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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

秋山信子人形展,ゴスペル・エクスプロージョン 2008
秋山信子の人形
 きのうは忙しい1日でした。
 浦添市美術館で,
 人間国宝 秋山信子人形展 この道を行く - 来た道、往く道
http://www.miraito.jp/
 をみました。Kyoko とふたり。

 よかったです。沖縄の人形もたくさんありました。柔らかい美しい人形達。Kyokoは人形の材質に興味をもったようでした。
 ぼくは,一見沖縄らしい衣装なのだが,独特な工夫がされているように感じ,じっと見ていました。ただ,沖縄の衣装も満足に知らないので,違いははっきりせず。

 DVDも見ました。
 DVDを見終わったあと,ロビーを歩いていると,Kyokoが「あれ,秋山さん本人じゃないの?」と言うので,見ると,まさにいまDVDで見た方です。
 「売店で何か買ってサインをもらおう」と言って売店に向かったのですが,秋山さんはすたすたと事務所のドアの向こうに消えてしまいました。
 「握手だけでもしたかったなあ」とKyoko。
 とても人の良さそうな方だったので,快く握手してくれたでしょう。残念。

カフェ・ルマーニ浦添店 [ ピザ、パスタ ]で昼食。バイキングでたくさん食べました。


 7時からは,中学3年生のYさんが出演するということで,

ゴスペル・エクスプロージョン 2008
http://www.kazkato.com/Gospel%20Explosion%202008.html に。かでな文化センター

スペシャルゲストとして,LAからマキーダさんが
http://www.shinshiro-church.or.jp/call/Makeda.html

 すごい迫力でした。これだけでもよかった。

 もっと聴きたかったが,約束があったので,中座。

 卒業生のMくんのお母さん(コンサートの係りをしていた)と立ち話。
 Mくんは,今年3月高校受験。1次志望のY高校に不合格,C高校に進学。

 彼が,最近「お母さん,ぼくこの学校でよかったかもしれない」と言っていたそうです。
 
 その後,さしみ好酒家のYさんのところに。二階にビアガーデンをこしらえたのでみんなで飲もうということでした。
 仲間とゆっくりビールを飲んで楽しみました。
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算数・数学の文章問題は「読解」
 国語の読解のことを考えていたら,算数・数学の文章問題は「読解」なんだな,と思いました。

 ここでは,読解を「読みとり」と「解釈」に分けます。

 「読みとり」は,書かれている内容をそのまま理解すること。

 「解釈」は,書かれている内容から,書かれていないことを推し量ること,

 とします。

 「かこさんがかけっこをしました。50mを走るのに10秒かかりました。かこさんの速さを求めましょう」

 単純な問題です。

 「読みとり」では,

 10秒・・・50m

 が読みとれればいいですね。複雑な問題だとその段階でつまずく子もいます。

 そして,前提として,速さ(秒速)とは,1秒間に移動する距離ということを理解しているとします。

 「速さ」は書かれていません。だから,書かれている内容から推し量るわけです。
 速さは,距離÷時間 で求めることができるので,

 50m÷10秒=5m/秒

 速さの求め方は学ばなければ難しいでしょうね。

 このように,書かれている内容から,書かれていないことを推し量るのですから,読解の「解釈」ということになります。

 つまり,算数・数学の文章問題は読解の問題なのです。そして答えはひとつ決まります。

 このように考えると,国語の読解も答えに○×があることが理解できます。

 国語の場合には,どうなんでしょうか。解釈,推し量り方もていねいに子どもに説明できればいいのでしょうが。

読解の意味は?
 きのうは,
「読解と解釈と鑑賞の違い」
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-414.html
 の中で
「日頃ぼくが考えていることを,『やさしい国語読解力』にうまくまとめてあるので・・・」

 と書きましたが,少々異なるところもあるので,書きます。

 ぼくは,これまで「読解」と「解釈」をきちんと区別していませんでした。それで,後藤武士氏による説明はいいな,と思いました。

 ただ,ふつう「読解」には「解釈」も含まれるのではないでしょうか。

「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」
 には,
「読解」のことが次のように書かれています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%AD%E8%A7%A3

読解とは、読み解く(文章などを見て、その内容を理解すること)ことである。
[編集] 概念
読解とは文章に触れ、そこに内包された情報を、読者と書き手とが共有する文章表現の規則や約束事であるコードと読者に既有の知識や情報および経験を手がかりとして解読し、それを理解し、解釈するまでの、読者の一連の行為を指す概念である。

 「それを理解し,解釈するまでの」とあります。

 やはり,読解には,解釈も含むと考えた方が一般的でしょう。

 ただ,後藤氏の書いてあるような,「読解」と「解釈」を区別するのはいいことだと思います。

 読解ではなく,「読みとり」にするのもひとつかな。

 または,読解には解釈(書かれていないことを推し量ること)は含まないことにしましょう,とみんなで確認するか。

 いずれにしても,
 読解(読みとり),つまり書かれていることを理解するところでつまずいていることがあります。
 読書指導で,「それで,犯人はだれ?」の質問に答えきれない子がいるのです。ちゃんと書かれているのですが。

 また,解釈がうまくないことがあります。その例は前に書きました。

 それは,別々の指導法があるのではないかと思います。


教育欲を取り戻せ!
 以前,「親は最悪の教師」という文を書きました。

http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-139.html
 ぼくは,幸いだったのか,子どもに恵まれませんでした。それで,自分の子どもの難しさを知りません。

 先日読んだ,齋藤孝著「教育欲を取り戻せ!」に次のようなのがありました。

 姿形が自分そっくりの子どもを目の前にすると、親はどうしても冷静になれません。自分の過去の願望を投影するかのように、期待値が必要以上に跳ね上がってしまうのが、そのー因です。さらには、自分の悪いところを改めて指摘されているような、不愉快な感覚をもってしまうのではないでしょうか。

 人が我を忘れて怒るときは、たいてい自分でも薄々自覚しているような欠点を指摘されたときです。そんな欠点を何とか克服しようと努力して大人になったわけですが、子どもはそんな経験を経ていませんから、親のもっている生来の欠点が露骨に見えてしまうのです。あるいは、ふだんは我慢している配偶者の嫌な面が子どもの中に凝縮されているような気がして、どうにもこうにも腹が立ってくる。これはもう、冷静であれと言われても、無理な相談かもしれません。

このように、自分の子どもを教育するということは、そもそもとても難しいことなのです。しかし、自分の得てきたものを誰かに伝えたいという欲求は、教育欲の根底にある健全なモチべーションです。手元に置いて慈しみながら育てられる子どもは、この欲求を実現させてくれる大事な存在です。しかし、自分のDNAを受け継いだ子どもに対しては、どうしてもヒートアップしてしまう・・・・


 そういうものなのでしょうか。ぼくにはよく分かりません。





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