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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

冠詞(a, the)と助詞「が、は」
 冠詞は、日本人のいちばん苦手なものだと思います。ぼくもまだ十分に使いこなすことはできません。

 文英堂「理解しやすい英文法」には、

 不定冠詞と定冠詞を比べると、次のようなちがいがある。
不定冠詞・・・はじめて話題となるもの、不特定のものに用いる。 数えられる名詞の単数形にのみつける。
定冠詞・・・既出のものや状況からそれとわかるもの、特定のものに用いる。
 名手の種類や数に関係なく、どの名詞にもつけられる。
He has a son. The son is a doctor.
Please open the window.


 とあります。分かる人は、そうだなと思うでしょうが、分からない人はこれでは分からないでしょうね。

 また、定冠詞the は「その」、不定冠詞a(an)は「一つの」と訳しますが、それだけでは、絶対に対応することはできません。特に a は「一つ」というよりも、「どれでもいいから1つの」と不特定物を指す意味が強いのです。

 日本語では、「その」「1つの」を省略した方が自然な表現になることが少なくないのです。

 また、この定冠詞、不定冠詞はとても重要だそうです。

 野口悠紀雄の著書の一つだったと思いますが、
 ネイティブの人が「前置詞などは少々間違えても大丈夫ですよ」と言うので、「冠詞もそうですか?」と尋ねると、「いや、冠詞はきちんと使い分けなければいけない」と答えたそうです。
 野口悠紀雄のどの本にあったか忘れてしまいました、少々あいまいですが、

 さて、では、日本語には、冠詞(the, a )にあたるのがないのかといえばそうではありません。

 講談社の英和辞書におもしろいのがありました。整理が悪いものですからその辞書を探し出すことができません。そのままここにコピーしたいのですができません。残念ですが、ぼくの記憶に残っている分にぼくの考えも加えて書きます。

 theの項のコラムにあったものです。

 日本語の助詞「が」「は」が定冠詞「a, the」に相当するというのです。もちろん、ぴったりというわけではないのですが。

 「小鳥が飛んできました。小鳥は枝にとまり鳴き始めました」

 自然な日本語ですね。

 最初の文の主語「小鳥が」は、不特定の小鳥です。はじめて話題にのぼりました。どの小鳥かははっきりしません。どれでもいいから小鳥が飛んできたのです。a bird になりますね。日本語の表現では単数、複数は分からないのでbirdsかもしれません。
 2番目の主語「小鳥は」では、1番目の「小鳥」のことです。つまり、飛んできた小鳥のことですよ、ということです。既出ということです。その場合には助詞の「は」を使います。the bird です。

 文英堂の「くわしい国文法」に

 副助詞「は」
 意味(1)他と区別して、とくに取り出していう意味を示す。
 (例) 私は行きません。


 とあります。まさに定冠詞のtheだと思います。

 もう一つ、桃太郎から

 むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山にしばかりに、おばあさんは川に・・・・

 どうですか、ぼくらはまったく無意識に使っているのですが、助詞の「が」「は」をきれいに使い分けているのです。英語のネイティブの人もこのように無意識にa, the を使い分けているのでしょうね。

明日,英検
 明日は,セルフ塾で英検が行われます。申し込みを行った人は以下の時間に遅刻しないように来てください。

 集合時間,
準2級,4級は午前10時30分
3級,5級は午後1時

 以下,各級の集合時間と終了予定時間 です。

準2級 10:30 ~12:35
3級 13:00 ~14:40
4級 10:30 ~12:05
5級 13:00 ~14:20

 では,みなさん,明日の集合時間まで勉強に励んでください。

go to school , go to bed, after school , by bus
 前の記事で「可算名詞ははだかで使うな」と書きました。

 では,go to school はどうなのよ? school をはだかで使っているじゃない,という反論がでしょうです。

 ぼくの推理もふくめて書きます。

 確かに school は「学校」で,ふつうは可算名詞です。

 新聞記者が取材のために,ある学校に行った。そういう状況「彼は学校に行った」を英訳すると,

 He went to a school. になるのではないでしょうか。この場合学校は可算名詞です。

 でも普通「学校に行く」というとき,ただただ学校に行く,というのではなく,「学校に勉強をしに行く」という意味だと思われます。「ある学校に行く」というよりも「勉強をするところに行く」ということです。そのときの「勉強をすることろ」は抽象名詞と考えた方がいいのではないでしょうか。だから,その場合には,不可算名詞扱いをして はだかのschool になる。

 go to bed にしても,あるベッドにいくというよりも,眠るためにベッドにいくと考えて,不可算名詞扱い。

 after school 「放課後」 のschool は授業のことでしょうから,不可算名詞。

 by bus のbusも「あるバス」というより,「交通手段としてのバス」というような意味で不可算と考える。

 多くの教師は,「こういうのは熟語なんだからそのまま覚えればいいんだよ」と言いそうですが,ちょっとしたこだわりでした。

可算名詞ははだかで使うな
 「可算名詞ははだかで使うな」という表現をどこかで読みました。どの本だったか忘れました。

 私たち日本人は,可算,不可算をほとんど意識しません。だから,
 「彼は本を持っています」と表現します。でも,それを
 He has book. としては間違いなんですね。

 book のような数えられる名詞(可算名詞)はそのままはだかのままで使ってはいけないのです。
a book books the book his book など 何かをくっつけなければいけません。

「彼は本を持っています」を英訳する場合には,前後があればそれで判断し,前後がなくても自分のカンを頼りにして

 He has a book. He has books. He has the book. He has his book. などととしなければいけません。

 沖縄県高校入試では,簡単な英作が出題されますが,生徒が間違うので一番多いのが,可算名詞をはだかにすることです。だから,ぼくは,生徒には

「数えられる名詞ははだかで使ってはだめだよ」

と繰り返し言っています。

どのように生徒に教えていいかも参考になる
 Oさんからメールをいただきました。


 ブログ拝見しました。

ほんと、可算、不可算はおくが深いですね。
日本人と英語話者の名詞の取り方の違いでこのように価値観に違いがでてくるとは。

文脈をよくみて、名詞が何を表したいのかを考えないといけません。

その可算、不可算、theか無冠詞は、英語話者は即座に考える時間もなく言葉で使っているのです。

日本語にないその考えかたを、同じ会話の中で瞬時に切り替えないといけないので、相当な訓練が必要でしょう。


a chickenとchickenは 肉にかわると不可算になるルールをしっていないと区別不能な会話に。。。
おそろしいことです。
I like a dogとI like dogもこわい!!!!

dogも肉用の言葉がないので、aをとると犬肉に!!!!
チキンは丸焼きにすることがあるからいいけど、、dogで間違えた日には、、、、、、、、



話はかわり、仲松さんのプログラム学習を始めました。
中学1から総復習のつもりでやろうと思い始めましたが、始めると止まりませんね!!!
どんどんできるので、1日で100ページ終わる日もありました。
進みすぎもよくないので今は1日2章くらいでおさえています。
1章も長いのでちょうどいいかと。
この学習は、どのように生徒に教えていいかも解いてるだけで書いてあるので非常に参考になります。
何回通りもやれば記憶は強化されるでしょう。
何事も基礎が大事ですから、中学3年間は重要です。すべてその3年間から派生していきます。
また状況報告します。



(Yojiの返信)
 メールありがとうございます。

 本当に,可算,不可算は奥が深いです。でも,なぜにこだわって勉強をするとおもしろいものだと思います。
 日米の文化の違いも考えながら,英語は使わないといけないし,大変です。

 ぼくのテキストをやっていただいているとのこと,うれしいです。Oさんには簡単すぎて飽き飽きするのではないかと思います。ただ,「どのように生徒に教えていいかも解いてるだけで書いてあるので非常に参考になります」とあるので,とてもうれしいです。

 ぼくは,自分の英語力をつけるより,生徒がどのようにすれば理解してくれるのかを考えること,またそのために英語のなぜを考えることがおもしろく,そっちに進んでしまいました。

会話はキャッチボールでないと意味がない

 mixiセルフラーニングに
 苫米地 英人「英語は逆から学べ!」
 のトピックを立てました。それに書き込んだぼくのコメントです。その前のコメントは想像しながら読んでください。



 ンチャさん,コメントありがとうございます。

 上で引用しなかったのですが,この本ではクリティカルエイジについて書いています。臨界期のことです。

 言語であれば,8~13歳くらいまでに母国語としての言語の習得が止まってしまうといわれています。

 また

 脳はそれまでの神経ネットワーク部位とは異なる部位で同様のタスクを学習可能であることが,脳損傷後の機能的な再構成の研究成果として知られてきています。これを可塑性といいます。

 とも述べています。そして,クリティカルエイジをすぎても脳の可塑性によって,外国語を学ぶことは可能だと主張しています。

 ぼくはこのことに基本的に賛成です。ぼくも何歳からでも外国語を学ぶことは可能だと思っています。ただ,苫米地 英人氏は,脳の可塑性を安易にとらえているような感じはしますが。まあそれはいいでしょう。

 いずれにしても臨界期はあります。ンチャさんの里子さんは臨界期だったので,タゴログ語をスムーズに聞けるようになったのでしょう。

 さて,本題に
 人間の会話においては,必ずキャッチボールになっています。

 お母さんが子どもに「ごはんだからおいで」と言ったとします。子どもはそれを聞いて理解することができないので,動きません。お母さんはそれを無視してしまうでしょうか。
 そうではないでしょう。この子は私の言ったことが理解できなかったのだろうと推測します。そして,目の前に行って,食べるジェスチャーをして「ごはん,ごはん」と繰り返すのではないでしょうか。

 または,タガログ語を話せる実子に,ご飯だから呼んでおいで,と指示します。実子は里子の手をひっぱりながら,「ご飯だよ」と語るでしょう。そして,ご飯の場に連れてこられた里子は,ああ「ご飯」って言っていたんだ,と理解するのです。

 言葉というのは,相手に自分の考えを伝えるものです。そして相手に自分の考えが伝わったかどうか確かめます。
 親子の場合には特にそうです。子どもにやって欲しいことを言う。またはやって欲しくないことを言う。その通りやらなければ,何とか別の方法をさがしてでもそれをさせなければいけません。

 子どもの反応を見ながらでないと会話はできません。

 テレビにはそれがまったくできません。テレビには目も耳も鼻もないからです。

 ンチャさんは日本語のうまくない奥さんと会話するときはどうだったでしょうか。自分の言ったことがちゃんと伝わっているのかなあといつも気にしていませんでしたか。それとも最初から英語でスムーズに話せたのでしょうか。

 ぼくはアメリカ人と話すときは,ぼくの言ったことが相手にきちんと伝わっているのかどうかをとても気をつけます。ぼくが英語を話すのがうまくないからです。特に気をつけるのが和製英語です。日本語として使っている英語を使うことがありますね。でも,まったくの和製英語だと相手に通じない。言ってしまってから,相手の表情が「????」とうときは,あっ,これは和製英語なんだ,別の単語をつかわなければ,と思いますね。

 人間同士の会話というのはそのようにキャッチボールになるようになっているのです。

 それから,テレビ,DVDを見せること自体が害になるとは思っていません。それを見れば英語は上手になるのだから,文法,単語の勉強はするな,と主張することが害になるとぼくは言っているのです。

セルフ塾のストリートビュー
 最近、沖縄でもグーグルのストリートビューが利用できるようになりました。

 セルフ塾の前の道も見られるようになっていることに気づきました。

 下の地図の左下、「大きな地図でみる」をクリックすると、大きな地図になります。そこにセルフ地図の写真があります。それをクリックするとストリートビューが見られます。セルフラーニングの世界の看板が見られます。その奥にセルフ塾の建物が少しだけ見られます。


大きな地図で見る

 I ate a chicken.
どの本からの知識なのか忘れていて,手元にもないので,自分なりに書いてみます。

 「ケンタッキーに行って,チキンを3つも食べたよ」などと,よく言いますね。

 もちろん,これはアメリカのケンタッキー州に行って,という意味ではありません。ケンタッキー・フライド・チキンのお店に行ったのですね。

 そしてチキンを3つ食べた。

 さて,「チキンを1つ食べた」を英訳すると,

 I ate a chicken.

 にしそうですね。

 それを読んだネイティブの人たちは,ぼくらとはまったくちがったイメージを持つそうです。彼らは,

1羽のにわとりのひなを丸ごと,がつがつと食べた,

 というようなイメージを持つのだそうです。

 なぜでしょうか。chickenをヤフーの英和辞典でも検索すると

[名] 1 ニワトリ;ひよこ(生後1年以内);(一般に)ひな鳥. ⇒FOWL[名]2
2 [U]鶏肉, かしわ, チキン.
▼常食とされる肉で, 生きているときと食肉になったときと同じ語を用いるのは, 英語では例外.

 とあります。

 chicken には,ニワトリ,ひよこ,という意味と,鶏肉という意味があるのですね。
 日本人が「チキンを食べたよ」というときは,「鶏肉を食べたよ」という意味でしょうね。

 でも,I ate a chicken, では,「ニワトリ(ひよこ)を1羽食べた」という意味になってしまうのです。

 違いは,可算名詞か不可算名詞かです。a chichen とaがつくということは可算名詞ということになります。だから1羽のニワトリ(ひよこ)になってしまうのです。
 
 可算名詞,不可算名詞の見分け方は,2つに切り分けたときに,同じものと言えるかどうかでした。
 ニワトリ(ひよこ)は,2つに切ると,もう「ニワトリ(ひよこ)」とは言えません。だから,可算名詞。
 
 鶏肉は2つに切っても鶏肉です。だから不可算名詞です。

 では,ぼくらのいう「チキンを1つ」「チキンを2つ」はどう言えばいいのか,

 a piece of chicken , three pieces of chiken でしょうね。1切れの鶏肉,3切れの鶏肉 となります。

 そういえば,ケンタッキーなどファーストフードには,「3ピース」などと書かれていたような気がします。
 若い人たちは,「チキンを3ピース食べた」と言っているのでしょうか。

消しゴム(eraser)はなぜ可算名詞か?
 水、ミルクのように、2つに分けてももとのものと変わらないのは数えられない名詞(不可算名詞)、人、本のように分けるともうもとのものとは言えないものを数えられる名詞(可算名詞)というと書きました。
可算名詞と不可算名詞
 それに対して、mixiで、消しゴム(eraser)はなぜ可算名詞なんだ、という意見が出ました。ぼくはそのとききちんと答えられなかったように思います。

 消しゴムは2つに切っても、消しゴムです。確かに。だから数えられない名詞の仲間に入った方がすっきりします。

 なぜなのか、考えてみました。ぼくの推理です。

 eraserをヤフー辞書(プログレッシブ英和中辞典)で調べると

1 ((主に米))消しゴム(((英))rubber);インク消し;黒板ふき(((米))blackboard eraser, ((英))blackboard duster).
2 消す人[物], 削除者.



 とあります。インク消し、黒板ふきという意味もあるのですね。要するに、「消す物」なのです。ゴムかどうかは特に問題ない。消しゴムがでてきたのは、黒板拭き、インク消しよりずっと後ではないでしょうか。

 インク消しというと、ぼくは押すと白いペンキのようなものが出てくる文房具を思い出しますが、昔からあったのでしょうか。昔は鉛筆よりインクをよく使ったでしょうから、何らかのものがあったのではないかと想像されます。

 いずれにしろ、黒板拭きの方が消しゴムより先にあったことは確かだと思います。すると、黒板拭きは可算名詞でかまわないですね。昔はどのような形だったか知りませんが、2つに切ることができないものだったのではないでしょうか。だから、黒板拭き(eraser)は可算名詞。

 後で消しゴムができた。それも消すものだからeraserと言った。そして、そのまま可算名詞として使い続けている。

 以上、ぼくの推理でした。

お金は、可算名詞? 不可算名詞?
 きのうの続きです。

 お金は数えられる? それとも数えられない?
(数えられるんじゃない。実際100円とか1000円とか数えているじゃない)
(それに、千円札を切ったらもう使えないから千円にならないよ。千円を2つに切って二千円になるんだったらすぐにでも切るよ)
(Yojiさんがこんな訊き方をするから、数えられないのかなあとも思うけど、やはり数えられるよ)

 確かにそうだ。千円札や一万円札など紙のお金を紙幣と言うね。そして百円、五百円などは硬貨という。紙幣は英語でbill, 硬貨はcoinだ。これは数えられる名詞だ。みんなが言うとおりだよ。だから3枚の千円札とか、一枚の百円硬貨という言い方を英語でもするよ。
 
 問題は「この帽子は千円だった」というときの千円だ。これは実は数えられない名詞なんだよ。

 昔々、お金がなかったときは物々交換だった。そしてしばらくすると、お金のようなものができた。中国では貝が使われた。だからお金に関する漢字には貝がつく。
 ヨーロッパでは、塩が使われた。塩は英語でsaltだ。ローマでは給料に塩を使ったので、給料をsalaryと言う。
 そして、いろいろあって、金がお金として使われるようになった。だから、もともとお金というのは、塩や金などだったんだよ。

 金は半分に切っても金でしょう。だから金は数えられない名詞なんだ。だからお金も数えられない名詞なんだよ。

 イギリスのお金の単位はポンドだろう。ポンドは重さの単位でもある。このあたりからぼくの推理もあるけど、お金を重さで量ったんだよ。たぶん。それがそのままお金の単位になったんだ。

 そして、そのうちに紙幣やコインが出てくる。最初はこれらの紙幣やコインは金と交換することが出来たんだ。

 だからお金は数えられない名詞なんだよ。それで
「これいくらですか?」は How much is this? とmanyではなく、muchを使うんだ。



セルフ塾の英語(文法)分かる教え方
「セルフ塾のブログ」の記事をまとめて、キンドルで出版しました。


高校生版は?
 Oさんから返信がありました。

(Yojiから)
 メールありがとうございます。一つひとつ回答いたします。

まだやっていませんので、とにかくプログラム学習で総復習してみます。
何回も音読しながらやった方がいいですよね?
書く行為だけでもいいですが、塾ではどのようにアドバイスしてますか?

 

(Yojiの回答)
 中学生にとっては、あの分厚い本を一通りやるだけで精一杯です。生徒自身でやって、チェック係に調べてもらい、間違えたところは再考する。どうしても分からないところはぼくら学習援助者に教えてもらうという方法でやっています。


あと、もう一つ質問ですが、なぜ高校版はないのでしょうか?
中学のプログラム学習だけで十分ということですか?
数学も、英語も中学だけなようですが。



 (Yojiの回答)
 ぼくの仕事は、塾の学習援助者で、塾の生徒は小学生、中学生です。彼らが学ぶことを学習書にしているだけです。高校生はやっていないので、学習書がないということです。
 生徒の反応を見ながら作ってきた本です。生徒がいないとできないですね。

私は是非、仲松さんに可算、不可算(冠詞)のみのプログラム学習書を作成していただきたいです。!!(希望です)

 

(Yojiの回答)
 ありがとうございます。ただ、かいかぶりすぎですね。ぼくは単なる塾屋です。塾で教える範囲に限られています。教えることが多くて、浅く広くという感じです。英語力に関しては、Oさんに及びません。

 中学では、その可算、不可算はそんなにでませんが、高校、大学へ進学していろいろな英語文書をみると
なんでこれが数えられるの? なんでここは無冠詞なの?とか文法書からは導けないものがたくさんあります。
英語辞書にはUとCで名詞にふられていますが、だからなんでそうなの?と。。。。つっこみたくなるのです。
他の文法は参考書みればなんとかわかりますが、可算、不可算は感覚の域までもっていかないとわかりません。

生徒はおとなになっても苦手なところは冠詞、前置詞です。
よくいいますね、前置詞3年、冠詞8年と。。。。
その理由は、学校でおろそかにしているから、あとあと?なるんですよ。
もっと細かく中学、高校の時に説明してくれてたら苦労していません。。。



 (Yojiの回答)
 その通りだと思います。可算、不可算、冠詞、前置詞は、難しいですね。そして、大切です。
 「可算名詞と不可算名詞」については、きょうのブログに書きました。
可算名詞と不可算名詞

冠詞についても数日中に書くつもりです。
いずれにしても、それの中心的な意味をつかむことが大切だと思います。暗記も大切ですが、ただただ、この場合はこう、あの場合はああ、という感じで羅列的に覚えるよりは、中心語義をつかむことが大切ですね。
 前置詞について、ぼくは、atは「一点」、toは「目標点」のように教えています。「~で」「~に」ではしようがない。
 それについては、田中茂範先生のコア理論は参考になります。
話せる英単語ネットワーク 前置詞編

可算名詞と不可算名詞
 名詞には、数えられるもの(可算名詞)と数えられるもの(不可算名詞)があります。

 拙著「プログラム学習英語」では、簡単に説明されています。many, much, few, little は、名詞が数えられるのかどうかということによります。入試問題でもよく出題されます。

 入試問題の一斉授業のときなどに、少し詳しく説明します。


 英語では、数えられるのかどうかというのはきびしく区別する。日本語ではそうでもないけど。

 では、「本」は数えられる名詞かな、それとも数えられない名詞かな?(数えられるよ)

 そうだね。では、ミルクは?(数えられない)

 コップは?(数えられる)、お米は(??? 数えられないかな)
 お金は?(数えられるよ)、紙は?(数えられる)

 では、区別の仕方を教えるよ。

 人間がいます。[黒板に簡単な人の絵を描く]

 これをばさっと2つに切った。(わあ、残酷!!)
 人は2人になったかな? (ならないよ)

 もちろんならないね。
 では、ミルクがあるよ。コップいっぱいに。それを2つに分けるよ。どれもミルクだよね。ミルクであることに変わりがない。

 1つのミルクは分けてもミルク。2カップのミルクになる。このように分けてももとのものと同じものは「数えられない」とするんだ。
 1つだったのをただ分けただけで2つになったり、3つになったりしては、1つ、2つと数える意味がないだろう。

 人間は2つに切ってしまうともう人間とは言えない。そういうのは「数えられる」というんだ。1人の人間は切り分けても2人はならない。

 水、ミルク、コーヒーなどは、数えられないということは分かるね。
 本、時計、扇風機・・、これらは切ってしまうともうそのものではないので、数えられる。鉛筆は、横に切ると確かに短い鉛筆が2本ということだろうが、縦に切ると鉛筆とは言えないね。だから数えられる。イメージわいてきたかな。

 次は、中級編だよ。
 では、紙は? さっきみんなは紙は数えられるって答えたけど・・・。確かにぼくらは紙を1枚、2枚と数えているね。だから紙は数えられるという感じがする。

 ここに1枚の紙がある。これをはさみで2つに切るよ。どうなる。やはり紙だね。だから、紙は数えられないんだよ。

 数えられるのか、数えられないのかは、絶対的ではない。状況によっても変わるんだ。
 コーヒーはさっき数えられないってことになったね。だから、コーヒーはふつう a coffee, two coffees とは言わない。わざわざ「いっぱいの」「2はいの」をつけて a cup of coffee , two cups of coffee などと言うんだ。

 しかし、マクドナルドなどでは、one coffee , two coffees などと言うらしい。
 ぼくの勝手な解釈もあるけど
 店ではカップに入った状態で一つの商品だ。カップ1杯が1つの商品。それを2つに分けてしまって半分だけ出したら、たぶん次からその客は来なくなるね。分けてしまうともう元のものとは言えない。だから、数えられる名詞扱いをするんだろうね。
 もちろん、ああいう忙しいところでは、a cup of なんてつけては面倒だということからでもあると思う。

 石は、数えられるかな? (数えられないんじゃない。2つに分けても石だから)
 そうだね。基本的には、石は数えられない名詞の仲間だ。
 でも、数えられる名詞として使われることも少なくない。
 たとえば、昔は石を投げて戦争をした。石つぶてなどと言うね。

 大将が部下に「1000個の石を準備しろ」と命令した。部下は1000個も石を準備するのが大変だから、1個の石を2つに割って小さな石で1000個準備し、大将に渡した。
 もちろん、叱られるだろうね。「これで戦争に勝てるか!ばかもん」と。
 割っても石ではあるだろうけど、もうその役割をしない場合、大きさがある程度決まっている場合、そういう場合は石も数えられるということになるんだろうね。これもぼくの解釈が入っているけど。

 では、お金は? お金は数えられるの? 
 (これについては明日書きます)
 

プログラム学習英語で、加算、不可算は理解できる?
 昨日(10/10,15:15)静岡のOさんからメールが届きました。

 セルフ塾
 仲松様

 はじめまして、静岡のOと申します。
自己紹介としては、下記です。
年齢:30
職:英語講師を目指し中
英語レベル:TOEIC920、英検準1(英検1級(不合格)は1次は合格点まであと3点)
大学はアメリカ4大卒。

レベルはみかけだけで、知っていることと、教えることは全く別のこと to know is one thing, to teach is quite anotherです。
講師をめざすには、どんなささいな質問にも理論を説明できることが重要と思い、文法等英語の総復習をしていました。
ちょうど私は、INSTANT WORD POWER (Norman Lewis著)プログラム学習を勉強中でした。
この本は語源をプログラム学習で覚えさせていく方法です。
そして、その本を見て勉強していると、前にやっていたことが、あとの章にも復讐で何度も何度も繰り返しがでて、すごく覚えやすいのに
気づき驚きを感じました。 自分の中で英文法にこのような勉強方法があったら最高だろうなと思いました。
AMAZONであるかないか調べていたら、仲松様のプログラム学習に出会いました。
さっそく中学英語を購入して拝見したところ、思ってい通り繰り返しのセルフ学習でした。
あったんだーとの喜びと、よしこれから徹底的に復讐だと燃えております。

なぜ復習?
それはささいなショックからです。英検もあと少しで1級、TOEICも高得点なのに、他者からの英文法の質問に即座に理論を説明できない
自分に情けなさを感じたからです。
このまま1級とったからといって、‘‘それで1級?‘‘といわれそうで。。。。
‘‘さすが1級‘‘といわれるようにならねば、資格もあってもないものです。
英検1級をとってもそこがスタート地点でしかありません。

文法の件でいうと、ほんと基礎的な名詞(可算、不可算、冠詞、)物質名詞、普通名詞、抽象名詞、固有名詞、等いろいろありますが、
可算、不可算がまだ頭のなかで混乱中でした。
文法書はありますが、どの文章も知識の羅列、ただ、「、、、、こうなる」 みたいな、羅列だけ。
なんでそうなるの?という説明が全部抜けているのです。
生徒はそこが知りたいので、文法の傾向性だけの羅列であり、理論説明ではないのです。
この文法書をどうにかならないかといつも思っていました。
仲松様のプログラム学習をすれば可算、不可算(冠詞)等の感覚もつきますでしょうか?
生徒が一番ひっかかるのは名詞です。

とにかく暗記しろという言葉は絶対いいたくないのが私の中であります。
言語にはすべて理由がある。言語は話者の心理だから。



話がかわりますが、数学は不得意でずっとさけていた自分がいました。
30からでも間に合いますか?





 Oさま

 INSTANT WORD POWER (Norman Lewis著)

 アマゾンでのぞいてみました。かなりおもしろそうですね。購入して読んでみたいと思います。

 さて、ぼくの本を評価していただき、ありがたく思います。

 Oさんが書かれているように、復習を繰り返しすることを心がけました。英語に限りませんが、復習しないと定着しないからです。和文英訳を練習問題にし、以前学んだことを復習しながら新しいことをひとつ学んでいくような問題にしました。

 そして、ただ覚えるだけではなく、なぜそうなるのか、をできるだけ説明しました。英語に、暗記は必要ではありますが、できるだけ理解しながら学習が進むように工夫したつもりです。

 ぼくは、このプログラム学習英語を作るのが楽しかったです。作りながら、ぼく自身に「なぜ?」と問いかけ、そして、それを調べていき、納得したときのうれしさですね。

 だから、大人の方にけっこう人気があるんですよ。昔学んだことはこういうことだったのか、と思うようです。だから、可算名詞、不可算名詞、そして冠詞についても、それなりの理解はできると思います。

 ただし、この本はあくまでも入門者用です。ABCも分からないところから、中学の英語を学ぶ人を対象につくりました。

 可算名詞、不可算名詞、冠詞についても、かなり簡単にしか書いていません。深い意味を書いて理解すると、入門時期の生徒にとっては面倒になると思ったからです。

 Oさんも書いておられますが、「知っていることと、教えることは全く別のこと」です。10知って、やっと1を教えることができます。だから教える立場だとすると、この本だけでは浅いと思います。

たのしい英文法
英語の素朴な疑問に答える36章
 はとても参考になりました。

 いい機会なので、明日あたりから、可算名詞、不可算名詞、冠詞について、ブログに書いてみたいと思います。

 セルフ塾のブログ


 数学に関して。
 ぼくは臨界期(学ぶのに適した年齢)はあるとは思いますが、やる気になったときが最適期だと思っています。30歳は、まだまだ若いですよ。ぼくはもうすぐ60歳ですが、いろいろやってみたいと思っています。
「60歳からでも遅くない」  

気圧が低くなるとなぜ水面があがる?
 先日、テスト勉強でF中の生徒2人が学校のプリントで分からないところがあるとやってきました。

中3理科の問題です。
 ペットボトルの底を切り取る。内側に化学かいろを貼り付ける。底を下にして水につける。水面はどうなるか?

 答えは、水面が上昇する、ですね。

 化学かいろは鉄が入っているので、空気中の酸素と化合します。空気中から酸素が少なくなるので、ペットボトル内の気圧が低くなり、水面が上昇するのですね。

 その説明が2人にはよく理解できないようです。酸素と化合すること、酸素が少なくなることまでは分かるが、なぜ水面が上がるのか、理解できないとのこと。

 少し考えてから、次のような説明をしました。

 空気の中には、窒素、酸素、二酸化炭素などの気体があるね。窒素が5分の4くらい、そして酸素が5分の1くらい。ほとんどは窒素と酸素。残りを二酸化炭素、水蒸気などがしめる。

 (窒素は、そんなに多いのか、と言いながらも、分かったと言いました)

 これらの気体は飛び回っているんだよ。だからあなたの体にもピンピンとぶつかっている。それが圧力になる。あなたの全身をおさえつけているんだよ。でも、分からないね。それは、体の内側からもそれに負けないように、力が働いているからだよ。

 さて、ポテトチップの袋があるね。それにも空気がぶつかっていて押さえつけている。しかし、袋の中にも空気が入っていて、押し返している。

 では、この袋を山の上に持っていったらどうなる?

(パンパンにふくれるんだったっけ? という返事。そういうことは生徒も知っています)

 そう。パンパンになる。それはどうして?

(空気が薄くなるから。)

 そうそう。そして、薄くなると?

(外から押さえる力が小さくなるんだ)

 そう。袋の中の空気は変わらないから、袋の中から外に向かって押す力の大きさは変わらない。だけど、外から押す力が小さくなるから、外にふくれていくんだよ。

 (じゃあ、人間も山に登るとパンパンになるの?)

 ぼくも詳しくは分からないけど、高山病ってあるでしょう。あれは酸素が少なくなって息苦しくなるからでもあるけど、気圧も影響したと思うよ)

 (そうか。分かった)

 はい、この問題に戻るよ。ペットボトルの中の酸素が鉄にくっついたものだから、ペットボトルの空気が水を押さえる力が弱くなったんだ。するとどうなるかというと?

(水面が上がるんだ。よくわかった)

「英語は逆から学べ!」批判
 お勧めがあったので,「英語は逆から学べ!」を読みました。



 はっきりいって,有害な本です。このような本が売れているというのは憂慮すべきことだと思っています。

 まずは,本書の内容を紹介します。

マサチューセッツ工科大学のノーム チョムスキー教授の(ユニバーサル文法説)について、私はかなりの 部分で正しいと考えています。
ユニバーサル文法という概念は、「もともと言語という宇宙があって、ユニバーサル文法を処理する能力を遺伝的に脳が持っており、ユニバーサル文法のありとあらゆる細かいバラメーターをどんどんどんどん設定していくと、英語になったり日本語になったりする」という仮説です。 p86

ということは、現在日本語に設定されているバラメーターを英語に設定できるようにすれば、英語を習得できるというのがチョムスキー型の考え方です。p32

絶対にやってはいけない英語勉強法
・日本語の説明を聴きながらの勉強
・英和辞典、和英辞典などを使った勉強
・各単語の日本語の意味を暗記する勉強
・英文の音を聴いて日本語の意味を覚える勉強  p43


文法は、新しい言語を学ぶためには役に立ちません。それどころか邪魔になる。同様にネイティブスピーカーでない人が文法理論から英語を学ぼうとしたら必ず失敗します。P82

赤ちゃんと同じ方法で学ぶ p105

私が指導する方法は、子供が言語を学ぶのと同じような順番で学んでいく方法です。p108

「英語脳のつくり方」の基本メカニズム
1、発話状況を見ながら英語を聴く(海外ドラマなどを活用)
2、次を予想しながら見る

英語脳をつくるのに最適な教材
・テレビで2ヶ国語放映されているものを英語で聴く
・海外のitunes storeで海外ドラマをダウンロードする
・海外ドラマのDVD p119

とにかく、英語を流しっぱなしにする。P121



 特に新しい方法ではありません。

 「フォルマント周波数」というのが出てきますが,どうも眉唾です。それについては詳しくないので,以下のページ

http://www.geocities.jp/hillbook903/gukou4_4.html
http://www.higuchi.com/item/412/catid/50

 リラックス,腹式呼吸などは,特に問題ないです。

 アメリカの赤ちゃんがやっているのと同じように学べばだれでも自然に英語が身に付くというのがこの本の主旨です。もうずっと昔から言われ続けてきたことですね。
 映画を観なさい,テレビで英語放送を流しなさい,というのは手垢がついた方法です。

 さて,ぼくがここで言いたいことは,赤ちゃんが学ぶ方法と,映画を観る方法はまったく異なるということです。

 テレビに子守をさせないで


 だいぶ前に読んだ本です。自閉症が問題になったころで自閉症になるのはテレビに子守をさせるからだ、という仮説を述べた本でした。
 今ではその仮説は間違いであることはわかっています。しかし、その本質は大切なことを含んでいるとおもいます。

 なぜテレビを子守にすると自閉症になるとおもわれたのか。それはテレビが一方的に話しかけてくるからです。会話というのは双方向です。特に乳幼児期にはそうでなけえばいけません。
 キャッチボールをするようなものですね。

 お母さんと赤ちゃんが言葉のキャッチボールをする様子は次のページに書きました。
お母さんは,すばらしい言葉の教師

 それに対してテレビはまったく一方向です。(最近はデジタルになり双方向になってきましたが,赤ちゃんが使えるものではありません)
 赤ちゃんが泣いても,テレビ映画はそれを無視してストーリーが続きます。
 普通は,泣いたらお母さんが飛んできて,おむつを替えたり,ミルクをあげたりします。しかし,泣いてもなにもしてくれないのであれば,泣いてもしようがないということを学んで,泣くことさえしない子になってしまう可能性があります。

 テレビに子守をさせるというのはやってはいけない子育て法なのです。

 お母さんは子どもと言葉のキャッチボールをするときに,子どもの力をみながら手加減をします。最初はゆっくりボールを転がします。少しでもボールにふれたら,それをほめてあげます。そして上手になったらゆっくり投げてあげます。超スローボールです。そして徐々に速いボールを投げてあげます。

 それに対して,テレビ映画を流し続けるというのは,プロのノックを次々と与えるようなものです。相手がまったくとれなくてもテレビは気にしません。テレビはこちらが見えないのですから,手加減などしようがありません。どんどん次のノックがやってきます。ゆるいゴロさえとることができない人に強烈なノックをいくらやっても上達するはずがありません。

 学ぶものの力をみながら教えてあげるというのが,よい教師です。子どもも立場になるということです。テレビは相手の力などみる力はないので,いい教師になれないのです。

 赤ちゃんと同じ方法で学ぶといいながら,赤ちゃんが学ぶ方法ではなく,赤ちゃんにやってはいけない方法を提示していることがこの本の最大の間違いです。

 害のある本だと書きました。それはこのような間違えた英語学習法によって,楽に英語が学べると若者に思わせるだけでなく,こつこつと文法を学び,単語を覚えるといった正しい学習法から目を背けるように導いているからです。

 英語は大事業です。こつこつと学んでいくことが大切です。安易な道などありません。

英語学習「見積もりの誤り」
 なお,英語のテレビをつけっぱなしにする方法ですが,ある程度英語ができるようになった人には有効です。英検でいえば2級以上かな。少なくとも3級は欲しいところです。体験談が載っていますが,それがもし本当なら,ある程度英語を学んできた人でしょうね。 

子どもの視点で考えられて作られている
 大阪K塾のSさまからきのう(10月7日19:54)メールを受け取りました。

 お世話になります。K塾のSです。
 教材届きました。ありがとうございます。
 
 さっそく昨日から一部を子どもたちに与えてみたんですが、大変好感触を得ています。

 子どもの視点で考えられて作られていると感じました。

 今後さらに検討した後、また改めて追加を発注させていただきたいと考えています。
 (以下略)


(Yojiの返信)
Sさま
 教材到着の連絡,ありがとうございます。無事に届いてよかったです。

 それに,うれしい感想も。

 教材を作って生徒に与え,その反応をみながら工夫を重ねてきました。子どもたちといっしょに作った教材だとだと思っています。それが「子どもの視点で考えられて」という感想になったとうれしく思っています。目の前に子どもたちがいるという小さな塾だからできたことだと子どもたちにも感謝しています。ありがとうございます。 仲松(10月8日)

便利が忍耐力を奪う
 mixiに書き込んだコメントを少し書き直したものです。

http://mixi.jp/add_bbs_comment.pl?id=46915543&comm_id=1037793

 便利さによって失われる能力でとても大切なもの,それは「忍耐力」かもしれないな,と感じました。

 電卓を使って,ピッピとやれば,すぐに答えが出てきます。しかし,2けた,3けたで割るわり算となると面倒でしようがありません。その面倒くさいこととこつこつとするというのは,忍耐力を大いに養うでしょうね。電卓を使うことによって,その忍耐力もなくなってしまうのでしょう。

 電子辞書の欠点は一覧性がないことです。コンピュータもそうです。画面だけしかみることができない。とても不便です。

 でも,いまの中学生にはとても便利です。このごろの中学生は紙の辞書を引いたことがないのではないでしょうか。まったく引き方を知りません。(セルフ塾では辞書引きの練習もさせています)

 紙の辞書を引けないのに,英検を受けようとします。分からない単語ばかりです。習いにやってきたときに「少なくとも単語ぐらいは調べておいで」というのですが,それがとてもとても困難なんです。アルファベットの順番もよく覚えていないので,前をめくればいいのか,後ろをめくればいいのか分からず,めくらめっぽうにあっちにいったりこっちにきたり。

 その点,電子辞書は簡単です。スペルをただ打てばいいのですから。紙の辞書を引き慣れている人にとっては,電子辞書は少ししか便利ではない(ぼくもたぶん紙の辞書より電子辞書の方が速く引けます)が,紙の辞書を引けない生徒にとっては,ものすごく便利だと思います。

 いま英検対策をしています。過去問題を解かせていますが,電子辞書を貸し出ししてさせています。まだそのほうが勉強になっているように感じます。紙の辞書で単語を調べながらすると途方もない仕事になりますが,電子辞書だとなんとかこなせる仕事になっているように感じます。

底辺は,辺のひとつだよ
 5年生で,平行四辺形,三角形の面積を学びます。現在台形の面積の公式は学校では学びませんが,セルフ塾では学びます。

 さて,四角形の面積の場合は,たて×横 ですから,問題ありません。

 しかし,平行四辺形や三角形,台形の場合は,高さがどれなのかを見分けることが必要になります。

 底辺と高さの数値しかない場合,生徒は楽々と解きます。

 でも,少しいじわるな問題があって,底辺,高さ以外の数値も書かれていることがあります。

 だから,高さは底辺に垂直になっているものだよ,ということをきちんと教えるようにしています。次のような問題を与えています。
takasa.jpeg


 それも楽ではありません。でも,何とかできるようになります。

 ところが,次は底辺がどこなのか分からない生徒が少なくないのです。

 高さを指し示すために,底辺を延長して,そしてそれに高さの線をつけることがありますね。高さと底辺が垂直だということに気を取られ,底辺が辺から外れてしまうのです。図参照
teihen.jpeg


 だから,底辺は辺の一つだよ,と強調して教えるようにしています。ぼくらにとって当たり前だというのは,初めて学ぶ人にとっては難しいという例の一つでしょうね。
 

教材代値上げ
 教材の価格を上げました。
 塾の教材費ではありません。塾外に販売するときの本代(塾印刷)を値上げするということです。
 それぞれ500円だったのを700円にいたします。(解答なし)
 解答つきは,900円になります。

 これまでは,塾で使う分より少し多目に作って,それを販売するという気分だったので,原価もほとんど計算せずに適当に決めていました。しかし,このところ購入する人が少しずつ多くなっています。このブログで紹介しているせいでしょうか。

 ショッピングカートを作った機会に原価を計算すると,これまでの定価は大幅に原価を割っていました。まだまだ丼勘定ですが。

 それで,原価分だけはいただこうと思ってそれぞれ200円値上げ致しました。ご了承ください。

 原価といっても,紙代,マスター,インク代,表紙代だけです。ぼくが作った時間,職員が印刷,製本をする時間は入れてありません。

セルフ塾教材のショッピングカート
セルフ塾教材のショッピングカートを作りました。

セルフ塾教材のショッピングカート

 左のプロフィールの下につけました。

 fc2で無料です。こんなのが無料でできるってすごいですね。作ったばかりなので,不具合もあるかもしれませんが,まずは走らせてみます。何か気づいたことがありましたら,お知らせ下さい。

教育現場における,「便利」と「能力」
 mixi「セルフラーニング」に立ち上げたトピックです。

便利さとは、自分自身の中にある能力を失うこと


 まずは,「おはようからおやすみまでの科学」(ちくまプリマー新書)から引用します。


 物理学者でもあり、科学者の社会的責任などについて活発に発言している池内了(さとる)さんは、

「便利さとは、自分自身の中にある能力を失うこと」

と述べています。(環境goo 企業と環境亨WEB講義第1回 l)

 ナイフと電動えんぴつ削りの関係を思い出すと、池内氏の言葉の意味がわかるのではないでしょうか。鉛筆を穴に入れるだけできれいに削れる電動えんぴつ削りはたしかに早くて便利ですが、使い慣れてしまうと、ナイフを使いこなして、鉛筆の先を細く削りだしていく自分の技術を磨く必要はなくなるからです。
(中略)
 わたしたちは、「便利」や「自動」を受け入れるときには、それによって現れるかもしれない「悪い面」も予測できなければならないと思います。

 

 同感です。便利はいいことです。ぼくも便利は大好きで,もっと便利にならないかなとよく思います。

 でも,自分の能力を失うことでもあることは間違いないです。ワープロ,コンピュータを遣うようになって漢字を書く能力が落ちました。歳のせいなのか,PCのせいなのかはっきりは分けられませんが,PCの影響は大きいと思います。

 教育の場にも「便利」は入っていますね。
 いますぐ思いつくのは,電卓と電子辞書です。

 円周率が3.14から3になったとき,けたの多いのは電卓でやればいい,という考えがあったと聞いていますが,本当でしょうか。
 電卓をたたくとすぐに答えが出てきます。しかし,それは計算能力をうばうことにつながります。
 大人になったら,電卓を使います。でも,小学生のうちから電卓を使って計算能力をうばうというのはどうかな,と思うのですが,みなさんのご意見は?

 電子辞書も便利です。引くのがとても楽です。しかし,それに頼っていては,紙の辞書を引く能力がつきません。もう紙の辞書などなくてもいい,という意見もあり得ますが,どうなのでしょうか。

 インターネットで情報を得るというのは便利です。ぼくもよく利用しています。しかし,それだけに頼っていると,本を読んでじっくり考えようとする力を奪うように思うのですが,どうでしょうか。

稗田阿礼(ひえだのあれ)は,古事記をすべて覚えていたそうです。すごい記憶力です。その後,紙,文字が入ってきました。記録を止めることができるようになったのです。とても便利なものです。だから覚える必要はありません。それで人間の記憶力が減退したという説もあります。なんか納得ですね。
 受験勉強をしていると自分の記憶力のなさにうんざりしたものです。記憶力はまだまだ必要です。しかし,それを奪ったのは,文字という便利さだったのかもしれません。

 便利さはいいこと。しかし,能力をうばくことにつながる。だからといって原始時代にもどることはできません。どのあたりで線を引くかですね。
 どう思われますか。

ネットウォーカー を購入しました。


 今年7月に,ノートパソコンを購入しました。


 無線LANです。そを利用して生徒たちはゲームを楽しんでいます。

塾でゲーム


 ぼくはザウルス(Zaurus SL-C1000)(電子手帳型コンピュータ)でインターネットができないかいろいろ試してみました。
 フリースポットのあるレストランでは,一応接続できました。

 それでも動きがとても遅いです。そして,塾に帰るとやはり接続できません。かなり苦労しましたが,だめ。

 そこで,ネットウォーカーのことを知りました。4万円ほどなので躊躇しましたが,やはり買うことに。そしてきのうやっと届きました。

 さっそくネットに接続。暗号キーを入力すると,あっさり接続できました。そして,テストに自分宛のメールを送りました。ちゃんと届きました。

 生徒の質問に,ネットにつながったらいいのに,と思うことがあります。たまにはノートPCを持ち出して調べて,答えることもあります。これからはこのネットウォーカーですぐに調べて答えることができるでしょう。

 セルフ塾では,生徒が学習中でも空き時間ができます。メールチェックもできるでしょうね。これからは。

 ワードも入っているので,少し打ってみました。少し小さいのですが,なんとか4本の指が入るので,ブラインドタッチで打つことができます。

 なお,「ブラインドタッチ」というのは和製英語なのですね。
 ブラインドタッチ
 英語では,the touch system; touch typing というようです。見ないでというより,さわってタイプするという感じでしょうね。


便利さとは、自分自身の中にある能力を失うこと
 携帯電話の電子辞書は「便利」だと書きました。ただし,次のことも頭においておいたほうがいいです。

 「おはようからおやすみまでの科学」から引用します。


 物理学者でもあり、科学者の社会的責任などについて活発に発言している池内了(さとる)さんは、「便利さとは、自分自身の中にある能力を失うこと」と述べています。(環境goo 企業と環境亨WEB講義第1回 http://eco.goo.ne.jp/business/csr/lesson/apr00-1.html)

ナイフと電動えんぴつ削りの関係を思い出すと、池内氏の言葉の意味がわかるのではないでしょうか。鉛筆を穴に入れるだけできれいに削れる電動えんぴつ削りはたしかに早くて便利ですが、使い慣れてしまうと、ナイフを使いこなして、鉛筆の先を細く削りだしていく自分の技術を磨く必要はなくなるからです。


 電子辞書は便利です。でも,それだけを使っていたら,紙の辞書を引くことが下手になるでしょうね。

 「便利」であるために失った「能力」はいくらでもあります。
 ぼくがよく感じるのは,漢字力です。このようにコンピュータで文字を書いていると字を忘れてしまいますね。普段は一斉授業をしないのですが,テスト前になるとやります。黒板を前にして漢字が出てこないことはよくあります。

 ぼくの知人Shueiさんは,「便利」が嫌いです。携帯電話は持っています。なぜ,便利嫌いの彼が持つようになったのか,次は訊いてみなければいけないな。

 彼は,電話番号を登録していないのです。面倒くさがりでもあるので,そのせいもありますが,記憶力が落ちる,と言うのです。彼は若い頃,記憶力には自信があって,電話番号などは一度聞いたら覚え切れたそうです。

 それを登録していたら記憶しなくなるので,登録はしないというのです。

 携帯電話の電話帳も,とても便利ですね。でも,記憶力が落ちてくることも確かだと思います。たぶん,みなさんも携帯電話のメモリーを失ってしまったら大変なことになるでしょうね。

 この本には,少しはなれて次のように書いています。

 わたしたちは、「便利」や「自動」を受け入れるときには、それによって現れるかもしれない「悪い面」も予測できなければならないと思います。


 その通りだと思います。

カッちゃん来る
 土曜日,オキナワンロックの大御所カッちゃんがセルフ塾に来ました。音楽友ターケーの友人です。CMにも出ていますね。せっかくなので記念写真。

http://www.koza.ne.jp/events/peaceful/2005/artists/108_katchan/index.html

kacchan.jpg

cafe Terrace NIRAI
 土曜日,cafe Terrace NIRAI で昼食をとりました。妻Kyokoといっしょに。2度目です。

 入ってすぐに感じるのは,外人さんが多いことです。5,6組いましたが,ほとんどが外人さんでした。基地に近いこともありますが,料理が合っているのかもしれませんね。ウエイターも英語で対応していました。

 Today's lunch "ナスとチキンの卵のせパルマ風グラタン(ソフトドリンク,スイーツ付き)をいただきました。おいしかったです。

 いい感じの店です。店員の対応もよかった。席の角度のせいか,ぼくは気づかなかったのですが,妻は,海も見ながら食べることができ
てよかったと言っています。
nirai.jpg
nirai2.jpg

cafe Terrace NIRAI (ダイニングバー / 北谷町)
★★★★ 4.5



中小業者も革命的に
 きのう参加した沖商連役員研修交流舎 の参考資料におもしろいのがあったので、ここに掲載します。おもしろいと言っても、一般的におもしろいのではなく、中小業者運動についてですが。

「週刊民商」の
高村是懿(TakamuraYoshiatsu) 広島県労働者学習協議会会長による文です。

「釈迦に説法」かもしれませんが、あらためて民商とは何か、について考えてみることにしましょう。
「基本方向」では、「国際的にも類のない中小業者自身の自主的・民主的な組織として築き上げられてきた民商・全商運運動は、世界に誇りうる運動」だと宣言しています。

では、どうして民商運動は「国際的にも類のない」運動なのでしょうか。またどんな真において「世界に誇りうる運動」なのでしょうか。

筆者なりに整理してみますと次のようになるのではないかと思われます。

まず第1に、民商は経済団体ではあっても、中小業者の営業と生活、権利を守るための自主的・民主的な組織だということです。第10講の史的唯物論でお話ししたように、社会の土台は経済的諸関係にあります。したがって資本主義社会の経済団体は、資本主義体制を支える団体であるのが当たり前なのです。日本には、経済3団体と呼ばれる日本経済団体運合会(経団連)、経済同友会(同友会)、日本商工会議所(日商)があります。そのなかでも日商の会員の大多数は、中小業者の経営者です。しかし実際には、独占資本の意向や政策を中小企業にまで及ぼす組織となっていて、経団連の中小企業対策部の役割を果たすにとどまっています。

これらの経済団体がすべて独占資本の利益を代表する団体であるのに対し、民商は「中小業者の営業と生活、権利を守」り、その「社会的・経済的地位の向上」のために、「大企業の横暴を許さず、民主的規制を求める運動」(「基本方向」)を推しすすめる団体です。

資本主義国内における中小業者の団体であるにもかかわらず、民商は独占資本、太企業の横暴な支配に反対し、それに民主的タガをはめて中小業者を守ろうとする組織として、「国際的にも類のない」存在なのです。

 第2に、民商は、中小業者の苦しみの根源に国家独占資本主義による「政治の責任」があることを科学的に解明し、世直しによってその原因を除去しようとする組織です。すなわち、中小業者の苦しみの原因は、「新自由主義」「構造改革」にあることを明らかにし、これに反対する世直しによって、中小業者の「真にあるべき姿」である、「経済の主人公」「街づくりの主人公」を実現しようというのが、民商の「理念」となつています。
(中略)

第3に、民商は、「理念」を掲げた世直しのたたかいを訴える階級閥事の担い手でもあります。第11講で、「階級闘争は歴史発展の原動力」であることを学びました。民商は「中小零細資本家と勤労市民など中間階級の階級的中央組織」(第14講)として、労働者階級とも連帯しながら、独占資本家階級とたたかって、その要求の実現をめざします。「新自由主義」型国家独占資本主義のもとでは「独占資本以外の階級、すなわち労働者階級、小ブルジョアジー、中小資本塚階級には、すべて大差のないギリギリの生活条件が押しつけられるため、階級的に連帯して階級闘争をたたかう客観的条件が生まれてくることになるのです」(簾14講)。



 学生のころに読んだマルクス理論を思い出しました。

 資本主義というのは、資本家と労働者の階級闘争です。生産手段をもっている資本家、それに対して労働力を売るしかない労働者、その対立ですね。

 それに対して、中小零細業者はその間に位置します。生産手段はもっている。しかし、もっているだけでは食えない。自分も労働者と同じように働かなければいけません。
 資本家でもあり、労働者でもあるのです。

 だから、小市民、プチブルなどと呼ばれています。

 労働者は生産手段を持っていないので、何も失うことがない。だから革命的です。
 それに対して中小業者は小さいながらも生産手段を持っています。失うものを持っているのです。だから保守的になるのです。

 でも、大きな目で見ると、中小業者も大企業に搾取されています。下請けいじめなどをみるとまさにそうです。
 
 それを見ることができる中小業者は、労働者と手をつないで革命的になるのです。

国民全体の幸福につながる民商運動
 きのうは、「沖商連役員研修交流舎」がかんぼの宿 那覇レクセンターであり、参加しました。

 テスト勉強指導があったため、山川会長の「開校のあいさつ」には間に合わず、赤嶺政賢 (日本共産党衆議院議員)の特別講座の途中から入室。

 そして、飲み友達の照屋宏氏の「全商連運動と基本方向」を聞きました。

 さて、その中に

民商・全商連運動は会貝の利益・幸せだけでなく、中小業者全体、大きくは国民全体の幸福とつながっている。要求と活動方法が道理に合ったものであったからこそ、さまざまな権力的攻撃のなかでもー貫して前進している。


 とありました。その通りだと思います。

 先日、NHKのクローズアップ現代で、野党になった自民党についてやっていました。

 党を立て直すために、党員を拡大しようと、呼びかけていました。呼びかけられた人は、「野党になった自民党に入ってメリットがあるか」と問いただしていました。誘った人は返答に困っていました。

 自分の利益になるかどうかということだけが目的なのですね。それが自民党敗北の原因でもあるのでしょう。投票した人も、自分の利益になるだろうと思って自民党に投票したのでしょうね。国民の幸せではなく。

 もちろん、自分の利益も大切です。しかし、自分の利益が他の人たちの利益にも通じるということが大切なのではないでしょうか。

 民商に入るというのは、もちろん会員自身の利益になることでもあります。しかし、それだけではなく、他の会員の利益になるように運動することでもあります。他を押しのけて自分の利益だけを追求することは許されません。

 また、その運動は国民全体の利益、幸せに通じることも大切です。消費者をだまして商売人が利益を得るわけではありません。

 国民全体の幸福につながるというのは、とても大切ですね。だからこそ堂々とものが言えるのです。

 民商の役員を多く知っていますが、どちらかと言えば、自分を利益を別にして、いや犠牲にして、他の会員、国民のことを考える人が多いです。

関数の導入
 mixi「授業の工夫」で次のような質問がありました。

はじめまして。
中1数学でやる単元の「比例・反比例」についてなんですが、 初めて「比例・反比例」について触れる生徒たちへの導入として、どのように指導すれば良いでしょうか?
また、自分ならこう教えるなどの意見もお待ちしております。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=46822062&comm_id=380962
 それにぼくは次のようなコメントを載せました。



 小学4年で、簡単な関数(ともなって変わる量)を学びます。そのときにぼくは次のように問題から導入します。

 入り口、出口のある図を描き、
(1)110円を入れてボタンを押す。
(2)車のアクセルをふむ。
(3)テレビのスイッチを入れる。

選択肢{スピード、画面、かんジュース}

 つまり、あるもの(値)を入力すると、あるもの(値)が出力する。それが関数です。

 安野光雅(著)「はじめてであう数学の本(2)」
 の中の「ふしぎなきかい」を参照

 ある箱に100円入れたらあめ玉が3個出てきた。200円入れたら6個でた。では、300円入れたら、どうなると思う、のような質問をしてみるといいですね。

 正比例の理解には、「一様変化」を理解させることが必要です。一様変化とは、次のようなものです。

x : 1, 2, 3, 4, 5,
y:9, 12, 15, 18, 21

xが1ずつ増えると、yは3ずつふえています。一様変化である対応表と、そうでない対応表(2次関数、反比例)をまぜて、一様変化の表を選択させる問題を与えます。

 そして、一様変化であり、さらにx=0のとき、y=0のものを正比例といいます。と教えます。

携帯電話の辞書で英検の勉強
 10月17日の英検まで2週間。セルフ塾ではテスト対策勉強を始めました。

 1年生のM和さんとA香さんがやってきました。英検5級に挑戦します。
「単語が分からないよ」
「辞書で調べなさい。単語を覚えなければ合格できないよ。」
「全部しらべるの? 調べ切れないよ。」

 しばらくして、2人を呼びました。
「ジャンケンして」ぼくが言いました。、
 何のことか分からずに、じゃんけんをし、Aさんが勝ちました。
 A香さんにぼくの電子辞書を貸してあげました。
「ええ、インチキ。」
 電子辞書を貸してもらえることを知り、M和さんが残念がっていました。

 電子辞書は次にM和さん、そしてS香さんと次々と手渡されていきました。

 その他の生徒にも、兄さんや姉さんの電子辞書を借りてきてもいいよと伝えました。

 M和さんが帰るときに携帯電話を持っていることに気づきました。そして携帯電話には電子辞書が備わっていることを思い出しました。それで、「携帯電話の辞書を使ってもいいよ」と声をかけました。

 それを聞いた中2のK太くんがやってきました。K太くんは3級受検です。
「携帯電話を使ってもいいの?」
「いいよ。」
 K太くんは自分の携帯電話(お母さんの?)を持ってきました。
 携帯の辞書は、使ったことはないようで、これかな?とあちこちさがしていましたが、さがしだしたようで携帯電話を使いながら問題にむかっていました。

 その後、S子さんも「携帯電話を使ってもいいの?」とやってきました。「いいよ」と答えてから付け加えました。
「でも、携帯電話を辞書以外のことに使ったらとりあげるよ」
「分かっているよ」とにっこりして、自分の席に向かいました。S子さんは準2級です。

 後で尋ねてみると、携帯電話を使ったのでとてもはかどったそうです。

 携帯電話に電子辞書って便利ですね。
keitai.jpg


自分が生きていてから炭素一二に七・六五MeVの励起状態が存在する
 「僕らは星のかけら」の中で一番おもしろかった部分を紹介します。



 だが、ホイルは、自分の理論に揺るぎない自信を持っていた。実験結果などというさまつな問題によって自分の理論に疑念を差しはさむことはなかった。七・六五MeVの状態は、絶対に存在するはずだった。このエネルギー状態が存在しなければ、宇宙には炭素が存在しないはずだというのが彼の論拠だった。あらゆる生物と同様に、人類も炭素を基盤とする有機体であるため、炭素が存在しなければ、人類も存在しない。ホイルが拠り所にしていたのは、自分が生きていて、恒星内部での炭素の形成の問題を考えていること自体が、炭素一二に七・六五MeVの励起状態が存在することの証拠だという、 かつて誰も用いたことのない、とんでもない論理だった。

 ついに、ホイルは、カリフォルニア工科大学の、ある実験核物理学者にこの話をすることにした。相談相手はウィリー・ファウラーだった。

ファウラーは、恒星の内部で炭素・窒素サイクルが水素をへリウムに変換する速度を測定し、それによって、少なくとも太陽では、もう一つのプロセスである陽子ー陽子連鎖が変換を行っていることを証明した人物である。

(中略)

 天文学者たちの考えに対するファウラーの理解力は並外れていた。だが、そのファウラーでさえ、一九五三年の春、フレッド・ホイルがケロッグ放射線研究所に現れたときに展開したとんでもない主張には度肝を抜かれた。

(中略)

 ファウラーの研究室に現れた天文学者は、原子核の厳密なエネルギー状態の予測という、かつて世界中のどんな核物理学者もやったことのないことをできると主張していた。しかも、驚いたことに、その予測は、核物理学的な考察に基づいていたわけではなく、我々人類は現に存在している、したがって、炭素一二は七・六五MeVという未知のエネルギー状態を保有しているはずだという無茶な論理に基づいていた。

 ホイルの説が間違っている可能性は、かなり高かった。だが、万一ホイルが正しいとしたら、それが恒星内部での元素素形成に対して持つ意味は計り知れなかった。このような荒唐無稽な主張をひっさげてケロッグ研究所を堂々と訪れた人物の勇気をひそかに賞賛していたことも確かだが、ファウラーがホイルを研究室から追い出さなかったのは、その万が一の可能性を考えたからだった。

それはファウラーの人生における最も賢明な選択だった。後にこの選択は、ファウラーをノーベル賞の受賞に導いた。彼は、このイギリス人の天文学者の言うことに耳を傾けた後、少人数の研究グループのメンバーを集めた。ファウラーの研究室で、常識的な実験物理学者たちに取り囲まれたホイルは、今、自分の科学者としての名声が損なわれるかどうかの瀬戸際にあることを痛いほど感じていた。ホイルは、炭素一二の七・六五MeVの励起状態が存在するという、とんでもない議論を再び展開し、これまでに行われた実験が、この状態を検出し損ねた可能性があるかどうかを物理学者たちに尋ねた。

 その後行われた専門分野の議論は、ホイルにはほとんど理解できなかった。だが、最終的には、ファウラーの同僚の間で見解が一致した。それは、炭素一二の励起状態が「偶数バリティ」と「ゼロスピン」というきわめて特殊な特性を持っているとすれば、これまでの実験がその状態を検出し損ねた可能性があるという見解だった。

 ホイルのアイデアは最初の重要な試験をパスし、彼の名声は損なわれずに済んだ。何より重要なのは、ケロッグ研究所の核物理学者たちが興味をかき立てられたことだっった。

 炭素一二の特定のエネルギー状態を検出し損ねた可能性があることがわかった以上,核物理学者たちは、実験装置を組み立てて、そのエネルギー状態の検出を試みるしかなかった。

 実験が始まってから一〇日の間、ホイルは気が気でなかった。毎日午後になると、ケロッグ研究所の地下室にもぐり込み、さまざまな電源ケーブルやトランスや、原子核を衝突させるための潜水作業具のような箱が所狭しと置かれた部屋で、ファウラーの同僚、ワード・ホエーリングのチームが忙しく立ち働く様子を見ていた。そして、毎日、地下室から外に出て、まぶしいカリフォルニアの太陽を浴びるたびに、これで今日も自分のアイデアが否定されずに済んだと、安堵の胸をなでおろした。実験が始まって一〇日日、ホエーリングがホイルを出迎えた。彼はホイルの手を握って上下に強く振り、祝福の言葉を浴びせた。実験が成功したのである。ホイルの予測が立証された。信じがたいことに、七・六五MeVに非常に近い炭素一二のエネルギー状態が本当に存在したのである。

 これはファウラーがそれまでケロッグ研究所で見た中で、最も驚異的な実験結果だった。彼は、まさかホイルのとんでもない予測が本当に立証されるとは思わなかった。それが、こんなに見事に立証されたのである。ファウラーの驚きに輪をかけていたのは、ホイルの予測の方法だった。ホイルは、特定の状態が存在しないとすれば、人間を始めとする炭素を基盤とする生物は存在できない、したがって、その状態は存在するはずだという、いわゆる人間原理的な議論を展開することによって、炭素一二の七・六五MeVのエネルギー状態を予測した。実験に先立って、人間原理的な議論に基づいて正しい予測を行った人物は、後にも先にもホイルしかいない。



 まったく滅茶苦茶な論理ですね。つまり,

 私は存在している。その私は有機物である。有機物は炭素をふくむ。炭素はこの世に存在している。炭素ができるためには七・六五MeVのエネルギー状態が存在する。

 まるで,「風が吹けば桶屋がもうかる」式の論理です。

 ぼくがファウラーだったら追い返していたでしょうね。

 前に
 創造的な人は自分が創造的だと思っている

 を書きました。

  「創造的な人は自分が創造的だと思っている」のですね。そのつづきで,「問題を解けると思う人が解ける」ということをよく生徒には話しています。
「解ける」と思った人が「解ける」

 ホイルはそのような人なのですね。それも並はずれて。

 自分の考えは,絶対に正しいはずだ,と思いこんでいる。その強い気持ちがなければ,道は開かれなかったでしょう。単に,風が吹けば,的な論理というよりもいろいろ考えてみて,それしかないという強い信念があったのでしょう。

 やはり,「できると思う人がしかできない」のです。
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