(Yojiから)
メールありがとうございます。一つひとつ回答いたします。
まだやっていませんので、とにかくプログラム学習で総復習してみます。
何回も音読しながらやった方がいいですよね?
書く行為だけでもいいですが、塾ではどのようにアドバイスしてますか?
(Yojiの回答)
中学生にとっては、あの分厚い本を一通りやるだけで精一杯です。生徒自身でやって、チェック係に調べてもらい、間違えたところは再考する。どうしても分からないところはぼくら学習援助者に教えてもらうという方法でやっています。
あと、もう一つ質問ですが、なぜ高校版はないのでしょうか?
中学のプログラム学習だけで十分ということですか?
数学も、英語も中学だけなようですが。
(Yojiの回答)
ぼくの仕事は、塾の学習援助者で、塾の生徒は小学生、中学生です。彼らが学ぶことを学習書にしているだけです。高校生はやっていないので、学習書がないということです。
生徒の反応を見ながら作ってきた本です。生徒がいないとできないですね。
私は是非、仲松さんに可算、不可算(冠詞)のみのプログラム学習書を作成していただきたいです。!!(希望です)
(Yojiの回答)
ありがとうございます。ただ、かいかぶりすぎですね。ぼくは単なる塾屋です。塾で教える範囲に限られています。教えることが多くて、浅く広くという感じです。英語力に関しては、Oさんに及びません。
中学では、その可算、不可算はそんなにでませんが、高校、大学へ進学していろいろな英語文書をみると
なんでこれが数えられるの? なんでここは無冠詞なの?とか文法書からは導けないものがたくさんあります。
英語辞書にはUとCで名詞にふられていますが、だからなんでそうなの?と。。。。つっこみたくなるのです。
他の文法は参考書みればなんとかわかりますが、可算、不可算は感覚の域までもっていかないとわかりません。
生徒はおとなになっても苦手なところは冠詞、前置詞です。
よくいいますね、前置詞3年、冠詞8年と。。。。
その理由は、学校でおろそかにしているから、あとあと?なるんですよ。
もっと細かく中学、高校の時に説明してくれてたら苦労していません。。。
(Yojiの回答)
その通りだと思います。可算、不可算、冠詞、前置詞は、難しいですね。そして、大切です。
「可算名詞と不可算名詞」については、きょうのブログに書きました。
可算名詞と不可算名詞
冠詞についても数日中に書くつもりです。
いずれにしても、それの中心的な意味をつかむことが大切だと思います。暗記も大切ですが、ただただ、この場合はこう、あの場合はああ、という感じで羅列的に覚えるよりは、中心語義をつかむことが大切ですね。
前置詞について、ぼくは、atは「一点」、toは「目標点」のように教えています。「~で」「~に」ではしようがない。
それについては、田中茂範先生のコア理論は参考になります。
話せる英単語ネットワーク 前置詞編
拙著「プログラム学習英語」では、簡単に説明されています。many, much, few, little は、名詞が数えられるのかどうかということによります。入試問題でもよく出題されます。
入試問題の一斉授業のときなどに、少し詳しく説明します。
英語では、数えられるのかどうかというのはきびしく区別する。日本語ではそうでもないけど。
では、「本」は数えられる名詞かな、それとも数えられない名詞かな?(数えられるよ)
そうだね。では、ミルクは?(数えられない)
コップは?(数えられる)、お米は(??? 数えられないかな)
お金は?(数えられるよ)、紙は?(数えられる)
では、区別の仕方を教えるよ。
人間がいます。[黒板に簡単な人の絵を描く]
これをばさっと2つに切った。(わあ、残酷!!)
人は2人になったかな? (ならないよ)
もちろんならないね。
では、ミルクがあるよ。コップいっぱいに。それを2つに分けるよ。どれもミルクだよね。ミルクであることに変わりがない。
1つのミルクは分けてもミルク。2カップのミルクになる。このように分けてももとのものと同じものは「数えられない」とするんだ。
1つだったのをただ分けただけで2つになったり、3つになったりしては、1つ、2つと数える意味がないだろう。
人間は2つに切ってしまうともう人間とは言えない。そういうのは「数えられる」というんだ。1人の人間は切り分けても2人はならない。
水、ミルク、コーヒーなどは、数えられないということは分かるね。
本、時計、扇風機・・、これらは切ってしまうともうそのものではないので、数えられる。鉛筆は、横に切ると確かに短い鉛筆が2本ということだろうが、縦に切ると鉛筆とは言えないね。だから数えられる。イメージわいてきたかな。
次は、中級編だよ。
では、紙は? さっきみんなは紙は数えられるって答えたけど・・・。確かにぼくらは紙を1枚、2枚と数えているね。だから紙は数えられるという感じがする。
ここに1枚の紙がある。これをはさみで2つに切るよ。どうなる。やはり紙だね。だから、紙は数えられないんだよ。
数えられるのか、数えられないのかは、絶対的ではない。状況によっても変わるんだ。
コーヒーはさっき数えられないってことになったね。だから、コーヒーはふつう a coffee, two coffees とは言わない。わざわざ「いっぱいの」「2はいの」をつけて a cup of coffee , two cups of coffee などと言うんだ。
しかし、マクドナルドなどでは、one coffee , two coffees などと言うらしい。
ぼくの勝手な解釈もあるけど
店ではカップに入った状態で一つの商品だ。カップ1杯が1つの商品。それを2つに分けてしまって半分だけ出したら、たぶん次からその客は来なくなるね。分けてしまうともう元のものとは言えない。だから、数えられる名詞扱いをするんだろうね。
もちろん、ああいう忙しいところでは、a cup of なんてつけては面倒だということからでもあると思う。
石は、数えられるかな? (数えられないんじゃない。2つに分けても石だから)
そうだね。基本的には、石は数えられない名詞の仲間だ。
でも、数えられる名詞として使われることも少なくない。
たとえば、昔は石を投げて戦争をした。石つぶてなどと言うね。
大将が部下に「1000個の石を準備しろ」と命令した。部下は1000個も石を準備するのが大変だから、1個の石を2つに割って小さな石で1000個準備し、大将に渡した。
もちろん、叱られるだろうね。「これで戦争に勝てるか!ばかもん」と。
割っても石ではあるだろうけど、もうその役割をしない場合、大きさがある程度決まっている場合、そういう場合は石も数えられるということになるんだろうね。これもぼくの解釈が入っているけど。
では、お金は? お金は数えられるの?
(これについては明日書きます)