セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

ノルマは力に応じて
 Ejさんから,再度質問がありました。



社会2ページ,理科3ページ,国文法1ページ,数学2ページ,言葉の意味調べ10語

 ↑
ということは、みんな同じノルマをその日の内に終わらせるってことで、
勉強が得意な子は早く終わらせることができて、苦手な子は時間が掛かるってことですよね?


 これがフィードバックの大切なところです。できるだけきちんと説明したつもりなのに,相手の疑問へまだきちんと答えきれていない。それをまた質問してもらうとそこについてまた詳しくできるということです。

http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-597.html

 前置きはそれぐらいで

 みんな同じようにノルマを与えているわけではありません。このノルマはできる子にとってもけっこうきついものです。

 それで,学校の席次で生徒を3つに分けます。読谷中は1学年約280人いるので,100番以内,101番以下200番以内,201番以下の3段階に生徒に分けています。要するに,成績のいい子,普通の子,悪い子に分けるのです。

 そして,100番以内の子はあのノルマの通りにさせます。
 101番以下200番以内の子は1科目程度減らします。
 201番以下の生徒はさらに1科目減らします。

 これは子どものやる気を重視するからです。ノルマがきつすぎると,どうせ終わることができないんだからと,やる気がおこらず,集中もしなくなります。だから,学力によって減らすのです。

 ただし,機械的に分けているのではありません。生徒と相談しながら決めます。100番以下なのだが,ノルマをこなせそうな生徒には,あなたは全部やるようにしようよ,と持ちかけます。こちらがそういうとまずやりますね。

 また,これまで100番以内だったが,下がって100番以下になった生徒が「ノルマ減らせるの?」とやってきても,あなたは100番以内は目指さないといけないから,これまで通りにしようよ,と言います。

 このように区別する以前に比べて,区別してノルマを減らした方が子どものやる気は出てきています。
 
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なぜオスとメスがいるのか
 きのうは,
 長谷川 真理子 著「オスとメス 性の不思議」



 の中の「有性生殖の有利性」を書きました。

 きのうも書きましたが,今までのところで一番おもしろかったのは,

 なぜオスとメスがいるか の説明です。

 以下の説明をこの本ではかなり詳しく書いています。正確に知りたい方はそれを読んでください。手元にその本を置かないでぼくなりの理解で書いてみます。本は少し離れたところにあるんで,取りにいくのが面倒だということもありますが,自分なりに書いてみたら自分の頭を整理できるかもということで自分のために書いてみます。

 なぜオスとメスがいるのでしょう。

 有性生殖が有利だといっても,別にオスとメスでなくてもいいそうです。確かにそうです。遺伝子を適当に交換することができればそれでいい。また,そういう生物もいるようです。

 まず,オスとは? メスとは? を確認しましょう。

 これはぼくも何となく考えていただけですが,まあ考えれば分かります。
 精細胞を持っているのがオスで,卵細胞を持っているのがメスです。

 では,精細胞と卵細胞の違いは?

 栄養を伴っているのが卵細胞で,伴っていないのが精細胞です。

 精細胞どうしが受精しても,栄養がないのでその細胞は生き延びることができないでしょう。

 しかし,卵細胞どうしが受精したら栄養は十分なので生き延びることができます。いまは卵細胞どうしが出合っても受精という機能はないので,できないでしょうが,それは進化の中でできるようになり卵細胞にその機能を持たせることは可能でしょう。

 それぞれが半分ずつの栄養を持っていて,それが受精することを考えることもできます。

 なお,受精というのは精細胞と卵細胞が合体することです。でも,卵細胞どうしが合体して遺伝子を交換しても別に構わないのです。

 では,なぜ精細胞と卵細胞ができたのか。

 卵細胞のいいところは栄養分を持っていることです。だから受精のあとその栄養分でその受精卵は生き延びることができるのです。

 では,精細胞は?
 栄養分を持っていないので,軽いということです。軽いものだから機動性がある。あちこち移動できるのです。栄養分を持っていないということが逆に利点になっているのです。

 逆にいえば,卵細胞に機動性がないということです。栄養分を持っているので重いのです。だから移動することが難しい。

 それで,栄養分を持って重い卵細胞は一定の場所にいて,軽い精細胞が移動してきて卵細胞と合体するということになったのです。

 ふつうの卵細胞がダイエットして50%の重さになったのは,少しは機動性があります。そういうもの同士が巡り会って合体することも考えられなくはないです。でも,シミュレーションをしたり,計算すると,片方に栄養分を持たせ,もう一方に十分な機動性を持たせた方が巡り会う確率は高いのだそうです。

 しかし,魚のように体外受精の場合は半分ずつ栄養をもった細胞を合体することもできるのではないかと思うのですが,どうでしょうか。
 魚はふつうはメスが卵細胞を水中に出して,そこにオスが精細胞をふきかけるのですね。それだけの短い距離でも機動性のある精細胞があった方がいいのでしょうか。

ノルマはいつ頃決める
 Ejさんから,ご質問をいただきました。

 「ノルマはいつ頃決められているんですか」という質問です。

 ノルマは妻Kyokoと二人で,年度初めに決めます。時間割を決めるのです。
 中学生の時間割は次のページにあります。

中学生の時間割


 中学1年生の月曜日の時間割は
月  社② 理③ 国文法① 数② 言⑩

 それで,社会2ページ,理科3ページ,国文法1ページ,数学2ページ,言葉の意味調べ10語 となります。

 だから,生徒は自分で時間割(塾の壁や各自の計画帳に貼ってあります)を見て,その日のノルマを確認をして,学習に取りかかります。それで,ぼくよりも生徒の方がその日のノルマをよく知っています。

 各生徒は,塾に来てタイムカードを押し,時間割を確認して,計画帳に記入。そして自分の課題に取り組みます。その間,あいさつはしますが,基本的はぼくらといっさい口をきかないことも少なくありません。

 時間割は,年度途中で変更することもあります。科目の進み具合をチェックしてある科目を増やし,別の科目を減らすというように。全体の分量はできるだけ一定になるようにしています。

 また,英検,漢検の勉強,学校のテスト勉強のときは時間割を変えることがあります。そういう場合は,基本的に妻Kyokoが考えて決め,ホワイトボードに書いて知らせています。

有性生殖の有利性

長谷川 真理子 著「オスとメス 性の不思議」を読んでいます。



 おもしろいです。

 今までのところで一番おもしろかったのは,

 なぜオスとメスがいるか の説明です。

 なぜか,考えたこともなかったです。それが当然だと思っていたのです。

 その前に,なぜ有性生殖が出てきたのか。
 それについては,前に別の本で読んで知っていました。ただ,それを知らない人が多いと思うので,ぼくなりの表現で書いてみます。

 無性生殖は,親子でまったく同じ遺伝子を持っています。だから,その子もまったく同じ。一族がすべて同じ遺伝子ということになります。

 それに対して,有性生殖の場合は,子どもは片親の50%,もう片方の親の50%をもらいます。だから,似てはいますが同じではありません。親族であってもみんな異なります。一卵性双生児の場合は同じですが。

 そのことは,アフリカの飢餓を思い出させます。
 アフリカの飢餓は欧米諸国の植民地政策によって起こったことだという説明です。
 植民地になる前のアフリカは,貧しいながらも今のような飢餓はなかったそうです。
 そこに欧米諸国が来て,植民地にしました。そして,資本主義の一員として一つの作物だけを作るようにしました。コーヒー,カカオなどです。
 つまり,コーヒーを作るところはコーヒーだけを作るわけです。

 さて,うまくいっているときはいいです。コーヒーだけを作った方が,いろいろな作物を少しずつ作るより効率的です。そして商品として売って,そのお金で生活に必要な物を買えばいいのです。

 しかし,天候不順でコーヒーができなくなったとします。すると全滅なのです。コーヒーしか作っていないので,何にもできない。

 少しずついろいろな作物を作っているときには,いもはできないが,とーもろこしはできるなど,全滅になることはありません。貧しいけど飢えることはなかったのです。

 無性生殖で増える生物は単作農業と同じです。みな同じ遺伝子ですから,病原菌がやってきて,やられると全滅してしまいます。

 しかし,有性生殖の場合は,みな異なる遺伝子です。ほとんどのものがやられても,その中にやられない個体がある可能性が高いのです。すると,それからまた繁殖が始まり,生き延びることができるのです。


 もうひとつ思い出したことがあります。
 この本の中では,同じ鍵穴を例としていますが,いまはもっといい例があります。インターネットのパスワードです。

 「ご冗談でしょう、ファインマンさん」だったか,ファイマンさんの別の本だったか忘れましたが,


 物理学者のファイマンさんは,とてもいたずら好きの人です。
 パスワード解読にこっていたファイマンさんは,ある学者のパスワードを解いてしまったのです。すると,その学者はすべてを同じパスワードにしていたのです。もちろん,すべて開けることができます。それはとても重要な情報だったようで,盗まれたと思ったその学者はとても青ざめたようです。
 その箇所は腹をかかえて笑いころげるぐらいおもしろかったです。(インターネットのパスワードではなかったかもしれません。)

 インターネットをやっていると,いろいろなところでパスワードが必要になります。パスワードを覚えるのはめんどうです。だから,すべて同じパスワードにしている人は少なくないですね。
 もう分かりますね。問題のないときは同じパスワードがいいです。ヤフーのパスワードは*****,楽天は*****,などとメモってなくてもひとつなら覚えることができます。
 しかし,それをだれかに解読されたらどうなるでしょう。すべてやられてしまいます。

 無性生殖にも長所はあります。しかし,まったく同じ遺伝子というのは全滅してしまう可能性が高いのですね。だから,有性生殖で異なる遺伝子にしていた方がだれかは生き残ることができる,ということです。

フレミングの左手の法則の変則
  中学2年の理科では,フレミングの左手の法則を習いますね。けっこうめんどうです。
 左手の親指,人差し指,薬指を直角にすると,親指は力,人差し指は電流,薬指は磁界の向きになるのですね。

 慣れるとそれぞれの位置に指を向けるのが簡単にできるのですが,慣れるまではなかなか大変そうです。あちこち向けているうちに指の向きが逆になったりします。

 そこで,フレミングの左手の法則の変則版を紹介しましょう。

 左手の指を全部伸ばします。人差し指から小指まではくっつけます。親指は他の指に垂直になるように立てます。
フレミングの左手の法則,変則

 親指は力,薬指(4本の指)は磁界の向きというのはふつうのフレミングの左手と同じです。

 ちがうのは,電流が手の甲から手のひらに向かって流れるとすることです。

 ちがいはそれだけですが,こちらの方が楽にできます。かなり楽なようです。

 ふつうのフレミングの左手の方が向きがはっきりしているので分かりやすいことは分かりやすいです。

 しかし,それを差し引いても変則の方がやりやすいです。

 以前はセルフ塾でもふつうのフレミングの左手をやっていました。
 現在大学2年生のY城S美さんが中学2年生のときです。学校でこの変則のものを習って,こちらの方がやりやすいと言っていました。
 ぼくもだいぶ前にそれをどこかで読んだような気がしましたし,基本的に同じことですから,どちらでもいいということにしました。

 その後,ふつうのものを基本的に教えて,なかなかうまくいかない生徒に変則を教えてみると,変則の方が楽にできました。数回そういうことがあったので,いまでは変則を教え,後で「一般的には・・・」といって普通のものを紹介しています。

 なお,慣れるまでは,手に記号や文字を書いてさせるとさらに楽にできるようです。

学び手は常に正しい
 昨日は,

島宗理著「インストラクショナルデザイン・・教師のためのルールブック」から「何かを教えても教わった方がそれを学んだとは限らない」というページを抜粋しました。

 その同じ著書から「学び手は常に正しい」という部分を紹介します。昨日の部分につながるものです。


鉄則12 学び手は常に正しい

 教えようとしていることがうまく教えられないとき、教え手は《個人攻撃の罠》に陥りがちだ。

 個人攻撃の罠とは、教え手が教えようとしていることを学び手が学んでいないときに、それを学び手や教え手の能力や適性、やる気のせいにしてしまって、改善のためのアクションをとらないことだ。

個人攻撃の罠

 児童が宿題をやってこなくて  
   → 「こいつらやる気がなさすぎだ」

同じことを繰り返し説明しても分からない生徒に
   → 「この子には適性がない」

授業中、ほとんどの生徒が寝ているか私語をしているのを見て  
   → 「私には教師の適性がない」

インストラクションを改善していくための鉄則中の鉄則として、《学び手は常に正しい》というルールを覚えておこう。

鉄則中の鉄則 学び手は常に正しい

 宿題をやってこないことが「正しい」という意味ではもちろんない。宿題をやってこない背景にはそれなりの理由がある。その理由が分かってみれば、児童はその理由にかなうて「正しく」宿題をしてこなかったことが理解できるという意味だ。宿題をやってこない児童がいるということは、宿題に関するインストラクションのどこかに改善の余地があると考えよう。

個人攻撃の罠に陥らず、宿題をやってこない理由や原因を児童のやる気や性格、能力のせいにせず、インストラクションの改善点として解明できれば、宿題をやってくる行動を増やすことができるようになる。




 このことは,ぼくが教材を作るときにいつも気にしていたことです。プログラム学習を作るときの注意点としてよく書かれていたからです。

 つまり,教材を作って生徒に与えます。しかし,与えっぱなしにしません。ほとんどの生徒がきちんと正解に達していればいいのですが,間違えている生徒が多いときは教材が悪いとするのです。そして,ほとんどの生徒が正解に達するように教材を手直しします。

 生徒ができないときは,生徒の理解力のせいにしてもしようがありません。
 教え方にまだ工夫が足りないということで,もっと工夫できないか考えることが大切だということですね。




何かを教えても教わった方がそれを学んだとは限らない
 島宗理著「インストラクショナルデザイン 教師のためのルールブック」のp18~19を抜粋します。

 「インストラクション」とは,教育の広い意味で,「何らかの行動を引き出すたえの仕掛け」です。

 

「何かを教えても教わった方がそれを学んだとは限らない」

矛盾しているようだが、インストラクションの現場では日常茶飯事に起こっている現象だ。

 ・ 分数の授業はしているが、計算ができないままの子どもがいる。
 ・ スノーボード講習を受けたがうまく滑れない。
 ・ 交通違反をした人に事故の怖さを教えるビデオを見せるが、また違反して戻ってくる。

矛盾の原因は 《教える》というコトバと 《学ぶ》というコトバの関係にある。

ここだけの話・・・
《教える》=《学ぶ》ではない

 《教える》はインストラクションを与える《教え手》側のさまざまな行動や働きかけであり、《学ぶ》はインストラクションを受け取る《学び手》側の行動の変化である。両者はそもそも別物だから《教える》=《学ぶ》ではないのも当然と言えば当然なのだ。

もちろん、そんなことを堂々と言っていては《教える》ことがプロの仕事として認められない。だから、できるだけ《教える》=《学ぶ》になるように、それぞれが工夫することになっている。

この「ことになっている」というところがミソである。

 小学校の授業でも、ゲレンデのスノーボード講習でも、カルチャースクールの生け花教室でも、多くの場合、教え手は《教える》ことに責任は持っても《学ぶ》ことまでは保証していない。

学校では教科書通りに授業を進めて、何回か発問し、板書でもしていれば「教えた」ことになる。生徒の3人にひとりが落ちこばれていたとしても。カルチャースクールでもプログラム通りに講習会が終了すれば修了書がわたされる。参加者全員が目標に到達しなかったとしても。


 

 これまで書いてきたことですね。
 教師は,ある知識を伝えようとして話した。しかし,生徒の頭の中にはそれが入らなかった。知識は伝わらなかった。
 教えはしたが,学ばなかったということです。
 学ぶまでいかないと本当の教育にはなりません。教育をしたつもりということです。

 だから,私たちは生徒は私たちが伝えようとしたことをきちんと学んだかをいつも気にしなければいけないのです。

 なおこの
島宗理著「インストラクショナルデザイン 教師のためのルールブック」
 は,今行動分析の立場から書かれた数少ない教育書です。多くの方に読んでもらいたいです。




フィードバックの実験
フィードバックの実験
 フィードバックがどんなに強力なものなのかが分かる実験を紹介します。

 まず2つの幾何的図形を準備します。この実験が書かれていた本をさがしたのですが,見つからないのでぼくが適当に描いてみました。

 一人の人が図形の説明をして,その他の人がその説明を聴いて,その図を再現して描くというものです。

 準備するのは鉛筆と紙。それと図形です。消しゴムもあった方がいいです。

 説明をする人を「説明者」,その他の人を「図再現者」としましょう。
 説明者は1回につき1人,図再現者は何人でもかまいません。

 2回行います。「フィードバックなし」と「フィードバックあり」です。

 「フィードバックなし」では,図再現者は「質問してはいけない」ということにします。説明者が一方的に説明を行い,図再現者は,その説明を聴くだけで,図形を再現しなければいけません。

 「フィードバックあり」では,図再現者が質問をいくらでもしていいことにします。分からなくなったら,すぐに質問して詳しく説明してもらうことができます。何回質問してもかまいません。

 2回のちがいはそれだけです。「質問なし」と「質問あり」です。

 生徒に説明をさせる場合は,最初の「フィードバックなし」は一番説明がうまいと思われる生徒にさせましょう。

 そして2回目の「フィードバックあり」は,2番目か3番目に説明の上手な生徒にさせてみましょう。

 また,図形は同じ程度に複雑にすべきですが,同じ複雑さの2つの図形を描くのは難しいです。だから,フィードバックなしの方で単純だと思われる図形を使います。

 「フィードバックあり」の方が成績がよくなるはずです。それを説明する人がよかったとか,図形が単純だったということにしてはいけないからです。

 1回目が終わっても正解の図形は見せずに,2回目を行いましょう。1回目の図形を見せると,2回目の実験のヒントになります。1回目を行っただけでもヒントになりますが,まあそこはしようのないこととして。

 この2つの違いは明白です。実験をしたらすぐに分かるはずです。

 フィードバックなしでは,いくら上手に説明したと思っても,まず同じ図形は描けないはずです。

 一方,フィードバックありでは,ほとんどの人が同じ図形を描けます。

 フィードバックなしのとき,図再現者はいらいらします。うまく描くことができないからです。そのいらいらは説明者に伝わるかもしれません。1つのフィードバックです。それで説明を詳しくしようと思うのですが,どこをどうすればいいのか分かりません。

 フィードバックありでは,活発な質疑がおこり,図再現者も楽しそうです。
 「待って,待って,ひし形は縦と横,どこが長いの?」
 「今言ったこと,もう一回言って」
 「弧って何だったっけ?」などなど。

 この実験をすれば,フィードバックありの授業をしなければいけないということがよくよく分かるはずです。
 フィードバックありの授業とは,教師が行った授業を生徒がどのくらい理解しているのか,子どもたちの反応を気にする授業です。それについては次回に詳しく。

 なお,これは厳密な心理学の実験ではありません。厳密にするためには,フィードバックあり,なし,以外は同じ条件にしなければなりません。それはめんどうです。研究ではないので,上の手続きくらいで理解できるはずです。

生徒に知識が伝わっていますか
 子どもに愛が伝わっていますか,ということで,

 客観的に愛しているというだけではなく,その愛が子どもに伝わって,子どもが愛されていると感じることが大切だと,書いてきました。


 少し,視点を変えてみます。

 授業において,いい授業なのか,悪い授業なのかは,客観的なものはない,という話をします。愛と同じです。それが知識に変わっただけです。

 教師は,ある知識を生徒に伝えるために,いろいろ工夫します。下調べを十分にして,そしてイラストを使ったり,ユーモアのあるじゃべりかたをしたり,例をあげたり,
 とにかくいろいろな手を使って,「いい授業」をしたとします。

 しかし,それでいい授業になったかどうかは分かりません。

 肝心なことは,それが子どもに伝わったかどうかです。

 中学2年生で連立方程式を学びます。教師は,分かりやすい説明をしたつもりでいても,生徒達が連立方程式を解くことができなければ,その説明は悪かったということになります。

 同じ説明でも,Aさんは理解して解くことができても,Bさんはできなかったとしたら,Aさんにとってはいい説明で,Bさんにとっては悪いものだったといえます。

 だからぼくらは自分の授業に酔ってはいけないのです。

 一斉授業のときには,自分の授業に酔うことがありますね。ぼくもあります。

 ある説明をして,うまく話せたなあ,と感じることがあります。きょうの授業は100点満点だと自己評価します。

 でも,後で生徒が問題を解くが解けないというのをみて,なぜあの説明でできないんだ,と腹を立ててしまうことがあります。

 でも,その腹を立てる方向は生徒ではなく,自分でなければいけないのですね。生徒ができないということは,ぼくの説明が悪かったからだ,ということなのですから。

 いい授業というのは,教えようとする知識が生徒にきちんと伝わった授業なのです。
 

フィードバックと子育て
 mixiにも「主観的世界,客観的世界」を書いています。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=35245141&comment_count=6&comm_id=1037793

 コメントがあったので,コメントしました。


だから、僕は子に対して腫れ物にさわるように扱う(あえて酷な表現を選びました)ことに反対です。

上手に育てようとした挙句、デリケートに育てすぎて打たれ弱い子になってしまうケースを最も恐れる立場からの意見です。

もちろん、ケース・バイ・ケースで色々な子がいて色々な親が存在し、様々な考えがあっていいと思います。

Yojiさんに提供していただいたテーマから逸れた、主観・客観の話とずれ、さらに先生や講師としての立場より、親と子についての色の強い意見を書いてしまいました。
また、なんの客観性や裏付けもない僕自信の狭い意見で申し訳なく思います。

こんな言及しにくいテーマを横入れしてしまう形になりましたが、僕自信、自分が子を持ったらどう接し、育てていくかについて考え出す歳になりました。
塾講師をアルバイトでやる傍らそんなことも考えています。

もし、興味がわいたらこんな話にも少し触れてみて下さい。




こぉへさん

 コメント,ありがとうございます。

>>>こんな言及しにくいテーマ

 ぼくは,そんなつもりではなかったのですが,これもぼくの主観とまたみなさんが受け取って主観のずれです。

 どんどん横やりを入れてくださった方がうれしいです。
 ぼくは,ぼくが学んだこと,考えていることを書き込んで,それをたたき台にして,みなさんがそれぞれの意見を書き込んでくれたらと思っているところです。そういう意味で,こぉへさんのコメントはうれしいです。


 子どもにどのような影響を与えているのかを気にするあまり,はれ物にさわるようになるのは,確かにあり得ますね。

>>>上手に育てようとした挙句、デリケートに育てすぎて打たれ弱い子になってしまうケース

 も十分にあり得ることです。

>>>いろいろな親が存在し、様々な考えがあっていい

 これも納得です。

 そういうことに全く言及していませんでした。それをこぉへさんが補ってくれたことに感謝いたします。


 ぼくは,このトピで「フィードバック」の大切さを書こうとしています。

 もう30年も前のことです。運転免許のために教習場に通いました。最初の日だと思います。
 助手席に座った教官がぼくにたずねました。
 「いま,タイヤはどこを向いていると思うか?」
 ぼくはもちろん「分かりません」と答えました。
 「では,どうすれば分かるか?もちろん,車の外に出てはいけない」
 考え込んだぼくは「車を歩かせれば分かります」と答えました。
 「そうだ。ぼくでも車を動かさないとタイヤの向きは分からない」

 車の動きを十分に注意するということです。
 車が右に曲がりすぎているときは,左にハンドルを切る。逆に左に曲がりすぎていると右に切って,自分の思っているところに車を進ませるようにします。

 結果が返ってくるのを考えにいれて,自分の行動を調整するのです。それをフィードバックといいます。

 はれ物にさわるように,デリケートすぎる育て方をして,打たれ弱い子になっていないか,それをみて,育て方を考え直すのもフィードバックです。

 頭のいい子に育てたい,やさしい子に育てたい,たくましい子に育てたい・・・・,それはいろいろです。それでいいのです。

 でも,やさしい子に育てたいと思って子どもに働きかけをします。例えば,ねこを飼ってかわいがるようにするやさしい子に育つと本にあったので,それを実行したとします。ぼくがここでいいたいのは,それで終わってしまってはいけない,ということです。

 そのペットを飼ったために子どもがどのように変化するのかを十分に気をつけなければいけないということです。やさしい子に育つようにした親の「つもり」が,そうなっているのかをみるようにしなければいけません。そして,それがうまくいっていると判断したら,それを続け,もしうまくいっていないと判断したら,変更することが必要になります。

 「打たれ強い子」に育てたいと思って,きびしく育てようとします。その加減が難しいですね。きびしすぎると心にゆがみがでてくる可能性があります。きびしさが足りないと「打たれ弱い子」になります。それがうまくいっているのかは,子どもをみることです。

 長々と書いてしまいました。みなさんからの反対意見などは,このコミュニティがうまくいくためにフィードバックになります。どんどん横やりを入れて欲しいです。

 よろしく。

しっかり死んでください
 「アドラー心理学入門」の著者岸見一郎は
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-587.html
 で引用した文に続いて,
次のような例を書いています。


 家族で「四国の森の村」に帰省していた大江健三郎一家が東京に帰る日、娘が帰りの飛行機の中でしきりに気にかけていることがあった、と大江健三郎が書いています(大江健三郎『恢復する家族』講談社)。息子の光さんが家を出るとき、おばあさんに、それも大きな声でこういったのだそうです。

「元気を出して、しっかり死んでください!」

おばあさんはこれに対して答えました。

「はい、元気を出して、しっかり死にましょう、しかし、光さん、おなごりおしいことですな!」

 幸い回復するのですが、しばらくしてからこういわれたそうです。

 「自分が病気である間、いちばん力づけになったのは、思いがけないことに、光さんの最初の挨拶だった。元気を出して、しっかり死んでください・・・その言葉を光さんの声音のままに思い出すと、ともかく勇気が出た。もしかしたらそのおかげであらためて生きることになったのかもしれない」


 ふつうは,お年寄りに「しっかり死んでください」とは言いません。禁句です。
 でも,その言葉がおばあさんを勇気づけたのです。

 ふつう「がんばれ」という言葉は人を励ます言葉です。
 テレビを観ると,マラソンで走り終えた選手が,みなさんの「がんばれ」の言葉に後押しされて走り続けることができました,のようなことを言っています。

 でも,この「がんばれ」を鬱病に人に言ってはいけないそうです。そのがんばれが鬱病の人を苦しませるというのです。

 つまり,相手の主観的世界の中で,その言葉がどのように働いているのかを気にしないといけないということです。

分数のわり算(小6),タイル図での指導
 分数のわり算について,ぼくがどのように実際に教えているのか,いい機会ですから,まとめてみます。このタイル図での指導の後で,それぞれの計算の仕方を教え,練習に入ります。

(1) 分数(分子が1)÷整数

【問1】 3dl(デシリットル)のペンキで1/5m²ぬれます。1dlでは何m²ぬれますか。
式を書きなさい。(式だけ)   式( 1/5÷3 )

タイル図で考えてみましょう。
3dlで1/5m²,1dlではいくらか,という問題なので図1のようになります。
図1右のタイル図はたては5等分,横は3等分してあるのでひとつの小さなタイルは
1/5×3=1/15 です。    
分数わり算1


(2)真分数÷整数

【問1】 3dlのペンキで2/5m²ぬれます。1dlでは何m²ぬれますか。
式を書きなさい。(式だけ)   式( 2/5÷3  )

タイル図で考えてみましょう。
3dlで2/5m²,1dlではいくらか,
という問題なので図2のようになります。
図2右のタイル図はたては5等分,横は3等分してあるのでひとつの小さなタイルは
1/5×3=1/15です。
それが2個ですから 2/15になります。

分数のわり算2




(3) 分数(分子1)÷分数(分子1)のタイル図

【問1】 1/3dlのペンキで1/5m²ぬれます。1dlでは何m²ぬれますか。
式を書きなさい。(式だけ)
  式( 1/5 ÷ 1/3 )

タイル図で考えてみましょう。
1/3dlで1/5m², 1dlではいくらか,という問題なので図3のようになります。
図3右のタイル図のように1/5が3つなので3/5になります。

分数のわり算3


(4) 真分数÷分数(分子1)のタイル図

【問1】 1/3dlのペンキで2/5m²ぬれます。1dlでは何m²ぬれますか。
式を書きなさい。(式だけ)
  式( 2/5 ÷ 1/3 )

タイル図で考えてみましょう。
1/3dlで2/5m², 1dlではいくらか,という問題なので図4のようになります。
図4右のタイル図のように1/5が2×3の6つなので6/5になります。           

分数のわり算4


(5)分数(分子1)÷真分数のタイル図

【問1】 2/3dl;のペンキで1/5m²ぬれます。1dlでは何m²ぬれますか。
式を書きなさい。(式だけ)
  式( 1/5 ÷ 2/3 )

2/3dlで1/5m², 1dlではいくらか,という問題なので図5のタイル図になります。
小さなタイル2つで1/5なので1つでは1/10それが3つなので3/10になります。          
分数のわり算5


(6)真分数÷真分数のタイル図]

【問1】 2/3dl;のペンキで3/5m²ぬれます。1dlでは何m²ぬれますか。
式を書きなさい。(式だけ)
  式( 3/5 ÷ 2/3 )

2/3dlで3/5m², 1dlではいくらか,という問題なので図6のタイル図になります。
小さなタイル2つで1/5なので1つでは1/10それが3つ(3×3)なので9/10になります。

分数のわり算6



東北旅行メモ 4日目(最終)
4日目 9月16日火曜日中学部スペシャルオフ
6時すぎ起きる
7時20分 ホテル内レストランで朝食 パン、中華がゆなど質素な朝食
7時45分 朝食をすませ部屋にもどる
8時54分 石川啄木新婚の家 路上駐車、道をはいているおばあさんが見るので「ちょっと見るだけ」と行って走る。
でぼくは急いで家の前だけ
走って戻る。
そこにパトカーが横切っていく。
おばあさんは、ぼくのいない間車を見ていてくれたとのこと。パトカーもいつもは来ないのに危なかったねえと言う。お礼を申し上げる。
 京子が帰ってきてカーナビに次の目的地を入力しているときに来て、妻は中に入ったがぼくは車をみていたというと、私がみていてくれたのにと。やさしいおばあさんである。
 カーナビで啄木資料館をいれると時間がかかるので行かないことにする。

八幡平に向かって走らせる
9時28分 松尾八幡平で高速をおりる 900円

八幡平に向かう

八幡平の頂上付近を過ぎて下る

 途中展望台で車を停めて眺める

 八幡平に向かうときから車の燃料が少ないことに気づく 給油所があったら給油しようと思いながら進む

 給油所は見当たらない
 下りに入ったころにエンプティーランプが点く
 だが山の中なので給油所はもちろんない
 しばらく走らせる そのうち見つかるだろうと思いながら
 カーナビの周辺施設検索を使って、給油所を検索してみる
 すると周辺にはないとの表示が出る。
 そのときはあせった。おおいにあせった。
 おまけに携帯電話は電池切れだ。カーナビの「周辺」とは何kmだろうか。
 省エネ運転を心掛ける。アクセルをできるだけふみこまないようにする。もちろんゆっくり。下りでアクセルをほとんど踏まなくても車は走ってくれる。後ろに車がつくと横によけて先にいかせる。
 集落がみえる。車を停めて再度カーナビで給油所を検索。すると5.7km先に給油所があることが出る。そのときは救われた気がした。
 それでも省エネ運転を続ける。やっと給油所が見える。 

12時03分 ENEOS 田沢湖給油所で5000円分のガソリンを入れる。
 1時間半は心配しながら走っただろうか。

 昼食をとるためにレストランをセットして走らせる。

 レストラン付近までカーナビに誘導されてくるが見つからない。ぐるぐる同じところをまわる。やっと見つけたが重すぎる料理でパスする。
 武家屋敷の駐車場をさがすがなかなか見つからず、またぐるぐる。
 駐車場のあるレストランを見つけるが、また重そう。京子が確認に行き、入ることにする。
 イラン人の女将がこの店はギャラリーでもあると、上手な日本語で語る。油絵のように見えるのは絨毯とのこと。さかんに宣伝するので見て回る。

3時 空港すぐそばの給油所で満タンにする
 ニッポンレンタカー営業所で車を返す。携帯電話のバッテリー重電機があるので100円で充電する。使い方がよく分からないので営業所の女の子にやってもらう
  41度の焼酎を2本購入。
3時16分 600円
3時23分 BLUE SKY もろこし2箱1218円

3時35分 A GREEN PORT 漬物 600円
3時36分
秋田空港ビル直営店グリーンポート きりたんぽパイ2箱 1680円


 秋田空港内喫茶 DININGそらに入る
  コンピュータが置かれていて自由に使えるようなので,メールをチェック。松本さん,青木さんからもメールが入っている。
16時31分 そらを出る
 コーヒー 計930円(2人で)
16時49分 チェックイン,手荷物を預け,ボディチェックをすませゲート前に
19時05分 羽田に着いて,乗り継ぎでゲート前に
20時37分 那覇空港着 
 敬子さんが迎えに来てくれる。それに乗り読谷に向かう。
 途中,浦添の和風亭で沖縄そばを食べるつもりでいたが,店がしまっている。
 北谷の長崎チャンポンの店リンガーハットに入る。

東北旅行メモ 3日目
touhoku東北旅行3日目 2008年9月15日月曜日敬老の日

6時30分 京子起床
 7時前 庸次起床
7時17分 ホテル内レストランにて朝食 和食と洋食
8時42分 北村(光太郎)記念館に向かっている
 途中でたんぼが広がる
8時56分 高村山荘に到着
9時17分 高村光太郎詩碑

9時26分 高村記念館から出る 内部は撮影禁止
9時33分 智恵子抄泉 飲む 冷たい 蚊が多い
9時39分 智恵子展望台
 ブログにアップする
10時06分 無人のりんご販売、最初100円小さいのにするが考え直して200円大きいのにする
京子は「安い」と言って喜んでいる。
車を走らせながらかじる とってもうまい 満足

10時35分 新渡戸稲造記念館 新渡戸稲造父祖ゆかりの地 中に入らず次に向かう

10時四七分 宮沢賢治記念館 
10時50分 入観料1人350円
 ブログにアップ
12時01分 イギリス海岸
12時28分 羅須地人協会(宮沢賢治の家)

1時01分 道端の家の庭にりんごが実っている

2時05分 駐車場に車をとめて歩き始める

 かなりのぼる
2時22分 五百羅漢 多くの自然の岩に仏様の姿が彫られている 最初はただの岩だとおもった。よく見ないと分からない 苔がむしている

2時21分 五百羅漢への道の途中に梨がなっている。行きと帰りに1個ずつとって食べる おいしい たぶん以前ここで栽培していたのだろう 今は荒れ果てているが

2時51分 遠野の駐車場に車をとめてレストラン さくら に入る 2300円 ひっつみ汁、カレーライス 小学生くらいの子が給仕をしている


3時21分 遠野むかしばなしむら320円の2つ
 柳田国男の胸像
 駐車料金 400円
4時07分 祭りの行列、山車
4時16分 伝承園
17分 入園料310円×2
 フィルム購入861円
 柳田国男著「遠野物語」を購入500円
5時14分 かっぱ淵
6時17分 LAWSON
花巻市東和町土沢店でお茶を購入188円
 7時01分01分 高速をおりる 1300円

7時25分 じゃじゃ麺をたべるためにレストラン バイロン白龍をセットして走らせる
 ここも祭りで山車と行列

7時34分 離れたところに駐車して歩く 200Mほど
7時44分 行列ができているので並ぶ
 相席でじゃじゃ麺を食べる 450円×2
 庸次はちいたんたんも
150円
計1050円

9時03分 ホテルで10050円を支払ってチェックイン 部屋に入る
 田むらの梅、りんごを食べる    

東北旅行メモ 2日目
東北旅行が2日目
2008/09/14 6:53 AM
 6時前に目を覚ます
  風呂に入って、旅日誌を整理する

8:12 AM 朝食 ホテルレストラン バイキング
8:30 ホテル前が青葉通り街路樹がすばらしい、
 ホテルの写真
8時40分 部屋に戻る 青葉どおりの街路樹上から
9時 チェックアウト 駐車料金1050円
 駐車場で目的地を探す
 つたやでガイドブック購入945円

9時55分 大崎八幡宮
10時30分 瑞鳳殿無料駐車場
 石段を上る 杉の木立
 550円×2人観覧料
45分資料館 政宗復元像 頭がい骨
56分感仙殿 2代目霊廟
58分 善應殿 3台目霊廟
11時00分 妙雲界


12時06分多賀城跡駐車場

12時15分 多賀城政庁跡
多賀城


 松島に、近くまで来るが駐車場が満車で駐車できない。車を走らせて横道に入ると渋滞している
松島


1時52分 コンビニ「サンクス」で弁当を買い駐車場で食べる
2時15分 東北自動車道に乗る

2時49分 パーキングで止め運転を京子に代わる
3時18分 高速道路を下りる。平泉前沢 2100円 庸次目が冷める
3時36分 毛越寺駐車場 町営駐車場で300円払う
3時40分 毛越寺拝観料1人500円×2人
41分 芭蕉の 夏草や を新渡戸稲造が英訳した碑文

3時43分毛越寺本堂
3時46分 開山堂
3時51分 遣水
4時15分 中尊寺の駐車場400円
4時30分 かなり上る 中尊寺金色堂大人800円×2
4時37分 金色堂の中 写真は禁止 覆堂で覆われている 中に入って金色堂、仏像をみる。
中尊寺金色堂

4時49分 外から写真
4時51分 旧覆堂 鎌倉時代のもの
 中尊寺に来たことをブログにアップする
5時20分 前9年、後3年の役、東物見台、衣川古戦場跡
5時53分 高館義経堂、芭蕉の句、夏草やつわものどもが露の跡 の句碑
夏草や

 北上川が下を流れる

6時26分 厳美渓までくるが真っ暗でなにも見えない
6時52分 一関駅に向かう途中で和風レストラン「インター伊吹」に入る
 2560円
7時44分 レストラン隣のスーパー「カワチ」でお菓子、飴などを買う。774円。オープンセールをしてにぎわっている。
7時58分 一関市駅のキオスク「NEWDAYS」で松本さんお勧めのたむらの梅を4箱購入4620円
8時46分 東北自動車道をおりる北上江釣子 料金1300円
9時04分 ホテル到着 宿泊代を支払う 

東北旅行メモ1日目
 東北旅行のメモです。本当にメモだけです。ICレコーダーに録音をし,それを後でザウルスに入力しました。他人が読んでもおもしろくないと思います。自分のためにアップしておきます。




東北旅行
2008年9月13日土曜日
京子と
台風13号の接近で今年も台風かと心配した。去年は台風のため東北旅行が中止になった。
 台風は石垣で停滞、石垣は大変な様子。
 台風の影響か
8時40分 座喜味の家を出る
9時 池武当の高速バス停に 敬子さんに送ってもらう
9時18分 時間どおりバスくる 乗り込む
10時 那覇空港に着く
 バス料金1人1000円2人
10時27分 チェックインと手荷物預けを終了
10時??分 売店で松本さんへの土産を買う ちすこう、紅芋タルト 1260円と630円
 きのう、サンエーでエディカードを発行してもらった。ここで初めて使う。便利そう。
??分 ボディチェック
10時48分 さんぴん茶、ウーロン茶、マンゴーパンを買う ANA FESTA 計500円
11時0?分 搭乗、離陸
時間どおりに着く予定とのアナウンス
12時45分 神戸空港に到着
京子、ガイドブックをいれた手提げを車に忘れたことに気づく
途中、乗り継ぎの案内をするかかりがいたので話を聞く。いったん出ることにする。
1時10分空港内レストランの神戸洋食キッチンに少し並んで入る。
 カレーとハヤシライスを注文する。ここでもエディが使える。手にいれたのは正解。計3400円
会計時刻1時41分
1時45分 本屋に入るが小さくて東北のガイドブックはない
1時50分 セーフティチェック通過
2時40分 予定どおり離陸
 3時55分に到着予定とのアナウンス
 小さなジェット機通路1つ左右3席
4時 仙台空港到着
 手荷物を受け取り、レンタカー受付カウンターへ
 少し待つ
5時38分 伊達政宗の馬上像
伊達政宗像
  仙台の街を見下ろす
5時40分 昭忠塔
6時20分 ホテルに着く
6時24分 チェックイン後、ホテルの部屋に入る。荷物をおきすぐにでてフロントへ
6時30分 松本さん現れる、髪は白くなっているが基本的に変わらない
 東北に来たら温泉に入らねばと盛んに勧められるが京子は足を手術したばかりなので断る
 コンビニでガイドブックを購入
 近くのすし屋に
 ビールを飲みながらおしゃべりをたのしむ
先輩と


 松本さんに支払ってもらう
11時16分
 松本さんと別れてホテルの部屋に戻る。喉が渇いているので飲み物がほしい
 先程行ったファミリーマートに向かう
11時29分 飲み物などを購入 計854円
 部屋に戻る
 携帯電話でブログを更新する。ただ政宗像の写真登録を忘れていたので写真なし
 ぼくは風呂も入らずに寝てしまう

アドラーの,私的感覚,共通感覚
 主観的世界と客観的世界について,アドラー心理学にもあります。アドラーもそのあたりを重視しているようです。


http://www.amazon.co.jp/gp/product/4584103127?ie=UTF8&tag=selfyoji-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4584103127
岸見一郎著「アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために (ワニのNEW新書)」

 アドラーは,私的感覚,共通感覚、コモンセンスという言葉を用いていますが,主観的世界,客観的世界と同じものだとぼくは思っています。

 以下,p130~132を引用します。



 同じように考えるとー年を通じてほぼー八度である井戸水が夏は冷たく感じられ冬は温かく感じられるという事態は、主観的にそう感じられるだけであって、「本当は」温度は変わっていない、と見なさなければならないのでしょうか。夏から冬になって井戸水は本当に温かくなったのか、と問われたとき、そうだ、と答えることはできないのでしょうか。

 ( 中略 )

 このように考えると私的感覚としての世界はたしかに個人が構成したという意味では仮想ではあっても、それとは別の絶対的な基準となるような世界を想定し、それのみが真実である、と考える必要はないでしょう。冷たいはずはないのだ、「本当は」一八度なのだから、というのが滑槽であるように(滑稽であるだけなら問題はないのですが)、

 いいかい、君の見方はまったくの私的(あるいは個人的)なものだから(=私的感覚)皆と同じように考えたほうが(=共通感覚、コモンセンス)いいよ、とか、君がしていることは何々らしくないというふうに造りつけの価値を押しつけることは危険この上ないことだといわなければなりません。先にもいったように共通感覚が誤っていることもありうるからです。

 そうではなくて個々の場面でそれぞれが私的感覚を持っている者同志が共通の言葉を探し出して、より「善く」生きる方策を探し出していくしかないのです。

 勇気づけについて先に(第二章)見ましたが、あらゆる場面であらゆる人に妥当する勇気づけの言葉というものがありえないのは今見てきたことに基づきます。今私がいったことは勇気づけになったかどうか問うてみることで、個々の場面でどんな言葉が勇気づけになるかを確認をとっていくしかありません。ときには、勇気づけとはー見思えない言葉が勇気づけになることはありえます。勇気づけは相手とともに構成された現実の中でのみ意味を持つからです。


筆箱を忘れる子の指導
 Ejさんから質問をいただきました。

Yojiさんの塾には面倒くさがって筆箱を持って来ない子はいませんか?
ボクの塾には3人います。
毎回「先生シャーペン」と当たり前のように言ってきます。
はじめは別によかったんですが、今ではほんとにだるくなりました。
どのように対応したらいいでしょうか。




 Ejさん,返事おくれました。

 子どもってそういうものです。みんなではありませんが。塾で貸してくれるとなると,持ってこないで借りてすませようとします。

 だから,ぼくは鉛筆,シャープペン類は貸しません。

 「鉛筆貸して!」と来る子がいますが,貸しません。
 「貸す鉛筆はないよ。友だちから借りなさい」と言います。
 そして,友人がいなくて困っているようなときは,貸してくれそうな子にぼくが頼んで借りるようにすることがあります。
 「Aさん,Bさんが鉛筆忘れたって。貸してくれる」のように。あまりありませんが。そのあたり,だいぶ冷たくしています。そうでないときりがありませんから。

 消しゴムは,「ここで使うならいいよ」ということで,目の前で使わせることもあります。

 とにかく,忘れ物をしたらめんどうだということを教える必要があるのです。

 コンパス,分度器などたまに使うものは,貸し出ししています。


客観的世界と主観的世界・・再び
 きのうは,「子どもに愛が伝わっていますか」ということを書きました。

 本当は愛していても,子どもがそれに気づかなければ,それは無力だということです。

 もう少し詳しく書きます。
 私たちにとっては,客観的世界と主観的世界があるのです。

( これことについては前にもどこかで書いたことがあり,だぶりますが,ご了承を。できるだけ前回と違う表現で書きます。 )

 客観的世界というのは,私たちがどう思うかに関係なく,実際に存在する世界です。それに対して,主観的世界は私たちが思っている世界です。

 例えば,サンタクロース。

 客観的世界の中では,サンタクロースは存在しません。

 しかし,子どもたちはある年齢までは,サンタクロースは存在していると思っています。子どもの主観的世界の中では,サンタクロースが存在するとうことです。

 このように客観的世界と主観的世界が食い違う例はいくらでもあげることができます。

 昔,地球は平らだと人々は思っていました。しかし,実際はその当時から地球は丸かったのです。ここでも客観的世界と主観的世界は食い違っています。

 そして,ここで確認したいのは,私たちは主観的世界の中で生きている部分が大きいということです。
 サンタクロースがいると思う。だから,サンタクロースにプレゼントをお願いする。そして,サンタクロースがやってきて,プレゼントが届くのを楽しみに待つのです。

 地球が平らだ,大洋の端は滝のようになっている,と思っている人々は,決してそこに行こうとはしません。彼らの主観的世界では地球は平らだからです。

 コロンブスは,地球が球だと信じました。だから,西へ西へと向かって航海を続けることができたのです。客観的世界と主観的世界が一致したとき,ぼくらは真実を知ったことになります。

 さて,きのう書いた「子どもに愛が伝わっていますか」に戻ります。

 客観的世界の中では,親は子どもを愛している。しかし,子どもの主観的世界の中ではそれを感じられない。つまり,子どもの主観的世界の中では,親は子どもを愛していない。そういうとき,子どもは愛されていないということで行動することになります。

 「ぼくは親に愛されていないんだ」,ということで,非行に走る,ということもありうるわけです。

 だから,ぼくらは子どもの主観的世界ではどうなっているのかを気にしながら働きかけをすることが必要になるのです。

 客観的世界に主観的世界を近づけていくというのが,学習です。我々は,学習することにより,客観的世界がどのようなものであるかを知り,主観的世界を変えていくのです。
 

セルフ塾で「英検」受検
 以下のように,セルフ塾を会場として,「2008年度第2回英検」を実施します。受検希望者は,検定料を持参し,申込用紙に必要事項を記入して,申し込んでください。申込用紙はセルフ塾にあります。

第1次締切 9月24日(水)午後11時(できるだけこの日までに)
最終締切  9月25日(木)午後11時

一次試験 10月19日(日)  

会場 セルフ塾学習室

検定料(税込み) 2級3,900円・準2級3,400円・3級2,300円・4級1,300円・5級1,200円
納入された検定料は返金できません。
詳細はセルフ塾に問い合わせ下さい。

子どもに愛が伝わっていますか
 昨夜,テレビ日曜洋画劇場で「デイアフラー」を観ました。録画で観るので1週間遅れです。
 巨大洪水がロンドンを襲う物語。主人公は父と息子です。
 前半では,息子は父を嫌っている場面が出ます。しかし,洪水から市民を救うために2人が協力する中で,息子は父の愛を感じるようになります。そして,息子も父を愛するようになります。

 よくある話です。多くの人が共感するので,繰り返されるテーマでしょう。

 今回のトピのテーマは「子どもに愛が伝わっていますか」としました。

近藤知恵 著「子どもに愛が伝わっていますか―心のかけ橋をきずく“親業”」

 からお借りしました。

 もうだいぶ前に読んだので,内容はすっかり忘れてしまいましたが,本の題はとても気に入っているのでしっかり覚えています。

 親が子どもを育てるとき,そして教師が生徒を教えるとき,愛というのがとても大きなウエイトを持つことにたぶん多くの方が賛成してくれると思います。もちろん,ぼくも賛成です。

 ただ,もう一歩進めて,
 愛していればいいというものではない,ということです。

 デイアフラーの父親は,洪水の前から息子やその他の家族を愛していたのです。しかし,頑固者で仕事第一の科学者である親の愛は息子に伝わっていなかった。
 伝わっていない愛は,無力なのです。それが伝わって初めて力を持つようになります。
 父親が「愛している」ということ,それも大切ではありますが,それよりも子どもが「愛されている」ということに気付くことがもっと大切なことなのです。

 「愛されている」と知った子どもは,まっすぐに生きようと思うものです。

 一所懸命にやっているから,子どもたちも分かってくれるはずだ,というだけではなく,その気持ちを子どもがきちんと受け止めているかに気を配り,そのように努めなければいけません。

 ぼくもそういうのは,だいぶ不器用です。でも,ぼくなりのやり方で努めていきたいです。

mixiのセルフラーニングでも同じ内容でトピを立ち上げました。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=35245141&comm_id=1037793 

ブログに顔写真
 だいぶ前にmixiの日記に書いた文です。


いま野口悠紀雄の「ホームページにオフィスを作る」を読み始めたところです。2001年初版ですから古い本です。この本に書いてあるホームページは,このmixiでだいぶ補えるな,と思っています。
 さて,ここに次のような記述があります。


「個人ホームページに個人情報を掲載することによって,名刺を補足することができる。

(中略)

 とくに重要なのは,顔写真だ。初対面で紹介された場合,多数の人を一緒に紹介されると,名前と顔を関連付けられないことがよくある。もし個人ホームページに顔写真があるなら,名刺のアドレスを頼りにしてアクセスし,顔を覚えることができる。したがって,個人ホームページは,相手にとっても便利なのだ。」



 ぼくは,この人どんな人かな,と思うとき,どんな顔かも知りたいです。ぼくがそう思うなら,他の人のそう思うだろうな,ということで顔写真を載せることにしています。

両立しない行動を強化するは,アドラーから
 行動分析学による不適応行動をなくす「両立しない行動を強化する」方法については,以前書きました。

両立しない行動を強化する


秋葉原殺傷事件と無視すること


湿けたポテトチップの法則


 それについて,ぼくは行動分析の本の中でしか読んだことがありませんでした。だから,何となく行動分析の理論から出てきたのだな,と思っていました。

 ところが,先日読んだ「アドラー心理学入門」の中に似たようなことをアドラーが言っているのです。


岸見一郎著「アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために (ワニのNEW新書)」


 アルフレート・アドラー(Alfred Adler, 1870年2月7日 - 1937年5月28日)

 バラス・フレデリック・スキナー(Burrhus Frederic Skinner, 1904年3月20日 - 1990年8月18日)

 ですから,アドラーの方がずっと先に生まれています。たぶん,スキナーがアドラーの影響で,両立しない行動を強化することで,不適応行動をなくす方法にいたったのでしょう。
 アドラーの方法を行動分析学的に解釈したとも推測できます。

 以下,その部分を引用します。


 不適切な行動が注目を引くという目的でなされているとすれば、それに対してどんな形であれ注目を与えることは行動を続けさせることになるということを見ました。そこでこのような行動にはいっさい注目しません。多くの場合、そちらのほうを向くだけでも注目することになります。

 しかしこれだけでは事態は変わらないか、以前より悪くなるということはあります。なぜなら、それまでは叱られるというような形であっても注
目を得られていたのに、それすらなくなってしまうからです。

 そこで不適切な行動には注目しないー方で、適切な行動に注目します。そうすることによって、やがて不適切な行動は減っていきます。適切な行動をすることで注目されるのであれば、ことさらに不適切な行動をしてまで注目されようとする必要はないからです。(p61)



「本物の学力」と「テスト用の学力」(保護者向け)
 セルフ塾の保護者向けに書いた文です。今度のセルフニュースに掲載する予定です。




 セルフ塾に入って伸びた生徒は少なくありません。過去最高席次をとった生徒をセルフニュースでは紹介していますが,そのことからも分かっていただけると思います。
 ただ,一方では,「セルフ塾に入ったのに,学校の成績が伸びない」,「テストでいい点が取れない」,ということも耳にします。

 テストで点数が伸びないということに関して,思い当たる点もあります。
 私どももセルフ塾に入ったらテストでもいい点をとってもらいたいと思っていますが,それを中心目標にはしていません。定期テスト前の2~3週間をテスト対策にあてているだけです。

 それ以外は日は,学校の勉強というよりも「本物の学力」をつけることを目指しています。

 そのさいたるものが,読書です。読書をさせたからといって急に学校の成績があがるわけではありません。しかし,読書は今後の人生においても大きなウエイトを持つものです。全員とはいいませんが,セルフ塾で読書をしているために読書が好きになったという生徒はいます。そういった意味では成果が出ていると評価しています。

 また,英語は学校の授業とはまったく異なることをしています。3年で入塾した生徒も中学1年の学習から始めます。その方が英語の力はついてくるとこれまでの経験からも自信を持っているからです。英語が分かってきたという生徒は少なくありません。また,高校生になってから,セルフ塾で英語を学んでよかった,という卒業生の声をよく聞きます。

 数学にしても学校のテストではまず出題されないだろうと思われる難しい問題も解けるようにしています。例えば,二次方程式の解の公式は,ゆとり教育のため教えなくなっていますが,セルフ塾ではいまでも学習させています。そうした方が二次方程式をきちんと理解できると思うからです。

 その他の科目も同じようなものです。

 テストで点数をとるテクニック,情報などに関しては大きな塾の方が上かもしれません。でも,本物の学力をつけることに関しては,セルフ塾のやり方の方が上だと確信しています。

 そうではありますが,テストを無視しているわけでも軽視しているわけでもありません。テストでもいい点を取るように,今後も心がけているつもりです。また,高校入試も合格しなければいけません。中学3年の1月からは本物の学力にはこだわらずに,合格することを目標に学習をさせていくつもりでいます。


(追記)
 9月18日(木)は,中学3年生の保護者面談でした。

 その中で,上の内容を簡単にお母さん方にも話しました。全員ではないですが。

 ぼくの話が終わると,Aさんのお母さんはこうおっしゃいました。
 「この子たちは,そのことを分かっているんでしょうかね。
 私は,Bさん(Aさんの友人で最近退塾した)に,そう話したのですが。Bさんは,(他の塾の)だれだれは何番上がったなどという話をするものですから。
 上の子どもたち(Aさんの2人の兄達)もここでお世話になって,そのことはよく知っているつもりです」

 私どもはとてもうれしかったです。私どもがやってきたことをちゃんと理解しているお母さんはいらっしゃるんだということを知ったからです。

 私どもがやっていることは間違えてはいないと確信は持っています。しかし,やはり生徒が辞めていくというのはとてもさびしいものです。
 Aさんのお母さんの言葉にはとても勇気づけられました。そういうお母さん方のためにも,子どもたちに本物の学力をつけるためにがんばっていこうと,改めて心に刻みました。


ほめたかどうかは,受け手が決める
 mixiのセルフラーニングのコミュに書き込んだコメントです。前後は推理してください。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=34654187&comm_id=1037793



 以下のことは,教師や親が陥りやすい大きな問題だと思います。トピを別にとも思ったのですが,流れのままに続けます。

 ○○さん

>>>見下されたと感じたのですね。

 はい,そう感じました。それよりも○○さんが自分を大きく見せようとしているように感じています。

 さて,

>>>私は見下したとは思っていません。
>>>問題提起をしたつもりはあります。

 に関してですが,「見下した」のか「問題提起」なのかを決めるのはだれでしょうか。○○さんは,「見下した」とは思っていなくても,それをぼくが「見下された」と思ったとすると,これは「見下した」ことになると思っています。

>>>記者会見で謝罪をする校長と同じで、良いですか???
 
 「問題解決型の思考で前向きに考えたい」ということで,○○さんはコメントしたそうですが,ぼくには「おどし」に感じました。そうなった場合,このコメントは「脅し」になると思います。

>>>引用するだけなら学ばなくてもできます。
>>>知ったかぶりをすると痛い目に遭うという事
>>>たかだか入門の本を読んだだけで多くを語るのは危険すぎます

 をぼくは,
>>>「引用するなら勉強してからにしなさい」
>>>「知ったかぶりをするんじゃない」
>>>「入門の本を読んだだけで語るんじゃない」
 という意味,つまり「支配」かつ「命令」と受け取りました。

 そうなった場合,これは 「支配」かつ「命令」になると思います。


 また,○○さんの別のコメントに
「自分流の考えを述べる事、と課題は違います。
また、助言と支配は異なりますので・・・。」

 とありますが,その違いを決めるのはだれでしょうか。

 Aさんは助言のつもりでBさんに言った。しかし,Bさんには支配されるように感じた。

 ぼくはそれは「支配」だと思います。

 もっと一般的な話にしましょう。

 「ほめる」と「叱る」

 アドラーは「ほめる」またそれ以上に「叱る」ことを否定的にとらえていますが,それは横においておいて,一般的な話で。

 AさんはBさんをほめたつもり,しかし,Bさんはほめられたとは思わない,かえってけなされたと感じることがあります。

 例えば,80点をとった子どもに「よく,がんばったね」とお母さんが言ったとします。お母さんはほめたつもりです。しかし,子どもは,もっとやれば90点はとれたはずだ,と思っていたので,皮肉を言われたと思います。

 こういうことってありますね。また,

 いやな先生にほめられたとき,その子はそれをほめられたということで素直にその先生の気持ちにそうような行動をするか,です。

 だから,ぼくは,ほめたのか,ほめたのではないかは,それを発した人ではなく,それを受けた人が決めることだと思います。

 ほめる人は,ほめようとする人の状況,性格などを十分に考え,判断しなければいけないと思うのです。

 叱ることについてもそうです。アドラーはそのことをかなり強調しています。引用したいのですが,長くなるので簡単に書きます。表現はぼくのものです。
 親は叱ってその行動をやめさせたいと思う。しかし,子どもはそれをかえって親との接触が多くなるということでわざと悪い行動を続ける。これは「叱る」ことにはなっていません。

○○さんの
>>>私が誰かを評価しましたか?
>>>肯定はしますが、叱ったりはしていませんよね?
>>>あくまでも「私はこう考える」つまり、アサーティブな意見です。

 について,ぼくは「あなたの退塾した子に対する処置は間違えています」と評価されたように感じています。叱られたように感じています。

 「○○したつもりなのに」では通らないということです。客観的なほめ言葉など存在しません。

 子どもの主観的な世界で,ぼくらの言葉がどのように受け取られたのか,それが重要なのです。

 こちらが発した言葉が相手に伝わり,相手もそのように感じるようにする。ぼくらは「つもり」ではなく,それがきちんと伝わったのかどうかということをいつも気にしなければいけないと思っています。

 世の中には「ほめ言葉集」のような本もありますが,実際にはそういう客観的なほめ言葉なんて存在しないのです。

 

○○さんの「こちらは居酒屋気分の雑談ですので、勇気づけも勇気くじきも、行うつもりはありません。」は,それでいいと思います。ただ,アドラーを高く評価している方のコメントと多くの方は思うでしょうね。

反面教師を演じる
 mixiセルフラーニングのコミュに書き込んだ文です。本来は前の部分を読まないと理解しにくいでしょうが,そのまま転載します。何とか理解できると思います。


 ○○さんは

>>引用するだけなら学ばなくてもできます。

 と書いていますが,学ばなくてもできることをまたします。

 
岸見一郎著「アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために (ワニのNEW新書)」

 
 本気で腹が立てば,行動の目的は権力争い,アドラー自身の言葉を使うならば,「闘う」 ことが目的になります。(p51~52)

 別のページには,アドラーが「復讐」という言葉を使っていることも書いています。

 いまいろいろと問題になっている,報復戦争です。

 アドラーの表現に「勇気づけ」「勇気をくじく」というのがあります。

 勇気をくじかれると,相手の勇気をくじくように画策し,また相手はこちらの勇気をくじくように画策する,ということでしょう。


 さて,このトピのテーマは「モデリング」です。

 モデリングには,「反面教師」というのもありますね。

 ようするに,他人の悪い行動を見て,そうしないようにしよう,というものです。

 よくあるのは,長男と次男。長男がお母さんに叱られるのをみて,次男はこんなことをしてはいけないんだな,と学びます。だから,次男は要領がよいと言われます。

 スポーツチームで,叱られ役というのがいるそうです。叱られても平気な子,叱りやすい子がいます。コーチはみんなの前でその子を叱る。すると,別の子どもたちはあんなことをしないように注意しようと心に刻むそうです。

 ここで,叱ることの是非はおいておきましょう。とにかく,反面教師というのは実際にあります。

 いまヤフー辞書をひくと
 はんめん‐きょうし【反面教師】
《中国の毛沢東の言葉から》悪い見本として反省や戒めの材料となる物事。また、そのような人。

 とありました。毛沢東の言葉だったのは知りませんでした。



 さて,
 長い前置きになりました。
 ぼくは,このトピで図らずも「反面教師」を演じていたようです。

 悪かったのは,ぼくです。
 「アドラー心理学入門」を読んだばかりのぼくは,アドラーのことをよく持ち出す○○さんのコメントがアドラーと矛盾しているではないか,と思って書いたのがコメント14です。ちょっとからかってやろうという気持ちがあったことを白状します。

 たぶんそれが○○さんの勇気をくじくことになったと思います。

 それ後,○○さんからのコメント19がありました。

 ぼくが退塾した子に対して行った行動が間違えていたという指摘です。それはぼくの勇気をくじくことになりました。

 それに対してぼくは,それはぼくの課題だから入り込まないでくれ,とコメントしました。コメント21

 それに対する○○さんのコメント22は
「自分流の考えを述べる事、と課題は違います。 また、助言と支配は異なりますので・」
 でした。


 このような意見交換をやってもお互いが高まるわけではありません。ぼく自身,おもしろくありません。その火をつけたことに対し,謝罪したいと思います。

 すみませんでした。

 これは,○○さんに対してと,これを読んでくださったみなさんに対してです。


 ただ,○○さんも書かれていますが,「意見は食い違って当然です」。
 「闘い」「権力争い」ではなく,意見の異なった意見交換はどんどんやっていけたらと思っています。お互いが楽しみながらそして少しでも向上できればいいです。  

八幡山
20080916152300
八幡山にいます 1560m 地点

啄木新婚の家
20080916084042
石川啄木新婚の家

柳田国男
20080915160258
遠野市に来ました。とおの昔話村の柳田国男の像です

宮沢賢治
20080915123647
羅須地人協会の前
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