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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

学んですき間が小さくなると分からないところが見えてくる
ジジ・アマデウスさんから,次のようなコメントをいただきました。


未来に気づく大人でいたいね!
年を重ねた大人だってできないことができるようになればうれしい。
わからなかったことがわかったらうれしい。
細胞がふるえるような感動に出会ったらうれしい。

きっと「未来」なんです。それらが。
それにきづかなくなることが「大人」かもしれません。

「未来」は大人にもあります。
わからないこといっぱいあるし、
できないこといっぱいあるし、
たくさんの感動がまってるはず。求めれば。

ねっ!!!

気づく大人でありたいです。死ぬ瞬間まで。(^^)



 ぼくの舅(曽根信一)は一昨年亡くなりました。90歳でした。舅,妻,ぼくは20年以上同居していました。ぼくが結婚する少し前に妻の母親がなくなり,妻が世話をすることになったからです。

 もう隠居のようなものでした。学ぶのが本当に好きな人でした。緑内障でほとんど目が見えないのに,本屋に連れていくと喜びました。そして,分厚い虫眼鏡で一字一字おって読んでいました。

 彼は次のようなことを言っていました。
 学んでいないと,脳はすき間だらけだ。だから何がないのか分からない。分からないということ,分からないところが分からないんだ。
 しかし,学んでいくとすき間が少しずつ埋まってくる。すると何が分からないのかがだんだんはっきりしてくる。そのすき間を埋めるために学ぶんだ。

 ジグソーパズルのようなものですね。最初は何がなんだか分からないけど,つなぎあわせていけばいくほど,先が見えてきます。あっ,これはここだな,あれはあれだ・・・というふうに。

 もちろん,学ぶことはジグソーパズルのような終わりはないのですが。学べば学ぶほど分からないことがはっきりしていて,それを学ぶのが楽しくなる,というのはありますね。

 だから,年をとればとったでいろんなことを学ぶ歓びはまた格別でもあります。だから学び続けていけます。

 「学ぶことは人間の業(ごう)なんだよ」というようなことを言って学んでいました。アリストテレスがそのようなことを書いているそうです。

 80歳をすぎても学ぶことが毎日の中心。

 塾では,中学生が「何のために二次方程式を勉強するの?社会に出て役立つの?お母さんはできないよ」などと言っている一方で,80歳を過ぎた老人が学び続けている。何かのために学ぶんではなく,学ぶために学ぶんだということを実証するかのように。

 だから,舅にとっては80歳を過ぎても,「明日は未来」だったんですよ。きっと。ね,ジジアマデウスさん。

 最後に,ぼくが舅の「お別れの集い」でギター弾き語りをした詩を紹介します。お別れの会の朝,思いつき,急いで作ったものです。


「曽根信一にささげる歌」   仲松庸次
(さだまさし「雨やどり」のメロディで)

「古典を読むんだよ」が
あなたの口癖だった
論語に聖書,徒然草,歎異抄
この長い年月を読み継がれたんだから
すばらしいに決まっているではないか。

目が悪くなり,文字も見えなく,本が読めなくても,
古本屋に連れていけば,その日はご機嫌で
本の表紙をながめ,目次をながめては
ずっとにこにこで,口数も多くなった

目が見えなくても,耳があるではないか。
その気になればどうでも学べるんだよと
テープレコーダーにラジオやテレビの市民講座
食後のぼくの日課は読み聞かせ

よく見ておけよ,これが「老い」というものさ
献体に尊厳死,自分の告別式
いつも冷静に死を見つめていて
自分の死さえ他人事だった

寝たきりになっても家で介護ができ
自宅で老衰死は,幸せだと思う
いろんなことを教えられました。
心から言いたい,ありがとう

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