セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

歴史小説
 ぼくは,旅行にでかけるときに,その地について書かれた本をできるだけ読むようにしています。そうすると,旅行そのものへの興味も増します。

 歴史小説も読みます。

 函館に行ったときは,司馬遼太郎(著)「燃えよ,剣」,童門 冬二 (著)「人生を二度生きる―小説榎本武揚」 を読みました。「燃えよ,剣」は,土方歳三のことが書かれています。

 仙台に行ったときは,司馬 遼太郎(著)「馬上少年過ぐ」を読みました。伊達政宗です。

 旅に限らず,歴史小説を読みます。

 何といっても,歴史小説はおもしろいです。

 例えば,橋場 日月(著)「真田幸村―知れば知るほど面白い・人物歴史丸ごとガイド (知れば知るほど面白い・人物歴史丸ごとガイド) 」( 学習研究社)に次のような記述があります。

 この時、昌幸が幸村に徳川打倒の戦略を授けたという有名な逸話があるので、長文を厭わず紹介しておきたい。
「老病重くして、死に臨みし時、幸村を枕元へ呼びよせ、歎息して云けるは、我一つの秘計あり、されど用いず死なんこそ残念なりと云。
幸村、後学の為承りたしと云。
昌幸、汝が及所に非と云。
幸村、身不肖には候へども仰せ聞けられなば用る時節も有なん。
昌幸日、用ゆる時節は今三年を出ずして大阪関東合戦起る事必然也。
其時にこそ用ゆるなれ。
然れども我は老功(巧)なれば人に信ぜらる。
信ぜらる時は、謀事用ひらる也。
汝は才智は我にまけざれど、惜哉戦場の数少なければ人信ぜず。
謀事も亦用ひられじ。
されど我今死に臨て汝に残さぐるべきや。
いざ語らん。
然れども我は老功(巧)なれば人に信ぜらる。


 それが。司馬 遼太郎(著)「城塞(中)」では,次のようになります。小説家というのは,読者がおもしろく読むコツをよく知っているのですね。

 その死のまぎわに、昌幸らしい挿話がある。「真武内伝」や「武将感状記」に書かれている。

 「重病を受けて、まさに死なんとす。よって嘆息し、我にーつの秘計あり、これを用いずして徒らに死なんこと口倍し、と」からはじまっている。

 枕頭にいた幸村がききとがめ、そのこと、のちのちの家訓後学にも致しとうございますゆえお洩らしくださいませぬか、というと、昌幸はそっぽをむき、

「汝ノ及ブトコロニアラズ」

と、いった。これに対し幸村は、

・・・・深ク恨ミタル気色ニテ。

 という表情をつくり、なるほど自分は父上にくらべれば庸愚でございます、というと、昌幸はそういう意味ではない、といった。

 「そのほうは、才はわしよりすぐれているかもしれない。が、若くして九度山に蜜居したため世間にその閲歴を知られていない。だからこの策をもって大坂の城衆を説いても、たれもがそのほうを信用せぬ。世間のことは、要は人である。わしという男が徳川の人軍と二度戦い、二度ともやぶったということを世間は知っている。そのわしがこの策を出せば大坂の城衆も大いに悦服し、心をそろえてその策どおりにうごくだろう。妙案などはいくらでもある。しかしそれを用いる人物の信用度が、その案を成功させたりさせなかったりするのだ。そのほうではとうてい無理である」
といったが、幸村はなおもせがんだのでついに明かした。


 このように,歴史小説は,読者を楽しませるように書かれています。楽しみながら知識が得られるのであればそれにこしたことはありません。だから,ぼくは何か知ろうとしたら歴史小説から入ることが少なくありません。

 しかし,歴史小説は注意が必要です。うそがあるからです。おもしろさを追求して,真実は2の次です。

 例えば,上の逸話について,山村 竜也 (著) 「真田幸村 伝説になった英雄の実像」 (PHP新書)では,こう書かれています。

 慶長十六年(一六一一年)六月四日、昌幸が没した。
 死の直前に幸村を枕元に呼び、家康打倒の秘策を授けたという話が、『武将感状記』などの史料に出ているが、これは創作である可能性が高い。「いまから三年のうちに関東と大坂は合戦に及ぶだろう」などと昌幸に「予言」させたりもしていて、どうも後世の者が昌幸を英雄に仕立てあげようとして作った逸話ではないかと思われる。


 司馬遼太郎も,これは創作である,と思ったのではないでしょうか。しかし,おもしろい方がいい,ということで小説に書いたのでしょう。でも,これままだいい方です。

 童門 冬二 (著) 「ジョン万次郎 (人物文庫)」(学陽書房)に次のような記述があります。

 三人のなかでも、坂本竜馬はいっぷう変わっていた。服装など全然かまわずに、髪もぼうぼうに伸ばしたのを、紐で簡単にくくっただけで、いつも遠い目をしていた。万次郎の真似をよくした。刀を手拭いでくるんで肩にかついで歩く。懐には英語の辞書を入れて歩く。
「読めるのか?」
 と、万次郎が驚いてきくと、坂本は、
「読めれば、先生のところへ習いになんかいきません。」とうそぶく。


 この部分を読んで,ぼくも,「えっ,万次郎と竜馬は出会っていたのかなあ」と思いました。

 この本には,「対談解説」がありました。著者の堂門冬二氏と,作家の松永義弘氏の対談です。そこに,

(司会)では、次に幕末の登場人物たちとの交流や影響を、何人かお話し願いたいのですけれども、例えば坂本龍馬には直接会って・・・・・・

(松永) 多分、会っていないでしょうね。

(堂門) 仲介は河田小竜ですよ。だから龍馬が河田小竜の所に通っているときに・・・・


 という部分があります。堂門氏の口から「会っていない」という言葉はありませんが,松永氏の「多分、会っていないでしょうね。」をうち消すようなそぶりもまったくありません。堂門氏も会っていないと思っているのでしょう。しかし,会ったとした方がおもしろいから,会ったことにしたのでしょうね。
 このように,歴史小説にはうそがある,ということが頭においた方がいいです。でも,ぼくは入門としては,とてもいいと思います。
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旅と子育て
 ある日,生徒が「旅行に行ったよ」と言って,おみやげを持ってきました。

 「ありがとう。どこに行ったの」とたずねると

 「わからん」という返事。

 また,別の子は「東京」と答えました。でも,後で知ったのは,実は行ったのは長野。東京を経由したからなのか,本土はすべて東京だと思っているのか。

 もったいない話ですね。せっかく高いお金を出して旅行に行ったのに,どこに行ったかさえ知らないのでは。

 どうせ,子どもだから,何も知らなくてもいい,などと思わずに,旅行に出かけるのなら,それを利用して,いろいろその地についての知識を増やしてはどうでしょうか。

 行き先を教えるのは,もう当然です。次は,そこを地図できちんと確認しましょう。何に乗ってどこを通ってどう行くのかも,地図を見ながら話しましょう。そして,通りながら,地図を広げ,いまここを通っているんだよ,と確認しましょう。最低,ここまではやりたいですね。

 カーナビという便利なものが発明されて,地図を見なくなりました。ぼくも旅に出ると,カーナビを利用します。目的地に着くということにかけてはとても便利です。しかし,地図が頭に入りません。ただただ車を走らせているだけ。カーナビを利用するにしても,ときどきは地図で確認したいものです。

 次に書店に行き,旅行のガイドブックを買いましょう。ぼくの妻は,ガイドブックを2~3冊買います。1冊では分からないのだそうです。それを見ながら,こことここに行く予定だよ,と話してあげましょう。子どもがガイドブックを読み,ここに行きたいという要望を出したら,行く方向で検討してあげましょう。

 おじいさん,おばあさんの家,親戚の家に行くときも,ガイドブックを手に入れ,近くの名所旧跡を訪ねるようにしたいものです。

 ぼくの妻は,旅行が好きなので,ぼくは用心棒を兼ねながら,ついていきます。行動記録をつけるのは,ぼくの役目です。ICレコーダに吹き込み,後でコンピュータに書き込みます。写真は数多く撮ります。

 帰ったら,アルバム整理。それは,妻の仕事。いや楽しみですね。ガイドブックの説明を写真のそばに貼ったりしていろいろ工夫しています。旅を10倍,20倍楽しんでいます。

 このような旅をしていると,後でテレビを観るのも楽しみです。行った場所がけっこうテレビで放映されるのです。それまでは知らなかったからただなんとなく見て,気にもとめなかったが,その後は,「あっ,ここ行ったね」と記憶がよみがえり,画面に釘付けになります。「旅行に行ってあとは,そこのことをやる番組が多い」と感じます。もちろん,それ以前も同じ頻度でやっていたのでしょうが,気にもしなかったのです。

 そして,さらに知識が増えていくのですね。

セルフ塾の好きなところ嫌いなところ(2)(葉,
成績も上がっていてちょ~うれしい  C花 葉  

 私が、セルフ塾に入ったのは中学二年の六月ごろでした。始めは、大変そうだなぁと思っていました。京子さんも怖かったし、急に叫ばれたりすると、心臓が痛かったです。でもしばらくするとそれにもなれてきて、塾に来るのがとっても楽しくなりました。

 でも、なれてくれるにつれ、サボったりする事も多くなり、京子さんにおこられることもありました。そのおかげで、塾に行く大切さも知る事ができました。今では、きちんと塾に来てるし、成績も上がっていてちょ~うれしいです。

 行きたかった高校も、始めはC評価だったけど、今ではA評価になりました。これも庸次さんと、京子さんのおかげだと思います。一年とちょっとだったけど、お世話になりました。

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個人的に教えてくれ,とてもわかりやすく  K友名 宙  

 セルフ塾は、楽ではありませんが、僕は勉強環境はとても良い所だと思います。
理由はたくさんありますが,まずあげるとしたら学習指導者の人達です。中学校では、専門の先生が授業しますが、セルフ塾では五教科すべて教えてくれ,そして個人的に教えてくれるのでとてもわかりやすく助かります。

 ほかには、土日をぬいて月から金までみっちりと学習時間があり,テスト前となると土日をやって毎日教えてくれます。この学習時間はとてもきびしく,毎日眠たいのですが、他の人たちにおくれをとっていると思う人にはうってつけの塾です。またおくれていないと思う人にも予習や復習ができとてもいいところです。

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厳しくてハードですけど、終わった後の達成感は、他の塾よりも大きい  M田 宗一郎  

 ぼくは、セルフ塾に入って一度も楽しかったと思ったことがありません。なぜなら、ノルマは多いし、休みが少ないし、気を抜いたら終わらないしと、いったところです。

 しかし、それを違う意味でとらえると、とても良いことだとも思いました。なぜなら、こんなにハードなものをやっていたら実力がつくということです。いやだけど、やらないといけないことで根性もつくと思います。また、セルフ塾は基礎からやるので、自分の苦手がはっきりわかり、苦手を無くすことができます。

 このように、セルフ塾は、厳しくてハードですけど、終わった後の達成感は、他の塾よりも大きいと思います。

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動物が塾の中にいて、僕達を癒してくれた  T山 健伍  

 僕は、三年生のときにセルフ塾に入りました。

 友達からセルフ塾は、毎日あり、自主学習だからあってない人にはきついと言われましたが、僕は大丈夫と思い入塾しました。その友達の言った通り僕にはとてもきつい学習法でした。自分のノルマが終わらずに遅くまで残ったり、たまに掃除もあったりしてとてもいやでした。

 しかし、僕のセルフ塾の好きな所もたくさんあります。動物が普通に塾の中にいて、僕達を癒してくれたり、皆仲がよかったりして,とても楽しいのも好きな所です。

 でも一番はやっぱり、先生方との仲がいい所だと思います。庸次さんや京子さんのほかにも何名かの先生方がいて、休み時間などの話などとても楽しいです。

記事番号1000超
 このブログの記事数が1000を超えました。この記事は1002番目になります。
 ブログを始めたのが1昨年の12月ですから,もうすぐ1年半です。

 単なる通過点ではありますが,4桁になって,よく書いてきたものだと自分でも感心しています。
 毎日,カウンターを見て,これだけの人に読んでもらっているのだから,またがんばって書こうという気持ちになります。

 読んでくださっている方,ありがとうございます。

母と読書の思い出
 ぼくは,「読書の好きな子に育てる方法」について新聞投稿したことがあります。それをぼくの母が読んで、妻に次のように語ったそうだ。「私は共働きで、ゆっくりした時間もなく、子どもたちに本の読み聞かせをすることもできなかった」。さびしそうに語っていたそうです。保健婦をしていた母は,家事と仕事を両立させるために,いつも忙しそうにしていたのを思い出します。

 ぼくも親不孝をしたものです。その罪ほろぼしというのではありませんが、母と読書のということで思い出すことがあるので、書いてみます。

 ぼくが小学校六年のときです。担任が授業の中でビクトル・ユーゴーの「ああ無情」を読むことをすすめました。それに興味を持ったぼくは母にその本をねだりました。そのころぼくは首里に住んでいました。母はそのぼくを那覇まで連れて行ってくれました。そして、書店に入って「ああ無情」を探してくれたのです。すぐには見つかりませんでした。4~5軒の書店をまわってやっと見つかりました。もちろん、ぼくはその本を夢中で読みました。

 もう一つの思い出は、日本文学全集をそろえてくれたことです。ぼくが中学生のころでしょうか。あのころはぼくの家族は大家族で経済的にはそんなにゆっくりしていなかったのではないでしょうか。一月に一冊配本されていたと思います。与謝野晶子訳の「源氏物語」から始まって昭和の著名な作家の作品が並んでいました。

 ぼくは、短編集で読みやすかった芥川龍之介から読み始め、夏目漱石、森鴎外、武者小路実篤、太宰治・・・、と読み進みました。学校の図書館に行けば読むことはできたでしょうが、やはり目の前にあると気軽に読むことができます。今でも実家の書棚にはその全集が並んでいます。あれがなければ、あんなには日本文学を読まなかったでしょう。

 今ぼくは読書が好きです。確かに、母に読み聞かせをやってもらったことはありません。しかし、母が読書の好きな子に育てたかったことは確かです。それは子どもには伝わるのもです。

 ピグマリオン効果については前に書きました。子どもに期待をかけていると、実際にその通りになるというのです。母はぼくに読書好きになってもらいたいという期待をかけていたので、私が読書を好きになった面もあると思います。

 もちろん、そんな単純ではないでしょう。読書好きになってもらいたいと思って、読み聞かせを続けてきたのに大きくなって読書をするようすもないという例を数多く知っています。読書好きな子に育てるというのはいろいろな要素が複雑にからみあっているように感じます。

「できる」より「分かる」
 分からなくても,できることがあります。例えば,いまぼくはコンピュータをたたいてこの文を書いていますが,なぜコンピュータがこのように動くのかまったく分かりません。テレビのスイッチを入れると画面が出てきます。また,リモコン操作でチャンネルを変えることも音量を調整することもできます。しかし,なぜ,そのようにできるのか,まったく理解していません。

 このようなのをブラックボックスといいます。

 ブラックボックス(Black box)とは、内部の動作原理や構造を理解していなくても、外部から見た機能や使い方のみを知っていれば十分に得られる結果を利用する事のできる装置や機構の概念。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 このようなのは,できればいいのです。分からなくてもいい。

 算数でも分からなくてもできることはあります。三角形の面積=底辺×高さ÷2を覚えていたら,なぜそうなのか分からなくても面積を求めることができます。分数のわり算もそうです。

 では,逆に,分かればできるか,というとそうでもないようです。

 ある数学者が中学入試の数学の問題にトライしたのですが,なかなか解けなかったそうです。数学者なので数学,算数についてはよく分かったいるのでしょうが,入試問題というのは解くコツがあるのでしょうね。

 ピアノを弾くとき,頭ではどうすればいいのか分かったいても指が思うようには動かないものです。プロ野球のファンの中には,プロの解説者並みに知っている人がいます。しかし,野球ができるかといえば,まったくだめという人が多いでしょうね。

 算数で,三角形の面積がなぜ底辺×高さ÷2なのかは理解できたとします。しかし,それで終わって練習をしないとなかなかスムーズに解けるものではありません。

 理解して,公式をきちんと暗記し,そして練習を繰り返す中でできるようになるのですね。

 だから,分かってできる,ようになる必要があります。

 しかし,ぼくは分かる方が重要だと思います。分かれば時間はかかってもたいていの問題を解くことができます。そして,応用がききます。

 分からずにできるだけでは,少し目先が変わった問題が出題されるとできません。応用が利かないのです。

 英語でも,文法を知らずにただ暗記したのでは,応用が利かないと書きました。同じことで,算数,数学の意味を理解していないと応用が利かないのです。発展性がありません。回り道のようにみえても理解するということに時間をさくようにしたいものです。

セルフ塾の好きなところ嫌いなところ(1)(宏斗・真子・和彦・太瑞樹)
「セルフ塾の好きなところ嫌いなところ」

 この4月に高校に進学した生徒が中学3年生だったときに書いた作文を紹介します。これは,高校入試対策としての作文の課題として「セルフ塾の好きなところ嫌いなところ」という題を与え書いてもらったものです。(掲載順はランダム)

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自分のあまえに負けず、厳しくできた  M吉 宏斗  

 僕は、セルフ塾がとても好きです。セルフ塾は、個人でノルマをやり、自分のペースで進めることができます。僕は、そのシステムがとても好きで、やりやすいです。質問予約表も、とてもすばらしいと思います。自分のわからない問題を、とても詳しく教えてくれるので、難しい問題も覚えられるようになります。

 セルフ塾は、僕にとても大きな影響を与えました。それは、自分に厳しくするという事です。僕は、今まで自分にあまくしていました。しかし、セルフ塾に入塾してセルフという自分だけでやるという環境の中で、自分のあまえに負けず、厳しくできたと思います。この精神は、勉強だけでなく部活などにも必要だと思います。セルフ塾に入塾して、本当に良かったです。

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先輩と後輩の仲が良い  I嶺 真子  

 私がセルフ塾の好きな所は、先輩と後輩がとても仲が良い所です。先輩がいた時は、一緒に学校の話やトランプ、鬼ごっこなどして遊んだりしたりもしました。他の塾では、あまり先輩と関わらなかったかもしれないけど,セルフ塾はとても先輩と後輩が仲良しです。その他にも、動物がたくさんいていやされます。私が1番好きなのは梅子(犬)です。梅子は見ているととてもかわいくて,とてもいやされます。

 だけど、セルフ塾の嫌いな所もあります。それは、そうじです。タイムカードなど押し忘れたりすると窓のそうじをするのでとても嫌です。私は、ヤモリが嫌いなので窓そうじをするとやもりのうんこがたくさんでてくるので本当にそうじは嫌です。

 あと夏の窓際は虫がたくさんくるのでそれも嫌いです。こういう事もあるけど、セルフ塾はとても楽しい塾です。なので、私はセルフ塾が大好きです。
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うめこの玄関でのふせ方がたまらない  K山 和彦  

 僕は、このセルフラーニング塾(セルフ塾)に入塾してから、いろいろな面でとても成長したと思います。僕は、二年の時まで、塾にも入っていなく、勉強も全然やっていなくて、成績が余りよくありませんでした。そんな時、友達のたずき君に「塾に入らないか」と誘われて、三年の最初にセルフ塾に入塾しました。最初の頃は、セルフ塾の勉強方法になれなくて、嫌いな時もあり、「やめたい」と思った時もありましたが、それも、段々なれて行き、塾が楽しくなるように感じました。すると、勉強が楽しくなってくるようになり成績も順調に上がっていくようになりました。

 あと、セルフ塾には「うめこ」と言う名前の犬がいます。うめこは、僕達をいやしてくれます。うめこの玄関でのふせ方がたまらないです。セルフ塾には、まだまだすごいものがたくさんあります。僕は、このセルフ塾に入れてとても良かったなと思いました。
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自分にあった学習方法  M城 太瑞樹  

 セルフ塾の好きなところは、やっぱり自分で学習するところだと思います。自分で学習するということは、自分のペースで出来るということで、その人のペースで成績を上げることが出来ます。他の塾のように他人のペースで勉強で勉強するのも良いけど、ぼくは、自分のペースで自分にあった学習方法は、やっぱりセルフで学べるセルフ塾だけだと思います。

 ほかには、セルフ塾の5ポイント休暇がぼくは好きです。5ポイント休暇は頑張ったら休みがもらえるので、勉強をがんばろうという気になり、やる気が出てきて、ノルマをこなすことが楽しくなってきます。5ポイント休暇があるだけで、勉強がはかどるので、これからも5ポイント休暇はあったほうがいいと思います。

一方伝達と双方伝達
 デジタル放送が始まって,テレビではよく「双方向番組」「双方向機能」ということが言われています。

 双方向番組(そうほうこうばんぐみ)は,視聴者が参加できるテレビ番組のジャンル。主にデジタル放送では、通信販売の商品を購入する際にを使い購入したり、NHK紅白歌合戦で紅白どちらが勝利するか投票などができる。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 ぼく自身は,まだ双方向番組を経験したことはありません。

 これまでは,「一方向番組」だったのですね。テレビ番組を作って,視聴者に流す,という一方通行。それに対して,視聴者から番組側への声も届くようになったわけです。

 さて,別の場面を考えてみましょう。
 極端な一方向の話は,朝礼での校長先生の話ですね。校長先生が一方的に生徒に向かって話をする。これは,一方向です。なお,英語のspeakは,このイメージです。

 それに対して,おしゃべりは双方向です。Aさんが「△□○×」,それに対してBさんが「☆△◎□●○×」,というように言葉のキャッチボールが行われるのです。英語のtalk は,このイメージ。

 さて,この二つの違いを頭に置くことは,子育て,教育,人間関係において,とても大切なことです。

 その違いがはっきりする実験があります。
 「感受性訓練」という本にあったものです。家庭でも,友人同士でもすぐにできますので,やってみてください。


1 一方伝達
まず、一方伝達の実験からお話ししましょう。みんなの中から有志をー人えらんで、前のほうに出てきてもらいます。この人はみんなに背をむけて坐り、みんなに見えないようにして、上の図形1をことばで1から順に説明します。みんなは説明を聞きながら、じぶんの紙に図形を書きます。伝達者は身振りや図解をしてはならない。もっぱら、言葉だけで説明するのです。指導者はみんなにむかって、つぎのように言います。
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(1)いまから、誰々さんが、簡単な図形をみなさんに書いてもらうように指示しますから、よく聞いて言われた通りに書いて下さい。

(2) 誰々さんには、できるだけ明瞭に、できるだけ完全に説明してもらいます。時間は必要なだけ十分にとってかまいません。

(3)しかし、みなさんが質問することは許されません。みなさんは「解らない」「困った」「もうー度言って」「フアッ」など声を出してはいけません。黙って、言われた通りにしなければなりません。また隣りの人のを見てはいけません。成績をつけるわけではあり
ませんから、カンニングはしないで下さい。

(4)いわれた通り、できるだけ正確に書くようにして下さい。

2 双方伝達

 こんどは双方伝達についてやります。
 伝達者はまえと同じ人にしますが、図形は別のものにします。ただし、困難度は前のと等しくなるように、あらかじめ調査されたものです。やり方は前と同じですが、次の指示をあたえます。

(1)こんどは、誰々さんが、もうーつ別な図形をみなさんに書いてもらうように指示しますから、よく聞いていて、言われた通りにかいて下さい。

(2)こんども、できるだけ立派な指示をしてもらいますが、こんどは前とちがって、誰々さんはみなさんのほうをむいて説明することにします。もし解らない所があったら、いつでも遠慮なく質問して下さい。何回反復してもらっても構いません。しかし、みなさんはジェスチャーを使ったり、ほかの人に答えを暗示するようなことを言ってはいけません。隣り同志見てはいけない点は前とおなじです。

(3)こんども、できるだけ正確に書くようにして下さい。


 一方伝達と双方伝達のちがいは,質問を許すか,許さないかです。
 この実験をやればとてもよく分かりますが,一方伝達では正確な図形はなかなか描けません。ほとんど不正確でしょうね。それに対して双方伝達はほとんど正解になります。

 教師が黒板の前に立ち,一方的に授業をするとします。どんなにうまい教師でもなかなか教師の伝えたいことは生徒に伝わりません。
 それに対して,生徒の質問をできるだけ引き出すように授業を進めると,かなり伝わります。
 
 家庭でもそうです。お母さんが一方的に話していたのでは,子どもに伝わりません。それよりも子どもと会話するように,言葉のキャッチボールをするとお互いの気持ちが通じます。

 勉強をみるときも,教えるというより,子どもが問題を解き,それにつまずいたときに,なぜつまずいたのかを考えながらヒントを与えたり,いっしょに考えたりするといいですね。

 ぼくは教材を自分で作っていますが,作って生徒に与え,それがどのように解かれているかよく観察するようにしています。よく間違えるところ,生徒がつまずくところは,まだまだ分かりにくい教材だということです。そういうところは工夫をこらして,もっとわかりやすいものに作り替えるようにしています。

 このように,いろんな面で,一方通行にならず,双方向で声が行き交うようにするように努めたいものです。

親のあこがれにあこがれる
 「子どもは,親の背中を見て育つ」と言います。

 よく言われるように,口先だけで,「勉強しなさい」と言っても,親はテレビをみてばかり,というのでは,勉強する子に育つはずがありませんね。

 齋藤孝著「教え力」から抜粋します。



・相手のやる気をかきたてるために,何がいちばん大事なのかというと,教える側の人間が,いまからやろうとしていることに恐ろしいほどの憧れをもっていることです。(p52)

・ヘーゲルの言葉に「欲望は模倣される」という言葉があります。(p52)
・のめりこんでいる人が語る話というのは非情に魅力的です。それによって,人は,モチベーションをかきたてられてしまします。(p53)

・いま,自分自身もそれに憧れているんだというメッセージを胚(はら)の底から持つというのが,教える相手のモチベーションをかきたてるためにももっとも大事なことです。(p55)

・教える側の憧れが,生徒の憧れを生む。これは,生徒のほうから見ると,先生の憧れに憧れるという図になります。(p56)

・大事なことは,教える側も現在進行形で学び続けている,それも常に学ぶ側の何倍もの速度で学び続けている,ということなのです。(p62)



これは,ぼくら教えることを仕事にしている人へのメッセージです。その通りだと思います。

 ぼくは塾ですべての科目の学習をみています。中学生には,英語,数学,国語,理科,社会の5科目です。ぼくは学生のころ,好き嫌いが激しく,理科,数学は大好きだったのですが,あとは大嫌いでした。この仕事をするようになり,文系の科目も学ぶうちにおもしろいところも分かって来ましたが,それでもやはり,理科,数学が好きです。

 物理の話をするときには,つい熱が入ってしまいます。そして,脱線も多くなります。そのようなとき,生徒の目も生き生きしているのを感じます。これが,教える側の憧れが教わる側の憧れを生む,ということなのだと思います。

 さて,親も基本的には同じです。ただ,教えるのを仕事にしているのではないので,英語,数学などの教科が好きではない人の方が多いでしょう。子どものために教えているんだという感じでしょうね。

 親は,自分の仕事や趣味に憧れて,それを子どもに伝えればいいのではないでしょうか。自分の仕事(趣味)は,これこれで,これはすごくおもしろいんだよ。どこがおもしろいかっていうとね,・・・・。できるだけ子どもに分かる言葉で説明した方がいいのですが,情熱は伝わるはずです。

 もし,憧れるものが何もなければ,作りましょう。親が憧れるのがなければ,子どももそうなります。親の憧れる姿を見せることによって,子ども何かに憧れるようになります。すると,学校の教科にもやる気を出してくれるかもしれません。

英語が苦手なのは感謝すべき
 「役に立たない程度の英語教育ですんでいる、という状況にむしろ感謝すべきなのだ」

 田川健三著「書物としての新約聖書」で出会った一文です。ぼくも同感です。それがどういうことを意味するのか、ぼくなりにまとめてみました。

 韓国や台湾の年配の人はとても流暢な日本語を話します。それは、植民地時代に日本語による教育が強要されたからです。英語を流暢に話す人の多い国では、植民地時代に英語による教育が行われたところが多いのだそうです。英語が得意になることと、植民地になり自国の文化である言語を失うこととどちらが大切でしょうか。

 インド人も英語が上手です。植民地政索による影響も大きいが、さらに状況は複雑なようです。インドの憲法では公用語をヒンディー語とさだめていますが、この条項はヒンディー語を使用していない州ではうけいれられていません。それで、英語が地域間の交流の言語としてつかわれているのです。日本では、方言はあるものの、どの地方に行っても日本語が通じます。ありがたいことです。

 書店に行くと、大量の翻訳物が並んでいます。また、テレビでは外国で作られた作品が日本語に吹き変えられて放送されたり、字幕がついています。つまり、外国の文化に日本語で接することができるのです。国力が小さいとそうはいかないでしょう。

 外国を旅行すると、日本語で話しかけられることが多いです。また日本語による案内板や説明もかなりあります。多くの国で日本語教育が盛んになっているようです。つまり外国の人が日本語を使うようになってきており、日本語で外国の人と接することもできるようになっているのです。

 このようにぼくたち日本人は日本語だけで不自由なく生活ができ、英語を使う必要性があまりありません。だから苦手なのです。自国語だけでは十分に生活できない国の人々は英語がうまく話せるようにならざるを得ないのです。

 英語を母国語とする人々は外国語(英語以外のことば)が苦手です。英語だけで十分に生活できるからです。つまり、自国語の力が大きいところは外国語を学ぶ必要がなく、自国語の力の弱いところは外国語が上手でなければ生活できないのです。日本語はかなり力が大きいのでしょう。だから日本人は日本語以外の言葉を使わなくても生活できるのです。

 こう考えていくと、英語が苦手だということはやはり感謝すべきことなのでしょう。

 しかし、今後は日本語だけでは不自由を感じるような国際化社会になります。だから、英語はやはり使えるようになったほうがいいのです。ただ、日本人が英語を話せないのは単に学校教育が悪いからでも、文法中心の英語教育が悪いからでもありません。日本語だけで不自由のない生活を送ることのできる日本人にとって、英語を使えるようになるということはかなり難しいことなのであり、多大な努力を要することなのです。

真喜屋滝,沢のぼり,沖縄の秘境
 きょうは,Hよしひろくんが沖縄の秘境に連れていくということなので,ついていきました。数人に呼びかけたのですが,結局集まったのはぼくら夫婦とよしひろくんの3人だけ。

9時04分 セルフ塾を出発。ぼくの運転で。
 沖縄は梅雨入りして,雨が多くなっています。天気予報では,きょうは雨。朝方かなりの大雨がふったので,心配していましたが,出発のとき雨はあがり,曇り空。

10時23分 名護市仲尾次の部落から山(多野岳)に入り,しばらく上ったところで降りて,歩き始める。
歩き始め
多野岳案内板


10時34分 橋を渡る。けっこう立派な橋だ。観光地化をねらったのだろう,しばらくそのような感じで続く。
橋


10時47分 普久滝(真喜屋滝)で,写真を撮す。川の名前は知らない。
普久滝

10時48分 滝から少しもどり,道でないところを歩く。かなり激しいところ。
沢上り
2番目の滝に到着。滝の名前は知らない。
2番目の滝


10時58分 沢を上る。大きな岩が続く。今朝の雨のせいもあり,滑りやすい。滑らないように気をつけながら歩く。大変なところだ。
善弘に助けられて

60歳をすきたTさんもさそったのだが,参加しなくてよかったと思うほど大変なところだ。Kyokoはまだいいが,他の女性だと無理だろう。Mさんの奥さんもさそったが参加しなくてよかった。
崖上り


11時29分 Kyokoはよしひろに助けられながら上る。
沢を歩く


 水道もひいている。
水道橋


12時11分 3番目の滝 小さな滝だが1つの岩をけずりながら落ちてくる。記念写真。
3番目の滝


12時33分 山の道へ上っていく。まったく道らしいところがない。よしひろくんは「沖縄の秘境」とは言っていたが,こんなに大変なところだとは思わなかった。沖縄にもこんなところがあるのかと感心した。もっと楽なところだと安易に考えていた。でも,いいところを紹介してくれて感謝している。
道はない


12時54分 しばらく歩きやすい道。上の方に水道のための施設があったがそれを作るために作った道かもしれない。しだが茂っている。そこを下っていく。
シダの道


12時55分 こけ。きれいに広がっている。

1時07分 アスファルトの車道に出る。
1時11分車に乗る。歩き始めてから2時間48分かかった。雨ですべりやすいためにゆっくりゆっくりした。

2時ごろ,今帰仁に入り道沿いの食堂「くろちゃん」で昼食。ソーキそばを食べる。
ソーキそば


2時30分から3持30分 読谷村の知人Shinyuさんを訪ねる。Shinyuさんは今帰仁城址近くのハーブという山菜レストランのそばにある療養施設で療養中。心臓が悪いとのこと。しかし,ここでの食事療法などでとてもよくなったとのこと。確かに顔色もよく天気そう。からすの話などで盛り上がる。
真勇さん


 本部富士です。
本部富士


 途中すいかなどを買う。そして,5時ごろ,塾に到着。

 

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親は火星人,子どもは金星人
ジョン グレイ著・大島 渚訳 「ベスト・パートナーになるために―男は火星(マース)から、女は金星(ヴィーナス)からやってきた」(三笠書房)の冒頭にある話です。


「そもそも、男は火星人で、女は金星人だった」そう想像してみよう。

遠い昔のある日、火星人たちは望遠鏡をのぞいているうちに金星人を発見した。彼らは、そのはじめて見る 〃異星人〃 の魅力にひと目でとりつかれ、ただちに宇宙船を発明して金星へと飛んだ。

金星人たちは、両手を広げて彼らを大歓迎してくれた。この日が来ることを、直観的に感じとっていたのである。かつてないほど激しく胸がときめき、そして恋が生まれた。

この異星人同士の恋は、まるで魔法にでもかけられたような勢いで急速に進展していった。まったく異次元の世界で生まれ育った二人だったが、彼らは嬉々としてー緒に行動し、楽しみを分かち合うことができたのだ。

はじめの数か月は、互いのことについて学び合った。好みや行動パターン、要求することの違いなどを探り、充分に理解し合うことができた。そして、深い愛情と相手を敬う心に支えられた仲むつまじい生活が始まった。

やがて、彼らは地球に移住することを決めた。この新しい天体での生活も、はじめの頃は快適で素晴らしいものだった。双方ともに、互いの違いをよく心得、認め合って金星時代と同じように幸せな日々を過ごしていた。

ところが、地球の環境と雰囲気の中にとげ込んでいくうちに、しだいに大切なことを忘れがちになっていった。そして、ついにある朝、彼らは目覚めると同時に完壁な 〃記憶喪失〃 に陥ってしまったのである。

火星人も金星人も、お互いがそれぞれ異なった天体からやってきた身であることと、それゆえに双方の間に根本的な違いがあることをすっかり忘れてしまったのだ。金星で学んだことは、すべて彼らの記憶から消え失せた。

その日から、男と女の闘いが始まり、今日に至っているのである。



 この本は,男女の関係のために書かれた本です。男と女というのは根本的にちがうのですよ。だから,「双方ともに、互いの違いをよく心得、認め合って」いけば,お互いが幸せになるのですよ。同じだと考えるから争いができるのですよ,ということを言っているのですね。

 しかし,ぼくは男女関係だけに限ったことではないと思います。同じ男同士でもちがうものです。あなたはぼくと同じ考えでなければいけない,ということを押し通したらけんかになってしまいます。

 親子もそうです。お母さんは,自分の子どもは自分のお腹から痛い思いをして産んだんだ,だから,この子は自分と同じなのだ,などと考えたりします。だから,この子のことは私が一番よく知っています,などと言います。

 それが「最悪の教師」への道ですね。親子でも根本的にちがうと思った方がいいのです。お母さんは火星人で,子どもは金星人,それくらいのちがいがあるのだと思いましょう。そして,お互いを理解するように努めるのです。互いの違いを認めましょう。それが「最悪の教師」から脱出の道へつながります。

親は最悪の教師


田の字のもくじ
 「田の字」がこんなに応用範囲が広いんだよ,というのを示すために,「もくじ」を掲載します。
 高校の範囲まで広げたらもっともっとになります。「モル」の計算なんかこれで楽々!!
 高校の数学,理科を勉強して,高校用の田の字を作ろうかな!

単位当たり量,いくつ分,全体量
   1
表に整理する 2
方程式の解き方 3
表から方程式を作る 4
方程式を作り,解く 5
表,方程式を作り,解く 6
秒速 7
時速 8
音速 9
音の速さ 10
はね返る音 11
圧力 12
パスカル 13
密度 14
物質の密度 15
気体の密度 16
単位の換算(長さ) 17
単位の換算(重さ) 18
単位の換算(電流,電圧) 19
単位の換算(時間) 20
単位の換算(秒と時間,日と時間) 21
秒速(cm/秒)«分速(m/分) 22
分速(m/分)«時速(km/時) 23
秒速(cm/秒)«時速(km/時) 24
オームの法則 25
電力 26
ジュールの法則 27
正比例の式 28
反比例の式 29
二次関数 30
割合 31
縮尺 32
百分率(%) 33
百分率と田の字表 34
上げ率 35
下げ率 36
濃度 37
難問「濃度」 38
湿度 39
気温と湿度 40
露点と湿度 41
降水確率 42
確率 43
比例式 44
比例式が解けるわけ 45
速度,圧力 46
密度,ばねののび 47
電流,電圧,抵抗 48
電力 49
ジュールの法則 50
初期微動継続時間と震源距離 51
弧の長さ 52
扇形の面積 53
時差 54
星の日周運動 55
星の年周運動 56
南中時刻・日の入り時刻 57
南中高度 58
相似 59
三角形と線分の比 60
曲の字表 61
三平方の定理(直角二等辺三角形) 62
30°,60°のある直角三角形 63
定比例の法則 64
質量保存の法則 65
正比例の式 66
二次関数 67
ばねの長さ 68
一次関数の式 69
ばねの自然長) 70
一次関数,初期値を求める 71
ばねの長さ(自然長未定) 72
一次関数の式(初期値未定) 73
反比例 74
反比例と田の字 75
速度と時間(反比例) 76
圧力と面積(反比例) 77
電流と抵抗(反比例) 78
反比例の式 79


中学数学・理科が「田の字表」なら解ける・わかる・点がとれる! (アスカビジネス)

加藤周一の「読書術」
 先日は,徒然草の「見ぬ世の人を友とするぞ」について書きました。


 ぼくが大学生に入学したころに読んだ本に加藤周一の「読書術」があります。
 ぼくが読んだのはカッパブックスですが,画像がないようなので,岩波文庫のものを載せます。


 そのp24から引用します。

私は学生のころから、本を持たずに外出することは、ほとんどなかったし、いまでもありません。いつどんなことで偉い人に「ちょっと待ってくれたまえ。」とかなんとかいわれ、一時間待たせられることにならないともかぎりません。そういうときにいくら相手が偉い人でも、こちらに備えがなければ、いらいらしてきます。ところが懐からー巻の森鴎外をとり出して読みだせば、私のこれから会う人がたいていの偉い人でも、鴎外ほどではないのが普通です。待たせられ るのが残念などころか、かえってその人が現われて、鴎外の語るところを中断されるのが、残念なくらいになってきます。なにも偉い人にかぎらず、この人生に私たちを持たせる相手は、いくらでもあるでしょう。その相手が歯医者でも、妙齢の婦人でも、いや,すべてこの国のあらゆる役所の窓口でも、私が待たせられて、いらいらするということは、ほとんどありません。次の急な約束をひかえていないかぎり、また、待つ場所が肉体的苦痛をあたえるような場所でないかぎり、私はいつも血わき肉おどる本をもっていて、その本を読むことは,歯の治療や、役所の届け出や,妙齢だが頭の鋭くない婦人との会談よりは、はるかにおもしろいからです。


 徒然草の「見ぬ世の人を友とするぞ」に通じますね。森鴎外の本を取り出せば,もう鴎外と友になっておしゃべりを楽しんでいるようなものです。

 ぼくは,その本を読んでから,ポケットにいつも本を持って出かけるようになりました。ちょっとした時間があると本を広げました。


小学生の漢字の練習
 小学生には,漢字の練習が大切です。日本人は漢字の読み書きがなによりも基本ですね。漢字が読めなければ自分で学習することができません。日常生活でも不自由になります。

 漢字の学習もルーティン化(毎日のきまりきった作業)することが必要です。

 塾では,清風堂書店 岸本裕史監修/桝谷雄三編集の「漢字習熟プリント」{小学1~6年生(全6巻)、手書き、B4判、税込価格/各1,365円(本体価格1,300円+税)}と
新漢字習熟プリント―子どもにやさしい手書きプリント (小学4年生)

 それと,旺文社「小学漢字1006字の正しい書き方―書き順・音読み・訓読みがすぐわかる 」{価格:¥ 630 (税込)文庫 サイズ}を使っています。
小学漢字1006字の正しい書き方―書き順・音読み・訓読みがすぐわかる (Obunsha study bear)

 塾で作成した「漢字学習ノート」に,
 ①読み方(音・訓),②書き順(大きく一字書き,書く順に番号をつける),③部首,そして④練習,⑤単語(習熟プリントから写す),⑥短文(習熟プリントから)を書きます。
kannjigakushuunote.jpg

 1日教科書の新出漢字3文字ずつをします。

 本当は,漢字の意味も書き写したいのですが,上の2つプリントと本にはないのでやっていません。

 家庭では,普通のノート1ページに何をどう書くか,決めましょう。とにかくパターンを決めることが大切です。

 子どもが書いたら,それをチェックします。

 塾では,ちゃんと書いているかどうかをチェックしながら,単語,短文を正しく読むことができるかどうか,テストします。「音・訓」の読み方の部分を手で書くし,単語,短文を読むことができるか,読ませてみるのです。読めなければ,「はい,ちゃんと覚えておいで」と言ってもどします。

 そして,塾では次の日に書取のテストをします。書取用のテスト用紙を準備しています。といっても原稿用紙のようなものを印刷してつづっただけのものです。家では,市販の原稿用紙ノートを使えばいいですね。

 それに,前回書き写した単語,短文の読み方をひらがなで右の方に書きます。これは前回覚えた読み方をまだ覚えているかどうかのテストにもなります。思い出せない場合は,空欄にしておきます。そして,それをぼくらがチェックします。間違えていたり,空欄がある場合は,訂正させます。自分でプリントを見て確認するのです。

 これで,読みのテストと同時に,書取のテスト用紙ができあがりました。子どもが自分自身で作成した書取テスト用紙です。

 次に,子どもたちはノートに2回ずつ単語,短文を書いて練習します。練習したのは正しく書けているかどうか,ぼくらがチェックします。間違えていたら書き直させます。きちんとできたら,書取のテストです。テストですから,ノートや本は見ないで書くのです。分からないところは空けておきます。それをぼくらがすぐにチェック。赤ペンで○をつけていきます。間違えたところはチェックです。間違えた字は再度練習します。このようにして全部できたら漢字の練習は終わりです。

 30分くらいの作業です。これだけやっていればかなりの漢字力がつきます。

 前にも書きましたが,何をどのようにすればいいのか,決まっていれば,子どもたちはさっさと自分で作業します。要するにルーティンになるのです。だから,こちらも楽です。

 お母さんは,テーブルで何か家事をしながら子どもがやったことをチェックするだけでいいのです。

見ぬ世の人を友とするぞ
 「魚を与えれば一日の飢えをしのげるが、魚の釣りかたを教えれば一生の食を満たせる」ということわざがあります。その通りですね。

 学習においては,知識を一つ与えたら,一つだけ賢くなる,しかし,知識を得る方法を教えたら,一生学ぶことができる,というところでしょう。

 だから「学び方を学ぶ」というのが大切です。

 その「学び方」で一番大切なのは「読書」です。ぼくもインターネットでいろいろ検索します。キーをたたいたら,欲しい情報が入ってきます。インターネットによる学び方も知っていたほうがいいですね。

 しかし,まとまった知識をしっかり深く学ぶには,やはり読書です。インターネットが読書に替わるということは今後もないと思います。

 だから,しっかり読書をして欲しいです。そして,読書をする力,読書をする習慣をつけて欲しい。
 なぜ,読書か。

 吉田兼好の随筆「徒然草」第十三段を引用します。

ひとり燈火(ともしび)のもとに文(ふみ)をひろげて見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。
文は、文選(もんぜん)のあはれなる巻々、白氏文集(はくしもんじふ)、老子のことば、南華(なんくわ)の篇(へん)。この国の博士(はかせ)どもの書ける物もいにしへのはあはれなること多かり。


 橋本 治 (著)「絵本 徒然草〈上〉」の訳です。

ひとりで灯りの下に本を広げて「見ぬ世の人」を友にするってさ、とんでもなく慰められることだよな。
本は、『文選』のジーンと来る各巻、『白氏文集』『老子』『荘子』、この国の学者達の書いたのでも、昔のはジーンとくるのが多いよな。


 「見ぬ世の人を友にする」,まだ会ったことのない人,いやもうすでに亡くなった人,遠い外国の人,そういう人を友にして語らうことが,読書ではできるんです。

 カフカは,遠いチェコの人です。そして,だいぶ前に亡くなっています。しかしぼくらは彼の小説を読むことができます。彼がぼくを友と思うことはありませんが,ぼくが彼を友と感じながら読むことはできます。

 本はそれを書いた人が自分の思いを凝縮してそれにこめているのです。読書をすることによって,それを直接ぼくらはその著者から聞くことができるのです。それこそぜいたくなことです。

「田の字」って何?
 ジジアマデウスさんから

>> 実は「田の字」・・・って知らないんです。

 というコメントをいただきました。

 こういう素直な質問ができるジジアマデウスさんは伸びる人です。そしてこういう質問があると「田の字」の宣伝がまたできます。

 知らなくて当然なんです。
 以前からあった整理の仕方にぼくが工夫を加えた,新しい問題の解き方です。
 「田の字」というのは,2×2の表です。「田」のようになるので,田の字。

 1個30円などを単価といいますね。1つでいくらというのは「単位あたり量」といいます。1人3個限り。1時間800円。1部屋5000円,などは単価です。
 
 それがいくつあるかが「いくつ分」です。1人3個,5人では,の5人
 1時間600円,20日では,の20日 などは「いくつ分」です。
 
 「全体量」はそのまますべての量
 1人3個,5人でいくと15個買える,この15個
 1時間600円,20日では,1200円。この1200円 などは「全体量」です。

 それを田の字に整理します。
 
単位あたり全体量
いくつ分


 「1人3個,5人では何個?」 は, 

3個x個
1人5人


 慣れると整理は簡単にできます。1人3個だから1人の上が3個。5人ではx個だから5人の上がx個。

 ここまでは,以前からあった方法です。右上がxのときは,かけ算,左上,右下がxのきはわり算になる,ということでやる方法です。

 それに対して,ぼくは方程式を導入しました。以下はぼくのアイデアです。それにより応用範囲がとても広がりました。

斜め同士をかけてイコールで結ぶのです。

3個x個
1人5人


  だと,1×x=3×5 これを解けば,15人はすぐでます。

 1人3個,15個だと何人? は

は, 

3個15個
1人x人

 方程式は,3x=1×15 これを解けば,5個。

 簡単でしょう。
 えぇ,こんなの方程式を使わなくても解けるよ,ですって。

 そうです。この田の字表の真価はこれからです。

 時速50km,150km行くには何時間?

50km150km
1時間x時間

 50x=1×150  x=3時間


 単位あたりの力を圧力といいます。最近はN(ニュートン)を中学でも使いますが,古い人のためにkg重 で説明します。

 5cm²に35g重の力を加えると,圧力はいくらか。


xg重35g重
1cm²5cm²

 
5x=1×35 x=7g重/cm²

 このようにして,比重,比熱など,いろいろ田の字で解けます。田の字でやると,かけ算,わり算,どれを使うかまったく迷わなくてすむのです。

 それだけではありません。百分率も田の字で解けます。

20%引きの商品があります。3万円の商品は何円値引きされますか。

3万円x円
100%20%

 
 ななめにかけて, 100x=30000×20 答え:6000円

 20%濃度の食塩水を150g作りたい。食塩をいくら使えばいいか。 

150gxg
100%20%

   100x=150×20  30g

 もちろん,湿度の問題にも使えます。

 それだけではありません。
マグネシウムと酸素はつねに質量比 3:2 で化合する。マグネシウム2.1gを完全燃焼させると,何gの酸素が化合するか 

2.1g xg

3x=2.1×2  1.4g

 曲の字表も考え出しました。2×3の表です。

マグネシウムと酸素はつねに質量比 3:2 で化合する。マグネシウム2.1gを完全燃焼させると,何gの酸化マグネシウムができるか。

マグネシウムと酸素はつねに質量比 3:2 で化合するので,酸化マグネシウム
マグネシウム:酸素:酸化マグネシウム=3:2:5 になります。だから

2.1g ****
325

 と整理して,真ん中の列を無視し,
3x=2.1×5  答え3.5g

 選挙の比例代表の議席配分もできます。





「分かる」と「できる」
 ぼくが管理するmixi「セルフラーニング」に立ち上げたトピックです。
「分かる」と「できる」

 糸山 泰造 著「絶対学力」では,できることより,分かることをかなり重視しています。以下,絶対学力からの引用です。
絶対学力―「9歳の壁」をどう突破していくか?



飛躍できない子供たちの存在を見えなくしている原因は「分かっていなくても、できるようにさせられてしまっている」ことにあります。「できれば分かる」という宣伝文句に乗せられて手順だけを覚えて条件反射的に答えを出し、「できたできた、ドンドン進め」とやっているうちに、分かっていないことが山積みになり、取り返しかっかないことになってしまうのです。

 「できたから先に進む」は「高度な学習への移行」を意味してはいません。それどころか、新しい手順を覚えるという最も貧弱な学習を数多くしているだけです。これは多くの人たちが勘違いしている点です。できても分かるようにはならないのです。

 「分かっていないのにできる」子供にしたい親などいないはずです。ですが、小学校では個々の子供の理解度を確認してはくれません。そこで計算がスラスラとできたり、漢字を多く書けたりすると、即ち学力が高いと親は勘違いしてしまうのです。そして、この盲点をついて盛んに行われているのが考えない学習の代表である反射式プリントです。この種のプリントは分かっていなくてもてきるようにすることを目的に作られていますので、大変危険です。もちろん「分かっていないのにできるようになります」とは書いてありません。「できるようになるだけで、分かるようにはならないプリントを使っています」とも書いてありません。「できれば分かるようになる」という解説を読んで、親がそう思い込んでいるだけなのです。

 ですから、いつまで経っても分かるようにはならないのです。また、「分かっていないのにできる」状態になると、本人までもが分かっていないのに「分かっている」と思ってしまいます。これでは自発的な学習はいつまで経ってもできません。
私は「分かっていないのにできる」よりも「分かっていないならできない」方がずっといいと思います。なぜなら、病気なのに症状が出ないことほど恐ろしいことはないではありませんか。癌でさえも早期発見すれば治療できるのです。遠出をする時に、ガソリンが減るのを見たくないからと言って、車のガソリンメーターに目隠しをする人がいるとは思えません。親がすべきことは、目先の結果を気にして「できる」ことを追うのではなく、子供が本当の自信を持って生きていくことができるように「考える力」を育ててあげることなのです。

※注 反射式プリントとは「考える」という頭の活動を経由せずに条件反射的な反応を育成するためのプリントを指します。つまり、問題を解く場合に、その問題の意味を理解して答えを出すのではなく、問題の中にあるキーワードや数字に反応して機械的に(自動的に)知っている手順を実行することで答えてしまう習慣を付けるものです。例えば、文章問題の中に3と8という数字かあると、文章の意味を考えずに足したり引いたり掛けたり割ったりと裏付けのない計算をします。反射式は反復式のー種ですが、一般的な復習を目的としたものとは構造的に異なっており、反射式の中に「考える」という要素は入っていません。逆に「考えさせない」ことが反射式の主要素なのです。


(引用終わり)
 ぼくも「分かる」ことがとても大切だと思っています。ぼくの数学のテキストを見た人が「(理解することに)こだわりすぎているんじゃないか」と言っていました。
 確かにこだわりすぎていると思っています。数学ではとにかく理解することに重点をおくべきだと思います。そういう意味で糸山さんと同じです。

 上の「反射式プリント」というのは,たぶん公文式のことでしょうね。

 ぼくも,できればいいとは思いません。

 ただ,少し違うかもしれないと思うのは,生徒が十分に理解できないときにどうするか,です。
 ぼくは,理解できないときは,理解はできなくても計算はできるようにして,先に進みます。
 例えば,なぜ分数のわり算では,分子と分母をひっくり返してかけるのか,より分からないとします。そういう場合には,いまは理由は分からなくてもいいから,計算はできるようにしよう,と言って,「分数のわり算はひっくり返してかける」という操作を覚えさせ,とにかく進みます。
 ぼくのテキストでは,分数のわり算がなぜひっくり返してかけるようになったのか,きちんと説明しているつもりです。でも,それはかなり難しいです。
 そういうときにどうするかです。みなさんはどう思いますか。

教育における強制
 だいぶ前になりますが,新聞に載っていた記事をかいつまんで紹介します。
「ある中学校で、指導に従わなかったとして、教諭が女子生徒に対し頭を両手でつかみ、左右に揺さぶり、保護者がそのことを訴え、学校長は体罰と認め、謝罪した」

 簡単な記事で、詳しい事情は知らないのですが、この記事を読んで感じ、思ったことを述べます。

 「声に出して読みたい日本語」で知られる斎藤孝氏は、「子どもに伝えたい<三つの力>」の中で「学校教育の最大の長所は、強制力があるということである」と述べています。私もまったく同感です。

 戦後日本は民主主義の国になり、教育も民主的になりました。しかし、その民主主義をはき違えている人も多いのです。強制することが民主的ではないと思い、教育においても強制することに腰が引けている場合があるのです。確かに、子どもの人格、自主性は重んずるべきです。しかし、教育においては、必要なことは強制してでもさせるべきです。

 教師も生徒も人間としては平等です。しかし、教室の場では、教える、教えられる関係にあり、同じ立場ではありません。生徒は教師の指示には従わなければなりません。そのことを教師がしっかりつかんでいないと教育はうまくいきません。学級崩壊というのが多くなってきているそうですが、この強制力がうまく働いていないからではないでしょうか。

 ぼくは夜、学習塾で生徒の指導をしていますが、生徒と根比べをすることがあります。私の指示に従わない場合は、従うまで引かないのです。そう多くはないのですが夜中の12時をまわることもあります。私の指示には絶対に従わなければいけないということを教え込むのです。そういう指導を続けていくと生徒のほうから「(ぼくが)ダメといったら、ダメだ」と思うようになり、生徒同士で「どうせダメだから言うとおりにしたほうがいいよ」とアドバイスするようになります。

 教師は、それくらいの強制力はあるのです。そのことに自信を持ってもらいたい。

 親に対しては、まずは、親の指示には従う子に育てて欲しいです。そして教師の指導には従うような子に育ててもらいたい。ある本で次のような話を読んだことがあります。ある大学教授が自分の子どものテスト問題を見ると、間違えた出題がされているのに気づきました。しかしその教授は子どもにはそのことを言わず、教師に手紙を書き、その間違いを指摘したそうです。子どもに知らせると「あの先生は何も知らない」と先生をバカにして、その後の授業をまじめに受けないことを懸念したからです。

 子どもが教師をバカにしては子どもにとっても不幸です。少なくとも子どもの前で教師をさげすむようなことは控えるべきです。

 もちろん、学校が強制力を持っているといっても、それを笠に着て、どのような横暴なことも許されると教師が思ってはいけません。教師自らが子どもたちや親に尊敬される存在になるように心がけなければなりません。それはぼく自身への戒めでもあるのですが。

 このことは,親が家庭で子どもを指導するときも同じです。勉強を教えるときに限りませんが,親は子どもに強制的に何かをさせる力はあります。

 子どもと友達のような関係でいたい、という親も多くなっているようです。「地震・雷・火事・親父」のようないつも怖い親父である必要はありませんが、いざというときは強制してでも親のいうことに従うことは大切です。親の権威は子どものしつけに必要です。そういうしつけが自制心のある子に育ててくれます。子どものいうことを聞いているだけではわがままなに子にしていしまうのです。

「まなびのへや」サイトにぼくの本の紹介
「まなびのへや」のサイトの
塾に頼らずに成績を上げる~国語力をつける家庭学習法
にぼくの本の紹介がありました。
 自習書として優れた問題集として評価されているので,うれしく思いました。


・わかる解けるできる中学数学2年
仲松 庸次
価格:¥ 1,890(定価:¥ 1,890)
http://www.amazon.co.jp/dp/4838309228/ref=nosim/?tag=learnes70com-22

 内容が難しくなる中2の数学だが、自分で理解し問題を解いていくことが出来る自習書として優れた問題集。


セルフニュース 229号 発行
セルフニュース 229号 をきょう2009年5月18日(月曜日)発行します。家庭へはきょう午後投函するので明日には届くかと思います。

 今回はがんばって,すぐにwebにアップしました。
セルフニュース 229号

( も く じ )
① H嘉彩里さん,Y平名知親くん,年間出席率100% 
② 4月皆出席
③ 「セルフ塾の好きなところ嫌いなところ」(宏斗・真子・和彦・太瑞樹)
④ 「セルフ塾の好きなところ嫌いなところ」(葉・宙・宗一郎・健伍)
⑤ 「セルフ塾の好きなところ嫌いなところ」(楓・知親・斎・彩香・洸)
⑥ 家庭からの通信
⑦ 中学,地区総合体育大会特別休暇
⑧ セルフ塾 予定表

R汰くんとそのお母さん
 R汰くんとそのお母さんについて書きます。
 2005年の名簿にあるので,もう4年前です。R汰くんが中学2年に上がった4月にセルフ塾に入塾し,1年間いました。

 入塾する前にお母さんから相談がありました。学習障害を持っていること,それでも,学校の授業には何とかついていっているとのということでした。

 とにかくお預かりします。学習を進めながらやり方を考えていきます。お母さんとぼくらで協力しあいながらR汰くんが少しでもいい方向に向かうようにしましょう,と言いました。

 学習障害があることはすぐに表れました。おだやかな素直な性格ではありました。しかし,学習への集中が続かないのです。1つ年上の兄さんもいっしょに入塾しました。兄さんも優しい子で,弟のことが気になるようで声をかけたりしていました。
 資料として塾から保護者にあてて出した「個人欄」を読んでいたらそれをそのまま載せた方がよく理解できると思い,それを掲載いたします。
 「個人欄」というのは,塾のニュースレターの最後に設けた,生徒個人の塾での様子などを保護者に知らせるコーナーです。

 この四月に入塾して一週間あまりがたちました。
 静かに席に座っています。しかし様子を見ると指遊びをしたり,キョロキョロしたりと,あまり学習に集中してるようではありません。質問予約表に名前を書いて質問をしながら進めるように言っています。そして私どももできるだけ呼び出して教えるようにも努めています。説明を自分で読み取って進めることにが困難なので,課題を十分にこなすこなすことは難しいです。最初のころは数学に的を絞って,できるところを伸ばしていけばいいのかと考えています。
 先日は数学の自分でやったところがかなり正解になったようで,とてもうれしそうに報告していました。 (4月20日)

 おとなしく席に座っています。しかし,何もしないでいることがほとんどです。R汰くんの席を目の前にして,頻繁に声をかけるようにしたり,席を回りながら進み具合をチェックしたりしています。席が近くの(同級生の)Y気くんもよく声をかけてあげたりしています。また,質問予約表には必ず名前を記入するように指示しています。対峙して,問題を解かせると,ゆっくりではありますが,けっこう解くことができます。けっして学力が低くくはないようです。これまでお母さんがよく勉強させてきたのだろうなと感じています。(6月15日)


(しばらくしても,学習がなかなか思うように進まないので,家でお母さんが数学,英語を指導し,他の科目を塾でやることにしました)

 庸次の隣に座らせて,いつでも声をかけることができるようにしています。それでも他の生徒を教えている間は,ほとんど自分では進めることができないようです。とにかく,頻繁に声をかけ,進み具合をチェックするようにしています。そして細かく指示を与えながらさせています。
 家での学習はよく進んでいますね。数学や英語の進み具合をみると,お母さんがよくがんばっているのが分かります。引き続き協力しながらやっていきましょう。(8月10日)

 すぐ隣に座らせて,絶えず声をかけるようにしているのですが,ゆっくりゆっくりで,なかなか学習が進みません。こなせるのはその日の課題のよくて3分の1くらいです。やればできるのですが。もっと集中できればいいのですが。とにかく,声かけは続けていこうと思います。
 家では順調ですね。  (10月14日)


 11月22日,24日,25日に期末テストがありました。3週間前からそれに向けた勉強でしたが,その間,家で学習を見てもらいました。
 テスト勉強が終わった次の日だったと思いますが,集中して課題に取り組んでいて,その日のノルマをすべて終了して,早めに帰りました。やる気になればできるんだと思いました。そのやる気をどのように引き出すかが課題ですね。(12月8日) 

 意固地なところがあり,根比べをすることがよくあります。学習態度は相変わらずで,少し目を離すと自分の世界に入り込んでしまいます。
(2月8日)

 学年が変わりました。中学2年生のとき(2005年度)の1年を振り返ってみます。
 4月に入塾しました。やればできる力を持ちながらも,やる気を持たせることができませんでした。隣の席に座らせて,監視の目を強めたり,基準内の時間に課題をできたらほめてあげたりといろいろ工夫はしたのですが・・・。大勢を見ながらということもあり,私どもの力不足を感じました。結局はお母さんの方が私どもより力をつけてあげられると思います。この1年間,お母さんと相談しながら指導してきて,私どももいろいろ勉強になりました。来年は卒業し,R汰くんにとっていい進路が見つけられたらいいなあ,と願っています。その際は,連絡いただければうれしく思います。(4月20日)



(以上が,個人欄の記述です。3年に上がるときに,受験もあるので,ということで,塾を辞めてお母さんが勉強をみることになりました。
 中学を卒業後,進学し,物作りの好きな彼の長所を伸ばす方向でがんばっているとのことです)

 ぼくがここで書きたいことはR汰くんのお母さんには負けた,ということです。脱帽です。

 R汰くんの兄さんの話では,R汰くんに対し,お母さんはとてもきびしいそうです。そして,きちんきちんと学習をみてあげていたようです。だからこそ,それなりの学力をつけてきたのです。

 「親は最悪の教師」とばくが言うとき,それは親子が感情的に近すぎること,そして時間的にルーズになることが原因だとしています。親ということで,最悪の教師になる条件を持っているのです。

 しかし,それを乗り越えると,「最良の教師」になることもできるのです。子どものことを愛しているのはお母さんです。そして,その子のためだけに時間を作ることもできます。
 ぼくは教えることのプロです。とにかく教えることでお金をもらっています。もう20年も教えてきました。

 しかし,お母さんの愛ほど強い愛情はありません。一人の生徒としてR汰くんのことを考えてはいましたが,それはお母さんの足下には及ばないものです。

 また,ぼくは,R汰くんだけを指導するわけにはいきません。他の生徒に対しても責任を負っています。だから,ずっとR汰くんのことを教えているわけにはいかなかったのです。

 こういうことを考えると,親は最良の教師としての条件も備えているのです。そのことをR汰くんのお母さんに教えてもらいました。


現在完了の用法
(mixi「授業の工夫」のコミュで,現在完了の4つの用法について意見交換があったので,ぼくは次のようなコメントをしました)


若林俊輔著「英語の素朴な疑問に答える36章」のp191~192 から引用します。なお,ここにある「完全現在」「既然現在」は,現在完了のことです。若林さんは「現在完了」は「体を表さない名」というこ否定的にみています。

 私は,「完全現在」形の完了・経験・継続の3用法の区別を認めない.これに「結果」などというわけのわからないものが加わって4用法とすることがあるが,これはますます認めない.

 上に引用したLongmanの説明で明らかなように,は,過去とのかかわりを示しながら現在のことについて述べるのである.ただそれだけであって,これが完了を表すか,経験を表すか,継続を表すか,結果なのかは,そこで用いられる動詞(プリンクリは「働詞Jと書いているのである.何とすばらしい!と私は感動する)が表す意味内容,同時に用いられる副詞,さらにその文の前後関係によって決定されるのである.

 さきほど例として示したI have lived here more than seven years. にしたところで,何も初めから「継続」と決まっているわけではない「もう7年以上も住んだが,いよいよここともお別れだなア.」という文脈であれば「完了」であるとも言える.「ああ,さっぱりした!」であれば「結果」かもしれない.「いろいろなことがあったなア.」であれば「経験」を語っているのであろう.

「完全現在」(「既然現在」)は,感情表現のーつである.完全に現在の立場に立って過去を振り返る.その振り返る過去は「過去分詞」によって表現されている.



 引用は以上。
 ぼくは若林さんの意見に同感です。しかし,実際に教える場合は,4つの用法を教えています。ただ,それ以上に,「現在の立場に立って過去を振り返る」という意味なんだよ,ということを強調はしています。それで,あおこ♪さんが書かれているように「現在中心」というのがいいと思って,それも使っています。

 「現在中心」という用語はだいぶ前にこのコミュで意見交換をするときに知り,感心したものです。あおこ♪さんのコメントだったかもしれません。

ピグマリオン効果
 前の記事では,,ギリシア神話の「ピュグマリオーン」を紹介しました
 その神話にちなんで名付けられた心理学の用語に「ピグマリオン効果」があります。それを紹介します。

 アメリカの教育心理学者ロバート・ローゼンタールが次のような実験をしました。

 小学生に普通の知能テストをさせます。そして、その結果を担任の教師に「このテストはどの子どもの学力が伸びるかどうか,予測できるものです。先生にだけ、将来伸びる子の名前を教えましょう。」と言って,名前を教えました。しかし、その生徒は知能テストの成績に関係なく、無作為に選ばれた子でした。つまり,先生をだましたのですね。

 それから1年後、再び知能テストをしました。すると、名前をあげられた子は、そうでない子に比べて明らかに成績が上がっていたのです。

 なぜ,子どもたちの成績があがったのでしょうか。

 次のように考えられます。先生はその子ども達が伸びると期待しました。そして,あなたならできるだろう,という期待をこめた態度で接したのです。授業中,積極的に質問をして答えさせます。答えにつまった様子を示したとき,「あなたならできると思うよ」と励ましたことでしょう。先生の手伝いもさせます。そして肯定的にみたのです。子どもたちは先生がそのように接するものですから,それに応えようとしたのです。だから成績が伸びたのです。

 このように、「他者に対する意識的・無意識的な期待が相手に伝わり、期待通りになること」を「ピグマリオン効果」とよんでいます。先に紹介したギリシア神話にある面でよく似ています。

 なお,このピグマリオン効果は,心理学的にまだ認められていないようです。きちんとした実験で同じような結果がまだ得られていないとのことです。

 でも,ぼくは効果はあると思っています。

ピュグマリオーン
 「ピグマリオン効果」ってご存知ですか。

 このブログの次の記事にも少し書きました。

アダルトチルドレンとピグマリオン効果


 「教育心理学における心理的行動の1つで、教師の期待によって学習者の成績が向上すること」です。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)


 とても有名で,知っている方も多いと思います。「ピグマリオン効果」については次の記事で書きたいと思っていますが,今回は,その名前の由来になった話を紹介しましょう。

 出典は,トマス・ブルフィンチ著,大久保博訳「ギリシア・ローマ神話」(角川文庫)です。


 ぼくが読んだのや上下1冊になっています。読んだのは大学卒業直後だったと思います。もうだいぶページが赤茶けています。

 ピグマリオンは王様だったという説明が多いですが,この本にはそれはありません。

ピグマリオンという名称は、ギリシャ神話を収録した古代ローマのオウィディウス『変身物語』("Metamorphosen"、訳に『転身物語』とも)第10巻に登場するピュグマリオン王の恋焦がれた女性の彫像が、その願いに応えたアプロディテ神の力で人間化したと言う伝説に由来する。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)




ピュグマリオーン

ピュグマリオーンは、女には非常に多くの欠点があるのを見て、とうとう女性を忌み嫌うようになってしまい、一生独身でくらそうと決心しました。

 彼は彫刻家で、すばらしい腕をふるって象牙の立像を彫っていたのですが、その作品の美しさは、生きた女なぞ誰ひとりそばにも寄せつけぬほどのものでした。それはまったく申し分のない乙女の姿で、ほんとうに生きているように見えました。そして動かないでいるのは、はにかみのためなのだとしか思えないほどの出来栄えだったのです。彼の技術は実に完璧でしたから、人工の跡も残さず、できあがったものはまるで大自然の手になるものかとも思えました。

 ピュグマリオーンは自分自身の作品に見とれ、そしてとうとうこの作りものの女性を恋するようになりました。彼は、この像がほんとうに生きているかどうか確かめでもするかのように、何度も手を触れてみました。そしてそれでもこの像が象牙にすぎないのだと信じこむことができませんでした。

 そこでこの像を抱きしめたり、若い娘たちがよろこぶような贈り物を・・・つまり、美しい貝殻や滑らかな小石や、かわいい小鳥や色とりどりの花や、じゅず玉や琥珀などを、贈りました。また体には着物をきせ、指には宝石をはめ、首には首飾りをかけてやりました。耳にも耳飾りをつけ、胸にも真珠のくさりをかけてやったのです。着物はよく似合って、彼女は裸でいたときにもおとらぬほど美しく見えました。

 彼はテュロス染めの布を張った臥床に彼女を寝かせ、彼女を自分の妻と呼び、彼女の頭をすばらしく柔らかな羽根枕の上にのせてやりました。それはまるで彼女がその柔らかみを喜ぶことができると思っているかのようでした。

 そのうちにアプロディーテーの祭りが近づいてきました・・・キュプロスの島で盛大に祝う祭りです。生贄が捧げられ、祭壇には香が焚かれ、その香の匂いがあたりー面にひろがりました。

 ピュグマリオーンは祭礼での自分の務めを果たしおえると、祭壇の前に立って、はにかみながら言いました、「神々さま、あなたがたがどんなことでも叶えてくださいますなら、どうかお願いです、私にお授けくたさい、私の妻としてして」・・・彼もさすがに「私の象牙の乙女を」とは言えず、そのかわりにこう言いました・・・「私の象牙の乙女に似た女性を」。

 この祭りに臨席していたアプロディーテーは、その言葉を聞くと、彼が言いたかった心の内を悟りました。そこで彼に対する恩寵のしるしとして、祭壇に燃えている炎を三度、空にむけて鋭くもえたたせたのです。

 ピュグマリオーンは家に帰ると、自分の作った像のところへ会いに行き、臥床に身をかがめて、乙女の口に接吻しました。するとその唇はなんとなく暖かいように思えました。そこで彼はもういちど唇を押しあて,自分の手を乙女の体の上に置いてみました。すると象牙はその手に柔らかく感じられました。そして指で押してみるとヒュメトスの山の蜜蝋のようにへこみました。

 彼は驚き喜びながらも、半信半疑で、自分が思いちがいをしているのではなかろうかと心配して、いくどもいくども恋にもえる熱い手で、この憧れの対象に触れてみます。ところが像はたしかに生きていたのです! 血管は、押えてみると指の下でへこみ,放すと元どおり円くなりました。

 そこでようやく気のついたこのアプロディーテーの崇拝者は女神に感謝のことばを捧げました。そして自分の唇を自分と同じように血のかよっている唇の上に押しあてました。乙女はその接吻を感じると、さっと顔を赤らめ、内気な両の目をこの世の光に向けてあけると、同時に、恋人をじっと見つめました。

 アプロディーテーは自分のまとめたこの結婚を祝福しました。そしてこの二人の結びつきからパポスが生まれました。あのアプロディーテーに捧げられたパポスという町は、この子に因んで名づけられたものなのです。


学んですき間が小さくなると分からないところが見えてくる
ジジ・アマデウスさんから,次のようなコメントをいただきました。


未来に気づく大人でいたいね!
年を重ねた大人だってできないことができるようになればうれしい。
わからなかったことがわかったらうれしい。
細胞がふるえるような感動に出会ったらうれしい。

きっと「未来」なんです。それらが。
それにきづかなくなることが「大人」かもしれません。

「未来」は大人にもあります。
わからないこといっぱいあるし、
できないこといっぱいあるし、
たくさんの感動がまってるはず。求めれば。

ねっ!!!

気づく大人でありたいです。死ぬ瞬間まで。(^^)



 ぼくの舅(曽根信一)は一昨年亡くなりました。90歳でした。舅,妻,ぼくは20年以上同居していました。ぼくが結婚する少し前に妻の母親がなくなり,妻が世話をすることになったからです。

 もう隠居のようなものでした。学ぶのが本当に好きな人でした。緑内障でほとんど目が見えないのに,本屋に連れていくと喜びました。そして,分厚い虫眼鏡で一字一字おって読んでいました。

 彼は次のようなことを言っていました。
 学んでいないと,脳はすき間だらけだ。だから何がないのか分からない。分からないということ,分からないところが分からないんだ。
 しかし,学んでいくとすき間が少しずつ埋まってくる。すると何が分からないのかがだんだんはっきりしてくる。そのすき間を埋めるために学ぶんだ。

 ジグソーパズルのようなものですね。最初は何がなんだか分からないけど,つなぎあわせていけばいくほど,先が見えてきます。あっ,これはここだな,あれはあれだ・・・というふうに。

 もちろん,学ぶことはジグソーパズルのような終わりはないのですが。学べば学ぶほど分からないことがはっきりしていて,それを学ぶのが楽しくなる,というのはありますね。

 だから,年をとればとったでいろんなことを学ぶ歓びはまた格別でもあります。だから学び続けていけます。

 「学ぶことは人間の業(ごう)なんだよ」というようなことを言って学んでいました。アリストテレスがそのようなことを書いているそうです。

 80歳をすぎても学ぶことが毎日の中心。

 塾では,中学生が「何のために二次方程式を勉強するの?社会に出て役立つの?お母さんはできないよ」などと言っている一方で,80歳を過ぎた老人が学び続けている。何かのために学ぶんではなく,学ぶために学ぶんだということを実証するかのように。

 だから,舅にとっては80歳を過ぎても,「明日は未来」だったんですよ。きっと。ね,ジジアマデウスさん。

 最後に,ぼくが舅の「お別れの集い」でギター弾き語りをした詩を紹介します。お別れの会の朝,思いつき,急いで作ったものです。


「曽根信一にささげる歌」   仲松庸次
(さだまさし「雨やどり」のメロディで)

「古典を読むんだよ」が
あなたの口癖だった
論語に聖書,徒然草,歎異抄
この長い年月を読み継がれたんだから
すばらしいに決まっているではないか。

目が悪くなり,文字も見えなく,本が読めなくても,
古本屋に連れていけば,その日はご機嫌で
本の表紙をながめ,目次をながめては
ずっとにこにこで,口数も多くなった

目が見えなくても,耳があるではないか。
その気になればどうでも学べるんだよと
テープレコーダーにラジオやテレビの市民講座
食後のぼくの日課は読み聞かせ

よく見ておけよ,これが「老い」というものさ
献体に尊厳死,自分の告別式
いつも冷静に死を見つめていて
自分の死さえ他人事だった

寝たきりになっても家で介護ができ
自宅で老衰死は,幸せだと思う
いろんなことを教えられました。
心から言いたい,ありがとう


塾は充実し,楽しい
『家庭からの通信』で便りがありました。

 兄の○○に続き,妹の□□も今年からお世話になっています。
 娘にとって,塾での時間はよっぽど充実しているとみえて,本当に楽しそうに(実際,楽しいと申しております)通っています。

 今までは家では言われないとなかなか宿題をしない娘が,最近,なんと「塾の予習をする」といって(時々ですが)自ら机に向かって勉強しています。
 何気なくほめているのですが,実は内心びっくり仰天です。なんだか一気にお姉ちゃんになったような気がしています。

 これも全てすばらしい環境を作ってくださる,庸次さんや京子さん,そしてセルフのみなさんのおかげだと安心し,感謝しております。

 これからもどうかよろしくお願い致します。



 うれしいですね。「塾が楽しい」と言ってくれるのが,私どもにとって一番です。楽しく塾に来れば長続きもしますし,楽しく勉強することで勉強も好きになってくれるのではないかと思います。
 塾での□□さんは,楽しそうなので,家での様子も頭に浮かびます。
 兄さんの○○さんが楽しく学習したので,それで自然にセルフ塾に親しみを持ったのでしょう。
 
 セルフ塾の1日の課題は決まっているので,家でやっていれば,それだけ早く終わることができます。その日の課題を残さずすべて終わったという満足感,そして,もう終わったよ,みんなお先に帰りますね,という感じで塾を出るときの優越感,それが家で学習に取り組む動機付けになっていると思っています。

「本当は、いい子なんだよ」


 黒柳徹子著「窓ぎわのトットちゃん」p198~200から引用します。

校長先生は、トットちゃんを見かけると、いつも、いった。

「君は、本当は、いい子なんだよ!」

そのたびにトットちゃんは、ニッコリして、とびはねながら答えた。

「そうです、私は、いい子です!」

そして、自分でもいい子だと思っていた。

たしかにトットちゃんは、いい子のところもたくさんあった。みんなに親切だったし、特に肉体的なハンディキャップがあるために、よその学校の子にいじめられたりする友達のためには、他の学校の生徒に、むしゃぶりついていって、自分が泣かされても、そういう子の力になろうとしたし、怪我をした動物を見つけると、必死で看病もした。でも同時に、珍しいものや、興味のある事を見つけたときには、その自分の好奇心を満たすために、先生たちが、びっくりするような事件を、いくつも起こしていた。
例えば、(中略)

 でも、おそらく、トットちゃんに関しては、苦情や心配の声が、生徒の父兄や、他の先生たちから、校長先生の耳にとどいているに違いなかった。だから校長先生は、トットちゃんに、機会あることに、

「君は、本当は、いい子なんだよ」

といった。その言葉を、もし、よく気をつけて大人が聞けば、この「本当は」に、とても大きな意味があるのに、気がついたはずだった。

「いい子じゃないと、君は、人に思われているところが、いろいろあるけど、君の本当の性格は悪くなくて、いいところがあって、校長先生には、それが、よくわかっているんだよ」

校長の小林先生は、こう、トットちゃんに伝えたかったに違いなかった。残念だけど、トットちゃんが、この本当の意味がわかったのは、何十年も、経ってからのことだった。でも、本当の意味は、わからなくても、トットちゃんの心の中に、「私は、いい子なんだ」という自信をつけてくれたのは、事実だった。だって、いつも、なにかをやるとき、この先生の言葉を思い出していたんだから。ただ、やったあとで、「あれ?」と思うことは、ときどき、あったんだけど。

 そして、トットちゃんの一生を決定したのかも知れないくらい、大切な、この言葉を、トットちゃんが、トモエにいる間じゅう、小林先生は、いい続けてくれたのだった。

「トットちゃん、君は、本当は、いい子なんだよ」って。



 いいですね。この本は何年も前に読んだのですが,この部分は印象深く記憶に残っています。そして,ブログにも残しておきたいと思って書き写しました。

 これに解説を加えるのは,蛇足になりますが,

 子育ての根本ですね。子どもをきちんと受け止め,信頼する。そしてそれをきちんと伝える。
 子どもは安心できる基地があることが分かると,自分で羽ばたいていきます。遠くまで行ってもいつでも帰るところのある場所がある,というのが自分の力を十分に伸ばし,自立することにつながるのですね。
 このような言葉が子どもの自己評価を高めて自信を持つのでしょう。

腹式呼吸
 ぼくは常日頃,「親は最悪の教師なり」と言っています。

 それは,感情的に親子が密着しすぎているからです。
 だから,自分の子どものことになると冷静でいられなくなります。すぐに頭に血が上ります。そういうときのために,腹式呼吸を覚えましょう。ぼくも生徒の行動で怒ってしまうときには,腹式呼吸をして心を静めるようにします。

 女性の場合は特に胸式呼吸をするので,少し練習をしてお腹で呼吸をする練習が必要です。

 お腹に手のひらを置き,ゆっくり息を吐きます。そのときにお腹がへこむようにします。胸で息をするのではなく,お腹ですることに集中します。吐ききったらゆっくり吸います。お腹がふくれるようにします。実際に腹式呼吸ができているときはお腹ははふくれます。十分に吸ったら1,2秒息を止めます。そして,吐きます。吐くときが吸うときよりゆっくりゆっくりとします。

 落ち着いているときに練習をしましょう。腹式呼吸が自然にできるまで練習を続けます。

 そして,子どもの勉強をみてあげているときに,頭に血が上ってきたら,「ちょっと待って。お母さんは腹式呼吸をするから」と言って,ゆっくりやります。4,5回でもだいぶ落ち着くはずです。

 私たちは気持ちそのものに働きかけてそれを変えるのは難しいです。「落ち着け,落ち着け」という暗示も悪くはありませんが,それより効果があるのが,腹式呼吸です。

 心と体はつながっています。強いストレスを受けると胃潰瘍になりますね。あれは心と体が密接な関係にあるからです。

 いらいらすると,心臓が速く動きます。呼吸も荒くなります。体温も血圧も上がります。逆に落ち着いているときは,心拍もゆっくり,呼吸もゆっくり,体温も血圧も平熱になります。

 それの逆を行うのです。心臓をコントロールするのかなり難しいので,呼吸をコントロールするようにします。腹式呼吸でゆっくり息を吐いたりすったりしていると,心臓もゆっくり打つようになり,そして心も落ち着くのです。腹式呼吸を行うだけで怒りが静まって冷静になれます。

 冷静になることができれば,子どもの勉強をどうしようか考えることができますね。

 腹式呼吸をもっと押し進めたものに,自律訓練など,弛緩法,リラックス法があります。子どもの勉強ということだけではなく,自分の健康のためにもいいです。関心のある方は挑戦してみてください。書店に行けば本が並んでいます。

「教える」と「教え込む」
 studyとlearnの違い,分かりますか。studyは「勉強する」,learnは「学ぶ,学習する」という訳がふつう当てられます。

 政村秀實著「図解英語基本語義辞典」から抜粋します。


learn 「覚える,学ぶ,」五感を通して情報・知恵・技術などを総括的に身につける。

study 「勉強する」対象を細かく観察して考察を加えること。studyは身体機能のうち,目を用いることで始まる。studyされたものが成果として残ることをlearnと言う。

 studyの対象のほうが,learnの対象に比べて具体性が高く,したがってstudyは対象を「かじる」ように学べるが,learnは「飲み込む」ように修得しなければならない。あるいは,study+study+study→learn ,つまりstudyという動作の成果としてlearnという状態が生じる。


 「studyという動作の成果としてlearnという状態が生じる」のです。
 だから,studyしたけど,learn していない,ということもありうるのですね。
 
  ぼくは,「教える」「教え込む」にも似たような関係があるように思います。

 教師は「教えた」。しかし,その成果は生徒の頭には残っていない,という状態です。

 「教える」は,「知識・学問・技能などを相手に身につけさせるよう導く。」ことです。
 それに対して「教え込む」は,「完全にわかるまで十分に教える。」ことです。

 「きのう,ちゃんと教えただろう。なぜ,きょうはできないんだ」というとき,確かに「教え」は,したのでしょうが,「教え込ん」ではいなかったのです。

 ぼくらはついつい教えたつもりになります。しかし,ただ単に表面的に教えるということではいけないのです。生徒の頭の中に教えたことがちゃんと入って残るまでしなければいけないのです。
 「教え込む」というと,何かギューギュー頭に詰め込むようなニュアンスが感じられますが,ぼくの言いたいのはそうではなく,「教える」という行為の成果としてきちんとその内容が生徒に伝わっているのかをいつも気にしなければいけないということです。教えたということで自己満足するな,ということです。
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