セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

教科間の垣根がない授業
 mixiセルフラーニングに書き込んだ文です。
フレネ教育を語り合う


 フレネでは、教科間の垣根がないことを書きましたが、その例が載っています。
 フレネ学校で、学校間通信を書いています。

 

「今こちらでは桜んぼ、桃、梨、アーモンドの花が咲いています。この間、蝶がとんできました。蝶、あり、りす。夕方には、蛙がないています。四月一日から、学校が小鳥の保護区になりました。鶏小舎では、親鶏がひなをかえしました。教室のふ卵器でもひながかえりました。」

「君、鶏小舎って書いてごらん。」と、突然、先生は、九歳のバヴァンサンを指名した。
”Poulailler"
みんなか拍手したので、ヴァンサンは、にこにこしている。このクラスには九歳の子もいれば、十一歳の子もいる。

「教室にはひよこのなき声が、かん高くひびいています。さっとふ卵器の下に、先生の犬が入りこんで、寝そべっているからでしょう。私たちの学校には、デジロという大きな温室があります。その温室におらんだあやめ(グラユール)を植えます。」

ここまできたとき、その先を、J・クロード先生が引きとって、

「私たちは、おらんだあやめを四〇〇株買いました。それには五〇株で九フランと書いてありましたが、店では一二パーセント値引いてくれました。私たちはいくら支払ったでしょう。」
と、算数の問題を挿入した。

普通は子どもたちが、何日もかかって問題を作り、こうした問題はつねに通信文に加えられるものだが、今日は、先生が作った。フレネは、これを生きた数学とよんでいる。

 ※  ※

 まさに垣根のない授業だと思います。
 きゅうにスペルの問題になったり、算数の問題になったり。
 社会においては、教科の垣根はないのですから、すべて総合的に思考できるようにならなければいけないのですね。
 それを学校にいるときから行うのがフレネ教育なのでしょう。

 このような授業を行っていると、
「なぜ、算数を勉強しなければいけないの?」という質問は出てこないと思われます。
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佳子さんの文が沖縄タイムスに
 今朝の沖縄タイムス「ぼくも、私も」にセルフ塾の石嶺佳子(いしみね かこ)さん(喜名小学5年)の文が掲載されました。
kako.jpg



 私がじゅくのドアを開けると,じゅく友のアヤリさんが,「合格,おめでとう!!」
 私は,何のことだか分からず,キョロキョロと見わたしていました。

 「漢検,受かったんだよ!!」と言われて,喜びでとってもいっぱいになりました。

 小学生は全員合格でした。みんなでとっても喜び合いながら,じゅくの先生に写真をとってもらいました。漢検7級の合格,うれしい~!!

 漢検を申し込んだのは,じゅくの先生から家に電話がかかってきたからです。それからじゅくで漢字検定の練習を2週間しました。

 練習は、じゅくの先生がみんなに配ったプリントです。7級からは、問題と解答らんが別々になっていて、なんかかっこいいなあ、と思いました。私が練習で苦手だったのは、画数の問題です。得意だったのは、読みがなをつける問題です。

 漢字検定当日は,ドキドキしながら,60分間静かに試験を受けました。



 セルフ塾では、民衆社の「国語だいすき」を国語のテキストとして使っています。
 5年生の作文の課題に「中心ずばり文を書こう」というのがあります。単に時間的順序で書くのではなく、一番書きたいことを最初の部分にできるだけ詳しく書くというものです。

 子どもたちは、単に起こったことを時間的に並べて書く傾向があります。それを、書きたいこと、感動したことをまず詳しく書いて、それからその他のことを簡単に書くという指導です。

 佳子さんは、その課題でおもしろそうな文だったので、本人と相談しながら、新聞投稿して、今朝掲載されたのです。佳子さんの合格してうれしかったというのがよく出ていると思います。



英検合格,おめでとう
 財団法人日本英語検定協会 英検サービスセンターから,2009年度第2回検定一次試験の「合否結果閲覧」開始のメールが届きました。

以下は,2009年第2回合格者です。

準2級:T山Y貴

3級:C花Y太・M城R太

4級:I波A香・K本W夏穂

5級:I波S佳・K吉A日香・N宗根M珠・N地T之・
   N平K也・H元S一郎・M山M花

因数分解,しらみつぶし法
 きのう,中学3年生のR奈さんが習いにきました。2次方程式です。

 x²-7x-30=0 です。

 かけて-30,たして-7の2数をさがすのですが,見つけることができないのです。

 子どもたちは,かけ算九九にある数で考える傾向があります。つまり,1けた×1けた で。

 ぼくは,次のように指導しました。

ぼく「プラス,マイナスの符号は,まず無視して
 30=1×なに?」

R「30」
 彼女のノートにぼくが,30=1×30と書きます)

ぼく「30=2×?」
R「15」(30=2×15)

ぼく「3×?」
R「10」(30=3×10)
R「あっ,これだ!」

 R奈さんは数学的カンのいい子です。これだけのアドバイスで見つかりました。
 そして,
 x²-7x-30=0
 (x-10)(x+3)=0
 x=10 , x=-3 とスムーズにいきました。

ぼくは「大きい数のときは,このように1から順に,虱潰し(しらみつぶし)にやっていけば見つかるよ」と付け加えました。

教科の壁を取り払う

mixiに書き込んだコメントです。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=47450624&comment_count=49&comm_id=1037793



 今度も,岩狭蔵之助著「子どもをのばす自由教室―新しい教育をめざして (講談社現代新書)」から引用します。

※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  

「ここには教科というものがないのです。歴史とか理科とかは、教授すべき体系をもったものではなく、啓発科と思ってください。ですから順番は、いっこうにかまわないのです。

 ここでは、子どもが自分で研究する力を育てつつ子どもが自分のやり方で問題を解いていくことを、大事にするのです。子どもの問題設定の領域が、限られはしないかといわれますが、大きい子どもたちは、花の市場を調べに行ったり、地域の人に学校に釆て話してもらったり、旅行もあるし、テレビから問題設定をしていくこともあります。社会や自然については、学校間通信や交流旅行を通して、まだ経験したことのない世界に、ひきいれられていくことも多いのです。

 ですから問題が、子どもたちの日常生活に限定されるとは言えないのです。子どもの興味には、非常に深いものがあることを、私たちはつねに意識しています。」

※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  

 きのう,中学1年生のY子さんが理科を習いにやってきました。密度の問題です。
「なぜ,理科でこんな計算やらなければいけないの?」とぼやきながら解いていました。

 子どもたちは,英語,国語,数学(算数),理科,社会というのは,まったく独立したものだと思っています。だから,理科なのか算数なのか分からないような問題に出合って戸惑ってしまっているのです。
  ぼくもそう考えているところがないとはいえません。

 小学生のときまでは,理科といえば,自然を観察するだけだったのかもしれません。しかし,それに計算が入ると,算数,数学のように感じるのでしょうね。

 でも,本来ものごとは教科によって完全に分けられるものではないのです。それを教えやすいように,区別したのは人間なのですね。

 だから,総合的に見る目が失われてします。

 花の市場に出かけていけば,それは社会の勉強にもなるし,理科,算数の勉強にもなる。国語の勉強にもなります。

 学校では,「総合科」というのがあります。ぼくはその内容をマスコミでしか知りません。教科によってできた壁を取り払う学科なのではないかと思っています。フレネ教育の影響があるのかもしれません。

大人の話を聴く(フレネ教育)

mixiに書き込んだコメントです。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=47450624&comment_count=49&comm_id=1037793


 生活と教育を結びつけるひとつの方法だと思いますが,フレネ教育では,大人の話を聴くことをよくやっているようです。

 岩狭蔵之助著「子どもをのばす自由教室―新しい教育をめざして (講談社現代新書)」には,岩狭先生の指導のもと,牛を飼っている人のところに行き,その仕事を観察,そして話を聴き,また,教室にもどって生徒同士で意見交換をし,手紙を書いて,という活動が紹介されています。

 また,岩狭さんが,フランスの学校で見たことが書かれています。
 子どもがみんなの前で飛行機について話をする。質問があり,それにつまると,お父さんが手伝ってくれる。お父さんは飛行機関係の仕事をしているのだそうです。

 仕事をしている大人の人はそれぞれの仕事では専門家です。
 野菜作りの専門家,小売業の専門家,タクシー運転の専門家,・・・。
 それぞれの仕事でいろいろなことが目指されていて,それについては,ほかの仕事をしている人にはまったく知らないこともよく知っているはずです。

 ぼくは,中小零細業者のある会に属しています。そこでは,みな異業者です。居酒屋さん,車の板金屋さん,菊作り農家さん,便利屋さんなど。ぼくのまったく知らないことをよく知っています。もちろんですね。そのような話を伺うのはおもしろいものです。

 それを子どもたちに触れさせようとするのです。お父さんやお母さんに教室に来てもらい,仕事の話をしてもらう。いろいろいい話を聞くことができると思います。いいですね。

 テレビで,農家の方が米作りについて話をする授業を見たことがあります。それがフレネ教育から出てきたのかはぼくは知りません。ただ,フレネ教育ではそれをだいぶ重視してやっているのでしょうね。

 これは生きた教育だと思います。生活と結びついた教育だと思います。

フレネ教育と生活
 mixi「セルフラーニング」に書き込んだコメントです。
フレネ教育を語り合う

 フレネ教育について,ぼくは1冊の本を読んだだけですが,ぼく以上に知らない人のために

 フレネ教育のフレネとは,フランスの教育者セレスティン・フレネのことです。


 さて,フレネ教育では,「生活」ととても重視しているようです。
「子どもをのばす自由教室」から引用します。


彼らの興味や関心、それを表現しようとする心の動きは、一人ひとり微妙に違っているのに、それらがとるに足りないことのように思われるのは、そこから学習を出発させるのではなく、生活とはかけ離れた教科書の課題から、学習を出発させようとするからである。ベルの合図と同時に、あふれる子どもの活力は、教室の入り口でシャットアウトされ、その時から教師の説明と、子どもの反復練習が、くり返ミれるのである。

私たちは学校が連結すべき子どもの生活とは何か、子どもの生活を、どのようにして教室にもちこみ、教育活動に結びつけていくかを、明らかにする必要がある。問題をわかりやすくするために、生活と教育を結びつけることを、指向した実践を調べてみよう。

子どもや地域の人びとの生活や労働、遊び、詩や創作、自然や社会を調べた報告などである。

私たちは、教科という聖域の前では、心ならずも生活と教育を、分離してしまうのである。

フレネは戦前戦後を通じ、一貫して生活と教育を結びつけることを追求し、そのための多くの技術を開発してきた。

彼はやる気を失くした子どもたちのために、午後の時間を使って、散歩教室をはじめた。村の小川や野原を歩いたり、畑や職人たちの仕事場を見てまわった。そのとき子どもたちは、好奇心と活力にあふれ、教師と親しげに語り合った。彼らは教室に戻ると、散歩から持ち帰った収穫物を見せあったり、見てきたことを話し合った。




 以下は,ぼくの解釈です。

 ここに書かれている「生活」とは,「体験」のようにぼくは思います。実際に,見て,聞いて,触って,嗅いで,味わって,という五感を使った実体験でしょうか。

 文字からだと死んだ知識になる,それを実際に体験する中から学んでいく,ということでしょうか。

 百聞は一見にしかず,でしょうね。実際に体験したことは,生き生きとした知識になります。それをフレネでは重視しているのだろうと,思います。

 散歩をすると,花や草を見つけます。その名前を覚える。そして,めしべとおしべを確認する。めしべって何だろう,おしべって何のためにあるのだろう,調べてみよう,ということになるかもしれません。

 料理をする。分量を量ります。体積の勉強になります。材料を買うときには,算数の勉強にもなります。

 そういう体験をすることを生活して,それを教育と結びつけていく。それを重視したのだろうとぼくは思いました。

亡霊は存在しない

 「脳と心の地形図」の最後の部分を引用します。昨日の記事のつづきです。



 この本で紹介した研究結果は、精神という風景の大ざっぱな印象にすぎない。詳細な地図ができあがるのは、次世紀以降になるだろう。だが私はひとつだけ確信している。精神のなかに亡霊は存在しない。奥底に怪物がひそんでいるわけでも、ドラゴンが支配する場所があるわけでもない。

 そのかわり精神の探検家たちが発見しようとているのは、恐ろしいまでに複雑な生物学的システムである。不思議体験をしたければ、わざわざ幽霊を呼びだすまでもない・・・私たちの頭のなかに広がる世界は、どんな奇想天外な夢物語よりも、はるかに驚異に満ちているのである。


 ぼくは,このごろのスピリチュアルブームを憂えています。テレビの影響がとても強いのでしょう。霊の存在を本当に信じています。

 しかし,脳の研究結果から,霊などの存在はありえないのです。もっと科学的な見方のできる人間に育って欲しいと思うのです。

脳を人為的に調整する

 きょうも「脳と心の地形図」から引用します。最後の方にあります。





もうひとつ、私が望んでいることかある。それは脳を人為的に調整する技術が普及して、生活をより快適で意義深いものにする精神的な特質を伸ばし、破壊的な特徴を根絶することである。

 いまこんな発想を口にしても、不遜に思われるだけだし、科学が切りひらいた新しい可能性の例にもれず、この先しばらくは世も末といった扱いを受けるにちがいない。しかし遠くない将来、「言語道断!」という声は消えて広く受けいれられるはずだ。

 次世代の人たちは、人間はプログラム可能な機械だという事実を、地球が丸いという事実と同じくらい当然だと考えるだろう。それは人間の尊厳をおとしめるどころか、人間の暮らしを飛躍的に向上させることになる。


 どうでしょうか。日本人はもっとそういうことに慎重ですね。脳をいじって,人格などを変えることです。ぼくは,かなり賛成です。目的と技術によりますが。

 将来の話です。
 例えば,凶悪犯罪を犯す人がいます。年少のときに,悪いことをいろいろする。そのままいけば殺人など凶悪犯罪を犯すかもしれない。脳を見てみると,前頭葉にキズがある。それを直せばそれを犯さずにすむ。
 それは病気の一種なのですから,治した方がいいと思いませんか。

 海馬にきずをおった。記憶ができない。だから,日常生活が送れない。そのきずを治せば記憶は回復する。

 アルコール依存症も治せるかも知れません。心理療法だけではなかなか難しいですから。
 アルツハイマーも。

 それがもっと進んだときに,判断が難しくなります。

 ふつうに生活を送っている。成績も普通だ。でも,脳をいじることによって,頭がよくなるとしたら,どうしましょうか。

 つい食べ過ぎて,メタボになっている。脳にちょっとメスを入れると,食欲がおさえられる。さあ,どうする?

 プチ整形というのがけっこう行われているようですね。昔は顔にやけどをおったときなどに美容整形をした。でもいまは,しわをとる,二重まぶたにするなど,で整形をするようです。
 これは少しずつ市民権を得てきたように感じます。

 脳をいじることと,プチ整形とどちらも,自分を変えようというものです。技術が進むと脳をいじることも当然となる日も来るでしょうね。

母語と第二言語では、処理される部分がちがう
 「脳と心の地形図」に次のような部分がありました。




外国語
 赤ん坊はどんな言葉でも話せる可能性を持っている。だがひとつの言語にしか接していないと、選択服はすぐに狭まっていく。音を聞きわけるのに必要な神経経路は、早い時期に刺激しないとすぐに萎縮するからだ。おとなになってから外国語を学んた人は、正しい発音で話すことができない。たとえば日本人が英語の「L」と「R」をに別できないのは、日本語でそういう音を聞く機会がないからである。逆に日本語にも、英語圏の人間にとって発音しづらい音素がある。

母語と第二言語では、言語野のなかで処理される部分がちがう。だから脳の一部が内出血して、母国語を話す能力を失っても、成人してから身につけた言葉ならしゃべれるという事態が起こるのである。


 母国語を話せなくなって,第二言語は話せるっておもしろいですね。
 これだけの記述しかないので,物足りないです。

 例えば,日本語と英語のバイリンガルの場合,どちらが母語かはっきりしないと思います。どちらも母語のように話せるから2つの母語でしょう。そう言った場合,ちがう部分で処理されるのでしょうか。

 また,日本語を母語としている子が小学低学年でアメリカに渡る。そういった場合,けっこうきれいな英語を話せるようになると思います。これも第二言語のような脳になるのでしょうか。

 前に,「英語は逆から学べ!」批判

を書きました。その中で,著者の苫米地 英人氏は,彼の方法だと脳の別の部位に英語脳ができるというようなことを書いていますが,そうでなくても第二言語は母語とちがう部位にできるのですね。

2週間で英語2冊を終了

 Oさんからメールをいただきました。Oさんは英検1級合格にあと数点という力の持ち主です。


 仲松様
お世話になります。
今日までで中学1年、中学2年分 プログラム学習終了しました。
明日から中学3年プログラム学習です。

購入後2週間でページ数の多いプログラム学習2冊を終えれたのには驚いています。
普通の練習本だとこうはいきませんよ。
これは読みながらどんどん書く行為が入っているのであっという間に進んでいきます。
やっていて楽しくて仕方ありません。。

本当に勉強は‘‘楽しく‘‘が大事だと痛感しています。

さて、明日から1週間かけて3年生プログラム学習を終わらせます。

そのあとは高校に、、、といきたいところですが、ないようですので

とことん文法練習問題を解いていく予定です。

どんどんこいやーーーという気持ちです!!

(Yojiの返信)
 Oさま

 うれしいおたより,ありがとうございます。
 こんなに早く2冊を終わったというのは,はじめて聞きました。びっくりです。Oさんに英語の力があるからですね。
 そのOさんに「楽しい」と言ってもらえて,とてもうれしいです。あの難関の英検1級に挑戦しようとしている方だと,中学英語はバカにしてしまいそうですが。

 たぶん,ぼくがこの本を作る中で,僕自身がおもしろいと思ったことを入れたこと,ただ覚えるだけではなく,理解することを重視したためではないかと思っています。

 評価していただき本当にありがとうございます。


道にそれてもいいんだ~伝説の国語教師 橋本武
 今朝、朝食をとっていると、妻が縫い物をしながらテレビを見ていました。それで、たまたま見たのですが、とてもおもしろい番組でした。

「ザ・コーチ 人生ノ教科書」
横道にそれてもいいんだ~伝説の国語教師 橋本武~
BS2 10月25日(日)午前10:00から(「あなたのアンコール サンデー」枠内)
 
 灘高校の国語教師 橋本武先生。97歳
 中 勘助 (著) 「銀の匙 (岩波文庫)」を中学の3年間をかけて読むという授業をしたそうです。


 1冊の本ですが、いろいろ工夫して授業をしていました。
 授業を受ける前に、国語が好きだと答えた生徒5%、授業を受けた後、95%。すごい!

 本当に分かるための授業です。
 小説の主人公と同じ年代の少年だから気持ちは分かるだろうということ。
 しかし、時代が違います。

 子どもたちが食べたことのない飴が出てくると、それを実際に食べさせる。
 百人一首も実際に授業のなかで、百人一首取り競争をする。
 凧揚げもしていました。

 実際に、体験すると、もう絶対に忘れないでしょう。子どもたちも楽しそうです。

 それから、「寄り道しながら勉強」。

 しかし、それはただの思いつきの雑談ではないです。

 干支が出てくると、それの詳しい説明。そして、甲子園の話まで進みます。ぼくが甲子園の名前が干支と関係があったと知ったのはいつだったかは忘れましたが、興味深く読んだ(聞いた)ように思います。

 とにかく、子どもたちの関心、興味を大切にしている授業だと思いました。

 高校では、「徒然草」をやっているのですね。これもおもしろそう。

 そして、現在、灘高校に、源氏物語をずっと読む授業をしている教師がいるとのこと。

 きのう、フレネ教育について書きました。たぶん、フレネではもっと子ども中心だと思います。それに比べると、橋本先生は、教師主導。
 でも、子どもの関心を引き出す授業ということでは共通していると感じました。

 また、体験するというのも共通するのではないでしょうか。

 それから、広く浅くというより、狭いが深くということも。


Yahoo!地図-Yahoo!地図でブログを探そう!
Yahoo!地図-Yahoo!地図でブログを探そう!

Yahoo!地図がはりつけられたブログ、サイトが「この周辺の地図がはりつけられたブログ、サイトを検索した結果」ページに、表示されるようになりました。

 とあったので、やってみました。うまくいくでしょうか。



 ただし、

※1:ブログやサイトにHTMLソースをはりつけてから、Yahoo!地図に表示されるまでに数日以上かかることがございます。また、技術的要因等により表示されないこともございます。ご了承ください。


 だそうです。すぐには確認できないようです。

エイリアン・ハンド
 「脳と心の地形図」を読みました。なかなかおもしろい本です。



 その中でも一番おもしろかったのが、エイリアン・ハンド」。
 p71~73を引用します。

片手のコントロールかまったくきかない状態を想像できるだろうか? はめたばかりのシャツのボタンを別の手がはずしていったり、スーパーマーケットの棚から欲しくもない品をつかんで、ポケットに入れてしまうのを、ただじっと見ているしかないのだ。恋人を愛撫しようと左手を伸ばしたら、なぜか相手の顔面に右フックを浴びせてしまう。たからといって精神に異常かあるわけではないし、一見するとごく普通の人である。この状態には「両手間の対立((intermanual conflicts)」という無味乾燥な名前がついているが、研究者のあいだでは「エイリアン・ハンド」の呼び名で通っている。

エイリアン・ハンドは、脳二つの領域のどちらか、あるいは両方に損傷を負った人に見られる。

(中略)

ところが半球どうしの連絡がなくなると、この命令系統も遮断される。だから分離脳の人では、抑制メッセージが左右の脳を行き来しない。とはいえ左脳と右脳はそれぞれの役割を熟知しているので、たいていのことは問題なく行なわれる。それでもときどき、すでに左脳が段取りをきちんとつけていることに、支配される側である右脳が口を出そうとすることがある。そうなっても、連絡手段かないと左脳は右脳を止めることができない。こうして左右の脳は、支配権をめぐって争うことになる。

(中略)

エイリアン・ハンドが深刻な暴力を振るうことはめったにない。だが世間の人は、いずれエイリアン・ハンドによる殺人事件が発生し、犯人が「やったのは私じゃない・・・私の手だ」と主張するのではないかと思っている。エイリアン・ハンドを持つ当人も、いつかたいへんなことをしでかす恐怖におびえている。夜寝ているあいだに、自分の右手に絞めころされることを恐れる男性もいるほどだ。



 おもしろいですね。いや、不思議ですね。脳というのは、不思議なものです。

 手が自分の言うことをきかないというのはよくあります。ギターをひいていて、頭ではこのように動かさないといけないと思っていても、手が思うように動かないのです。それはみなさんも経験あるはずです。

 でも、エイリアン・ハンドのようにまったく別の行動を自分の手がするということは考えられないことです。

子どもは、関心のあることなら積極的に学ぶ

 mixi「セルフラーニング」にトピック「フレネ教育を語りあう」を立ち上げました。



 「フレネ教育」について、語り合いましょう。

 この「セルフラーニング」のコミュに、「フレネ教育」という用語が何度か出てきました。
 ぼくの知らない用語でした。

 少しだけ勉強してみました。
 岩狭蔵之助著「子どもをのばす自由教室―新しい教育をめざして (講談社現代新書)」を読んだのです。
子どもをのばす自由教室―新しい教育をめざして (講談社現代新書 (681))


 でも、まだまだよく分かりません。奥が深いです。それでも、ここで語り合えば分かってくるかもしれないと思い、始めることにしました。走りながら考えようというものです。

 よく知っている方もいらっしゃるようですから、いろいろ教えていただきたいです。

 さて、切り口として、最近のぼくの経験を書きます。

 ぼくの飲み友Yさんの息子Mくん。もう3人の父親です。30歳前でしょうか。Yさんは、居酒屋をしています。
 Mくんは、小学生のときに、セルフ塾にいました。とてもいい子ではあるのですが、勉強はまったくだめでした。漢字の覚えも悪く、算数もできませんでした。1年ほどでやめました。高校は中退したと聞いています。

 Yさんのやっている居酒屋で、これまでもよくあい、簡単なあいさつはしていました。Yさんから、Mくんがオートバイに夢中で、分解したり、組み立てたり、そして、レースに出場したりしているという話は聞いていました。

 先日、彼とゆっくり話す機会がありました。
 「オートバイのレースはまだやっているの?」と水を向けると、目を輝かせて話し始めました。

 オートバイは大好きで、オートバイについてなら何でも知っているという感じです。そして分からないことがあってもオートバイのことなら、勉強もしたようです。エンジンが動く原理なども、よく分かっているとのこと。物理の勉強もしたことになりますね。

 いまは、自分でレースに出ることはせずに子どもにさせているとのこと。子どもレースというのもあるようです。
 子どももオートバイが大好きで、それについてはよく勉強もするようです。オートバイを通して、子どもの教育をしているそうです。

 オートバイとどういう関係にあるのかは分からないのですが、
「Yojiさん、円周率というのは、どうやって求めるの?」という質問が出ました。
「円周率を求める式はないと思うよ。」と言って、内接、外接多角形を利用して求める話をすると、目を輝かせて聞いていました。

 オートバイに関連することなら、何でも知ろうという姿勢を感じました。

 さて、フレネ教育に戻ります。
 フレネ教育は、子どもの関心、興味から出発する、というもののようです。子ども中心です。

 Mくんのように、関心のあることなら学ぶ意欲はとても起こります。それを中心に学習するという教育です。

 「サドベリー・バレー校について語りましょう 」
 というトピックで、以前、意見交換をしました。

 子ども中心ということでは、フレネとサドベリーは同じです。

 ただ、サドベリーは、自由放任な感じを受けました。それに対して、フレネは教師がもっと教育に入っています。それについては後で本からの引用を交えて書きます。きょうのところはここまでで、何かご意見があったら、書き込んでください。

ようじさん

 きょう、小学5年生のSくんが書いた作文です。



ようじさん

 10月23日、セルフじゅくのようじさんは、いつもと変わりません。ひげは長くてふさふさしていて、ほとんど白くなっています。かみのけも長いので、ゴムでむすんでいます。

 本を読むときには、いつも黒いめがねみたいなのをつけています。そして、じゅくにいるときは、スーツのズボンをはいていて、うめ子に何かいうと、つうじているみたいです。でも、ねこのことはあまり知らないみたいです。

 本を横にして読んでいます。何才かは、わかりません。友達は、74人いるようです。

 (註)
 黒いめがねみたいなのとは、ピンホールめがねのこと。
読書スタイル
 うめ子は、セルフ塾で飼っている犬
 友達74人とは、mixiのマイミクのこと。

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セルフ塾はキャッチボール
 前に,会話はキャッチボールでないと意味がない を書きました。その後,思い浮かんだのです。

 セルフ塾の学習って,キャッチボールじゃないか,と。

 セルフ塾では,まず教材を生徒が解きます。教材に書かれている説明をよく読みながら。
 これは,ぼくから投げられたボールを生徒が受け止めているのですね。

 解いた教材は,チェック係りに提出します。
 生徒から,チェック係りへの投げられたボールです。

 チェック係りは,正解か不正解かをチェックします。そして,生徒に返されます。チェック係りから生徒への返球です。

 正解で○をつけられた問題は,ぼくが投げたボールを生徒がきちんと受け取ることができたという印になります。

 その場合は,もうその問題についてはおしまいで次の問題に進みなさいということになります。

 不正解で×になった問題は,ぼくのボールを生徒が受け止めきれなかったことを表します。だからもう一度問題を解かなければいけません。ぼくからのボールをもう一度受け止めようとするのですね。

 そして,解いたらまたチェック係りに提出します。正解になるまで往復です。生徒とチェック係りとのキャッチボールが続くのです。

 自分で考えてできない場合は,ぼくら学習援助者に習いにきます。そこでは,生徒とぼくらとが会話のキャッチボールをしながら,問題を解きます。そして,理解したら,それでその問題は終了です。

 分かるまで何度もボールを投げては受け取るとうことを続けるのですね。

 一斉授業の場合は,先生から投げられたボールだけ。それをきちんと受け止めることができる生徒もいるでしょうが,受け止めることのできない生徒もいます。でも,そのことにかまわずに,授業は続けられていきます。
 もちろん,受け止めたかな,と気にする先生もいるでしょうが。

「読まず嫌い」,お母さんからのメール

 きのうの記事「読まず嫌い」のM子さんのお母さんに,「M子さんのことブログに書きましたよ」とメールを送ったところ,返事がきました。

 

 庸次さん,メールありがとう御座いますm(_ _)m
M子がシェークスピア面白いって言ったんですか?本当ビックリ!!です。
M子、とうとう気にいった本に出会えたんですね,ヤッターです。

M子の姉や兄は本が大好きなんですが,M子だけは苦手なんですよね~
子供達が幼い頃にけっこうなお金かけて幼児期から高校生までの図書を揃え,図書室まで作って環境整えたんですが

 M子はサッカー、陸上、テニス、水泳とスポーツに興味があるんですよ~
女の子は特に本が好きでいて欲しいです

庸次さんと京子さんは良く子供達1人1人の特徴を理解して伸ばしているな~と頭が下がります。

新聞読みました。庸次さんと京子さんの会話から庸次さんと京子さんのほのぼのとした夫婦愛が見えました。(*^o^*)

予約録画


 
(Yojiから)M子さんのお兄さんはセルフ塾の卒業生ですが,よく本を読む子でしたね。
 M子さんも読む力はあるので,これから本好きになってくれると思います。

>> 子供達が幼い頃にけっこうなお金かけて幼児期から高校生までの図書を揃え図書室まで作って環境整えたんですが

 さすが,お母さんです。その期待は子どもたちに伝わると思います。


読まず嫌い
 「シェイクスピア物語,おもしろいね」
 シェイクスピア物語を読み終えたM子さんが笑顔で言いました。



 あのM子さんが,と思うと少しおかしくなります。

 はっきりした性格のM子さんは「読書は嫌い」と公言してはばからなかったのです。
 小学4年のときからセルフ塾にいます(たぶん)。小学生のころから読書を避けていました。

 学年トップの席次をもらったこともある子です。学力は高いです。でも,読書は嫌いだったのです。

 しかし,セルフ塾にはノルマとして読書があります。嫌いであっても読まなければいけません。M子さんもしかたないので読んでいたのでしょうね。
 そして,しばらく「読書はきらい」という言葉も聞かなくなっていました。

 そして,先日「シェイクスピア物語はおもしろいね」という言葉が発せられたのです。
 読書がおもしろいとはまだ思っていないかもしれません。しかし,少なくともおもしろい本というのはあるんだということは感じたのでしょうね。

 「食わず嫌い」というのがあります。「食べたことがなく、味もわからないのに嫌いだと決め込むこと。また、その人」ですね。

 ぼくの飲み友だちShueiさんはピーマンが大嫌いです。つまみに出された野菜炒めにピーマンが入っていると,細かいものまで一つひとつよりわけています。

 嫌いだと思うと,もう食べません。食べないから食べられるようになるはずがありません。

 読書はもっとひどいでしょうね。読書はおもしろくない,と思いこんだら,読書をしようとは思わないでしょう。ただでさえ読書は面倒です。長い時間,本とにらめっこをしなければいけません。それに比べると嫌いなピーマンと一口,口に入れるのは楽なことです。

 とにかく,食べなければ食わず嫌いは直りません。読まなければ読まず嫌いは直りません。

 前に,NHKのためしてガッテンで,高所恐怖症をやっていました。高いところが怖いと思って,高いところを避け続けていたらそのまま恐怖症のままです。たいていは,高いところに上ると怖いものですから,すぐに下りてくる。何度やってもすぐに下りてきたら高所恐怖症のままです。
 でも,怖くても高いところにしばらくそのままいるようにすると,高いところが平気になるそうです。
 ぼくも高所恐怖症です。まだ試したことはないのですが。

NHKためしてガッテン「誰も教えてくれなかった!高所恐怖症のナゾ
2007年12月12日放送

 セルフ塾では,嫌いな子にも強制的に読書をさせます。
 無理に食べさせられたために,もっと嫌いになる食わず嫌いはいるでしょう。
 無理に読ませられたために,もっと嫌いになる読まず嫌いはいるでしょうね。

 そうなったら残念ではあるのですが,まあしかたないかと思います。読まず嫌いの子は,セルフ塾で読むようにならなければ,たぶんそのまま読まず嫌いのままでしょう。
 しかし,中には読まず嫌いが直る子がいるのですね。M子さんのように。ぼくはそういう子は少なくないと思っています。だから,そういう子のためにも読書をさせ続けていきたいと思っています。

 読書はとにかく大切なものなのです。

予約録画
 テレビを買い換えました。ビデオ付きです。予約録画がとても簡単にできるようになっています。テレビにある番組表を見て,見たい番組のところにいき,決定ボタンを押し,・・・・というだけで予約ができます。何と便利なことか。

 妻に,「今度のテレビ,予約がとても楽になったよ。後でやり方を教えてあげるね」と言うと

 「私は,前からとても楽だったよ」と返ってきました。

 「前のは不便だったじゃないか。いまのはそれに比べるととても便利だよ」

 「私は,ビデオ録画のやり方なんか覚える必要はないよ。新聞のテレビ欄を見て,おもしろそうなのがあったら,あなたに,何チャンネルの何時から何時まで撮っていて,っていうだけでできるんだから」

 「えええ!!!」とは思ったのですが,それはそうです。それ以上に楽なことはありません。

 でも,ぼくは食卓につくだけで,毎日考えられた食事が出てきます。これ以上楽なことはありません。お互い様ですね。

( きょう(10月21日付け)琉球新報の「声」の蘭に掲載されました。)


「読谷補助飛行場跡」360°
 セルフ塾の近くにある「読谷補助飛行場跡」です。

 数年前まで,米軍の基地でした。そこでパラシュート落下訓練が行われていました。2006年に返還されました。
 米軍基地とは言え,ふだんは通行自由でした。舅を乗せてここを通ると,このように360°見渡せる場所は,沖縄には他にないよ,と言っていました。

 返還され,道路がつくられました。そして,いま,読谷中学校が作られつつあります。ここも数年でまったく変わってしまうでしょう。それで,360°の動画にしました。

 北向きから始まり,西,南,東,北とまわりました。北のずっと奥が座喜味城址。北北東に見える赤がわらのたてものは読谷村役場です。

[高画質で再生]

読谷補助飛行場

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読谷バーチャル資料館「8.読谷補助飛行場」


大きな地図で見る

冠は2つかぶるな
 中学生に「これは私の本です」を英作させると,This is a my book. のようにすることが少なくありません。

 単数の場合は,1つのという意味のaをつけるということを学んで直後です。

 そういう場合は,「冠は2つかぶるな」または「冠は2つかぶせるな」などとぼくは言っています。

 a, an, the を冠詞といいます。冠のように,名詞の頭にのせる詞です。

 冠詞のようなものは別にもあります。
まずは人称代名詞所有格
my, your, his, her, its, our, their です。

 そして,指示代名詞
this, that, these, those

 これらをふくめて冠とします。「ぼうし」と言ってもいいです。

 冠は2つも3つもかぶってはおかしいだろう。頭は一つしかないのに。だから,冠は1つだよ,と言っているのです。

 たとえとしては,冠は1つということで分かりやすいのですが,なぜ,冠詞類は一つなのか。

 日本語では,「私のその本」「私のひとつの本」と言ってもおかしくありません。 でも,my the book, my a book という英語はおかしいのです。

 やはり,日本語の「その」とthe , 「一つの」とa は根本的にちがうのです。

 theは「あなたも私も知っているその」,aは,「どれでもいいから一つの」という意味で,単に「その」「一つの」ではないからでしょう。

 my book といっただけで,「どれでもいいから1つの」という意味のaといっしょになってはおかしいからでしょうね。
 「私のひとつの本」は,「私がもっているの本のうちの,どれでもいいから1つ本」という意味にとって
 a book of mine という言い方はすると思います。a friend of mine 「私のともだちの一人」という言い方はよく見られるので。

 the book of mineという表現はないのでしょうね。自信ありません。
my book だけで,限定的に「その本」という意味にもなるのでtheをつける必要がないのでしょうか。冠詞類は難しくて,考えてもよく分かりません。

1/2+1/3のタイル図
mixi「授業の工夫」で次のような質問がありました。

「発達障害の児童に1/2+1/3をあなたならどうやって教えますか」

 ぼくは次のコメントを残しました。
「授業の工夫」

 1/2+1/3 は、図のようにタイルを使って教えています。
1b2+1b3.jpg


 1/2のタイル図を縦に3つに分けると、3/6になります。

 1/3のタイル図を縦に2つに分けると、2/6になります。
1b2+1b3kotaejpg.jpg


 それを合わせると、図のように5/6になります。

 1/2,1/3,1/5の意味は分かっているものとしての説明ですが。

セルフニュース 234号 を発行
  セルフニュース 234号を保護者にはきょう発送いたします。

セルフニュース 234号


( も く じ )
① 漢字検定(学校)合格者
 
② 漢字検定、合格証書など届く

③ 17名が英検に挑戦

④ 歴史検定合格おめでとう

⑤ 9月の皆出席

⑥ 新型インフルエンザ、休みについて

⑦ 携帯電話の辞書で英検の勉強

⑧ セルフ塾はフレキシブルワーク

⑨ 「不安」「あせり」は、適応行動

⑩ 子どもの視点で考えられて作られている

⑪ 「わかる解けるできる中学数学」中3数学を数十日で終えたヒカリっ子(中2)

⑫ 保護者面談に91.7%

⑬ セルフ塾 予定表)

ビデオ操作の男女差は関心の差
元塾講師さんからコメントをいただきました。ありがとうございます。
男女で大きな差、心的回転問題


疑問があります
女性に図形が苦手な傾向があるというのはよく分かります。
実際、普段は成績が悪い男子が図形問題だけは成績がよい女子より圧倒的に理解が早い というケースも何度か見てきました。

ただ、
>男女で能力がちがうと思うのに,ビデオの予約録画の操作,がありますほとんどの女性が苦手です。

これはちょっとひどい例だと思います。ビデオの操作に男女差はないはずですよ。
今時「ビデオの操作ができません」といってる人を老若男女問わず見たことがありません。
ビデオの予約録画や最近のWindows系PC(GUI)の操作に関しては全くの機械的センスは求められていません。それが出来ない人は国語能力に問題があると考えます。

長々と失礼しました。




 このようなコメントをいただくと、自分の書いたことをふりかえり、考え直すいい機会になります。今度もぼくの考えが浅かったと反省しています。

 ただ、多くの女性がビデオ録画が出来ないのは事実だと今でも思っています。ぼくの身近にいる女性でビデオ録画の出来ない人が圧倒的に多いからです。このコメントを見せたら,妻は「私もできないし,(友人の)K美さんも,H代さんもできないよ」と言っています。
 もちろん、母集団がとても少ないのでデータとしてとても信頼性はありませんが。

 しかし、今度のコメントを読んで立ち止まって考えてみました。以下はぼくの仮説です。

 ビデオ録画ができないのは、能力の問題ではないことに気づいたのです。彼女達はその気になればビデオ録画をする能力は十分に持っているはずです。
 
 ぼくの妻はビデオ録画はできません。しかし、炊飯器のタイマーセットはとても上手です。いまのビデオ録画はとても簡単で、炊飯器より楽なはずです。その気になればビデオ録画くらいは簡単にできると思われます。

 では、なぜできないのか。
 関心の方向が違うのでしょう。

 ぼくは以前保育園をやっていました。女の子は折り紙が上手です。決して男の子に劣りません。たぶん男の子より上手です。しかし、紙飛行機に関しては男の子の方がずっとうまいのです。男の子は紙飛行機が大好きです。チラシの紙があるとよく折っていました。しかし、女の子は紙飛行機にほとんど関心をしめしません。だから紙飛行機に関していえば、男の子の方がずっとうまいのです。

 ビデオのような機械に関心を示すのはどちらかといえば男性です。女性は出きれば避けたいと思っているように感じます。その差がビデオ録画にでていると思います。

 能力はあるのですから、自分で録画をせざるをえない場合は女性も上手に録画できるようになると思います。だから一人暮らしの女性は上手に録画できるで
しょう。

 しかし、夫がいる、子供がいる場合は、自分ができなくても不自由しません。できれば機械の操作は避けたいと思っているので、夫や子供に頼むのです。少なくともぼくの妻はそうです。妻も認めています。どんなに楽になったとはいえ、口で頼むほうがずっと楽だからです。

 ビデオが出始めたころの操作は面倒でした。あのころに夫に頼むという習慣ができてしまったという可能性もあります。

 やさしい夫がいて,賢い子どもがいても,ビデオ操作の上手な主婦もいるだろうと思います。男女差以上に個人差はありますから。

コメント,メールのブログ掲載について
 このブログ、セルフ塾について、セルフ塾の教材についてなど、ご意見、ご質問は大歓迎いたします。

 いろいろな面で、双方向性が大事だと思っております。キャッチボールのようなものですね。このブログもそうありたいと思います。

 ぼくが書いたのに対して、みなさんからのご意見、ご質問によって、さらにいいブログができていくのではないかと思います。

 ブログは毎日更新を心がけています。毎日、何について書こうかな、と思いめぐらしていますが、みなさんからのメールがあると、とても書きやすいです。だからどんなメールでも、ありがたいです。

 だから、お寄せいただいたメール、そしてそれについてのぼくの回答はできれば、このブログに掲載したいのです。お名前は匿名にいたします。「仲松」ならば「Nさま」のようにいたします。また、ハンドルネームはそのまま使わせていただきます。

 みなさんの声のほとんどは、その他のみなさんが知りたいことだと思うからです。

 もちろん、まったくの個人的な問題は掲載いたしません。また、掲載して欲しくない場合、「掲載しないで欲しい」と書き添えていただけば、掲載いたしません。そして、掲載後、削除して欲しいことがあれば、削除いたします。

 よろしくお願いいたします。

算数、数学を教えるなら「水道方式」
 Oさんからメールをいただきました。


 お世話になります。
小学生、中学生の算数、数学も教えたいのですが、どのように教えたらいいかの参考のために小学生4,5,6あるならばみてみたいのですが。
セルフ塾ショッピングカートにあるようですが、、厚いですか?

 先生になるにしても、小学ならともかく、中学は教え方一つで嫌いになっていくので自分も総復習したく。

先生も、英語、算数、数学等 まとめて2教科(英数)くらい教えれないといけない世の中ですから。


 算数、数学のとてもすばらしい教授法があります。水道方式です。ブログの次のページを参照してください。簡単に言えば、タイルを用いた、理解中心の教え方です。

水道方式とは
 ぼくの教材はどうしても厚くなります。生徒が分かるようにていねいにを心がけているせいです。
小4算数219ページ、小5算数219ページ、小6算数227ページ
 数学中1は280ページ、数学中2は259ページ、数学中3は234ページです。いずれも解答の部分は入っていません。
 ご注文は、ブログのショッピングカートからお願いいたします。
すみませんが、いま小4,5は品切れになっています。印刷中です。
セルフ塾ショッピングカート

 算数、数学は一番教えやすいと思っています。何をやればいいのかはっきりしているからです。子どもたちがどこでつまずいているのか、いつも気にすることが大切かと思います。

 また、教えることは一番の学習法です。教えることによって学ぶことが多いです。ぼくは英語が大の苦手でしたが、教えるようになってだいぶ上達したように思います。


つけたしですが、
小学生が苦手な、特殊算ものっていますか?
つるかめ算、旅人算、和差算、仕事算、年齢算、植木算等。。。。。
普通の計算ならいいですが、よりわかりやすく説明するにはプログラム学習が必要だと感じています。


 特殊算はのっていません。
 ぼくが教えているのは、基本的に中学受験を考えていない生徒たちです。内容も教科書に書いてある程度のものです。ぼくの教材は生徒といっしょに作るものなので、特殊算は作ることができないのです。

17名が英検に受ける
 きのう(10月17日土曜日)は、セルフ塾で英語実用検定を行いました。セルフ塾は、英検の準会場登録団体です。

 準2級と4級は、午前10時30分集合、3級、5級は午後1時集合でした。3級に一人渋滞のため遅刻者がいましたが、欠席もなく、無事に終わることができました。

 今回の受検者は、準2級3名、3級5名、4級2名、5級7名、合計17名でした。

 「1次試験の合否結果は、11月9日(月)までに通知」となっていますが、もっと早くネット上で知ることができると思います。わかり次第、ブログに掲載するつもりでいます。また、メールアドレスを塾に知らせている人には、メールもお送りいたします。

 セルフ塾では、2週間前から試験対策として、過去問題を解きました。この2週間のうちに試験慣れでしょうか、みるみる正解率が高くなるように感じます。

 今回は、新型インフルエンザも気がかりでした。新型インフルエンザで休んだ人への対応です。英語検定協会から前もって、その件について通知がありました。F中では学級閉鎖も出ています。
 でも一人も欠席がいなかったので、とてもほっとしています。

 みなさんの合格を願っています。
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a(どれでもいいから1つの)、the(あなたも私も知っているその)
 きのうも引用しましたが、きょうもまず文英堂「理解しやすい英文法」の定冠詞、不定冠詞の説明を引用します。

 不定冠詞と定冠詞を比べると、次のようなちがいがある。
不定冠詞・・・はじめて話題となるもの、不特定のものに用いる。 数えられる名詞の単数形にのみつける。
定冠詞・・・既出のものや状況からそれとわかるもの、特定のものに用いる。
 名手の種類や数に関係なく、どの名詞にもつけられる。
He has a son. The son is a doctor.
Please open the window.



 不定冠詞(a,an)は、不特定のものにつく冠詞です。つまり、定まらない(不)ものの頭につく(冠)ことば(詞)だから、不定冠詞です。

 Read a book. 「1冊の本を読みなさい」という場合、どの本かは定まっていないのです。「どの本でもいい」という意味になります。本であればいいのです。

 Read the book. 「その本を読みなさい」では、どの本を読むかは定まっているのです。「読みなさい」と命令した人も命令された人もどの本を読むか分かっているのです。

 「英語の素朴な疑問に答える36章」に
a(an)を「どれでもいいから1つの」と訳しています。いい訳だと思います。なによりも分かりやすいですね。そして的確な訳だと思います。いつもそのように訳すのは面倒ですが。

 theの訳としては、「あなたも私も知っているその」がいいですね。これも分かりやすい。長たらしいのですが、theの本質はそれだと思います。
 これはmixiの中で見つけました。

 だから、Read a book. は「どれでもいいから1さつの本を読みなさい。

 Read the book. は「私もあなたも知っているその本を読みなさい」となります。

 意味の違いがはっきりするでしょう。

ニューワールド英和辞典のtheの説明
 講談社のニューワールド英和辞典が見つかりました。終わってあとで見つかることはよくあることです。


 ここにp1344のtheの項からコピーします。前の記事もせっかくなので残しておきます。

the

不定冠詞a,anが名詞を具体化はしているが聞き手に対してはまだ特定のものにならないのに比べ,定冠詞theは,更にそれがさすものを特定のものに限定する.すなわちa,an が,問題のものが聞き手に未知なことを示唆するのに対して,theはなんらかの意味でそれが聞き手に既知であることを示唆する.「既知」の最も明瞭(めいりょう)な一例として,既出のものをさすばあいが考えられる:
I have bought a book and a dictionary.The dictionary is thicker than the book.私は本と辞書を買った.辞書は本より厚い.

theは日本語には訳されないことが多い。ときに「その」と訳すことはできるが,そのばあいの「その」は指でさし示す「その」でなく,すなわち「この」や「あの」に対比する「その」でないのは,ちょうどit の「それ」が「これ」「あれ」に対する「それ」でないのと平行する。ほんとうに直接さし示す「その」は thatである.なおtheはもともとthatと同類の指示詞から進化したもので,thatと密接な関係がある。

主語をなす名詞についたばあい,不定冠詞a,anと定冠詞theの含みが,しばしば日本語ではそれぞれ助詞「が」と「は」であらわされる: A bird came flying. The bird alighted on a twig.
烏が飛んで来た,鳥は小枝にとまった.

しかしこれは絶対のものではない.不定冠詞でも「は」になることがある: A horse is a noble animal. 馬は気品のある動物だ.・・・一方,次のように主語に特に強勢を置いて発音したときには、定冠詞でも「が」になる。The bird ate it.烏がそれを食べたのだ.

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