Makotoくんという子がいます。中学2年生男子です。好奇心が強く,いろいろ「なぜ?」と問いかけてきます。原子の構造,相対性理論などなど。そして,ぼくが話し始めると,食い入るようにして耳を傾けます。
ぼくがMakotoくんに話を始めると,それを耳にしたKantaくんがやってきて,いっしょに話を聴くということが,たびたびあります。
テスト前は,一斉授業をすることがよくあります。塾向けの教材を使っているので,自分の力だけではできない問題がけっこうあるからです。
さて,先日も理科の問題を解説しているときに,Makotoくんの「なぜ?」が始まりました。ぼくは,それに答えて,横道に入り込んでいきます。内容は忘れました。原子の話だったかと思います。
少し話したころに,
Chikaさんが「Yojiさん,また,Makotoの世界に入り込んでいるよ」と指摘されてしまいました。
ぼくもそういう世界は大好きなので,ついつい逸れてしまうのです。それがたびたび。
Chikaさんにとっては,そういう話しよりも,与えられた問題を早く終わらせたいのです。「そうだね」と,ぼくは答えて,Makotoの世界を手短に切り上げて,問題の解説にもどりました。
一般的な話しですが,
横道にそれた話しをおもしろがって聴きたがるのは,男の子です。女の子は,まじめに与えられた課題をきちんとこなそうという気持ちが大きいです。だから,横道に入り込んでもらいたくない。
どちらがいいというわけではありません。男の子は,横道に入り込んでしまうので,その日の課題が遅れてしまいます。ただ,好奇心を刺激して,また次の世界が広がるような気もします。
ぼくがMakotoくんに話を始めると,それを耳にしたKantaくんがやってきて,いっしょに話を聴くということが,たびたびあります。
テスト前は,一斉授業をすることがよくあります。塾向けの教材を使っているので,自分の力だけではできない問題がけっこうあるからです。
さて,先日も理科の問題を解説しているときに,Makotoくんの「なぜ?」が始まりました。ぼくは,それに答えて,横道に入り込んでいきます。内容は忘れました。原子の話だったかと思います。
少し話したころに,
Chikaさんが「Yojiさん,また,Makotoの世界に入り込んでいるよ」と指摘されてしまいました。
ぼくもそういう世界は大好きなので,ついつい逸れてしまうのです。それがたびたび。
Chikaさんにとっては,そういう話しよりも,与えられた問題を早く終わらせたいのです。「そうだね」と,ぼくは答えて,Makotoの世界を手短に切り上げて,問題の解説にもどりました。
一般的な話しですが,
横道にそれた話しをおもしろがって聴きたがるのは,男の子です。女の子は,まじめに与えられた課題をきちんとこなそうという気持ちが大きいです。だから,横道に入り込んでもらいたくない。
どちらがいいというわけではありません。男の子は,横道に入り込んでしまうので,その日の課題が遅れてしまいます。ただ,好奇心を刺激して,また次の世界が広がるような気もします。
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昔、不幸な王さまが「世界一幸せな人をさがして来い。あやかるため、彼が着ている服をもらってこい」と命じました。やっとのことで「私は世界一幸せだ」とつぶやいている男が見つかりました。しかし、その男は服どころか、シャツさえ持っていなかったのです。着る物もない貧しい男が世界一幸せで、物質的に何一つ不自由しない王が不幸だったのです。
幸せかどうかは、物質的、経済的な豊かさではなく、心の持ち方だということです。あれも欲しい、これも欲しいと物質的経済的なものだけを追求しても、幸せは訪れません。
これはある意味では真実ですが、別の観点も検討してみましょう。
先日、テレビ「クローズアップ現代」で「“助けて”と言えない~いま30代に何が~」をやっていました。仕事もなく、「助けて」ともいえずに、孤独死した30代の男性がいたそうです。その番組でインタビューにホームレスの青年は、「何が悪いって、自分が悪い」と答えていました。働く意欲もあり、働く能力もある男性が、ホームレス生活を余儀なくされています。そういう生活を続けていると自分が悪いんだ、と思ってしまうのでしょうね。そういう人に、心の持ち方が大切だよと言っていいでしょうか。
日本国憲法第25条には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあります。そして「国は、(中略)向上及び増進に努めなければならない」とも書かれています。
もちろん、物質的、経済的な豊かさがすべてではありません。しかし、それもある程度は必要なのです。私たちは社会の中で生きています。社会が悪ければ不幸な人は多くなります。大きな社会の流れの中では、自分の力だけではどうしようもないこともあるのです。働く意欲もあり、働く能力もある人が働けないというのは、その人の責任では決してありません。社会はその人に働く場を提供する必要があります。責任があります。
人間は、環境に働きかけて、環境を変えることのできる動物です。自分が変わるだけではなく、社会も変えることができます。自分が悪いと自分を責めるだけではなく、社会の悪いところをよくすることも考えなければいけません。国に、ちゃんとその責任を果たせと主張することも大切です。
子どもたちには、心の持ち方ということを教えながらも、社会をよくするためにどうすればいいのかを考えることも教えなければいけないと思うのです。
きのう(3月2日)付け琉球新報に掲載されたぼくの投稿文です。
幸せかどうかは、物質的、経済的な豊かさではなく、心の持ち方だということです。あれも欲しい、これも欲しいと物質的経済的なものだけを追求しても、幸せは訪れません。
これはある意味では真実ですが、別の観点も検討してみましょう。
先日、テレビ「クローズアップ現代」で「“助けて”と言えない~いま30代に何が~」をやっていました。仕事もなく、「助けて」ともいえずに、孤独死した30代の男性がいたそうです。その番組でインタビューにホームレスの青年は、「何が悪いって、自分が悪い」と答えていました。働く意欲もあり、働く能力もある男性が、ホームレス生活を余儀なくされています。そういう生活を続けていると自分が悪いんだ、と思ってしまうのでしょうね。そういう人に、心の持ち方が大切だよと言っていいでしょうか。
日本国憲法第25条には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあります。そして「国は、(中略)向上及び増進に努めなければならない」とも書かれています。
もちろん、物質的、経済的な豊かさがすべてではありません。しかし、それもある程度は必要なのです。私たちは社会の中で生きています。社会が悪ければ不幸な人は多くなります。大きな社会の流れの中では、自分の力だけではどうしようもないこともあるのです。働く意欲もあり、働く能力もある人が働けないというのは、その人の責任では決してありません。社会はその人に働く場を提供する必要があります。責任があります。
人間は、環境に働きかけて、環境を変えることのできる動物です。自分が変わるだけではなく、社会も変えることができます。自分が悪いと自分を責めるだけではなく、社会の悪いところをよくすることも考えなければいけません。国に、ちゃんとその責任を果たせと主張することも大切です。
子どもたちには、心の持ち方ということを教えながらも、社会をよくするためにどうすればいいのかを考えることも教えなければいけないと思うのです。
きのう(3月2日)付け琉球新報に掲載されたぼくの投稿文です。
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