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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

司馬 遼太郎著「城塞(中)」


 司馬 遼太郎著「城塞(中)」を読み終えました。

 いつものように,その中からおもしろかった部分を抜粋します。

というのは、このことが現実になってあらわれたのが、関ケ原の合戦であった。

 この合戦の直前、家康は豊臣系の諸大名をひきいて関東の小山にいた。大坂で石田三成が旗あげしたという変報が入ったとき、家康は十分に男工作をして諸大名の心を自分にひきよせておき、そのうえで形式的な軍議をひらき、

「御一同のなかで、大坂に加担したいとおもわれるお人があるかもしれない。 そういうお人には決して邪魔をせぬからこの小山より国へ帰られよ」

と、いった。家康はだれもないと安堵していた。ところが元来家康ぎらいの真田昌幸だけがひとり立ち、

「拙者は、三成に加担する」

と宣言し、さっさと陣をはらって信州上田へ帰ってしまったのである。日本史上、これほど鮮明な進退とそれに必要な勇気を示した男の例はきわめてすくない。

このとき、長男の信幸は家康側に残った。つまり天下が二つに割れたように、真田の家も二つに割れた。といって昌幸は長男が敵であったわけでなく、その行動を十分是認していた。

「どっちが勝とうが負けようが、真田の家は残る」

 という、いわば転んでもただで起きぬというしぶとい計算を、昌幸は肚のなかで立てていたにちがいない。

昌幸は、のちに高名になる、(p18~19)


 小説なのでどの程度史実かは知りません。ただ,あのような場で立ち上がって決別を宣言し,立ち去っていくというのはすごいと思います。たぶん,実際に,あとでは家康(秀忠)と闘うのですから,ある程度史実ではないかと思います。

 後半に「しぶとい計算」についてはぼくは別の見方をしています。

 山村 竜也「真田幸村 伝説になった英雄の実像」にある意見にぼくは同意です。

昌幸,信幸,幸村の親子は長い間話をします。どこにつくのか。意見は分かれ結局は二つに分かれます。

 城塞にあるように,昌幸の「しぶとい計算」で,二つに分かれたというより,しかたなく分かれてしまった。ただ,結果的には家のためにはいいだろうということなのだと考えたのでしょう。


 次に,この城塞を読んでこれまでの考えを改めたのが秀頼像です。


 ところが家康にとって、計算外のことがおこった。
 秀頼である。

 ・・・・秀頼は所詮、淀殿の小指。

 と家康はみていたし,大阪城内の織田有楽と大野修理もそうおもっていた。むろん淀殿自身も,秀頼を自分の体の一部であるという以外に,考えようがなかった。

・・・・その秀頼が、

「和議は、いっさいまかりならぬ」

 と、何人が説こうとも、まるで奇蹟がおこったように自分の意思を表明し、ゆずらなくなったのである。

  秀頼は、織田有楽と大野修理を前にしてこのようにいった。

「いま予が、関東討伐の兵を挙げたということは、かならずしも政権を回復しようというためのみではない。むしろ自分の志は、故太閤殿下の名誉をまもり、この城をもって墳墓にしようとするところにある」

という意味のことを、朗々たる口調でいったために、聞く者はそこに別人が出現しているのではないかとおのれの耳目を疑ったが、しかしこの雄大な肉体をもった若者は、蝋燭の灯影でわずかに頬を紅潮きせただけで、ごく自然にいってのけているようであった。

 いいですね。どの程度史実でしょうか。この小説では後藤又兵衛の意見をよく聞くようになった秀頼がだんだん変わっていったとのこと。

 別の箇所に次のような笑い話のようなのがあります。
 秀頼はサザエが好きで,それだけをよく食べていました。

 そこで典医が心配し、賄いの者と相談して、食膳にサザエを上らきなくなった。

 秀頼は不審におもい、

「ちかごろ、サザエはどうした」

と、きいた。ちょうどこの時朗片桐且元が城を退去する騒ぎのあったころで、典医が、サザエは市正が悉皆持ち去りましてござりまする、と答えた。悪はなにごとも片桐且元という気分が城内にあったころで、典医はそれに便乗したのである。

秀頼はおどろき、問い返したことがまずかった。

「市正は、つまりサザエの樹の根まで掘って持ち去ったのであるか」

 秀頼の智能の不幸は、そこにある。人間の智能は幼少のころから人間と自然の中でみずから生活し、体験し、観察することによって啓発されるもので、秀頬のように城内だけを天地とし、みずから生活することなく、ただ存在しているだけで衣食住のすべては他人がやってくれるという特異な環境で育ってしまえば、人交わりのできぬ人間になりはててしまうらしい。人々が言うあほうとは、そういう種類の人間を指すようである。
(が、単なるあほうではない)
と、修理は、秀頼の講和反対のことばをきいて、ひそかにおそれをいだいた。


 「サザエの樹の根まで掘って持ち去ったのであるか」
 には声をあげて笑ってしまいました。

 しかし,司馬遼太郎が書いているように,そういう環境で育つとそうなるのでしょうね。
 北海道の人にとって常識なのが,ぼくら沖縄の人には常識ではないし,その逆もまたあります。
 単なるあほうではなく世間知らずということ。

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