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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

「わかる解けるできる中学数学」の欠点は「校正ミス」が多いこと
 まきまきさんから,コメントをいただきました。

 こんにちは。ウチの塾での始まりの言葉は「沖縄問題集の宿題でわからない所ない?」です^^
 コメントの通り重たいのが子供達には不評です。英数2冊ですから。
 ただ、それをやり遂げた時、あの分厚い問題集を見て「こんな厚いのよくやったなぁ~」って皆感動しています。

 わたしからの注文とすれば、訂正がかなり多いこと。あと、数学の解答が冊子で取り外せたら嬉しいです。いつもカッターで切り取っています^^;

 中身については言うことなし!!
 子ども達はあのすごい目次に腰引けてますが・・・。(英語)
 ただ、子ども達にもとてもわかりやすいと好評です!

 小学生の問題集での田の字はとてもいいですね!
 ただ、こちらも分厚いため、図形書いたりしにくいようです。
 また、分厚いので小学生の小さい力では上手く開けずに、バタンとすぐ閉じてしまうことが多いようです。

 ま、でも中身はいつも素晴らしいと思っています。
 今後出される本があればとても期待しています。
 では、暑い折ご自愛下さい



(Yojiから)
 まきまきさん,コメントありがとうございます。

 間違いが多いのはとてもとても大きな欠点です。校正が甘かったなあと,猛省しています。申し訳ありません。これに関してはどんな申し開きもできません。

 解答が別冊になっていないことに関して,
 ぼくは出版社には,別冊にして欲しいと申し入れはしたのです。。でもコストの面で無理だと言われました。本代もできるだけ安くするように交渉していたので,それ以上は言えませんでした。
 別冊になっていたらどんなにいいかとぼくも思っています。妻が苦労して切り離しています。

 分厚いことは,確かに欠点ではありますが,まきまきさんの書かれているように,やり遂げたときの達成感は格別なようです。昨夜も,中学3年生の男の子が英語をすべて終わりました。
 「終わったか。よくがんばったね」と握手すると,
 「小学6年のときからやっていたからね」とにっこりしていました。

 分厚いために図形を描くのには苦労しています。ぼくも同じです。別の本を下に敷いて水平にしたりはしているのですが,大きな欠点ですね。

 小学算数に関しては,2年から6年まで一応できあがっているので,出版を検討しています。教科書が変わりますね。それがはっきりしてからその新指導要領に合致したものを出したいと思っています。

サヴァン症候群
 mixi「セルフラーニング」のコミュに立てたトピックです。
 サヴァン症候群


 サヴァン症候群ってありますね。

 サヴァン症候群( - しょうこうぐん、savant syndrome)とは、知的障害や自閉性障害のある者のうち、ごく特定の分野に限って、常人には及びもつかない能力を発揮する者の症状を指す。「savant」は、フランス語で「賢人」の意味である。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 ぼくは,本やテレビでお目にかかるだけです。
 不思議だなあと思います。

 今回は,雑談的に話題にしてみました。以下は,いくつかの本を読んでぼくなりにまとめてみたものです。正確ではありません。そこのところも指摘してくださればありがたいです。

 サヴァン症候群は,脳の一部が発達し,そのために別のところがおかされるために起こるとも言われているようです。

 例えば,10の能力があるとそのうち2は計算のため,2は言語のため,2は社会性,2は音楽,2は絵画のためにあるとします。この分け方も適当ですよ。説明を単純にするためにやっています。

 普通の平凡な人は,それをまんべんなく伸ばそうとします。少々のでこぼこはあっても全体的に調和がとれている。しかし,特に優れているところもない。

 しかし,サヴァンの場合は,そのうちの一つが発達し,異常にできるようになる。例えば山下清。絵画の能力だけがすぐれています。絵画の能力が5になる。その代わりに,他の能力が小さくなります。言語が1,社会性が1というように。

 脳の研究で,そのような感じのことが確認されているようですね。絵画の部分が異常に発達し,別の部位まで進出していく。そのためにそこの部位の働きがおかされる。

 

 これまでのぼくの考えは,能力って全体量が決まっているというのではなく,ある能力が発達すると,別の能力も発達する,というものでした。

 例えば,言語が発達すると,それに伴って計算の能力も発達する。どちらかといえば,どちらもいっしょに伸びていく,という感じです。

 だから,国語にすぐれている生徒は数学,英語,理科,社会と全体的に優れています。これらの科目ほどではないのですが,体育,音楽,美術などともある程度のプラスの相関があるように思っています。

 つまり,能力の高い人は,全体的に能力が高いという感じがするのです。もちろん,時間は有限なので,一つの能力を伸ばすと別の能力を伸ばす時間がないので,その方面は苦手になるということはありますが。

 とにかく,一つの能力を発達させると別の能力もそれに伴って発達していくというのがこれまでのぼくの能力観です。

 それに対して,サヴァンの場合は,一つの能力を発達させるために,別の能力を犠牲にしているという感じです,まったくちがった能力観です。

 モーツアルトもサヴァンのようなものでしょうか。映画で見ると,だいぶ変わった人のようです。音楽の力を伸ばすために,他の力を犠牲にしたのでしょうか。
 アインシュタインはどうだったのでしょうか。

 平凡な人の場合と,天才の人の場合とでは異なるのでしょうか。

 まとまりがありませんが,みなさんはどう思われますか。

自転している地球上でジャンプしても,なぜ同じところに落ちる?
 中学生に次のような質問をすることがあります。

 地球は自転しているね。1日24時間で地球は1周する。
 地球の周囲は4万km,だから,40000÷24=約1667km

 1時間は3600秒だから,1667÷3600=約0.463km
 つまり,秒速463mにもなる。1秒間で400mの競技場を約1周する。
 すごい速さで動いているんだ。

 さて,いいか,ぼくがここでジャンプするよ。よいしょ。
 同じところに落ちてきたね。なぜ?
 地球は動いているから,ぼくがジャンプしている間に地球が動いて,ぼくは別のところに落ちてくるはずじゃないか?
 なぜ?

 本の上に人差し指を立てて,本が地球,この指がぼくとするだろう。ぼくがジャンプするよ(指を上にあげる)。その間に地球は動いているはずだから,このように動くだろう(本を動かす)。すると,ほろ,指は別のところに落ちてくるじゃない。本はとっくに向こうに行っている。

 だけど,なぜぼくがジャンプしても同じところに落ちてくるの?

 地球が自転をしていることは知識として子どもたちも持っています。しかし,なぜジャンプしても同じ所に落ちてくるのか,説明できないので,「おやっ!」という顔をしています。その表情がおもしろい。

 実は,これはコペルニクスに向けられた質問です。地動説を唱えたコペルニクスは,その質問に答えることができなかったそうです。空気がいっしょに動いているからなどと答えたとか。

 その質問に答えを出したのが,あのガリレオです。

 中学3年生だと,習いたての知識で「慣性のせいだよ」などと答えます。

 そうなんです。慣性です。答えは正しいのですが,本当に分かって答えたわけではないようです。
 「では,なぜ,慣性のために同じところに落ちてくるの?」と問いかけると答えることはできません。

 ぼくは,車を例に出します。
 車の中でね,ボールを上に投げる。するとどこに落ちる。 簡単そうな説明ですが,子どもたちは答えることができません。特に考えながらボールを車の中で投げたことがないからです。

 では,次に車に乗ったときに,何でもいいから上に投げてごらん。本当は,その実験を子ともたちがやってから次の話をすればいいのでしょうが,そんな時間はないので続けます。

 この本を車とする。この消しゴムがボール。車は走っているね。ボールもいっしょに走っている。ボールが上に投げられた。ボールはいっしょに走りながら上に行くので,落ちてくるときにまた車のところに落ちてくるんだよ。
 走っているボールはそのまま走り続けようとする。これが慣性だね。

 これで子どもたちがどの程度理解できたかわかりません。ただ,ぼくは高校生のときに古典物理学入門の本を読み,この部分がとてもおもしろかった記憶があります。それが少しでも生徒に伝えたいと思って話すのですが。

 似た例については明日書きます。  

カチャーシー
 カチャーシー,ぼくは大好きです。

 カチャーシーとは,沖縄の踊りの一種です。でも,型も何もありません。それぞれがリズムに合わせて勝手に手を動かし,足を動かして楽しむもの。

 結婚式など,お祝いの最後はたいていカチャーシーで締めくくりです。カチャーシーの三線がなり出すと,好きな人が次々に出て踊っていきます。あちこちで勝手に動き回るのですね。

 かき回すという意味の沖縄口(ウチナーグチ)の「カチャースン」からきていると思います。まさにかき回すような踊りです。

 カチャーシーには,型がない,と書きましたが,観光客などに,それを教える人がいます。また,いまネットで調べると踊り方のページもあります。

 ぼくのおじは,カチャーシーは勝手に踊るからいいんだ,それを教えてどうする,と言っています。

 おじの意見に同感するところもありますが,カチャーシーのうまい下手はあります。ある程度の基礎は習って,それを自分流に変える方がいいように思います。

 きのう,結婚式披露宴に出席しました。そのときのカチャーシーの様子を動画にしたので,アップします。
 花嫁,花婿も参加し,花婿の胴上げも行われていますね。とにかく勝手なのです。ぼくはこの雰囲気大好きです。

 実はぼくはカチャーシー,踊ることができません。恥ずかしがり屋なのです。
[高画質で再生]

カチャーシー

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宮古そば 愛 の骨汁
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---- 近くに「骨汁」おいしいところがあるので,みんなで行きませんか。

 Asaoさんがさそいました。みんな異存はありません。ぼくはメンバーの車の後をついてバイクを走らせ「宮古そば 愛 北中店」に到着。

 ぼくはもちろん,Asaoさんお勧めの「骨汁」を注文。限定品だそうです。Asaoさんが予約してあったので,大丈夫。

 さて,出てきたのがボリューム満点。これで600円。豆腐も野菜も入っています。
 熱いので,フーフーさましながら,少しずつ食べました。

 お勧めだけあって,おいしい!!。 だしが十分に出ています。骨にはけっこう肉もついていて,満足。

 Fukuchanはそばを注文。そばを少し味見させてもらいましたが,これもおいしい。次は妻を連れてきてそばを食べようと思いました。



大きな箱に,小さな商品
 昨日,Kyokoのために注文したメモリカードが届きました。
card.jpg

 写真の箱に入って。ほしいのは,写真右下の小さなカードだけ。この小さなカードを配送するためにあんなに大きな箱に入れるのですね。アマゾンさんは。
 商品の大きさによって,いろいろな大きさの箱を準備するより,ある程度の大きさの箱を準備し,それに入る大きさならどんなに小さくてもそれに入れるという方が効率がいいのでしょうね。

 このカード,8GBで,1980円です。送料は0円。

 ぼくがいま使っているカードは,2006年3月に買ったのですが,
1GB,10810円です。けたを見間違えないように。ぼくのは5けたです。 

 わずか3年でこんなに安くなっているのです。

「熟語引きコンピュータ・ワープロ漢字辞典」
  「コンピュータ・ワープロ漢字辞典」というのがありますね。いま,アマゾンで検索したのですが,ほとんどが絶版になっています。

 ぼくは,書店で手にとって,買うのをやめました。「コンピュータ・ワープロ漢字辞典」というのが,コードを載せているということだけで,特に必要としないからです。ぼくは,読めない字を入力するときは,わざわざコードでなく,「手書き文字入力」を使います。それで十分です。コードを使い慣れていないからかもしれませんが。

 キーをたたいてすぐに文字が出てこないことがありますね。
 例えば,ぼくの名前は「仲松庸次」ですが,「庸」は,「よう」を打って,その中からさがすとなるととても時間がかかります。「ヨウ」の字が多すぎるからです。それで,「中庸(ちゅうよう)」と打って,「中」を抹消します。このように,適当な熟語を打つと,その文字がすぐに出てきます。熟語の知識があれば,ワープロは楽に打てます。
 手書き入力という手もありますが,時間がかかりすぎます。それよりは,熟語からがとても楽です。
 だから,特に人名を打つときなど,この字を使っている熟語は何かな,と考えます。このようなときに対応できる「コンピュータ・ワープロ漢字辞典」があれば,と思うのですね。

 できれば,その漢字が先頭にある熟語がいいですね。
 例えば,「泰」。「安泰(あんたい)」と打てばすぐに出てきますが,先頭ではない。だから,一つ飛び越えてから,「安」を消すということで,少し手間がかかります。それに対して,「泰平(たいへい)」「泰子(やすこ)」なら,Back space(後退)キーを一回押すだけで,「泰」になります。

 このように打てば,あなたの入力したい漢字が楽に出てきますよ,という辞典があればなあと思うのです。

 泰(タイ・やす)・・・泰平(たいへい),泰子(やすこ)

 のようにすればいいですね。五十音順に配列します。音読み,訓読み,どちらにも対応させます。泰の場合,「タイ」のところに載せます。そして,「やす」の項には,「→タイ(p78)」のようにします。総画数,部首からも引けるようにしたらいいですね。

 これなら,売れると思うのですが,どうでしょう。このブログを読んで,どこかの出版社がそういう辞典を作ってくれないでしょうか。それを使うのはPCを使っている人だから,紙にしないで,PC辞典にしてもいいですね。

 なお,「庸」の字が先頭にある熟語がぼくは未だ思いつきません。「中庸・凡庸」というように二番目にきます。
 「庸次」はよく使うので,単語登録はもちろんしています。しかし,別のPCを使うときは必要です。

「わかる解けるできる中学数学」の欠点は「分厚い」こと

 拙著「わかる解けるできる中学数学」に関して,ヒカリさんのブログで次のような意見交換がなされていました。

http://selflearning.seesaa.net/article/64475429.html


もし『わかる解けるできる中学数学 1年~3年』
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/papillonhikari/view/20070901/1188657942の欠点を挙げるとしたら、猫ギター先生の言う「分厚い」ことです。子どもによってはあの厚さに引いてしまうかもしれない。そもそも前書きの文章が学校教師・塾講師向けに書かれているくらいですので学校や塾の副教材として強制してやらせることを前提とした教材です。教育熱心なお母さんが良かれと思いお子さんに買い与えても、その分厚さに怯えてしまい逆効果かもしれません。

しかし、『わかる解けるできる中学数学 1年~3年』計3冊のページ数は、『にがてな人へシリーズ』の数学編『一次関数』『二次関数』『図形の証明』『文章問題』『立体・角度・比』計5冊のページ数の、約2倍です。約2倍もある、のではありません。初めは易しい問題が何個もあってからだんだん高度な内容の難問へ導くスキのない構成でありながら、『にがてな人へシリーズ』数学編全5冊の約2倍で済んでいるのです。裏を返せば『にがてな人へシリーズ』は分冊にすることで心理的なマジックを発生させているといえます。

そこで、私は『にがてな人へシリーズ』の子ども心を掴んだ単元別分冊のアイディアを拝借してみています。つまり『わかる解けるできる中学数学 1年~3年』を単元別の分冊にして、子ども心的に敷居を低くしてしまうのです。この分冊は学校の定期テスト対策に使うもよし、中3夏休み明けから苦手分野の克服のために使うもよし、『語りかける中学数学』で興味を持った分野のアウトプット力を完成させるために使うもよし。いろんな使い方ができると思います。

『わかる解けるできる中学数学 1年~3年』は、みっちりやってしまえば、いきなり『ハイスタ演』『SIRIUS21発展編』に飛んでも大丈夫なくらいのシロモノであると思います。買ってもやろうとしない子には「分冊マジック」を試してみてはと思います。やらなきゃもったいないですから。
Posted by rop at 2007年11月07日 18:33



>ropさん

書き込みありがとうございます。
本を使っている方のご意見は大変勉強になります。

分冊でやっていくのは私もよい方法論だと思います。
子供の中にも、シリーズは違います(手書きの解説がついているシリーズです)が、分冊でどんどん進めている子もいます(二年くらい先をやっているようです)。

私が言いたいのは、「解説が少ないために、自学性が落ち、推薦図書にはいれられないのでは?」という意味であって、一般的には良書の類に入ってくるものだと思います。

図書類は、独学を前提に考えて、ヒカリ推薦「独学」図書として選んでおります。

それとも、独学にも耐えうる解説量なのでしょうか・・・。
Posted by ヒカリ at 2007年11月07日 22:38




『○○のにがてな人へシリーズ』が独学にも耐えうる解説量の問題集かというとちょっと・・・ですね。理科・社会は横に参考書を置いてそれで調べればいいんですが、数学はなかなかそうはいかないですから。

数学は『わかる解けるできる 1~3』を単元別に薄くスライスした分冊にしたらかなり売れそうだと思います・・・
Posted by rop at 2007年11月08日 05:03




ropさん、しぃさぁ先生こんにちは♪

わかる解ける~の分厚さ、始め娘も「あつくない?」←エリカ様のような言い方、母はムカつく。。と言ってましたがすかさず「ほら各単元はこれくらいしか(単元をつまんで)ないわよ~」といったら納得!

中1ってまだまだ単純♪
他のお母さん達にもおススメし実際トライしているようですが「すごくいいっ!」と大好評です♪
順序よく進めていくと自分で解けるので子供にストレスのない問題集です☆

学校の配布されている問題集が「数学完全問題集」正進社なのですが、ここの応用が頭を悩ませているようです。
公立の授業内容であの問題集の応用をやるのは無謀な気がする。。

分かる解ける~の各単元ひととおりやってこの学校の問題集に入るのですがこの問題集に入ると頻繁に父親とっつかまえて聞いてます。。

しぃさぁ先生の独学おススメ本は中1(もしくわ中学生全般)のはひととおり揃えましたが、ホント「せるふ・すたでぃ・ねっと」そのままズバリの素晴らしい本ばかりです☆
Posted by shinn at 2007年11月08日 15:26




shinnさん、はじめまして。ropです。

わたしの今やっている方法は、『語りかける中学数学』を渡して好きなように読ませ、『わかる解ける~』計3冊を単元別に十数冊に細かく分けて興味ある単元を好きなようにやらせる、というやりかたです。

もちろん定期テスト前には集中してとりかかることになるでしょうし、入試本番が近づけば苦手分野の克服へとシフトしていくことになると思います。

公立中学組にも有利な点はあるんですよ。わたしは私立中高一貫校の出身ですが、中学数学のとちゅうで数学受験算数の解法という余計な知識がアダとなりました。二次関数や合同・相似の証明に差し掛かるあたりで受験算数の解法が通用しなくなってとたんにダメになりました。1年半~2年の空白ができてしまうとその遅れを取り戻すことは並大抵ではなく、わたしや同級生の殆どは大学受験の時にはとりかえしのつかないことになって、公立中学進学組に完全に水をあけられてしまったのです(笑)

『わかる解ける~』はギッチリやっておいてください。『数学完全問題集』応用問題でも苦にならなくなると思います。


『わかる解けるできる高校数学』もあったらいいですよねぇ・・・オイラーの公式にたどりつくまでの必要事項を全て、深く理解できずに文転し解法丸暗記で乗り切る例は枚挙に暇がないですし。
Posted by rop at 2007年11月08日 19:59




No.6 わかるとけるできる に関しては、

>初めは易しい問題が何個もあってからだんだん高度な内容の難問へ導くスキのない構成でありながら、『にがてな人へシリーズ』数学編全5冊の約2倍で済んでいるのです。(ropさん)

ropさんの言う通り、難問のいっぽ手前まで0から導きます。

ただし、
1,難問自体はほぼ1題も扱っていない。
2,問題量は普通(考え方をみにつけることを目的としている)。
ので、標準~難レベルの演習本は必ず必要です。遅くとも定期テスト3週間前にはこの本は終えておくような使い方でなければ効果は半減するでしょう。

難問演習としても、「数学完全問題集」正進社などの応用にじっくり取り組むことは大変意義のあることだと思っています。たしかに公立の授業の中で消化するのは困難ですが、自学すればなんとかなります(多分)。

shinnさん、ropさんコメントいつもありがとうございます。

Posted by ヒカリ at 2007年11月08日 21:34




>ヒカリ先生

No.6 わかるとけるできる を終了させたとして、標準偏差値(埼玉なら北辰偏差値)でどれくらいに達するとお考えでしょうか。私はカンで67~68くらいには達すると感じているのですが・・・
Posted by rop at 2007年11月08日 22:43




>ropさん
難しい質問ですね。
ヒカリっ子がみんな使っているので数字はなんとなく想像はできますが・・・。


計算ミスがない習慣がついているかとか、ヒントなし問題演習をどれくらいしたかで変化しますよね。

ヒカリでは他のハイレベル問題集を使用しているので、純粋にあの本だけでの数字は出せません。

No.6には難問が省いてあることは意識しておきたいところです。
Posted by ヒカリ at 2007年11月09日 00:12




★ropさん、こんにちは。
ropさんも塾の先生なのですね♪
では、rop先生ですね^^

>『わかる解ける~』はギッチリやっておいてください
了解です!
ホント、高校版をつくって頂きたいです!
rop先生もしぃさぁ先生も子供も教材をこんなに熱く研究されてることにジーンと感動してます☆
教わってる子供さん達はお幸せですね♪

★しぃさぁ先生
「数学完全問題集」に進むとやたら時間がかかっているようで、また繰り返しやらないと定着しないようですが、分かる解ける…と数学完全問題集の2冊に絞ってやりこむと力つきそうです♪

Posted by shinn at 2007年11月09日 12:29




shinnさん

塾をやっているのだとばかり僕もおもっていました。講師であろうとなかろうと本を使った人がその本に一番詳しいので立場は関係ないですね。

絞ってやるのはよいと思います。
その2冊を完璧にすれば、ss70くらいは見込めそうですよね(数字を安易に出しても仕方がありませんが)。
Posted by ヒカリ at 2007年11月09日 12:45




 「わかる解けるできる中学数学」著者のYojiです。ぼくの本に関してこのような意見交換がなされているのを知り,とてもうれしく思います。昨夜,「わかる解ける・・・」で検索して,見つけました。ありがとうございます。ヒカリさんには,以前からいろいろお世話になっています。改めて,ありがとうございます。

 ropさんご指摘の欠点「分厚い」は,その通りですね。厚いと生徒に心理的な圧迫となります。
 子どもたちがつまずくところに,「あっ,ここに階段をつけてあげよう。ここにも必要だな」とやっていくうちに,このように分厚くなってしまいました。
 それを分冊にして子どものやる気を起こさせるというのは素晴らしいアイデアだと思いました。
 難問がない,などのご指摘もその通りだと思います。みなさんが書かれているように,この本だけではなく,別の問題集で補っていくものですね。この本には,この本の役目があると思います。

 次も参考にしてください
プログラム学習書と仕事の原理
 


「謂ひおほせて何かある」
 きょうも、「日本語は悪魔の言語か?」からです。
日本語は悪魔の言語か?―ことばに関する十の話 (角川oneテーマ21 (B-44))


 著者小池氏は、

日本語の韻文が短縮化への道を歩んだのは、主客合一を理想とし、その実現の手段として、読み手により多くのものを委ねようとしたためでありました。
松尾芭蕉(一六四四~ー六九四)の次の言葉は、日本の韻文の本質を的確に言いきっています。


 として、「去来抄」から引用しています。その訳だけ。

下臥(したぶし)に つかみ分けばや いとざくら
(風にゆれる枝の下に臥して摑みわけたいと思う糸桜であることよ。)

亡くなった芭蕉先生が道々私に語って言うには、「最近、其角が編纂した俳句集にこの句がある。どう考えて採用したのだろうか。」と。

 去来が言うには、「糸桜が十分に咲いている様子の表現上手に言い切っているのではございませんか?」と。

 芭蕉が言うには、「謂ひおほせて何かある(言い切ってしまって、何があるというのだ)」と。

 この時、心に深く刻みつけるようにし忘れられないことがありました。初めて、発句として成立するものと、発句として成立しないものとがあるということを知りました。]



「謂ひおほせて 何かある」

 100%言い切ってしまっては、だめだということでしょうね。7~80%だけ言って、後は読む人が補うというのがいいということでしょう。
 読者は、書いてあることを読み取るだけではなく、読者もいっしょに作るということに参加させるのです。

 前に、「物語文は,なぜ説明文よりむずかしいか」という記事を書きました。
 物語文は、故意に書かないことがあるんだよ、ということでした。
 芭蕉につながっているなあ、と感じました。

 書ききってしまっては、おもしろくないではないか。読者は読むだけではなく、書かれていないことを自分なりに作り上げることが大切なんだよ、ということを言っているのでしょうね。
 
 書き手が書いて、それを読者が読み取る、そういう読者を受け身にしてしまうのではなく、読者を能動的に読ませる、それが文学なのかもしれません。

 それができないから、ぼくは文学が苦手なんだ、と改めて感じました。とくに俳句は難しい。難しい理由が分かったように思います。

「分かりやすい文章」の技術 (ブルーバックス)

 に、読者に気を遣わせる、読書を考えさせる文章は分かりにくい文章だ、というようなことが書かれていました。だから、分かりやすい文章を書くには、読者が考え込まないように親切な文章にしなければいけないのです。

 ぼくは、できるだけそう心がけてきました。

 でも、芭蕉に言わせれば、「分かりやすい文なんと、おもしろくもないよ」でしょうね。

 ぼくが書くのはほとんど説明文です。分かりやすいのを今後も心がけますね。
 ただ、このブログにも説明文でないのがいくつかあります。塾での生徒の様子やプライベートなことです。それを書いているときは、ぼくは文を書くのが下手だなあ、とつくづく思いますね。



擬態語を解せぬ欧米人
 まずは,塾で使っている教材「国語だいすき小学4年」から引用します。ブログの形式にあわせて少々手を加えてあります。
基礎学力アップ 国語だいすき 小学4年生

 「音まね語」(擬態語)について学んだあとのページです。

  つぎの文中の[ ]のことばは、ものの動きやようすをあらわしていることがわかります。「音まね語」とくらべて、どこがちがっているか考えましょう。
 風船が [ふわふわ] 飛んでいく。

問題1 ( )にあうことばを[ ]からえらびなさい。
① チョウが( )とまうように飛んでいった。
② へびが( )とはっていく。
[ひらひら にょろにょろ]

 上のように、ものの動きやようすをまねてあらわすことばを「ようすまね語」とよびます。

問題2 つぎの文の( )にあう「ようすまね語」をえらんで書き入れましょう。
① 父は( )おこって帰ってきた。
② おじさんは( )とつかれきった様子だ。
③ 地しんのため家が( )とゆれている。
④ ふくろうは目を( )させながら止まり木にとまっている。
⑤ 両力士( )と四つに組んで動きません。

[ がっぷり ぐらぐら ぐったり ぷんぷん ぱちくり ]


「ようすまね語」というのは,擬態語(ぎたいご)を子どもむけに表した言葉です。このページ,小学4年の子どもたちはほとんど迷うことなく正解に達します。やさしいページのひとつです。みなさんも間違えることなくできましたね。

 でも,それはみなさんが日本人だからだそうです。
 欧米には,擬態語がないようで,苦手だとのこと。「日本語は悪魔の言語か」には,それが描かれています。
日本語は悪魔の言語か?―ことばに関する十の話 (角川oneテーマ21 (B-44))

 フランスの留学生,もう日本語はとても上手になりました。机を軽くたたいて,どのように聞こえるか,とたずねたそうです。とても困惑していました。日本の子どもたちなら,コツコツとか,コンコンとか答えるそうですね。

 次に机を強くたたいた。そしてどう聞こえたかと尋ねる。困った顔をしながら,さきほどより,大きい音がしました,と答えました。
 日本人なら,ドンなどと答えるでしょうね。

 擬態語がなければ,小さい音,大きい音などと説明して答えることになります。とにかく,日本人なら子どもでも簡単に分かる擬態語を欧米人が理解するのはとても苦労するとのこと。

 さあ,次の引用文を読んでみてください。

 ブルガリアの首都ソフィアから来た女子留学生の場合はもっと深刻でした。

 来日して間もなく、彼女は猛烈な腹痛を覚え、病院に駆け込みました。医者が尋ねます。

「きりきり痛みますか? それとも、しくしく痛みますか?あるいは、ずうんと痛みますか?」

 このように尋ねられて、難しいクイズを出されたような気分になったといいます。彼女にとって「きりきり」「しくしく」「ずうんと」の差は濃霧の中で、これらの区別が全くつかなかったのです。医者は子供でもわかる平易な日本語で金髪の留学生に尋ねました。親切のつもりであったに違いありません。しかし、この日本語はいかにも日本語らしい日本語であって、欧米系の外国人留学生にとっては決して平易な日本語ではないのです。

 どう答えてよいかわからぬまま、彼女はこう答えたそうです。
「ナイフを右腹にさしこまれたように痛みます。」
 医者は「ああ、きりきりですね。」と応じて、処置にはいりました。

 彼女の表現力が命を助けたわけですが、この経験には副産物がありました。「日本語の擬態語研究」が彼女の修士論文のタイトルになったのです。こういうわけで、彼女の修士論文のテーマは命懸けで見つけ出されたということになります。


 この部分を読んで,ぼくは声をあげて笑ってしまいました。まわりにだれもいなかったのでよかったです。

ネパール料理,カスタマンダップ
 きのうのお昼は,カスタマンダップ (KASTAMANDAUP)に行きました。ネパール料理の店です。

 Kyokoは変わったのが大好きです。だから,いろいろ変わった料理を食べさせるところがあると出かけていきます。ぼくもまあ好きなほうなので,ついていきます。

 58号線をバイクで走っていたら,ネパールキッチンの店が見えたので,チェック。そして,きのうになったわけです。

 ランチタイムに間に合わせていきました。ランチタイムは3時まで。ぼくらがついたのは2時すぎ。店に入ると香辛料のにおいが。

 ランチタイムのメニューからAセットとBセットをもらいました。写真手前がAセット,むこうがB。
 カレーは6種類から選べます。ぼくらはチキンカレーと野菜カレー。そして,ナンとご飯も選べますが,それもそれぞれ別のもの。ソフトドリンクはココナッツラシーとマンゴラシー。

 おいしかったです。ナンもよかった。ちょっと変わった料理が欲しいときには,いいですね。

neparl.jpg

ネパールスパイスキッチン KASTAMANDAP (ネパール料理 / )
★★★★ 4.5



枕詞は,和文通話詞
 若い人は,よく知らないでしょうが,以前は,電報をよく利用しました。電話で電報を申し込むこともありました。本土や外国に電話をかけるとものすごく高いので電報にするのです。

 近くの電報局に電話をします。そのとき,聞き違いなどを防ぐために,
 朝日の「あ」,いろはの「い」,上野の「う」,英語の「え」 などと言いました。

 「あ」だけ言ったら聞き間違いがおこるので「朝日の『あ』」のように言うのですね。これをまとめたのを「和文通話表」と言うそうです。

 さて,和歌に「枕詞(まくらことば)」というのがありますね。

 「あしひきの」「たらちねの」「ひさかたの」などです。

 「あしひきの」が来たら,それに続いて,「山」および「山」を含む語「山田」「山鳥」などが来ることになっています。

「たらちねの」が来たら,「母」「親」です。

「ひさかたの」は,「天(あめ・あま)」「空」「月」「雲」「雨」「光」「夜」「都」です。

 要するに,枕詞があったら,次にどのような言葉が来るか予想できるのです。

 いま,小池清治著「日本語は悪魔の言語か?」を読んでいますが,昔の和歌は耳で聴くものだったそうです。声にして発し,それを耳で受け止める。だから,電話で話しているようなもので,聞き間違いが起こる可能性があるのです。「光」だけでは,聴いている人が分からないかもしれないので,「ひさかたの」を前につける。すると,聞き間違えることがなくなりますね。

 これを読んで,ぼくはなんだ,枕詞って「和文通話詞」ではないか,と思いました。

 枕詞をぼくは,修辞法の一つと教わりました。それはそれで間違いではないでしょうね。とても高尚なもののように思っていました。でも,なにか飾りというより,聞き間違いがないようにするものだ,というのはとても納得です。

 和歌が書いて読むものに変わっていくに従って,枕詞もすたれていったようです。

 上の説明はぼくなりのものです。正確には,下の本をお読み下さい。 

日本語は悪魔の言語か?―ことばに関する十の話 (角川oneテーマ21 (B-44))


  「ニッポン」「ニホン」,なぜ2通り?
  日本は,「ニッポン」と読んだり,「ニホン」と読んだりします。

 なぜ,そのように2通りの読み方になったのか,小池清治著「日本語は悪魔の言語か?」に,その説明がありました。


 ぼくなりに整理しながら書きます。正確には,前著を参照してください。

 もともとは,「ニッポン」だったのです。「ニホン」という言い方はなかった。

 まず「ッ」。
 ぼくは,この本で指摘されるまで,「ッ」を発音している気になっていました。しかし,「ッ」なんて発音はないのです。「ニッポン」というとき,「ニ」の後にほんの少々休みがあるだけです。「ニ」と言って,急ブレーキをかける,という感じでしょうか。自分で意識して「ニッポン」と発音してみてください。その感じが分かるはずです。

 ローマ字では,「ッ」を次の子音を重ねて表しますね。「ニッポン」は,「nippon」です。niとpoの間に小休止がありますよという記号です。

 そして,この「ッ」を表す字が以前はなかったのです。だから「日記(ニッキ)」は,「ニキ」と読み仮名をつけるしかなかったのですね。「ニッポン」の「ッ」もなく「ニポン」と書くしかなかった。
 この「ッ」は記号で,だいぶ後になって発明されたのです。

 次は「ポ」です。「パピプペポ」の字もなかったのです。右肩に○をつけて,「パ行」を表すことがなかった。バビブベボもなく,「ハヒフヘホ」と書いていた。
 そういえば,百人一首の字。
 「かたぶくまでの つきをみしかな」は,「かたふくまての つきをみしかな」と書かれています。濁点(点々)がありません。

 だから「ニッポン」の「ポ」は,「ホ」と書くしかなかったのです。

 「ニッポン」の「ッ」をとって,「ポ」の○をとって「ホ」にすると,「ニホン」になってしまいます。昔は,「ニホン」を「ニッポン」と読んだのです。
 しかし,それをそのまま「ニホン」と読むようになった,つまり間違えて読んだのが「ニホン」です。

 現在の「ら抜き言葉」のようなものです。間違えていても多くの人が使うようになれば,それは正式に認められます。しかし,その間違いには合理性があります。

 このように間違えて読んだのが「ニホン」で,それが定着したのです。

 「なるほど!」です。

 でも,ぼくは,「ニッポン」より,「ニホン」が好きです。柔らかい感じがするからです。好きな読み方をしてもいいそうなので,それぞれです。

 なお,いろいろ検索すると次のページに出合いました。おもしろいです。
 特に「日本航空」は,100%の人が「ニホンコウクウ」と読むが,正式には「ノッポンコウクウ」だというところはおもしろかったです。

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沖縄の墓の中
 お墓の話題が続きます。

 先月7月11日(土曜日),舅(曽根信一)の遺体が帰ってきました。2007年11月に亡くなり,琉球大学に献体していたのです。約1年半ぶりに帰ってきました。そして,11日火葬,12日にお墓に骨をおさめました。

 墓の中の写真です。
hakanonaka.jpg
お墓の中はこのように厨子甕(じーしがーみ)がたくさん並んでいます。厨子甕とは,骨壺のことです。

 ネットで検索したら次のような文がありました。
http://tensaimitsuo.kirisute-gomen.com/4_03dig.htm 

厨子甕とは、火葬以前の沖縄の習慣であった改葬において、洗骨した遺骨を納める「骨壺」のこと。沖縄の墓は、亀甲墓(カメヌクー)が有名であるが、このデザインは女性が寝そべって股を広げたかたちでもあり、甕を収める穴はいわば産道といえる。死んでから生まれた道を通って後生に帰っていく、「母体回帰」の大らかな思想といえます。(参照:OkinawaCultureArchive、WonderOkinawa)


 だそうです。いまでは火葬ですが,「じーしがーみ」と言っています。

 さて,上の説明によると,ぼくは母体の中を撮影したことになりますね。

 沖縄は一門でお墓を共有しています。その規模は地域によるようです。詳しくは知りません。ただ,先祖の方と同じ空間にこのように並べられていくのですね。

沖縄民商ビーチパーティー
 さる日曜日(2日)は,沖縄民商のビーチパーティーでした。場所は,北谷のサンセットビーチ。

 ぼくは妻のKyokoと参加。12時過ぎに塾を出発,途中,Yasunoriさんをひろって,目的地へ。なんとか駐車もできました。

 もうすでにYoshihiroくんがとても酔っぱらっています。Mrs. Kasiwabaraの作った焼きそばをいただきながら,みんなと談笑し楽しみました。

 それにしてもYoshihiroくんの酔いかたはひどかったね。


beachparty1.jpg

beachparty2.jpg

 サンセットビーチの地図

お墓に報告
 昨夜は,福岡に住む伯父を囲んでの食事会に出席しました。ずっと教員を勤めていた伯父が叙勲されたことを,その父母が眠るお墓に報告ということで来沖したのです。

 さて,このお墓に報告ということで,本土,沖縄の間に違いがみられるなあ,と思います。

 テレビなどを観ると,本土では何かあるとお墓参りをして,お墓に報告をしますね。その習慣が沖縄にはまったくないように思います。
 何かあると本土の人はお墓参りをする。しかし,沖縄ではお墓に行く日は決まっています。ぼくは,年に一度,清明祭(シーミー)の日だけです。

 沖縄は祖先崇拝が強いところですから,祖先に報告というのは自然なことです。でも,お墓には行かないですね。それを仏壇ですませます。仏壇に手を合わせて報告をする,それでおしまいです。

 伯父は,沖縄を離れていて,終戦後もすぐに沖縄に帰っていません。沖縄は全滅だ,といううわさを聞いて,父母,兄弟もみんな死んだのだろうと思い,福岡に住み着いたのです。そして,そこで家庭をかまえ,ずっと本土です。だから,墓参りにしても本土の習慣で行ったのでしょうね。

 妻の話です。
 妻の母親が亡くなって,墓参りをしたいと言って,お墓まで行った人はやはりヤマトゥンチュだったとのこと。沖縄の人は,みな仏壇に手を合わせてそれでおしまいです。

 思いの強さというより,たんなる習慣の違いなのでしょうね。お墓に対する思いは,墓の前に集まって行う清明祭(シーミー)から分かるように,沖縄の人も十分にあります。 
 仏壇で十分ではないか,という気持ちがあるのでしょうね。または,暑いから墓まで行くのは大変だからということでしょうか。それとも,沖縄人のテーゲーからでしょうか。

 ぼくは,仏壇で十分だと思っています。

「田の字表」にカスタマーレビュー,星5つ
 アマゾンのページにあるぼくの「田の字表」にカスタマーレビューが一つ加わりました。今朝,気づきました。7月4日に掲載されたようです。

 とてもいい評価なのでうれしく思いました。

中学数学・理科が「田の字表」なら解ける・わかる・点がとれる! (アスカビジネス)
のカスタマーレビュー


古くて新しい算数学習のカイゼン, 2009/7/4   By KFR

算数や理科の計算問題が苦手な子供の頭の中を整理できる、シンプルでいて示唆に富んだ本。
また、ひと手間増やし、混乱する要素を整理し確実性を高めるという、ビジネス書で流行っている「見える化」にも通じる内容だ。

田の字表で扱える問題は比例や反比例の問題だ。
そして、中学校の数学や理科で出てくる計算問題の多くが比例や反比例の問題だから、その多くが「田の字表」でカバー出来るという理屈だ。

田の字表を使うには、問題文に出てくる計算要素を田の字表の空欄に当てはめ、そこから方程式に変換して、その方程式を解くことになる。
計算要素の田の字表の空欄への当てはめや方程式への変換は、ごく簡単なルールに従うだけでよく、問題を解く時間の節約になる。

田の字表は、問題文の整理と方程式への変換という二種類の作業を分離し、パターン化することで、余計な思考の混乱を排除することに貢献している。
そういう着眼点が「見える化」や「カイゼン」といった考え方に通じる部分だ。

また、初中等教育の就学人口が途中までに半減するような途上国での教育では、教える内容を方程式と田の字表に絞り込むのは有効な方法かもしれない。

本書は簡単な田の字表の解き方の解説の他は、問題を解きながら田の字表の解き方に慣れていく構成で、算数や理科の応用問題も網羅されている。
学校で田の字表が教えられていない理由や、田の字表の理論的な側面等の解説は出てこないが、小中学生向けによく考えられた構成と言えるだろう。





物語文は,なぜ説明文よりむずかしいか
 高校受験夏期学習,国語の時間,ぼくは次のように話しました。 

 「ある意味では,物語文のほうが,説明文より難しいんだよ。」

 生徒は,そんなことないだろう,という反応。

 確かに,説明文の方が難しい内容であることが多い。難しい内容を説明しているのだから,説明文は難しい。

 でもね,説明文を書く人は,とにかく分かってもらいたいという気持ちが第一なんだ。作者の頭の中にあることを読者の頭の中にコピーしたいと思っている。そのために何度もいいたいことを繰り返す。「自然が大切だ」ということを言いたいなら,その文に「自然が大切だ」ということが何度も繰り返し出てくるはずだ。
 書かれていることを素直に読めば理解できるように工夫しているんだよ,作者は。

 しかし,物語文はちがう。物語はおもしろくなければいけない。おもしろくするために,作者はいろいろな手を使う。意図的にと書かないこともあるんだ。

 あなたたちは星新一の「ぼっこちゃん」を読んだね。
 次のページ参照
 http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-506.html
 (みんなボッコちゃんは大好きです。)

 あの小説では,お客やマスターが死んだことは書いてないだろ。それを書いたら,おもしろくないからだよ。

 ボッコちゃんはロボット,青年が毒いり酒をボッコちゃんに飲ませる,もちろんボッコちゃんは死なない,管を通って落ちてきた毒入り酒をマスターがお客に差し出し,自分も飲む

 それを読んで,お客は死んだということを読みとらなければいけない。読みとることができれば,おもしろい。
 そこで,「お客もマスターも死にました」なんて書いたら,もうこの小説は台無しなんだよ。

 このように,物語文の作者は,意図的に書かないことがあるんだ。おもしろく読んでもらうことが目的だからだ。
 その書かれていないことをぼくらは読みとらなければいけないんだ。
 だから,入試問題では物語文が難しいことがある,それを理解するように。

 この説明にみんな納得した表情でした。
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