動にもちょっと頭をつっこみ,街頭でチラシ配布をしたことがあります。でも,通る人はほとんどチラシを受け取ってくれないのです。冷たいなあ,とは思いながら,そんなものかなあと思っていました。
そして大学を卒業し,沖縄に。そして,街頭でチラシを配布しました。すると,ほとんどの人がチラシを受け取ってくれるのです。拒否する人のほうがたま。ちょっと感激しました。
こんな話もあります。
沖縄で選挙があり,本土から国会議員が応援に来て候補者といっしょに宣伝カーに乗りました。すると,すれちがう人が立ち止まって宣伝カーに手を振る,車から合図を送る,アパートの窓から顔をわざわざ出して手を振るのです。本土からの応援者はそれを支持者だと思って,こんなに支持者がいるんだと思って興奮していたそうです。
ところがそうではありません。沖縄では,敵方のチラシも受け取るし,敵方の宣伝カーにも手をふるのです。チラシを受け取るのも,手をふるのも別にお金がかかるわけでもないのに,と思っているのですね。
選挙になると票読みをします。「A候補にお願いします」と戸別訪問をしたり,電話をかけたり。
「○○さんのお宅ですね。今度の選挙ではAさんに入れてください」
「いいですよ」
「ありがとうございます。ご家族でほかに選挙権をお持ちの方は」
「いるよ。お父さんも子どももみんなAさんに入れるよ」
「ありがとうございます。では,お父さんのお名前を・・・・」
しばらくして,B候補の選挙事務所から電話が入ります。
「○○さんのお宅ですね。今度の選挙ではBさんに入れてください」
「いいですよ」
沖縄の人はお願いされたら断れないのです。だから,あの候補にも,この候補にも「入れるよ」と約束するのです。
だから,票読み段階では,当選ラインの数倍の票を集まってくるのです。ただ,選挙事務所ももう心得たものです。それをそのまま信用はしていません。通常,それの何割程度が実際に投票されるということで計算するのです。
このようにテーゲーなんですが,それがなんとなく温かいと感じるのかもしれません。
この間,試行錯誤するうちにだんだん書く方針がはっきりしてきました。
※ 自分のためにブログを書いています。自分の考えていることを書き出しています。自分の考えていること,見たこと,感じたこと,何でも書きます。自分の考えのデータベースのようなものです。
いま使っているFC2のブログは「ブログ内検索」があります。すると,以前書いたことがすぐに見つけることができるのです。
だから,何でもいいから書いて載せる。後で引き出したいときには,ブログ内検索でさがして引き出します。とても便利です。
※ ひとつの記事の中では,読者は想定しています。
これはセルフ塾のお母さん方やセルフ塾に関心のある人に読んでもらおう,
これは,数学(英語)を教えている人に読んでもらおう
これは,プライベート。自分の記録として書こう
これは,図書目録(これについてはまた別に書きたいと思っています)
などなどです。
これらは,カテゴリーで分類します。FC2のブログはカテゴリーも簡単に設定できるので便利です。
※ mixiで書いたことも,少しまとまっていたら,少々手直ししたりしてブログに転載します。この記事も,mixiに書いたコメントです。「授業の工夫」のコミュでも,数学や英語の質問が出たときにコメントを書くことがありますが,それも価値がある(ぼくにとっても,読者にとっても)と思ったら,転載します。するとデータベースとして後で使うことができます。mixi,セルフ塾のブログ,どちらも読まれる方は,「また同じことを書いている」と思われるでしょうね。申し訳ありません。
※ ブログ内では,政治的立場や宗教観も書いています。mixiではできるだけ出さないようにしています。そういう場ではないので。
ぼくの政治的立場や宗教観ははっきりしています。それを知ることでぼくを避ける人は避けてもらったほうが,ぼくも楽です。
ただ,少なくともこのコミュでは,どのような立場であろうとも寛容に接するように努めています。沖縄のテーゲー(いい加減)主義のいいところだと思っています。
同じ著者による「『分かりやすい表現」の技術」,「『分かりやすい説明」の技術」がとてもよかったので,古本屋で見つけたとき,迷わず買いました。新本屋で見ていて古本になるのを待っていました。
期待をうらぎらないいい本でした。
● 私は,短期記憶を分かりやすく「脳内関所」と呼んでいます。
● 本書では,長期記憶を,分かりやすく「脳内辞書」と呼びます。
● 新しい情報は脳内関所で審査され,同じ種類の脳内辞書に収められます。その瞬間に私たちは「分かった!」「そういう意味なのね!」と思うのです。
つまり,「過去の記憶との一致」が「分かる」の重要な要素なのです。
( なるほど。ぼくもいま過去の記憶と一致して,「分かった!」と思いました。 そういう例えもできるんだなあ )
● 分かりやすい文章とは,この脳内関所で行われる作業を,書き手ができるだけ事前に代行処理し,読み手の脳内関所の作業負担を軽くしてあげる文章のことなのです。
( できるだけ読み手を楽にしてあげるということなんだ )
● 実務文は,全文を必ず読んでくれるという前提で書いてはいけません。斜め読みされたり,読むことを中途放棄されたりすることも考慮の上で書く必要があります。
( なるほど。ぼくも新聞を読むときはみだししか読まないし,記事も最初だけ読んで中途放棄するのに,自分が書くときはそれほど意識していなかった )
● キーワードは,覚えやすいように奇抜な名前や特徴ある名前,または主張の内容を表す比喩になるような名前がいいでしょう。
( 納得。これも今まで考えたことがない )
数学で,次々と計算することがありますね。
例えば,3(x+4)(x−4)−(2x−1)(x−2)
たぶんみなさんもそうしているでしょうが,ぼくは口酸っぱく,計算過程を書きなさい。鉛筆とノートで考えるんだよ,と。
それを手抜きで,何やらちょこちょこと書き込んで答えを出そうとする生徒がとても多いです。
上の式の展開では,
かっこの前の数や符号はそのままにして,かっこを展開する
↓
整数,符号をかける
↓
同類項を計算する
という過程ですね。計算過程を書いていくと,それがチェイニングとなり,書いた計算過程が次の計算の弁別刺激となって次の計算ができるようになります。
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-190.html
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-188.html
では,「逆行チェイニング」について書きました。
「チェイニング」の「チェイン」とは「鎖」のことです。くさりは一つひとつがつながっていて,それが長くなります。
行動も,小さな行動がつながってひとつながりの行動になることがよくあります。そのとき,ひとつの行動が起こって,それが弁別刺激となって,次の行動がおこり,そしてその行動が弁別刺激となって次の行動・・・・というようにつながっていくのです。
いい例が歌です。
ある歌が思い出せない。例えば,「赤い靴」としましょう。あの歌なんだが,どんな歌だったかな。出てこない。
しかし,最初の「あかいくつ」のメロディーが口ずさめたらもうしめたものです。
「あかいくつ」が弁別刺激になって,「はいてた」という行動(歌)が出てきます。
そして「はいてた」が弁別刺激になって「おんなのこ」が出てくる。
そして「おんなのこ」が弁別刺激になり,・・・・
というように,次々に出てきます。最初,一部分も思い出せなかったのに,いっかしょ思い出したら,それこそくさりのように次々に出てきます。
いもづる式です。
だから,何かを覚えるときには,ばらばらに覚えるのではなく,それぞれに関連をつけて覚えた方がいいのです。
小学4年では,わり算をやります。
そのときに,「たてる」→「かける」→「わる」→「おろす」→「たてる」→「かける」→「わる」→「おろす」→・・・・
と連続することが大切です。そして何度もやってつながるようにすると,体で覚えて,前のものが弁別刺激になって次の行動が出るようになります。
さて,チェイニングという言葉は知らなくても,経験があれば似たようなことはみなさんやっていると思います。
ただ,次のようなことはどうでしょうか。
例えば,玄関から入って来たときに靴を揃える,ということを子どもの覚えさせたい。
それで,子どもに玄関から入ってきたら,靴を揃えるんですよ,と言って,靴をそろえさせますね。
そして,次の日,子どもがやはり揃えないで入って来るのを見つけます。「また,揃えていないね。入ってきたら靴を揃えるのですよ」と言って,させます。
それを繰り返す。
しかし,なかなか身につきません。
さて,ぼくならどうするか。
玄関の外から指導を始めます。
靴がそろっていない。
「靴をそろえる練習をしましょう」と言って,玄関の外に出します。
玄関ドアのノブを回す → ドアを開ける → 靴をぬぐ → 靴をそろえる →
この動作をチェイニングとしてさせるのです。すると前の行動が弁別刺激となって次の行動が出てくるようになり,靴を揃えるという行動を忘れないで行うようになります。
それで,意識(精神)と脳 の関係をいま解明しようと研究を進めています。
ぼくはそういうことに関心があり,
「脳のなかの幽霊」
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4047913200?ie=UTF8&tag=selfyoji-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4047913200
「無意識の脳 自己意識の脳」 アントニオ・R・ダマシオ
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062118785?ie=UTF8&tag=selfyoji-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4062118785
茂木健一郎氏の一連の著作
などを読みました。まだまだ脳がどのようにして意識を作り出していくのか,仮説の仮説といった感じです。道のりは遠いです。
しかし,脳が意識を作り出している,ということは疑いのないこととしています。ぼくもそう思っています。
そして,その脳によって作り出された意識,精神は,脳を含む身体に作用しているのです。
「これは胃薬です。これを飲むと胃の痛みがなくなります」,といって小麦粉などで作った錠剤を与えると本当に胃の痛みがなくなることがあります。意識が体に作用しているのですね。それがプラシーボ効果です。
ストレスで胃潰瘍になる,というのはもう常識です。それを疑う人はいません。これなどは意識が体に作用しているもっともよい例です。
それを利用しようとしているのが,バイオフィードバックです。
バイオフィードバックについて簡単に説明します。
ぼくらは緊張すると筋肉も緊張します。嘘発見器というのは,それを見るものです。
さて,その嘘発見器のようなものを手につけます。そして,その状態が目で見えるようにします。落ち着いているときには緑のランプがつきます。しかし,動揺しているときには赤のランプがつきます。それをつけて緑のランプがつくように努めるようにいわれます。心をゆったりして落ち着いていると唱えます。それをつづけていくと,本当に緑のランプがつくようになります。
これはぼくも以前,試しました。
病院では,血圧を下げるバイオフィードバックもあると聞いています。血圧の変化が見えるようにする。それを見ながら血圧が下がる状態を学習していくのです。
偏頭痛にもいいようです。
要するにぼくがいいたいのは,脳が意識(精神)を作り出すが,その意識(精神)が身体に作用もする,精神と肉体は,相互作用を行っている,ということです。
赤信号,青信号を「弁別刺激」といいます。行動の前に提示されるものですね。
弁別とは,「違いをはっきりと見分けること」なので,刺激の違いをはっきり見分け,それに応じた行動をするということです。
いま中学1年生にボーダーラインの子がいます。
正負の計算を教えています。たし算はできるようになりました。引き算もそれだけだとできるようになりました。
引き算 → たし算になおす(うしろの符号を逆にする) → たし算の計算をする
です。
たし算と引き算のそれぞれできたので,問題をまぜてさせます。すると,たし算を引き算に直して計算するものですから,不正解になるのです。
つまり,弁別刺激として
( )+( ) の形のものはそのまま計算する
( )−( ) の形のものは,たし算になおしてから計算する
ということなのですが,それがなかなかうまく行かない,弁別できないのです。いま,この弁別刺激をきちんと区別しながらできるように,いろいろまぜて繰り返しているところです。
なお,ちょっと横道に逸れますが,水道方式の遠山啓先生は,知恵遅れの子の教育を重視しました。それは,もちろんその子たちのためでもあるのですが,知恵遅れの子は健常児がやる行動をスローモーションで行う,と考えたからです。
例えば,上のたし算,引き算については,ほとんどの子が戸惑います。しかし,少しやっただけですぐに理解し,身につけます。子どもをよく見ていないと見逃してしまうくらいです。
しかし,知恵遅れの子はそれをきちんと間違えてくれるのです。つまずきやすいところだということを私どもに教えてくれるです。そして,そのことを知ったら,健常児に教えるときも少し注意しながら教えるように心がけることができるのです。
さて,本筋にもどって,もう一つ例を。
中学3年生は,いま式の展開をしています。
式の展開には,乗法公式がいくつかでますね。
機ぐ貳霧式(2x+3)(3x−5)
供ぃの係数が1(x+3)(x−5)
掘な進公式 (x+3)²
検は造蛤垢慮式 (x+3)(x−3)
展開の問題が出てきたときには,式の形を見て,弁別し(違いをはっきりと見分け),そしてそれに応じた展開の仕方をする必要があります。
まずは,一つ一つを教えたあとで,それをまぜてどの公式を使うかを何度も練習します。見分けるポイントを言葉で説明してあげることも大切なことです。
弁別刺激という言葉は知らなくても,みなさんはきちんとやっていると思います。
弁別刺激A → 行動A’ → プラス強化子
弁別刺激A → 行動B’ → マイナス強化子
弁別刺激B → 行動B’ → プラス強化子
弁別刺激B → 行動A’ → マイナス強化子
のようにすれば弁別できるようになります。
( )+( ) → そのまま計算 → ○がもらえる
( )+( ) → ( )−( )に直す → ×になる
( )−( ) → ( )+( )に直す → ○がもらえる
( )−( ) → そのまま計算 → ×になる
という風にみなさんもちゃんとやっているはずです。その中で弁別刺激をきちんと弁別するようになるのです。
なお,式の展開で弁別をするのが難しい子には,一般公式ですべて解かせるのもひとつの手だと思っています。特にテストが近づいているときは,すべて一般公式でやりなさいということもあります。
「フェイド・アウト」は,フェイドアウト(小学わり算の指導)として,以前にも書きました。
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-195.html
ただ,mixiで,新たに書いたのでそれをここにコピーします。
CDで音楽を聴いていると,徐々に音が小さくなっていつの間にか終わっているものがありますね。そういうのをフェイド・アウトといいます。
教育においてもフェイド・アウトはよく使われています。
例えば,字の書き方を教えるとき,子どもの手を先生が握って,いっしょに字を書きます。最初は子どもに力を抜くように言います。こどものただ先生の手の動きについていくだけ。先生が字を書くわけです。するともちろんきれいな字になる。
「また書いてみようね」ということでいっしょに書く。しかし,先生は前回より少しだけ力を抜く。ポイントとなるところは力を入れたりする。子どもの字をみながら力を抜いたり,入れたり。そして子どもがこつをつかみはじめたら,徐々に力を抜いて,最終的には子どもが自分で書けるようにします。
このように,最初はかなりの力で支えながらさせていたことを,徐々にそのささえをなくして最終的には自分でできるようにする方法です。
セルフラーニングの教材を作るときに,このフェイド・アウトの技法を意識的に使っています。
最初はヒントをたくさんつけて問題を解かせますが,徐々にヒントを少なくするのです。
例は,上のURLでわり算をみてください。

が、2008年度読谷村中学生海外ホームステイ派遣事業の派遣生徒に選ばれました。
これまで,セルフ塾から,千遥さんと友香さん(2005年),つらねさん(2003年度),亮磨くん(2002年度)、絵里奈さんと春奈さん(2001年度)が選ばれています。
読谷村中学生海外ホームステイ派遣事業の派遣生徒の決定については、各中学校において、成績優秀な生徒を推薦し、教育委員会が承認します。派遣人員は、読谷中学校、古竪中学校から、原則として生徒男女各2人の計8人。琉球新報社に委託されています。この事業に係る費用については、業者に支払うべき実費の約54%(約29万円)を村教育委員会が負担し、残りは個人負担となっています。 期間は,7月23日(予定)から4週間で、滞在地は,アメリカ・シアトル近郊か、カナダ・バンクーバー近郊です。
これまで行った生徒達はみんな満足しながら帰ってきました。そして、外国の文化に直接触れ、大きな影響を受けたようです。Y仁くんも異文化に触れ、人間的にも成長することを期待しています。これまで学んだ英語がどれだけ理解してもらえるかを試し、今後のやる気につなげて欲しいです。そして、来年、再来年と後輩たちも積極的にチャレンジしてもらいたいものです。
「ホームステイオリエンテーション」で述べたY仁くんの決意です。
海外ホームステイ派遣を手配いただき、ありがとうございます。ぼくは、このホームステイで、アメリカの歴史や文化を実生活を通して体験してきたいと思います。行くにあたって沖縄や日本との文化の共通点や違いを確認してきます。
言葉の違い、礼儀作法の違いなど、まったく別の環境で、学べることはすべて学び吸収し、これからの生活に生かしきれるようにがんばります。
このホームステイに参加できるのは、親やその他のいろいろな方々の協力のおかげであると思うので、感謝しています。皆さんの期待に応えられるように、全力を尽くします。















