どっちも正しいよ。間違っていないよ、と答えました。
じゃあ、なぜ二つの言い方があるの。
もともとは一つなんだけども、日本人がそれをどのように聞いたかによって、そして、それをカタカナに直す時に二つの言い方になったんだよ。
多分、最初は「ガンジー」と聞いたんだろうね。日本語には「ディー」という音がないから「ジー」に聞こえた。
そのうちに、日本人の耳も慣れてきて、どちらかと言うと正確な「ガンディー」という言い方も出てきたんだと思う。
みんなは野球の「チーム」というだろ。チームは team と書く。どちらかというと「ティーム」と発音した方がいいね。
明治のころ、「ティーム」という発音を聞いた人は、「ティー」という音が「チー」に聞こえたんだろう。だから「チーム」になった。日本語には、もともと「ティー」という音はないから。
では、紅茶、お茶のことを英語ではなんていう?
ティー。
そう、お茶のことを「ティー」っていう。これを「チー」といったらおかしいね。
「アイスチーをください」なんて言ったらみんなに笑われてしまう。
お茶の「ティー」は tea と書く。この「ティー」も「チーム」の「チー」も同じ音なんだ。「ティー」というカタカナにするころには、日本人の耳が英語の発音に慣れてきたんだろう。
このように同じ英語の発音も聞き方によってちがったように聞いてしまった。
こんな感じで「ガンジー」と「ガンディー」も出てきたんだよ。たぶん。
大学無事合格しました\(^∀^)/
獣医学部ではないけど
九州保健福祉大学の薬学部動物生命薬科学科に合格しました(^ω^)
そこに2年通って3年からは
フィリピン国立大学の獣医学部に編入して獣医の資格が取れるらしいので
そこで獣医の資格を取ろうと思っています(^^;
Kさんについては次のページでも紹介しました。
不登校児Kさんのこと
これ,Yojiさん,Kyokoさんに見せたいね
不登校だったKさんがここまで頑張ってくれるとは、本当に感慨深いものです。ここまで頑張ることができるとは正直のところ思いもしませんでした。
彼女の中にそういう種があったのです。その種が芽を出して成長することに少しでもお手伝いできたかと思うとうれしくなります。
しかし,ぼくは彼らに「今年の入試では『イオン』は出ないよ」と言っています。
ぼくの推理ではありますが,かなり自信があります。
なぜなら,過卒生{過年度卒業生、去年卒業した浪人生)は「イオン」を学校では学んでいないからです。
数は少ないかもしれませんが,一部に学んでいない人たちがいるのです。学校の先生の怠慢によって授業でやらなかったというわけではなく,制度的に,彼らは学んでいないのです。
もし,イオンを出題したら,「ぼくらはそんなの習っていないよ。不公平だ」という不満が過卒生から出てくるでしょうね。そして,実際に不公平です。出題者はそれに反論できないはずです。
だから,今年はイオンは出題されないのです。
実際には,受験勉強はほとんど塾や自分でやっているはずです。だから,イオンが確実に出題されると知っていたら,塾や自分で勉強して,特に問題なくできるはずです。でも,学校関係者は,塾でやっているはずだ,とは言えるはずがありません。
ぼくは,ふだんは点数のための学習はさけますが,高校には合格しなければならないので,いまは合格に向けた学習を行っています。だから,出ない問題はやりません。
受験生にも,これはいまやらなくてもいいよ。でも,高校に行ったら,やったものとして授業は進むはずだよ,とも付け加えています。
ぼくは,来年度はイオンが出題されると思っています。来年度も2年浪人の人がいないとはいえないでしょうが,ほとんどいないといっていいでしょう。いつまでもそのようなことは言っていられない。今年は出さないので,来年は出る。ぼくはそうにらんでいます。
13日(土曜日)
午前10:00~午後1:00 中3年生,受験勉強
午後3:00~6:00 中学1,2年生学年末テスト勉強
14日(日曜日)
午前10:00~午後1:00 中3年生,受験勉強
午後4:00~7:00 中学1,2年生学年末テスト勉強
個人的な都合があり,土曜日と日曜日の時間が少し異なります。ご了承下さい。
知人からメールが届きました。転送すべきメールです。その中に「旧正月の大晦日(13日)、」とありました。
僕は大晦日というのは12月 31日なのだから、彼が31日を間違えて13日としたと思ってしまいました。それで、13日を31日に変えて,転送しました。
でも、落ち着いて考えてみると陰暦には 31日はないはずです。月の公転周期は29日あまりです。だから、陰暦では せいぜい30日までしかないはずです。陰暦について詳しくは知らないのですが、たぶんそうです。
それでカレンダーを見てみました。旧暦の大晦日は12月30日でした。
彼は大みそかということで13日としたのではなかったのです。
今年の旧暦の大晦日は 3月13日。その13日だったのです。
僕のいらのおせっかいでした。訂正、おわびメールを送りました。
ぼく自身、自分をとりまいている巨大な宇宙のことを考えれば、眩暈(めまい)を覚えずにはいられない。
宇宙とは何なのか、ぼくは知らない。宇宙の始まりには何があったのか。なぜ物質というものが存在し、恒星と惑星ができ、生命が誕生したのか。ここにいて、宇宙を眺め回している「ぼく」とは何なのか。
ぼくは何も知らない。だからこそ、畏れを覚える。自分の理解力を超えた存在・・・遥かな高みにあるのか、地の果てにあるのかはわからないが、永遠に触れることのできない何かが、どこかに存在していることを、ぼくは感じる。
それをいま、「超越的存在」と呼んでおこう。
だがそれは、少なくともぼくにとっては、宗教画に描かれたイエスや、仏像として表現された仏陀のイメージとは大きく隔たったものだ。あまりにも遠く、あまりにも巨大で、人間の叡智や認識能力の限界を超えたもの・・・1目で見ることも、心の中に想い浮かべることもできない、けっして具体的なイメージではとらえることのできない何ものか・・・それが「超越的存在」ではないだろうか。
イエスも、釈迦も、一人の生身の人間として、その「超越的存在」の前に立たされていた。
ぼくは、イエスの前に跪(ひざまず)こうとは思わない。釈迦の前に平伏すつもりもない。 ただ彼らと同じように、(不遜な言い万かもしれないが)彼らと肩を並べて、「超越的存在」の前に佇(たたず)んでいたいと思う。
それゆえ、われわれはよく考えるようにつとめよう。
とパスカルは言った。ぼくは、せいいつばいに「考え」たつもりだ。その考えたことのすべてを、この本の中に書き記した。イエスと釈迦は、生まれた年代も違うし、置かれた状況も異なっている。
けれども、生身の人間が、可能な限りの意志と洞察力をもって、「超越的存在」と対決したという点では、二人の人生の軌跡は見事なほどに重なっている。イエスも釈迦も、強い意志の力と深い洞察力をもった、並はずれた人間であったことは間違いない。しかし彼らが「超越的存在」そのものであったわけではない。彼らは生身の人間だった。
書き加えることはありません。「そうだ」と思います。
また好きな作家ができてしまいました。読みたい本が多くなります。
嘉手納高校の倍率が上がることは予想はしていました。なぜなら,嘉手納高校野球部の甲子園出場が決まったためです。
だいぶ前になりますが,読谷高校が甲子園に出場したことがあります。その年,読谷高校の倍率が極端に上がったのです。
野球をする生徒が甲子園出場校に受験するのは分かります。しかし,まわりの話を聞くと,どうもそうではないようなのです。女生徒も多くなっているとのこと。また,男の子でも,まったく野球をする気もないが読谷を受けるというのです。
まだよくその子たちの心理は理解できませんが,甲子園出場ということで有名になったから,という単にそれだけの理由で,受験校を決めているようなのです。
それで,今年,嘉手納高校の甲子園出場が決まって,嘉手納の倍率が上がるだろうと予想していました。去年は倍率が1以下です。ここ何年も嘉手納はかなりの空き定員があります。
でも案の定,今年は倍率は1.35,49人もオーバーしています。甲子園の魔力です。
ぼくにはまったく理解できません。野球をするなら十分理解できます。野球をするものにとっては,甲子園出場はあこがれですから。
しかし,野球のためではない子がなぜ嘉手納に受験することを決心したのでしょうか。
進路について,よく考えていないのではないでしょうか。
自分は何がしたいのか,十分に考えていればそのような行動は出てこないと思うのです。ぼくの考えが古いのでしょうか。
セルフ塾にはそういう子はいません。嘉手納を受ける子も甲子園出場だからということで,嘉手納に決めたわけではありません。ぼくもその子が嘉手納を受けることは納得しています。
とにかく,倍率があがったというのは現実なのですから,気を引き締めて,受験勉強に励み,合格してもらいたいものです。
予想はしていたのですが、いつもは倍率の低い嘉手納高校総合学科の倍率がとても高くなっています。嘉手納高校野球部の甲子園出場が決まったためだと思われます。その影響もあって、読谷高校普通科の定員が、倍率がいつもより低くなっています。読谷高校を受験する生徒にとっては良かったのですが、嘉手納高校を受験する生徒には厳しくなっています。厳しいということを自覚して、最後まで頑張ってもらいたいものです。
球陽高校,美里工業の倍率もかなり高いです。こちらも気を引き締めて頑張ってもらいたいものです。
平成22年度県立高等学校入学者選抜一般入学初回志願状況
読谷(普通)定員(320)志願者数(253)内定者数(80)倍率(1.05)空定員数(△13)
嘉手納(総合学)定員(160)志願者数(190)内定者数(19)倍率(1.35)空定員数(△49)
球陽(理数)定員(160)志願者数(151)内定者数(64)倍率(1.57)空定員数(△55)
美里工業(調理)定員(40)志願者数(53)内定者数(12)倍率(1.89)空定員数(△25)
浦添商業(国際観光)定員(80)志願者数(57)内定者数(23)倍率(1.00)空定員数(0)
空定員数の△は定員オーバー
平成22年度入学者選抜志願・内定・合格等の状況
15人は、在籍中の35.7%にあたります。12月は,26.2%だったので,9.5ポイント高くなりました。12月が低すぎましたね。でも,少しでも持ち直してよかったです。
受験生である3年生の皆出席が30.8%で,全体より低いです。心配です。
1月もインフルエンザが多かったです。インフルエンザは,個人の出席すべき日数からはのぞきましたが,この記事での皆出席者には含みませんでした。
(小学部)
4年(0人/1人)
5年(5人/8人) 我如古Misaki・濱元Riko・比嘉Ayari・野々部Shunya・長浜Marin
6年(1人/1人) 屋良Kisa
(中学部)
1年(4人/9人) 伊波Saika・国吉Asuka・末吉Kodai・吉山Seiryu
2年(1人/10人) 比嘉Kanta
3年(4人/13人) 伊波Ayaka・宮城Ryota・岸本Wakaho・與古田Rina
以下の生徒は,インフルエンザをのぞいたら皆出席の生徒です。
中1 當山Shuya 中2 奥原Chika・仲宗根Makoto


ヒカンザクラ(緋寒桜) からの引用
ヒカンザクラ(緋寒桜)は、別名をカンヒザクラ(寒緋桜)とも言います。 まだ寒い早春に、新らしい葉より先に、緋色または濃桃色の小花を、枝一杯に咲かせる、樹姿にまとまりのあるバラ科サクラ属の落葉小高木です。花が開ききらず、俯き気味に咲きます。花弁や、ガク(萼)も緋色をしています。
樹形図を黒板に描いて説明すると、Rinaさんが
「試験の時にこれをどこに書こうか、ノートを準備しなければいけないのかな」などと言っていました。
僕は「ノートは持ち込み禁止だろう,数学の場合には問題用紙を破いて,計算用紙として使うんだよ」と言いました。
「問題用紙の裏は白紙になっている。だから問題用紙を破いて裏を使うんだよ」と付け加えます。
子どもたちは,「えっ!!問題用紙を破いていいの?」という反応。
問題を破くということにとても抵抗があるようです。
僕は「毎年,数学の時間には問題を破りなさいと言っている。問題用紙は自分で持ち帰ってもいいことになっている。だからこれをどのように使うが自分の勝手だよ。もちろん,解答用紙は丁寧に扱わなければいけないけどね。」と続けます。
「今まで毎年僕はそのように言って,そして試験の時には破いたという生徒が何名もいるよ。
そして破いたために叱られたという話しを聞いたこともない。だから,今年も破いて,それを計算用紙として使えばいいんだよ。」と話しました。
ほかの都府県ではどうかわかりませんが、沖縄では問題用紙は破いても構わないのです。もちろん,試験官が破いてもいいとは言いません。
問題用紙を破ることに中学生はかなり抵抗があるので、少し強めに押して破くことを勧めます。数学では計算などをしっかりと紙と鉛筆を使ってやらなければいけません。そのためには計算用紙がどうしても必要です。だからそれを、問題用紙を破いてそれに当てるというのは受験テクニックとしても大切なことだと思います。
この程度は自分で考えてもいいはずですが、問題用紙を破くということに抵抗感あるので,自分でそのようにすることはまずありません。だから,ぼくらから勧めた方がいいと思うのです。
もっとはっきり言えば、釈迦の内部には、大きな分裂があったのだ。
解脱に至るのは民衆にとっては至難の道であるということ。そのことを知りながら、釈迦は教団を運営し、ある意味では表面的な教えを説いて、民衆に希望を与え続けた。
釈迦は矛盾を恐れなかった。ある人には禁欲を説き、ある人には禁欲からの解放を説いた。ひたすら禁欲だけを説いたほうが、教義としてはわかりやすい。そこをあえて、状況に応じて、異なる教えを説いたところに、釈迦のスケールの大きさと意志の強さを見る。
細かいことにこだわらずに、悠然と、鷹揚に構えている。そこが宗教家としての釈迦の最大の魅刀だったのだろう。
釈迦と似ているというと,おこがましいのですが,僕も生徒によって指導方法を変えます。
ある生徒には手とり足とり丁寧に説明をし、そして答えの直前まで導いてあげます。別の子には少しだけアドバイスをして、そして追い返すように自分であとはやってごらんといます。
また,ある子には、「ここまででいよ」ということで楽な課題を与えます。別の子にはかなり厳しい課題にします。
子どもたちの能力の差はかなりあります。また性格もまったく違います。だから子どもによって指導を変えなければいけないのです。このように子どもによって変えることができるのは、セルフラーニングの一つの大きな特徴だと思っています。
生徒の中には、「あの子にはこうやるのに私にはこうする。なぜ?」と不満を述べる子もいます。でも、本当の意味での平等というのはその子にあった指導をすることではないでしょうか。どの子に等しくするというのでは,どの子も伸ばすことはできません。
釈迦が「状況に応じて異なる教えを説いた」というのを読んで,気持ちを強くしました。
細かいことにこだわらずに、悠然と、鷹揚に構えている・・・そういう人は私はなりたい。
釈迦は原理を、巧みな譬喩で語ることが多かった。その譬喩の中で、ぼく自身が最も印 象的だと思う物語をここで紹介しておく。
その話を以下に引用しますが、僕もその話は知っていました。とても感銘を受けた物語です。
あるところにキサーゴータミーという女かいた。女は貧しい家の生まれだったが、 男に見そめられて裕福な家に嫁いだ。しかし実家が貧しいために、婚家の人々からは冷遇されていた。だがやがて女に男児が生まれた。女は親族の人々から大切にきれるようになった。女は幸福の絶頂にあった。
その男児が、突然の病で死んでしまった。
女は死んだ男児の遺骸を抱いて、「この子に薬をください」と位きわめきながら、村々をさまよい歩いた。遺骸が無残にひからびていることにも気がつかなかった。村人たちは女を仏陀の前に連れていった。
狂った女は、仏陀に向かって言った。
「この子に薬をください」
仏陀は言われた。
「村々のすべての家を回り、死人を出したことのない家から、芥子種を貰いなさい。それが子供の薬になる」
女は喜んで、村の家を回り始めた。どの家にも芥子種はあった。だが、死人を出したことのない家はなかった。村々のすべての家を回り尽くし、死人を出したことのない家がー軒もないことを知った時、女は悟った。
「わが子だけが死んだのではなかった。死は人の定めだったのだ」
このようにして女は狂気から覚め、尼として仏陀のー行に加わることになった。
どうでしょうか。だれもが苦しみ悩んでいるのです。そう思うと少し気が楽になります。
この物語を久しぶりに読んで、イエスの物語の中に似たような話があったのを思い出しました。それで引用します。
イエスはオリーブ山へ行かれた。朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。
そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。
イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。
これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。
イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」
ヨハネ 8:1-11
各漢字の書き方を1画ずつ、省略せずにすべて示しましてあること、
「とめ」「はね」「はらい」「つける」「出す」など、漢字を書くときのポイントが詳しいこと
漢字の意味がのっていること
をあげ、すばらしいと書きました。
今日、改めてこの辞典をにながめていて、別のよい面を見つけました。
漢字の使い方、例がかなり工夫されているのです。
例えば「来」の字です。音読みでは「ライ」です。その下に例として「来客 ,来週,未来,由来」が書かれています。ふりがながすべてついています。そこまでは普通の辞典です。
訓読みは、「くる・きたる・きたす」です。その下に例として「春が来る・来る十月十日・出来事」という使い方がのっているのです。このように訓読みの例も詳しくのっているというのがこの辞典の特徴です。
漢字の練習の時には、書きだけではなく読み方も大切です。漢字にはいろいろな読み方があります。それをできるだけ覚えなければいけません。このように詳しい使い方があると勉強しやすいと思われます。
なお、旺文社の「1006字の正しい書き方」では、訓読みの例は「出来心」だけです。旺文社の場合は使い方として熟語にこだわっているところがあるように感じます。熟語にこだわると、音読みにかなり偏ってしまいます。訓読みが軽視されるのです。「春が来る・来る十月十日」は、熟語とは言えませんから。
旺文社の「正しいかき方」もかなりいいと思っていたのですが、この小学館の「1006字の書き方辞典」はそれをさらに上回るものだと感心しています。
次のページには
「小学漢字1006字の書き方辞典」の小学館側からの詳しい紹介がのっています。
http://www.web-nihongo.com/dictionary/dic_58/d-index.html

きのう、昼食後にニンニク酒を作りました。ニンニクの皮をむき、容器に入れてそれに泡盛を注ぎました。容器は二つで泡盛は一升です。ニンニクは一つの器に200gぐらいです。1か月後にはニンニク酒が出来ているはずです。
よそでは知りませんが、沖縄ではニンニク酒は健康に良いとかなり重宝されています。多くの家庭でニンニク酒を造っているようです。
子供のころに、風邪をひくとニンニク酒をのまされた記憶があります。からくて、とても飲みにくいので嫌でした。
最近、酒飲み友達の上地Shueiさんがニンニク酒をよく飲んでいると聞きました。医者嫌い、薬嫌いの上地Shueiさんはこのようなもので健康を維持しているのです。
ニンニクは体にもいいと僕も思っているので、ニンニク酒を飲もうかと思ったのです。
それで妻にニンニクと泡盛を買ってきてもらい、作りました。妻は呑みにくいから飲まないと言っています。薬と思って飲まなければいけないと言っているのですがね。ニンニクだけではなく泡盛ものみにくいのでしょうからしょうがないですね。
なお沖縄ではニンニク酒のことをヒル酒と言います。なぜヒル酒というのか、ニンニクをなぜヒルというのか知らなかったので、インターネットで調べてみました。次のような記事が出ていました。
「蒜(ひる)」は、ネギやニンニクの古名。
かむと辛くて「ひりひり」することから→「ひる」
http://www.hana300.com/nobiru.html
ヤフー辞書の大辞泉
ひる【×蒜/×葫】
ネギ・ニンニク・ノビルなど、食用となるユリ科の多年草の古名。
なるほどニンニクなどの古い名前をヒルといったのですね。納得です。
さて、音声入力の場合には声に出して考えをいわなければいけません。人がいると、恥ずかしいです。平日の午前中は、Check係がいるのでできません。
そこで考えたのですが、頭で考えたことがそのまま文字になるというのが将来できるできればいいと思います。
先日テレビでやっていたのですが、脳波で車いすを動かしたりすることができるようになっているそうです。脳波で車いすを動かすというのも驚きですが、脳波で文字を書くというのはけた違いに難しくなると思います。でも、人間はこれまですごいことをやってきました。SFの世界がいま実際にやられているのです。声に出すと文字になるというのもこれまでに考えられなかったことです。
頭で考えたことがそのまま文字になるとまたものすごく便利になると思われます。周りを気にせずに、人が多くいても、コンピューターに向かって頭でいろいろ考えると、そのまま文字になる、いいなと思いますね。
たぶん僕が生きている間には実現しないでしょうが。
x²-4x-3=0を例に説明してみます。
まず-3を右辺に移行します。ここはふつう通りです。
x²-4x=3
次は通常の指導では xの係数(-4)の半分の2乗を両辺に加えるというのをやりますね。
僕は-4xの後ろに少しブランクを作り、そしてその式の下に次のような式を書きます。これから作ろうとする、平方の式の一部です。これからこのような2乗の式を作りたい、と言います。
x²-4x(ア)=3
(x(イ))²=3
(ア)(イ)は、ぼくはブランクにしていますが、説明のために(ア)(イ)にしました。
ふつうは、(ア)から書くように指導しますね。(-4)の半分の二乗を書くんだよ、ということで。
ぼくは、(イ)を先に書くように指導します。これから、このような平方の式を作りたいんだ、ということを確認するのです。
(イ)を入れると次のようになります。(イ)は、xの係数の半分が来るんだよ、と教えます。展開したら、(ー4x)になるためには、半分が来るだろうと考えさせながら。ここでは、(-4)の半分の(-2)です。
(イ)に(-2)を入れると、次のようになります。
x²-4x(ア)=3
(x-2)²=3
そして、(x-2)²を展開すると、x²-4x+4 だから、(ア)に+4を入れます。
x²-4x+4=3
(x-2)²=3
左辺に+4を加えたのだから、右辺にも+4を加えるよ、と言い、
x²-4x+4=3+4
(x-2)²=3+4
とします。
めんどうなようですが、こちらの方が理解しやすいです。何をしようとしているのか分かるのです。
あとは通常通りです。
x²-4x+4=3+4
(x-2)²=3+4
A²=7
A=±√7
x-2=±√7
x=2±√7
小学館「小学漢字1006字の書き方辞典」
漢字検定には、熟語の構成を問う問題が出てきます。
※ 永久、岩石のように,同じ意味の漢字を重ねたもの、
※ 高低、天地のように,反対または対応の意味を表わす字を重ねたもの、
※ 洋画、予告のように,上の字が下の字を修飾しているもの、
※ 握手、着席のように,下の字が上の字の目的語、補語になっているもの
※ 雷鳴、地震のように,主語と述語の関係にあるもの
このようなのは記憶力がものすごく抜群に優れてる人なら一つ一つの塾語の意味を覚えるかもしれません。
それよりも負担が少ないのは、一つ一つの漢字の意味をきちんと覚え、それをこのような熟語の構成に当てはめるということでしょう。
漢字には一つ一つの意味があるので,全く初めて見る熟語でもその構成を予測し,その意味を理解することができます。漢字のものすごく優れた点だと思います。その漢字の優れた点を十分に利用するには,一つ一つの漢字の意味をきちんと覚えることが大切なのです。
そのために先に紹介した小学館の漢字に漢字辞典のように意味がしっかり書かれているものを利用するのは重要なことなのではないでしょうか。
漢字検定に出題されるからという低次元の問題ではなく,漢字を利用するという立場からも漢字の意味を一つ一つきちんと覚えることが必要です。
それで,欲が出ました。ICレコーダで録音した声をVistaで文字化できないだろうか,と思ったのです。それで,ネット上をいろいろ調べましたが,いい情報が手に入りません。それで,サポートセンターに問い合わせしました。
結論は,「だめ」です。オリンパスのICレコーダでは,まだできないようです。
以下,メールの内容です。
すみません。お願いします。
VoiceTrek V-22を使っています。
PCは。
Fujitsu FMV-BIBLO NF/D70
Windows Vista Home Premium
です。
質問は、次です。
VoiceTrekV-22 で録音した音声を、Vistaの音声認識によって文字化、テキスト化する方法は、あるのでしょうか。
よろしく、お願いします。
仲松 様
オリンパスカスタマーサポートセンター担当 Sでございます。
日ごろよりオリンパス製品をご愛用いただき、誠にありがとうございます。
お問い合わせの件につきまして回答させていただきます。
録音した音声を文字に起こす音声認識ソフトをお求めの場合は、
別売のDSS Player 7 Plusと、弊社より推奨のVia Voiceを
組み合わせることで音声認識が可能になります。
<音声認識ソフトウェア対応表>
http://www.olympus.co.jp/jp/support/cs/audio/sound/index.html
また、ViaVoice につきましては、すでに市場での販売を終了しているようですが、
販売元であるニュアンスコミュニケーションズ(株)社のホームページより現在でも
製品をお求めいただけるようでございます。
<ニュアンスコミュニケーションズ(株)社のホームページ>
http://japan.nuance.com/viavoice/
<推奨のViaVoiceソフトウェア名>
・IBM ViaVoice Pro V10 / V10.5
・IBM ViaVoice Premium V10 / V10.5
( ※Standard 版ではご使用になれません。)
しかしながら、ViaVoiceはWindowsVISTAに対応していなく、弊社では
別の音声認識ソフトに関しての情報もないため、他にご提案できる内容が
ない次第でございます。
大変お手数ですが、販売店などでWindowsVISTAに対応した
文字認識ソフトをお探しいただければと存じます。
お問い合わせいただいたにも関わらず、このような回答になりまして、
大変恐縮ではございますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。
オリンパスカスタマーサポートセンター担当 島袋さま
丁寧なご回答,ありがとうございます。
了解いたしました。
できないのは,残念です。
ICレコーダで録音した声を,VISTAで音声認識し,文字化すると便利だと思いますので,その方面の開発を期待しています。
オリンパスのICレコーダは使い心地がいいので,近い将来にぜひ実現して欲しいです。
Risaさんは,セルフ塾の卒業生で,現在看護大学の1年生です。

これまで学習援助者をやってきたAiさんが,卒業前で忙しいとの理由で辞めたので,その後任です。
よろしく。
2月1日に、高校入試の願書受け付け確認がありました。いよいよ3月9日、10日に向け緊張してきました。親としても心をひきしめた生活にはいりました。
○○は、1年の時からまじめに勉強しておけばと言っています。今からその言葉は遅すぎと自分でもわかっているけど口にします!
受験生だからと言って都合が悪い時は逃げようとしますが、特別扱いしないよと言っています。誰にも受験はあり、経験するから大丈夫、失敗したからといって不幸になると決まったものでもない、成功と失敗を繰り返して、人間成長していくから、本番に向け、体調管理も受験の大きなポイントだよと話しています!
入塾した当時のことも時々話したりします。数学が苦手で苦労したことや、あの子は自分で考えて本当にできない時だけ聞きに行くんだ,すごい,と観察していたようです!
動物の観察をしたり,といろいろ塾のことを話しています!
私も(入試のことで)ときどきしています。
(塾から)
「受験生だからといって特別扱いしない」
とても大切なことです。受験生にも家の手伝いなど,きちんと続けてさせるべきですね。
「1年の時からまじめに勉強しておけば・・・」
毎年,そういう生徒がいます。その子に捧げます。
知人に教えていただいた言葉です。だれの言葉かは知りません。
「大学の研究室の壁に貼ってありました。
あなたは十年後にきっと、あと十年でいいから戻ってやり直したいと思っているでしょう。
今やり直してください。
十年後から戻ってきたんですよ、たった今」
十年後から戻ってきたんですよ
爆笑問題のニッポンの教養 | 日々是蛇足 | ミウラ折り
今日インターネットでミウラ折りを祈り方を検索してみました。出ていました。そして実際にミウラ折りをやってみました。少し苦労しましたが、何とかできました。とても面白いと思います。
地図をミウラ折りにしてみよう
今はミウラ折りの地図が商品化されているようです。
僕はそれをマイバック、エコバッグに利用できるのではないかな,と考えました。
僕もマイバックをかばんの中に入れてスーパーなどで利用をしています。使うときはいいのですが、それをしまうときにはたたまないといけません。少々面倒です。だからミウラ折りおりでマイバックに折り目をしっかりつけてすぐに簡単に畳めるようにしたらとても便利だろうなと思います。。商品化してくれたら売れるのではないかな。
それから風呂敷きもミウラ折りおりで折り目をつけたら簡単に畳めて便利なのではないかなと思います。ただ実際に紙でミウラ折りをやってみると,ある程度のコシがないと難しいように感じました。風呂敷のような柔らかいものだと少し難しいかもしれません。ある程度の硬めの生地で風呂敷きにして,ミウラ折りでできるようにすれば面白いかも知れません。
公式ミウラ折りサイト
せっかく,北中城に行くのだから,何か文化財でも見よう,とKyokoが主張したからです。ぼくに異論はありません。
ネットで調べると,沖縄県の有形民俗文化財に指定されている「和仁屋間(わにやま)のテラ」があったので,そこに向かいました。
ここはインターネットでいろいろ調べたが場所がはっきりしなません。北中城村渡口にあることは分かったので,とにかく渡口に向かいました。
4:20 コンビニのファミリーマートでガムをかって、和仁屋間のテラの写真を見せながら、店員に尋ねましたが,店員は全く知らないようで、知り合いでお客の人に尋ねてくれました。でも知らないとのこと。
しょうがないので出て、そこに駐車している中年の女性に道を尋ねました。和仁屋間のテラを知っているとのこと。でも説明がしづらいので、付いてくるようにということで,車を走らせましたので,それについていきました。
4:34 和仁屋間のテラに到着しました。すぐ近くです。道を案内してくれた女性はとてもとても親切で、いろいろ手を尽くして、案内してくれました。その方がいなかったらとても、探すのにとても苦労をしていただろうと思われます。感謝。
和仁屋間のテラは結構面白い作りをしていたあまり沖縄では見かけないような形の造りです。いいところに来たと思っています。

渡口のテラ 沖縄観光情報 Webサイト:真南風プラス
から
和仁屋間のテラ 北中城村渡口
渡口のテラは北中城村(きたなかぐすくそん)にある子授けを祈願する石造り建造物の拝所で、通称「和仁屋間(わにやま)のテラ」「浜崎(はまさき)のテラ」とも呼ばれています。テラとは一般に神の鎮座する所を指します。中には高さ50~80cmほどの砂岩が4個あり、他に小石もいくつか置かれています。琉球王府編さんの『琉球国由来記』にも登場し、権現信仰の起源や変容を知る上で貴重なもので、沖縄県の有形民俗文化財に指定されています。
4:40 和仁屋間のテラを出発し,5:30ごろ,塾に到着。その後,塾で学習援助です。
インターネットでも場所がはっきり探せなかったのでここで少し詳しく書いておきたい。
グーグルの地図によると,位置はつぎの通り
26.30324,127.810773
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戸口の交差点の角に牛丼とカレーの店「すき屋」があります。その隣に「最強食堂」というのがあります。以前はファミリーマートだったらしい。その裏手に空き地があって、ちょっといいったところに「和仁屋間のテラ」あるのですが、そこからは直接は和仁屋間のテラにはいけません。
北中城村役場の方から戸口の交差点に向かって進むと、その交差点を左折して沖縄市に向かいます。すぐに右折して、細い道を入っていき、数10m進むと、和仁屋間のテラが あります。
北中城村へ要望。村の公式ページに,観光案内,北中城の文化財が載っています。しかし,場所が記載されていません。行きたいと思った人が行けるように,地図,住所などを載せて欲しいです。
今、北中城村では、ひまわり祭りが行われていて、週末はすごい人出です。そこで、まんじゅうを売っています。時間の取れる人は癒されに足をのばしてみてね。
というメールが北中城村に住む玉城Mayumiさんから届いたからです。
ネットの琉球新報ニュース(2009年1月14日)によると,
【北中城】北中城村安谷屋で約8千平方メートルの畑に10万本のヒマワリが寒風の中、黄色い花を揺らしている。
(中略)
同村では昨年1月、遊休耕地に緑肥用のヒマワリを試しに植えた。満開で話題となり、交通渋滞を起こすほど観賞者が訪れた。今年は面積を拡大し、村民がボランティアで種をまき、手入れをした。
午後1:30ごろセルフ塾をでて北中城村に向かいました。途中のレストランで昼食。

3: 20 北中城村のひまわりまつり会場に到着しました。路上駐車でしたが意外に楽に駐車することができました。
3:35 Mayumiさんの息子でセルフ塾の卒業生のYusukeくんが城まんじゅうを売っていました。簡単にあいさつ。
ひまわり畑の中には細い道があり,そこを歩き,展望台へ。
ひまわり畑の中で写真を数枚写しました。

少し盛りが過ぎたのか,しおれかけている花も目立ちます。でも,いい感じです。
畑から出ると,少し高い丘があり,そこからも眺めました。
3:35 Yusuke君から城まんじゅう5個入り(\500)を買いました。
そして,募金を少しやりました。
30 55 少し離れたところに別のひまわり畑がありました。こちらの方が広いように感じます。ひまわりを見ていると,Mayumiさんが車で通りかかりました。まんじゅうが売り切れそうなので,届けにきたとのこと。忙しそうです。少し会話を交わ交わす。
その後,和仁屋間のテラに向かいました。
そこで,小学館「小学漢字1006字の書き方辞典」を買いました。かなりいい漢字です。
いま,セルフ塾では,旺文社の「小学漢字1006字の正しい書き方」を使っています。これもとてもいい本で,重宝しています。
なによりもいいのが,書き方がていねいに説明されている点です。漢字の書き方を省略せずに1画ずつ示してあるのです。子どもたちは,少しでも省略するとそこでつまずきが生じます。本当にていねいに一画ずつ書き方を示しているのがよかったです。
小学漢字1006字の正しい書き方―書き順・音読み・訓読みがすぐわかる
きのう見つけた小学館の「辞典」も同じようになっています。
旺文社の「書き方」は,「とめる」「はねる」「はらう」などの注意書きも添えられています。その他,「つきださない」「上の横ぼうより長く」などといったことも書かれています。
だから,生徒が間違えた書き方をしたら,それを見るように注意すればよかったのです。
小学館の「辞典」は,旺文社のものよりもさらに詳しくなっていました。その注意が多くなっているのです。京子は漢字にはうるさいです。彼女にこの辞典を見せると,とてもいいと感心していました。
ぼくが旺文社のものよりもいいと思ったのは,漢字の意味がのっていることです。旺文社のものには,まったくのっていませんでした。この「辞典」にはのっています。
例えば「往」は,「主」は,「※」の変形,「※」は,「止(あし)」と「王(大きく広がる)」を合わせて,足をのばしてどんどん進むこと。それに「彳(行く)」をそえて,どこまでも進んでいく意を表した。
(「※」は,象形文字で,ここに書き表せない字です)
とあります。漢字の成り立ち,意味がのっているのです。すばらしい。漢字の成り立ちは,漢字をおもしろくします。

漢字には意味があってそれを理解することで,言葉の意味が分かってきます。
「往復」は,「往(どこまでも進んでいく)」と「復(同じ道を重ねて行く)」で,進んで行って,その道を重ねて行く《帰る》)」ので,行って帰ってくるという意味だと分かるのですね。
だから,漢字の練習では,意味もいっしょにおぼえさせたかったのですが,これまではできませんでした。この小学館の「辞典」はそう言う点で旺文社のものよりすぐれていると思います。
ただし,値段が少し高いです。旺文社のものは本体600円ですが,小学館のものは800円です。今後塾ですぐに変更するかどうかは別ですが,いま選ぶとしたら小学館のものを高くても買いますね。
かなりおもしろいです。この「はじめての宗教」を読んだのは、三田誠広氏がアインシュタイン相対性理論の入門書「アインシュタインの謎を解く」を書いているからです。この本よかったです。すごく勉強しているなと感じました。深く理解していると思います。このように,科学を深く理解している人が宗教をどのように描くのか、とても興味がありました。
「はじめての宗教」から少し引用します。
自分の考えを、他人におしつけるつもりはない。奇蹟について、これ以上、議論を重ねる必要もないだろう。僕は、奇蹟を信じている人々に論争に挑むつもりはないのだ。自分の思いを、正直に、誠実にかたりたい。僕が考えているのは、そのことだけだ。
一人の人間として、何を考え、何を「探究」したかを確認したい。繰り返すが、イエスが「神の子」ではないと言い張るつもりはない。ただ僕にとっては、イエスが「神の子」である必要はないということなのだ。(p31)
とても面白い立場だと思います。僕もその立場からイエスのキリスト教に関心があります。
僕は、宗教には大きな力があると考えています。いろいろな面で宗教は力を持っています。宗教を信じている人は強いと思います。宗教が人の生き方を支えているという点も認めます。しかし、奇蹟があるからということで宗教を認めることはできません。神秘的な力を考える必要はありません。僕は神秘的な出来事を信じることはできません。神秘的な力ではなく、本当にある意味で宗教の力は大きいのです。神秘的な立場からではなく、宗教とはどういうものかを考えてみたいのです。
インドのマザーテレサの仕事は素晴らしいものです。あれは宗教がなせる技なのではないでしょうか。あのように無私で,人のために行動できるというのは,おどろきです。
人間の死を前にして宗教が果たす役割はまた大きいものです。末期がんの患者が、心穏やかに死を見つめることができるというのは素晴らしいものです。うらやましく,見習いたいと思っています。
とにかく宗教にはある力があります。しかし、それは奇蹟を起こすといった神秘的なものだからではありません。その神秘的なものを除いた宗教考えてみたいのです。
だから僕は三田誠広氏の立場を強く支持します。
人間には潜在的なものすごく大きな力があります。「火事場の底力」もその一つです。あれは、決して神秘的なの力ではありません。本当に人間がもっている力です。100の力をぼくらは普段は10や20しか出していない,しかし,火事場になると100の力がでるのです。もともと持っている力を発揮しているのです。
だから宗教がなくてもその力を発揮することはできるはずです。それでも、宗教によってその力を発揮するというのが結構広く見られます。そういう人間の潜在的な力を引き出するといった宗教の力が何なのかをして知りたいのです。