先日は,「フレミングの左手の法則変則版」を紹介しました。
「フレミングの左手の法則変則版」
いま中学2年生はまさにそれをやっています。一人の生徒が習いにやってきたので,簡単に「フレミングの左手の法則変則版」を説明し,そしてちょっとひらめいて,写真のようにペンを薬指と中指の間にはさんでペンの頭からペン先に向かって電流が流れていると教えました。理解しやすかったようです。

それから数問,ぼくの目の前で問題を解いていましたが,ペンをはさんでさかんに手を回転させていました。
「フレミングの左手の法則変則版」
いま中学2年生はまさにそれをやっています。一人の生徒が習いにやってきたので,簡単に「フレミングの左手の法則変則版」を説明し,そしてちょっとひらめいて,写真のようにペンを薬指と中指の間にはさんでペンの頭からペン先に向かって電流が流れていると教えました。理解しやすかったようです。

それから数問,ぼくの目の前で問題を解いていましたが,ペンをはさんでさかんに手を回転させていました。
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mixiの「セルフラーニング」で書き込んだコメントです。
大人と子どもは,縦の関係? or 横の関係?
○○さん
コメントありがとうございます。
「アドラー心理学入門」を読んでいて,大いに勉強になることはありましたが,数点ぼくの考えと異なるところがありました。
そのひとつがこの「縦の関係」「よこの関係」です。
アドラーは「よこの関係」が望ましいと説いているそうですね。
それで,それについてもっと深めたいという気持ちもあってこのトピを立ち上げました。
ただ,この場でひとつの結論に達することは難しいと思うし,達する必要もないと思っています。それぞれが言いたいことを言って,その中から少しでも自分が向上することができればと願っています。
さて,前置きはそこまでにして
>>>私はどんな状況においても「よこの関係」が望ましいと考えます。
>>>生後まもない子であっても、あくまでも「個人」として尊重し、その上で「毅然とした態度」を貫きます。
「個人」として尊重し,「毅然とした態度」を貫きます
に関してはぼくも同感です。
「横の関係」というときには,いろんな権利において平等だということになると思います。投票権も1票ずつ。ぼくのイメージはそのようなものです。
さて,上でぼくが例にあげた,家庭教師で場で子どもが携帯電話を使う件。
家庭教師としては,学習に支障があるのでということをいろいろ説明して納得させ,「学習時間中には携帯電話の電源を切る」というルールを決めたい。
しかし,子どもは友人から緊急な連絡があったりするといけないなどの意見を述べ,携帯電話の電源を切ることに反対する。
長時間話し合っても合意に達しない。家庭教師としては「毅然とした態度」でのぞもうとすると,子どもも「毅然とした態度」をとる。横の関係なので子どもも同じ力がある。
投票をしようにも,1対1。
それを教室でやられたらたまらないですね。例えば教師1人と生徒30人。それぞれが1票もっているといつでも生徒が勝ってしまいます。
「横の関係」では解決できないように思うのですがどうなのでしょうか。
ぼくは子どもを「個人」として尊重するというとき,子どもの意見を十分に聞き,理解しようと努めることを意味しています。
携帯電話を使いたいという気持ちをできるだけ理解し,こちらとしてもできるだけの譲歩はする。しかし,譲れない一線があります。その一線を越えるときには,説明をし,理解してもらおうと努めるのですが,理解してもらえないときには,ここは譲れない,私の考えにしたがってもらいましょう,とする。
「縦の関係」にあるので力はこちらが上。最終的には強制力ももっているという立場です。
大人と子どもは,縦の関係? or 横の関係?
○○さん
コメントありがとうございます。
「アドラー心理学入門」を読んでいて,大いに勉強になることはありましたが,数点ぼくの考えと異なるところがありました。
そのひとつがこの「縦の関係」「よこの関係」です。
アドラーは「よこの関係」が望ましいと説いているそうですね。
それで,それについてもっと深めたいという気持ちもあってこのトピを立ち上げました。
ただ,この場でひとつの結論に達することは難しいと思うし,達する必要もないと思っています。それぞれが言いたいことを言って,その中から少しでも自分が向上することができればと願っています。
さて,前置きはそこまでにして
>>>私はどんな状況においても「よこの関係」が望ましいと考えます。
>>>生後まもない子であっても、あくまでも「個人」として尊重し、その上で「毅然とした態度」を貫きます。
「個人」として尊重し,「毅然とした態度」を貫きます
に関してはぼくも同感です。
「横の関係」というときには,いろんな権利において平等だということになると思います。投票権も1票ずつ。ぼくのイメージはそのようなものです。
さて,上でぼくが例にあげた,家庭教師で場で子どもが携帯電話を使う件。
家庭教師としては,学習に支障があるのでということをいろいろ説明して納得させ,「学習時間中には携帯電話の電源を切る」というルールを決めたい。
しかし,子どもは友人から緊急な連絡があったりするといけないなどの意見を述べ,携帯電話の電源を切ることに反対する。
長時間話し合っても合意に達しない。家庭教師としては「毅然とした態度」でのぞもうとすると,子どもも「毅然とした態度」をとる。横の関係なので子どもも同じ力がある。
投票をしようにも,1対1。
それを教室でやられたらたまらないですね。例えば教師1人と生徒30人。それぞれが1票もっているといつでも生徒が勝ってしまいます。
「横の関係」では解決できないように思うのですがどうなのでしょうか。
ぼくは子どもを「個人」として尊重するというとき,子どもの意見を十分に聞き,理解しようと努めることを意味しています。
携帯電話を使いたいという気持ちをできるだけ理解し,こちらとしてもできるだけの譲歩はする。しかし,譲れない一線があります。その一線を越えるときには,説明をし,理解してもらおうと努めるのですが,理解してもらえないときには,ここは譲れない,私の考えにしたがってもらいましょう,とする。
「縦の関係」にあるので力はこちらが上。最終的には強制力ももっているという立場です。
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