理科の問題で風向きを問う問題があります。
等圧線を読み取って風向きを考えるのです。
風というのは、高気圧から低気圧に向かって吹くこと、そして等圧線に垂直ではなく斜めの方から吹くこと、それは地球の自転によるものだなどという説明を加えました。
そこまではいいです。最後にどうも話しが食い違うのです。話しているうちに「風向」を逆に考えているようなのです。風向というのはどこから吹く風なのかということです。北から吹くから風向は北なのです。それを、どこに向かって吹くかということで風向きを考えている生徒が少なくないようなのです。つまり、北から南に向かって吹く風、それは南に向かって吹くので風向きは南だと考えているのです。
考えればそう思っても不思議ではありません。しかし、それは約束事なのです。「風向というのはどこからの風なのかで考えるんだよ」ということを確認しました。北から吹くから北風なんだ。北から吹く風の風向は北なんだよ、と。
僕らが常識だと考えていることが、子どもたちにとってはそうではないということが時々あります。風向もその中の一つでしょう。
等圧線を読み取って風向きを考えるのです。
風というのは、高気圧から低気圧に向かって吹くこと、そして等圧線に垂直ではなく斜めの方から吹くこと、それは地球の自転によるものだなどという説明を加えました。
そこまではいいです。最後にどうも話しが食い違うのです。話しているうちに「風向」を逆に考えているようなのです。風向というのはどこから吹く風なのかということです。北から吹くから風向は北なのです。それを、どこに向かって吹くかということで風向きを考えている生徒が少なくないようなのです。つまり、北から南に向かって吹く風、それは南に向かって吹くので風向きは南だと考えているのです。
考えればそう思っても不思議ではありません。しかし、それは約束事なのです。「風向というのはどこからの風なのかで考えるんだよ」ということを確認しました。北から吹くから北風なんだ。北から吹く風の風向は北なんだよ、と。
僕らが常識だと考えていることが、子どもたちにとってはそうではないということが時々あります。風向もその中の一つでしょう。
スポンサーサイト
中学一年生と二年生は学年末テストをやっています。学校でテストを終え、塾にやってきた一人の生徒が次のようにいました。
「先生の名前を書く問題が出て書けなかった。」
なんと愚かな問題を出すのでしょうか。どういうつもりでそんな問題を出すのでしょうか。
僕は冗談で、
「『先生の名前は覚える価値がないと思うので、覚えていません』と書いて提出したらよかったんじゃないか」、と云いました。
その生徒はあわてて「そんなこと書いたら、その後の成績が悪くなって大変だよ」と答えていました。
生徒に名前を覚えてほしいのなら、それなりのことをすればいいのです。記憶の悪い僕でさえ、まだ覚えている先生方がいます。尊敬できるような、面白い授業をすれば子どもたちは自然に先生の名前を覚えるものです。そのような愚かな問題を出題するよりも、面白い授業を工夫をすることが大切です。
姪が小学生のころに、
「あの校長先生の名前は覚える価値はないよ」といったのを思い出します。
その前の校長先生に姪はとても親しみを感じていたようで、親子の間でも校長先生の名前がよく出ていたようです。でも、校長先生が変わって新しい校長先生の名前が会話の中に出て来なくなったのです。それで、新しい校長先生の名前を母親が尋ねたら姪がそう答えたのです。
子どもというのは正直なものです。また、残酷なものでもあります。親しみを感じる先生の名前は自然に覚えますし、そうでない先生は覚えないものなのです。
試験に出して名前を覚えさせようなどというのは「愚の骨頂」です。
「先生の名前を書く問題が出て書けなかった。」
なんと愚かな問題を出すのでしょうか。どういうつもりでそんな問題を出すのでしょうか。
僕は冗談で、
「『先生の名前は覚える価値がないと思うので、覚えていません』と書いて提出したらよかったんじゃないか」、と云いました。
その生徒はあわてて「そんなこと書いたら、その後の成績が悪くなって大変だよ」と答えていました。
生徒に名前を覚えてほしいのなら、それなりのことをすればいいのです。記憶の悪い僕でさえ、まだ覚えている先生方がいます。尊敬できるような、面白い授業をすれば子どもたちは自然に先生の名前を覚えるものです。そのような愚かな問題を出題するよりも、面白い授業を工夫をすることが大切です。
姪が小学生のころに、
「あの校長先生の名前は覚える価値はないよ」といったのを思い出します。
その前の校長先生に姪はとても親しみを感じていたようで、親子の間でも校長先生の名前がよく出ていたようです。でも、校長先生が変わって新しい校長先生の名前が会話の中に出て来なくなったのです。それで、新しい校長先生の名前を母親が尋ねたら姪がそう答えたのです。
子どもというのは正直なものです。また、残酷なものでもあります。親しみを感じる先生の名前は自然に覚えますし、そうでない先生は覚えないものなのです。
試験に出して名前を覚えさせようなどというのは「愚の骨頂」です。
| ホーム |