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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

かにそばを食べました
 
かにそば

 やっと「かにそば(沖縄そば)」を食べることができました。

 食べたのは,嘉手納町にある「なんくる屋」で。

 「なんくる屋のかにそばはおいしいよ」と友人から聞きました。
 でも,ないこともあるとのこと。それで,電話をかけてから出かけることにしました。
 沖縄そばの大好きな義姉が来たときに食べに行くことにしました。
 電話で
「かにそばを食べたいのですが」
「きょうはできません」

 また別の日。またも「きょうはできません」

 またまた別の日。「きょうはできません。前もって予約を入れてください」

 そして,予約を入れてやっとOK。だから,食べたい人は予約を入れたほうがいいですね。「(かにそばは)ないこともある」ではなく,「めったにない」と思ったほうがいいかも。
 店は漁港のすぐそこ。
 以前,マスターと話したとき,新鮮なものを食べてもらうために,冷凍物は使っていない。だからいつも食材があるとは限らない,とのこと。それも納得。

 おししかったです。かにはやはり味があっていい。出汁にもかにの味が出ていました。めんは硬め。

 ただ,かにを食べるのは大変です。手は汚れるし。でも,一度はトライしてみたほうがいいですね。

 かにそばは,700円。

なんくる家 
住所:沖縄県中頭郡嘉手納町字水釜471-1 
電話番号:098-956-3053
地図

なんくる屋

「ます」がつけば一般動詞
 英語では,be動詞と一般動詞(ぼくはdo動詞と呼んでいる)をきびしく区別することが必要です。
 ところが,入門期の生徒には,それがかなり難しいようです。

 I am like apples. なんてやるのがざらです。

 だから,be動詞と一般動詞はそのまま同じ文には使えないよ,と繰り返し注意しています。

 ぼくのテキスト「プログラム学習英語」の練習問題は和文英訳になっているので,日本語を読んで,be動詞の文なのか一般動詞の文なのかを判断しなければなりません。いろいろやってみました。
 一年ではbe動詞は is, am, are だけで,その他の動詞はすべて一般動詞だ,たくさんある。 run(走る),play(する),write(書く)などで, 主語の動き,状態などをあらわす。

 でも,なかなか理解してくれません。

 それで,最近思いついた説明法。いま数人にそれで教えていますが,けっこう理解しやすいようです。最近思いついたので,ぼくのテキストにも書いてありません。

 「文末(文の最後)の部分に,『ます』をつけて自然になるのは『do動詞(一般動詞)』だ」

 というもの。

 「私は勉強する」に「ます」をつけると,「私は勉強します」不自然ではないね。だから,この文はdo動詞の文。
 「彼は本を読む」→「彼は本を読みます」(do動詞)
 「彼は詩を書く」→「彼は詩を書きます」(do動詞)
 「彼は考える」→「彼は考えます」(do動詞)

 「空は青い」 これに「ます」をつけると,「空は青い・・・ます」????
 「ます」はつかない。だからこの文は「be動詞」の文。


 疑問文,否定文の場合は,平叙文に直してから考える
 「彼は本を読まない」→「彼は本を読む」→「彼は本を読みます」(do動詞)
 「彼は本を読みますか」→「彼は本を読む」→「彼は本を読みます」(do動詞)

 
 ただし,例外はあります。これは日本語と英語の単語の品詞の違いです。

 「好き(like)」には,「ます」はつかないが, like はdo動詞

 「私は疲れている」は,「疲れています」になるが,tired(疲れている)は形容詞なのでこの文はbe動詞の文になる。

 like の品詞は動詞です。だから,日本語訳を「好む」にすれば,「ます」はつきます。
 「私はリンゴがすきです」→「私はリンゴを好む」→「私はリンゴを好みます」
そう考えると例外とは言えません。ただ,like は「好きです」でよく出るので「好む」とするより「好きです」はdo動詞と覚えさせた方がいいでしょう。

 tired は形容詞ですが,日本語の「疲れる」は動詞です。だから例外になります。tired を日本語の形容詞で表せればいいかもしれませんが,うまく対応するのを思いつきません。

 このような日本語と英語の違いはあります。だから例外はまだあるでしょうが,一応

 「文末(文の最後)の部分に,『ます』をつけて自然になるのは『do動詞(一般動詞)』だ」
 という説明はうまくいきそうです。

男女で大きな差、心的回転問題
 きょうも「科学の目 科学のこころ」から




 さまざまな認知能力の中で、男女で大きな差が出るものがーつある。それは、心的回転問題である。

 これは、小さな立方体が10個ほど、折れ曲がって並んだ三次元立体になったものを、いろいろな方向に回転させたときに、どのような形にみえるかという問題である。これをテストするには、一つの提示図形をみせ、その立体やそうでない立体を含めた複数の立体をさまざまに回転させたものを示し、そのなかから、もとの提示図形を回転させたものはどれかを選ばせる。

このテストは、国も文化も異なるいろいろな地域で行なわれているが、いつでもどこでも、必ず、男性の方が女性よりもかなり得点がよい。その理由は、まだよくわかっていないが、・・・(p176)



 別に女性を差別するつもりはないのですが,男と女ではかなり違うところがあります。

 男は言葉が苦手で,女は図形が苦手です。だから,英語,国語は女性がよく,数学,理科は男性がいいです。もちろん,一般的に。

 教えていて「あれっ!」と思うことがよくあります。

 まじめで成績がいい子だと思っている女の子に図形を教えていると,なぜこんなに理解してくれないんだと思うのです。
 それをそれほど成績のよくない男の子が楽々と理解する。

 教えるものとして,そのことは理解していた方がいいと思います。
 ぼくは教えるときにその子の力にあった指導のしかたをします。力のない子にはていねいに教えますが,力のある子には簡単なアドバイスですます,というように。

 だから,できると思っている女の子が習いにやってきて,簡単なアドバイスだけにすると,理解できない,ということになってしまいます。

 一般に(あくまで「一般に」ですが),女の人は図形に弱いということで臨めば,その子の力をみながらていねいに教えることになります。


 男女で能力がちがうと思うのに,ビデオの予約録画の操作,があります。ほとんどの女性が苦手です。
 塾の電話はぼくの近くにあるので,生徒の話す声が聞こえます。

 「きょうはちょっと手間取っていて,早く帰られそうにない。だから,○○をビデオに撮っていて。」
 お母さんと話している様子。
 「だから,このボタンを押して,次に画面に・・・・・」

 このようにお母さんがビデオ録画をできないで子どもが説明していることがよくあります。

 ぼくの妻はぼくより能力が劣るとは思いませんが,ビデオ操作などになると,ぼくにお願いします。

 ビデオの予約録画の操作ができるかどうかを男女別に比べると絶対に有意差が出ると思います。

 なお,念のために書きますが,ぼくは男女平等主義者です。決して差別のつもりはありません。違いは違いで認めるが,基本的な権利としては平等だという立場です。

「田の字表」の特長
※ かけ算か、わり算か、迷わない
 生徒は、文章問題を解くときに「これ、かけるの?わるの?」と質問します。それを考えるのが、あなたたちの仕事だろう、と言ってきたのですが、それが簡単に分かればそれにこしたことはありません。
 この『田の字表』を使えば、かけるのか、わるのか、つまり、かけ算の問題なのか、わり算の問題なのか、まったく考えなくても解けるようになります。そういう意味で画期的方法です。
 『田の字表』の解き方
①横(行)は単位をそろえる,縦(列)は対応する値を書く,
 ということで『田の字表』を整理する。
②それをたすきにかけて方程式を作る。
③それを解く
 簡単な方程式を解くことができれば、ほとんど悩まずに問題を解くことができるのです。

※ 意味も理解して問題を解く
 最近は、「みはじ」や「はじき」という方法で、速度の問題を解かせる方法がよくやられていますが、それは、意味も分からずに使っているものです。
 それに対して『田の字表』は、意味もきちんと理解しながら問題を解いていきます。機械的な方法ではありますが、表を整理する中で問題の意味が分かってくるのです。
 「4秒間で12m進むロボットの秒速は」の問題では
次のような表になります。
田の字表

 これを記入すると,
 4秒間 → 12m
 1秒間 → xm
ということを意識します。1秒間あたりの距離が速度だということの理解が深まるのです。
 単位あたり量の意味のほか、百分率の意味、比の意味も、問題を解く中で理解が深まってくるのです。


※ 応用範囲が広い
 学校で学ぶ公式は、ひとつでひとつにしか使えません。例えば、速度=距離÷時間 という公式は、速度の問題にしか使えません。圧力の問題では別の公式(圧力=力÷面積)を覚える必要があります。
 また、「みはじ」や「はじき」という方法も、速度の問題にしか使えません。それに比べると、『田の字表』は応用範囲が広いのです。
 目次をごらんになれば分かりますが、『田の字表』で解ける問題は、速度、圧力、密度などの単位あたり量の問題のほか、濃度、湿度などの百分率(%)の問題、相似,三平方の定理や定比例の法則などの比例の問題にも使えます。
 一次関数や二次関数の式を求めるのにも使えるのです。

※ 比例式より使い勝手がとてもいい
 この『田の字表』の解き方をみた人の中には、「なんだ、比例式の解き方ではないか」と思われる方もいらっしゃるでしょう。確かにそうです。この『田の字表』の解き方は比例式の解き方と基本的に同じです。考え方はまったく同じと思って差し支えありません。
 しかし、『田の字表』の方が比例式よりずっと使いやすいのです。

※ 比例式より対応関係がわかりやすい
 例えば「水素と酸素はつねに質量比1;8で化合する。酸素20gに対して水素は何g化合するか」の問題で、比例式だと 1:8=x:20 になります。左の比に、質量比の1:8を書くのはいいとして、左の前項と右の前項、左の後項と右の後項を対応させて順序よく書かなければいけません。つまり、1:8=20:x と逆に書いてはいけないのです。
 慣れている人にとってはたいした問題ではないでしょうが、中学生にとっては少し離れたところにあるものを対応する順に書く、というのはけっこう難しいのです。
 その点、『田の字表』だと、横同士、たて同士を対応させるように書けばいいので、楽にでき、間違いも少ないのです。

※ 方程式にもっていくのが楽
 比例式で解く場合、内項の積=外項の積 で方程式を作ります。
4:1=20:x から 4x=1×20 で式を作るのです。さて、この「内項の積=外項の積」というのを身につけさせるのが一苦労です。
 以前,塾では『田の字表』から比例式を作らせ、それを方程式にするという方法で解かせていたのですが、よく理解できないようで、間違いも多かったです。
 内項の積=外項の積が『田の字表』を斜め同士の積(たすきにかける)と同じだと気づいたので、それで指導しました。すると生徒はとても楽にできるようになりました。かけるの記号(×)とたすきが似ているから分かりやすいところもあります。

 ある意味で、これまで比例式で解く方法を『田の字表』で解かせているというだけのことではあります。ただ、それだけのことで中学生でも楽に解くことができるようになった、という点でとても画期的な方法になったと思っています。

「田の字表」の出版時期決まる
明日香出版のSさんからメールが届きました。
 前から計画していた「田の字表」の出版時期が1月に決まったとのことです。

仲松庸次さま

ご無沙汰しております。
お世話になっております。

書籍の発行時期が1月で確定しましたので
お知らせします。
前回は、勝手なお願いを聞いてくださり
ありがとうございました。

ただいま、イラストの作成をしているところです。
(イラストは私が作成しておりますので)
再校を月内にはお渡しできるように
がんばっております。

スケジュールとしては、
1月初めに本が出来上がる予定ですので、
11月中に再校をお出しして、
12月中旬に念校を発送(念校の時点で
原稿はほぼ固まっている状態)→入稿という
流れにしたいと思います。
もし何か大きなご予定がございましたら
お知らせくださると幸いです。

それから正式タイトルは
『中学数学・理科が「田の字表」なら解ける・わかる・点がとれる!』
価格は1300円(税込1365円)です。
初版部数はまだ決まっておりませんので
後ほどお知らせします。
(だいたい5,000部くらいになると思います。)

どうぞよろしくお願い申し上げます。


===============ア=明日香出版社=====


自分を撮る方法
 カメラで自分を撮る方法を思いついたので紹介します。

 写真のように,三脚にカメラを取り付けます。通常とちがうのは,三脚は閉じて(一脚にして)カメラに対して直角になるようにセットすることです。

自分を撮る


 そして,セルフタイマーをセットし,写真のように三脚の足の部分をもって手を伸ばし,自分に向けます。
 ぼくのカメラは広角(23mm)なので,けっこう入ります。2枚目の写真はその方法で撮したものです。
ゆたかにて

 自分ではけっこういいアイデアだな,と思っています。ふつうに三脚をセットするより,気軽にできます。

英語の教材を作るにいたった理由
 ぼくは,極端な理系で,中学,高校と英語はとても苦手だったことを書きました。
 ただ,ぼくは英語の教材を出版しています。

英語プログラム学習 中1レベル

英語プログラム学習中2レベル

英語中3 プログラム学習

 なぜ,英語の苦手だった人が英語の教材を出版するまでにいたったのかここに書き残しておきます。

 結論を先にいえば,いい英語の教材がなかったからです。

 ぼくは,塾を始めるときからセルフラーニングでやろうと決めていました。それには自分で学ぶことのできるテキストが必要です。数学はまだいいのですが,英語には自分で学ぶことのできるテキストがまったくありませんでした。

 それなら自分で作るか,となったのです。

 自己流でプログラム学習については学んでいました。

プログラム学習

 プログラム学習の理論を使えば,いいテキストができるはずだという自信はありました。

 また,苦手だったとはいえ,一応,高校入試,大学入試を乗り越えてきたし,大学では心理学の原書もかなり読みました。中学程度の英語は大丈夫だという自信もありました。

 市販されている英語の学習書では,麦の芽出版の「楽しい英語」が一番よかったので,それをベースにしながら作り始めました。ワープロを打って生徒に与えながら一歩一歩進みました。

 教材を作りながら,中学英語の復習をかなりやりました。その中で英語にも理系的発想の本があることを知りました。「なぜ」をかなり重視して書いている本です。自分で「なぜだろう」と思いながら勉強を進めるといろいろ見つかるものです。
 その中でも

林野滋樹 たのしい英文法 三友社出版
若林俊輔 英語の素朴な疑問に答える36章 ジャパンタイムス
田中茂範・川出才紀 動詞がわかれば英語がわかる ジャパンタイムス
田中茂範 ひと目でわかる英単語ネットワーク(基本動詞編) アルク
政村秀實 図解 英語基本語義辞典 桐原書店
若林俊輔編 ヴィスタ英和辞典 三省堂

 は特によかったです。ぼく自身が発見の連続でした。おもしろかったです。それをそのままぼくのテキストに書き込みました。
 だから,大人の人でもぼくのテキストを読む中で新しい発見がいろいろあると思います。

 最初は,「自分でできる英語の学習書」ということだけを目指していましたが,そのうちに「理解する」ということをだいぶ重視した学習書になっていったように思います。

 そして,英語がもともと得意でなかったからこそできた本になってきたように感じます。先にも書きましたが,英語の得意な人は記憶力がすぐれているので,理屈はなくても覚えきれるのですね。それにたいしてぼくは理屈がないと頭に残らない。だから,かなり理屈っぽい学習書になってきたように思います。

 理系の人が作った学習書です。

文法用語について

 ヒカリさんからコメントをいただきました。ヒカリさんありがとうございます。

 文法用語についてこの機会に考えてみたくて,一つの記事にしました。


名と実
Yojiさん
いつも勉強になります。ありがとうございます。
私はto~はとか、have+p.p.は~、という言い方をします。これなら訳語に惑わされることがないという理由からです。

形、意味(~してしまった、内容(過去にはじめたことが今終わっている。)は重要でも、文法用語はたいせつではないと感じております。

呼ぶとしたら過去現在とか連過現在の方がたしかに実体に近そうですね。

コンコルド勉強になりましたV(^-^)V



 そういう考えもまたいいと思います。つまり,文法用語をできるだけ使わないという立場です。

 実際,ネイティブの方は文法用語を知らないことが多いです。だいぶ前にアメリカ人と話して,文法のことを話したら,「あなたの方がよく知っているね」と言われました。

 変な用語を使うよりもいいでしょう。

 ただ,ぼくは日本人が英語を学ぶときに,実体を表した適切な文法用語だと学習のプラスになると思っています。概念化がしやすいのです。
 また,ぼくの本が索引をかなり重視したものだからでもあります。 

 ぼくのテキストでは練習問題は,和文英訳が主です。

 「あなたは野球をしますか」を和文英訳するとします。

 ぼくのところに間違い直しに来たとき

「この文は何動詞の文?(be動詞の文なのか一般動詞の文なのか,のこと)」
「この文は何文? (平叙文,否定文,疑問文の中から答えます)」
「これは基本? 三単現?」

 それを判断しないと和文英訳はできません。それができるのは,be動詞,一般動詞,平叙文,否定文,疑問文,三単現 などの文法用語が分かるからです。それがあるとぼくも説明がしやすいのです。

文系と理系の間の深い溝


 きょうも 長谷川 真理子著「科学の目、科学のこころ」からの引用から始めます。

 最近、人文・社会系の語学間を専門とする人たちとの間に、越えられないとまではいわないが、非常に深い溝があることをつくづく思い知らされている。文系と理系というと、まるで受験の窓口のような感じがして好きではないのだが、俗にいうこの二つのタイプの学問群の間には、考えの構築、仮説というもののもつ意味、事実に対する評価、実証の仕方、議論の方法などに始まって、論文の書き方、引用の仕方、他人の業績の評価に至るまでのさまざまな点に大きな違いがあり、要するに、学問のあり方全体が違う。



一元化するのは科学の癖

 にも書きましたが,mixiの「授業の工夫」で

>>>なんにつけ一元化しようとするのはYojiさんの癖かなと思います

 と批判されたことがあります。

 現在完了について書いたときのことです。

 ぼくは,現在完了を「たのしい英文法」にあった説明が一番よかったので,それで説明しています。

現在完了の成り立ち


 ぼくの考えは,できるだけこれまで学んできたことと関連づけて新しいことを学んでいく,というものです。

 そして,何かを学ぶときは,次につなげていけるようにするということです。

 多義語がありますね。それはできるだけコア(語義)を覚える。そして,それと関連づけて派生した意味を学んでいくというものです。

 いろいろでてきたら,それぞれにばらばらに覚えるようなことはしないように努めます。

 どうも英語がもともと得意な人は,ばらばらのものをそのまま覚えるのが得意なように感じます。だから,これまでのことと関連づけて学んでいくということはかえって面倒なのでしょう。

 どうもここに文系の人と理系の人の思考法がちがうのではないかと思えてなりません。

 ぼくは完全に理系の人間です。長谷川 真理子さんは理系も文系も得意だったようですが,ぼくは数学や理科はとても自信を持っていましたが,英語,国語などはまったくだめでした。
 先日,生徒に「Yojiさんは子どものとき勉強好きだった?」と問われて記憶をたどって「算数の文章問題のようなのを解くのは好きだったよ」と答えました。

 本当にそうでした。

 現在完了について,たのしい英文法に書かれていることはとても納得のいくものでした。
 have は「持っている」,過去分詞は「~られる」という受動の意味を持つ。
 だから,現在完了は「~された状態を持っている」となる。

 例えば,I have done my homework.  は「私は宿題がなされて状態を持っている」だから「宿題はやってしまった」のようになる。

 こういう説明の方が頭に入るのです。
 それが英語の得意な人は,こんなめんどうなことを考えるより,
 have 過去分詞 が出たら,現在完了で,完了,結果,経験,継続の意味のどれかになる,と覚えた方がいいのだ,となるようです。

 これはどれがいいという問題ではないのでしょうが,長谷川さんが書かれているように「非常に深い溝がある」ように感じます。

現在完了・・・英語の素朴な疑問に答える36章



 前の記事で,現在完了という用語はいけないということを書きました。それについて最初に気付かされたのは,若林 俊輔著「英語の素朴な疑問に答える36章」です。

 とてもいい本です。ただ,絶版になっているのでしょうか。ぼくは手元に置いて今でもよくめくっています。

 その本の「現在完了」に関するところ(その一部)を抜粋します。


We have known each other for years. (私たちは長年の知り合いです)の have known の部分は,くhave/has+過去分詞> という形で,英文法では 《現在完了形》と呼ぶのだそうですね.現在完了形というくらいですから,「現在,完了している」,つまり「今は終わっている」という意味なのだろうと思っていましたら,have known は「継続」を表すと先生がおっしゃったので,私は腰が抜けるほどびっくりしました.

 継続」とは「続いている」という意味ではないのでしょうか.もう,これは,気が狂っているとしか言いようがありません.完了しているのに継続している? 一体,これはどうしたことなのでしょうか.

私はこの質問を読んで,まさに腰が抜けるほど驚いた.驚傍と言ったほうがいい.長年英語教師をしていて,英文法用語の複雑さを嘆き,これを何とかしなければ,と主張し続けていたクセに,この《完了形》の「継続用法」という不思議な名称について考えたことがなかったのである.後でも述べることだが,私は 《完了形》の「完了」「経験」「継続」の3つの区別は認めない,ということは言い続けてきたのだが,「終わっているのに続いている」には全く気がつかなかった.(p188)


《現在完了》という文法用語は,実に具合が悪い.
l have lived here more than seven years.は「私はここに7年以上住んでいます」と訳され,訳されるところまではいいとしても,あとがいけない「これは現在完了の継続用法である.」とか「継続を表す現在完了である.」と説明される.そして,中学生に「終わっているのに続いている,とはどういうことなんだ.」と言わせる事態になっているのである.(p191)



 どうですか。中学生に混乱させるより,さっさと用語を変えてしまったほうがいいのです。

コンコルドの誤り と 英文法用語「現在完了」



 長谷川 真理子「科学の目、科学のこころ」に「コンコルドの誤り」というのがありました。

コンコルドは、開発の最中に、たとえそれができ上がったとしても採算の取れないしろものであることが判明してしまった。つまり、これ以上努力を続けて作り上げたとしても、しょせん、それは使いものにならない。ところが、英仏両政府は、これまでにすでに大量の投資をしてしまったのだから、いまさらやめるとそれが無駄になるという理屈で開発を続行した。その結果は、やはり、使いものにならないのである。使いものにならない以上、これまでの投資にかかわらず、そんなものはやめるべきだったのだ。

 このように、過去における投資の大きさこそが将来の行動を決めると考えることを、コンコルドの誤りと呼ぶ。(p14)



 旧パラダイムに慣れ親しんで研究してきた学者たちは、それがすでに誤りであることを示されても、なかなか旧パラダイムを捨てようとしない。それはまさに、現在の手持ちの仮説の中でどれがー番将来性のありそうな理論であるかという検討に基づくのではなく、これまで自分が大量の投資を行なってきた理論を捨てたくないという、コンコルドの誤りであるように思われる。(p16)



 ぼくはそのコンコルドの誤りを,英文法の用語について感じています。

 いま使われている英文法用語には,その名が実体を現さないのがあります。
 現在分詞,過去分詞,現在完了などです。不定詞は間違えているわけではないが,理解しにくい用語です。

 その中でも最悪のものは現在完了です。それについては次のページに書きました。

 http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-14.html

 簡単に書きます。
 have + 過去分詞を「現在完了」といいます。その中には次のような文もあります。
 I have lived here for three years.
意味は「私は3年間ずっとここに住んでいます」です。今もここに住んでいるという意味が含まれています。つまり「完了」していないのです。そういう文を「現在完了」という用語で説明するのは学ぶ者が混乱するので直したほうがいい,というのがぼくの考えです(ぼくだけではありません)。

 have + 過去分詞 の文の本来の意味は,現在を中心としながら,その現在の状態をつくり出した過去に連なることもいっしょに含めてのべる言い方です。
 ぼくは,それで「連過現在」という用語を造り出し,使っていました。「過去に連なる現在」ということで。
 しかし,後で遠山顕先生が「現在中心」という語の方がいいとおっしゃっているようですし,いろいろ検討して,ぼくも「現在中心」がいいと思っています。

 さて,このことをmixiの「授業の工夫」で意見交換を行ったことがあります。ぼくが,「現在完了」という用語をやめよう,というトピをたてたのです。その中で「現在中心」というのを遠山顕先生が使っているよ,とだれかに教えてもらったように思います。

 いろいろ議論を重ねていくうちに,ぼくの言っていることを理解してもらって,「現在中心」がいい,という方向へ傾いてきました。

 ところが,「現在中心」の方がいいとは思うが,これまで「現在完了」を使ってきて,慣れ親しんできたのだから,いまさら変える必要はないのではないか,という意見が出て,それに賛同する人がどんどん出てきたのです。そして大勢はその方向になってしまいました。

 これこそ,「コンコルドの誤り」なのではないでしょうか。いまの段階で「現在中心」がいいと思うのならば,それに変えてしまった方がいいのです。

 「現在完了」という用語で説明されるより,「現在中心」で説明された方が生徒は楽にそのことを理解できるはずです。生徒にとって何がいいのかを考えれば,ぼくらが慣れ親しんだ用語を捨ててしまうのもいいのではないでしょうか。

「無為」と「見守る」



 加島 祥造著「ほっとする老子のことば―いのちを...」
 はだいぶ前に読みました。老子が好きで老子の本はよく読みます。

 その本をめくっていたら,次のページで目がとまりました。


無 為

(老子道徳経第四十八章)

無為とはね、
何もしないということじゃなくて、
知識を体内で消化した人が
何に対しても応じられるベストな状態でいることだ。
余計な手出しはせずに
自分の内なるリズムに任せて
黙ってみている・・・・



 なぜ,ここかというと,mixiで「見守ると放任」について意見交換をしているからです。
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-681.html

 「無為自然」というのがあります。そのまま読むと,
「何もなさずに,自然に」ということでしょうか。

 しかし,加島 祥造さんに限らず,ほかの訳でも,そこは「何もしない」ということにはなっていません。そこが難しい。

 ただ,「見守る」というのは,「無為」なんでしょうね。「放任」ではない。

 よけいな手出しはしない。
何にでも応じられる状態にはいる,
しかし,黙って見ている

 そういうことなのでしょう。

品詞を見分ける(国文法)
 国文法で,この単語の品詞は何ですか,という問題はよく出ます。

 以前,「動詞とは?」ということで記事を書きました。

http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-133.html

 この記事に書いたように,品詞は活用や用いられ方で区別した方がいいのです。

 ぼくは,生徒に「ます」がつけば動詞だよ,と教えます。

 「『走る』は『走ります』になるから動詞。『考える』も『考えます』だから動詞」

 「動きのある言葉」などと教えたら生徒は混乱します。考える,住む,止まる,は動きのある言葉かどうか,考え込んでしまいます。また,「水泳」,「かけっこ」などは動きのあることばと思っても不自然ではないです。

 だから,「『ます』のつくのが動詞」
 これで,普通に日本語を使える人ならOKです。

 形容詞は。「くない」「かった」がつく単語です。
 「美しくない・美しかった」のようになるので「美しい」は形容詞。

 ただ,最近は日本語が乱れて「きれいくない」「きれかった」などという子がいますから,それは訂正してあげなければいけないですね。

 言い切りの形が「い」になるのは形容詞,も悪くはないけど,「い」がつくのは多いです。言い切りの形だけで判断すると「きれい」「闘い」を形容詞と思う生徒は多いです。

 形容動詞は,「な」「だ」になる単語。「静かな,静かだ」 のように。

 「きれいな」「きれいだ」になるので,「きれい」は形容動詞なのです。

 このように活用がある単語(動詞・形容詞・形容動詞)は,活用を少し教えて判断させる方が判断しやすいです。

 次に「名詞」です。
 ぼくは「○○がいる」「○○がある」の○○に入るのは名詞だ,と教えています。

 「辞書がある」「車がある」「ライオンがいる」「先生がいる」
 このように。

 いくつか,名詞なのに「○○がいる」「○○がある」にあてはめると少し不自然な日本語がありますが,でもこちらが分かりやすい。

 本当は,それだけで主語になる言葉,ということですが,それでは判断しにくいです。簡単にできる作業を通して判断させた方がいいです。

 「名詞」だから「名前の詞(ことば)」だよ,といっても判断できないです。

 代名詞は名詞の一種ということで,名詞を理解させてから具体的に例をあげて説明すると特に問題ないです。数も多くないので。

 連体詞・接続詞・感動詞は,活用はないのですが,数が多くないし,性質がだいぶ他の品詞と異なるので,例をあげて分かってもらいます。

 問題は「副詞」です。これはまず活用がないので,活用が使えません。数も多いです。また,性質も少しずつ違っている。
 いまは,用言(動詞・形容詞・形容動詞)を主に修飾する,ということで教えていますが,決定的な方法がないです。何か知っているひとがいれば教えてもらいたいです。

 何かの本に他に分類できないのをすべて副詞にした,というのを読んだように記憶しています。ようするにゴミ箱みたいなものかな。だから,分類しにくいのでしょう。

 あと,助詞・助動詞について。これは難しい。別にまた書きたいです。



 ブログの国語に関する記事をまとめました。



小数をタイルで表す
 前に「タイルで10進法を理解する


 を書きました。タイルによる10進法は,整数だけではありません。小数にも使えるのです。整数でだいたい理解していただいたので,簡単に説明します。もちろん生徒への説明はもっとていねいですが。

 1を10に分けた1つが0.1,それを10にわけ0.01・・・というものですから,タイルは次のようになります。

小数のタイル

 だから,4.365は次のようになります。

4.365


 タイルの便利さ,実感していただいたでしょうか。
 ぼくは最初にふれたとき,感動したものです。そしていま子どもたちにタイルを使って指導していますが,とても教えやすいです。

まきまきさんのコメント
 まきまきさんから,コメントをいただきました。コメントは目立たないので,記事として取り上げました。

http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-677.html#comment100

 先生、ありがとうございます!早速、斉藤孝さんの本を購入し三色ボールペンで線を引きながら読んでいます。
 また、子供用の本も探しています。自分自身に小学生の子供がいながら、恥ずかしながらあんなに子供向け文庫があるとは知りませんでした^^;昨日紀伊国屋で色々探しましたが、男の子が多い塾なので「耳なし芳一」みたいな怪談がいいのかな・・・と思っています。やはり読書嫌いな子が多く、先々は心配なため3色ボールペン方式での読書はとてもいいと思いました。

 また、旺文社の漢字の本も購入。コンパクトで値段も安いのに情報量が多く辞書代わりにも使えて便利ですね。

 先生の算数問題集はホントに子ども達に人気で、プリントで勉強していた頃よりも皆が静かに集中してやっています。感謝!感謝!です。
 また、今後ともよろしくお願いします



 子ども向けの文庫,かなりいいのが安価で出ています。ぼくもこの仕事をしていなければ手に取らなかったと思います。

旺文社「小学漢字1006字の正しい書き方」は,とてもいい本です。中学生にも漢字の書き順を学ぶためにこの本を引かせることが多いです。
 
 欲を言えば,漢字の意味が欲しいです。

 ぼくの教材が子ども達に人気で,静かに集中しているのは,とてもうれしいことです。ぼくの本で一人でも多くの子が算数好きになってもらいたいです。
 

「見守る」と「放任」
 mixi「セルフラーニング」のコミュに立ち上げたトピックです。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=36721684&comm_id=1037793

 「見守る」と「放任」の違いについて考えてみましょう。

 「見守る」というのはいい言葉です。ぼくもよく使います。できるだけ手出しはしないで,子どもたちが間違いをおかしながらも自分で進んでいくのを見守るのですね。自主性を尊重するということでしょう。
 
 それに対して「放任」というのは悪い意味で用いられます。要するに何にもしてあげないということです。勝手にやりなさい,ということです。


 では,この「見守る」と「放任」の違いは何でしょうか。どちらも子どもがやる。それに手を出さないということです。どこで線を引くことができるのでしょうか。

 親の声で,子どもを見守っていきたい,子どもの自主性に任せてあげたい,というのがよく出てきます。
 その中には,ぼくが見るとそれって「放任」なんじゃないの,と思うことも少なくありません。

「子どもは読書が好きではありません。読書が好きになるまで見守ってあげたいです」
「勉強をやりたがりません。どのようにするつもりなのか見守ってあげたい」

 立派に聞こえます。この場合,「見守る」なのでしょうか。「放任」なのでしょうか。

 ぼくは,子どもが大きな失敗,間違いをおかさないように環境を整え,そしてその子のやるように自由にさせる,それは「見守る」ことだと思います。
 その中で小さな失敗や間違いはたくさんしても手出しをしない,しかし,このままでは大きな間違いに進むと思ったときにはいつでも手助けをしてあげる体勢を整えておく,これが「見守る」ことだと思います。

 みなさんは,「見守る」と「放任」の線をどこで引いていますか?
 

教育・・・自分で自分の首を絞める存在
 「遺伝子の挑戦」に教育に関しておもしろいのがあったので,抜粋します。




 教育が普及するとどうなるか?かつては、知識はー握りの聖職者や指導者たちだけのものだった。それが大衆のものとなったことによって、教会の説教や政治家の演説を聞かずとも、誰もが、自分で、自分自身の価値の体系を作りそれに基づいて意志決定できるようになってきたのである。

(中略)

 一億、総坊さん状態・・・このことは裏返せば、全員がそれなりの社会観をもっているということである。ある人は高速道路網をもっと発展させて延長させるべきだと考えているかもしれないし、別の人は環境問題や自然保護のために高速道路はこれ以上はいらないと考えているかもしれない。とにかく、ある問題についてコンセンサスが得られない社会が実現したのである。

 こうなったのもつまるところ、教育が普及したればこそである。教育が普及したことによって大衆の知識水準が上がり、したがって価値観は多様化し、統一的な社会規範が維持できなくなってきた。そのことが現代の教育を困難にしている。つまり教育とは、盛んになればなるほど、普及すればするほど、教育それ自体がやりにくくなるという、自分で自分の首を絞める存在なのだ。(p196~197)



 確かにそうだなあ,と思いますね。ぼくらの子どものころまで,学校の先生というのは尊敬する存在でした。先生の言うことに間違いはない,と思っていました。

 ところが現代は,先生の価値が急速に下がっています。教師を見下す親が少なくありません。
 「モンスターペアレンツ」という言葉(ぼくはその言葉は好きではないのですが)がいま世間をにぎわせているのはそのためでしょう。

 それはみんなの教育レベルが上がって,学校の教師よりいい「学歴」の人が多くなったためです。

 昔の支配者層は,人民が賢くなることをいやがっていました。今年ペルー旅行をしたときに,「おつりの計算ができないペルー先住民」がいたことをブログでも書きました。

おつりの計算ができないペルー先住民


 支配する方としては人民が賢くなると,自分らの地位があやうくなるのですね。
 「百姓が学問するといいことはない」こんなセリフをテレビの時代劇で聞いたように思います。支配者層はそう被支配者に思わせていたのです。

 教育がさかんになって,生徒に民主主義を教える。それまでは素直に従っていた生徒が「民主主義」をたてにして教師に反抗するようになるということもあるでしょうね。

 では我々教育者はどうすればいいのか?

 単純なようですが,「学び続ける」ということでしょうか。
 常に学んで,生徒や親の前を進む,そして,生徒や親の言い分を聞きながらも,それを上回る知識で導いていくということだと思います。

首里中20期同期生の集い
首里中
 きのう11月2日(日曜日)は,首里中20期同期生の集いでした。

 おとといの首里校の同期生会に東京からKeikoさんが参加すると聞いたので,では翌日は首里中の集まりをしようということになったのです。2日連続での集いです。

 午後6時30分~ から場所は,「オールドポピー」同期生Kuniyoshi君の店です。

 13人の仲間が集まりました。
 中学を卒業してもう40年になります。

首里高校26期,同期生会
同期生会2

同期生会
 おととい,11月1日は首里高校26期の同期生会に参加しました。
 場所は,沖縄都ホテル2階・綾羽の間

 多くの人が集まりました。130人とか言っていたでしょうか。全部で6~700人くらいかな。14組までありましたから。

 高校を卒業して37,8年なります。10年ほど前に参加して以来の人が多かったです。

 期待通りの楽しい集いでした。

 ぼくの撮した写真をヤフーアルバムにアップしました。同期生会の雰囲気が少しは伝わると思います。ここにはその中から全体の雰囲気の2つをアップします。

 ヤフーアルバムの見方は,メール下さい。ID,パスワードを教えます。

小学生の読書指導
 まきまきさんからご質問がありました。

 ご説明ありがとうございます。ま、中1の範囲になかった所は早めに中2を買ってやれば問題ないってことですね。いつもご丁寧な解答嬉しいです^^

 話は小学生のことになりますが、差し障りのない程度で教えていただけたら・・・と思っています。小学生は毎回どんなことをしてるのでしょうか?

 国語大好き、算数問題集、意味調べ5個、読書15ページまではわかったのですが・・・。あと本読みの色ペンの仕方ってとても気になるんですが・・・。いつも一方的な質問
ばかりですみません^^;よろしくお願いします。


 小学生は,漢字の練習(3文字),算数(2ページ),国語だいすき(2ページ),意味調べ(5~7語),読書(15ページ)です。余裕のある生徒は英語もやっています。

 3色ボールペン式読書というのは,齋藤孝さんの提唱している方法です。ぼくもこの方法で読書を行っています。

 大切なところは青色,とても大切なところは赤色,おもしろいところは緑色の傍線の引いていきます。

 下のURLのページも参考にしてください。

3色ボールペン,読書指導 

星新一著「ボッコちゃん」 行間を読む

小学部の読書で

(動画)読書中

読解と解釈と鑑賞の違い


 小学の部の読書指導と中学部の読書指導で少し異なるところがあるので説明します。

 読書指導を行っている最低の目標は,「読書をすること」です。本を読めばいい,というのが目標です。ただそれをさせるのが難しいかったのです。以前,15分間だけ本を読めばいいということにしていました。しかし,ほとんどの生徒は15分間本をながめて読んでいるポーズをしているだけでした。ぼくはそれに気づいてはいたのですが,読書をするというところまで持っていくことがなかなかできませんでした。

 そういうときに出合ったのが齋藤孝氏の「3色ボールペン式読書」。これは使えると思って今のような方式に変えたのです。この方法を取り入れたことにより,読んでいるか読んでいないかのチェックができるようになったのです。チェックがあると思えば生徒は読むのです。
 読んでいれば,本のテーマはつかめるはずです。そこに赤線が引いてあればOKということです。

 ただ,赤線を引くのはけっこう難しいです。小学生のばあいは無理に近いです。

 小学生の部は中学生の部に比べて人数も少なく時間的にも余裕があります。それで読書が終わったと本を持ってきたら,その場でぱらぱらとめくって,簡単な質問をします。「それでその男の子は死んだの?」など。読んでいればすぐに答えられるような質問です。それに答えられたらOK,という感じです。
 「だからここに赤線を引いたらいいんだよ」などと教えます。

 そのようなことができるためにも,ぼくはその本を前もって読んでいなければいけないので大変ですが。 

竹内久美子さんについて
 竹内久美子さんについて書きます。

 まずは,きのう紹介した「進化論の挑戦」からの引用です。


 人間の浮気はもとより嫁姑の対立からギャンブル好きまで、ほとんど何でも「遺伝子の繁殖戦略」で歯切れよく説明する科学啓蒙書を次々と出版しているのが、フリーライターの竹内久美子である。明らかに優生学に近いその内容や、君主制を賛美し、レイプを擁護する発言に心ある人は眉をひそめ、専門家は「科学的な根拠のない思いつきに過ぎない」と批判を繰り返している。しかし、彼女の本は、広範な読者を獲得した。一説ではー〇万部から二〇万部売れたものもあるという。ぼくのこの本より、確実にー〇倍以上多い部数である。

安直な生物学的決定論がもてはやされるという事態は、アメリカでも似たようなもので
ある。あるいは、もっとひどいかもしれない。



 ぼくが最初に竹内久美子さんの本に出合ったのは,その代表作『そんなバカな!-遺伝子と神について』。友人のYoshihiroくんのすすめでした。
 おもしろかったです。とても。利己的遺伝子の概念がおもしろかった。

 それで,竹内久美子さんの本を二冊ほど続けて読みました。二冊目,三冊目からは,行き過ぎだよなあ,そんなことまで言えるのか,という想いがありました。それで,それ以来読んでいません。

 今回,上の記述に触れ,ああやっぱり批判はけっこうあるんだ,ぼくの判断は間違っていなかったんだと思っています。

「そんなバカな」にもこのような行き過ぎはあったかもしれません。それはぼくは見抜けなかったですね。

進化論の挑戦


 進化論(進化生物学)について学ぶというより,進化生物学の周辺という感じの本です。進化生物学はいろんな方面に影響を与えています。それについて著者の考えが書かれています。
 おもしろい本でした。学ぶところも多かったです。

 その中で「性差」について書かれているところから。

日本の進化生態学者の第一人者である長谷川員理子(早稲田大学)が語ってくれた比喩にしたがえば、排他行為は生物的に「決定された」、生得的な行動である。しかし、だからといって、往来の真ん中で、衆人環視の中で糞尿を垂れ流していいということには、決してならない。

性差や攻撃性や人種差についても、まったく同じことがいえる。仮にそれらが生得的形質であったとしても、それを発現して良いかどうかは別問題である。むしろ、「人間にはこのような攻撃性や人種差別、性差別などをおこなう傾向が生得的にある。だからこそ、それらを防ぐためには根本的な対策をとらなければならないのだ」と考えるべきなのだ。(p84)



 

生物学は性差を固定化するものでも決定するものでもない。むしろ、進化生物学は性差別に生物学的根拠がないことを明らかにするのである。

 生物学決定論、より正確には遺伝的決定論というべきだろう。遺伝子によって生物の性質 ・・・ 行動とか形とかが決まっているという発想である。遺伝子(DNA)は生物の設計図、だから性差もDNAに支配されている・・・。遺伝的決定論が誤りであり、進化生物学はそのような見方をほんの少しも支持しない。(p130~131)



 

遺伝的であることは、決定的なことでも改変不能なことでもないのだが、あいも変わらずDNAは運命を決める神様扱いされ続けている。(p132)


遺伝子と生物の形質の関係は、楽譜と音楽の関係によく似ている。
(p133)



 ばくぜんと考えていたことが明瞭にまた深く書かれているので,とてもよかったです。

 ぼくは保育園をやっていたし,そしていまは学習塾をやっています。その中で男と女は違うとつくづく感じました。学生のころは性差は文化によるものだと教わり,そのように信じていたのですが,性差は文化によるものではないと思っています。

 学力が上位の女生徒であっても,図形の問題になると学力が中位の男生徒並にしか理解できない。逆に男生徒の作文の下手なこと下手なこと。
 女生徒はいっぱんにまじめです。それに比べて・・・・

 男と女の差をあげればきりがありません。こんなに差があるのは,生得的なものだと思っています。昔なら育て方による違いということも考えられたでしょうが,いまの親はそんなに男女で育て方が違うとは思えません。

 だから,男と女はかなりちがうものということは認識しなければいけません。

 では,それは固定したものかというとそうでもない。また絶対的なものかと言えばそうでもありません。

 数学の得意な女性もいます。女性の優秀な物理学書もいます。
 グラフにすると山が二つできるでしょうが,それは重なり合っています。
 
 また,それは変わらないものではないでしょう。

 女性も図形の問題を数多く解くことによって図形が得意になるでしょう。
 楽譜と音楽の違いという比喩はとてもおもしろいです。確かに楽譜によってある程度は決まりますが,それを演奏する人によって音楽はとてもちがってきます。


 ・・・えー、わたしわかんなーい、キャッ! という行動が「女らしい」と感じられる。これは文化の産物ではない。程度の差こそあれ、どこの文化圏でも子供っぽいしぐさや特徴をかわいい=女らしいと感じる人が多いという研究かある。繰り返すが、程度の差はある。(p136)



 子供っぽい女、ブリッコ女が「もてる」というのは、男性上位の社会で女性か少しでもいい条件を獲得するための自己欺瞞戦略なのではないか・・・これがゴヮティーの仮説である。(p137)


 この部分は,単におもしろいと思って残しておきました。

 竹内久美子さん,教育について,ミームについてはページを別にして書きます。


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