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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

H嘉翔也くん,M田隆志くんが大学合格
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 昨日午後4時すぎ,2人の卒業生が大学に推薦で内定が決まったことの報告にやってきました。

 H嘉翔也くんは,名桜大学人間健康学部看護学科
 M田隆志くんは,日本文理大学経営経済学部経営経済学科 福祉・心理コースです。

 いろいろな話を30分ほどしました。卒業生がセルフ塾を忘れずに訪ねてくれるのは,とてもうれしいです。

プレ入試行う
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 6日(土)と7日(日)の両日,第2回沖縄県統一プレ入試を行いました。両日とも午前10時から。1日目は国語,理科,英語,2日目は社会と数学,そして球陽の付加問題です。

 1日目の国語は聞き取りから始まります。2人が遅刻でやってきたので,英語を終わってから2人だけ聞き取りの問題をやりました。

 2日目,ラグビーの試合があり,セルフ塾からも選手が数人いました。それでその生徒たちは午後1時から行いました。

 今回は塾外生も2名いました。

 特に問題なく全員試験を受けることができました。

 データは19日に届きます。そして,25日,26日にそのデータをみながら保護者面談を行います。

 次回3回のプレ入試は1月にありますが,それは希望者だけになります。

小さな負の数から大きな負の数を引く(意味)〕
 前に「小さい正の数から大きい正の数を引く意味」を書きました。

 きょうは, (-3)-(-5)のように、小さな負の数から大きな負の数を引く計算の意味を考えてみます。

 ぼくは,それの説明のために,お父さんがバカ息子の借金を肩代わりすることを考え出しました。息子がいくら借金しているか分からないお父さんは,「5万円分はおれが借金を肩代わりしてやろう」と言います。
 実は息子の借金は3万円だけ。5万円借金を肩代わりしてくれるのならあと2万円借金できるではないか,とサラ金から2万円借金します。すると2万円の現金と2万円の借用証書が新たに入り,合計で,2万円の現金と5万円の借用証書が息子は持っています。

 それで,「お父さん,では5万円の借金はよろしくお願いします」と借金を肩代わりしてもらう。
 すると,2万円の現金が残るのです。

 だから, (-3)-(-5)=+2 ということになります。

 ぼくのテキスト「わかる解けるできる数学1年」のそのページをPDFファイルでアップしました。
 ご覧になりたい方は,次の「PDFファイル」をクリックしてください。
そして,次に「5小さい負の数から大きい負の数を引く意味 」をクリックし.そして「ファイルを開く」をクリックしてください。

PDFファイル



 

「田の字表」の「はじめに」
 

12月5日,
 「田の字表」の原稿が届きました。
 そして,「はじめに」の文を書くようにとのこと。
 書いてみました。それが以下の文です。締切までさらに推敲を重ねたいと思っています。

 (中学生のみなさんへ)

 「あっ,文章問題だ。計算問題は得意なんだけどなあ。文章題だとかけ算なのか,わり算なのか,分からないよ」
 こんなことをつぶやいていませんか。

 この本をやれば,もうそんな迷いはなくなります。田の字表に整理し,それを簡単な方程式にして解くだけ。それで文章問題が解けるのです。かけ算なのかわり算なのか考える必要はありません。

 速度の問題で「み・は・じ」や「は・じ・き」でやっていませんか。速度の問題ならそれを覚えれば解けますね。でも,それは速度の問題にしか使えません。
 田の字は,もっといろんなのに使えます。目次を見てください。速度以外に,圧力,密度,濃度・・・・。こんなにいろんなことが基本的に同じ考え方でできるのです。公式を覚える必要もありません。田の字表に整理するこつをちょっと覚えるだけ。そのこつも簡単です。

 さあ,この本を読んで問題を解き,「かけ算?わり算?」の迷いにサヨナラしましょう。

 (親,教師など,指導者のみなさんへ)

 速度,圧力,密度などを比例式で解く方法がありますね。この田の字表による方法は,比例式を田の字にしただけなのです。だから,比例式で解ける問題はすべて解けます。

 なあんだ。それだけのことなのか,と思わないでください。
 中学生にとっては比例式より田の字の方がずっと簡単なのです。

 まずは整理のしかた。比例式だと横に長くなり,対応する値が離れます。それだけで何と何が対応するのか見分けきれません。田の字表だと,単位に着目し,横にくるのは単位が同じとします。そして上下は対応する値になります。それだけで田の字表は整理できるのです。

 比例式だと 内項の積=外項の積 で方程式を作りますね。これが中学生には難しいのです。どことどこをかけるのだったけ,という感じ。田の字だと,斜め同士をかければいいんだ,と教えるとすぐに覚えます。たすきにかけるとかけ算の×が似ていることも強調します。

 田の字にしたことにより,比例式の方法が中学生の手の届くものになったのです。

真田幸村 伝説になった英雄の実像

 「真田幸村」を読みました。

 ぼくの飲み友達に彼のファンがいるからです。Shueiさんです。
 ぼくも真田幸村は好きです。だから飲むと話題に上るのですが,きちんと学んだことがないので,上辺だけの話になってしまいます。
 それでこの本を読みました。よかったです。入門書としてはこれで充分。

 さて,

 それよりも不思議な話がある。「幸村」という諱(いみな)のことだ。
現在でこそ有名なこの真田幸村という名は、実は、当時の史料にはいっさ
い記録されていない。同時代史料に記された彼の諱は、なんと「信繁(のぶしげ)」というのである。(p17)


 知らなかったです。Shueiさんは知っていたか,次に会うときに聞いてみます。
 妻に話すと,そういえば上田城の説明には,信繁(幸村)のように( )で書かれていたように思う」とのこと。
 なぜ,信繁が幸村になったのか,理由は分からないそうです。
 おもしろいです。

 進軍する陣列のなかには、真田家の家紋である六連銭をあしらった旗印がひるがえっていたことだろう。一文銭六枚を上下二列に三枚ずつ並べたもので、この紋はー般には六文銭といわれることが多いが,正確には六連銭と呼ぶ。

 紋の由来は仏教説話の六道・すなわち地獄、餓鬼、畜性,修羅,人間,天上から来ていて、死者が三途の川を渡るときの渡し賃がこの六道を意味する六文であることにも通じている。つまり六連銭の紋には、真田の者は常に決死の覚悟で戦場にのぞむという意味がこめられていたのである。



 このことは,どこかで聞いたことがあるように思いますが,この機会にきちんと覚えておこう。



 「常山紀談』には珍しく幸村の発言が記録されており、次のようなやりとりがあったときれている。

 父子が家康方、三成方に別れると決まったあとのことだが、信幸がこう発言した。

 「西国に味方すれば必ず負けることでしょう。そのときは私は父と弟の命を助けることに尽くして、家が滅びないようにするつもりです」

これを聞いた幸村は、それまでの沈黙をやぶって語り始めたのだった。

 「西国の軍が敗れれば父も私も戦場の土となる覚悟であるのに、どうして助けていただくことがありましょう。徳川がかつて兵を出して上田を攻めたとき、上杉が加勢してくれたことの返礼もすべきでしょうし、あのとき秀吉公が和睦に尽くされたことで真田の武名も世に高まったのですから、豊臣家の御恩は浅からぬものがあります。迷わず石田三成に味方するべきでしょう。家の滅ぶべきとき、人の死すべきときが来たら、いさぎよく身を捨てることこそ勇士の本意というもの。恥を知らずに生きながらえて、家を滅ぼさないようにしようというのはもってのほかです」

(中略)

 『滋野世記』によれば、最後に昌幸は、「こうして父子が引き別れるのも、家のためには良いこともあるだろう」といって幸村とともに離れ家をあとにしたという。三成方、家康方の双方に真田の者が別れて属していれば、合戦でどちらが負けようとも、もうー方は勝利者として残ることになる。つまり結果がどうなろうとも、真田家が滅亡する心配はなくなるのである。

 家というものを大事にする当時としては、これはとても重要なことだった。昌幸もわれながら名案だと思っていたかもしれない。ただ、だからといって巷間ささやかれるように、家の存続のために昌幸が父子の進路をあえて分けたという説はあたらないだろう。あくまでもやむをえず別々の進路をとった彼らにとって、たったーつの救いが家の存続ということに過ぎなかったのである。




 この部分,Shueiさんは,よく巷間ささやかれるようなことを言っているので教えてあげることにします。


 大阪の立川文明堂が明治末年から刊行を開始した『立川文庫』では、幸村自身の活躍もさることながら、右にあげた家臣たちに猿飛佐助、霧階才蔵、第十蔵を加えた、いわゆる「真田十勇士」が創作され描かれた。
(中略)
 十勇士の中心にすえられた猿飛佐肋と霧隠才蔵は、不思議な術を使う忍者という設定であり、それが目立っているために幸村は実際に忍びの集団を抱えていたように思われがちだが、特にそういった事実はない。ただ、幸村の戦場における神出鬼没の戦いぶりが、まるで忍術のようであると見なされ、そこからイメージがつくられていったことは想像できる。


 Shueiさんに聞いたら,やはり忍びを抱えていたようなことを言っていました。これも話してあげることにします。たぶんきょう飲み会で会えるでしょう。

銅像めぐり旅


 清水義範が好きで,文庫本はすべて読もうとがんばっています。それで,迷うことなくこの本も買いました。

 銅像を見る旅をしながらその土地のことを考えるというもの。

 作家っていいですよね。このような楽しい旅をしながら,それが本になって収入になる。ぼくらの旅はひたすら消費でお金がなくなるだけ。
 それだけ才能があるからです。でも,うらやましい。

 さて,このような本を読んでいるとその地を旅したくなります。

 また,行ったことのある場所だとおもしろさも増します。

 仙台は行ったばかりのところでもあるので,おもしろかった。

 清水氏もそうだそうだが,ぼくも司馬遼太郎の「龍馬が行く」を読んでからの龍馬ファンです。だから,龍馬の銅像を追う節もおもしろかった。龍馬が脱藩するときに通った道にある銅像も見たいものだが,パック旅行では行かないでしょうね。

 学生時代は金沢にいたので「前田利家と金沢」もよかった。前田利家の像はぼくも知らないなあ。学生時代はあまり関心がなかった。

 ヘボン式ローマ字のヘボンが実はヘップバーンを日本人がヘボンと読んだというのは初めて知った。

 上野の銅像除幕式で西郷隆盛の未亡人が「あの人はこんな人ではなかった」と言ったのは,有名なことらしいですね。ぼくは知らなかった。
 また,それが,似ていないという意味ではなく,
「あの人は行儀のいい人だったから,人前に立つのにこんな着流しの姿で出てくるような人ではない」と言いたかったのだそうです。

読みもプルの学習で
 サドベリー校が徹底して「プッシュの教育」を否定し,「プルの学習」を徹底している例をもう一つあげます。

 p63~65 です。

5 リーディング(読み)

 リーディング(読み)は、わたしたちの学校を厳しい試練に晒(さら)しました。わたしたちはリーディングについても、あくまで子ども本人のイニシアチブに任せているのです。わたしたちの方から「読みなさい」と勧めることはありません。「さあ、読み方を習いましょうね」とは、だれも言わないのです。

 「今、読み方、習っておいた方が、いいと思わない?」と勧めることもない。いかにも楽しそうな様子で、「ねぇ、読むって、なんかワクワクすることじゃない?」と誘い込むこともありません。

わたしたちの原則はただひとつ。リーディングについても、生徒が最初のー歩を踏み出すのを待つ、ということです。
 
 何事も思い通りになれば、信念を生きるのも簡単なことです。が、現実はなかなか、そうはならないもの。わたしの家族の例を見てください。一番上の子は、五歳にしてリーディング(読み)に興味を覚えました。自分自身の力で、六歳で読めるようになったのです。なんの問題もありません。すべては期待通り、うまく行ったのです。

 さて、二歳と六カ月年下の娘の番です。学校のほかの子どもと同様、娘が読むのを教えてくれと頼んでくるまで、あるいはまた自分で読むようになるまで、わたしたちは待ったのです。待って、待って、待ったのです。ところが彼女は、六歳になっても読まないのです。まあ、それも良しとしなければならないでしょう。世間並みなのですから。

 が、彼女は七歳になっても読み始めません。こうなると、親としてはやはり心配です。とくに、おじいちゃん、おばあちゃん、叔父さん、叔母さんたちが不安の表情を浮かべます。

 ついに八歳にして、読まず。こうなると、もはやー家、仲間うちのスキャンダルです。わたしたち夫婦は、まるで非行パパと非行ママ。「それでよく、学校やってられるわね」というわけです。娘が八歳になっても読めないのに対策もとらないで、よく学校をやってますなんていってられるわね、そんなのまともな学校じゃないよ、と非難の言葉を浴びせかけてくるのです。

 でも、サドベリー・バレー校では、だれもそんなこと気にしちゃいません。たしかに、八歳になる友だちの大半は読めるようになっている。でも、まだ読めない子も何人かいるのです。そんなことなど、娘は気にもかけていません。元気いっぱい幸せに、毎日を過ごしているのです。

 娘が「読みたい。読もう」と心に決めたのは九歳のときでした。どんな理由でそう決断したのか、わたしには分かりませんし、娘本人も覚えていません。間もなく、九歳と六カ月で、彼女は完壁に読めるようになりました。何でも読めるのです。もはや彼女は、だれの「心配の種」でもなくなったのです。もちろん、もともと「問題児」でもなんでもなかったのですが。


 

 なお,

かれこれニ十年近く、サドベリー・バレー校では、いわゆる「読書障害(ディスレクシァ)」なるケースが一件も出ていません。なぜ、そうなのか、理由は分かりません。

  

 だ,そうです。

 これがうまくいけばいいですね。すばらしいと思います。でも,ぼくもおじいちゃん,おばあさんの仲間だと思います。八歳になっても読まないのでは心配です。

 読書障害はないようですが,幼児のときにサドベリーに入り,青年期に卒業する子すべてが読みができるようになるのでしょうか。そしてどの程度できるのでしょうか。ぼくは心配です。

 読みがこのようなものですから,ほかのこともすべて「プッシュ教育」を否定しているのでしょう。
 かけ算,わり算ができなくてもいい,図形の面積を求めきれなくてもいい,ということでしょう。

 子どもをどれだけ信じることができるか,ということでしょうね。ぼくはそこまで信じることはできません。



「プッシュの教育」と「プルの学習」
 まず,野口悠紀雄著「超超整理法」p202からの引用です。




 情報収集について、「プッシュ」と「プル」を区別することができる。

 テレビや新聞は、情報を「プッシュ」している(押し出している)。われわれは、ソファーに座ってそれを受け入れているだけだ。教科書や小説を最初から順に読む場合にも、「プッシュ」された(押し出された)情報を受動的に受け取っている。

 それに対して、情報を「プル」したい(引出したい)場合もある。

 たとえば、ある会社の歴史を詳しく調べたい場合だ。こうした必要が生じた場合、われわれは書店に行って関連書籍を購入したり、図書館に行って資料を調べたりする。 新聞や雑誌も情報をプッシュしているのだが、過去の記事が蓄積され、それらを検索できるようになると、そこから情報をプルすることができる。このための仕組みは、昔から存在した。新聞の縮刷版がそれである。

 情報の電子化が進展して、情報をプルできる可能性が飛躍的に向上した。検索はこれを行うための強力な道具だ。検索エンジンが発明されたために、インターネットのプル機能はきわめて強力になった。われわれは、いま、二十年前には想像もできなかったほどの「プル能力」を獲得している。



 これと似たような感じで,知識を得るために,「プッシュの教育」と「プルの学習」を区別することができます。

 学校教育は,プッシュの教育です。文科省が学習指導要領を決め,そしてそれに沿って学校では教育を行います。先生はあらかじめ決められた通りに授業を行い,それを受動的に生徒は学ぶわけです。

 それに対してプルの学習があります。自分の関心にしたがって図書館で本をさがしたり,またはインターネットでいろいろ調べたりします。

 さて,サドベリー校の特色はこの「プッシュの教育」を完全に否定していることです。何を学ぶかは,与える側が決めるのではなく,受ける側が決めるということです。

 だから,学びたくなったことだけを学べばいいということです。だからもし文字を学ぶことに関心がなければ文字を学ばなくてもいい,という考え方です。

 産業革命前は,「プルの学習」だったが,産業革命後は,「プッシュの教育」が中心になった。だから子どもは不自由で不幸になった,という考えです。企業にとって都合のいい内容を大人が決めて,それをプッシュしているのがいまの教育ということですね。

 それに対して,ぼくは「プッシュの教育」も必要なんではないかな,と思うということで書いたわけです。

みなさんは「プッシュの教育」は必要だと思いますか。それとも必要ないと思いますか。


数検合格,おめでとう!!
 中学1年のN平萌子さんとO原千佳さんが数学検定に合格しました。
 萌子さんは6級,千佳さんは7級です。おめでとうございます。

 検定日2週間前からセルフ塾で過去問題を解いて対策しました。最初はまったくできなかったのですが,だんだん解けるようになるのが私どもにも見えました。
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教育は自由を得るためのもの
 サドベリーの考え方として,産業革命以後,

 機械のー部になってもらうために,
 子どもたちの自由な精神を破壊する
 産業スキルを身につける



 そのために,教育(教授)が行われたというようなことが書かれています。


 教育とは,自由をうばうものということですね。


 ぼくはそれには反対です。

 ぼくは,逆に考えます。ぼくの好きな言葉は,エンゲルスの「自由は必然の認識」です。これはmixiのプロフィールにも書きました。

 簡単に言えば,知ることによって自由になるということです。サドベリーとは逆に教育によって自由を得るのです。

 狩猟採集時代には,何度も飢餓がおそいました。しかし,稲を育てることができるようになり,飢餓は少なくなりました。食べるということに関して一歩自由になったのです。それは,稲のことを知るということによって得た自由です。

 サドベリーの著者は,産業革命以前はいいような書き方をしています。産業革命の前に市民革命があります。市民革命と産業革命はリンクしています。
 市民革命の前は,農奴制度の時代。身分にしばりつけられていたのです。羊飼いは羊飼いになるしかなかった。一方,貴族は貴族,王様は王様です。王権神授説なるものがあって,王という身分は神様から授けられたものだと信じ込まされていた。

 それに対して出てきたのが,啓蒙思想です。ルソー,ロックらの思想によって,市民革命が起こります。市民はこれらの思想を知ることによって自由を求める運動ができるようになったのです。

 このような知識は中学の教科書程度の知識です。

 支配者階級は,被支配者階級が無教養である方が支配しやすいのです。何も知らなければ,支配されていても文句も出てこない。人権思想なるものを知るから被支配者階級がその支配されていることをきらってとっぱらおうとするのです。国民はバカであったほうがいいと支配者層は考えます。

 さらに一歩踏み込ませてもらえば,現代の日本でもそうです。何がこのような格差社会をつくったのか国民が知らない方が支配者にとっては都合がいいのです。

 みんながみんな高等教育を受ける必要はない。肉体労働を行う人たちも必要だから早めに選別してしまった方がいい。頭のいい人は大学まで行きましょう。悪い人は勉強には向かないから勉強はやめて自分の特技をいかしましょう,ということにする。
 少しずれてしまったでしょうか。

 なお,エンゲルスの「自由は必然の認識」については,以下のページに書きました。
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-507.html

迷いねこ
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 12月2日夜8時ごろ,セルフ塾に入ってきました。とても人なつっこいです。

 心当たりのある方は連絡下さい。

機械の一部になるための教育


 サドベリー校について考えを進めます。p8~11を抜粋します。序文で,ここにこの学校の教育の根本思想があると思います。
 ぼくの考えは後で書きます。

 (産業革命以前)
 六歳の子は、立派な羊飼いになりたかった。そのためにはどうしたらいいか、学ぼうとした。それが自分の属するコミュニティーの、一人前の大人になることだったからです。

(中略)

  当時は大人の視野のなかで、子どもたちは常に、人と見なされていたのです。

 これに対して<教授>は、一握りの特権層のため、人びとがそれを適当と思う特別の科目のために維持されたものです。
 この点についてアリストテレスは、はっきりこう言っています。わたしたちがいう「文化」とは余暇の産物である、と。
余暇を持つ人びとはーーつまり特権層のことですが・・・、わたしたちのいう「文化的追求」を楽しめるだけの時間を持つ人びとだったわけです。

(中略)

 産業革命は、ある(可能性)を生み出しました。もちろん、それはー夜にして生まれたものではありません。しかしそれは、<万人>が物質的により恵まれ、よりいいものを食べ、より快適に、より健康になれる現実的な可能性をもたらしたのです。それは新しい時代の希望でした。

しかし、問題がひとつありました。産業革命期の機械は、原始的なものでした。

(中略)

産業革命の出現はしかし、社会に深刻な問題を投げかけました。機械のー部として働きたいと思う人は、ほんとうのところ、誰もいなかったのです。誰もがみんな、花開く産業経済の恩恵に預かることができるよう、どうやったら数百万の人びとに自らすすんで機械のー部になってもらえるのか?

  解決策は、<教授>の領域に横たわっていました。
<教育>が、子どもたちのコントロールのため、動員されねばならなかったのです。一握りの特権層の子どもではなく、平民の子どもたちを大量に教育し、コントロールしなければならなかった。

産業革命以前の時期に、子どもが成長するのに必要とされたスキルとはまったく無緑の、行動様式や初歩的技能を教え込むために、<教育>が動員されたのです。

そうした新しい技能の中心には、まったくもって不自然なものが据えられました。自動人間としての機能になりきることができるスキルがそれです。土台、無理な注文なのに、それをやろうとしたのです。

これをやりきるには、ふたつのことをしなければなりません。

ひとつは、子どもたちの自由な精神を破壊することです。
一箇所にじっと座っていたい、並んでいたい、言われた通りのことをいつもしていたいと、思い込ませなければなりません。駆けっこをするなど、もう許されません。もはや自由はないのです。したいことをしてはならない。好奇心の導くままに学ぶなんて、許されない。ただただ、厳しい規律を受け容れていればいい。誰もが同じことを、いつも必ずしている。適応しなければ、罰せられるのです。

 ふたつ目は、子どもたちにある特殊なスキルを教え込むことです。その特殊なスキルは、「三つのR(基礎学力、読み・書き・算数)」と呼ばれるようになりました。
 子どもたちには、読むことを教え込まねばなりません。指示を読めるようにならなければならないからです。

 書くことも教え込まねばなりません。文書づくりができるようにならないと、いけないからです。

 算数も教え込まねばなりません。重さとか長さとかに慣れさせるためです。そうすれば、産業経済が求める標準的な帳簿付けができるようになる。

つまり「三つのR」とは、三つの産業スキルであるわけです。そしてそれは、<教授カリキュラム> の核心を形成するものになりました。

 それは産業革命以前の人間の生存、あるいは人生とは無緑のものです。その昔、誰が数学を必要としたのでしょう? 読み書きを、誰が必要としたか?

 歴史を振り返ると、ほとんどの人が読み書きできませんでした。王や将軍さえもそうでした。一握りの専門家がいて、他の人びとのために、読み書きをしてあげていたのです。

(後略)



アマゾン,本のベストセラーで1位
 いま見たらアマゾンの

本のベストセラー
指定なし > 本 > 教育・学参・受験 > 中学生 > 数学 > 1年生 > その他学参

 で,ぼくの「わかる解けるできる中学数学1年」が1位になっています。すぐに落ちるかもしれませんが,1位はうれしいです。

指定なし > 本 > 教育・学参・受験 > 中学生 > 数学 > 1年生 > その他学参

月と金星、木星が接近
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 昨夜は,中学部はテスト勉強代休。小学部が7時に終わって,犬(梅子)の散歩で外に出ました。そして,西の空をながめると,月とその上に明るく並ぶ2つの星がありました。
 ひとつは金星だろうと確信しました。もう一つは土星か木星か。

 いったん塾に戻り,妻Kyokoに空を見せて,写真を撮っていて,とお願いしました。妻も「わあ,きれい」と感動していました。
 
 でも機械に弱い妻が写せはしないだろうと思って,散歩は短時間で切り上げもどりました。

 案の定,写真はまだ。説明書を読んでやろうと思っていた,とのこと。

 ぼくも星を撮すのは初めて。でも,ちょこちょこといじって撮しました。このごろのデジタルカメラは星空モードがあるのですね。そして,シャッタースピードが15秒,30秒,60秒と選べます。最初は長い60秒からやったら三日月がぼけて丸くなっていました。そして,30秒,15秒と写しましたが,15秒のがよかったです。この写真は15秒のものです。

 さて,月,金星はいいとして,もう一つの星は何かということで,インターネットで検索すると,すぐに見つかりました。それも次のように

2008年12月1日 細い月と金星、木星が接近
12月1日の夕方、西の空で月齢4の細い月と宵の明星・金星、さらに木星が接近し、双眼鏡で同一視野内に見える。太陽をのぞけば全天でもっとも明るく輝く3天体が接近していることになり、たいへん美しい眺めだ。一足早いクリスマスプレゼントといったところだろうか。月と金星は大晦日の夕方にもふたたび接近する。

http://www.astroarts.co.jp/alacarte/2008/200812/index-j.shtml


 今朝の沖縄タイムスでは,一面で紹介されていました。

 偶然ではありますが,いいものを見たと思いました。きょうの夜もまだ3つの天体が見えるそうですよ。
 

何を学ぶか大人が決めてもいい
 きのう掲載した
ダンが学んでいることを奪い去る権利は、だれにもないんですよ
 の感想です。


 釣りだけをしている学校って,たぶん批判されるでしょうね。日本ではなかなか理解されそうにありません。でも,うらやましいところもあります。

 ぼくもこういうのは嫌いではありません。
 ただ,それで本当にいいのだろうかと思います。

 釣りにあきれば,別のことに興味がわき,それに向かって進むでしょう,ということは,興味のあることだけを学べばいい,という考えです。

 問題は,それでいいか,です。

 ぼくの中にもまだ迷いがあります。それでいいという気持ちと,いやだめだという気持ち。

 いまはそれではだめだという気持ちが強いです。

 ぼくは小学低学年から中学生まで教えています。一時期は高校生も教えていました。
 だから,その知識が一歩一歩積み重なってできあがっていくことが見えています。そうするなかでものごとを理解することができるのです。

 これまで何度も,できるというだけではなく,理解することが大切だと述べてきました。

 そのためには,興味のあることだけ,というだけでは不十分になると思うのです。

 最近読んだ,野口悠紀雄著「超超整理法」には,ヘリコプター勉強法というのが紹介されています。ふもとから一歩一歩登のではなく,ヘリコプターで頂上まで行ってもいいのではないか,というのです。知りたいことの結論だけを得てもいいというのです。

 ぼくは,基礎的なことでなく応用的なものならそれでもいいと思います。できればいいという発想です。

 例えば,最近PDFファイルというのを作り,ホームページに掲載することができました。そのやり方はインターネットで知りました。原理もなにも分かりません。しかし,できるようになった。
 それはそれでいいと思うのです。

 しかし,足し算,ひき算の意味が分かる,かけ算とわり算の違いを理解する,というのはやはりだれでもきちんと身につけて欲しいのです。
 三平方の定理にしろ,二次方程式にしろ,知っていて欲しい。
 二次方程式は社会に出て使わないことが多いでしょうが,論理の進め方は知っておかなければいけないと思うのです。

 一度学んだことは,どこかに残っていて,必要なときに取り出すことができます。しかし,まったく知らないことは取り出しようもありません。必要だということも気付かないものです。

 ぼくは塾で読書をさせています。読む本はこちらで決めます。ぼくが読ませたい本を読ませるのです。そうする中で,この本おもしろいね,ということがよくあります。

 星新一を好きになった生徒は少なくありません。その後,図書館で星新一の本をすべて読んだという生徒も一人や二人ではありません。

 そういえば,このサドベリーについても,このコミュで勧められて読んだのです。たぶん本屋でぼくが見ても買わなかったでしょう。他人に勧められて読んだ本がおもしろかったというのはけっこうあるものなのです。

 そして勉強にしても,これはやったほうがいい,と大人が決めて,それを子どもたちに勉強してもらうというのもまたよしなのではないでしょうか。

ダンが学んでいることを奪い去る権利は、だれにもないんですよ


 サドベリーの典型的な例をコピーします。少し長いのですが。サドベリーの考えがよく分かると思います。サドベリーの生徒の親ジョンが学校に相談にきた場面です。


ジョン「だって、息子のダンときたら、ここに来て毎日、釣りばかりでしょう?」
わたし「その、どこがいけないのですか。」
ジョン「一日いっぱい、それも連日ですよ。秋から冬、冬から春。とにかく、釣りばかりじゃないですか・・・」

 わたしは黙ってジョンの顔を見つめ、ぼやきの続きを待ちます。ここから、いよいよ本題に入るわけです。

 ジョン「わたしが心配なのは、要するにダンが何にも勉強してないことなんです。このまま行ったら、何ひとつモノを知らずに大人になってしまうんじゃないか、と」

 ここで、わたしの短い演説の出番です。ジョンも、どうせそう言われると分かっていて相談に来ているのです。心配を打ち消す、わたしの言葉を待っているのです。わたしは、こう説得します。

「なーに、心配いりませんよ。ダンは何も勉強していないんじゃなくて、その逆です。ダンはわたしの知るかぎり、ほかのだれよりも魚に詳しい。すくなくとも同年齢の子どもには絶対、負けないだけの知識を持っている。魚の種類からそのすみか、行動の特性、生態、そして魚たちの好き嫌いと、魚のことなら何でも知っている。だから将来、立派な漁師になるかもしれませんよ。釣りのエキスパートになって、新しい『釣魚大全』を書くことになるかもしれないじゃないですか・・・・・」

 わたしの「雄弁」も、こうなるとちょっと悪のり。さすがのジョンも、いやな顔をしています。感情をごまかせない性質なのです。息子が釣りの権威になるかも知れないって? そんなこと、信じられるわけがないじゃない・・・・・。

ムッと来ているジョンに向かって、わたしはさらに言葉を継ぎます。わたしの話も、これからが本論なのです。

「わたしの見るところ、ダンはほかにもいろいろ、大事なことを学んでいます。まず第一に、どうすればひとつの物事をしっかり掴み、投げ出さずにすむか。第二に、欲求の度合いがどうあれ、あるいはその導く先が何処であろうと、自分がほんとうに興味を持つことを存分に追い求めることができる自由の大切さを学んだこと。そして最後に、自分がどうすればハッピーでいられるか、ダンは知っている・・・・・」。

 実際、ダンはサドベリー・バレー校で最も幸せな子どもだったのです。いつもニコニコ笑っている子でした。顔ばかりでなく、ハートがスマイルしているのです。年上の子も年下の子も、男の子も女の子も、みんなダンのことが大好きでした。

 さて、わたしの演説も、そろそろ終わりに近づいています。わたしはジョンに向かって、はっきりこう告げます。

「ダンが学んでいることを奪い去る権利は、だれにもないんですよ」

 そして、こう締めくくります。
 「いつの日か、あるいはいつの年にか、釣りに対する関心がなくなれば、こんどは釣りに注いだと同じ努力を次ぎの関心事に向けるはず。だから、もう心配しないで下さい」

 この言葉を聞きおえると、ジョンはおもむろに立ち上がり、温かな「サンキュー」のー言を言い残して、帰っていくのです。そして、一年後にまた、同じ言葉が聞きたくてやって来る。ただし、ジョンの奥さんのドーンは、一緒に付いてきたことがありません。彼女はサドベリー・バレー校に満足していたのです。なぜなら、ダンという、喜びを発散しながら育つ、元気な男の子を持てたのですから。

 こんなパターンの繰り返しのあと、それまで毎年、相談に来ていたジョンが顔を見せなくなりました。息子のダンが釣りを卒業したのです。

 十五歳になってダンは、コンピューターに夢中になりました。一年経つと、地元のコンピューター会社のサービス・エキスパー卜としてアルバイトをするまでになったのです。

 十七歳ではなんと、友だちと二人でコンピューターの販売・サービスを行う会社を起こしてしまいました。十八歳でサドベリー・バレー校を巣立った彼は、コンピューターをもっと勉強するため大学に進みました。大学在学中も、コンビューターのエキスパー卜として働きながら学費を稼いだのです。

(以下略)


 みなさんはこれを読んでどう思われますか。ぼくの感想,考えは後ほど書きます。

沖縄民商・商工フェアー
 きのうは,沖縄民商・商工フェアーがありました。

 場所は,沖縄市八重島公園

 ぼくが所属している読谷支部は,食べ物販売で参加しました。メニューは,いかのげそ揚げ,豆腐厚揚げ,ポテトフライ。豆腐は支部陰であるM川さんのところのもの。一力食品の豆腐として有名です。
一力食品


 心配していた天気も土曜日から晴れて,文句なし。

 ぼくは朝一力食品にいき豆腐をもらい会場に向かいました。
 ところがもうフェアーは始まっていて中に車は入りません。隣の市民会館も車でいっぱい。しかたないので,駐車している車の前にとめて,そこから豆腐を運びました。2箱いっぺんに運ぼうとしたのが大失敗。すぐにこけてしまったのです。豆腐はそこに散らばりました。悲しくなりました。すぐに拾って箱にもどしますが,かなりの豆腐はもちろんくだけています。幸いなことに揚げ物ようとして作られているので,かなり硬い豆腐で大半は大丈夫。
 「大丈夫ですか。手伝いましょう」と声をかけてくれる子どもがいました。「ありがとう,大丈夫です」と断りましたが,うれしかったです。
 体力の衰えをつくづく感じています。

 福引き,くわがたのくじ引きなどのため,かなりの人が集まりました。ぼくらの商品もこれまでになく売れて,大成功です。まだ,きちんと精算していないので,はっきりしませんが。
 とにかく,支部員が楽しくいっしょに行動できたことは大成功です。



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