相対性理論に必ずでるのが”ローレンツの短縮”です。それが完全に理解できたように感じます。それに一番役だったのは、アトム博士の相対性理論です。
それをぼくなりに説明してみます。このページは”ローレンツの短縮”への道の第一歩です。
まずは、30mのボートレース。AくんとBくんがボートレースをします。
・AくんのボートもBくんのボートも秒速30m。
・川の流れは秒速10m。
・Aくんは川を横切って往復します。
・Bくんは川の流れにそって往きは川下に向かい、帰りは川上の向かってもどってきます。

どちらが勝つでしょうか。
まずBくんから。
Bくんは、川の流れに乗って進んでいきます。追い風のようなものです。動く歩道を歩道が動く向きに歩くようなものです。だから、ボートの速さ30m/秒に川の流れ10m/秒が加わって40m/秒のスピードで進みます。
30mを40m/秒で進むのですから、30÷40=3/4秒です。

帰りは向かい風のようなものです。川の流れに逆らって進みます。動く歩道を逆向きに歩くようなものです。だから、ボートの速さ30m/秒に川から流れ10m/秒を引いて20m/秒のスピードで進みます。
30mを20m/秒で進むのですから、30÷20=3/2秒です。

往きは3/4秒、帰りは3/2秒ですから、往復は 3/4+3/2=3/4+6/4=9/4秒 になります。
Bくんの往復の時間は 9/4秒,2.25秒 です。
次は、Aくんのボートです。川を横切るのですから、横からの流れの影響を受けます。動く歩道を横に動くのです。そのまままっすぐ横に進むと、流されてしまって、下流の方にいきますね。だから上流に斜めに進むようにします。図のように斜め左に進むと折り返しの旗のところに行けます。速さは流れの影響を受けません。垂直に流れを受けているからです。

三平方の定理(ピタゴラスの定理)で,tを求めます。
(30t)² = (10t)² + 30²
900t² = 100t² + 900
900t² - 100t² = 900
800t² = 900
t² = 900 / 800 = 9/8
t = √9/8 = 3/2√2 = 3√2/4
帰りもまったく同じで 3√2/4秒です。

だから,Aくんの往復は,3√2/4×2 = 3√2/2秒 およそ2.12秒
Bくんの往復の時間は 9/4秒,2.25秒 でした。
それで,川を横切ったAくんの方がわずかに早く到着することが分かります。
mixiに書き込んだコメントです。他のメンバーのコメントがないので分かりにくいでしょうが,想像力で補ってください。
クリスさん,
ぼくもかじかさんの意見に近いですね。
そして,ぼくは小選挙区制を思い出しました。
確かにクリスさんの書かれているように,
>>様々な価値観が認められる時代になった
かもしれません。そして,フレネ教育を求める人も全国にはいるでしょう。しかし,少数政党のようなものです。全国的には10議席や20議席をとる力はある。しかし,小選挙区の場合には,一議席もとれません。
フレネ教育が日本全国に例えば一〇〇〇人いるとします。しかし,それは全国に散らばっていますね。
ぼくらのような個人塾は,小選挙区で闘っているようなものです。集まる地域はせまいです。全国には一〇〇〇人いても沖縄には一人しかいないかもしれません。それでは,塾は成り立たないですね。
かじかさんのコメントに,「既存のシステムにいかに迎合できるか」についての批判的な意見がありました。
ぼくは,かじかさんの真意は分かっているつもりです。
ぼくは生徒に,「自分の好きなことは何かをさがして,それを追い求めるようにしなさい」と言っています。また,自分でもそれを実行しているつもりです。
しかし,だからといって自分の好きなことをすればいいというものではないです。
塾の保護者の願いは,目の前の成績を上げることです。理想的なことを言うと,そうですね,と同意はしてくれます。しかし,やはり,目の前のテストの点数が悪ければよそに移っていってしまいます。
それをまったく無視しては塾の経営はやっていけません。自分で学ぶ力,本当の学力をつける,といってもやはりテストの点数も無視できないのです。
ありがたいことに,ぼく自身,点数も大切だと思っているので,矛盾なくやっていけています。
ここで言いたいのは,社会(保護者のニード)との妥協はある程度必要なのではないか,ということです。
『迎合』と『妥協』をどこで線を引くかは微妙ですが,「妥協」は必要ということです。
中学2年生のK也くんがやってきました。国語の「精進料理」にふりがなをつける問題で,何とか辞書を引いてできたようです。しかし,意味がよく分からない。
・・・「Yojiさん,『精進料理(しょうじんりょうり)』って何?」
たいていはこういう場合,「自分で辞書をしらべればいいじゃない」とつっかえすのですが,昨日は話してあげました。
いま,Yahoo辞書を調べると,
とあります。それに近い説明ができました。そして,魚介類や肉類を用いず、穀物・野菜などを主とする料理。殺生を戒める大乗仏教の考え方に由来。
「沖縄では,法事のときに豚肉の料理がでるだろう。あなたの家でも最近法事があったよね。七日(なんか)とか四九日(しじゅうくにち)とか。仏教では命のあるものを殺してはいけないということで,法事のときには肉類を食べないんだ。だから本土では,精進料理にするんだそうだ。肉はいっさい使わない料理だよ。ベジタリアンだね。」
・・・・「ええ,つまらない!!」
いやな顔をして,K也くんは反応しました。
・・・「野菜も生きているじゃない」
「確かにね。でも,動物と植物は一応区別するんだ」
「この(MR)というのは何?」と尋ねました。
ぼくは,「例えばね,
3×4=12,5×7=35,8×6=48 をやってあと,それを全部足したいときがあるだろう,そういう時には。
3×4=12(M+)5×7=35(M+)8×6=48(M+)を押す,そして,「MR」を押すと,ほら95が出るだろう。Mはメモリーという意味だよ,覚えてくれるんだね,電卓が」
そのときは知らなかったのですが,いま調べると,MRのRは,リコールrecall(思い出す)という意味のようです。MRとは,メモリーしたことを思い出すということでしょう。
そして,自分で試してみて,「すごいね」と感心していました。「じゃあ,(M-)は,引き算をするんだ」と言ったりして。
ぼくは,「別のおもしろいのも教えてあげようか」と言って
「368の二乗を計算してごらん」というとM珠くんが,
「368×368をすればいいんじゃない」と言いながら,電卓をたたいて,「135424」を出しました。
「それでいいけど,368を2回も打つのは面倒だろう。だから,368×= と打つだけで二乗の計算ができるんだよ」
「へぇー」と言いながら,自分で電卓をたたいて確認していました。
K太くんが,そのうちに,
「すごいよ。2×=×=をすると4乗が出るよ」ということに気づいたようです。
そして,「2×=×=×=×= をするとすごく大きな数になるよ」とまた感心しています。
それでぼくがこんな話をしました。
「あのね,昔のとんち話にあったんだけどね。
ある武士が戦争で大きな手柄をたてた。殿様が『何でもいいからほうびを与える。言ってみろ」といったんだ。
すると,その武士,『ありがとうございます。では,最初2粒の米をください。2日目は,その二乗の4粒,3日目はその二乗の16粒というように米粒をいただきたいと思います』と言ったんだ。
殿様は,『それだけでいいのか。よし分かった』と言ったんだ。
さあ,どうなると思う」
K太くんが電卓をたたいて,「1日目は2粒,2日目は4粒,3日目が16粒,256粒,65536粒,・・・ もう電卓に出てこないよ。」
「そう,何日かして殿様はこの大変なことにやっと気づいて,あやまって取りやめてもらったそうだ」
M珠くんが
「お母さんに小遣いをそのようにもらったらすごいね。最初は2円でいいよ,っていって。そして2日目は4円,3日目は16円,5日目で65536円,7日目で,電卓で出ないけどすごいお金になる」
二人は,もう指数がすごいペースで上がっていくのを身につけたでしょうね。
4時のテスト勉強のときにやってきた生徒に,「面接はどうだった?」と尋ねると,「まあまあだった」と言っていたので,「『まあまあ』なら,合格だね」と答えました。
1週間ほど,ぼくが面接委員になって,練習しました。
金曜日には,その練習もやりましたが,「STEP 英検-日本英語検定協会」のサイトにある,「英検バーチャル二次試験」も見せました。
「英検バーチャル二次試験」では,
「二次試験での、面接室に入室してから退出するまでの流れを把握できます。アニメーションを見ながら、音声を聞くことができます。」(英検協会のサイトより)
よく作られていて,おもしろいです。これを見ると,2次試験の様子がよく分かります。
特に3級受験生は,2次試験(面接)は初めてです。このような感じででも試験の様子が分かると,本番で少しは緊張が和らぎます。
数ヶ月前に無線LANにしたので,線を気にすることなく,生徒の席にぼくのコンピュータを置き,「英検バーチャル二次試験」を見せることができます。その子が終わると次の子が,というように次々コンピュータは移っていきました。
Aくんがコンピュータに向かっているまわりでは,他の生徒がいつものように教材に向かって勉強をしています。このようなことができるのも,セルフラーニングを行っているセルフ塾だからだろうな,と思いました。
写真を撮らなかったのは残念。
という問題。方程式に慣れている人にとっては,とても簡単な問題です。
50円切手をx枚,100円切手をy枚とする,
x+y=10
50x+100y=800
という式を立てて,解けばいいのです。
しかし,慣れていない生徒にとっては,何をどうすればいいのか,まったく分からないようです。
そういう子が習いに来たときには,ぼくは次のように言います。
「では,50円切手を3枚,100円切手を7枚買ったとする。合計でいくらになる? 式を作りなさい。」
この問題は,ほとんどの生徒が簡単に解けます。
文字が数字になったとたんにとても簡単な問題になるのです。
50×3+100×7 ですね。
そこで,50円切手をx枚,100円切手をy枚とするのだから,3の代わりにx,7の代わりにyを入れればいいんだよ,ということで理解してくれます。
問題が分かりにくいときは,自分で適当な数で考えてみたらいいんだよ,とアドバイスを付け加えます。
文字と数字の間にはとてもおおきなギャップがあるのです。
さて,
いま,「よくわかる相対性理論の基本(図と数式で解く理論の基礎)」を読んでいます。
よく分からないです。なぜ分かりにくいのか,いろいろあるでしょう。
相対性原理そのものが難しいというのが一番でしょう。
ぼくは,文字式でぐいぐい押していくのが分かりにくくしている原因のひとつだと思います。分からない人の身になっていないのです。
文字式に慣れている人にとっては,文字式は便利なものです。しかし,慣れていないものにとっては,イメージができないので分かりにくいものなのです。
文字式は,便利です。速さをvとする,とした場合,速さが50km/h, であろうが,100km/h であろうがかまわないのです。
しかし,50km/h とする,としたら,では,100km/h の場合はその式成り立つの? ということになります。
だから文字式で説明を押し進めると一般化できるわけです。
それでも,文字式は分かりにくいのです。イメージがしにくい。
この相対性理論の本を読みながら,連立方程式の式を立てることのできない生徒の気持ちがよく分かるような気がします。
だから,文字式でぐいぐい押していくのではなく,例えばということで,ある数字を用いれば,もっと分かりやすくなります。そうすれば「よくわかる」というのを本の題につけてもいいのではないでしょうか。

パパイヤジャムを作りました。ぼくがです。
セルフ塾の庭にはパパイヤが数本植わっています。パパイヤができると次々にできます。そのまま熟させるとおいしいです。ぼくは好きです。少々くせがあって,嫌いな人も少なくないようです。

いま,毎日食べているのですが,おいつきません。少しずつ熟してくれればありがたいのですが,こちらの都合のいいようにはいきません。
それで,ジャムにすることにしたのです。ジャムにするということは保存食にするということでもあるのですね。
皮をむき,種をとって小さくきざみ,「はかせなべ(保温調理器)」に入れます。パパイヤは皮もむく前に測ったら1,5kgほどありました。皮をむくいてくさりかけているところ,種をのぞくと1kgぐらいになったかと思います。砂糖500gとパパイヤを交互に入れます。そして,パイナップルの缶詰1缶も入れました。
沸騰してあと,保温調理に。そして塾に行きました。
夜帰ってから水分を蒸発させて出来上がりです。そのまま冷やしました。
朝,鍋をみるといい感じにできていました。ヨーグルトに入れて食べましたが,成功です。妻も「大成功よ!」と言ってくれました。
K太くんはよくできる子です。中学2年生。それでも濃度は難しいのですね。
「5%の食塩水と15%の食塩水を混ぜて,8%の食塩水を400g作りたい。それぞれ何%ずつ混ぜればよいか」
ぼくは,図を描きながら説明しました。下の図は完成した図です。

「食塩が下にすべて沈殿したような図だよ。
ここが5%の線,ここが15%の線。その間に8%の線がある。
この青い部分(実際は色を使っていません。指さすだけ。ここでは分かりやすいように図を用いて説明します)の食塩が黄色のところに流れていって,平均したと考えるんだよ。
この長さ(青の長方形の縦)はいくら?」
・・・・「15-8だから7」
「そうだね。では,この長さは(黄色の長方形のたて)?」
・・・・「8-5=3」
「そうだ。では,黄色の長方形の面積は? xを用いて」
・・・3x
「青の長方形の面積は?」
・・・7y
「青が黄色に流れ込んだのだから,この2つの面積は等しい。式を作ってごらん」
・・・「3x=7y」
「混ぜたあとの食塩水は400gだから,xとyで式を作ってごらん」
・・・「x+y=400」
「そうだ。この連立方程式を解けばいいんだよ。
・・・「へぇー,こんなに簡単にできるんだ」
NHKクローズアップ現代
ゆとり教育で,理科の授業が大幅に減らされた時代の人たちが教師になる時代なのです。理科の授業が少ないために,理科を知らない,ということでしょう。11月12日(木)放送
実験が苦手
~理科離れする教師たち~
子どもの“理科離れ”を克服すべく、今年度から前倒しでスタートした理科の新学習指導要領。授業時間を大幅に増やし、実験も積極的に取り入れられた。しかし今、教師自身の“理科離れ”が深刻で学習内容の強化に対応できるかという不安の声が上がっている。去年実施された調査によれば、小学校教師で勤続10年以下の若手の8割が「観察・実験についての知識・技能が低い」と回答。「塩酸が怖い」「子供に質問されるとオドオドしてしまう」など基本的な知識さえ乏しい実態が明らかになった。その背景には、若手教師が子ども時代に受けた「ゆとり教育」で科学に対する興味を失ってしまったことや、理科を学ばなくても教師になれる仕組みがある。どうすれば教師の“理科離れ”を防げるのか、ヒントを探る。
(NO.2816)
スタジオゲスト : 平林 浩さん (元和光小学校教諭・科学教室講師)
ゆとり教育そのものを,ぼくはいいことだと思います。ただ,それが学力低下になってしまっては大変です。そこは考えなければいけない。
フレネ教育についても,そのあたりを懸念しています。興味,関心に基づいた教育というのを,ぼくは望ましく思っています。ただ,それによって学力が低下しないか,ということです。
ゆとり教育も,学力が低下してもいいから,ということで始めたわけではないと思います。ただ,実際に学力は低下しています。そうぼくは実感しています。
理科の授業時間が少なくなった。それは子どもにとっていいと思ったからでしょうね。でも,授業で教えなくなると子どもたちは学ぼうとしません。ぼくが高校生のころは,だれでも物理,化学,生物,地学を学びました。ぼくはまじめな生徒ではなかったのですが,それでもある程度は頭に残っています。
それをいまは選択するのですね。よく知らないのですが,高校で物理を学ばない学生がいるそうです。そして,そのまま理科系の大学に進む。
または,物理を高校のときに学ばなかった人が教師になり,理科を教える。できるはずがないですね。
興味,関心はとても大切だと思います。それを頭におきつつも,強制的にでも学ぶべきことは学ばせるというのがいいかな,と思っています。
mixiに書き込んだコメントです。
http://mixi.jp/add_bbs_comment.pl?id=47450624&comm_id=1037793
高校生はいま教えていないので,ぼくの仕事ではないのですが,ぼくならドップラー効果をどう教えるかな,と考えてみました。
救急車がやってくるときは,高い音でピーポーピーポーと聞こえます。しかし,通り過ぎたとたんに低い音に変わります。それはドップラー効果によるのです。
音はイメージしにくいですね。だから分かりにくい。
ただ,周波数が多い,波長が短いと高い音,周波数が少ない,波長が長いと低い音になるのは中学でも習うので大丈夫ですね。
ピストルの弾に喩えて説明すればドップラー効果は分かりやすいのではないかと思いました。
AさんがBさんに向けて,ピストルを撃ちます。1秒間に1回のわりです。イメージしやすいように,ピストルの弾の速さは毎秒20mとします。時速72kmになりますから,車の速度です。AさんとBさんの距離は200m。10秒で1回目の弾がBさんに届きます。
(1)
Aさんは立ったままピストルと撃ちます。すると,Bさんのところにはやはり1秒間に1回のわりでピストルの弾がやってくるはずですね。

(2)次は,AさんがBさんに向かって走りながらピストルを連射します。その速さは毎秒10mとします。ピストルの弾の半分の速さです。こちらはオリンピック選手並みの速さです。
最初に撃った弾がBさんに届くころ(10秒後)には,Aさんは半分のところ100mまで走って来ています。その間10発の弾を撃っているので,図のようになっているはずです。走っている分だけ弾と弾の間が短くなっています。

(3)
次は,AさんがBさんから逃げるように走りながらピストルを連射します。その速さも毎秒10mとします。
最初に撃った弾がBさんに届くころ(10秒後)には,AさんはBさんから300m離れたところまで逃げています。その間10発の弾を撃っているので,図のようになてちるはずです。こんどは逆に走っているのでその分だけ弾と弾の間が長くなっています。

救急車も同じです。ピーポーピーポーのピ,ポが弾だと思えばいいです。救急車がやってくるとき,ピの次のポとの間が短くなっています。波長が短くなっているので,高い音に聞こえます。
逆に遠ざかっていくときは,ピとポの間が長くなっています。つまり波長が長くなっています。だから低い音に聞こえるのです。
ぼくは分かりやすい説明だと自己満足していますが,どうでしょうか。
間違い直しでAさんが習いにやってきました。
英文和訳です。
見ると,Mike を「ミケ」と訳していて×になっているんです。
Mike は確かに「ミケ」とも読みます。しかし,それでは×になってもしようがないですね。
ぼくは,彼の問題集の余白に
like と書き,
「何と読む」と尋ねました。
・・・・「ライク」
「そうだね。likeはライクと発音するね。そのlがMに代わっただけだよ。likeをライクと発音したように,Mikeを発音してごらん」
・・・・「マイクだ」
Mike を「ミケ」と読んで間違えている生徒が次々とやってきます。ほとんどは上の方法ですぐ分かってくれました。
Mくんがやってきました。
ぼくは,like と書き,「何と読む」と尋ねました。
・・・・「???? リケかな?」
「それじゃあ,I like cats. は?」
・・・「あっ,ライクだ」
「そう,likeはライクだよ。しっかり頭に残しておいて,
likeのlをMに代えるよ。Mike は何て読む?」
・・・「ムライクかな?」
「んんん,like はライクだったね。発音する通りに書くと,laik だ。lをMに代えるよ。Maik 。読んでごらん」
・・・・「マイクだ!!」
これにて一件落着!!!
子どもたちにきたえられています。いまチェック係りに,どのくらいの割合でMikeを「ミケ」と読んでいるか尋ねると,「かなり」と答え,「マイクと書いた子は一人いたかな?」と言っていました。
それにしても
「私は猫を飼っています。猫の名前はミケです」を英語で書くときに,「ミケ」をどう書けばいいでしょうね。Mikeと書いたのでは,
「私は猫を飼っています。猫の名前はマイクです」と読んでしまうでしょう。
どうしても「ミケ」と読ませたいときは,Miket とすれば近い発音になるのかなあ。
「相対性理論」を楽しむ本―よくわかるアインシュタインの不思議な世界 (PHP文庫)
から引用します。
アインシュタインの相対性理論は,光速や,それに近い速度の物体のことが問題になります。とても速い速さのことです。それに対して,ガリレイの相対性原理は,とても遅い物体の運動です。私たちのいる場所が動いても,止まっていても,そこで起こる物体の運動やその法則は,私たちにとって全く同じものに見える。これをガリレイの相対性原理といいます。
だから,とてもイメージしやすいです。
ふつうは,列車の中などを例にとります。列車の中でキャッチボールをするといった状況です。
きのう,ふと思いつきました。動く歩道の方がもっとイメージしやすいのではないか,と。
空港などに,ベルトコンベアーの動く歩道がありますね。歩道が動いているので,立ち止まっているだけで前に運んでくれます。通常約0.8m/sだそうです。時速に直すと,2.88km/時 。約3kmです。ゆっくり歩く速さです。
AさんとBさんが二人でおしゃべりをしながら歩く歩道に立っているとします。Aさんから見ると,Bさんの速度は0m/秒です。逆もそうです。
いま,動く歩道の外にCさんが立ち止まっているとします。Cさんから見るとAさんとBさんは,0.8m/sで進んでいるように見えますね。
一方,AさんとBさんから見ると,Cさんは後ろの方に0.8m/sの速さで後退しているように見えます。
急ぐ人のために左側に寄ってください,のような注意書きもあります。けっこうな人が右側を早足で歩いています。
分かりやすいように,歩道が1m/秒とします。1秒間に1m進む。立ち止まっている人もその速さで前に進みます。
さて,その横を歩いている人Dさんがいます。それも1m/秒としましょう。動く歩道に立っている人から見ると,その歩いているDさんの速度は1m/秒ですね。しかし,歩道の外に立っているCさんから見たら,動く歩道を歩いているDさんの速さは2m/秒に見えるはずです。1m/秒+1m/秒=2m/秒
だから急いでいる人は,動く歩道を歩いたら目的地まで早く行けます。
そのDさんが忘れ物をしたということで,Uターンし,動く歩道を逆に向かって歩いたとしましょう。
1m/秒で歩いたら,どうなりますか。歩道は1m/秒で前に進む。Dさんは逆向きに1m/秒で進む。歩道の上に立っているAさんやBさんから見ると,後ろの方にDさんが歩いているように見えるでしょうね。
でも,外にいるCさんから見ると,Dさんは同じところにいるようにしか見えないはずです。脚は動いているが場所は移動しないのです。
1m/秒-1m/秒=0m/秒
だれが見るかによって,運動はちがってみえる,ということです。
ガリレイの相対性原理は簡単でしょう。
相対性理論って何だろうと関心のある人はこれから入ってみてはどうかと思う本です。気楽に読むことができました。
「トムキンスさん」は,ジョージ ガモフ (著)「不思議の国のトムキンス」を漫画化したものです。
下の「不思議宇宙のトムキンス」は,『不思議の国のトムキンス』の改訂版
ジョージ ガモフ (著)「不思議の国のトムキンス」は,相対性理論や宇宙論を分かりやすく書いた本です。
とくにおもしろいのは,光速がとても遅い街のこと。自転車に乗っている人が縮んで見えたり,色が変わったりします。とてもおもしろい発想です。以前,読みました。アインシュタインも絶賛した本だそうです。
それをマンガにしているので,さらに分かりやすくなっています。ぼくはこれまで何とか相対性理論を理解しようといくつか本を読んできました。その中でも一番分かりやすい本だと思います。といってももともとが難しいものですから,それなりに難しいところもあります。
ぼくはマンガが好きです。学習マンガも大好き。入門のためにマンガはとてもいいです。そういう意味でも,相対性理論入門のためには,一番最初に読んでいい本だと思いました。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
光の速さが遅いとしたら,という仮定はとてもおもしろいです。光は速すぎて理解するのが難しいです。それがとても遅いとしたら,いろいろイメージがわきます。
それでもって説明している本があれば,理解しやすいのではないかと思います。
生徒が文章問題を解いているとき,とても大きい数の場合はイメージがわかないからでしょうが,式を立てることができません。それを単に小さな数に代えるとすぐに式を立てることができることが少なくありません。
また,文字式は難しいです。
例えば,xkmを時速akmで進みました。時間はいくらかかったでしょう,という問題をとくのは難しいです。
それを,120kmを時速40kmで進みました。時間はいくらかかったでしょう。という問題に変えると,いとも簡単にできます。
文字式は一般的ですぐれています。しかし,イメージがしにくい。例えばでいいから,数字をもってくると理解がしやすいです。
ぼくは,相対性理論を,光速が100kmとし,そして時速60kmの列車の中で,・・・というように具体的な数字を用いて説明すると,とても分かりやすくなるのではと思っています。
特殊相対性原理をまじめに学んでみて,ぼくがやってみようかな。
学校で受検した生徒も合否が分かりました。それで,ここに改めて2009年第2回合格者を紹介します。セルフ塾での受検者もふくんでいます。
準2級:M川 Y花(中3)・T山Y貴(塾外)
3級:(中3)C花Y太・M城R太(・Y古田 R奈
4級:(中3)I波A香・K本W夏穂・
(中2)A垣 Y
5級:(中2)N宗根M珠・N地T之・N平K也・
(中1)I波S佳・K吉A日香・H元S一郎・M山M花
準2級,3級は2次試験,面接があります。きのうからその練習も始めました。




「それにしても、宇宙が無から生まれたなんて、不思議だなあ」というのが、皆さんの率直な思いかもしれませんね。
でも、宇宙が無から作られたとか、虚数の時間から生まれたというのは、こじつけや空想上の理論では決してありません。最初の宇宙は、神様が奇跡を起こして作ったのではなく、物理学の法則にしたがって、つまり自然現象としてごく当然に生まれてきた、それが明らかになってきたのです。科学の力で、はるか百億年以上前の宇宙の起源の謎に迫ることができる、そのこと自体が、すばらしく思えます。
宇宙を考えることは、翻って自分のことを考える、この宇宙の中でなぜ自分という存在が今ここにいて、これからどこへ行こうとするのかを考えることにつながるように思えます。だからこそ、人は宇宙を知りたいと思うのかもしれませんね。
ですから、これからも宇宙の謎は、私たちを魅了し続けることでしょう。
ぼくもそう思います。
「宇宙が無から作られたとか、虚数の時間から生まれた」というのは,ぼくの理解をはるかに超えています。
でも,おもしろいと思います。
昔々は,神様にやってもらうということでしか,いろいろなことは理解できませんでした。
例えば,雨を降らせるのも神様でした。だから,雨乞いなどをしたのです。しかし,今は雨が降るのがなぜか,すっかり分かっています。中学の理科で学びます。そして,人間は雨を降らせることにも成功しています。北京オリンピックでは,雨を操作したそうです。
人間は,昔から好奇心が旺盛だったのですね。この世の中がどのようにできたかをいろいろ考えました。旧約聖書では,神様の「光あれ!」から始まります。古事記では,イザナギノミコト,イザナミノミコトが出てきます。
考えても分からないことは,神様がやったことにでもして納得していたのでしょう。
それを科学が解明している,ってすばらしいことだと思います。「百億年以上前の宇宙の起源」を考えるなんて,人間はすばらしいです。
ぼくは,それを少しでも理解しようと,もがいているのですが,難しいです。
読谷まつりのせいでしょうか。読谷まつりに出演するための練習で休む人もいました。
中学3年生が15人中3人しか皆出席ではありません。20.0%です。気がゆるんでいるのでしょうね。心配です。
(小学部)
4年(1人/1人) N嘉山 R
5年(4人/8人) G如古 M沙稀・H元 R子・H嘉 A里・N々部 S也
6年(0人/1人)
(中学部)
1年(6人/9人) I波 S佳・O原 M和・K吉 A日香・S吉 K大・M吉 M花・H元S一郎
2年(3人/10人) N宗根 M珠・N平 M子・H嘉 K太
3年(3人/15人) I波 A香・M城 R太・Y古田 R奈
中学2年生の理科は,電磁誘導も出ます。
「電磁誘導は,あまのじゃくだよ」とぼくは言います。
「『天の邪鬼(あまのじゃく)』って知っている?」
・・・・「知らない」
「何でも反対のことをする人だよ。クラスの他の人はみんな賛成だと言うけど,その人だけは反対だという。みんなが右だと言えば,左という。クラスにいるでしょう」
・・・「いる。いる」
「電磁誘導はあまのじゃくだよ。近づいてくると『来るな,来るな』という。
逃げて行こうとすると,『待て,待て』と引き留めようとするんだ。
「さて,磁石のN極が近づいてきた。すると『来るな,来るな』と言う。N極に来るなとするためには,コイルの上の部分は何極になればいい?」
・・・・「N極」
「そうN極になる。N極とN極は反発するから,『来るな』ということになる」
「今度は,N極が遠ざかっていく。逃げていくんだ。コイルの上の部分は何極?」
・・・・「S極」
「そう。N極とS極は引き合うから,『待て』ということになるね」
何がいいかというと,読者を入門者にしぼって,そしてその力に応じたことだけを書いているということです。
少し引用します。
一般相対性理論の内容は、数学や物理学によほど秀でた人でない限り、「なるほど、分かった!」というわけにはいきません。高度な数学を駆使して進めていく理論構築の過程を、数式抜きで、言葉や概念で代用して理解していただくことは、事実上不可能と言っていいと思います。
かと言って、難しい数学を基礎から紹介していくには、ページがいくらあっても足りませんし、しかも皆さんが消化不良になってしまうのは確実です。
したがって、まずは「一般相対性理論は、どんなことを明らかにしたのか」という結論の部分を、知ってください。特殊相対性理論の説明では「なぜ、そうなるのか」ということも詳しく説明しましたが、一般相対性理論に関しては、しっかり理解するというより、流れや感覚をおおまかにつかんでもらえれば、それで十分だと思います。
要するに,こういうことでしょう。
一般相対性理論はとても難しい理論だよ。あなたたちが簡単に分かるものではないです。だから,すべてを分かろうとするのは無理というもの。
せめて,一般相対性理論によって,分かったことの結論だけは教えてあげましょう。それでもって分かった気になってください。それがなぜそうなるのかを知るのならもっともっと勉強してからにしなさい。
ということで,
時間が早くなる。浦島太郎のようなことが本当に起こる。スピードが増すと重くなる。などなどのことが書かれています。
相対性理論とはどういうものかを,なんとなくでもいいから知りたい人にお勧めです。
なお,特殊相対性理論は,一般相対性理論より,とてもやさしいものだと思ってください。
先日,「これも,田の字表で解ける?」と言って持ってきました。
正確な数字は忘れましたが,
A:B=2:3, A:C=5:7のとき,A:B:Cはいくらか,というような問題です。
ぼくは,「これは『囲の字表』でできるよ」と答えました。
『囲の字表』というのは,ぼくもそのとき思いついた言葉です。3×3の表ですね。
Kさんも「えっ,『囲の字表』?」とちょっと驚いた表情。
┌──┬───┐──┐
│ ※ │ ※ │ ※ │
├──┼───┤──┤
│ ※ │ ※ │ ※ │
├──┼───┤──┤
│ ※ │ ※ │ ※ │
└──┴───┴──┘
のような表を作ります。 ※ はブランクです。まったくのスペースにすると表がとてもずれるので,※を入れました。
それに整理していきます。
A:B=2:3, A:C=5:7 なので
A B C
┌──┬──┐──┐
│ 2 │ 3 │ ※ │
├──┼──┤──┤
│ 5 │ ※ │ 7 │
├──┼──┤──┤
│ ※ │ ※ │ ※ │
└──┴──┴──┘
「Aのところは2,5,2つそろったね。その下に,2と5の最小公倍数を書きなさい。2と5の最小公倍数は?」
・・・「10」
「2対3は,10対いくら?」
・・・「15」
「その15をBの一番下の欄に書きなさい」
「5対7は,10対いくら?」
・・・「14」
「その14をCの下に」
A B C
┌──┬──┐──┐
│ 2 │ 3 │ ※ │
├──┼──┤──┤
│ 5 │ ※ │ 7 │
├──┼──┤──┤
│ 10 │ 15 │ 14 │
└──┴──┴──┘
はい,この
10:15:14 が答えだよ。
ちゃんと理解できたようでした。

セルフ塾の辞書は消耗品です。この写真は,「日本語大辞典 講談社」です。大きな辞典です。大人用ですね。
セルフラーニングをするには,辞書は必需品。セルフ塾の生徒はよく辞書を引いています。小学生用の辞書,中学生用の辞書を引いて,
「Yojiさん,○○が(辞書に)ないよ」と言ってくると,
「じゃあ,あの辞典を引いてごらん!」と言って,「日本語大辞典 講談社」や「学研国語大辞典」のあるところを指さします。
「あれかあ~」と言いながらも,引いています。大きな辞典はやはり引きにくいようです。
この「日本語大辞典 講談社」,いま見るとメモ書きに「1989年購入」とありました。もう20年前です。先日,テレビでベルリンの壁崩壊20周年をしていましたが,あの年に買ったものです。
近くにいた中学3年生のYくんが「ぼくはまだ生まれていないよ」と言いました。中学3年生は,15歳ですから,まだ生まれていないのですね。ぼくにすれば,ベルリンの壁はついこの前だったように思うのですが,この子達は未だ生まれていなかったのですね。
この辞典は,接着剤で修繕してまた使います。
小学,中学生用の辞書はこの辞書以上に痛みが早く,修繕してもだめで捨てて,代わりを買うことを毎年のように行っています。

小さな箱にぴったりおさまって寝ている猫の与次郎です。こんな小さな箱にわざわざ窮屈そうに寝なくてもいいと思うのですが,猫はこういうところが好きなのですね。
子どものころにマンガで読んだ覚えがありますが,忍者が関節を外し,小さな箱の中に入り込んでいました。あれを思い出します。
与次郎という名は,夏目漱石の小説「三四郎」からもらいました。
以前は,みね子,野々宮もいましたが,三四郎,よし子とこの与次郎だけになっています。
これまでフレネ教育について書いてきました。すばらしい教育だと思います。ただ、ぼくはそれをそのまま行っていいのだろうかと疑問に思います。
「子どもをのばす自由教室」の著者若狭蔵之助さんも、次のように書いているところがあります。
しかし、この教材群をみたからといって、私の疑問がすべて解明されたわけではない。というのは子どもが、その日常的な生活過程での諸問題や興味・関心を中心にしていたのでは、どのように教材群が整備されていようとも、同じような勉強をくり返すだけで、学習領域のひろがりが、のぞめないのではないか。その領域を、教師が指導して、拡げてやる必要があるのではないか、という問題である。
それだけではない。学習の課題を、子どもの日常生活から出発させようとすれば、たとえば失業の問題を資本主義社会のしくみの学習より前に、とりあげなければならないということも、おこりうるであろう。学習の積みあげがないために、学習すべき内容が、わかりにくいという問題は、おこらないであろうか。
ここにもあるように、ひとつは興味、関心だけでは視野が狭まるのではないか、ということです。
ぼくは、中学、高校のころ、数学と理科一分野以外は大嫌いでした。英語も社会も国語も。だから、興味、関心だけでよいのであれば、数学、物理、化学しか勉強しなかったのではないかと思います。今思えば、そうしていたら、とても視野の狭い人間になっていたでしょうね。
いやでもさせられていたということに今は感謝しています。だから、生徒が嫌いだという科目も強制的にでもさせています。
二番目の問題は、教育は積み上げが大切ではないか、ということです。
特に小学生の算数は積み重ねが大切です。足し算ができ、引き算に進み、かけ算、わり算と進みます。
興味、関心だけで学習を進めてきた子が、わり算が必要となった。そこでわり算を学ぶとします。たぶん、足し算、引き算、かけ算は駆け足で学ぶことになるでしょうね。意味も分からずただただ計算ができればいいということになりかねません。
スポーツでは、試合をするのが楽しいです。だからといって試合だけをしていていいかです。野球をする人は、ランニングなど基礎トレーニングを重視します。基礎がきちんとできていないと、その上に建物はしっかりできません。試合だけをしていたのではいつまでも遊びでしかありません。
基礎トレーニングはおもしろくないものです。たいていは。でも、それをしなければしっかりした技術も身に付かないものです。
子どもの興味、関心は大切だと思います。それについてこのように立派な教育をしているということで、フレネ教育にふれることができたのはよかったと思っています。それはサドベリーについても同じです。
ただ、それをそのまま取り入れていいのかという気持ちが強いのですね。年をとって保守的になっているのかも。
Oblee YOMITAN 読谷店 (オブリーヨミタン)に行きました。 オブリガードは、嘉手納にあるときからよく行きました。少し変わっていて、そしてとてもおいしいからです。メキシコ料理です。
ぼくは、チリオムレツをいただきました。チリがいいです。甘さの中に辛さがピリッ。

Kyokoは、カニタスミール。ぼくも分けてもらいました。

姪のYukikoは生ビールを飲んで満足そうでした。
明日8日は、舅の3年忌になります。それで手伝いとして、妻の姉さんと姪が東京から来てくれたのです。そば好きの姉さんのためという口実で昼食はそばを食べに、ということです。
この「金月そば」は、前から話は聞いていて、すぐ近くなのですが、なかなか行けませんでした。一度は行ったが閉まっていました。
けっこう混んでいました。
そばは、おすすめの「つけそば」を食べました。麺がこりこりっとしていてよかったです。汁も悪くなかったです。三枚肉は本当に柔らかくておいしかった。

沖縄そばでつけ麺というのはぼくの知る限り、ここだけです。
おいしいことはおいしいとおもいますが、やはり沖縄そばは、汁ものがいいなと思いました。つぎはつけそばではない汁ものを食べよう。
「金月」は「きんちち」と読むようです。方言で「金」はそのまま「きん」、「月」は「ちち」ですね。
セルフ塾は、読谷祭り会場のすぐ近くです。個人の建物としては一番近くにあると思います。
だから、駐車が大変。セルフ塾の駐車場は10台ほど駐車できます。何もしないと知らない人が車を止めてしまいます。
それで、写真のように注意書きを書いた紙をぶらさげたひもを張っています。

注意書きは以下の通り
「セルフ塾関係者以外の駐車はご遠慮ください。『セルフ塾関係者』は駐車券をもらいに来てください。庸次、京子を知っている方は関係者です。セルフ塾」

関係者はセルフ塾の生徒の保護者、卒業生、友人などですね。玄関の前に駐車券と指示を書いてあります。
「駐車券に、自分で名前を書いて外から見えるように車中に置いてください。セルフ塾」

要するに、セルフ塾の駐車も、セルフでやるようになっているのです。
このシステムはうまく行っています。
それに、
「2次方程式x²+ax+b=0 の解が3,-5のとき、a, bの値を求めなさい」というのがあります。
その教材についている解答には、xに3を代入した式と、-5を代入した式で連立方程式を立て、それを解くという方法が紹介されています。
しかし、それよりもとても簡単にできる方法があります。高校で係数と解との関係ということで学ぶ方法です。これは中学生にも簡単に理解できるので、その方法を教えると、「簡単だね」と喜んでいました。
ぼくは
{x+( )}{x+( )}=0 で、
x= 3, x=-5 になる。( )には何が入る? と質問しました。
因数分解による2次方程式の解き方はもうすっかり身に付いています。すぐに
「-3 と 5」という返事が返ってきました。
すると、
{x+(-3)}{x+(5)}=0 だろう。
これを展開してごらん。
x²+2x-15=0
x²+ax+b=0
なんだから、aイコールなに?
・・・・a=2
bイコール?
・・・・b=-15
・・・・わあ、簡単だね!
「Yojiさんのところが落ち着く」を先日書きました。
中学生は、質問予約表に名前を書いて、自分の番になったらやってきて分からないところを習います。
きのう、Y太くんの名前を呼ぶと、彼がやってきました。ほとんど習うことなく自分でできる子です。習いにやってくるのは久しぶり。
ぼくの前に座って、間違えているところをもう一度見直していました。2次方程式の文章問題で難しいところです。そして、自分の間違いに気づいたようです。「あっ、(三角形の面積で)2で割るのを忘れていた」と言って、自分で計算し直して、答えを出しました。
もう一つの問題も、自分で間違いに気づき、自分で解決していました。
「Yojiさんのところに来たら、できたよ。習わなかったのに」と言って、自分の席にもどっていきました。ぼくはその間、その問題に関して一つもアドバイスはしていません。
そういうことはよくあります。
「ここに来ると、頭がよくなるんだよね」と言う子もいます。
適度な緊張感でしょうね。ぼくの前に座ると、ぼくに見られているということで、やはり少しは緊張するのでしょう。それがいいように働いて、問題が解けるようになるのかもしれません。
これまで何冊も相対性理論の入門書を読んできましたが,その中でもとても分かりやすい本です。手塚治虫のマンガの本と並ぶくらいのわかりやすさです。
第1章の「相対性理論を体験しよう!」は,ジョージ・ガモフ著「不思議の国のトムキンス」と同じです。それも読みましたが,「相対性理論を楽しむ本」の方が分かりやすいと思います。アマゾンでトムキンスを検索すると,コミック本が出ていますね。さっそく購入しました。
第1章の「相対性理論を体験しよう!」の「アインシュタイン・ワールド」というのは,光の速度が秒速30メートルにまで遅くなっている世界です。1時間は3600秒ですから,秒速30mというのは,時速108kmです。実際の光の速さは30万kmですから,1千万分の1になっています。
この本,とても分かりやすく書かれてはいますが,この光速を30mと仮定して説明を加えればもっと理解しやすいのではないか,と思います。
例えば,電車の中でキャッチボールをします。Aさんは電車の前のところ,Bさんは後ろの方に立っています。電車が止まっているときに,キャッチボールを始めます。
AさんがBさんに向かって秒速30mでボールを投げます。BさんもAさんに向かって30m/秒で投げます。プロ野球の投手が時速150kmで投げたりしますね。それよりは遅い。でも,けっこう速い球です。
これは楽に想像できますね。

車が走り始めました。そして,等速直線運動にはいります。秒速20m(時速72km)で走っています。
そのとき,中でキャッチボールをしている人は,止まっているときとまったく変わりません。止まっているときとの違いはありません。長い距離のキャッチボールは電車の中でできないでしょうが,「おい,缶ビールを1つ投げてくれ!」と車の中で言われて,投げるときに,電車が走っていることはまったく意識しないでできますね。
等速直線運動をしているとき,中にいる人は動いていることを気づかないのです。
30mの電車で後方から前方にボールを投げます。投げ始めには後方にありますが,1秒後には,前方に届いています。
それを電車の外から見てみましょう。下の図を見てください。投げ初めはアのところにあったボールが1秒後にはイのところまで届いています。
ボールは秒速30mです。電車は秒速20m,だから,ボールは秒速50mになって飛んでいるのです。

今度は,前方から後方に向かって投げられたボール。最初は前方にあって,1秒後には後方にあります。すると,下図のように,なっているはずですね。
ボールの速さは,30m-20mで,秒速10mになっている。

さて,次は光です。ここで,光の速さを秒速30mとします。電車の速度は秒速20m。
ボールと同じかというと,それがまったくちがうそうです。
光には次のような性質があるのです。
光はなぜか,光を観測する人が止まっていようが,動いていようが,いつも一定の速度,つまり秒速約30万kmと観測される。
止まっている場合,そして等速直線運動の電車の中は,ボールの場合と変わりません。いま,光の速さは30m/秒としています。

しかし,外から見ている場合,ボールと光では異なるのです。外から見ていても秒速30mです。
以下の図のようなイメージを持っていいのではないでしょうか。ただ,相対性理論では,電車も伸び縮みするのではないかと思いますが,一応今のところはここまで。


なお,ぼくの理解の範囲で書いています。間違いがあったらご指摘ください。
それはいいのですが,ぼくの机の上で問題を解き続けようとする子が少なくありません。ぼくに教えてもらうというのではなく,自分で説明を読んで自分で解いているのです。自分の机でもできる作業です。
先日も,K咲さんとK子さんが算数の問題を解いていました。
「自分の机でやってきたらいいのに。その方が,落ち着いてできるんじゃないか。ぼくなら,先生の前で問題を解いたら,緊張していやだと思うな」と言うと,
「Yojiさんの前の方が落ち着いてできるよ」とK咲さんから返ってきました。K子さんも,そうだそうだ,と同調します。
ぼくの前が落ち着くと言われたら,悪い気はしませんね。
でも,別の子が習いに来たので,
「さあ,じゃまだから自分の席にもどって」と言うと,しぶしぶ戻っていきました。
フレネ教育を語り合う
フレネ教育における「自由」について,「子どもをのばす自由教室」のp127~p131にかけて,あちこち抜粋します。
私は彼がこの学校に、どんな期待を寄せて、子どもを学ばせているのか聞いてみた。
彼は「息子をここで学ばせてもらえなかったら、こんなふうに人の前で、話せるようにならなかったでしょう。ここでは子どもたちが自由で、先生の教育が子どもを開花させてくれるのです。それに学校の自然環境もいいし。」という。
そばできいていたカルメン先生が、つけ加えた。「自由なだけではないのです。フレネ学校は、子どもを野放しにするという人がいますが、子どもの教育活動が組織化されていて、規律があるから、一人ひとりが自分を開花させることができるのです。」と。
(中略)
「フレネ学校ではやることなすこと、すべて子どもの興味あることばかりです。子どもが好きなことばかりやる学校です。」
もう五十の坂をとっくに過ぎたマダム・スュネは、そういいながら、ほこりだらけの子ども のザックを取り出してきた。
(中略)
そこにスュネさんが入ってきた。彼はいきなり、「やあ、セレスタン・フレネは賢い人だった。やさしい暖かい人でしたよ。」という。私ははじめ、大げさにものをいう人だと思ったが、きいていて、それがもっとも当を得た表現だということがわかってきた。
彼は、フレネの教育の中で大切なことは、子どもが自由に、自分の考えを表現できるようにすることだという。子どもたちが自分の好きな勉強にとりくんで、自分で表現するようにしむける、そのために、フレネは、教室に印刷器を置いていた。さらに、フレネは子どもたち一人ひとりがもっている、よい面をすべてひき出すために、子どもたちに庭師とか、電気技師とか、昆虫採集家などの免許状を与えていたという。ほかの学校では評価の対象にもならないことを、フレネは人間にとって大切なものとして重視した。おそらくこのこともあってであろう。学校にはよく専門家を呼んできた。フレネには教育を学校の中だけでするとか、教師だけでするという考えはなかったというのである。
「自由」を与える,「自由」を重視する,しかし,それは「放任」ではないですよ,ということです。
それはよく分かります。ぼくも「自由」はいいが「放任」はいけないと思います。
「自由」と「放任」はまったくちがうものでしょうが,その境界はとてもあいまいです。それをどこで分けるか,が問題。
ぼくの読んだ本では,そこのところがよく理解できませんでした。