FC2ブログ
セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

「三角形の対応する順序」への感想
 東京都のOさんから,メールをいただきました。ありがとうございます。

 1/3付けの「三角形の対応する順序」、参考になりました。ちょうど苦手な子がいるので今度復習問題を解くときに試してみます。私はいままで色鉛筆で辺や角を色分けして「赤、青、オレンジの頂点の順番だよ」と教えてきました。いまいち効果がなくて、いつも困っています。学校に色鉛筆セット持って行かせるのも現実的じゃないですし。

 このような細かい部分のテクニックに関しても、仲松さんは集積知をお持ちだと思います。これからもがんばってください。



 色鉛筆を用いるのはいいアイデアですね。
 特にいろいろ混み合った図の中にある合同な2つの三角形。これを色分けして,どの三角形について考えているんだ,というのにはとても効果がありますね。

 読んでくださる人がいると励みになります。これからもがんばります。
スポンサーサイト




芥川龍之介の「藪の中」とアインシュタインの相対性理論
 「ゼロから学ぶ相対性理論」を読んでいます。なかなかいい本です。


 さて,そこに,芥川龍之介の「藪の中」とアインシュタインの相対性理論がよく似ていることが書かれています。とてもすばらしいところに目をつけたと思いました。

 それで,ぼくなりに書いてみます。

 芥川龍之介の「藪の中」のあらすじは次に書きました。

「藪の中」のあらすじ

 さて,「藪の中」では,女が盗人に犯される。そして女の夫が死ぬ。そこまではいいです。みんなの証言が一致しています。

 しかし,だれが男を殺したのか,まったく証言が異なっているのです。

 盗人は自分が殺したと言う。女は女で自分が殺したと言う。また男は自殺したと言う。そして,そうなったいきさつが書かれています。どちらの言い分も納得するもので筋が通っています。何が真実なのか,「藪の中」ということです。

 同じ事件であっても,見る人の立場が異なるとまったく異なってみえるということでしょうか。

 アインシュタインの相対性理論というのは,まさにそうです。

 ロケットに乗って光速に近い速さで飛んでいる人Aさんがいます。その人が地上にいる人Bさんの時計を見て
「おい,あなたの時計は遅れているよ」と言います。

 一方,地上にいるBさんは「なにを言っているんだ。遅れているのはあなたの時計ではないか」と言います。

 また,AさんはBさんに「あなたのものさしは縮んでいるよ」と言い
 BさんはAさんに「縮んでいるのはあなたのものさしだよ。」と言い返します。

 見る人によってまったく違った見え方をするのです。それが相対性理論なのです。まったく「藪の中」ではないですか。

 よく似ていておもしろいと思います。 

 前にも書きましたが,「ゼロから学ぶ相対性理論」の帯に「相対論は小説より奇なり」とあります。まさにその通りです。「藪の中」より,「相対性理論」の方が「奇」です。

芥川龍之介著「藪の中」のあらすじ

 芥川龍之介著「藪の中」のあらすじです。

 青空文庫からコピーし,すじが分かる範囲で短くしてました。
 ぼくは中学生か高校生のときにそれを読みました。おもしろかったです。すごいなあと思いました。まだ読んでいない方は,ぜひ読んでみてください。ぼくのあらすじだけで終わるのはもったいないですよ。
 
 なぜ,あらすじを書いたかは次の記事に書きます。





     検非違使《けびいし》に問われたる木樵《きこ》りの物語
 わたしは今朝《けさ》いつもの通り、裏山の杉を伐《き》りに参りました。すると山陰《やまかげ》の藪《やぶ》の中に、あの死骸があったのでございます。


     検非違使に問われたる旅法師《たびほうし》の物語
 あの死骸の男には、確かに昨日《きのう》遇《あ》って居ります。昨日の、――さあ、午頃《ひるごろ》でございましょう。あの男は馬に乗った女と一しょに、関山の方へ歩いて参りました。


     検非違使に問われたる放免《ほうめん》の物語
 わたしが搦《から》め取った男でございますか? これは確かに多襄丸《たじょうまる》と云う、名高い盗人《ぬすびと》でございます。人殺しを働いたのは、この多襄丸に違いございません。


     検非違使に問われたる媼《おうな》の物語
 はい、あの死骸は手前の娘が、片附《かたづ》いた男でございます。名は金沢《かなざわ》の武弘、年は二十六歳でございました。娘の名は真砂《まさご》、年は十九歳でございます。
 武弘は昨日《きのう》娘と一しょに、若狭へ立ったのでございますが、こんな事になりますとは、何と云う因果でございましょう。

       ×          ×          ×

     多襄丸《たじょうまる》の白状
 あの男を殺したのはわたしです。しかし女は殺しはしません。

 わたしは昨日《きのう》の午《ひる》少し過ぎ、あの夫婦に出会いました。その時風の吹いた拍子《ひょうし》に、牟子《むし》の垂絹《たれぎぬ》が上ったものですから、ちらりと女の顔が見えたのです。わたしはその咄嗟《とっさ》の間《あいだ》に、たとい男は殺しても、女は奪おうと決心しました。

 その内に竹が疎《まば》らになると、何本も杉が並んでいる、――わたしはそこへ来るが早いか、いきなり相手を組み伏せました。たちまち一本の杉の根がたへ、括《くく》りつけられてしまいました。わたしはとうとう思い通り、男の命は取らずとも、女を手に入れる事は出来たのです。

 泣き伏した女を後《あと》に、藪の外へ逃げようとすると、女は突然わたしの腕へ、気違いのように縋《すが》りつきました。しかも切れ切れに叫ぶのを聞けば、あなたが死ぬか夫が死ぬか、どちらか一人死んでくれ、二人の男に恥《はじ》を見せるのは、死ぬよりもつらいと云うのです。わたしは男の縄を解いた上、太刀打ちをしろと云いました。わたしの太刀は二十三|合目《ごうめ》に、相手の胸を貫きました。すると、――どうです、あの女はどこにもいないではありませんか?


     清水寺に来れる女の懺悔《ざんげ》
 ――その紺《こん》の水干《すいかん》を着た男は、わたしを手ごめにしてしまうと、縛られた夫を眺めながら、嘲《あざけ》るように笑いました。わたしは夫の眼の中に、何とも云いようのない輝きが、宿っているのを覚《さと》りました。そこに閃《ひらめ》いていたのは、怒りでもなければ悲しみでもない、――ただわたしを蔑《さげす》んだ、冷たい光だったではありませんか? 

 その内にやっと気がついて見ると、あの紺《こん》の水干《すいかん》の男は、もうどこかへ行っていました。わたしはよろよろ立ち上りながら、夫の側へ近寄りました。
「あなた。もうこうなった上は、あなたと御一しょには居られません。わたしは一思いに死ぬ覚悟です。しかし、――しかしあなたもお死になすって下さい。あなたはわたしの恥《はじ》を御覧になりました。わたしはこのままあなた一人、お残し申す訳には参りません。」

 夫はわたしを蔑んだまま、「殺せ。」と一言《ひとこと》云ったのです。わたしはほとんど、夢うつつの内に、夫の縹《はなだ》の水干の胸へ、ずぶりと小刀《さすが》を刺し通しました。。とにかくわたしはどうしても、死に切る力がなかったのです。


     巫女《みこ》の口を借りたる死霊の物語
 ――盗人《ぬすびと》は妻を手ごめにすると、そこへ腰を下したまま、いろいろ妻を慰め出した。おれは勿論口は利《き》けない。が、おれはその間《あいだ》に、何度も妻へ目くばせをした。この男の云う事を真《ま》に受けるな、何を云っても嘘と思え、――おれはそんな意味を伝えたいと思った。が、盗人はそれからそれへと、巧妙に話を進めている。盗人にこう云われると、妻はうっとりと顔を擡《もた》げた。おれはまだあの時ほど、美しい妻を見た事がない。妻は確かにこう云った、――「ではどこへでもつれて行って下さい。」

 妻は夢のように、盗人に手をとられながら、藪の外へ行こうとすると、たちまち顔色《がんしよく》を失ったなり、杉の根のおれを指さした。「あの人を殺して下さい。わたしはあの人が生きていては、あなたと一しょにはいられません。」――妻は気が狂ったように、何度もこう叫び立てた。盗人はじっと妻を見たまま、殺すとも殺さぬとも返事をしない。妻はおれがためらう内に、何か一声《ひとこえ》叫ぶが早いか、たちまち藪の奥へ走り出した。盗人は妻が逃げ去った後《のち》、太刀《たち》や弓矢を取り上げると、一箇所だけおれの縄《なわ》を切った。

 おれの前には妻が落した、小刀《さすが》が一つ光っている。おれはそれを手にとると、一突きにおれの胸へ刺《さ》した。

Copyright © セルフ塾のブログ. all rights reserved.