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すみません!急ぎなので過去スレを探す暇がなくてダブっていたらすみません
It started raining in this afternoon.
という英文で
なぜrainにingがつくのかという説明をしたいのですがなかなか伝わりません
あと1時間で授業が始まってしまいますお時間ある方、どうか協力していただけませんでしょうか!!後で必ずお返事はお返しします!宜しくお願いします
(それで,ぼくは次のような回答をしました)
ぼくは,動名詞を現在分詞と基本的には同じだよ,と教えています。
つまり,ing がつくことによって「~している(状態)」という意味になるんだということです。
ただし,現在分詞は,動詞の意味を持ちながら形容詞の役目をするもの。
動名詞は,動詞の意味を持ちながら名詞の役目をするもの,ということで違いがあります。
いずれにしても動詞そのものではないので,ほかに述語動詞が必要になることも説明します。
It started raining in this afternoon.
では,雨がふっている状態が始まった,ということになります。
なお,ぼくは現在分詞は進行分詞とした方がいいと思っています。
また,ingは「~している状態」ということが基本だとして教えていると,不定詞との意味の違いもまたよく理解できます。
セルフニュース 230号
( も く じ )
① 古堅中,中間テストの結果
② 音楽を聴きながら学習
③ 5月の皆出席
④ 「セルフ塾のブログ」もご覧下さい!
⑤ テスト対策学習に励む
⑥ 楽しく勉強できるテキスト
⑦ セルフ塾 予定表
りんごが3個ある,というとき。この3は,色,味,香りなどをすべて捨象したものです。3には,色も形も香りも味もありません。数は抽象的なものです。
羽仁進の本にあったことを思い出します。
自由学園物語 (-) 羽仁 進 (著) 講談社 (1984/07)
自由学園物語
(p49~p53)
その後,「図々しい馬」という話が続きます。すすむ少年の疑問がまた大きくなります。おもしろいのですが,とても,長くなったので,それは省略します。ぼくは初等部四年生の二学期まで、数学のもっとも初歩の、たとえば2 + 2 = 4というのが、よく理解できなかった。
自由学園では初等部から算数といわずに、数学といっていた。数学の授業では、ぼくはよく先生をこまらせた。
ぼくたちが、一年生に入ったはじめての日のことだった。
先生は、二に二を足せば四になるということを、いろいろなものを使って教えてくれた。
「先生はいま、鉛筆を二本、持っています」といって、左手に持った二本の鉛筆を示した。そして、左手はそのままにして、つぎに右手に別の二本の鉛筆を持ち、
「先生は、別の二本の鉛筆をもらいました。では、いま先生は、全部で何本の鉛筆を持っているでしょうか」
「はい、はい」と叫んで、何人かが手をあげた。先生はそのうちのー人を指名した。
「はい、四本です」
「よくできました。四本ですね」
ぼくは感心してしまった。しかし、すぐに疑問がわいてきた。
先生が手にしていた鉛筆は使いさしで、長い短いがあった。どうせ二本の鉛筆をもらうんなら、まだ削っていない新しいのがほしいと思った。
短いのが二本と、長いのが二本でも四本かな。短いのがまじった四本より、長いのが四本のほうがぼくはいいのだが、それでも同じ四本かな。いや、ちがぅんではないかな。
そんなことを考えているうちに、先生は、今度はノートを二冊ずつ使って、2+2=4を教えようとしはじめていた。
ぼくはまた考えてしまった。
全部使ってしまったノートだったら、ぼくほぼしくない。半分ぐらい使ってあるのも、あまりほしくない。どうせなら、全然使ってないノートがほしいな。それも、できるだけ厚いほうが、たくさん書けていいな。先生が持ってるノートは、もう使ってあるのかな。
ぼやぼやしているうちに、先生のノートを使った説明は、終わってしまった。
「このように、二と二を足すと、四になるんですよ」
一人の生徒が、いさましく手なあげて、質問した。
「人間でもそうですか」
この質問に、先生は大変、よろこんだ。
「そうです。こっちに二人立って、こっちにも二人立って、いっしょにすれば、一人、二人、三人、四人で、四になります」
それでも、そのときは、なんとなくわかったような気がして、数学ってえらいものなんだなあと感心した。
うちに帰って考えていると、またわからなくなってきた。考えれば考えるほど、わからなくなってしまった。夜、寝床で考えていたら、いつのまにか眠ってしまった。翌朝、目をさましたとき、また気になっていた。
その日も数学の時間があったので、先生が授業をはじめる前に、手をあげた。
「なんですか」と、先生はけげんな顔でいった。
「質問があります」
「質問って、今日はまだなにも教えていませんよ」
「昨日のことが聞きたいんです」
「昨日のことは、昨日のうちに聞いておかなければ駄目ですよ」
「でも、昨日はわかったと思ったんだけど、うちへ帰ったら、またわからなくなったんです」
そんなやりとりがあって、ぼくはなんとか質問を許された。
「リンゴ二つとリンゴ二つを足しても、四になりますか」と、ぼくはいった。
「もちろん、なりますよ」と、先生は答えた。
「ミカン二個にミカン二個を足しても、四になりますか」
「もちろん、なりますよ」
先生は、ちょっとうんざりしたような顔をした。
「リンゴがなった四と、ミカンがなった四は、どうやって見分けるんですか」
「見分ける? すすむ君はどうしてそんなことを聞くの?」
「ぼくはミカンは好きだけど、リンゴはあまり好きじゃないんです。同じ四なら、リンゴの四でなく、ミカンの四がほしいんです。だけど、その四をどうやって見分けたらいいかわからなくて・・・・。途中で印でもつけておくんですか」
先生は、しばらく、黙ってぼくを見つめていた。ぼくのものわかりのわるさには、あきれはてていたにちがいない。しかし、ぼくは真剣だった。四は同じだというが、リンゴとミカンでは大ちかいだと思った。ぼくにとっては、大問題だった。
「あのね、すすむ君、数学というのは、そういうものじゃないんですよ。そんな考え方をしたら、なにもわからなくなってしまいます」
ピシャリと、先生はいった。そういわれると、ぼくはそれ以上、なにもいえなかった。
数学って、えらくむずかしいものなんだなあと思った。
ぼくは,進少年は,いろいろな性質を捨象し,抽象した数というのをとらえることができなかったと思っています。
算数,数学というのは,抽象的な世界です。
点には,広さがない,という。線には幅がないという。
実際には,描くことができません。しかし,それを頭で描くことができなければいけません。
まず,りんごとみかん。これは具体物です。リンゴが3個,みかんが3個。この3というものには,もうにおいも形も色もありません。切り捨てられたのです。そういう切り捨てが数では行われなければなりません。
進少年は,それができなかった。
水道方式では,幼児期に一対一対応をします。
数えるのではなく,並べていってどちらが多いが確かめるのです。
子どもの絵を5人かきます。帽子の絵を6つ描きます。
そして,線で結んでどちらが多いか確かめます。
そういう一対一対応では,子どもというもの,帽子というものがどんなものなかかは関係なく,多いか少ないかの対応が問題になります。簡単なことですが,捨象(切り捨て)が行われています。
進少年もこのような段階から徐々に捨象(切り捨て)の概念をつかんでいけばよかったのです。
数というのは抽象的なものです。水道方式では,その間に半抽象的(半具体的)なタイルを設けるのです。
なんでもタイルで考えます。タイルには,味もにおいもありません。りんごの3個もタイル3個で表します。また人間3人もタイル3個で表します。
抽象的な3と,具体的なりんご3を,半抽象的なタイル3でつなぐのです。
完全に抽象的な数とはちがって,タイルだとまだ半分具体物です。それが具体物と抽象物との橋渡しをして,数を理解させることができるのです。