セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

すっぱいぶどう
 きのう書いた「曲(きょく)なれば全(まった)し」は,「合理化」だったのかなあ,と振り返ってみました。

 「合理化」とは,フロイトの自己防衛機制のひとつで「満たされなかった欲求に対して、都合の良い理由を付けて自分を正当化しようとすること。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%B2%E8%A1%9B%E6%A9%9F%E5%88%B6

 よく例に出されるのが,イソップ話にある「すっぱいぶどう」

 きつねがぶどうの木を見つけた。枝にはおいしそうなぶどうがなっている。それをとろうとジャンプするが届かない。木にのぼることもできない。いろいろやってみたが,どうしてもだめ。
 きつねはぶどうを取ることをあきらめた。そしてつぶやいた。「あのぶどうはすっぱいんだ」と。

 ぼくらはよく合理化をします。

 彼女にふられた。しばらく悲しんだあと,思います。彼女のたしかに美人ではあるが,冷たかったなあ。ふられてよかったんだよ,と。

 大学に不合格し,一年間浪人した。そして思います。浪人してよかったよ。あのときに自分も鍛えられたし,いい勉強になった。現役で合格しなくてよかった。

 ぼくはそれでいいと思います。合理化をしないとそのストレスに負けて,自分がだめになってしまう。

 もちろん,いつも合理化ばかりしていては,向上しないでしょうから,これもほどほど。がんばったがどうしようもない状況は受け入れるしかないし,そのためには合理化もうまく使う。

 さて,沖縄が学力テストで最下位だった。それを,それもまたいいんじゃない,と思った。

 半分,合理化ですね。確かに。学力が最低というのは,やはりうれしいことではありません。できれば上に行きたい。

 でも,やはり老子の教えも「あり」ではないでしょうか。

 ぼくは,本物の学力をつけて欲しいとは思う。またテストでもいい点をとってもらいたい。しかし,テストでいい点を取ることを至上命令にしたくはないです。これは,合理化でもなく本心です。
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have to は不定詞か
mixi 「授業の工夫」で,次のような質問があったので,回答しました。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=34533483&comment_count=22&comm_id=380962

質問です
タイトルの通りhave to~は不定詞の用法の一つなのでしょうか?
その用法ならば,何用法なのかを教えてほしいです…

調べたのですが全くわかりません協力おねがいします





2 のTATSUYA と同意見です。

 ぼくは,不定詞を教えてあとで,have to を教えます。そして,この場合の不定詞は名詞的用法で,「~することを持っている」だと。

 Vista英和辞典p645 の例文に

 I have to go now.  私,もう行かなければ {← これから行く(to go)という状況がある(ので行かなければならない)}

 とあります。この辞書の編著者の若林俊輔さんは,語義を大切にする人でぼくは好きです。
 have を「ある」という語義で説明しています。

 なお,助動詞という解釈も成り立つし,その方が多いのではないでしょうか。文法というのは答えは一つではない。自分の納得するのでいいのではないかと思います。

 なお, 「must と have to のちがい」について,ブログに書いてあったので転載します。

 http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-75.html

must と have to はよく似た意味を持っています。
同じ意味だよ,と教えている人も多いようです。ぼくも以前はそうでした。

 でも,本当は違うのです。
 Vista英和辞典p925 から抜粋(一部手を加えて)します。

 must は,話し手または書き手がいま感じている「ぜひやってやろう」とか「ぜひやらせたい」という強い気持ちを表します。mustの役割は,この強い気持ちを表すことで,なぜそうなのかという理由の説明を付け足す必要はありません。

 have to は,
 「何らかの周囲の事情でそうせざるをえない状況にいま追い込まれていて,その理由も説明できる」という意味になります。

 それで,私のテキストでは
 must の文は,義務文(とにかく)
 have to の文は,義務文(理由あり)

 としています。

曲(きょく)なれば全(まった)し
 きょうの沖縄の新聞は「学力テスト沖縄再び最下位 (沖縄タイムス」,「全国学力テスト 沖縄2年連続最下位(琉球新報)」と騒いでいます。

 これといった対策がこの1年で進んだわけではないので,当然の結果です。

 それよりもぼくがおかしいと思うのは,新聞社は「全国学力テスト」を批判的に書いているのに,このように騒ぎ立てるところ。
 沖縄タイムスでは,1面だけでなく,社会面,社説でも取り上げ,5面くらいにわたってその関連記事があったと思います。
 
 批判するのなら,無視すればいいじゃないですか。まあ新聞社としては新聞を売らないといけないので,そうもいっていられないでしょうが。

 ぼくは「まあ,最下位でもいいんじゃない」と半分思っています。

 塾屋としては,好機到来とばかりにそれをあおって,学校に任せていたら大変だよ,塾に子どもを通わせないと,というところでしょうね。

 でも,テストの結果だけを追いかけても,おもしろくないですよ。

 ぼくはこれまで沖縄のいいところは「テーゲー」なところと何度も書いてきました。そして,そのテーゲーさが学力も低くしているのではないか,とも。

 テーゲーだから成果を求めない。「まあいいか」と自分も他人もゆるしてしまう。自分にも他人にも甘い。相手のミスを追求しない。だから心地よい。

 遅刻して来た人をとがめると「だっからよー!」
 「だっからよー」では,何のいいわけにもなっていないが,
 それをそれ以上追求せず「まあいいか」

 きちんきちんとしていれば,それは成果が上がるでしょう。しかし,ぎすぎすしていては大変。緊張しっぱなし。

 といったところかな。


 老子の言葉に,「曲(きょく)なれば全(まった)し」があります。

 森の中に入っていったら大きな大きな木があった。樹齢何百年。それで案内していた木こりに尋ねました。
「なぜこんなに大きくなったのでしょうね。」
 木こりが答えました。
「これは曲がっていて使い物にならないのですよ。」
(いつもの記憶で書いています。大意は間違えていないと思いますが)

 まっすぐな立派な木は,立派だからこそ切られてしまいます。曲がった悪い木は悪いから切られないですむのです。
 
 ぼくの仲間は,ぼく以上にテーゲーです。ぼくの方がまだしっかりしている。だから,仕事はすべてぼくにまわってくるのですね。
 そして,みんなはたのしくビールを飲んでいる。

 コンピュータもインターネットも使えない方が楽なんですよ,ある意味。

 だからテストの成績はよければいいというものではない。どうすれば幸せになるのかをまず考えましょう。


 ただ,誤解してもらいたくないのですが,勉強はすべきだと思っています。基本的な学力はみんな身につけてもらいたい。だから,強制もします。きびしくもします。

 でも,やはりテストの結果だけを追い求めても,おもしろくないですよ。

 mixiのだれかのプロフィールに,好きな言葉「いい加減」で,そのさじ加減が微妙と書いてあったと思います。

 そうです。テーゲーさも,さじ加減が微妙。

明日があるの娘(家庭からの通信)
 「家庭からの通信」で便りがあったので2通紹介します。

● 毎日,明日がある,明日がある,と余裕の娘を見て,親の方が口出ししてしまう。夏休みの宿題や休み明けの実力テスト。
 一学期の反省を生かして,自ら取り組まなければ,二学期も同じ学習内容,学校生活を送ることになります。本人に自覚して欲しいですね。(2008年8月18日)


 お母さんのお気持ちよく理解できます。つい説教が多くなります。でも,ぼくが見ていて娘さんは娘さんなりによくがんばっています。ある程度ののんびりは長所だと思いますよ。


● 漢字検定に向けて自宅でも頑張っている姿が見られます。一字一字丁寧に書いているのに上達しないと話していました。
 字は心で書くときれいに書けるようになるよと言うと納得していました。
 初めて挑戦するので合格して次につないで,検定を進級してほしいです。。(2008年8月18日)


 そうですか。家でもがんばっていますか。ぼくらにとってもうれしいことです。
 検定に申し込むと,目標になり,励みになります。やるからにはみんな合格したいと思うものですね。ぜひ合格して欲しいですね。

日本語検定,合格おめでとう!
 日本語検定合格

中学3年生の祥子さんが読谷中学校で行われた日本語検定3級に合格しました。

 学校で日本語検定を申し込んだので,勉強したいと祥子さんがやってきました。 これまで日本語検定を塾で指導したことはありません。だからぼくも内容をよく知りません。
学校の先生が問題集を貸してくださるとのことなので,それを用いて学習を進めました。申し込んだのは3級で,社会人・大学生・高校生 程度の日本語力だそうです。

 自分でいろいろ調べながら解いて,チェック係りに調べてもらい,分からないところは習いに来ます。敬語の問題を習いにきたのですが,ぼくもよく分からず,解答をみながら解説をしました。

 祥子さんは検定前に体調を崩し,休みが続いて勉強もはかどりませんでした。そしてあれだけ難しい問題です。
 受験はしたと聞いていましたが,まあ合格は難しいだろうと思っていました。

 しかし,きのう合格証書を持って,合格したよ,とやってきました。よかったです。あまり期待していなかっただけにうれしいです。

 おめでとうございます。


サンフランシスコで道を尋ねられる
 mixi、ブログにアメリカ旅行のことを書き込みました。それで妻とそのことについて思い出しながら語り合っていると、妻が「私はあれが印象に残っている」ということがあったので、書きます。

 最初に断っておきますが、たいした出来事ではありません。「飛行機が飛ばない」のようなハプニングを期待しないで。

 サンフランシスコでのことです。パック旅行といっても安いのをねらったので、フリータイムが多かったです。それはそれでよかった。

 妻と二人でサンフランシスコの街を地図を頼りにあちこち歩いていました。

 街角に立っていると、中国人らしい旅行者(男女の若いカップル)がぼくらに道を訊いたのです。ちょうど地図で確認していたところなので、バッグから地図を出して、説明してあげました。
 
 その方は「ああ、あなたたちも旅行者なんですね」と笑っていました。

 できごとはそれだけです。

 でも、不思議だと思いませんか。

 ぼくら日本人は日本で道に迷っても、外人さんに道を尋ねるということはまずしません。少なくてもぼくはしません。

 アメリカで立っていたぼくは外人です。そのぼくに道をたずねたのですから、びっくりです。

 アメリカはさすがに「人種のフルーツバスケット」です。いろいろな人種がいます。日系の顔をしていても外人ではないのです。
 だから、ぼくに道を尋ねたのですね。

 さて、沖縄に戻って、那覇の国際通りを歩いたときには、また逆の印象。周りを見回すとみな黒い髪で、肌の色も同じです。み~んな日本人。(考えるとあのころは茶髪はいなかったのですね)
 日本を訪れるアメリカの人はぼくと逆のイメージを持つのでしょうね。

 アメリカの人が、沖縄に移ってそして沖縄に住み着き、沖縄の人の中に入り込み、沖縄の言葉を使っても、いつまでも自分は沖縄の人として認められないとなげいている新聞記事を読んだことがあります。

 ぼくらにすれば、日本人(アジア系)とその他はすぐに見分けがつき、それを区別(差別?)してしまう。見た目に左右されてしまいます。

 アメリカの街角で道を尋ねられたことで、いろいろ考えてしまいました。

英作文で復習も
 mixiで次のような「相談」があったので,回答しました。相談は短くしてあります。

【相談】
 私は7月から個別指導の塾で中3の英語を教えているんですが、いまいち指導の方法がよくわかりません。
今は文法を中心に、していますが,

私としては本当に英語が身についているのか疑問です。確かに塾での勉強中は覚えるかもしれませんが、次の週には忘れてしまうというケースもあります

個別でもゲームなど印象に残る授業をするべきなんでしょうか




(以下はぼくの回答です)

 ぼくも,英文法を中心にやっていますが,練習問題は英作文です。

 その英作文は,新しい文法事項も入っていますが,既習の文法事項も入れます。

 例えば,前に三単現の否定文について学んだとします。

 新しく,「名詞の所有格('s)」を教えます。そして,練習問題に

「ジェーンの弟は野球をしません」という英作文をさせるのです。

 すると,新しいことを学びながらも,以前習ったことの復習にもなります。

 なお,英作文ですが,ヒントがあり,和英単語帳,ミニ事典などもつけてあるので,自分で解けるようになっています。

 英作文は,総合力が必要です。だから,復習を何度もすることになり,定着もするのですね。

飛行機が飛ばない!!!
 18年前のラスベガスのことを書いてきましたが,その3(たぶん最終)

 ツアー旅行ですが,そのときは添乗員はいません。延泊だったので。

 ラスベガスからサンフランシスコに帰るときのことです。

 現地ガイドがいろいろ手配してくれて,空港内へ。
 「いろいろありがとうございました」と礼を言って,現地ガイドとは別れました。もうぼくら夫婦二人だけです。

 でも,サンフランシスコの空港では,そこの現地ガイドが迎えてくれることになっています。飛行機に乗るだけですから,心配はありません。

 出発ゲートに座ってゆったりと搭乗案内を待っていました。
 出発時間の変更もあるかもしれないと思って,掲示板の方にはずっと注意を向けていたと思います。。

 すると,なんと,なんと,ぼくらが乗るはずの飛行機が飛ばないことになったのです。確か直前までは予定通りだったはずです。
 表示されているのを見て分かったのか,アナウンスを聞いて分かったのか,今は思い出せません。
 とにかく,ぼくらの飛行機が飛ばないことを知りました。

 同じゲート前に座っていた方(アメリカ人)も,動き始めました。
 ぼくはチケットを近くの人に見せ,同じ便だと確認すると,その人の行動を注意し見ていました。その人がどう動くのか。動くとそれの後をついて行きます。

 ぼくは人見知りが激しく,道に迷ってもまず人に尋ねることはしません。妻もです。だから,いつもは地図を広げてぐるぐる同じところをまわることが多いのです。日本でもそうです。ましてや,外国では。

 でも,そのときはそうは言っていられません。
 下手な英語を使って,あなたはぼくと同じ便ですね。どうなるのでしょうか。などと話しかけたように記憶しています。

 その人は係りの人に尋ねたりしています。ぼくもそのそばで聞き耳を立てていました。

 しばらく不安な時間を過ごしました。どのくらいたったか忘れました。20数分だったでしょうか。
 ぼくらの持っている搭乗券で他の飛行機に乗ることができるというアナウンスがありました。周りの人は係りの人のところに集まりました。ぼくも続きます。そう多くはありません。
 
 係りの人にチケットを見せ(交換してもらったのか?),新しいゲート番号を教えてもらいました。出発時刻はもうすぐなので急ぐように言われました。
 ぼくと妻は駆けました。後ろから必死でついてくる妻を気にしながら,人混みをかき分けながら走ったことは今でもはっきりと覚えています。

 無事に搭乗。席についたときには「これでサンフランシスコに行ける,そして沖縄に帰ることができる」とほっとしました。

 でも,まだなのです。

 サンフランシスコの空港に着きました。

 しかし,現地ガイドがいないのです。後でゆっくり考えると,しかたないことです。ぼくらの便がキャンセルになったことは分かったでしょう。しかし,ぼくらがほかの便に乗ったことは知らないはずです。もちろん,便名も。

 サンフランシスコの旅行社に電話しました。でも,休みだったのか,時間が遅かったのか,電話はとりません。

 しかたありません。自分らでホテルに行くしかありません。

 地図を広げたのか,ホテルの住所を見せたのか,とにかく近くの人にホテルへの行き方を教えてもらいました。

 バスで行くことにしました。バス停で待つのですが,それが行くかどうか不安です。同じところに待っている人に確認しました。
 カウボーイハットのきれいな女性がとてもていねいに教えてくれました。バスが来ると,これですよ,と教えてくれました。ぼくは深々とおじぎをしてお礼をいいました。
 日本で外人さんが迷っていたら,親切にしようと思いましたね。心から。

 さて,ホテルに無事着きました。ラスベガスに行く前に泊まった同じホテルだったと思います。

 ホテルに着いて,もう大丈夫だとほっとしたのですが,まだ続きました。ひとつの歯車が狂うと・・・というやつです。

 予約してあるはずだ,と言うのですが,すぐには認めないのです。ぼくは下手な英語でこれまでの経過を説明しました。そのことは理解できたようです。
 しかし,たぶん現地ガイドがいっしょに来て,そしてそれなりの手続きがあるのでしょう。それなしでぼくらだけが行ってもだめなのです。

 フロントの人は旅行会社に電話を入れますが,もちろん取りません。

 どうなるのだろうと不安でしたが,100ドルの保証金を出して欲しいと言ってきました。もちろん,それで泊まることができるのならと出して,部屋のキーと受け取りました。

 部屋に入り,ほっとしました。そして,近くの中華料理の店で夕食をとりました。ホテルがチャイナタウンの近くだったと思います。

 ホテルに戻ると,フロントの方が「ガイドの方からお電話がありました。ゆっくりお休み下さいとのことです」のようなことを言いました。

 翌朝,ガイドさんに会うと(俳優. 森繁久彌さんに似た年輩の方でした),大きな声で笑いながら,「無事でよかったです。仲松さんのような旅慣れした方でよかった」と。 

 ぼくらは決して旅慣れはしていませんよ。必死になって行動しただけです。
 でも,ガイドとしてもほっとしたでしょうね。確かに。

 彼によると,アメリカではよくあるそうです。飛行機が飛ばないことが。搭乗予定の人数が少ないときは,燃料費などを計算するとキャンセルした方が得で,そういうときはいろいろ理由をつけて飛ばないとのこと。

 「へえーー,ここでもお金かよー」と思いましたね。

フランクシナトラのディナーショー
 ラスベガスでのことを書きました。

ラスベガスでの米老夫婦との会話


 ラスベガスでのことを思い出したので,2つ話を書きます。きょうはそのうちの1つ。

 アメリカ西海岸旅行に出かけたのは,1990年の3月(いま調べました)。18年前です。7年間やった保育園「子どもの世界」を閉じて,塾だけにすることにしたときです。

 サンフランシスコ,ロサンゼルスの旅でした。パック旅行で,ぼくら夫婦のほかに新婚の夫婦1組がいました。それに添乗員がついていましたが,何かついでがあって特別だったようです。
 妻がグランドキャニオンも見たいとのことで,延泊し,ラスベガスに行ったのです。グランドキャニオンはラスベガスから行くのです。それには添乗員はつきません。

 さて,ラスベガスで,現地ガイドの方(女性)が,今夜はフランクシナトラのディナーショーがありますが,どうですか?とのこと。料金は確か100ドルだったと思います。約1万円だなあ,高いなあとは思いました。

 フランクシナトラは特に好きだというわけではありませんが,「マイウェイ」という大ヒット曲もある大スターだということは知っていました。

 日本でフランクシナトラを見るときは1万円では見られないでしょうね,とのこと。それも納得です。

 こういう機会でもないと見られないから,と妻が言うので,でかけることにしました。そして,予約してもらいました。予約はできました。
 案内する人にチップをあげたらいい席に案内してくれますよ,というアドバイスも。

 さて,時間的に余裕をもって出かけました。ガイドはいません。妻と二人だけ。

 もう,長い列ができていました。ほんとうに少しずつ進んでいきます。

 並んでいると,一人の男性が話しかけてきました。でも,どうしても何を言っているのか聞き取ることができません。ぼくの英語力もまだまだです。その人はあきらめて他の人に話しかけていました。

 並んでだいぶ待っていました。ほんとに少しずつ進んでいきます。入り口も見えてきました。なぜか知らないのですが,入るのを待たせています。しかし,時々後ろの方からやってくる人がすっーと中に案内されて入って行くのです。何だろうね,あの人達は。割り込みのようだけど,だれも文句も言わないので,特別な人なんだろうね,などと妻と話していました。

 そして,次はぼくらの番だというときです。
 これで,席はいっぱいになったので,もうおしまいというのです。

 えっ,予約してあるんだよ。なぜ????

 そういってもまったく聞く耳はありません。とにかくもう満席。

 お金は後でということで支払ってはないのですが,確かに予約はとったとのことでした。それで入場を断られるなんで・・・。日本では考えられないことです。

 そのとき分かりました。ぼくらが並んでいるときに話しかけてきた人は,いくらかチップをくれたら先に入れてあげるよ,ということだったのでしょう。そういうことがあるとはまったく知らないので,ぼくの英語では聞き取れなかったのです。
 
 そして,横から入っていった人たちは,チップをはずんだのでしょう。

 妻はさかんに怒っていました。アメリカのお金本位主義に。お金でこういうことも決めるのか・・・・。予約よりお金なのか・・・・。
 ぼくは100ドル出さずによかったじゃない,と思ったのですが,

 でもお金がこうもはばをきかす社会って好きではないです。

スペルを覚える生徒達
 セルフ塾では,もちろん「プログラム学習英語」を使っています。

 内容は,英文法中心です。そして練習問題は英作文です。

 英文を直訳したような日本語を与えて,それを英語に直すようにしています。それに用いられる単語を網羅した和英単語帳を与えての英作です。

 学研と旺文社の頻出順の英単語から上位のものを用いるようにしました。

 その和英単語帳をみればつづりは分かるのですが,生徒は自分でいろいろ工夫して英単語のつづりを覚えます。
 「水曜日」は「ウェドネスデイ」だから,Wednesday ,「来る」は,「コメ」come といったように。

 だから r と l , cとk の間違いをします。

 また,書けるけど発音はきちんとしていないという面もあります。もちろん和英単語帳にはカタカナ発音と発音記号を添えてありますが,英語で書くことが課題なので,発音よりつづりの方を先ず覚えるようです。

 欠点はいろいろあるのですが,ぼくは子どもたちが自分なりに工夫するということの方を重視して,どちらかと言えば「よく覚えているね」とほめます。
 感心するくらい,英単語はよく書けます。やはり慣れですね。

 その上に,単語の発音指導ができればいいのですが,なかなか時間がとれないといったところです。英語の勉強には時間がかかります。

英語プログラム学習 中1レベル

英語プログラム学習中2レベル

英語中3 プログラム学習

米軍雇用員にも文法は必要だよ
 ぼくの高校1年のクラスメートにケイさん(女性)という方がいます。

 バイタリティあふれる素敵な方です。

 米軍基地で働いています。英語は堪能です。メイドさんのような仕事ではなく,新しく沖縄に来た方(アメリカ人)の世話をしたりする仕事で,英語を使っての仕事です。数回,彼女の職場をたずねて彼女の仕事ぶりを見たのですが,英語を使って対応したり,スタッフと相談したり,もう英語づけです。コンピュータも使っていますが,もちろんすべて英文。

 時々は,日本語を忘れてしまうようなこともあると話していたように記憶しています。

 さて,彼女がぼくの英語の本のことを知り,いい本だと思ってくれたようです。もちろん,クラスメートとしてひいき目でしょうが。

 彼女は,基地内で働く沖縄の方にぼくの本を紹介して,かなり売ってくれました。

 彼女によると,文法はどうしても必要だそうです。

 以下,ぼくの思いこみも混じっているかも知れませんが,

 米軍基地で働くと,ある程度の英語はすぐに話せるようになります。ブロークンで,単語を並べるという感じで。

 しかし,何か問題があったとき,きちんと英語で伝える必要がある場合には,ブロークンだけでは通じなくなります。そのようにさらに一歩進むためには,英文法というのがどうしても必要になるのです。


 確かに大学入試のために学ぶ英文法をいくら知っていても英会話ができるわけではありません。米軍基地で働く方のほうがしゃべっています。

 だから,英会話ができるためには,どちらも必要なのです。

 ぼくは,ぼくのような英語を中学生に教えているような人ではなく,英語を使いこなしているケイさんが,英文法はやはり大切だよ,と言ってくれるのは,また格別にうれしく思います。
 ぼくのそれ以前のイメージでは,話せる人は,話せればいいのよ,と言うのかと思っていたので。

英語は難しい!!
 次の本を最近読みました。
 
齋藤 孝・斎藤 兆史著「「日本語力と英語力」

齋藤 孝・斎藤 兆史著「「日本語力と英語力」つづき

斎藤 兆史著「英語達人塾 極めるための独習法指南」

斎藤兆史著「これが正しい!英語学習法」

市川力著「英語を子どもに教えるな」


 これらの本を読んで,改めて感じたことは

「英語は難しい!!」

 ということです。
 
 ちょっとしたことで英語がうまくなる,という広告があふれています。聴くだけで英語がうまくなる,英会話教室に少し通えば・・・・,留学で・・・・などなど。

 しかし,そんなもんじゃないよ,ということです。

 単語を覚えて,文法を学び,英語を精読し,音読し,英文を暗記し,そして多読し,ネイティブの人とも実践を積み,それをずっとずっと続ける,

 そうする中でしか,英語の達人にはなれない,ということです。また,完成はないのでしょう。

 英語は難しい,ということをまず知らないといけないし,知らせないといけない。

 何で読んだのか,聞いたのか忘れましたが,

 高い山がある。それを低い山だと思って安易な気持ちで登っていくと,登り切れず,リタイヤする。最初から高い山だと覚悟を決めて登っていけば,頂上に達することができる。

 英語ってそういうものではないでしょうか。
 テレビなどで英語を自由に操る人をみるとうらやましいものです。それが容易く身につけることができたらいいな,と思います。

 しかし,なかなかそうはいかない。

 だから,最初から英語は難しいんだよ,その覚悟を決めて学び続けないといけないよ,ということを知ることが必要なのではないでしょうか。

ラスベガスでの米老夫婦との会話
 もう20年も前のことです。
 ぼくがアメリカにグループツアーででかけたとき,ラスベガスでのことです。 もちろん妻もいっしょです。

 ラスベガスでディナーショーを見に行きました。ずらっと並ぶ席に座っていると,ぼくの隣にアメリカの老夫婦が座りました。ぼくは下手ながらも英語でその方と話をしていました。彼らにとっては国内旅行です。

 ぼくらの会話を聞いていた本土の人たちは,ぼくが英語を話せるのは沖縄の人だからよ,のように思っていたようです。

 前回,帰国生は「帰国生だから英語がしゃべれるんだね」と思われると紹介しましたが,ぼく以上に英語が話せるのが当然だと思われるのでしょうね。

 なお念のために書いておきますが,沖縄の人だからといって英語がうまいということはありません。沖縄人の英語の力は本土より劣っています。
 ただ,うまくなりたいと思っている人にとっては機会はありますね。まわりにはアメリカの人が多いので。


 なお,アメリカの老夫婦との話の内容です。

 奥さんがチャイニーズ服を着ているので,そのことを話題にしたり,目の前に「禁煙」と書かれているので,「これ何と書いてるのか」と夫が尋ねるので「No smoking だ」と答えると,「そう思っていたよ」と返ってきたり,と楽しい会話をしていました。

 アメリカの○○州(もうすっかり忘れた)で,農業をしているとのことでした。

 彼が「どこから来たのか。東京か?」と尋ねるので

 「沖縄から」と答えると,「沖縄か」との反応。
 「沖縄をご存じなのですか?」
 「沖縄は戦争で行ったよ」
 そう言って,顔色を曇らせました。

 しばらく沈黙があって,ショーが始まったので救われたように思います。

 あの沖縄戦を体験したのでしょうね。アメリカ兵として。
 ぼくらは沖縄住民の立場での沖縄戦の話はよく聞いています。もちろん大変な戦争です。でも,アメリカ兵にとってもすさまじい戦争で,思い出したくないことなのだろうな,と思いました。

市川力著「英語を子どもに教えるな」
 


 この本を読んで,これまでいろいろ誤解していたなあ,と反省しています。
 これまでも安易に子どもに英語を教えるより,日本語をきちんとして,と訴えてきました。とにかく自分の国語を大切にすることだと。英語を話せると確かにかっこいいし,外国人と話をして得をすることもあるでしょう。しかし,それよりも中身が大切だよ,と。

 でも,この本では,それだけではない面を見ました。たぶん多くの人はぼくと同じように誤解をしているのではないでしょうか。


● わが子に英語を習わせたいと考える親のほとんどが、自分が英語嫌いになったり、英語力を身につけられなかったりした原因は、自分の受けた学校英語教育にあったと考え、さらに、乳幼児期から英語を教わらなかったために、自然に英語力を獲得する機会を逸したと悔やんでいるのではないだろうか。



( はい,ぼくはそのように悔やんでいるところがありましたね。ただ,子どもができなかったから,それで子どもに英語を,とはいかなかったけど,いたらたぶん考えたでしょう )

● しかし、ここに「甘い幻想」が生まれる素地があることに気づかなければならない。たとえ母語とともに外国語を学習する能力が子どもに潜在的に備わっているとしても、「動機づけ」「適切な環境」「適切な方法」のすべてがそろっていなければ、バイリンガルとして育たないという認識が抜け落ちている。


( はい,抜け落ちていましたね。もっと簡単なものだと思っていました)

● 私は、アメリカで育った日本人駐在員の子どもたちとの関わりを通じて、英語環境の中にどっぷりつかることで、ネイティヴ並みの発音で日常会話はできるようになっても、なかなか十分な読み書き能力は身につかない、母語である日本語の力を育てるのが難しい、母語喪失のりスクを負ってまで獲得した英会話の力も日本に帰国して使う機会がなければみるみるうちに失われていく、といった事例に数多く接してきた。この経験から、いくら早い年齢から子どもに英語を教えたとしても、並大抵のことでは、母語・外国語ともに、「話しことば」だけでなく、「書きことば」でも優れた能力を発揮できる、バランスのとれたバイリンガルにはなれないことを痛感した。



( バイリンガルって大変なことなんだなあ,とつくづく思います。 英語だけでなく母語の日本語も難しい )

● 日常会話レベルを超えて英語を使いこなすようになるためには、ある時期にー定期間英語漬けになって相当の訓練をしなければならない。と同時に、言語の違いに関係なく、論理的に物事をとらえる力、相手にわかるようにきちんと説明する能力、そして説明に値する内容のすべてを備えていなければ、高度な語学力は身につかない。英語を使って読み、書き、聞き、話せるようになるためには、単に子どもの時から始めれば済むわけではなく、英語自体の訓練以上に、思考力を高めることと伝えたい内容を持つことが大切であることを、私はアメリカで英語を身につけた日本駐在員の子どもたちに教えられた。


( 「思考力を高めることと伝えたい内容を持つことが大切であること」については,そう思っていました。しかし,こんなにきびしいとは思わなかった )

● 「僕のことを帰国生だとわかると、僕の人格なんてまったく消えちゃうんですよ。帰国生だから英語がしゃべれるんだね。帰国生だとアメリカ人の友だちもいっぱいいるでしょう。帰国生は入試で優遇されるからラッキーだよね。自分の意見をはっきり言うなんてさすが帰国生だよね。すべてがこんな感じです。帰国生という環境に偶然生まれたことで、僕の人生が決まったとみんな思いたいんでしょうね」



( ぼくもそのような傾向がありますね。帰国生に知り合いはいないけど,外国に住んでいた人は数人知っています。英語使えるのは当然でしょう,という感じのことを言ったかもしれない。反省。反省 )


● 私は、多くの帰国生と出会ってきて、幸一君のようにサバイバルできた例は、一部に過ぎないことをまざまざと見せつけられてきた。幸一君とまったく同じような状況で育った子が、結局、英語もうまく使えるようにはならず、日本語も中途半端なまま日本に帰国し、それを恥じた親が、アメリカに駐在したことをひた隠しにしたというケースも多い。私の心の底には、うまく救い上げることができなかった子どもたちへの思いが沈んでいていつまでも消えることはない。


( 英語圏に数年住んだら,みんな話せるって思っていました。一部にすぎないんだ )

● 帰国生に対して、日本での教育体験しか持たない人たちは、自分にもあの環境さえ与えられていたら、英語もマスターでき、いい学歴を獲得するにも、就職するにも有利だったろう という感情をどうしても抱いてしまう。帰国生が外国で苦労したといっても、自分たちだって日本で苦労したという気持ちがある。海外駐在員の家族は、現地で優雅な生活を送り、1いい思いをたくさんしたのだから、同情する気にはなれないと理解を示そうとはしない。



( はい,まさにそういう気持ちを持っていました。いいなあ,というあこがれがありましたね )


道代さんのように、相手の期待する「帰国生らしさ」に見合うだけの英語力を持ち合わせていないと感じた時に、日本に戻ってから、わざわざ努力して、そのイメージに近づこうとする帰国生は多い。帰国生自身とそして彼らを取り巻く人々との共同作業によって、「帰国生らしさ」という幻影はますます強固になっていく。


( 人の期待にこたえたいという気持ちが起こるのは,とても理解できます。ただ,それができてうまくなった人はいいでしょうが,それに押しつぶされてしまう人もいるのでしょう。かわいそう。 )


● オーストラリアの言語学者ギボンズは、「遊び場言語」と「教室言語」との二種類の言語があることを示した。

「遊び場言語」とは、子どもが友だち同士で会話をしたり、一緒に遊んだりする時に使う「日常会話のための言語」である。目に見える具体的な場面で使用されることばなので、言語以外の、表情や動作、声色などの手がかりを利用できる。したがって、省略されたり、不正確な表現があっても、理解可能なのだ。

 それに対して、「教室言語」は、先生が教科内容を説明する際に用いる「教科理解のための言語」である。教科書に使われている「書きことば」はまさに「教室言語」だが、「話しことば」も、論理的な説明や議論、問題解決の筋道を説明する際に使われる。このことばは、抽象的な思考のために使われるので、言語以外の手がかりを利用することはできず、正しい語彙を用い、文法的にも正確に表現しない限り、相手には通じない。



( これは感じていました。そして現在行われている会話中心の英語教育は「遊び場言語」しかできないようにしてしまう。文法をきちんと教えましょう,というのは,そういう意味だと思います。 )


●「日常会話言語」を習得したしベルに甘んじてしまい、「教科理解言語」をないがしろにしたままだと、子どもは、日本語も英語も「教科理解言語」の面で不完全な状態、いわゆるセミリンガルになってしまう。子ども本人もそして親も「英語がぺらぺらになった」と思った時が、実は正念場なのであ る。

( セミリンガルって初めて聞きました。でも,一見するとセミリンガルをバイリンガルって見てしまうのでしょうね。でもどちらも不完全では,それからの人生,大変です。)

● 「せっかくアメリカに来たのだから、子どもに英語を身につけさせないで帰るのはもったいない」と安易に発言する親が多かった。しかし、それは、大人の自分勝手な発想に過ぎない。英語を身につけながら、日本語を維持することは並大抵のことではない。比較的低年齢からアメリカに来ているのに英語力の伸びが芳しくない場合や、日本でもあまり読書習慣がなく、豊かな日本語体験があったとはいえない場合、英語も日本語も両方ともセミリンガル状態になる可能性が高いので、まずは母語である日本語の力を養う指導に重点を置くべきであろう。

(同感です。この本を読んでさらに強く思うようになっています)

現在分詞・能動分詞・進行分詞
一般に「現在分詞」と呼ばれている ing 形を「進行分詞」,「過去分詞」と呼ばれているものを「受動分詞」と呼んでいます。ただ,生徒が学校の授業で混乱しないように「進行(現在)分詞」,「受動(過去)分詞」と表示しています。また,学校ではね,・・・・,と説明も加えています。

 さて,「受動分詞」というのは,林野滋樹著「たのしい英文法」にあります。ただ,林野先生は,「現在分詞」を「能動分詞」と呼ぶことを提唱しています。「進行分詞」というのはぼくの造語です。いま,webで検索すると同じようなことを考える人はいるようで,いくつかヒットしました。

 さて,ここに,なぜぼくがあえて偉い先生に逆らって「進行分詞」という呼び方にしているのか書きます。

 その前に「たのしい英文法」で,分詞の呼び名について書かれているかしょを抜粋します。かなりていねいで長いので,要点だけ抜きます。




「過去分詞」のことをそう呼ばずに「受動分詞」と名づけたほうがよい,と世界でもー,二といわれる或る有名な文法学者が言っていますが,私もその意見に賛成です。

「分詞」というものが,その名のとおり,「動詞」と「形容詞」のニつのはたらきを分け持っている詞だということを思い出すでしょう。

(1) I like a sleeping baby.
(2) Look at that baby sleeping in the cradle.

sleepingは,上の二文のどちらにおいても,「眠る」という動詞の意味も持ちながら baby のようすをのべる形容詞のはたらきをしているのでした。

ところで,「過去分詞」のことを「受動分詞」と名づけほうが適切(ぴったり内容を表わしている)と主張しているあの文法学者は,同時に,「現在分詞」のことを「能動分詞」と呼んだほうがよい,と言っているのです。私もそれに賛成です。

(3) A ship is coming.
(4) A ship is broken.

(4) のa ship は,こわす方でなく,こわされた方なのです。つまり,「こわす」という動作を受けて,こわれている船なのです。

その,こわすという動作やはたらきを受けたという感じを表わしている言葉,それが,brokenなのです。こう見てくれば,broken(こわされて)を,「受動分詞」と呼ぶことは,ほんとうにぴったりくるではありませんか./「受動」とは,「動作を受ける」ということをかんたんにまとめた言葉なのですから。

これに対して,A ship is coming. の coming は,a ship のおこなっている動作をのべている言葉なので,「能動分詞」と呼ぶのにふさわしいといえます。なぜなら「能動」とは,或る動作や活動をする能力がある,という内容を短く言いあらわしたものであるからです。船には,こっちへやって来る能力(ちから。はたらき)があり,現にこっちへ向ってやってきている,というわけです。



「能動分詞」の方が「現在分詞」よりずっといいです。「現在分詞」には「現在」の意味はないが「能動」の意味はあります。「現在分詞」は明らかに間違えた呼び名ですが「能動分詞」は間違いとはいえないからです。

 しかし,coming に「能動」の意味があるのは,ing がついたからではありません。 come そのものにもう「能動」の意味があります。

 A ship comes. 「船が来る」で,come するのは a ship なのですから。

 では,ing がつくことでどう変わったのでしょうか。


「たのしい英文法」の「進行形」の説明は次のようになっています。

このように,何かが活動し動いているありさまを,生き生きと相手に伝
える表現 ・・・ これが「進行形」です。その「進行形」に,あの「分詞」が用いられるのです。(p154)

誰がいまどんな活動し動いているのかはっきりさせる ・・・ 「進行形」という 名称は,むしろここから生まれたといってよいでしょう。(p155)


 ここできちんと ing がついたからこのような意味になったとは書いていませんが,「活動し動いている」「活動し動いている」というような「進行」の意味が ing によって付け加えられたことは確かです。

 だからぼくは「能動分詞」より「進行分詞」の方がいいと思うのです。

動名詞と現在分詞は基本的に同じ
 ぼくは,動名詞と現在分詞(ぼくは進行分詞と呼んでいます)は基本的に同じものだと思っています。

 何かの文献で読んで,そうだそうだと思って,その後それで通しています。

 不定詞と動名詞との違いを説明するとき,動名詞,不定詞をとる動詞の説明にかなり都合がいいです。

 ただ,どの文献で読んだのかを思い出せません。

 きょう若林俊輔著「英語の素朴な疑問に答える36章」を眺めていたら,

 動名詞の説明のところで

 

( I like watching TV. の) watching には,ing がありますから,「今そうしている」という気分が表に出てくるのです。(p176)


 という文を見つけました。これは明らかに若林氏が動名詞と現在分詞を基本的に同じと見ているということです。

 ぼくが読んだのは,もっとはっきり書いてあったのですが,これだけでもデータとしてここに残しておきます。

分詞構文と進行の意味
 (前のぼくの現在分詞についてのコメントに次のような反論が出ました。)

>Yojiさん

自分の意見は、現在形が現在を表すわけではなく、過去形が過去を表すわけではない、全て取りあえずの名称だと思っているんで、「現在分詞」でも別にどうぞ、という所です。が、実際には「~ing…=名詞」「~ing…=形容詞」「~ing…=副詞」と表記することが多いです。
名称自体は普通に動名詞・分詞・分詞構文と分けてますが、結果的には「不定詞の~用法」と似た感じになってます。
で、それぞれ~ingは能動、p.p.は受動、と説明するので現在分詞、過去分詞って言う名称自体は事実上通り過ぎてしまうことが多いです。

その上で、面白そうなんでYojiさんに付き合って、からみたいんですが…

「進行分詞」って言うのは叙述用法、つまり<進行形>の時だけですかね?限定用法の時はどう思いますか?
分詞構文、つまり副詞の時は「進行」ではないと思いますが、これらはどう命名しますか?
あと動名詞や受動態の過去分詞、受動態の分詞構文、形容詞等で始まる分詞構文等で、特別な名称付けはありますか?この辺はトピずれかもしれないですが。


 文法用語については,以前意見交換を行いました。英語の文法用語には,実体とまったく異なった名前がついているので,直したらどうだろうかとぼくは思っています。
 成人病が生活習慣病に,精神薄弱者が知恵遅れに,精神分裂病が統合失調症に変わりました。このように実体とかけはなれていると分かったら名前を変えた方がいいと思うのですが,前の意見交換ではそう思わない人がかなりいました。だから,それについて意見交換を行う気はなくなっています。

 だから,現在分詞でいいと思っている人は,どうぞそのままで。

 さて
 質問に一応お答えします。

>>>「進行分詞」って言うのは叙述用法、つまり<進行形>の時だけですかね?限定用法の時はどう思いますか?

 限定用法でも「進行」でまったくかまわないと思っています。
 the boy playing baseball 野球をしている少年 ですよね。



>>>>分詞構文、つまり副詞の時は「進行」ではないと思いますが、これらはどう命名しますか?

 さて,ぼくは中学生を対象としているので,分詞構文には詳しくないのですが,

「フロンティア英文法」からの例文です。
(1) Reading the book, Mark heard a strange sound.
(2) Listening to the radio, Joe did his assignment.
(3) Having a cold, Kim didn't go to school.
(4) Being ill, Meg went to her office.
(5) Turning to the right, you will see the building.
(1)その本を読んでいるときに,マークは奇妙な音を聞いた.
(2)ラジオを聞きながらジョーは宿題をした.
(3)風邪をひいていたので,キムは学校に行かなかった.
(4)病気なのに,メグは会社に行った.
(5)右に曲がるとその建物が見えます.

(1) はまったく問題ないです。進行です。
もとの文は
(1) When he was reading the book, Mark heard a strange sound.(時)

 さて, ここからはぼくのまったくの仮説です。

 (1)の文で 接続語,主語,be動詞を省略することができた。そして意味も大丈夫。

 それはいいぞ,というわけで別のものにも広げていった。
しかし,ただ単に接続詞や主語を省略してしまうと,意味が違ってくる。

(2) Joe listened to the radio when he did his assignment. (付帯状況)

 は, Listened to the radio , he did his assignment.

にしてしまうと,過去分詞による分詞構文と見分けがつかない。

 どちらかと言えば「ジョーはラジオを聞いていた,そのときに宿題をした」ということだから, ing 形にしよう。

 同じく,(3),(4)も少々無理すれば,進行の意味にとれる。

(3) Since she had a cold, Kim didn't go to school.
(4) Though she wgs ill, Meg went to her office.

 しかし,さすがに(5)は「進行」の意味にはなりません。

 元の文は

(5) If you turn to the right, you'll see the building.

これの If you をとると Turn to ~ となり,命令文になってしまう。ここまで ing を広げようということになった。


 これがぼくの仮説です。正しいと言い張るつもりはありません。

 ただ,言葉というのは,もともとあったコアとなる意味があり,それが派生した意味,働きをもつようになります。それは例を挙げなくてもいいでしょう。

 そのコアはなにか,ということで,そのコアとなる意味を名前にするのが適切ではないかと思うのです。多くの文が「進行」で訳せるのなら「進行分詞」という方が,これから学ぶ人には学びやすい。無駄なエネルギーを使う必要がありません。

 生徒に「なぜ,現在分詞っていうの?」と訊かれても「そうなっているからそう覚えなさい」としか答えられない。

>>>あと動名詞や受動態の過去分詞、受動態の分詞構文、形容詞等で始まる分詞構文等で、特別な名称付けはありますか?

 それについてはないこともないのですが,ここに書くつもりはありません。

 テリーさんとは以前に意見交換をしたことがあり,ぼくにとっては実のあることはありませんでした。だから,これ以上意見交換をするつもりはありません。

 逃げると受け取ってまったくかまいません。


現在分詞の用法について
 mixi の授業の工夫のコミュで次のような質問がありました。

He is playing tennis now.

ingで現在分詞になりますよね。

現在分詞の語は品詞でいうと形容詞でしょうか?

形容詞なら ,Heが主語 ,is が動詞 ,playingが補語
というふうに第二文型SVCになりますかね。

そうするとtennisの品詞はなんでしょうか



( それに対してばくは次のように回答しました。)


 いろいろな考えがあると思いますが,

 ぼくは,林野滋樹著「たのしい英文法」にあるように,分詞とは,「動詞の働きと,形容詞の働きの2つに分かれている詞」と考えています。「分かれている詞(ことば)」だから分詞です。

 だから,
 He is playing tennis now.

 のplaying は形容詞として働き,SVCの文型だと考えた方が納得がいきます。ただし,学校では,これはis playing で述語動詞となり, He plays tennis. と同じ SVOとして教えているはずです。

 分詞は動詞としても働きます。だから, tennis は playing の目的語としての役割を果たしているのです。

 なお,林野氏は,現在分詞の「現在」というのはよくないと言っています。playing には「現在」の意味がないからです。

 He was playing tennis.
 He will be playing tennis. でも,playing が用いられています。時制にはまったく関係ないのです。だから,林野氏は,単に「分詞」と呼ぶか,「能動分詞」と呼ぶ方がいいと書いています。

 ぼくは,「進行分詞」がいいと思っています。 playing で「している」と「進行」を表すからです。

プレ入試行う
プレ入試
 きょうは,プレ入試(沖縄県立高校入試模擬テスト)です。

 セルフ塾には,21人の中学3年生が在籍しています。そのうち17人が受けています。1人はアメリカホームステイ,3人は陸上競技大会参加で欠席。

 陸上参加の人は月曜日,火曜日に行う予定です。

 これは1時間目の国語の時間です。いつもの学習時間ととがって静かです。

 きょうは午前10時から国語,理科,英語,2日目の明日は社会,数学を行います。これは入試の時間割と同じです。



漢字検定を行う
きのう22日(金曜日),漢字検定をセルフ塾で行いました。
 この写真は3時からの偶数級のときのものです。

 準2級3人,3級6人,4級15人,5級2人,6級9人,7級3人,8級3人,9級3人,計44人が申し込みましたが,3級1人,8級1人が欠席。42人が受検しました。

 セルフ塾では,2週間前から過去問題を解いて対策しました。

 多くの生徒の合格を願っています。

漢字検定




英語を学ぶ前に,日本語をしっかり学べ
 英語を学ぶ前に,日本語をきちんとしろ,
 というようなことが言われます。ぼくも常々感じていることです。

 きのうのことです。中学3年生に英語を教えていました。高校入試問題の過去問です。

 ( )に適切な1語を書き入れなさい。

A: Is Tom ( ) than Bob?
B: No, Tom is twelve years old, and Bob is eleven.

 いっしょに訳しました。分からない単語もあったので教えてあげ,全部訳すことができました。

 「もう全部日本語にしたよ。

『いいえ,トムは12歳,そしてボブは11歳。』
 than は比較をあらわすから,than BOb で『ボブより』になる。トムはボブより何って聞いているんだ?」

 すぐに答えが返って来ないのです。もう英語力の問題ではない,日本語力の問題です。

 ぼくに質問されて緊張していたのでしょうが,これではもうどうしようもない。日本語を何度も繰り返してやっと答えを導き出すことができました。

 上のようなことは初めてではありません。まああることです。

 日本語をしっかりしっかり築き上げることが大切で,それができるとそれを基にしながら英語を築くことができるのです。

佐倉統著「わたしたちはどこから来て どこへ行くのか?」
 何回か,難しい話を書いてきました。
 さて,このようなことに関心のある人に勧めたいのがこの本です。




 絵本のような感じ,子どもむけの感じの表紙です。中身も難しい内容をとても易しく書いています。
 この本は2000年8月の初版でぼくはその11月に読んだものですから,詳しい内容は忘れてしまいました。でも,いい本だったなあ,という感想は今も残っています。

 人間って何か? 遺伝って何か? そういったことを科学的に考えてみたい人にぜひお勧めです。

 ほとんど忘れていますが,ある章のタイトルだけだけはしっかり覚えています。

「現代人は自転車で高速道路を走っているようなもの ・・・・・ 危険がいっぱい!」

 です。そして酒の場などでこういった話が出ると,ぼくはこの言葉を言って,物知り顔で話し始めます。


 この内容,ぼくが語るより,佐倉さんに語ってもらいましょう。このような文です。分かりやすいなあ,おもしろいなあ,と思われた方,ぜひ全文を読んでみてください。

現代人は自転車で高速道路を走っているようなもの ・・・・・ 危険がいっぱい!

 遺伝的には、人間とチンパンジーはほとんど同じ、という話をしました。 一見おどろくようなこのデータも、いいかえると、それだけ生物の進化に は時間がかかるということを示しています。遺伝子はそう簡単には変わら ないものなのです。人間とチンパンジーが分かれてから今までぐらいの時 間(=500万年)で、やっと1%か2%だけ変化するわけです。

さて、これは逆にいうと、今の人間がもっている遺伝子、あるいは遺伝 的なプログラムというのは、ずいぶん前から変わっていないということに なります。実際、今の私たちがもっている遺伝子は、何万年か前の環境 - 石器時代の環境 - に適応していたという考えが主流です。たとえば、 chapter5で感情について述べたところでも説明しましたが、恐怖感からパニックになるというのは現代社会では非適応的です。いきなり道路に飛びだして車にはねられたりします。でもこの反応は、大昔、もちろん車なんてなかった石器時代には、それなりに適応的だったはずです。森の中でいきなりクマに出会ったら、大パニックをおこしてとにかく逃げだす方がよかったのではないでしょうか。でも、そういった感情は、自動車が跳梁(ちょうりょう)する現代社会には適したものではありません。感情のもとには遺伝子があるとすると、わたしたちの遺伝子は、現代の環境には適していないのです。

 このことを、アメリカの進化経済学者ボイド・イートンは「現代の人間という生き物は、オンボロ自転車で高速道路を走ってるようなもの」と表現しました。うまいたとえですね。自転車は、田んぼのあぜ道を走るには適した乗り物かもしれません。でも、高速道路を走るのには適していない。現に法律で禁じられています。人間が住む環境は、私たちの遺伝子が適応していた、何万年か前の状態から、大きく変わってしまいました。いや、人間が変えてしまったのです。とくに、産業革命以後の劇的な変化は、それまでにないものでした。その結果、私たち人間は、自転車(のような遺伝的構造)で高速道路(のような環境)を走っているのによく似た状況に直面するようになってしまったのです。現代の人間というのは、それぐらい、現代という環境には合っていないのだ、と。

 たとえば、肥満もそうです。ぼくもちょっと気を抜くとすぐ太るのですが、なぜ人間は太るのか? 病気によるものはのぞいて、食べすぎ飲みすぎによるものを考えましょう。昔の人は、いつも食料が手に入る状況ではありませんでした。だから、たまに獲物があったときは、ここぞとばかりに食べたのです。そして、次に獲物が手に入るまでは、木の実などで飢えをしのいでつなぐ。それでよかったのです。昔の人にとっては。

 ところが今、日本のような先進国では、いつでもどこでも誰でも、食料が簡単に手に入る状況になってしまいました。しかし、私たちの遺伝子は、ドカ食いを望みます。その結果、現代人は太りすぎになってしまうのです。昔の、餌が少ないときの状況に適した遺伝子を私たちがもっているために太りすぎになる。いや、正確にいえば、私たち人間が、脳が、私たちの遺伝子に適していない環境をつくりだしてしまったのです。でも、おそろしがってばかりはいられません。私たちは、自転車で高速道路を走っていかなければならないのです。それが人間の宿命です。何とかして、自転車で高速道路を走れるような方法を考えなければなりません。がんばれ一!


ブクログに追加
 きょうはブクログに読んだ本を追加しました。

 Yojiの本棚

 数人の人から,ブクログを読んだよ,と言われました。

 ただ,ブログには読んだ本を書いているのですが,それをブクログにコピーしていませんでした。きょう確認すると5月からやっていません。
 文はブログと同じですから,ちょっとコピー,貼り付けをすればいいのですが,少したまってしまうとやらないものですね。

 27冊分追加しました。以前読んだ本もあるので,この間読んだのは20冊ちょっとかな。

 きょうは月例テストの試験官をやっています。月例テストは基本的にやっていないのですが,一人の生徒が千葉の高校のレベルを知りたいとのことなので,今月だけやることにしました。親が千葉出身なのです。

 それで,時間があるので,追加してみました。

早坂隆著「世界の紛争地ジョーク集」




世界の日本人ジョーク集 ・ 世界反米ジョーク集 と読んでおもしろかったので,読みました。この本ももちろんおもしろかったです。
 おもしろいだけではなく,紛争地について勉強にもなります。

 紛争地でもこのようなジョークで笑っているのですね。

 声を出して笑ったもののなかからいくつかピックアップします。 もっとほかにも笑えるのがたくさんありますよ。

 
イラク
[誘拐事件]
ある時、サダム・フセイン大統領が何者かによって誘拐された。
数日後、犯人グループから大統領宮殿に脅迫電話がかかった。
「いますぐに百万ドル用意しろ。さもなければ大統領を生かして帰すぞ」


シリア
(鶏の運命)
ホムシーは鶏をニ羽飼っていたが、ある時そのうちのー羽が病気になってしまった。
彼はー羽を捌いてスープにし、病気の鶏に飲ませた。


ロシア
(罪状)
酔っぱらいが酒場でこう叫んだ。
「スターリンの大馬鹿野郎め!」
すぐさまやってきたKGBの手によって酔っぱらいは取り押さえられた。
酔っぱらい「ちくしょう!何だよ俺が何をしたって言うんだ!」
KGB「機密漏洩罪」


ハンガリー
(ハンガリー人とロシア人の会話)
ハンガリー人「今度、我が国に海軍省ができるんだ」
ロシア人「何だって?  でもハンガリーには海がないじゃないか」
ハンガリー人「でも君の国に文化省があるんだぜ」

 
クロアチア
(埋葬)
ある時、ザグレプ郊外にミロシェヴィッチの死体が転がっていた。それをニ人のクロアチア人が見つけた。
「大変だ。埋葬しなくては」
「いや、待て。俺たちが殺したと思われたら、ややこしいことになるぜ」
二人は結局、死体をそのまま放っておいた。
次にニ人のムスリムが死体を見つけた。
「大変だ。埋葬しなくては」
「いや、待て。俺たちが殺したと思われたら、ややこしいことになるぜ」
二人は結局、死体をそのまま放っておいた。
次にニ人のユダヤ人が死体を見つけた。
「大変だ。埋葬しなくては」
「そうだな。とりあえず、街の人たちに知らせよう」
ユダヤ人の通報によりたくさんの人が集まってきた。ユダヤ人は言った。
「それでは私たちが責任を持って埋葬しますから」
するとー人の街の人が言った。
「冗談じゃない。それだけはやめてくれ。君たちには絶対に任せられない」
ユダヤ人は不思議に思って聞いた。
「どうしてですか? 馬鹿にしないでください。しっかり埋葬しますよ」
男は首を横に振りながら言った。
「困るんだよ。だって君たちユダヤ人がかつて埋葬した人物は、後に復活したじゃないか!」


アメリカの子どもと同じように英語を学ぶ必要はない
 前の記事で,斎藤兆史著「これが正しい!英語学習法」から

 「みなさんは赤ん坊に戻れるわけでもなければ、戻る必要もない。(以下略)」を引用しました。

 似たようなことをぼくも書いています。沖縄タイムス2002年10月19日の論壇に掲載されています。





 「アメリカの子どもたちは文法を知らなくても、ちゃんと英語を話しているじゃないか」。英文法を教えている私たちに対するよくある批判である。「日本では、文法中心の英語を教えるから、中学から大学まで十年間学んでも英語が話せないんだ」と大抵は続く。

 アメリカの子どもは文法を学ばず、日本の学生は文法中心の学習をしている。そして、話す能力において、アメリカの子どもの方が日本の学生よりはるかに優れている。それは事実だ。私も認める。だが、そのことから、文法中心の教育は間違えていると結論づけるのは、論理的ではない。

 比較する場合には、ほかの条件はどうか、吟味すべきだ。まずは、学習時間。日本の学校では、学校や学年によっていろいろだろうが、一応英語の授業は週四時間。子どもによっては家庭、塾でも学習するだろうから平均で計週六時間の英語の学習時間とする。するとーカ月にニ十四時間,夏休みなどもあるか、単純に十二カ月としく二百八十八時間。

 一方、アメリカの子どもたちは、起きている間はすべて英語の学習時間だ。十時間睡眠として学習時間はー日十四時間。夏休みなどない。だから、三百六十五日で五千百十時間。

 教師も違う日本では、教師一人に対して生徒は三十人余。助手がつく授業であっても、その半分。一方、アメリカでは家庭教師がつく。それもー人ではない。お母さん役の先生、お父さん役の先生、おじいさん役・・・・。それも、みんな英語が達者な家庭教師だ。

 教育の場も異なる。日本では、基本的に教室だけだ。熱心な教師はカードの絵を見せながら単語を教える。一方、アメリカでの学習の場は無数だ。台所で、居間で、公園で、デパートで・・・。そして実物を使っての教育だ。実際にバナナを食べながらバナナの単語を教えてくれる。

 一方、アメリカの子どもたちは日本語を知らないが、日本の中学生は日本語をよく知っているという点も違う。さらに、アメリカの子どもは英語もまだ学習途上なので、言語能力か低く、抽象的思考が困難なのだが、日本の中学生は、日本語をかなり学んでおり、日本語による抽象的思考もできる、という点も異なっている。

 例えば、日本の中学生には「複数」「名詞」などといった文法用語を教えることは十分に可能だが、アメリカの三歳児にそういう文法用語を教えきれる人はいないだろう。

 このように、異なる点が多いとおのずと学習法も違ってくる。なお、アメリカの子どもは英文法を知らないわけではない。文法用語を知らないだけだ。例えば、「複数名詞の語尾にsをつける」ということはよく知っている。ただ「複数」「名詞」などといった用語を知らないし、そのようなことを理解する能力もないということだ。その代わり時間と教師に恵まれているので、実例を洪永のように聞かせて、体で覚えさせるという教育法でいく。一方、時間教師には恵まれないが、日本語能力、抽象的思考に優れている日本の生徒には、最初に「複数名詞の・・・」と文法を教えて、省力化をはかるわけである。

斎藤兆史著「これが正しい!英語学習法」


 とてもいい本です。多くの人に読んでもらいたい。本当に「これが正しい!英語学習法」だと思います。
 英語の「大道」です。


 

日本の英語学習者は、とかくべラベラと器用に話したがります。そしてまた、従来の文法・読解学習は間違っていた、英語圏の子供が英語を学ぶように、日常のコミュニケーションを通じて、「自然に、楽しく」身につけるのが本物の英語である、というような主張を耳にすることが多いため、日々の地道な学習を嫌う傾向にあります。

 もちろん、英語を器用に話せるに越したことはありません。しかしながら、何でもいいからしゃべればいいというものではない。中身のあることをきちんと伝えるには、そのような高度な会話を可能にするための堅固な基礎力というものがどうしても必要です。

 本書を手にした読者のみなさんには、そのような堅固な基礎力を養うための地道な学習をすることで、語学の「大道」を歩いていただきたい。そして、そのための学習法をこれから説いていくことにします。本書が、志あるみなさんの英語学習のー助となることを願っています。(p8~9)



 ぼくもそう思います。「大道」を歩く,基礎力を地道につけていくことが大切です。英語というのはとにかく難しいもの。だから簡単に身につくと思ってはいけないよ,ということです。

 文法学習もまったく同じです。一つーつの文法事項をゆっくりと正確に学習するからこそ、いつの間にか正しい文法が操れるようになるのです。文法を気にしないことが大事なのではなく、文法が気にならなくなるまでそれを体に覚え込ませることが大事だということを肝に銘じてください。(p21)



 はい,これもまったく同感です。だからぼくは中学生には学校の教科書とはまったくちがう文法中心の学習をさせているのです。

 

 第二の工夫として、毎日かならず英語で何かを書くようにしています。英語を話す機会の少ない日本人にとって、英作文はとてもいい英会話の練習になります。むしろいい加減な英語で日常的な用件を伝える練習をするよりも、丁寧に作文をする練習をしたほうが、最終的にはより高度な会話力を身につけることができます。(p29)



 英作文は英語の学習にとてもいいです。ぼくが作った英語の学習書「プログラム学習」の練習問題は英作文です。英作だとこれまで学んだことを総動員しなければできません。子どもたちが学習するのをみると,三単現のs,語順,動詞の種類(be動詞か一般動詞か)など,英作で身についていくのが分かります。

 みなさんは赤ん坊に戻れるわけでもなければ、戻る必要もない。みなさんは、すでに立派な言語使用者なのですから。英語圏の幼児が'
 Look out! という言葉を何度も聞き、それがどういう意味であるかを文脈から理解するまでにはある程度時間がかかるでしょうが、みなさんの場合、それが日本語の「気をつけろ!」の意味の命令文であると説明されれば、次の瞬間からでも使うことができる。つまり、日本語を手がかり足がかりとすることで、効率よく英語を学ぶことができるのです。(p38~39)



はい,これも同意見です。以前,どこかに書いたことがあります。ぼくら日本人は,日本語を知っているのですから,それを利用しない手はありません。

 私は、日本の昔の英語達人たちがどのような英語の勉強をしたのかをかなりくわしく調べましたが、全員、例外なく、修業時代のどこかで多量の英語を読んでいることがわかりました。もちろん、多量の英語を読んだからといってかならずしも英語達人になれるとはかぎりませんが、英語達人になった人が例外なく多読を践していたとすれば、多読は、少なくとも、英語達人になるための必要条件だと言うことができます。

 多読は、見方を変えれば速読にもなります。つまり、できるだけ遠くたくさん読むのです。したがって、精読用と同じ英文を使っても、違うものを使ってもかまいませんが、おのずと読み方は違ってきます。こちらは、あまりこまかいところにこだわることなく、全体の意味を取るような形で読み進めていけばいいのです。(p97~98)



 ぼくも一時期英語の本をたくさん読みました。アガサクリスティの本は楽しみながら読むことができました。古本屋で100円の本をさがしました。

 ある日、何気なくバラエティ番組などを見ながら夕食を取っていたときのことです。ある男性アイドル・グループの礼儀作法をチェックすると称して、作法の先生がアイドルたちの立ち居振る舞いを採点していました。

 そして、ある日本人が恩師の家をたずねるという場面を想定した演技の途中、アイドルのー人が持参したお土産を「つまらないものですが」と言って差し出したことについて、作法の先生の口から信じられないような言葉が飛び出しました。「それはだめです。自分が持ってきたお土産をつまらないものだと言って差し出す作法は、もはや国際社会では通用しません」。

 ご飯を口に運びかけた私の箸はそこで止まり、それを食べようと開いた口はそのまましばらくふさがりませんでした。先生はさらに講評を続けました。それによると、「つまらないものですが」と言わずに、「これは最近うちの近くで評判のお菓子なんです。ぜひお召し上がりください」のように言うのが正解なのだそうです。何のことはない、先の新渡戸稲造の文章を思い出していただければおわかりのとおり、日本の作法はもはや国際社会に通用しないから、アメリカ流で行きなさい、と言っているのと同じです。(p128~129)



 同感です。笑ってしまいます。そういうのを英語の先生が書いてあるのがまたおもしろいです。

 ぼくは,新渡戸稲造の「武士道」を読みました。とても良かったです。「国家の品格」にありましたが,これからの日本でも「武士道」精神は必要なことだと思います。


 むしろ私が深い喜びを感じたのは、英文学作品を読むことで英米、さらにはほかの英語圏の文化を理解することができたときであり、さらにその理解に基づいて自分たちの文化を考え直す機会を得たときです。最近では、英語の道具としての有効性ばかりが強調される傾向にありますが、本当の英語学習の楽しみとは、実用英会話よりもはるかに高いところにあるものです。(p134)


 その通りだと思います。このことに関しては薄々感じていたのですが,このようにしっかりと書いてもらうと,自信を持って語ることもできます。

ウウクイ(沖縄の旧盆)
 今年は沖縄のお盆も13日から15日でした。
 沖縄のお盆は旧暦で行い,7月13日から15日。だから毎年お盆最終日である「ウウクイ」は満月です。ウウクイは「お送り」のことだと思います。祖先の霊をあの世に送るという意味でしょう。
 第1日目は「ウンケー」といいます。「お迎え」でしょうね。
 ウンケーで祖先の霊をあの世からお迎えし,お盆の間は仏壇にいてもらう。その間,お供え物をしてもてなします。そして,ウウクイで霊を送るのです。

 この動画は実家でのウウクイの一こまです。最後にみんなで焼香しているのです。仏壇にはさとうきびやスイカ,パイナップルなどの果物をお供えしています。


嘉数高台
 嘉数高台に行きました。
 「去る沖縄戦では激戦地となり多くの犠牲者を出したといわれ」ています。宜野湾市のHPより。
http://www.city.ginowan.okinawa.jp/2556/2600/2639/kouen/309.html:

 眺めはすばらしかったです。展望台に上るとまわりがぐるっと見えます。この地域で一番高いところにあることが分かります。

 普天間基地,残波岬も見えます。双眼鏡でのぞくと座喜味城址も見えると言って,妻は喜んでいます。

 昼食は妻手作りの弁当でした。

 浦添市の美術館にも行き,「中右コレクション四大浮世絵師展」を観ました。
http://www.city.urasoe.lg.jp/art/tenji/kikaku/u.html

 かなりの人でした

決定論を受け入れ,楽しく生きる
 さて,特にコメント,質問,批判がない限りこの「自由」についての話は終わりたいと思います。

 最後に

 一番初めに,ぼくはエンゲルスの「自由は必然の認識」と書きました。
 エンゲルスも決定論者です。

 厳密にいえば,決定論からはそのような「自由」はありません。自由だと思っているだけです。

 でも,それでいいじゃないですか。

 厳密に考えていけば,自由意志などありません。でも,実際,生活の場では「ああ自由だなあ」と感じることは多々あります。

 それを無理して,いや本当は自由ではない,と思って無意味な悩みをしょいこむことはないと思っています。

 ぼくは宗教についてはよく知りません。
 しかし,神様に生かされている,のようなことを言っていなかったでしょうか。仏様も同じです。

 生病老死の苦を私たちは運命として受け入れるしかないのです。世の中無常であり,すべて空なのだと。(まあ,ほとんど分からないことを書いているだけです。)

 とにかく,そういうものだと受け入れてそして生きていけばいいのですね。

 正確ではありませんが,
 「浄土がいいということは頭では分かります。しかし,死ぬことは怖いのですが」と,問われた親鸞
 「いや,私も怖いのだ」と答えたそうです。

 生きていくことを追い求め,死ぬことを避けるように人間は作られています。それをそのまま受け入れて,うまく生きることを目指すべきではないかと思っています。
 

フロイトと自由意志,後催眠暗示
 精神分析のフロイトは,決定論者でした。すべての行動には原因があると考えたのです。だから,なぜこの人をこのような行動をするのだろうと考えて追求し,無意識を発見していくのです。すばらしいです。

 フロイトは催眠術が下手だったらしいです。だから実際だれがやったかは分からないのですが,次のようなことをどこかに書いていたと思います。原典をさがそうとしたのですが,本棚にフロイト「精神分析入門」が見つかりません。記憶で書きます。中心部分は間違えていないはずです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B1%E5%B1%A4%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6 のフロイトのところに軽く説明があります。

 ある男の人(Aさんとしましょう)に催眠術をかけました。そして,
「催眠術からさめたあと,私が軽く咳をします。そうしたらあなたは立ち上がって窓を開けます」と告げます。いわゆる後催眠暗示です。

 さて,実際,催眠術師が軽く咳をすると,Aさんはすっと立ち上がり,窓の近くまで行き,窓を開けました。

 そこで,催眠術師が尋ねました。「あなたは,なぜその窓を開けたのですか?」
 
 するとAさんは,ほんの少し考えましたが,「ええ,ちょっと暑いな,って感じたのです。窓を開けて風を入れたくて」と答えました。

 さあ,どうでしょうか。Aさんは自分の自由意志で窓を開けたと思っているのです。しかし,その一部始終を見ていた人にすれば,Aさんは後催眠暗示によって窓を開けたのは確かなことなのです。

 彼の行動は自由意志によるものではなかった。しかし,それを知らない彼は自分の自由意志によるものだと思っているのです。

 このように私たちは自分の意志でいろいろな行動をしていると思っています。
 恋人を好きになるのも,昼食に何を食べるか決めるのも,きょうの夜は何をしてすごそうか決めるのも。

 しかし,私たちが分からないところでそういうことはすべて決まっているのです。ただ,私たちは知らないのです。なぜ彼女を好きになったのか。なぜ,きょうカレーライスが食べたくなったのか,なぜ映画を観に行こうと思ったのか。

 行動分析学のスキナーも決定論者です。過去の刺激と現在の刺激によって行動は決定されると考えました。そして,その刺激を操作すれば行動も操作できると考えました。

 なお,過去の刺激というのは,産まれて以後だけではありません。それ以前の刺激すべてです。人間の進化に与えた刺激すべてです。
 スキナーは,人間は白紙で産まれてくるといって批判する人がいますが,彼はそうは言っていません。そのことについてはまたいずれ。
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