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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

フレネ教育と生活
 mixi「セルフラーニング」に書き込んだコメントです。
フレネ教育を語り合う

 フレネ教育について,ぼくは1冊の本を読んだだけですが,ぼく以上に知らない人のために

 フレネ教育のフレネとは,フランスの教育者セレスティン・フレネのことです。


 さて,フレネ教育では,「生活」ととても重視しているようです。
「子どもをのばす自由教室」から引用します。


彼らの興味や関心、それを表現しようとする心の動きは、一人ひとり微妙に違っているのに、それらがとるに足りないことのように思われるのは、そこから学習を出発させるのではなく、生活とはかけ離れた教科書の課題から、学習を出発させようとするからである。ベルの合図と同時に、あふれる子どもの活力は、教室の入り口でシャットアウトされ、その時から教師の説明と、子どもの反復練習が、くり返ミれるのである。

私たちは学校が連結すべき子どもの生活とは何か、子どもの生活を、どのようにして教室にもちこみ、教育活動に結びつけていくかを、明らかにする必要がある。問題をわかりやすくするために、生活と教育を結びつけることを、指向した実践を調べてみよう。

子どもや地域の人びとの生活や労働、遊び、詩や創作、自然や社会を調べた報告などである。

私たちは、教科という聖域の前では、心ならずも生活と教育を、分離してしまうのである。

フレネは戦前戦後を通じ、一貫して生活と教育を結びつけることを追求し、そのための多くの技術を開発してきた。

彼はやる気を失くした子どもたちのために、午後の時間を使って、散歩教室をはじめた。村の小川や野原を歩いたり、畑や職人たちの仕事場を見てまわった。そのとき子どもたちは、好奇心と活力にあふれ、教師と親しげに語り合った。彼らは教室に戻ると、散歩から持ち帰った収穫物を見せあったり、見てきたことを話し合った。




 以下は,ぼくの解釈です。

 ここに書かれている「生活」とは,「体験」のようにぼくは思います。実際に,見て,聞いて,触って,嗅いで,味わって,という五感を使った実体験でしょうか。

 文字からだと死んだ知識になる,それを実際に体験する中から学んでいく,ということでしょうか。

 百聞は一見にしかず,でしょうね。実際に体験したことは,生き生きとした知識になります。それをフレネでは重視しているのだろうと,思います。

 散歩をすると,花や草を見つけます。その名前を覚える。そして,めしべとおしべを確認する。めしべって何だろう,おしべって何のためにあるのだろう,調べてみよう,ということになるかもしれません。

 料理をする。分量を量ります。体積の勉強になります。材料を買うときには,算数の勉強にもなります。

 そういう体験をすることを生活して,それを教育と結びつけていく。それを重視したのだろうとぼくは思いました。
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亡霊は存在しない

 「脳と心の地形図」の最後の部分を引用します。昨日の記事のつづきです。



 この本で紹介した研究結果は、精神という風景の大ざっぱな印象にすぎない。詳細な地図ができあがるのは、次世紀以降になるだろう。だが私はひとつだけ確信している。精神のなかに亡霊は存在しない。奥底に怪物がひそんでいるわけでも、ドラゴンが支配する場所があるわけでもない。

 そのかわり精神の探検家たちが発見しようとているのは、恐ろしいまでに複雑な生物学的システムである。不思議体験をしたければ、わざわざ幽霊を呼びだすまでもない・・・私たちの頭のなかに広がる世界は、どんな奇想天外な夢物語よりも、はるかに驚異に満ちているのである。


 ぼくは,このごろのスピリチュアルブームを憂えています。テレビの影響がとても強いのでしょう。霊の存在を本当に信じています。

 しかし,脳の研究結果から,霊などの存在はありえないのです。もっと科学的な見方のできる人間に育って欲しいと思うのです。
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