とあったので、やってみました。うまくいくでしょうか。Yahoo!地図がはりつけられたブログ、サイトが「この周辺の地図がはりつけられたブログ、サイトを検索した結果」ページに、表示されるようになりました。
ただし、
※1:ブログやサイトにHTMLソースをはりつけてから、Yahoo!地図に表示されるまでに数日以上かかることがございます。また、技術的要因等により表示されないこともございます。ご了承ください。
だそうです。すぐには確認できないようです。
その中でも一番おもしろかったのが、エイリアン・ハンド」。
p71~73を引用します。
片手のコントロールかまったくきかない状態を想像できるだろうか? はめたばかりのシャツのボタンを別の手がはずしていったり、スーパーマーケットの棚から欲しくもない品をつかんで、ポケットに入れてしまうのを、ただじっと見ているしかないのだ。恋人を愛撫しようと左手を伸ばしたら、なぜか相手の顔面に右フックを浴びせてしまう。たからといって精神に異常かあるわけではないし、一見するとごく普通の人である。この状態には「両手間の対立((intermanual conflicts)」という無味乾燥な名前がついているが、研究者のあいだでは「エイリアン・ハンド」の呼び名で通っている。
エイリアン・ハンドは、脳二つの領域のどちらか、あるいは両方に損傷を負った人に見られる。
(中略)
ところが半球どうしの連絡がなくなると、この命令系統も遮断される。だから分離脳の人では、抑制メッセージが左右の脳を行き来しない。とはいえ左脳と右脳はそれぞれの役割を熟知しているので、たいていのことは問題なく行なわれる。それでもときどき、すでに左脳が段取りをきちんとつけていることに、支配される側である右脳が口を出そうとすることがある。そうなっても、連絡手段かないと左脳は右脳を止めることができない。こうして左右の脳は、支配権をめぐって争うことになる。
(中略)
エイリアン・ハンドが深刻な暴力を振るうことはめったにない。だが世間の人は、いずれエイリアン・ハンドによる殺人事件が発生し、犯人が「やったのは私じゃない・・・私の手だ」と主張するのではないかと思っている。エイリアン・ハンドを持つ当人も、いつかたいへんなことをしでかす恐怖におびえている。夜寝ているあいだに、自分の右手に絞めころされることを恐れる男性もいるほどだ。
おもしろいですね。いや、不思議ですね。脳というのは、不思議なものです。
手が自分の言うことをきかないというのはよくあります。ギターをひいていて、頭ではこのように動かさないといけないと思っていても、手が思うように動かないのです。それはみなさんも経験あるはずです。
でも、エイリアン・ハンドのようにまったく別の行動を自分の手がするということは考えられないことです。
mixi「セルフラーニング」にトピック「フレネ教育を語りあう」を立ち上げました。
「フレネ教育」について、語り合いましょう。
この「セルフラーニング」のコミュに、「フレネ教育」という用語が何度か出てきました。
ぼくの知らない用語でした。
少しだけ勉強してみました。
岩狭蔵之助著「子どもをのばす自由教室―新しい教育をめざして (講談社現代新書)」を読んだのです。
子どもをのばす自由教室―新しい教育をめざして (講談社現代新書 (681))
でも、まだまだよく分かりません。奥が深いです。それでも、ここで語り合えば分かってくるかもしれないと思い、始めることにしました。走りながら考えようというものです。
よく知っている方もいらっしゃるようですから、いろいろ教えていただきたいです。
さて、切り口として、最近のぼくの経験を書きます。
ぼくの飲み友Yさんの息子Mくん。もう3人の父親です。30歳前でしょうか。Yさんは、居酒屋をしています。
Mくんは、小学生のときに、セルフ塾にいました。とてもいい子ではあるのですが、勉強はまったくだめでした。漢字の覚えも悪く、算数もできませんでした。1年ほどでやめました。高校は中退したと聞いています。
Yさんのやっている居酒屋で、これまでもよくあい、簡単なあいさつはしていました。Yさんから、Mくんがオートバイに夢中で、分解したり、組み立てたり、そして、レースに出場したりしているという話は聞いていました。
先日、彼とゆっくり話す機会がありました。
「オートバイのレースはまだやっているの?」と水を向けると、目を輝かせて話し始めました。
オートバイは大好きで、オートバイについてなら何でも知っているという感じです。そして分からないことがあってもオートバイのことなら、勉強もしたようです。エンジンが動く原理なども、よく分かっているとのこと。物理の勉強もしたことになりますね。
いまは、自分でレースに出ることはせずに子どもにさせているとのこと。子どもレースというのもあるようです。
子どももオートバイが大好きで、それについてはよく勉強もするようです。オートバイを通して、子どもの教育をしているそうです。
オートバイとどういう関係にあるのかは分からないのですが、
「Yojiさん、円周率というのは、どうやって求めるの?」という質問が出ました。
「円周率を求める式はないと思うよ。」と言って、内接、外接多角形を利用して求める話をすると、目を輝かせて聞いていました。
オートバイに関連することなら、何でも知ろうという姿勢を感じました。
さて、フレネ教育に戻ります。
フレネ教育は、子どもの関心、興味から出発する、というもののようです。子ども中心です。
Mくんのように、関心のあることなら学ぶ意欲はとても起こります。それを中心に学習するという教育です。
「サドベリー・バレー校について語りましょう 」
というトピックで、以前、意見交換をしました。
子ども中心ということでは、フレネとサドベリーは同じです。
ただ、サドベリーは、自由放任な感じを受けました。それに対して、フレネは教師がもっと教育に入っています。それについては後で本からの引用を交えて書きます。きょうのところはここまでで、何かご意見があったら、書き込んでください。