セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

英文レターの日付の問題で点をとる
 この記事だけを読んで誤解なさらないように,「本物の学力」と「テスト用の学力」についてのぼくの考えも読んでください。

http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-473.html

今度は,英語。入試や英検に手紙文が出題されることがあります。
 そのとき,右肩に 日付が書かれますね。

July 30, 2008

 のように。

 さて,日付を問う問題で,この右肩に書かれた日付が答えになることはありません。ぼくの感じでは100%。でも,1回でもそれが出されていたら100%はありえないので,「ほぼ100%」と生徒には言っています。
 それを教える前は,本文はほとんど読まず,それを選んでいる生徒が多いです。

 では,正解は? 本文から時に関する語句をさがします。一番多いのが,yesterday, そして tomorrow 。 例えば,yesterday が見つかったら,答えは 日付の前の日,July 30, 2008 と日付に書かれていたら,July 29, 2008 が正解です。だいたいですが。
 tomorrow ならその翌日のJuly 31, 2008 ですね。3日前(three days ago)が見つかったらJuly 27, 2008 です。

 例えば,「きのうあなたからの手紙を受け取りました」というのが本文にあり,設問が「手紙を受け取ったのはいつですか」のようになることがほとんどなのです。

 自分の手紙を書いたのはJuly 30, 2008 だから,(あなたの)手紙を受け取ったのは昨日つまりJuly 29, 2008 というものですね。

 だから,生徒には「右肩の日付(July 30, 2008)を選んではいけない。本文から時を表す語句をさがし,July 30, 2008からその日はいつか考えなさい」と言っています。 
スポンサーサイト

「なんくる屋」ご主人の弁明
 昨夜,「なんくる屋」のご主人と酒の場でいっしょになりました。昨夜は塾が終わって11時から知人のお祝いにかけつけたのです。沖縄は夜が遅い。

 「インターネットで『なんくる屋』のことが書かれているのを読んだことがありますか」
「いいえ,そういうものはまったくだめで,携帯電話も使い切れないのですよ」
「そうですか。実はぼくが『なんくる屋』を調べてみたら,次のようなことが書かれていましたよ。」
 と,次のブログの内容を伝えました。
http://ameblo.jp/nobu03/entry-10067260939.html(簡単にブログの内容をまとめると,「なんくる屋」という食堂に入った。しかし,注文するのをおおかた「ない」と断られた,というもの)

 すると,隣に座っていた青年が大きな声で笑って,
「ありますよ。そういうこと。うちの娘は『これある?』と聞いて『ない』との答えだったら,ホワイトボードのメニューからそれを消し,そのスペースに落書きをしています。」
 ぼくは「あっ,よくあることなんですね」

 すると,「なくくる」のご主人。大きな体を小さく小さくして,
 (このご主人,嘉手納漁業組合の組合長をなさっていて,ご自身も海に出るようでがっちりした体です))
 小さな声で,ぼそぼそと
「海のものは,そういうことあるのです。
 うちは冷凍ものを使っていません。冷凍ものなら,いつでも同じように出すことができるんですが,新鮮なものを市場から仕入れて,おいしいのをお客さまに食べてもらおうと思っているんです。市場で出てこないことが海のものではよくあるんです。すると,『ありません』と言って断るしかないんです。
 いつでも出している店は冷凍物です。また,『時価』なら出せるのですがね。」

 「なるほど,おいしいのを安く食べさせるということか。それなら,逆にこれは宣伝になります。ご主人はインターネットできないのなら,ぼくが書き込んであげましょう」
 「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 ということになり,いまそのブログに「コメント」をつけ,それをここに転載しているところです。

相似の証明で点を取る
 この記事だけを読んで誤解なさらないように,「本物の学力」と「テスト用の学力」についてのぼくの考えも読んでください。

http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-473.html

 さて,前の記事では,三角形の合同の証明で点をとる方法を書きました。

 今度は「三角形の相似の証明」について書きます。これは簡単すぎて,どうこの記事を長く書こうか考えながら書いています。

 結論:三角形の相似の証明で,条件は「2組の角がそれぞれ等しい」

 (説明)
 相似条件はその他,「3辺の比がそれぞれ等しい」,「2辺の比とその間の角がそれぞれ等しい」,「直角三角形の斜辺の比と他の1辺の比が等しい」というのがあります。

 でも,県立高校の高校入試に出題される相似の証明では,「2組の角」だけです。ぼくの感じでは100%。でも絶対ということはないので,生徒には「90%以上」のように言っています。そして,

 「相似の証明が出たら,もちろん,仮定,共通,平行線の錯角などを考えてちゃんと考えること。でも,考えても分からない人は次のようにしなさい。

 まず,どの三角形とどの三角形についての相似を証明しようとしているかはっきりさせる。
 そして,適当な角をイコールで結ぶ。
 例えば ∠ABC=∠DEF のように,
 それを2組

 そして,相似条件には,「2組の角がそれぞれ等しい」と書く。

 最後に,「よって,△ABC∽△DEF」と書く。ここは問題文にある三角形。」

 私立,難関校では,辺の比も出るかもしれませんが,圧倒的に「2組の角」でしょう。そういう難関校を受験する生徒には,上のテクニックは必要ないでしょうが。

証明問題で点を取る
 今回は,入試で点をとるための方法をひとつ

 なお,誤解のないように繰り返し書きますが,ぼくは日ごろはこのようなインチキなやり方を教えません。本物の学力にこだわっているほうです。でも,入試には合格させなければならないので,このようなことも教えています。

 沖縄県県立高校 平成19年数学の証明問題です。

合同条件はきちんと覚えます。たいていの子は学校の授業だけでも覚えています。

点に必要な途中から書きます。(1)(2)はぼくがつけました。

(1) AB=FD ・・・・・①
(2) BE=(ア) ・・・・・②
(3) また,(イ) より ∠ABE=∠FDA ・・・・③
(4) ①,②,③より(ウ)ので △ABE≡△FDA

 本当は分からなくでも(ウ)を正解が書けます。確実に。

(4)には「①,②,③より」とありますね。この「①,②,③」がそれぞれ辺のことか,角のことか判断させます。これは簡単 AB=FD のようなのは辺,∠ABE=∠FDA のようなのは角です。

 そして,①②③のそれぞれに辺か角かを書かせます。
(1)より,①は辺
(2)より,②も辺
(3)より,③は角 です。

 だから,①(辺),②(辺),③(角)になります。
2つの辺と1つの角の合同条件は「2組の辺とその間の角がそれぞれ等しい」ですから,それを書けばいいです。

 よく意味が分かっていなくても,確実に点がとれます。

過去問題を解く
 日ごろは,本物の学力をつけさせるようにしているが,テスト用の学力も必要であること,そして,テストのための勉強としては,「出るところをする,出ないところはしない」ということを書きました。

 では,出るところ,出ないところは,どうすれば分かるか?

 過去問題をすることです。

 セルフ塾では,毎年夏休みには,過去問題をさせています。

 

 孫子の兵法に「彼を知り己を知れば百戦危うからず」というのがありますね。

 「彼」は,高校入試です。その中心が「入試問題」。

 高校入試問題とはどういうものかを知ることがこの高校入試夏期特別学習の目標です。

 「いま,解けるようにならなくてもいい。ただこの夏休みで高校入試というのはどういうものかというのを知ること。それを目標に学習して欲しい」と言っています。

 沖縄県の場合,例えば,数学では,単純な正負の計算,多項式の展開などの点数がとれる問題から,けっこう難しい問題まで出題されます。証明問題,作図の問題,2点を通る直線の式も出ます。三平方の定理,二次関数といったまだ習っていないのは必ず出ます。

 入試というのがどのようなものかというのがイメージできたら,これからどういう勉強をすればいいか分かるだろう。そして,これから学ぶことがどんなに大切なことが分かるはずだ,と言っています。

 このように,過去問題をやることによって,何が出るのか,何が出ないのかをつかむのです。

 いま過去問題をさせていますが,生徒たちはまったく歯が立ちません。自信をなくしたらいけないから過去問題をさせないという塾も多いようです。

 でも,ぼくはこういいます。「自分がどんなに入試問題を解くことができないか分かるだろう。分からないということが分かっただけでも,これをやったかいがある。あなたたちだけじゃない。○○塾の人もできないんだ。だからこれからの勉強が鍵なんだ。あと半年であなたたちの力はグーと伸びる。特に入試2,3ヶ月の伸びはすごい。ぼくも感心するくらいだ。でも,それに乗り遅れるのもいる。そういう人が落ちるんだ。」

ブレーンストーミング
 「ブレーンストーミング」ってご存じですか。

 ネットで検索してみると,かなりの数のページがヒットしたので,いまでも利用されているのでしょう。
 
 ぼくの記憶では,ぼくは
発想法―創造性開発のために (中公新書 (136)) (新書) 川喜田 二郎 (著)

の中で呼んだのではないかと思います。

 いまアマゾンでみると,この「発想法」1967年発行ですが,まだ販売されているのですね。もう古典でしょう。いい本です。


 ブレーンストーミングについては,
http://nokai.ab-garden.ehdo.go.jp/giho/41.shtml で簡単に知ることができます。

 ただ,次の4つのルールを知ればいいと思います。単純ですから。

 ルール

1,自由奔放(奔放な発想を歓迎し、とっぴな意見でもかまわない)

2,批判厳禁 (どんな意見が出てきても、それを批判してはいけない)

3,量を求む(数で勝負する。量の中から質の良いものが生まれる)

4,便乗発展(出てきたアイデアを結合し、改善して、さらに発展させる)

 数名が集まって,なにかアイデアを出したいときに,上の4つのルールで進めるのです。いまなぜこのブレーンストーミングを思い出したかというと,カウンセリングで「受容」について書いたからです。

 上のルールに「批判厳禁」というのがあります。会議などで,意見が思いついても,これを言ったら笑われるかもしれない,批判されるかもしれないと思うと,発表できません。でも,どんな馬鹿げた意見であっても批判しない,笑わないということを決めておけば,どんどん意見が出てきます。要するにみんながそれぞれを「受容」すると,おもしろいアイデアが出てくるというのです。

 ばかげたアイデアからいいアイデアが産まれる可能性は大いにあるのですから。

 そして,ぼくはぼくが管理しているmixiの「セルフラーニング」このコミュがブレーンストーミングに近い感じになればいいな,と思っています。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1037793

 最初からブレーンストーミングを頭においていたのではないのですが,居酒屋気分で勝手に書き込もうよ,という姿勢はブレーンストーミングに近いものだな,と思っています。

 mixiのコミュは,アイデア会議ではないので,まったく批判なし,というとまたおもしろくないでしょう。しかし意見を戦わせるのが中心になると,批判されると思って,きままに書き込むことができなくなります。それよりもどんな意見であっても,それなりに価値はあると思うのですね。これまでもいろいろな方のいろいろな意見を読んでとても勉強になりました。

 居酒屋気分でビール片手に,自由な発想で馬鹿げた意見であっても,書き込む。ブレーンストーミング的なコミュであり続けたいなあと思います。

男の見方,女の見方


 脳の研究者と行動生態学,進化生物学のお二人がその立場から「男の見方,女の見方」について,その分野のいろんな研究成果が書かれていると思ったが,エッセイ集といった感じが強いです。 まあ,それはそれなりにおもしとかったです。


(養老孟司)p80~81
男女の能力差のように、人類を束ねて二つに割って、その二群がどう違うかという話は、本当はあまりしないほうがいい。なぜなら、たとえば、男が女よりも空間把握能力が高い、という統計を教えると、あの女よりも、おれのほうが偉い、そう考えて喜ぶ馬鹿が、男の中にかならずいるからである。それは、まったくの間違いである。

(中略)

 男には男の能力があり、女には女の能力がある。そんなことは、わかりきったことである。それと同時に、個性の幅というのがある。個性の幅は、しばしば男女の統計的な差を超える。そういう性質については、じつは統計的に男女差があったとしても、それを論じる意味はあまりない。社会の中でわれわれが出会うのは、それぞれの個人であって、一般的な男女ではないからである。こうしたすべては、ただの常識であろう。


※※※

 まあ,そうでしょうね。それは理解できます。でも,それでも男女の能力の差というのには,関心があります。
 「一般に男は・・・,女は・・・・」なんていうのはおもしろいです。空間図形の問題をさせると,女の子はできない。また,逆に言語能力では男の劣ること劣ること

 養老氏と同じようなことを長谷川さんも書かれています。


※※※
(長谷川真理子)p101

 では、決断力、リーダーシップ、数学の能力、言語能力、方向感覚、攻撃性などの性質には、男と女で違いがあるのでしょうか? どう量的に表現するにせよ、これらの性質も、身長と同様に連続的に変化する量でしょうから、集団の平均値の差を検定すれば、もしかすると有意な差が検出されるかもしれません。それでも、ある一人の男か女を取り上げてその人の性質や能力を云々する場合には、服を選ぶときと同様、その人個人の性質が問題なのであって、集団の平均値に差があるかどうかは関係ないはずです。集団の平均値の差を根拠に個性を無視するとき、無用な差別が生まれてくるように思います。

※ ※ ※

 そうでしょうね。そこから差別が生まれることもあるでしょう。

 ただ,このように書いているのですが,別の項(文系・理系)ではこのようなことも書いています。

※ ※ ※

(長谷川真理子)p114~115

 私は自分が理科系で、普段は自然科学の研究をしているので、自分が物事を考える道筋は、ほかの人々にとっても同じだと思っていました。ところが、はじめて非常勤で某大学の法学部の学生に教え、試験の答案を見たときに、あっと驚かされたのです。第一問は、霊長目の中におけるヒトの位置を記述せよ、という問題でした。私は、当然、それぞれの種が分類単位ごとに樹木状に分岐して描かれる系統樹を描いてくれるものと思い込んでいました。こちらは、そのようにして教えたのですから。しかし、法学部の学生で、系統樹を描いてくれた人はいませんでした。全員が、「霊長類は真猿類と原猿類に分かれ、真猿類は、新世界ザルと旧世界ザルに分かれ・・・・」というように、すべてを言葉で書き並べたのです。私にとっては、全部を言葉で表すということは思いもよらぬことでしたが、彼らにとっては、図を描くということは思いもよらなかったようなのです。あとで、法学部の先生にこの話をしたところ、すべてを言葉で書くことに、先生方も別に違和感は感じておられないようでした。

これが、はじめてのショックで、それ以来、いろいろな学部の先生たちが集まる会議でも、しばしばちょっとした違和感を味わいました。理系的思考では、複雑な事実はなるべく図表化しようとしますが、文系的思考では、文章で描くことを重視するようです。理系的思考では、事実を重視しますが、文系的思考では、個人的解釈の方に重点がおかれるようです。理系的思考では、説明がきれいにつくと喜びますが、文系的思考では、きれいに説明がつくとうさん臭いと思われることが多いようです。また、理系的思考では、仮説などはすぐにも捨てられるものと考えていますが、文系的思考では、自分の仮説とは信念をもって守り抜くもののようです。

 私の経験の範囲では、これらの違いは男女にかかわらず、文系か理系かによって大 きく異なるように思うのですが・・・・・


※※※

 おもしろいですね。ぼくも理系的思考と文系的思考にはちがいがあると思っています。
 ただ,分からないのは,上の方で男女の違いは「集団の平均値の差を根拠に個性を無視する」ということで避けているのに,文系,理系の違いはこのようにおもしろく書いている,というところです。

 文系,理系も平均の違いで個性もあるのではないでしょうか。そこでは差別は生まれないのでしょうか。

 ぼくは,平均の違いもおもしろがっていいのではないかと思っています。だから,文系的思考,理系的思考の違いってどんなだろう,男と女の思考の違いってどんなだろう,と考えるのは好きです。同じものだと思うのですが,ただ,社会的に男女の違いを述べると差別につながることもけっこうあるからなんでしょう。社会的に成熟していないのかも

 次のとてもかる~く,おもしろかったところです。

※※※

 先日、イェールの研究室に、誰かが持ってきたチューリップがたくさん花瓶にさしてありました。ところがそれを見て、分子遺伝学が専攻の院生の男の子が、「この花は何?」と私に聞くのです。チューリップを知らない生物学の院生がいるということに心底驚愕してしまいました。そこで、教授たちのランチのときに、この院生の指導教授に「マイケルはDNAの構造は熟知しているかもしれないけれど、チューリップを知らないというのは嘆かわしいことだ」と半分ふざけて注意したところ、花の名前を知っているのは女性のすることで、男性は花を贈るだけである、という答えが返ってきました。


※※※

 おもしろいですね。ぼくは妻に花の名前を知らないといって笑われるこ
とがあります。でもチューリップは知っていますよ。

図解雑学般若心経
 これだけ有名な「般若心経」。どんなものか知りたくて3冊読みました。








 よく分からなかったです。


 今回,図解雑学般若心経 を読みました。



 これはよかった。少し分かった気がします。深い意味はまだまだ分からないのですが,入門にはなった。なんとなく般若心経ってこういうものだというのが分かりました。語句の説明がていねいです。まったく知らない人に分からせるように書かれていると思いました。

 上の3冊が悪い本だということではありません。いま読み返すといいのかもしれない。順番が悪かったです。
 般若心経について入門が終わった人にとってはいいのではないかと思います。

 だから,まず「図解雑学」から読むことをお薦めします。

 その中でおもしろかったところ。


 ところで約20年前に小チベットと呼ばれるインド領ラダック地方で、思いもかけない体験をしたことがある。種智院大学のチベット仏教調査団として、同地方の仏教文化を3年間にわたって調査したが、あるとき、ー仏教僧院に保管されている経典群を記録し終わって、帰り支度を始めたとき、団員の中で僧職の者が中心になって御礼の意味で般若心経を日本風に唱えた。

 そうすると、チベット僧のひとりが、横書のチベット語で書かれた経典の小さな束を持ってきて、数人で読みはじめた。すぐには何の経典か判断できなかったが、終わり頃になって、懐かしい「ギャテー・ギャテー」が聞き取れたではないか。正確には「ガテー・ガテー」であったが、サンスクリット語原典からチベット語に翻訳されたチベット訳の般若心経も、サンスクリット語から漢語に翻訳された漢文の般若心経も、最後の呪(真言)の部分だけはあえて訳出せずに、その聖なる句を声高に唱える点は共適している。

 不十分な解説や註釈は、原典の持つ深い意味と不思議な威力をむしろ半減させるものであることをあらためて痛感したことであった。(p145)


( おもしろい!! )
     

このようなやり方は、すべてを否定する虚無主義ではなく、釈迦の入滅(死ぬこと)以後、範疇論的実在論の立場に立って、人間や世界の存在をこと細かに分析することに熱中した伝統的な部派仏教(とくに説一切有部)の煩瑣(はんさ)な哲学的仏教に対する反省と反論であったと見ることができる。

 したがって、『般若経』の流れを引く般若心経でも、前半部には従来の説ー切有都が構築した教養体系に対して、すべて「無」「不」の否定詞をつけていくが、これらは決して「存在しない」というのではない。「空の中」、換言すれば「空という在り方において」は、さまざまの諸要素が原子や分子のように実体的に構成されていると考えるべきではなく、むしろさまざまの間接原因(縁)が集まり合い、現実の在り方を現出していると考えるのである。(p92)


 ( ぼくは、「無」「空」が並ぶので、虚無的な感じを持っていました。ではそれがどういうことを意味するのか、まだまだつかめてはいませんが、虚無主義ではないというのだけは理解したというところです。 )

質問予約表
 mixiで,質問の受け方のトピがたったので,以下のように書き込みました。

質問予約表


 中学部は45人定員です。中学部は講師(学習援助者と呼んでいます)が4人,チェック係が2人です。1年から3年までいっしょです。学年トップクラスから最下位付近の子までいます。1つのクラス45人を4人の学習援助者がみているわけです。

 基本的にセルフラーニングです。自分で学ぶことができるような教材を使っています。ほんとどが塾で作ったものです。
 それで,自分で学習を進めていきます。中学部は五教科すべてです。

 教材の説明だけでは理解できなかったり,間違いを自力で直しきれないときには,学習援助者に質問をして教えてもらうことになります。

 質問のある人は,学習援助者のところにある質問予約表に名前を書き込みます。質問がなくても,とりあえず名前を書く子も多いです。だから,塾に来たらすぐに名前を書き入れます。4人すべての学習援助者の質問予約表に書き込む子もいます。それぞれが好みの学習援助者がいるようです。

 そして,学習援助者は質問予約表の順に名前を呼びます。質問がある生徒はやってきて教えてもらいます。その時には特に習うのがないが,後で質問がありそうだと思う生徒は「下に」と言います。「下に自分の名前を書いて」と言う意味です。すると学習援助者は名前を書いてあげます。呼ばれるのがダブるときもあり,「下に」と言っています。
 もう質問がないと思った人は「パス」といってパスします。

 一人の子に長い間教えるようなことはしないように言ってあります。

 教えるのが終わったら,学習援助者はその子の名前を消して,次の子を呼びます。

 ぼくはだいぶ慣れているので,状況にもよるのですが,3人くらいぼくの周りに座らせて,いっしょに学習をみてあげることもあります。
 学力の特に低い生徒は,ぼくの隣に座らせて指示したりしながら学習を進めます。

 セルフラーニングのできる教材ですから,教えてもらえない時間は他の科目をやっています。呼ばれるのを待ちながら,自分でできる課題をこなしている,という感じですね。

 質問予約表というのは,A5の用紙に4×21の表になるように罫線をいれてあるだけのものです。

 セルフ塾中学部の学習風景は以下のページに動画で紹介しています。
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-284.html

パレートの法則(80対20の法則)
 「あるグループの重要な項目は、全体の中で比較的小さな割合を構成する」という法則を「パレートの法則」または「80対20の法則」と言います。

 世の中,いろいろなものが均等に散らばっているのではなく,偏りがあるということですね。

 この法則に初めて触れたのは,黒川 康正著「独学術 (ゴマセレクト) 」だったと思います。

 世界の富の90%は,世界人口の数%の人の手にある。(数字ははっきりしないのであいまいに書いています。でも分かりますね。大金持ちは一部の人,その他大多数は貧乏人です)

 学校で起こされる問題行動の80%は全生徒の20%の生徒が起こす。叱られる子はいつも叱られているのです。逆にほめられる子はいつもほめられる。

 周りを見渡してください。いろんなのが均質ではないことが分かります。

 いま目の前に本が積まれています。読まれる本の80%は20%の人によって読まれている。(数字は適当に)

 飲まれる酒の80%は20%の人によって飲まれている。酒飲みは酒飲み。飲まない人は飲まない。

 考えればいくらでも例は出てきます。

 それを入試で考えてみましょう。

 高校入試の出題範囲は,中学3年で習う範囲です。まじめな子は,入試勉強ということで,こつこつと1年の最初から全部おさらいするでしょうね。

 でも,入試には出る問題,出ない問題があるのです。

入試に出る問題の80%は、全範囲の20%の中にある

 全部を均等にやるのではなく,その20%をきちんとやっていれば合格できるのです。
 出る問題を解けるようにする。出ない問題は解けなくてもいい。
 それが入試合格の鉄則ですね。

文字式,偶数,奇数の説明
 mixiの「授業の工夫」のコミュで次のような質問がありました。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=30037911&comm_id=380962


数学に関して、自然数を使った文字式
例→2n(偶数)2n-1(奇数)
にて。
2nが何故偶数になるか、

生徒に分かりやすい説明が出来ません


 それに対して次のように答えました。

 言葉を使うとまだ分かるが,それを文字にすると分からなくなります。

 例えば,三角形の面積=底辺×高さ÷2 は理解できる。

 しかし,底辺をa, 高さをh とすると, 三角形の面積=ah/2 というのは理解が難しい。

 それで,いったん言葉に表してから,文字に直すように教えています。

 以下は拙著「わかる解けるできる中学数学1年」
http://www.amazon.co.jp/gp/product/483830921X?ie=UTF8&tag=selfyoji-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=483830921X

の〔偶数と奇数を文字で表す〕のページです。

【問1】 偶数は、すべて、2=2×1, 4=2×2, 6=2×3, 8=2×4 のように表すことができます。

① 42,50.108 を上の例のように表しなさい。

42=( ), 50=( ). 108=(   )

② 偶数を「ある整数」「2」を用いて表しなさい。  (          )

③ ある整数をmとして、偶数を表す文字式を書きなさい。(     )

④ ( 4,6,8 ) ( 18,20,22 )のような数を連続した3つの偶数と言います。
それでは、真ん中の偶数を 10, 32, 64とする3つの偶数を書きなさい。

{( ),10,( )} {( ),32,( )} {( ),64,( )}

⑤ 連続した3つの偶数の真ん中の数を12とすると、その左の数、その右の数を
  求める式を書きなさい。 

左の式(        ) 右の式(        )

⑥ 真ん中の偶数を上②の式{「ある整数」「2」を用いた式}として、連続した3つの
  偶数を書きなさい。(計算できる数は計算します。⑦も)

(     ,     ,     )

⑦ 真ん中の偶数を上③の式{mを用いた式}として、連続した3つの偶数を書きなさい。

( , , )


【問2】 奇数は、すべて、3=2×1+1, 5=2×2+1, 7=2×3+1,
9=2×4+1 と表すことができます。

① 45, 53. 119 を上の例のように表しなさい。

45=( ), 53=( ), 119=( )

② 奇数を「ある整数」「2」「1」を用いて表しなさい。(           )

③ ある整数をmとして、奇数を表す文字式を書きなさい。 (     )

④ ( 3,5,7 ) ( 19,21,23 )のような数を連続した3つの奇数と言います。
それでは、真ん中の奇数を 11,33,69とする3つの奇数を書きなさい。
{( ),11,( )} {( ),33,( )} {( ),69,( )}

⑤ 真ん中の奇数を上②の式{「ある整数」「2」「1」を用いた式}として、連続した3つの
  奇数を書きなさい。 (計算できる数は計算します。⑥も)

(       ,      ,      )

⑥ 真ん中の奇数を上③の式{mを用いた式}として、連続した3つの奇数を書きなさい。

( , , )

「本物の学力」と「テスト用の学力」
 きょうから,高校受験特別学習が始まります。
 基本的に,午後3持から5時まで。これが終わるまでは,1年で一番忙しい時期です。

 さて,ぼくは日ごろは「本物の学力」をつけることが大切だよ,と主張しています。目の前のテストの点数が上げることが目標ではないよ,と。

 でも,この商売(学習塾)をやっていると,いつもそうはいっていられません。いや,塾をやっているからだけではなく,目の前になんらかの目標があるときには,それを攻略するためにどうするか,というのも必要な知恵だと思います。

 高校入試が来年の3月にあります。それに合格することが中学3年生の目標です。その目標を達成するためには,どうするか。

 本物の学力がついていれば,テストの点数もとれるだろう,という人もいますね。でも単純にそうも言えません。

 大学の数学の教授。数学の本物の力があると思っていいですね。それが,中学入試の数学の問題を解かせたら,中学受験を目指している小学生に勝てなかったという話をどこかで読んだことがあります。ありうる話です。

 学校の定期テスト,入試などで点数をかせぐには,そのための学力が必要です。「テスト用の学力」といってもいいでしょう。

 ぼくは,日ごろはきちんとした本物の学力をつけるための学習を生徒達にはさせているつもりです。しかし,入試のための学習も必要だということでそのための学習もさせています。

 本当には理解していなくても,やり方を暗記していれば解けるテクニックも教えることがあります。「いんちきなやり方教えてあげようか」などと言いながら教えます。子どもたちは喜んで聞いています。なぜいんちきなのかは分からないでしょうが。

 さて,学力には,本物の学力とテスト用の学力があることを述べましたが,テスト用の学力のためのテクニックなどをこれから数回書いていきたいと思います。

受容すること
 カウンセリングにおいては,「共感」と並んで「受容」ということをよく言われます。

 相手の気持ちを受け入れるということです。共感とよく似ていますが,微妙に異なるものです。

 「受容」について考えるときに,フロムの「愛するということ 」を思い出します。
なお,これも大学時代に読んだ記憶です。本棚をさがしたら出てくると思いますが,ちゃんとしたことを書くとかえってめんどうになりそうなので,記憶で書きます。

 父親は,子どもに条件付きで愛を与えます。あなたががんばって立派な人間になったら,ぼくはあなたを愛しましょう。だから,立派な人間になるように努力しなさい。というものです。

 一方,母親は無条件で子どもを愛します。あなたには悪いところがある。でも,それでも私はあなたを愛していますよ,というものです。どんな子どもであっても私の子どもなら,私はあなたを愛します,なのです。

 父親の愛と母親の愛のちがいです。これはすべての父親,母親にあてはまるわけではなく,一般的,典型的な父親,母親ということでしょう。最近は少し違うかも。

 これを書きながらいろいろ頭に浮かびます。
 「五体不満足」という本,ベストセラーになりました。
 手足のない赤ちゃんが産まれた。父親は医者はそれを見て,母親にどう伝えようか,どのようにして赤ちゃんを見せようか,悩みます。母親がショックを受けるだろうと思ったのです。当然ですね。でも,見せないわけにはいかず,勇気を出して対面させる。
 すると,お母さんは,手足のない我が子を見て「わあーかわいい」と笑顔で抱きかかえたというようなシーンがあったように思います。

 いいですね。

 一方,父親。映画「エデンの東」では,ジェームズディーンが父親の愛を得るためにいろいろ努力するが・・・,というようなものだったように思います。

 障害児が産まれたために,離婚して父親が去っていく,という話もよく聞きます。

 そうでない父親,母親もいるでしょうがね。

 さて,カウンセリングにおいては,母親の愛のように,無条件で相手を受け入れるように努めます。そのままのあなたでいいのです。それをそのまま私は受け入れます,とうように。

 それが「受容」です。ロジャーズ流のカウンセリングは,それを徹底します。

 人間には「ホーム」というのが必要だと思います。いつでも帰ることができる「家」です。

 いつでも帰るところがあると思うと,人間は思いきり飛び立つことができます。疲れ果てるまで飛び続け,そして自分を生かし,疲れたら帰って休む。そういう場があると積極的に自分を生きることができるのですね。

 だから,無条件で自分を受容してくれる人がいるということを知った人は,自分で自分を高めていくことができるとロジャーズは考えていると思います。

  

れんぶ豊作


 前にれんぶの花や実にを紹介しましたが,いまたくさん実っています。

美人の大原則
浮気をしたい脳--ヒトが「それ」をがまんできない訳

 この本は前にも紹介しましたが,おもしろいところがまだまだあるので,その中からいくつか紹介します。

 「美人の大原則」の項から

 彼(ゴールトン)の最初のねらいは、「顔つき」からワルを割り出す方法をあみ出すことだった。つまり、悪人面をしている奴をあらかじめ見つけだして、犯罪を防止しようという、いかにも優生学らしい発想。

  ゴールトンは監獄にぶち込まれた罪人の写真を何枚も何枚も重ね合わせ、「これぞ悪人!」という顔を合成してみた。ところが、である。そうしてできた悪の権化の顔は、何とも美しいのであった。まさに悪の華。男はハンサム、女は美人。俳優さんはみんな極悪非道のワルだとでもいうのかい?

 結局のところ、犯罪者の顔に限らず、人の顔をたくさん集めて平均の顔をつくると、それはもとのひとつひとつの顔よりも魅力的になるということなのだ。美の真髄、それは平均! なんかつまらない気がしないでもない。

(p77)


 顔の平均が美しい人だというのは,テレビで観たことがあります。そのときは,大学生の顔をコンピュータで合成(?)するというものでした。それを観たときは,へえー,おもしろい,と思いました。

 その後,いくつかの本でそのようなのを読みました。

 今回,それの初めが,あの優生学で悪名高いゴールトンだということ,そして,「悪の権化の顔」を作るために平均の顔を作ったというのを知り,おもしろく思いました。

 ゴールトン

 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を読むと,ゴールトン(1822年2月16日 - 1911年1月17日)となっています。1世紀前の人です。どんなふうに平均の顔を作りだしたのでしょうか。そして,「悪の権化の顔」ってどんな顔だったのでしょう。

 

 「共感」と「同感(同情)」
 「共感」は,相手の感情と共になる,ことですから,相手の気持ちをよくよく理解することになります。なぜこんなに悲しんでいるのか,なぜそのように苦しんでいるのか,その気持ちを察するのです。

 「いまここ」の気持ちを語ってもらう。そしてそれを理解する。その中で,共感するのです。

 でも,「共感」と「同情」は違うよ,と大学で教わりました。
 「同情」というのは,相手の感情と同じになることです。
 悲しい気持ち,苦しい気持ちになってしまって,自分も悲しむ,自分も苦しむ,そうなることが同情なのです。

 クライエントはその悲しい気持ち,苦しい気持ちを何とかして欲しくてカウンセリングに来ます。しかし,カウンセラーも同じレベルで悲しくなり,苦しんで,そしていっしょに涙を流し,おろおろしたら,クライエントはどうすればいいのでしょうか。おろおろしているカウンセラーでは役に立ちません。

 クライエントは,その悲しみ,苦しみが増幅してしまい,そして,おろおろしているカウンセラーに頼ることができなくなってしまいます。

 そうではなく,カウンセラーはクライエントの気持ちに「共感」をするが,「同情」するのではなく,自分をきちんと保って,しっかりしていなければいけないのですね。クライエントに頼られるカウンセラーでなければならないのです。

 さて,以下は,ロジャーズのクライエント中心療法とは違うかもしれません。または,カウンセリングの場面と実際の生活の場面,学習の場面との違いかもしれません。

 ぼくの考えです。

 例えば,いま勉強したくないという生徒がいるとします。勉強したくないという主張を聞いて,その気持ちを理解します。つまり共感します。

 しかし,だからといって,では勉強しなくていい,ということではないと思うのです。

 勉強したくないという気持ちはよく分かる。しかし,勉強はしないといけないよ。なぜなら・・・・,と説明し,理解を求めます。たいていは簡単に理解してくれません。
 それでも,とにかく今は勉強を続けよう,ということにします。

 頭ごなしに,子どもの気持ちも理解せずに大人の主張を通すわけではない,子どもの気持ちを理解するように努める,共感する,しかし,子どものいう通りにする必要はない,と思います。

 もちろん,共感し,その子どもの気持ちの通りにさせた方がいいな,と思ったら,大人の考えを変える柔軟さは大切です。

斎場御嶽(せーふぁうたき)


 昨日は,斎場御嶽(せーふぁうたき)に行きました。妻と二人です。

斎場御嶽は,世界遺産「沖縄の琉球王国のグスク及び関連遺産郡」のひとつです。

斎場御嶽は、琉球王国最高の聖域で、アマミキヨという神がつくった、国はじめの七御嶽の1つと伝えられています。
http://www.ajkj.jp/ajkj/okinawa/chinen/kanko/sefautaki/sefautaki.html

 だいぶ前(20年くらい前)に行ったことがあります。そのころは遺跡のほかは何もないところでした。今回行ってびっくり。近くに喫茶店が数軒あり,駐車場も完備,資料館もありました。前は草むらをかき分けながら行った記憶ですが,歩く道もきれいになっています。

 観光客も多くなっています。写真を撮すのも一苦労。

 動画は斎場御嶽のメインの場所。最初のシーンで座っている男女二人。祈って(拝んで)いるんです。沖縄ではこういう場所は神聖な場所でウガミ(拝み)をする人がけっこういます。何を祈っているのか分かりません。

 こういう信仰がまだまだ沖縄には残っています。ぼくの母もやっていたと思います。ぼくは運転手でついて来たことはあります。

 三角岩を抜け,動画に最後に写っている島は久高島(くだかじま)です。神の島と言われています。

共感すること
 「共感」という言葉をカウンセリングではよく使います。

 クライエントの気持ちに共感するように努めるのです。

 共感とは,ぼくは文字通り「感情を共にする」と考えています。

 クライエントが悲しんでいる。そのときの悲しさを共にするということです。そのためには,悲しんでいることについて語ってもらいます。うなずいたり,相づちをしたり,まとめたりといったテクニックで。

 語ってもらわなければ共感しようがありませんから。

 なぜ悲しんでいるのか,何があったのか,いまどのように感じているのか,

 それを語ってもらい,聴いて,その感情を理解するのです。

 クライエントが主人公なのですから,その立場にたってその気持ちを共にします。

 小説の読解では,よく言われますね。主人公の立場に立って小説を読んでいき,主人公の気持ちになりましょう,と。

 あれと同じことをします。いまここでは,クライエントが主人公です。その気持ちが分からなければいけない,ということですね。

 これはいろんな場面で使えます。

 居酒屋で飲みながら話をするとき,相手が話し始めたら,まず相手の話すことをよく聴いて,相手の気持ちと共感する,すると,相手は気持ちよく話を続けていきます。
 ただし,酔っぱらいは同じ話を繰り返しますから,そういうときは適当に聞き流さないともちませんが。

 議論するときもそうです。反対意見であってもまずは相手の意見に共感することが必要です。相手が何を考えているのか,どう感じているのか,それを理解して,議論を進めなければ,話は発展しません。
 相手の意見を最初からうち破ろうと思って,批判的に聴いて揚げ足取りをしていたのでは,本当の議論とは言えません。

 ただ,こちらは共感的に拝聴しても相手にその気がまったくないことがあり,収集がつかないことがあります。そういうときは,もう聞き流すしかないでしょうか。ケースバイケースですね。

 本を読むときもそうです。最初から批判的に読むのではなく,まずは著者が書こうとする気持ちを知るように努めるのです。

 生徒との間でもそうです。なぜ勉強に身が入らないのか,なぜ休んでばかりいるのか,
 そのような気持ちにまずは共感する。頭ごなしに叱っても子どもたちは聴こうとしません。

 次回は,共感と同感(同情)について書こうと思っています(以前も書きましたが,改めてここに書いておきたい)。

沖縄の見所
 mixiともだちのトパーズ さんから次のようなメールをいただきました。

 Yojiさんこんにちは!

私事ですが、9月の始め(年に一度の休み)に本島で2泊することになりました。
(その後は5日間八重山に行きます。)


本島に行くのは初めてです。Yojiさんは以前識名園をブログで取り上げていらっしゃいましたね。ほかにもYojiさんのお気に入りの場所等があれば、教えていただけるとうれしいです。(教えていただいたからといって行けるとは限らないのですが、ただYojiさんはいい場所をご存知のような気がしたので聞いてみようと思いました。)
お忙しい中、いつもと違う話題になりますが、お返事いただけると幸いです。(ブログやミクシー内で取り上げていただいてもかまいません。)


 
(回答)
 沖縄をあちこと行っているわけではないのですが,ぼくのおすすめを書き出してみます。(妻に相談しました。彼女の方がよく知っているので)

 もちろん,ここにあげるのは一つの意見です。お好みもあるでしょうから,そのつもりで読んでください。

1,まず,摩文仁の平和祈念公園
http://www.peace-museum.pref.okinawa.jp/

 ご存知のように,太平洋戦争では唯一地上戦が行われ,多くの住民が犠牲になりました。そのためもあり,沖縄の人はとにかく平和を願う気持ちが強いです。
 平和の礎(いしじ)には亡くなった方の名前が彫られています。こんなに多くの方が亡くなったのかと驚くばかりです。
 平和祈念館には,生き残った人のつづった文を読むことができます。

 沖縄に来て,平和を考えて欲しいと思います。


 2
 沖縄の世界遺産
 「沖縄の琉球王国のグスク及び関連遺産郡」は世界遺産になっています。それをいくつか歩くのもいいです。
 http://www.chample.tv/heritage/

 5つのグスク(首里城、中城城跡、座喜味城跡、勝連城跡、今帰仁城跡)と、その関連遺産の4つの遺物(園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽)です。

 首里城、園比屋武御嶽石門、玉陵は歩いて行ける距離にあるので一つとしても,7カ所あります。

 沖縄本島の北の本部半島から,南の端まで散らばっていて,全部を巡るのは大変です。4~5日はかかるでしょうか。
 首里城周辺にしぼって半日コースもいいかもしれません。
 なお,ぼくは首里で生まれ,首里城すぐ下の城西小学校に,そして玉陵の向かい側の首里高校に通いました。母,兄はその近くにいます。

 いま住んでいるところは座喜味城跡のすぐ近くです。

3,
沖縄海洋博覧公園
http://oki-park.jp/
沖縄美ら海水族館
http://www.kaiyouhaku.com/

 本部半島にあり,那覇からはだいぶ遠いです。2時間くらいかかるかな。

 子どもたちに人気です。

4,海と空

 沖縄の海と空はきれいです。まだ。
 その色は「絵にもかけない美しさ」です。

 子どもたちがいればビーチで泳ぐのもいいですね。ダイビングのできる人には最高のところです。ぼくはできませんが。

 だいぶ前のことです。真栄田岬というところで,ダイビングをしているアメリカの人と話をしました。米軍人で世界のあちことを動いているそうです。ダイビングが好きだそうですが,沖縄の海は世界的にいってもとてもきれいだそうです。

 八重山に行くのならそこでゆっくりできますね。 

般若心経を覚える
 般若心経を覚えました。まだ,つっかかる場所があるのですが,一応空で言うことができるようになりました。

 別に仏教を信仰しているわけではありません。こんなに一般的に唱えられているものだから,どんなものかとずっと気になっていました。そして数冊本も読みました。まだ意味はよく分かりません。

 でも,覚えてみようかな,と考え,1週間前から覚え始め,なんとか最後までいきました。

 いま散歩のとき,風呂に入るとき,出勤の途中などに唱えています。

 1枚にコピーできるくらいなので,数枚コピーをして,手帳に挟んだり,机の上に貼ったりしています。

 このように覚えようとがんばったのは久しぶりです。まだけっこう覚えきれるものです。

 ぼくはスクーターや自転車を利用しています。
 手帳に挟んでいるので,スクーターを走らせる前に「色即是空」だけを覚え,走らせながらずっと唱える。覚えたと思ったら少し前から流して来る。忘れているところがあったら,スクーターを止め,手帳を出して確認する。

 といったこともやりました。けっこういいです。

沖縄方言「うちあたい」
 清水義範著「スタア」に次のような場面が出てきます。

 西岡は芸能プロダクションの社長。少女たちというのは,アイドルスター。今日子はベテランのバラドル。

 少女たちが仕事の上で失敗したのを西岡が叱っている。

ここは、そういうふうに収まるであろう。西岡は、スター気分でたるんでいる少女たちに活を入れているのだ。このあたりで、一度ガツンと叱っておこう、という教育的な計算もあって怒っている。それは当然のことだ。

少女たちはペンをかきながら、ちゃんとプロ意識を持ってこの仕事を続けていきます、と約束するだろう。ベテランの今日子には、そういう展開が見抜けている。

だが、そのこととは別に、西岡の言葉は、脇できいている今日子に何かを強く伝えてきた
ふと、西岡の言葉が、自分に向けられたものであるような気がした。

なぜか、デスクに肘をついている今日子までが、うなだれてしまっていた。



 ここで書こうとするのは,沖縄方言(ウチナーグチ)のことです。

 このように他人を叱っている言葉が自分に向けられているように感じるとき,沖縄方言では「ウチアタイ」といいます。

 上の場面で,今日子はウチアタイしているのです。

 よく使う言葉です。

 先日,母から電話がありました。

 僕の投稿文「秋葉原殺傷事件と無視すること」を読んだそうです。
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-429.html

 これを読んで,「ウチアタイした」のだそうです。

 「あんたは成績が優秀だった。だからほっていても大丈夫だと思って,学校の面談のときには,兄さんと妹のところに行き,あんたのところには行けないこともあった。」と言っていました。

 もちろん,ぼくは母を叱るつもりではありませんでした。しかし,母はあれを読んで自分が叱られている気持ちになったのだそうです。

 こういうときに「ウチアタイ」という言葉を使うのです。

 http://www.churashima.net/word/74.html の説明もどうぞ。

 このウチアタイ,ヤマトウグチ(標準語)では何というのでしょうか。どうもぴったりした言葉がないなあ,と思うのですが。

清水義範「スタア」
        


 ぼくは清水義範が大好きで,文庫になったものはすべて読んでいます。数冊はまだかな。

 さてと

 イラストや物まねって,本物以上に似ているって感じることがありますね。

 本当は,写真の方がそのものなのに,イラストになった方がよく分かる。デフォルメされた似顔絵って,おもしろいし,その人の特徴がよく分かるので,写真より似ているって思ってしまいます。

 また,コロッケさんの物まね。本当はあんなにではないのですが,笑ってしまうし,これも本物以上によく似ているって思ってしまう。

 そのもの,その人の特徴をきちんととらえて,そしてそれだけを抽出し,おおげさに描くからなのでしょう。

 さて,清水義範さんの小説にも,本物以上によく分かるものがあります。いま思い出すのは,「ビビンバ」。
 ビビンバを食べながらの何気ない会話。解説にあったと思うのですが,あれを実際にある場面を記録してそのまま文字にしてもおもしろくない。それを清水さんが文字にすると,そうそうこういう会話って実際にありそう,と思ってしまいます。

 この「スタア」

 主人公はバラドル(バラエティアイドルをそう呼ぶというのはこの小説で初めて知りました)の高杉今日子さん。とても好ましい方です。その今日子さんのバラドルとしての浮き沈み,ちょっとした事件などが描かれています。

 これを読んで,芸能界ってこうなんだろうなあ,と思ってしまいます。たぶん,本物を見るよりよく分かるような気がするのです。

 バラドルの心理,マスコミのひどさ,バラドルの扱われ方。

 その中の一カ所を転載します。

そして,自分の冷たさにちょっと驚いた。チャンスがめぐってきて張りきっている若い恋人の意欲的な様子に、なぜか乗りきれない自分がいるのだ。よかったね、頑張ってね、と口では言いながら、本当は、ひとのチャンスなんてどうでもいい気がしている。

頭がボーッとのぼせてくるような気がして、今日子はリモコンで暖房をオフにした。

私は嫉妬しているんだろうか、という思いが突然わきおこって、息がつまるような気分になる。

年下で、格下の恋人に仕事上のチャンスがまわってきたことが、生理的に面白くないのかもしれない。

 (中略)

 それとは違う、と今日子は思う。恋愛感情とは関係のないところで、私は嫉妬している。

それはタレントの嫉妬だ。

この業界にいると、自分以外の誰かが注目を浴びることのすべてが気に入らないのだ。自分よりずっと格下の新人が、ほんのちょっとの賞賛を受けるのも面白くないのだ。すべての賞賛は私のためにとってあるべきだ、という、非現実的な望みを持っているのがタレントだ。自分以外の人間が評価されるのはむしょうに面白くない。

 (中略)

 自分を罰するように、今日子は体を冷気にさらし続けた。そのまま宅配のクール便になってしまいたいような気がしていた。

なぜ自分を罰したいのか。ひとの好運を喜べない自分に腹が立つからだ。あらゆる評価を独り占めにしたがっている自分のあさましさが恥ずかしかった。

それってすごい醜いことだ、と思う。自分だけが選ばれた人間であるかのようにもてはやされたくて、ひとの心を感じ取ることができないなんて、最低だ。

でも、そんな最低の人間ばっかり。私もそんな中のー人で、いつだって評価のことばかりを気にしている。


バッテリーⅥ
 

 バッテリー(6)最終巻,読み終えました。おもしろかったです。もともと野球ものは好きです。登場人物の性格がきちんとしているのもいい。

 自分の好きなことをとことんやるというのはいい。そのあたりはこれまでも書いてきました。

 この(6)では,主人公原田の相手チームにいる2人中学生を取り上げたい。
 門脇秀吾と瑞垣です。2人は保育園のころからの幼友達。2人とも野球をしていますが,門脇秀吾は天才バッターとしてさわがれていて,高校へも野球推薦で行くことになっています。
 一方の瑞垣は,それなりにうまいが,門脇の陰に隠れている。その瑞垣の心理が描かれています。



とっくにわかりきって、悟りきっているはずの力の差をまざまざと見せつけてくるこの打球が嫌だ。試合の真っ只中、放物線を描いて門脇の打球がスタンドに飛び込み、チームメイトの誰もが歓声を上げる。そのさなか、視線を逸らし横を向く自分が嫌いだった。

 追いつけると思うのか。努力して励んで志せば、こいつの背中を見失わないでいられると思うのか。

 おまえ、まだそんなこと思ってるわけ。つくづく、ばかたね。(p76)


羨ましいのだ。
瑞垣は、ボールを握り締めた。
 羨ましいんだよ、秀吾。ばかみたいに、おまえが羨ましくて堪らない。認める。いっそ、本当にばかだったらよかった。自分が搦(からめ)めとられていることさえ自覚できないほど愚かなら、かえって楽なのにな。中途半端なんだよな。中途半端な実力、中途半端な自負心、中途半端な愚かさ・・・・・・始末に負えない。我ながらうんざりする。(p79)


 「秀吾、おれはな、おまえが嫌いや。嫌で嫌で堪らんかった。秀吾さえおらんかったら、どこかに消えてくれたらって、ずっと思うてた。ずっとな」

 門脇は口を閉じ、真っ直ぐに瑞垣の顔を見ていた。何を言われたのか理解できない。そんな風に何度も目を瞬かせ、首をかしげる。
 
「おまえのせいやない。おまえは、なんも悪くない。だけどな、どうしようもないやろ。嫌いなんや。おまえのこと、どうしようもないぐらい嫌いなんや」

(中略)

「ごめんな」

 幼い子どものような謝罪の言葉が、口から漏れた。

 ごめんな、秀吾。かんにんやで。

 謝って許されることじゃない。許されようとも思わない。許しも同情も理解も、今さら請うたりはしない。

だけど、ごめん。

座り込んだ門脇に、頭を下げる。それから、部屋のドアを閉めた。閉める直前、ドアの向こうで、門脇が何かを低く咳いた。聞きとれない。風の音だけが、騒がしかった。(p109~110)


 ぼくも高校時代にこの男には勉強で勝てないな,というのがいました。でも嫌いではなかった。いや,好きでしたね。だから,本当には瑞垣の気持ちは理解できません。

無言を大切に
 ぼくは,カウンセリングを専門に勉強したことはありません。大学の講義を受け,数冊の本を読んだだけです。

 それでも,これまで書いたことは友人,知人との会話,塾で生徒との会話の中で十分に生かしてきました。
 だから,このようにしたらいいですよ,というのを自信を持って書くことができました。

 ただ,きょうこれから書くことはあまり自信のないところです。というのは,ぼくがうまく利用することができなかったからです。
 でも,大学の講義の中ではけっこう強調されていたし,ぼくも頭では理解しているので,ここに書くことにします。

 それは,「無言を大切に」です。

 会話の中でお互いが無言の状態が続くといやですね。しらけ鳥が飛んでいるといった感じ。だから,だれかが気を遣って話を始めます。

 しかし,カウンセリングにおいては,無言でいるのはとても大切だというのです。無言の状態がしばらく続く。そして,その後にクライエントがどっと話を始めることがあるというのです。無言のときは休みではなく,クライエントの頭の中ではいろいろな考えが動き回っているのです。進行中です。だから,そこで変にこちらから話しかけるべきではないのです。ゆっくりクライエントが語り出すのを待つというのです。

 それが難しいです。
 だれか知っていたら教えて欲しいのですが,
 普段の会話の中で,しらけているときと相手が何か考えているときの区別がなかなかつかないのです。ぼくは。

 ぼくは,知人との会話などでは,どちらかと言えば聞き手になります。そして無言の状態になる。そのときに,ぼくもだまっている。すると実際にはしらけていた,ということもあるのですね。そういうときは適当な話題をさがして話を切り開いたほうがいいのかもしれません。

 カウンセリングと普段の会話とは,似ているところもあるが違うところもあるのでしょうね。

 子どもを叱るとき,ぼくは子どもに話をするようにもっていきます。「なぜそうしたのか,説明しなさい」というように。

 しかし,たいてい子どもは話しません。そのときしばらくはぼくも無言でいます。あなたが語るのを待っているよ,というように。

 カウンセリングとはちがうからでしょうが,その後,子どもがどっと話し始める,ということはまずありません。

 ただ,ぼくはこの無言の状態は無駄ではないと思っています。確かめることはできないのですが,子どもの頭の中では,とにかく何かを考えているのでしょう。自分のやった行為について。または,ぼくが叱っていることを憎むようなことを考えているのかもしれません。
 そのときに口を開かせることができれば,本物だなあ,とは思うのですが,本物にはなりきれませんね。

「中途退学」は問題行動ではない
 2003年8月31日の琉球新報に掲載されたぼくの投稿文です。

 前の記事のN子さん,そしていま大学生としてがんばっているH奈さんんを頭において書きました。



 本紙8月23日付朝刊1面の記事によると、高等学校の中途退学者が減少したとのこと。それが、暴力行為やいじめと並んで「問題行動」として報じられている。

 「中途退学」は一概に問題行動とはいえない。中途退学をした方がいいこともある。高校に進学し、高校生活を送っていく中で、それになじめない場合には、中途退学をして、別に進む道をさがすのは決して悪いことではない。もちろん、進学時にそのことを見通すことができるのであれば、わざわざその苦しい道を選ぶ必要はないが、進学時には分からないことがあり、避けられないことだってある。

 ます、自分自身を知るということはとても難しいからだ。私はもう五十歳にもなるがまだまだ自分を知ったとはいいきれない。自分を知るということは、永遠のテーマである。自分がどのようなものか、どのような能力を持っているのか、自分の好きなものは何であるのか、まだまだ自分のことでも分からないことは多い。ましてや中学三年生というのは、自分探しが始まったばかりである。その中学生にとって自分にあった道を決めるというのは、並大抵のことではない。

 中学、高校というのは、子どもから大人に変わっていく途中にある。高校の進路を決めるときの自分と高校に進んでからの自分が変わっていても不思議ではない。高校に入って自分の好み、特性も変わる。すると今在学している学校でこのままいいのかを考えることも必要なことだ。

 高校時代は、知識もどんどん増えてくる。今まで知らなかった世界が見えてくる。その変化の中で進路を考え直すのも大切なことであろう。

 中学生として外からみた高校と高校生として内から見た高校が異なっていても不思議でない。あこがれて入った高校が実際に入学してみるとそのイメージと隔たっていれば、別の高校を考えても悪いことではない。

 以上のような理由で、学校に適応することができないのであれば、無理にがまんすることはないのではないか。もちろんある程度のがまんは必要である。しかし、他の進路に変えることによって、自分が成長するという見通しがあるのであれば、不必要ながまんは有害でしかない。

 学校でも「中途退学」をなくすためにいろいろ努めているとのこと。それを否定するつもりはさらさらない。学力不足で退学をする生徒も多いと聞く。そのような生徒には、学力をつけて学校に適応させていくのは大切である。進路決定において、学校や親の進路指導が不適切なために不本意な気持ちで入学する生徒もいるという。そういう点は改善していく努力が必要である。

 いずれにしても、中途退学にいたるまで、生徒本人も家族も悩み苦しんだだろう。それをまわりのものは暖かく見守ってあげ、新しい出発を励ましてあげたほうがいい。そして、中途退学をいじめや暴力行為と同じレベルの問題行動ととらえる報道も謹んでもらいたいものである。 

自殺したN子さん
 自殺したN子さんのことをここに書き残しておきます。

 N子さんは,生きていれば24~5歳でしょうか。

 小学校のときにセルフ塾に入塾。まじめで明るい子でした。小太りで,笑うと目がなくなるようでした。にこにこしながら話していた顔をいまでも思い出します。
 成績もよかったです。いつもトップクラスで,学年1位をとったこともあります。

 学校を終わると塾に直行。「ただいま~」と言いながら入ってきました。塾を自分の家のように思っていた子のひとりです。スナック菓子を食べ,そしてだいぶ早い時間から学習に取り組み,いつもその日の課題を終えて帰っていきました。

 ただ,心が不安定だと思われることもありました。
 学習が順調に進んでいて,学校の成績も良好。そんなある日,塾を辞めたいと言ってきたのです。「どうして?」と尋ねると,「家で自分で勉強する」とのことでした。
 こういうときは,家庭の経済的理由もあるので特に深追いせず,残念に思いながらも,了解しました。

 ところが数日後でしたか,やってきて,涙を流しながら,塾を続けたいと訴えたのです。まだ埋まっていなかったので,了承しました。何があったのかいまでもよく分かりません。ただ,経済的理由ではなかったようです。お母さんとも親しかったので,話をうかがったように思います。

 さて,受験を前にしてのことです。N子さんは子どものときから獣医になりたいというのが夢でした。そしてそれに向かって高校も決めたようで,K高校理数科を志望していました。K高校はこの地域では一番の進学校で,かなりの難関です。でもN子さんは成績もよく,志望校判定ではAだったと思います。

 ただ,ぼくには気になることがありました。N子さんは数学的センスに欠けていたのです。頭の柔軟性がなかったのです。決まったことを決まった通りにやるのはできます。しかし,少しひねって頭を使う問題になるとついて来られないのです。図形の問題では図形が見えてこないのです。

 それで,ぼくにしてはしつこいくらいに,彼女に話しました。理数科ではなく,英語の方に進んだ方がいいんではないか,と。

 でも,彼女の決心は変わらず,そのままK高校理数科に進みました。高校入試の問題程度ならそれほど数学的センスがなくても過去問題をこなせばできるのです。


 高校進学後は,メールでやりとりをしていました。

 そんなある日,彼女が塾にやってきました。
 もともと小太りではあったのですが,そのときは異常なくらい太っていました。
 大声で笑いながら,話をしていました。いま考えると異様に明るかったように思います。
 K高校を辞めて,近くのアメリカンスクールに通っているとのこと。沖縄には基地の内外に学校があり,基地外の学校には地元の生徒も入ることができます。

 K高校理数科はやはり大変だったそうです。
 「Yojiさんには,『だから言っただろう』と言われそうだから,来られなかった」そうです。
 もちろん,ぼくはそんなことは言いません。
 「いまは,楽しくやっている?」
 「うん,とっても楽しい」
 「それならそれでいいんだよ。やり直しなんていくらでもきくよ。学校を辞めるのは悪いことではないよ。自分に合わないと思ったら辞めてやり直せばいいんだ」
 と答えたと思います。
 ただ,アメリカンスクール卒業だけでは,地元で働くのは難しいところがあるから,読書しなさいよ,と忠告もしました。アメリカンスクール卒業では,日本の高校を卒業したことにはならないのです。大検の話もしたと思います。

 そのときはまだ自殺を考えていなかったと思うのは,ワーキングホリデイの話をしたときにとても関心を持って聴いていたのです。軽い説明をして,詳しくは自分で調べて,ということにしました。

 だいぶしてからです。N子さんの姉さんの友人E子さん(セルフの卒業生)から,「N子さんが自殺したって知っている?」と訊かれました。もちろん,知りません。
 そして,E子さんとN子さんの姉さんがいっしょにセルフ塾のアルバイトをすることになりました。姉さんにたずねたら,そうだとのこと。
 妻と二人で仏壇に手をあわせに行きました。

 自殺の詳しい理由はまだ知りません。

 http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-453.html
 で,自殺,他殺以外は取り返しのつかないことはない,ということを書きました。

 本当に自殺では,取り返しはつきません。・

 以下は,N子さんのセルフ塾卒業前の作文です。

 私がこの塾に入るきっかけは、親から「いい人たちだからきっと勉強が好きになれるよ」と言われたことでした。初めは塾なんか絶対入らないと言っていたのですが、自分も勉強が苦手だったので、入ろうと決意しました。

 初めての塾の日は何もやりかたがわからず、友達に聞いてばかりいました。どうしようもないときは、女っぽい庸次さんの方に習いに行きました。

 入塾してからしばらくすると、この塾のやり方がいかに良いかということを思い知らされました。学校では黒板に書かれていくことや、先生の言うことが全部知っていることで、自分の頭にしっかり入っているんだと実感することが多くありました。

 私はこのセルフラーニングというやり方がとても気に入っています。これからの学校もセルフラーニングになるように私が文部大臣になって日本を変えてみたいです。


アインシュタインだ!!!
 ヒカリさんから,

「経験値  先日新入のヒカリっ子にYojiさんのお写真を見せたら、ガン見でした。
やっぱり経験がお顔にでるように思います。 」というコメントがあり,

 それに
「ヒカリさん,コメントありがとうございます。「ガン見」と初対面です。ウェブ検索で意味を知りました。
 おかしな顔なので「ガン見」だったのかな。」と返事

 そして「アインシュタインと思ったようでした。」と返ってきました。


 それに対し,コメントで返そうとしたら,少し長くなったので,1つの記事とします。


 ヒカリさん,
 光栄です。
 生徒が「ねぇねぇ,舌出して!」
 というものですから,舌を出すと
 手をたたいて笑いながら「アインシュタインにそっくり」と喜んでいました。

 アインシュタインなら,尊敬する人でもあるし,いい気分です。アサハラショーコウに似ていると言われるよりだいぶいいや,です。

 それで,ブログなどにも舌出しの写真を載せています(左の顔写真)。セルフタイマーで,カメラに向かって「ベー」とやったんですよ。

 それを見た生徒は「アインシュタインだ!」ですが,中には「フランケンシュタイン」という子も。
 隣にいる子に「アインシュタインでしょ」というと「あっ,そうそう」
 アインシュタインとフランケンシュタインでは,ぼくの気分も反対!!

 小学生も知っている子が多く,「アインシュタインをよく知っているね」と言うと
 どうもCMか何かで出てきたそうですね。ぼくは見たことないのですが。

話をさえぎる
 ぼくは妻と話すとき,いらいらすることがあります。

 ぼくの妻は特別おしゃべりではないのですが,普通の女の人並みにおしゃべりです。失礼。

 だからたいていはぼくが聞き手です。でも,こちらが話を聴いてもらいたいことがあります。

 いつもではないのですが,まとまった話をするときは,ぼくはある程度話の順序というか構成というか,考えてから話します。きちんとではないのですが。つまりA→B→C→D→E→F・・ の順で話そう,というように。

 そして,話しはじめると,妻はちゃんと聞いているのですが,途中で質問が入ることが多いのです。A→B→C と話しているときに,Fのことを訊かれる。するといらいらしてしまうのです。話をさえぎられるといらいらするのです。

 友人と話していてもそんないらいらはあまり感じないです。妻とは近すぎるから感情的になってしまうのでしょうね。でも,友人との間でも実際はいらいらしているのでしょう。それを無意識に押し込めているのでしょう。

 妻は,自分のペースで聞いているのです。自分の関心が先に立つのです。前に,「それぞれが自分の人生では主人公」と書きました。妻は妻の人生の中で主人公なんです。


 ただ,人が話をしているときは,その人を主人公にしなければいけません。カウンセリングでは,相談に来た人(クライエント)が主人公なのです。
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-401.html

 だから,自分の気持ちを優先させて,質問をしてはいけないのです。相談をしているときはその人の身になって話を進めなければいけません。

 生徒との間でもそうです。生徒が話を始めたらそれに耳を傾けることが必要です。

 ぼくも含めて教育をする立場の人は,生徒より話しすぎることが多いです。生徒が話をしていてもそれをさえぎって,自分の説教をしようとします。

 前に書きましたが,共感と同情(同感)はちがいます。相手の気持ちと同じになって相手のいうとおりする必要はありません。ただ,とにかくまずは相手の言い分はきちんと聞くということがとても大切なのです。
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-99.html

 生徒が話している途中で,「それは言い訳でしかないだろう」と口をはさんではいけないのではないでしょうか。

 さて,偉そうなことを書きましたが,振り返って自分を見ると,ぼくもいつでも生徒の話をその子の立場に立って聴いているわけではないですね。
 もっと聴くように努めなければ。

秀栄畑
 飲み友だち上地秀栄さんの畑です。

 素人にちょっと毛の生えただけの農夫がやる畑ですから,ご覧の通り,雑草いっぱい。
ビールを飲みながら気楽にやっているからでもありますね。

 でも,ゴーヤー,なす,ピーマンなどができています。

 世捨て人のようにマイペースでこのような生活を送るのもまたいいです。

 この場は畑というよりも酒飲み友だちが集まって酒盛りをするところですね。よく集まって飲んでいます。

 決してホームレスのすみかではありません。 

人情劇ともしび
 13日 日曜は,国立劇場おきなわ 大劇場で,沖縄芝居公演「人情劇ともしび」を観ました。母,兄,妻といっしょです。
 沖縄芝居を観るのは,本当に久しぶりです。前に観たのはいつなのか覚えていません。

 大宜見小太郎さんの奥さん静子さんはまだ現役でがんばっているんだなあと感心しました。

 筋はとても単純ですが,楽しく観ることができました。芝居も生で観るといいものです。

 沖縄芝居は沖縄方言でやります。方言を聞くことのできない人のために,いまは字幕が出るのです。ぼくは一応聞き取ることはできるのですが,字幕がなくても筋を追うことはできます。ただ,たまに理解できない単語が出てくると,字幕で確認したりしました。
  ともしび


国立劇場おきなわ
Copyright © セルフ塾のブログ. all rights reserved.