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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

アメリカの子どもと同じように英語を学ぶ必要はない
 前の記事で,斎藤兆史著「これが正しい!英語学習法」から

 「みなさんは赤ん坊に戻れるわけでもなければ、戻る必要もない。(以下略)」を引用しました。

 似たようなことをぼくも書いています。沖縄タイムス2002年10月19日の論壇に掲載されています。





 「アメリカの子どもたちは文法を知らなくても、ちゃんと英語を話しているじゃないか」。英文法を教えている私たちに対するよくある批判である。「日本では、文法中心の英語を教えるから、中学から大学まで十年間学んでも英語が話せないんだ」と大抵は続く。

 アメリカの子どもは文法を学ばず、日本の学生は文法中心の学習をしている。そして、話す能力において、アメリカの子どもの方が日本の学生よりはるかに優れている。それは事実だ。私も認める。だが、そのことから、文法中心の教育は間違えていると結論づけるのは、論理的ではない。

 比較する場合には、ほかの条件はどうか、吟味すべきだ。まずは、学習時間。日本の学校では、学校や学年によっていろいろだろうが、一応英語の授業は週四時間。子どもによっては家庭、塾でも学習するだろうから平均で計週六時間の英語の学習時間とする。するとーカ月にニ十四時間,夏休みなどもあるか、単純に十二カ月としく二百八十八時間。

 一方、アメリカの子どもたちは、起きている間はすべて英語の学習時間だ。十時間睡眠として学習時間はー日十四時間。夏休みなどない。だから、三百六十五日で五千百十時間。

 教師も違う日本では、教師一人に対して生徒は三十人余。助手がつく授業であっても、その半分。一方、アメリカでは家庭教師がつく。それもー人ではない。お母さん役の先生、お父さん役の先生、おじいさん役・・・・。それも、みんな英語が達者な家庭教師だ。

 教育の場も異なる。日本では、基本的に教室だけだ。熱心な教師はカードの絵を見せながら単語を教える。一方、アメリカでの学習の場は無数だ。台所で、居間で、公園で、デパートで・・・。そして実物を使っての教育だ。実際にバナナを食べながらバナナの単語を教えてくれる。

 一方、アメリカの子どもたちは日本語を知らないが、日本の中学生は日本語をよく知っているという点も違う。さらに、アメリカの子どもは英語もまだ学習途上なので、言語能力か低く、抽象的思考が困難なのだが、日本の中学生は、日本語をかなり学んでおり、日本語による抽象的思考もできる、という点も異なっている。

 例えば、日本の中学生には「複数」「名詞」などといった文法用語を教えることは十分に可能だが、アメリカの三歳児にそういう文法用語を教えきれる人はいないだろう。

 このように、異なる点が多いとおのずと学習法も違ってくる。なお、アメリカの子どもは英文法を知らないわけではない。文法用語を知らないだけだ。例えば、「複数名詞の語尾にsをつける」ということはよく知っている。ただ「複数」「名詞」などといった用語を知らないし、そのようなことを理解する能力もないということだ。その代わり時間と教師に恵まれているので、実例を洪永のように聞かせて、体で覚えさせるという教育法でいく。一方、時間教師には恵まれないが、日本語能力、抽象的思考に優れている日本の生徒には、最初に「複数名詞の・・・」と文法を教えて、省力化をはかるわけである。
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斎藤兆史著「これが正しい!英語学習法」


 とてもいい本です。多くの人に読んでもらいたい。本当に「これが正しい!英語学習法」だと思います。
 英語の「大道」です。


 

日本の英語学習者は、とかくべラベラと器用に話したがります。そしてまた、従来の文法・読解学習は間違っていた、英語圏の子供が英語を学ぶように、日常のコミュニケーションを通じて、「自然に、楽しく」身につけるのが本物の英語である、というような主張を耳にすることが多いため、日々の地道な学習を嫌う傾向にあります。

 もちろん、英語を器用に話せるに越したことはありません。しかしながら、何でもいいからしゃべればいいというものではない。中身のあることをきちんと伝えるには、そのような高度な会話を可能にするための堅固な基礎力というものがどうしても必要です。

 本書を手にした読者のみなさんには、そのような堅固な基礎力を養うための地道な学習をすることで、語学の「大道」を歩いていただきたい。そして、そのための学習法をこれから説いていくことにします。本書が、志あるみなさんの英語学習のー助となることを願っています。(p8~9)



 ぼくもそう思います。「大道」を歩く,基礎力を地道につけていくことが大切です。英語というのはとにかく難しいもの。だから簡単に身につくと思ってはいけないよ,ということです。

 文法学習もまったく同じです。一つーつの文法事項をゆっくりと正確に学習するからこそ、いつの間にか正しい文法が操れるようになるのです。文法を気にしないことが大事なのではなく、文法が気にならなくなるまでそれを体に覚え込ませることが大事だということを肝に銘じてください。(p21)



 はい,これもまったく同感です。だからぼくは中学生には学校の教科書とはまったくちがう文法中心の学習をさせているのです。

 

 第二の工夫として、毎日かならず英語で何かを書くようにしています。英語を話す機会の少ない日本人にとって、英作文はとてもいい英会話の練習になります。むしろいい加減な英語で日常的な用件を伝える練習をするよりも、丁寧に作文をする練習をしたほうが、最終的にはより高度な会話力を身につけることができます。(p29)



 英作文は英語の学習にとてもいいです。ぼくが作った英語の学習書「プログラム学習」の練習問題は英作文です。英作だとこれまで学んだことを総動員しなければできません。子どもたちが学習するのをみると,三単現のs,語順,動詞の種類(be動詞か一般動詞か)など,英作で身についていくのが分かります。

 みなさんは赤ん坊に戻れるわけでもなければ、戻る必要もない。みなさんは、すでに立派な言語使用者なのですから。英語圏の幼児が'
 Look out! という言葉を何度も聞き、それがどういう意味であるかを文脈から理解するまでにはある程度時間がかかるでしょうが、みなさんの場合、それが日本語の「気をつけろ!」の意味の命令文であると説明されれば、次の瞬間からでも使うことができる。つまり、日本語を手がかり足がかりとすることで、効率よく英語を学ぶことができるのです。(p38~39)



はい,これも同意見です。以前,どこかに書いたことがあります。ぼくら日本人は,日本語を知っているのですから,それを利用しない手はありません。

 私は、日本の昔の英語達人たちがどのような英語の勉強をしたのかをかなりくわしく調べましたが、全員、例外なく、修業時代のどこかで多量の英語を読んでいることがわかりました。もちろん、多量の英語を読んだからといってかならずしも英語達人になれるとはかぎりませんが、英語達人になった人が例外なく多読を践していたとすれば、多読は、少なくとも、英語達人になるための必要条件だと言うことができます。

 多読は、見方を変えれば速読にもなります。つまり、できるだけ遠くたくさん読むのです。したがって、精読用と同じ英文を使っても、違うものを使ってもかまいませんが、おのずと読み方は違ってきます。こちらは、あまりこまかいところにこだわることなく、全体の意味を取るような形で読み進めていけばいいのです。(p97~98)



 ぼくも一時期英語の本をたくさん読みました。アガサクリスティの本は楽しみながら読むことができました。古本屋で100円の本をさがしました。

 ある日、何気なくバラエティ番組などを見ながら夕食を取っていたときのことです。ある男性アイドル・グループの礼儀作法をチェックすると称して、作法の先生がアイドルたちの立ち居振る舞いを採点していました。

 そして、ある日本人が恩師の家をたずねるという場面を想定した演技の途中、アイドルのー人が持参したお土産を「つまらないものですが」と言って差し出したことについて、作法の先生の口から信じられないような言葉が飛び出しました。「それはだめです。自分が持ってきたお土産をつまらないものだと言って差し出す作法は、もはや国際社会では通用しません」。

 ご飯を口に運びかけた私の箸はそこで止まり、それを食べようと開いた口はそのまましばらくふさがりませんでした。先生はさらに講評を続けました。それによると、「つまらないものですが」と言わずに、「これは最近うちの近くで評判のお菓子なんです。ぜひお召し上がりください」のように言うのが正解なのだそうです。何のことはない、先の新渡戸稲造の文章を思い出していただければおわかりのとおり、日本の作法はもはや国際社会に通用しないから、アメリカ流で行きなさい、と言っているのと同じです。(p128~129)



 同感です。笑ってしまいます。そういうのを英語の先生が書いてあるのがまたおもしろいです。

 ぼくは,新渡戸稲造の「武士道」を読みました。とても良かったです。「国家の品格」にありましたが,これからの日本でも「武士道」精神は必要なことだと思います。


 むしろ私が深い喜びを感じたのは、英文学作品を読むことで英米、さらにはほかの英語圏の文化を理解することができたときであり、さらにその理解に基づいて自分たちの文化を考え直す機会を得たときです。最近では、英語の道具としての有効性ばかりが強調される傾向にありますが、本当の英語学習の楽しみとは、実用英会話よりもはるかに高いところにあるものです。(p134)


 その通りだと思います。このことに関しては薄々感じていたのですが,このようにしっかりと書いてもらうと,自信を持って語ることもできます。
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