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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

関係代名詞は,接続代名詞と呼んだ方がいい
 中学3年生に,関係代名詞を教えていました。

 Taku has an American friend. He speaks Jabanese.
 この2文を関係代名詞を用いて1つの文にしなさいという問題です。よくありますね。

 He の代わりに who を書く。代わりの名詞なので代名詞だ。
 そして,それが an American friend の後ろにくっつく。接続の働きをする。接続,つまり関係するということだ。
 接続,関係する代名詞だから,関係代名詞というんだ。

 接続の働きをする代名詞,接続というのは関係するということ。だからこのような働きをするものを関係代名詞という。

 簡単に言えば,上のようなことを話したのです。

 そこまできて,なにも「関係代名詞」というより,「接続代名詞」といった方が分かりやすいのではないかなあ,と思いました。
 接続の働きをする代名詞だから「接続代名詞」という,とてもすっきりします。

 それで,ネットで「接続代名詞」を検索していました。同じように考えている人がいるのですね。

http://www.gifu-nct.ac.jp/jinbun/cocet/naze/Vol-1/B2.htm には,

「関係代名詞」ではなくて、「接続代名詞」とでも呼んだ方がわかりやすいのかもしれない。


http://www.geocities.jp/ho123pe/theory11.html には,

関係代名詞を接続代名詞、関係副詞を接続副詞と言い換えた方がよいと言えるわけである。


http://www2s.biglobe.ne.jp/~cama/france/lecon/lecon3/questceque.html には,

「ce que ~(スク)」という構文は,英語で言う「what (that)~」という接続代名詞としての構文に当たるもので,「~のもの」という意味。



 とありました。

きょう、夜ないよね。
 明日まで、中学3年生は学年末テストです。きょうは午前中、テスト対策でがんばりました。

 もうすぐ終わるころに、K子さんが言いました。

 「きょう、夜ないよね。」

 彼女の言いたいことは分かります。
「夜の塾の学習は、きょうは、ないよね」ということです。

 知ってはいるのですが、ぼくは次のように言いました。

「えっ、きょう夜がなかったら、夕方になってすぐに朝になるの?
 夕日が沈んだら、すぐに東の空から朝日が上ってくるの?」  

2次関数の変化の割合は、簡単な公式 a(p+q) で
 中学3年生は、学年末テストに向けた勉強に励んでいます。
 2次関数も今回の範囲。

 変化の割合を求める問題が出ますね。

 2次関数の変化の割合は、とても簡単な公式があります。
 y=ax² で、x=p から x=q まで増加するときの変化の割合は
 a(p+q) です。

 簡単ですね。多くの参考書には書かれています。

 でも、それを学校では、教えないようです。原則に戻って、
yの変化分/xの変化分 で教えているようです。
(aq²-aq²)/(q-p)

 です。教科書準拠の問題集もそうです。

(ap²-aq²)/(q-p)
=a(p²-q²)/(q-p)
=a(p+q)(p-q)/(q-p)
=a(p+q)

になります。足してかければ終わりです。

 これは覚える価値があります。変化の割合を求めるだけならまだいいのですが、次のような問題もあります。

 
y=ax² で、x=2 から x=5 まで増加するときの変化の割合が7だった。aを求めなさい。

 これを学校方式でやったらとてもめんどうです。

 まあ、学校で教えないものですから、これを教えると、
「すごい、簡単だね」と言うので、塾の株もあがるというものではあるのですが。

 

セルフっ子18期,6人の成人美女が塾訪問
 11日は成人の日ですが,読谷村ではきょう10日に成人の日の式典が行われました。

 今年はセルフっ子18期生が成人です。

 式典の帰りに,卒業生美女たちがたずねてくれました。

 中学を卒業してもう5年になります。みんなとてもきれいな女性になっていました。

 「人生で2番目に美しいときだね」とぼく。
 「えっ,1番は?」
 「お嫁に行くときさ」

 2次会があるとのことで,少しの時間しかいられなかったのですが,なつかしい一時でした。

 左から,Yurinoさん,Marinaさん,Sakiさん、Akiさん、Risaさん、Satomiさん。

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アインシュタインの小学の成績は優秀だった
 この記事は、アインシュタインの話ですが、難しくないので、気楽に読んでください。

 「ゼロから学ぶ相対性理論」から引用します。




 さて、小学生のころの成績であるが、1886年8月に母親が自分の母、つまり)、アルバートの祖母にあてた手紙に、

『きのうアルバートは成績をもらいました。またー番で、彼の通信簿はすばらしいものでした](『神は老槍にして・・・・・・)
と書いている。

  つまり、アインシュタインは、巷の噂のように落ちこばれだったわけではなく、なんと、いつも--番だったらしいのである。落ちこばれがノーベル賞をとるという話、どうやら、アルバートの学校嫌いの逸話に尾ひれがついて、いつのまにか、勝手に独り歩きをはじめたもののようだ。(p73)




 さて、1895年、アルバートは、自由な教育で知られるスイスのチューリッヒ工科人学の試験を受けた。
結果は、不合格。

 つまり、アルバートは、大学受験に失敗して、浪人生活を送ることになる。
だが、ここでも巷の噂とはちがって、アルバートが不合格になったのは、どうやら、語学の試験の成績が悪かったからであり、なんと、数学と物理学は受験生のトップだったらしい。もともと、工科大学なので、文系科目の成績がふるわなかったからといって、理数系の試験で抜群の成績を残した受験生を門前払いするのは、大学としても不本息だったに相違ない。学長じきじきの提案で、同じスイスのアーラウ州立学校にー年通って、推薦人学の資格をとることになった。

なんとも粋なはからいですねエ。
システムは悪いが、それを人間の運用が救う。
学校教育とは、本木、そういうものだと思う。(p75)



 アインシュタインは落ちこぼれだったというのは、聞いたことがあります。

 あの頭のいいアインシュタインが、小学生のころには頭が悪かった、落ちこぼれだったということになると、いま小学生で落ちこぼれでもあのようなすばらしい学者になるかもしれないという希望がもてますね。

 あのアインシュタインも落ちこぼれだったのよ。あなたもがんばればできるはずだ、と励ます人も多いかもしれません。

 しかし、真実はそうではなかったのです。

 型にはまるのは嫌いだったので、学校は嫌いだったのでしょう。学校の先生ともうまくいっていないようです。しかし、理解力はすばらしかったのでしょうね。

 そういう子をセルフ塾に入れれば伸ばせたかもしれない。

 大学受験にしても、そうです。あのアインシュタインも不合格になったというと不合格になった人は、うれしくなります。自分と変わらないではないかと。

 不合格になったことは真実です。でも、そのころから数学、物理はすばらしかった。

 語学に使う脳も数学、物理に使っていたのでしょうか。

理解力のない子の世界をのぞく
 Oさまからメールをいただきました。ありがとうございます。


 

仲松様

 こんばんは。再びブログに取り上げていただき、あいかわらず恥ずかしい気持ちです。

 色鉛筆識別法、お褒めいただいて光栄です。私の塾はそれぞれの講師が一人親方のように働いていて、なかなか知識の共有ができないのです。(忙しすぎて話す暇がないのも一因ですが)自分のやっていることが正しいのどうかについて、いつも一人で考えています。

 私が一緒に勉強しているのは、世間で言う「落ちこぼれ」レベルの学力の子どもさんばかりで、特別支援学校に通学している子もいます。図形の問題は空間認知の力が絡んでくるので、不得手になりやすいようです。今の時期の中2だと、確率がありますよね。これの「場合の数」や「樹形図」も毎年苦戦します。確率の概念を教えることが、そもそも難しいですね。自分が不甲斐なく感じます。

 文系大学卒から流浪を重ねて今の職場にたどり着きました。教えてできるようになっていく子どもさんを見るのは嬉しいもので、やりがいのある仕事だと思います。ただ、日本の教育はできない子へのフォローが苦手なのだなあ、と感じさせられます。生徒の数が多く、先生は忙しい。特別支援学校などに通学すると、下手するとろくに算数も教えてもらえない。まあ、だから私のような者にも仕事を戴けるんでしょうけど・・・



 ぼくの塾にもかなりの「落ちこぼれ」がいます。ぼくの尊敬する遠山啓先生は、「落ちこぼれ」ではなく、「落ちこぼし」だと言っています。自分で落ちこぼれていくのではなく、教育体制が悪くて「落ちこぼし」ているということですね。Oさんが書かれているように、「日本の教育はできない子へのフォローが苦手」だということですね。

 さて、学力が低い生徒を教えているととても勉強になります。

 学力の高い生徒を教えるのは、とても楽です。その問題を自分が解くことができて、自分で解いた方法を話していれば、それで理解してくれるのですから。自分なりの解き方を工夫もしてくれます。ほっていても伸びていきます。

 でも、学力が低い生徒は、そうはいきません。

 ぼくも含めて、教える仕事をしている人は、基本的に学生時代には、成績がよかった人です。だから理解力もある。

 しかし、自分が簡単に解けた問題を、自分が理解したとおりに説明しても、学力の低い生徒は理解してくれません。

 だからその生徒が分かるように説明してあげなければいけません。自分の世界ではない、まったく新しい世界です。理解力のない生徒がいだいている世界をつかまないとその生徒は分かってくれないのです。

 Oさんが書かれている図形もそうです。
 ぼくらにすれば、当たり前に描かれている図形が見えないのです。
 「隠し絵」というのがあります。ごちゃごちゃした絵のどこかに動物の絵などが描かれている。
 見える人には、すぐ見えるのですが、見えない人にはどうしても見えない。
 ああいうものでしょうか。
「ちゃんと見れば分かるじゃない」と分かる人はいいます。しかし、それが見えないのですね。

 それで、教え方の工夫が始まります。分からない生徒が分かるようにするためにはどうすればいいのか。工夫の毎日ですね。

 理解力のない生徒は、ぼくらの教え方をきたえる、きびしい先生なのですね。

 Oさんも、そのような中で「色鉛筆識別法」を編み出してきたのだと思います。

 分からない生徒を分からせるには、こちらが変わらなければいけないのですね。生徒が描いている世界を理解して、それでも分かるやり方を工夫しなければいけないのですね。

 そういう子は、とんでもない考え方をすることがあります。そして、ありえない答えを出します。

 そういうとき、ぼくは
「なぜ、そんな答えになったの? どう考えたのか教えて。叱っているんじゃないよ」と言うことがあります。
 ぼくの知らない世界を見たいのです。

 Oさんも書かれているように
「教えてできるようになっていく子どもさんを見るのは嬉しいもので、やりがいのある仕事」です。

 教え方を工夫し、それによって子どもが理解してくれたときのうれしさは格別です。

頻度を表す副詞の位置
 英語で,頻度を表す副詞というのがありますね。

always (いつも),usually (ふつうは,たいてい), often(しばしば,よく), sometimes(ときどき),never(決して~ない)

 などです。

 この頻度を表す副詞は,
 一般(do)動詞の場合は動詞の前に,
 be動詞の場合は動詞の後ろにおきます。

 面倒ですね。一般動詞かbe動詞かで位置が違うとは。

 なかなか覚えられません。生徒にもその原則だけを教えておしまいにしていました。何か,その区別をつけるいい方法はないかな,と思いながら。

 そして,ある日気づいたのです。考えているとアイデアが浮かぶものです。

 その位置ってnotの位置と同じではないか,と。

 I do not like apples. not は一般動詞の前に来ます。

 I am not tall. notはbe動詞の後に来ます。

 notの位置はもうみんな覚えています。いや,覚えていなければいけません。
 頻度の副詞の位置はnotの位置と同じだよ,と教えればいいのです。
 そして,notも頻度の副詞の一つとして考えていいのではないでしょうか。
 never(決して~ない)と同じです。辞書にも「副詞」とあります。
 do not になることはありますが,副詞であることは間違いありません。

 有名すぎて,頻度の副詞のところに書かれていないだけなのではないでしょうか。

 notも頻度の副詞だ。notは一般(do)動詞の前に,be動詞の後ろに来るね。だから,always などの頻度の副詞もそこに来るんだよ。

 最近,そう教え始めていますが,子どもたちは理解しているでしょうか。うんうんうなずいてはいますが。

「もう,これは捨てなさい」
 中学3年生は,最後のテスト,学年末テストです。それに向けての対策をやっていました。

 K子さんが質問にやってきました。理科,秒速を求める問題です。「1秒間に50打点する記録タイマー」などが出てくる問題です。

 途中までは何とか説明を加えてやってきましたが,なかなか進みません。前に何度もやった問題ですが,頭に残っていません。それで,ぼくはこういいました。

「もう,これは捨てなさい」

 そして,「これはこれ以上やっても,明日のテストでは点数はもらえないよ。それよりも2分野のあなたがある程度分かる問題に集中した方がいいよ」と。

 そして,
 「テストは明日だよ。まったく分からない問題を一から理解するのは難しい。それよりも,もう少しで完全に理解できそうだと思う問題に集中したほうがいい」と付け加えました。

 テストに対する意欲はあるのですが,理解力がついて来ないのです。

 かわいそうだとは思います。ほかの生徒は一所懸命に解いている問題を,「あなたはもう捨てなさい」と言われるのですから。

 ぼくもすっきりしているわけではありません。何とか理解させたいとは思うのですが,時間との問題です。そして,これに時間をかけていては別の問題に時間をかけることができません。

 ある程度くると,優先順位をつけながらさせなければいけません。100点をねらって50点しかとれないというより,70点をねらって70点を取った方がいいと思うのです。

 これから入試に向かいます。「もうこれは捨てなさい」ということがたびたび起こるかと思います。

 「もうこれは捨てなさい」
 みなさんはどう思いますか。


mixiセルフラーニングに立ち上げたトピックです。

セルフっ子15期生の訪問
 日曜日の夜,セルフっ子15期生の訪問がありました。

 Yuzuさん,Harunaさん,Wakanaさん,Erikaさん,Erinaさんの5人です。

 もう中学を卒業したのは8年も前のことです。みなさん美しい乙女になっています。

 就職した子,学生の子,就職活動の子,就職が決まった子などなど。

 Yuzuさんは,小学1年から高校2年(?)までセルフ塾にいた最長在籍の子です。

 また,Erinaさんは1歳で保育園に入園。そして小学,中学,高校とセルフ塾です。大学生のときには学習援助者をやってもらいました。

 その他の生徒も長いつきあいです。家族の一員が久しぶりに帰ってきたようなものです。

 セルフ塾にいたころの話,現在の話,将来の話など,話はつきません。3時間ほどおしゃべりを楽しみました。

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相対と絶対
 「相対」と「絶対」は,対語になっています。

 相対は,他との関係の上に存在あるいは成立していること


 それに対して

 絶対は,他に比較するものや対立するものがないこと。

 です。

 それだけの説明では分かりにくいでしょうから,具体的な例で説明します。

 学力を測るものさしとして,「絶対評価」と「相対評価」があります。

 ぼくが学生のころは,学校の成績は相対評価でした。
 クラスの7%が5,22%が4,42%が3のように割合が決まっていたのです。だから,成績が5だと,「頭いいな」と言われたものです。これは他の生徒と比較しての評価です。例えば,もっと頭のいい生徒がいれば,ふつうなら5をもらえた生徒が4になることもあります。競争の世界ですね。

 それに対して,最近は「絶対評価」になっています。他の生徒と比較することはありません。かけざん九九が全部覚えたら,5というように決めるとします。すると,クラスの全員が5ということもありうるわけです。

 他と比べるのが相対で,他と関係ないのが絶対という感じです。

 100m競争をしたとしましょう。1位はAさん,2位はBさんと順位をつけるのは相対評価です。だからだれと走ったかが問題になります。遅い人のグループで走ったら1位だったのに,速い人のグループで走ったら5位だった,ということになります。

 それに比べると100mを12.0秒で走った,というのは絶対評価ですね。これはだれと走ったかは関係ない。100mを12.0秒で走ることができるという評価がでるのです。

 高校入試のようなのは相対評価です。ほかの生徒と比較して,定員以内の順位であれば合格です。ほかの生徒を蹴落とさないと合格できない。
 それに対して,英検や漢検は,絶対評価です。毎年出題される問題の難易度が同じとして,それの何%正解すれば合格ということで決まっています。ほかの生徒との競争ではありません。いっしょに仲良く合格することもできます。

 理念としては,絶対評価がいいとぼくは思います。ただ,絶対評価のものさしがきちんとしているかが問題です。英検,漢検にしても問題の難易度をきちんと把握して協会は合格ラインを決めているかどうかです。学校の絶対評価はまだまだあてにならないものです。

 いずれにしろ,絶対,相対のイメージはできたと思います。

 もう一つ,例を。

 絶対音感というのがありますね。

 ある音の高さを他の音と比較せずに識別する能力です。

 それに対して,相対音感というのは,

 ある音の高さを他の音との関係において識別する能力。


 ピアノの音を2つ出します。ピン,ポーンと別々に時間差をつけて。そして「どの音が高いですか?」と質問します。
 「最初の音の方が後の音より高いです」と答えたりします。微妙な高さの差の場合には難しいのですが,差が大きいとほとんどの人が識別できます。

 ところが,ピアノの音を1つだけ出して,「この音の高さは?」と問われても,ほとんどの人は「?????」です。
 でも,それが分かる人がいます。「これはドの音です」などと答える。そういう人は全体音感がある人です。踏切のキンコンキンコンという音の高さが分かる,というのですからびっくりです。

 このように音感にも,絶対音感,相対音感があるのですね。他の音と比較するかどうかです。

 最初の定義です。

 相対は,他との関係の上に存在あるいは成立していること
 絶対は,他に比較するものや対立するものがないこと。

 

「相対性理論」の「相対」はどういう意味か。

 ニュートンの絶対時間,絶対空間に対するものなのです。

 現在,2009年1月7日午後0時29分54秒です。

 ぼくらは普通,世界中の人が同じ時刻にいると思っています。もちろん,時差はありますが,それを調整して判断します。時の流れは,何と比較することなく,刻々と過ぎていく。一直線に同じ調子で。そういう意味で,時間が絶対なのです。

 また,日本の沖縄県読谷村座喜味****番地でぼくはPCに向かっています。それは絶対的なものです。ぼくはそう感じています。絶対的な空間です。

 しかし,アインシュタインの相対性理論によると,そのような絶対的時間や絶対的空間はない。

 光速に近いロケットにいる人の時計を,地上にいる人が見ると遅れているようにみえます。時計の進みが異なるのです。だれが時計を見るかによって,違ってくるのです。だから時間は相対的なのです。

 また,光速で走るロケットの長さは縮んで見えます。縮むのです。これもだれが見るかによって違っています。相対的な空間です。

 だから,ニュートンの絶対時間,絶対空間に対して,相対性を唱えたので,アインシュタインの理論は「相対性理論」と言うのです。

「三角形の対応する順序」への感想
 東京都のOさんから,メールをいただきました。ありがとうございます。

 1/3付けの「三角形の対応する順序」、参考になりました。ちょうど苦手な子がいるので今度復習問題を解くときに試してみます。私はいままで色鉛筆で辺や角を色分けして「赤、青、オレンジの頂点の順番だよ」と教えてきました。いまいち効果がなくて、いつも困っています。学校に色鉛筆セット持って行かせるのも現実的じゃないですし。

 このような細かい部分のテクニックに関しても、仲松さんは集積知をお持ちだと思います。これからもがんばってください。



 色鉛筆を用いるのはいいアイデアですね。
 特にいろいろ混み合った図の中にある合同な2つの三角形。これを色分けして,どの三角形について考えているんだ,というのにはとても効果がありますね。

 読んでくださる人がいると励みになります。これからもがんばります。

芥川龍之介の「藪の中」とアインシュタインの相対性理論
 「ゼロから学ぶ相対性理論」を読んでいます。なかなかいい本です。


 さて,そこに,芥川龍之介の「藪の中」とアインシュタインの相対性理論がよく似ていることが書かれています。とてもすばらしいところに目をつけたと思いました。

 それで,ぼくなりに書いてみます。

 芥川龍之介の「藪の中」のあらすじは次に書きました。

「藪の中」のあらすじ

 さて,「藪の中」では,女が盗人に犯される。そして女の夫が死ぬ。そこまではいいです。みんなの証言が一致しています。

 しかし,だれが男を殺したのか,まったく証言が異なっているのです。

 盗人は自分が殺したと言う。女は女で自分が殺したと言う。また男は自殺したと言う。そして,そうなったいきさつが書かれています。どちらの言い分も納得するもので筋が通っています。何が真実なのか,「藪の中」ということです。

 同じ事件であっても,見る人の立場が異なるとまったく異なってみえるということでしょうか。

 アインシュタインの相対性理論というのは,まさにそうです。

 ロケットに乗って光速に近い速さで飛んでいる人Aさんがいます。その人が地上にいる人Bさんの時計を見て
「おい,あなたの時計は遅れているよ」と言います。

 一方,地上にいるBさんは「なにを言っているんだ。遅れているのはあなたの時計ではないか」と言います。

 また,AさんはBさんに「あなたのものさしは縮んでいるよ」と言い
 BさんはAさんに「縮んでいるのはあなたのものさしだよ。」と言い返します。

 見る人によってまったく違った見え方をするのです。それが相対性理論なのです。まったく「藪の中」ではないですか。

 よく似ていておもしろいと思います。 

 前にも書きましたが,「ゼロから学ぶ相対性理論」の帯に「相対論は小説より奇なり」とあります。まさにその通りです。「藪の中」より,「相対性理論」の方が「奇」です。

芥川龍之介著「藪の中」のあらすじ

 芥川龍之介著「藪の中」のあらすじです。

 青空文庫からコピーし,すじが分かる範囲で短くしてました。
 ぼくは中学生か高校生のときにそれを読みました。おもしろかったです。すごいなあと思いました。まだ読んでいない方は,ぜひ読んでみてください。ぼくのあらすじだけで終わるのはもったいないですよ。
 
 なぜ,あらすじを書いたかは次の記事に書きます。





     検非違使《けびいし》に問われたる木樵《きこ》りの物語
 わたしは今朝《けさ》いつもの通り、裏山の杉を伐《き》りに参りました。すると山陰《やまかげ》の藪《やぶ》の中に、あの死骸があったのでございます。


     検非違使に問われたる旅法師《たびほうし》の物語
 あの死骸の男には、確かに昨日《きのう》遇《あ》って居ります。昨日の、――さあ、午頃《ひるごろ》でございましょう。あの男は馬に乗った女と一しょに、関山の方へ歩いて参りました。


     検非違使に問われたる放免《ほうめん》の物語
 わたしが搦《から》め取った男でございますか? これは確かに多襄丸《たじょうまる》と云う、名高い盗人《ぬすびと》でございます。人殺しを働いたのは、この多襄丸に違いございません。


     検非違使に問われたる媼《おうな》の物語
 はい、あの死骸は手前の娘が、片附《かたづ》いた男でございます。名は金沢《かなざわ》の武弘、年は二十六歳でございました。娘の名は真砂《まさご》、年は十九歳でございます。
 武弘は昨日《きのう》娘と一しょに、若狭へ立ったのでございますが、こんな事になりますとは、何と云う因果でございましょう。

       ×          ×          ×

     多襄丸《たじょうまる》の白状
 あの男を殺したのはわたしです。しかし女は殺しはしません。

 わたしは昨日《きのう》の午《ひる》少し過ぎ、あの夫婦に出会いました。その時風の吹いた拍子《ひょうし》に、牟子《むし》の垂絹《たれぎぬ》が上ったものですから、ちらりと女の顔が見えたのです。わたしはその咄嗟《とっさ》の間《あいだ》に、たとい男は殺しても、女は奪おうと決心しました。

 その内に竹が疎《まば》らになると、何本も杉が並んでいる、――わたしはそこへ来るが早いか、いきなり相手を組み伏せました。たちまち一本の杉の根がたへ、括《くく》りつけられてしまいました。わたしはとうとう思い通り、男の命は取らずとも、女を手に入れる事は出来たのです。

 泣き伏した女を後《あと》に、藪の外へ逃げようとすると、女は突然わたしの腕へ、気違いのように縋《すが》りつきました。しかも切れ切れに叫ぶのを聞けば、あなたが死ぬか夫が死ぬか、どちらか一人死んでくれ、二人の男に恥《はじ》を見せるのは、死ぬよりもつらいと云うのです。わたしは男の縄を解いた上、太刀打ちをしろと云いました。わたしの太刀は二十三|合目《ごうめ》に、相手の胸を貫きました。すると、――どうです、あの女はどこにもいないではありませんか?


     清水寺に来れる女の懺悔《ざんげ》
 ――その紺《こん》の水干《すいかん》を着た男は、わたしを手ごめにしてしまうと、縛られた夫を眺めながら、嘲《あざけ》るように笑いました。わたしは夫の眼の中に、何とも云いようのない輝きが、宿っているのを覚《さと》りました。そこに閃《ひらめ》いていたのは、怒りでもなければ悲しみでもない、――ただわたしを蔑《さげす》んだ、冷たい光だったではありませんか? 

 その内にやっと気がついて見ると、あの紺《こん》の水干《すいかん》の男は、もうどこかへ行っていました。わたしはよろよろ立ち上りながら、夫の側へ近寄りました。
「あなた。もうこうなった上は、あなたと御一しょには居られません。わたしは一思いに死ぬ覚悟です。しかし、――しかしあなたもお死になすって下さい。あなたはわたしの恥《はじ》を御覧になりました。わたしはこのままあなた一人、お残し申す訳には参りません。」

 夫はわたしを蔑んだまま、「殺せ。」と一言《ひとこと》云ったのです。わたしはほとんど、夢うつつの内に、夫の縹《はなだ》の水干の胸へ、ずぶりと小刀《さすが》を刺し通しました。。とにかくわたしはどうしても、死に切る力がなかったのです。


     巫女《みこ》の口を借りたる死霊の物語
 ――盗人《ぬすびと》は妻を手ごめにすると、そこへ腰を下したまま、いろいろ妻を慰め出した。おれは勿論口は利《き》けない。が、おれはその間《あいだ》に、何度も妻へ目くばせをした。この男の云う事を真《ま》に受けるな、何を云っても嘘と思え、――おれはそんな意味を伝えたいと思った。が、盗人はそれからそれへと、巧妙に話を進めている。盗人にこう云われると、妻はうっとりと顔を擡《もた》げた。おれはまだあの時ほど、美しい妻を見た事がない。妻は確かにこう云った、――「ではどこへでもつれて行って下さい。」

 妻は夢のように、盗人に手をとられながら、藪の外へ行こうとすると、たちまち顔色《がんしよく》を失ったなり、杉の根のおれを指さした。「あの人を殺して下さい。わたしはあの人が生きていては、あなたと一しょにはいられません。」――妻は気が狂ったように、何度もこう叫び立てた。盗人はじっと妻を見たまま、殺すとも殺さぬとも返事をしない。妻はおれがためらう内に、何か一声《ひとこえ》叫ぶが早いか、たちまち藪の奥へ走り出した。盗人は妻が逃げ去った後《のち》、太刀《たち》や弓矢を取り上げると、一箇所だけおれの縄《なわ》を切った。

 おれの前には妻が落した、小刀《さすが》が一つ光っている。おれはそれを手にとると、一突きにおれの胸へ刺《さ》した。


最上級、of と in

mixi授業の工夫のコミュに出たトピックに書き込んだコメントです。



 図解英語基本語義辞典には、

 of : 本来は対象からの分離を表すが,物理的分離ではなく,零困気・性質などの 影轡を引ぎずりながら分離する《部分》《起源》《分離》《関連》を表す.
of.jpg



とあります。ofの本来の意味は「分離」ですが、それから派生して「部分」を表します。

 最上級の場合のofは、all boys の中から取り出して離れる感じで、その中の部分を表すと考えていいのではないかと思います。

田の字表,比を簡単にして
 いま,中学3年生は学年末テストにむけての学習に励んでいます。数学は「相似」がかなりのウエイトをしめています。

 相似は,比ですから,田の字表が大活躍です。

「田の字」って何?


 さて,
 6:4=9:x を田の字表に入れると,下のようになります。

┌──┬──┐
│ 6 │ 4 │
├──┼──┤
│ 9 │ x │
└──┴──┘

 縦にみると,6:9になっています。この比は簡単にして
 2:3になりますね。

 それで,田の字の枠を増やして,曲の字表にして

┌──┬──┬──┐
│ 2 │ 6 │ 4 │
├──┼──┼──┤
│ 3 │ 9 │ x │
└──┴──┴──┘

 こうなると,真ん中をかくして

┌──┬──┐
│ 2 │ 4 │
├──┼──┤
│ 3 │ x │
└──┴──┘

 2x=3×4 で,x=6をすぐに求めることができます。

抗体のたとえ
 先日、食事をしたあと車に乗ったのですが、先ほど食べた食べ物のかすが奥歯にはさまっていました。ツマヨウジはありません。舌や指で取り出そうとするのですが、なかなか取れません。いやな気持ちです。

 そのときに思いました。抗体、免疫ってこんなものじゃないのかな、と。

 ヤフー辞書からです。

 こう‐たい【抗体】生体内に抗原が侵入したとき、それに対応して生成され、その抗原に対してのみ反応するたんぱく質。実際に抗体として働くのは免疫グロブリン。免疫体。



 めん‐えき【免疫】 1 病原体や毒素、外来の異物、自己の体内に生じた不要成分を非自己と識別して排除しようとする生体防御機構の一。



 自己の体内に入ってきた「食べ物のかす」を非自己と識別して、排除しようとするのだから、かなり似ているなあと思います。


 生徒に説明するとすると
 
 食べ物のかすが歯にはさまったときに、取り出したいでしょう。舌や指を使ったり、ツマヨウジをつかったりして。それは、自分の体でないものは排除しようとする仕組みが人間、動物には備わっているんだよ。

 体の中に病原菌が入ってきたとするだろう。そのときに、それは自分のものではないと判断して、やっつけるんだよ。

 また、心臓移植をしたとするね。そのときに自分の体かどうかというのを体は見分けようとするんだよ。自分と同じだと判断すると、そのまま心臓は動き続ける。しかし、自分の体とはちがうものだと判断すると、排除しようとするんだよ。歯に食べかすがからまったようにね。


三角形の対応する順序
 きょう3年生のShoyaくんが間違い直しできました。相似の問題です。それが対応する順に書いていないので間違えているのです。

 三角形の合同、相似の証明などでは、対応する順に書かなければいけませんね。しかし、慣れるまでは、その対応する順がなかなか分からないようです。特に三角形が裏返しになっていたり、逆さまになっているときには見分けきれないようですね。

 ここでは、合同な三角形で説明します。相似の場合も基本的に同じですね。

taiousurujun.jpg

 それで△ABCと合同な三角形をいう場合、まず、△ABCを下左のように、矢印で印をいれます。A→B→C になるようにするのです。

 それから、△DEFに同じような矢印を入れるように指示します。よく分からない場合は、3cmの辺にそっていき、60°のところで曲がって、5cmの辺にそって行くように引くんだよ、と言います。

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 同じような矢印が引けたらその順に書けば対応する順になっていますね。

算数数学教授法を書いたら絶対売れますよ
 東京都のOさまからメールをいただきました。

はじめまして。いつも楽しくこちらのブログを拝見しております。このたび「わかる 解ける できる 中学数学中1~中3」を購入いたしました。正誤表をお送りいただけると助かります。
(中略)

 私、塾講師を務めておりまして、ブログ内の数学、英語に関する諸々の記事はとても参考になります。人に何かを伝えるのは大変ですが、相手ができるようになってくれるととても嬉しいですよね。
 新年早々不躾なメールで申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。
(中略)

 次は是非、教師や講師向けに算数数学教授法について一冊書いてください。絶対売れますよ。



 Oさま、ありがとうございます。ぼくが書いている数学や英語の教え方がことがみなさんの参考になっていて、一人でも多くの子どもたちが、わかるようになればうれしいです。

 今年もがんばってブログを更新していきたいと思います。

ICレコーダー,新旧交替
 これまで使っていたICレコーダーの調子がおかしいので,買い換えました。

 古い方はオリンパスのVoice Trek DS-650

 2000年の9月24日に近くのベスト電器で買っていますね。値段は22800円もしました。もう10年近く使ったことになります。

 新しく買ったのは,オリンパスのVoice Trek Vn 6200 。アマゾンで買いました。こちらの値段は消費税込みで,¥3,680 。何と約6分の1です。

 数日使っていますが,新しい方が便利です。

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臨時チェック係
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 中学3年生は,この冬休みは休みは1月1日だけ。あとは,受験勉強です。といっても,休み明けにすぐ学年末テストがあるのでそれに向けての対策をやっています。

 そこで必要なのがチェック係り。卒業生のH嘉AyakaさんとS袋Shunくんにやってもらっています。Shunくんは小学4年のときにセルフ塾にいました。二人とも現在高校1年生です。

光速度不変の原理
 光くんは、陸上競技100m走の選手です。オリンピックをめざしてがんばっています。現在の記録は10.0秒。かなりいい記録ではありますが、世界のレベルにはまだ達していません。
 それを出してからもうだいぶ経つのですが、10秒を切ることができません。走っても走っても記録は10.0秒。

 きょうも新記録をねらって走ります。しかし、あいにく台風が接近し、追い風になっています。これでは追い風参考記録にしかなりません。

 追い風参考記録というのは知っていますね。風が後ろから吹いていると、走る人は後押しをされるようなものですから、速く走ることができるのです。だから、追い風2.0m/sを超えると記録は公認されず、参考記録にとどまるのです。とにかく速く走ることができます。

 記録は参考にしかなりませんが、順位は決まります。必死で走らなければいけません。

 さて、スタートにつきました。台風の強風域に入っているようで、15m/sを越える強い風が吹いています。
 スタートしました。ほとんどの選手が追い風に乗って快調に飛ばしています。しかし、どうしたことでしょうか。光選手が伸びません。どんどん離されていきます。そしてそのままゴール。
 光選手のタイムは今回も10.0秒です。追い風ですが、いつもと変わらない記録です。

 それから1ヶ月が経ちました。また、大切な大会です。今度はリベンジで光選手も張り切っています。

 ところがあいにくの向かい風です。今度は前の方から強い風が吹いてきます。今度も15m/s。ただし前と逆で向かい風ですから、記録は伸びないと思われます。風に逆らって走らないといけません。

 スタートラインについて、スタート。他の選手は強い風でとても走りにくそうです。体が前に進みません。しかし、光選手は向かい風をものともせずに走っています。他の選手を大きく離して1位でゴールです。
 さて、タイムは。なんとまたしても10.0秒。この向かい風でこの記録はすごいです。

 追い風でも向かい風でもまたまたいろんな条件下でも光選手の記録、速度はまったく変わりません。何とも不思議です。
 だれからともなく、「光速度不変の原理」と呼ばれるようになりましたとさ。



「光速度不変の原理」というのは、真空中の光速度は、互いに等速度運動するすべての観測者に対して不変である、という原理。特殊相対性理論の基本原理の一。

 です。
 上の話はぼくが作ったものです。身近のものに喩えると分かりやすいかなと思って作ってみました。

 いま「ゼロから学ぶ 相対性理論」を読んでいます。その帯に「相対論は小説よりも奇なり」とあります。上の光選手が追い風でも向かい風でも速度が変わらないというのも本当にあったら不思議ですが、光の速度が変わらないというのは、それ以上に不思議なことです。
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