首里高校の同期生会の翌日,首里中学校の同期生会を行います。
日時: 11月2日(日曜日) 午後6時30分~
場所: オールドポピー(同期生国吉康之君の店)
60人ほど入ります
(住所:那覇市久茂地2丁目1-17
098-866-6152)
ゆいレール県庁前駅を降りて久茂地川の方を見る。橋の向こうの川沿いにオレンジ 看板が見えるはずだ。
会費: 3000円
オールドポピー地図
オールドポピー紹介記事
実は,11月1日土曜日に,首里高校の同期生会が行われます。クラスメートのKeikoさんも参加します。それで,ついでに首里中の集まりももったらどうかと思うのです。
( 首里中卒業生へのお願い)
さて,60人はぜひ集めたいと思っています。
みなさんのご参加をお願いします。
そして,みなさんも口コミで周りに広げてください。
次に,みなさんのアイデアを寄せてください。
こうすれば,多くの人に伝わるよ,という。
いまぼくが考えていること。
モアイのグループをつかむ。首里中卒業生でモアイをしているといううわさを聞いています。そのリーダーを知っていたら教えてください。名前,電話番号などの連絡方法も。
次に,卒業生がやっている店(人が集まるところ:喫茶店,スナック,居酒屋など)を知っていたら教えてください。
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首里高校26期の同期生会を以下のように行うとの情報が寄せられました。
ぼくも参加予定です。
(日時)2008年11月1日(土)
午後6時30分~8時30分
(場所)沖縄都ホテル2階・綾羽の間
(会費)5,000円
ぼくも参加予定です。
(日時)2008年11月1日(土)
午後6時30分~8時30分
(場所)沖縄都ホテル2階・綾羽の間
(会費)5,000円
ぼくが管理人をしているmixi「セルフラーニング」のコミュに立ち上げたトピックです。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=35571828&comm_id=1037793
親と子ども,教師と生徒,それは縦の関係,つまり上下の関係だと思いますが。それとも,同じ人間なのだからということで,横の関係だと思いますか。
戦前は,そういう質問すらできないほどはっきりしていたでしょう。もちろん縦の関係だと皆が考えていました。親や教師のいうことは絶対で,子どもや生徒は素直に従うべきだという考えです。封建的な考えです。(もちろん,一部の思想家の中には横の関係を説いている人もいたようです)
戦後,民主主義が入ってきました。大人も子どもも皆平等であり,同じ人間として同じ権利を持っているとされました。子どもの人権も大切だと叫ばれました。そして,親と子ども,教師と生徒は横の関係にあるべきだという考えが出てきました。
そしてお父さんが子どもの友達のような関係になってきたのです。教師も生徒を下のものと見ずに,子どもの主張を大人の主張と同じように聴くようになりました。
さあ,みなさんは,どう考えますか? 大人と子どもは,縦の関係であるべきですか,それとも横の関係であるべきですか。
ぼくは基本的には,縦の関係にあるべきだと思っています。もちろん,戦前の封建的な絶対的なものではなく,子どもの意見も聞くことは聞くし,尊重もする。しかし,最終的には大人の方に決定権はあるべきだという考えです。
いま,「授業の工夫のコミュ」に書き込まれていたのを思い出しました。
家庭教師をしている学生の書き込みですが,子どもがいうことをきかない,学習時間中に携帯電話を使ったりするというのです。
家庭教師としては携帯電話を学習時間中に使ってはいけないと主張する。子どもはいろいろ理由をつけて使ってもいいと言い張る。
そこでおりあいがつかなければどうすればいいのでしょうか。
ぼくが家庭教師なら,とにかく使ってはいけない,と大人の権力を行使しますね。学習の障害になることを説明はしますが,それを納得してくれないのなら強制的にでも従わせるという気持ちが必要だと思うのです。
強制することができるというのは,基本的に上下の関係にあるからできることです。
「ヒトは先ず『愛してる!』と叫んだ?」という本の中で,中島秀人氏は「あるとき、団塊の世代の人にエネルギー保存の法則は殴っても教えるべきだといったら、反民主的だといわれましたが、エネルギー保存の法則は殴っても教えないといけませんよ。」と言っています。
「殴っても」というのはどうかとは思うのですが,大人がこうすべきだと思うことは強制的にでもしなければいけないことがあると思うのです。
ぼくは,読書は強制的に生徒にさせています。
学級崩壊や家庭内の問題には,このことが少なからず関係しているのではないでしょうか。
民主的に取り組もうと理想に燃えてクラス運営をするが,生徒が思うように動いてくれない。必死で説得はするのですが,上からの指導という気持ちはないので,強制はしない。それでクラスが崩壊してしまう。
そういうことってないでしょうか。学級崩壊についてはよく知らないので勝手に想像して書いていますが。
家庭でもお父さんは子どもと友達のように遊ぶ。しかし,権威がない。それで,何かあっても強制することができない。これも想像です。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=35571828&comm_id=1037793
親と子ども,教師と生徒,それは縦の関係,つまり上下の関係だと思いますが。それとも,同じ人間なのだからということで,横の関係だと思いますか。
戦前は,そういう質問すらできないほどはっきりしていたでしょう。もちろん縦の関係だと皆が考えていました。親や教師のいうことは絶対で,子どもや生徒は素直に従うべきだという考えです。封建的な考えです。(もちろん,一部の思想家の中には横の関係を説いている人もいたようです)
戦後,民主主義が入ってきました。大人も子どもも皆平等であり,同じ人間として同じ権利を持っているとされました。子どもの人権も大切だと叫ばれました。そして,親と子ども,教師と生徒は横の関係にあるべきだという考えが出てきました。
そしてお父さんが子どもの友達のような関係になってきたのです。教師も生徒を下のものと見ずに,子どもの主張を大人の主張と同じように聴くようになりました。
さあ,みなさんは,どう考えますか? 大人と子どもは,縦の関係であるべきですか,それとも横の関係であるべきですか。
ぼくは基本的には,縦の関係にあるべきだと思っています。もちろん,戦前の封建的な絶対的なものではなく,子どもの意見も聞くことは聞くし,尊重もする。しかし,最終的には大人の方に決定権はあるべきだという考えです。
いま,「授業の工夫のコミュ」に書き込まれていたのを思い出しました。
家庭教師をしている学生の書き込みですが,子どもがいうことをきかない,学習時間中に携帯電話を使ったりするというのです。
家庭教師としては携帯電話を学習時間中に使ってはいけないと主張する。子どもはいろいろ理由をつけて使ってもいいと言い張る。
そこでおりあいがつかなければどうすればいいのでしょうか。
ぼくが家庭教師なら,とにかく使ってはいけない,と大人の権力を行使しますね。学習の障害になることを説明はしますが,それを納得してくれないのなら強制的にでも従わせるという気持ちが必要だと思うのです。
強制することができるというのは,基本的に上下の関係にあるからできることです。
「ヒトは先ず『愛してる!』と叫んだ?」という本の中で,中島秀人氏は「あるとき、団塊の世代の人にエネルギー保存の法則は殴っても教えるべきだといったら、反民主的だといわれましたが、エネルギー保存の法則は殴っても教えないといけませんよ。」と言っています。
「殴っても」というのはどうかとは思うのですが,大人がこうすべきだと思うことは強制的にでもしなければいけないことがあると思うのです。
ぼくは,読書は強制的に生徒にさせています。
学級崩壊や家庭内の問題には,このことが少なからず関係しているのではないでしょうか。
民主的に取り組もうと理想に燃えてクラス運営をするが,生徒が思うように動いてくれない。必死で説得はするのですが,上からの指導という気持ちはないので,強制はしない。それでクラスが崩壊してしまう。
そういうことってないでしょうか。学級崩壊についてはよく知らないので勝手に想像して書いていますが。
家庭でもお父さんは子どもと友達のように遊ぶ。しかし,権威がない。それで,何かあっても強制することができない。これも想像です。
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