セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

恨(はん)の碑
 昨日は読谷村瀬名波にある「恨(はん)の碑」に行きました。

 妻京子が新聞で知ったとのことで以前から行きたかったそうです。

 インターネットで場所を確認ししましたが、少しあいまいでした。渡慶次小学校の横から上がっていくと「恨(はん)の碑」への道しるべがあったのでほとんど迷わずに到着することができました。

 渡慶次小学校の裏手、民家の裏手にあります。近くには墓もありました。少しこんもりしたところで緑があり、よく手入れがされていました。

 こういう過去もあるのだということを知ることは大切なことだと思います。

 インターネットで碑文を検索したのですがのっていません。それでここに載せておきます。

 また、少々あいまいではありますが、多くの人に行ってもらいたいので、地図もここに載せます。道しるべがあるので近くまで行くと迷わずに行けると思います。緑の矢印のあたりです。


 アジア太平洋、沖縄戦において日本は朝鮮半島から 100万人以上と言われる人々を強制連行し、日本軍夫・性奴隷として使役した。慶尚北道から軍夫たちが沖縄に送り込まれたのは 1944年6月頃。

 姜仁昌さんは慶良間諸島の阿嘉島に、徐正福さんは宮古島に配置された。沖縄の地上戦は1945年3月26日に始まった。二人は同胞たちの死を目のあたりにし、また同胞への処刑や虐待などに立ち合わされた。

 私たちは朝鮮半島と沖縄に向かい合う二つの同一の追悼碑を建立することを決めた。そして不幸な過去を心に刻み、平和・共生への決意の印と、多くの賛同者、団体の寄付により、この碑を立てた。レリーフは金城実さん、碑文は安里英子さん、翻訳は河東吉さん。

 2006年5月3日、韓国からの姜仁昌さん、徐正福さんと共に除幕式を行った。

 アジア太平洋戦争・沖縄戦被徴発
朝鮮半島出身者恨の碑建立を進める会



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hannohi2.jpg



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英語の疑問文は倒置法
 日本語の短歌や詩などの修辞法に倒置法というのがあります。普通の語順をひっくり返していう修辞法です。例えば「花が咲いた」を「咲いた 花が」というふうに主語と述語をひっくり返すのです。

とうち‐ほう〔タウチハフ〕【倒置法】
文などにおいてその成分をなす語や文節を、普通の順序とは逆にする表現法。語勢を強めたり、語調をととのえたりするために用いられる。「どこに行くのか、君は」「起きろよ、早く」など。[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]

 倒置法の「倒」というのは、「逆さま」という意味もあるんだよ。逆立ちのことを「倒立」というでしょう、と説明します。

 さて日本語の場合には主語と述語を入れ替えても基本的な意味は変わりません。ただそれを読む人に、少しおかしいぞという気持ちを持たせ、その文を注意して読ませます。そうすることでその文が強調されるのです。

 英語の場合には語順というのがとても大切です。日本語の助詞にあたるものがないので、語順によって主語、目的語、補語なのかが決まります。

 それで勝手に語順をかえると意味が違ってきます。

 でも語順を変えることがあります。疑問文です。

 This is a pen. の語順を変えて、Is this a pen? とするとそれが疑問文になるのですね。

 一般動詞の文では,強調の文から考えます。

 You do like apples. 「あなたは本当にりんごが好きです」の倒置文
 Do you like apples? は「あなたはりんごが好きですか」という疑問文になります。

 can, will などの助動詞の文もそうです。 

日本語の倒置法と似ているのは、読む人の注意をひくということです。

 疑問文というのは、相手への質問になります。だから最初のところでいつもの語順ではないので、読む人は「あれ、おかしいぞ」と思います。

 「注意して聞いて下さいよ」と聞く人に伝えることになります。

 そうすることによって、これから話すのは疑問文ですよというのが伝わるのです。

 そういうふうに語順を変えることによって英語は疑問文にするんだよと生徒には教えています。

 ある意味では日本語よりもいいですね。

 日本語の場合には、話し手が何か説明しているだけなのかと思っていたら最後に「ですか?」と来て、自分に対する疑問、質問だったんだ、と改めて注意しなければいけないからです。

 日本語というのが、奥ゆかしくて、ささいなことから話し始めて、大事な点を最後までとっておくからなのですか?

 のように。

一つの文に過去を表す「た」は一つ
 中学生は一学期の期末テスト対策を行っています。

 中学二年生の英語は過去の文です。

 与えられた過去の肯定文を否定文に直したり、平叙文を疑問文に直したりする問題が出てきます。

 例えば、次の文を否定文にしなさい。
 I went to the park.

といった問題です。

 その時に didが出てきますが、それは「した」という意味だと教えます。

 do(する)に過去のed(た)がくっついて、did(した)になっているのだと。

 do+ed= did です。

 このdid(した)にnot(ない)がくっつくと did not または didn't になります。
 「した」+「ない」=「しなかった」 です。

 そしてそれが否定文の中に入り込みます。

 例えば I went to the park. の主語の後ろに入り込みます。

 すると、I did not went to the park. になります。

その時に強調するのは、一つの文に過去を表す「た」は一つしか入らないということです。
I did not went to the park. は、「た」が2つで、「行ったなかった」になっていておかしいんだよ、と

 だから did not は入り込むとwentにあった「た」は省かないといけないのです。

 went -ed(た)=go ですね。
I did not go to the park. 
 このようにして、went は go にもどることを理解させます。

疑問文の場合も同じです。疑問文はdid「した」が文の初めに来ることによって「したか」という意味になるんだと教えます。

 そしてこの時、didには「た」がはいっているので、wentの「た」を抜いてgoにするのだよと教えます。

 ひとつの文に過去を表す「た」は一つでないとおかしくなるよ、いうことを強調し、理解させるようにしています。



理解力の低い生徒は厳しい先生
 厳しい先生がいます。また甘い先生がいます。子どもたちは、甘い先生の方が好きです。甘い先生から教わる方が楽だからです。

 しかし、よく考えてみましょう。甘い先生だと現状維持でいいということになってしまい、力が伸びません。間違えたことをしても、それを見逃してしまえば、それはそのままです。一方、厳しい先生だと子どもたちの力は伸びていきます。厳しく指導されれば、それにこたえるために、いろいろ工夫し、自分を伸ばしていかなければならないのです。

 さて、理解力のある生徒がいます。一方、理解力の劣る生徒がいます。理解力のある生徒は、その生徒を教える教師にとっては甘い先生のようなものです。理解力のある生徒を教えるのはとても楽です。何の工夫もいりません。教科書通りの簡単な解き方を説明し、そして問題を与えさえすれば、あとは自分で伸びていきます。

 一方、理解力の劣る生徒は私たち教える側にとっては厳しい先生です。教科書に書いてあるような説明をしていたのでは理解してくれません。それで、理解させようといろいろ説明のしかたを工夫します。いろいろ考えなければいけません。

 理解力の低い生徒はほんとうに小さなことでつまずいてしまいます。私たちには気づかないような小さな石につまずくのです。その生徒がつまずいて初めてここに石があったのかと気づかされます。そのつまずいた小石を見て、どのようにすればその子はそれを乗り越えることができるのか、どのようにすればそれを避けて通ることができるのか、それは私たち教える側がいろいろ工夫をして考えてあげなければいけません。

 理解力のある生徒だとそういう小石があることさえ気づかないで、そのまますたすたと歩み進むでしょう。

 こんな小さなことにつまずくのは、この子の理解力が劣るせいだ、自分の教え方が悪いのではないと居直っていては教える力は伸びません。理解力のないのはその子の責任ではないのです。

 理解力の劣る子でも理解できるように教えてこそプロの教師なのです。いろいろ工夫すれば教え方は見つかるものです。工夫した教え方で子どもが理解してくれたときの喜びはまた格別なものです。

 理解力の劣る生徒を教えるということは大変なこと、厳しいことではありますが、私たち教える側の力をのばしてくれるのです。だから、理解力の劣る生徒は僕にとって、とても厳しい先生なのです。


 今朝の琉球新報「論壇」に掲載されました。


音読みと訓読み

 「音読みと訓読み」について調べていたら、見事に説明してあるページが見つかったので、転載します。

http://qanda.rakuten.ne.jp/qa2782795.html

 「山」という字が中国から入ってきたとき、これを中国読みに「サン」「セン」と読んだのが、訓です。なんだこれは、日本では「ヤマ」のことだぜ、だったら「ヤマ」とも読もうよ。それで「ヤマ」が「音」として残った。日本人は両方の読み方を選択したのですね。 

 さて、中国から漢字が入ってくるとき、同じ時代に、同じ土地から、どっと入ってきたのなら問題はない。しかし入ってきた時代が違うと、そのときの発音が優勢になってしまいます。中国の出処場所も違うと、音が違ってくるのです。

 漢字は南北朝から、隋、唐の時代に主に入ってきましたが、中でも唐時代が一番多い。この唐代の言葉を「漢音」といいました。日(ジツ)、人(ジン)、文(ブン)、行(コウ)と読んだのが漢音です。

 それに対して、呉音と言うのは、漢音が入る前に、長い年月をかけて呉地方を中心とする広い地域から延々と入ってきたもので、出処も経路もまちまちで、漢音ほどまとまりがありません。呉音では、先の4つの漢字は、ニチ、ニン、モン、ギョウ、です。漢音が硬いのに比べ、呉音はやわらかい。 

 「老若男女」は「ロウジャクダンジョ」とも「ロウニャクナンニョ」とも読めるわけですね。

 そしてさらに、わが国の鎌倉・室町時代になると、今度は「唐音」が入ってきます。これは「唐」の時代ではなく、もっと後の「南宋、元、明」のころの漢字です。

 いずれにしても、こうした解説をしていると長くなって困りますが、音と訓の違いをもっと調べたら面白いです。朝刊は「チョウカン」で正解ですが「夕刊」は本当は「セキカン」でないといけないわけですね。一朝一夕(イッチョウイッセキ)と読むのですから。



なぜ、比較級にはerとmoreがあるのか
 昨日は英語の比較級が語尾にerをつける場合と語の初めにmoreがつく場合があることについて書きました。

 なぜこんな二つのやり方があるのだろう。一つに統一すれば簡単でいいのに、とわたくしども非英語ネイティブには思います。

 しかし、漢字を見ると日本語も似たようなもの、いやもっと複雑なものです。

 「明」という字を見てみましょう。

 「明(メイ)暗」、「明(ミョウ)朝」、「明(ミン)朝体」というように、「メイ」と読んだり、「ミョウ」「ミン」と読んだりします。

 そのほか、訓読みだと「明(あか)るい」「明(あ)ける」「明(あき)らか」等の読み方も出てきます。

 一つの漢字でいろいろ読み方ができるのですから、場合場合によって読みわけないといけません。英語の比較級に比べてとてもとても複雑なので文句も言えません。

 訓読みはもともと日本にあった発音です。

くん‐どく【訓読】
1 漢字を、その意味にあたる日本語の読み方で読むこと。「花」を「はな」、「草」を「くさ」と読む類。くんよみ。⇔音読。

おんどく0 【音読】
[2] 漢字を字音で読むこと。おんよみ。



 音読みが、なぜそのように違う読み方になったのかというと、輸入した時代が異なるからだそうです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%B3%E8%AA%AD%E3%81%BF

音読みには呉音・漢音・唐音(宋音・唐宋音)・慣用音などがあり、それぞれが同じ漢字をちがったように発音する。
 たとえば、「明」という漢字を呉音では「ミョウ」と、漢音では「メイ」と、唐音では「ミン」と読む。


 要するに呉の時代に輸入した言葉には「ミョウ」、漢の時代に輸入した熟語には「メイ」、その後宋の時代などに輸入したものには「ミン」という読み方がついたのでしょう。

 では、なぜ英語の比較級にはerのつくのとmoreのつくのがあるのでしょう。

インターネットを検索してみると次のようなページが出てきました。

http://kmyken1.blog122.fc2.com/blog-entry-255.html

英語という言語は時代ごとに他の民族・言語との接触により、いろいろと変化してきています。英語の歴史については機会を改めて紹介しますが、比較級・最上級を表す2種類の形のうち、

 単語の末尾に -er / -est をつける形は、10世紀頃までの「古英語」と呼ばれる時代から、本来的に英語で使われてきた表現方法です。

 一方、形容詞や副詞の前に more / most をつける方法は、13世紀にフランス語の影響を受けて新しく発達してできた形です。


 erがつくのは訓読み、moreがつくのは音読み、といったところでしょうか。

比較級は「もっと~」
 中学2年年の英語では、「比較の文」を学びます。

 Tom is taller than Jim. 「トムはジムより背が高い」
 のような文ですね。

 比較の文では、形容詞は形容詞や副詞を比較級にします。
 ふつうは形容詞や副詞の語尾にerをつけますが,
長い単語の時には単語の前にmoreをつけますね。

 この比較級の日本語訳を「もっと~」と英和中間語では行います。

 tall「背が高い」の比較級tallerは「もっと背が高い」
 hard「一所懸命に」の比較級harderは「もっと一所懸命に」
 beautiful「美しい」の比較級 more beautifulは「もっと美しい」になるのです。
 
 だから、Study harder. は「もっと一生懸命に勉強しなさい」ということですからぴったりです。

 しかし、
 Tom is taller than Jim. を「トムはジムよりもっと背が高いです」
 とすると、不自然な日本語になります。「もっと」が余分なのです。

 だから、ふつうは
 Tom is taller than Jim. は「トムはジムより背が高いです」と「もっと」のない文です。

 しかし,thanは「何々と比較して」「何々より」もという意味ですから、erの意味がなくなってしまいます。

 だから生徒に、
「トムはジムより背が高いです」を英訳させると、
Tom is tall than Jim.

 にしてしまいます。er を抜かしてしまうあるのです。「より」はthan ですから、erがなくても「~より高い」になるからです。

 だから「トムはジムよりもっと高いです」という不自然ではあるが英和中間語を与えると、正解率が高くなるのです。

 学習進行中のものには有効な方法です。

清水義範と英和中間語
 僕は小説家の清水義範が大好きです。彼の本に「永遠のジャック&ベティ」というのがあります。


Amazonの商品紹介には

英語教科書でおなじみのジャックとベティが50歳で再会したとき、いかなる会話が交されたか?

 とあります。

その一部をまず紹介します。

ジャックはふと皮肉な顔になっていった。
「あなたは、私たちの中学生活をモデルに、日本人の英語の教科書が作られたことを覚えていますか」
「はい。よく覚えています。その教科書の題名には、私たちの名前がつけられました」
「そのために私たちの中学では、日本人にも理解できる言葉遣いをするようにしました」
「はい。そうです。私は今でも、そのしゃべり方の癖がとれません」
「その教科書で英語を習った日本人に、三十数年後私は職を奪われました」
「それは悲しいことです」


 ここにあるように、ジャックとベティは昔の教科書に英語の教科書の主人公だったようです。

 その英語の教科書はきまりきった英語になっていたのでしょうね。

 そしてその日本語訳は僕のいう英和中間語になっています。日本語とはいえない日本語です。こんなおかしな日本語を使ったら,こんなおもしろい小説になってしまうというのを清水義範は書いているのです。

 次にその一部を紹介します。

「あなたはフランス語を話せますか」
「はい。少し話せます」
「あなたはタガログ語を話せますか」
「いいえ。話せません」
「あなたはいくらかのバターを持っていますか」
「バターを持って町へ出る人間はいません」
「あなたはカルバン・クラインのアンダーパンツと、ひょうそうの薬とでは、どちらが好 きですか」
「そんなもの好きな人間がいますか」

やはり、あんまり出鱈目にしゃべっているわけにもいかない。
「あなたはシャン・ポール・サルトルによって提言されたところの実存主義が、アメリカ 合衆国の民主主義の崩壊にもたらした直接的または間接的な影響についてどう思いますか」
「分かりません。あなたはどう思いますか」
「私もまた、分かりません」


 僕はとても面白いと思います。このようなのを小説にしようと発想をする清水義範が大好きなのです。

 とても自然な日本語とは言えません。不思議な日本語を二人は使っているのです。日本語といってもこのようになるとおかしくてしようがありません。

 でも,僕はこのような不自然な日本語を使って英語を教えているのです。いや,もっと不自然で,英語に近い英和中間語です。僕のテキストの練習で使っている英和中間語はジャックとベティーが使っている英和中間語よりもとても英語寄りの不思議な不自然な日本語になのです。清水義範氏に笑われるような日本語です。

 でも学習においてはこの英和中間語は役に立つものだと考えています。

 笑われてもいいから英和中間語に徹することにします。

 それを自然な日本語,自然な英語にするのはまた次の段階の学習です。

 
 清水義範の本に「虚構市立不条理中学校」というのがありますが,この小説にも英和中間語が出てきます。


文法用語について
 専門用語ってめんどうですよね。知らない人にすれば,なぜこんな難しい言葉を使うの?っていう感じです。

 でも,知っている人にはとても便利です。

 例えば,心理学では「条件付け」という用語があります。それを知っている人同士が話しをするときには,「このねずみは条件付けによって・・・・」というだけで話しは通じます。

 その用語を知らない人には,どういうものか説明しながら話さないといけません。

 英語の文法用語もそうです。

 文法用語は分からなくても,日本語を英語に訳することができたり,英語を読んで理解すればいいではないか,という意見もあります。

 それに反対ではありません。
 英語を読むことができたり,英語を書くことができればいいのです。

 ネイティブの人の多くは,文法用語を知らないかもしれません。日本人も形容詞や名詞といった用語を知らないでしゃべっています。
 いま中学生に国文法を教えていますが,名詞,形容詞について知らない子がほとんどです。

 でも,中学生以上になってから英語を学ぶ人には文法用語は,便利なんです。

 例えば,動詞にはbe動詞とdo動詞(ぼくは一般動詞をそう呼んでいます)があります。
 be動詞とdo動詞も文法用語です。

 英語の文を作る場合には,それがbe動詞の文なのか,do動詞の文なのかを判断しないといけません。ネイティブの人はそれが無意識にできるのでしょう。

 しかし,これから学ぶ人は意識の中で分類できなければいけません。be動詞とdo動詞という言葉が分からないとその分類の仕方を教えるのもとても面倒です。

 ぼくはよく日本語の文を見て,「これは(英語に直すときに)be動詞になるの?do動詞になるの?」と問います。

 その用語を知らないとするとどのように質問するかな,といま想像してみたのですが,思いつきません。

 名前をつけると覚えやすくなります。
 否定文,疑問文という言葉を理解すれば,そのひとまとまりが整理できます。

 ぼくのテキストでは,英訳をさせる練習問題をさせるのですが,ヒントを出す場合に,文法用語を用いると簡単です。
 
 この文は受動態だよ,というヒントをつけます。すると,それを見て,受動態はどんな意味を持ち,どんな形をしていたのかを生徒は考えるでしょう。考えつかなければ,索引をみます。その用語があるから索引を利用することができるのです。

 というわけで,文法用語というのはめんどうだとは思うのですが,ぼくにとっては便利なのです。

 だからこそ,文法用語にこだわっています。

 現在分詞,過去分詞,現在完了,不定詞
 こういう言葉は名前と実体がかけ離れています。もっといい名前をつけた方がいいのです。それで,ぼくは別の名前をつけました。
 現在分詞→進行分詞,過去分詞→受動分詞,現在完了→現在中心,不定詞→to動原詞 というように。

 ぼくの英語のテキストの目次には文法用語がずらずらと出てきます。
 それを見ると頭がくらくらする人もいるようです。
 分かります。でも,それになじんでもらいたいのです。

 でも,目次に文法用語がずらずらはマイナスイメージですね。何を学ぶのかはっきりさせたいためなのですが,マイナスイメージによって買わない人がいては元も子もありません。どうしたらいいのかな。

ベルトコンベアのドップラー効果
 友人のYoshihiroくんから,ベルトコンベアのドップラー効果のことを聞きました。とてもおもしろいです。それで,ここに紹介します。

 要するに,ベルトコンベアと同じ方向に歩きながら作業をすれば,作業の間隔は長くなり,逆向きに歩きながら作業をすれば,作業間隔が短くなるということです。

 上の説明だけで分かる人がいるでしょうが,説明をしてみます。

 1秒間に1m進むベルトコンベアがあるとします。秒速1mです。
そして,そのベルトに10秒間に1回ずつ,作業部品が乗せられます。

 作業員が止まって,部品がやってくるのを待っている場合,
 部品は10秒間に1個やってきますね。10秒間に1回作業をすればいいのです。

 ふつうは,部品Aを取り上げて作業をし,ベルトにそれをもどしてから部品Bを取り上げるのでしょうが,ここでは分かりやすくするために,部品は取り上げていません。
belt_20100526132736.jpeg


 次に作業員がベルトコンベアと同じ向きにゆっくり歩きながら作業をする場合です。
 秒速0.5mで歩くとします。

 Aの部品の作業を終わって,10秒後部品Bは作業員が10秒前に立っていたところまでは来ますが,作業員は前の方に歩いているので,作業員のところに部品は届いていません。

 作業員の位置は,0.5x+10
 部品Bの位置は,x で表すことができます。

 イコールで結んで x=0.5x+10
 これを解くと x=20
 20秒後に部品Bは作業員のところに届くのです。

belt2_20100526132736.jpeg


 次に作業員がベルトコンベアと逆向きにゆっくり歩きながら作業をする場合です。部品に向かって歩くのです。
 秒速0.5mで歩くとします。

 向かって進んでいくので,10秒待つ必要はありません。

 作業員の位置は,-0.5x+10
 部品Bの位置は,x で表すことができます。

 イコールで結んで x=-0.5x+10
 これを解くと x=20/3=6.66
 約6.7秒後に部品Bは作業員のところに届くのです。忙しくなるのですね。
下の図の0.67秒は6.7秒に修正。

belt3_20100526132736.jpeg


知識とジグソーパズル
 何がわからないのかわからない
 
を前に書きました。

 そのことをmixi「セルフラーニング」で取り上げました。その中で考えたことを書きます。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=53330687&comment_count=3&comm_id=1037793

 ジグソーパズルというのがありますね。
 
 最初、ほとんどのピースがはめこまれていないので、何をやったらいいのかまったく分からないので、作業が進みません。

 どこから手をつけていいのか分からないのです。難しすぎるので。

 4つの角から入るのがせめてものヒントになります。

 これと同じで、頭の中の知識がほとんど埋まっていなければ、何をやっていいのか分からない。

 ものを知らない人は,何を学べばいいのか,何を調べればいいのか,分からないのです。だから知りたいとも思わない。遊びだけをする。

 それでも,何とかあちこちピースを埋めていくにつれて、空いているところのヒントが多くなります。

 最後に近づくにつれて、このピースはここだ、あれはあそこだと一見して分かって、どんどん作業がはかどります。

 頭の中に知識がたまってくると、足りないところが分かってきて、それを埋めれば知識がつながると分かるので、それを調べようと思うのでしょう。

 物は知ることにより,それとの関連でさらに知りたくなるのです。分からないところがはっきりするので,それを知るためにいろいろ工夫し,調べたりするのです。

 ジグソーパズルの最初のころは,慣れた人がいっしょにやってあげた方がいいかもしれません。

 教育というのもそのようなものかもしれません。

 何をやったらいいのが呆然としている人に,では,これを学んでごらんと,指針を与えていく。
 これを読んでごらん,この問題を解いてごらん,・・・・

 そうこうするうちにピースが埋まってきます。すると,自分でこれをさがしてみようかな,と自発的に学ぶ気が出てきます。

 学校教育で,レールに乗っけて走らせるというのもそういう意味で意義のあることかもしれませんね。

見る・視る・観る see, look, watch
see, look, watchについては以前に書いたつもりでいて、昨日の記事にURLを貼り付けようとしたら、ブログ内検索でさがせませんでした。

 それで、ダブるかもしれませんが、書きます。

「違いがわかる漢字辞典」で、見る・視る・観るを調べてみました。


【みる】見る・視る・観る・看る・診る

見・・・「目+ひとあし人」の組み合わせ。ゲゲゲの鬼太郎の父のような目玉人間の図形でもって、物の姿が目に入ることを暗示している。一般に「みる」ことである。
 ▲遠くの景色を見る・エンジンの調子を見る・面倒を見る。

視・・・「示(まっすぐ差す}十見」の組み合わせみで、視線をまっすぐ向けることを暗示している。注視する場合に「視る」を使う。
「幽霊を視るような眼だった」(隆慶一郎『かくれさと苦界行』34ペ)

観・・・字源は「観」で説明した通り、全体を合わせて見渡すこと。普通は、芝居映画・試合などを見物する場合に「観る」を使う。
「まるで白黒映画を観ているようだ」(島田荘司『異邦の騎士』310べ)


 次に、「図解英語基本語義辞典」に書いてある、see, look, watchの説明です。


see[si:](動詞)見る;わかる
①外界のようすが視覚器官に映ること・・・物が見える.
②外界のようすをとらえて状況をつかみ,納得すること・・・事が見える.

look[luk] (動詞)目を向ける;ようすが・・・に見える (名詞)見ること;ようす

①関心をもつ対象に視線を送ると同時に,
②対象のようすが目に入ってくる.これら一連の動きを look と言う.もちろん①は《意志的》あり、②は《無意志的》である

watch(動詞)注視する
対象の動きや,ようすの変化に注目して,視線を投げかけること,

 どうですか。ぼくは、「見る」とsee、「視る」とlook、「観る」と, watchがかなりよく対応していると思います。違うところもあるでしょうが、そこは目をつぶってもらって、

 「見る」=see、「視る」=look、「観る」= watch としました。

 現在の日本語では、なんでも「見る」を使っているように思いますが、微妙な違いが漢字にはあるのです。

 だから「私は彼を見た」は、 I saw him.
 (「彼の姿が目に入った」という感じです)

「視なさい、次の一点を 私(私を視なさい)」は Look at me.
 (「注意して私を視なさい」という感じ)

「彼は野球を観ています」は He is watching baseball. となります。
  (「野球を観戦している」という感じ。「観戦」するから「観る」になります)

「見る/視る/観る 違い」で検索すると次のページに出合いました。

http://www.zenken-net.or.jp/rodo/anzen/anzen01_09.html
見る・観る・視るの違いを知って作業に生かしてください。

「見る」は様子をみるとか、単に状態を知る程度、いわば低レベルと思ってください。

「観る」は念をいれてものを見るとか、ぐるりと見回すといった意味があります。

そして「視る」は目を止めてジッと見る、ハッキリと見て取るといった意味があります。



 ことわざの「「心ここに在(あ)らざれば視れども見えずは、lookしれもseeできないという意味でぴったりです。





Yoji著「セルフ塾の英語 単語・熟語 わかる教え方」を Amazon Kindleから出版








なぜ,英単語の日本語訳にこだわるのか
 この間、英単語の日本語訳にこだわっている記事をいくつか書いてきました。

big:おっきい large:大きい
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-1643.html

littleは「ちっちゃい」、 smallは「小さい」

playは「楽しんでする」

make は 「作り上げる」

 この記事では、なぜそんなにこだわるのかを書いてみます。

 正直にいえば、一つはこちらの都合です。

 僕の英語のテキストの練習問題はほとんどが日本語を英語に訳す問題です。

 自然な日本語を英語に訳すというのは、かなり高度な難しい問題になります。生徒にとっても負担です。

 そしてその上に、解答の英文がいくつも考えられるのです。一つの日本文に対して一つの英語の文ということはほとんどありえません。別の解答があるということになります。

 そうすると、それが正しいかどうかという判断というのはかなり英語力がないとできません。

 たとえば、日本語の「見る」に対応する英語には、see, look, watch,が考えられます。

 どれを使ってもいい場合がありますし、区別しなければいけないこともあります。

 「テレビを見る」という日本語を英語にした場合、ある生徒は、 see TV 、別の生徒は watch TV 、また別の生徒は look TV と書いたとします。

 そのどれが正しいかどうか判断するのはかなり高度な英語力が必要になってくるのです。

 私どもで Check係を別に用意してお願いしていますが、その人たちがその訳された英語の文が正しいかどうか一つ一つ判断する英語力はほとんどありません。ぼくも十分にはできません。

 だから、与えた日本語で一つの英語の文ができるようにいろいろ工夫しているわけです。

 先ほどの「みる」という場合に、漢字で区別しています。seeは「見る」、watchは「観る」、lookは「視る」といったふうに区別します。

 それをテキスト付録の和英単語表で調べたら、一対一対応になっているので、一つの決まった英語ができるというわけです。だからぼくの英語の本では、「テレビを観る」は、watch TV にしないと×になります。(see TVというのも使われているようですが、×になるのです)

 さて、こちらの都合というのが結構大きいのですが、それは学習している者にとってもそんなに悪いことではないと思っています。

 先ほどの「見る」という場合、英語でなぜこのように三つの言葉があるのかというとそれぞれに役割が違うからです。

 また、「見る」「観る」「視る」もちがった使われ方をします。それがsee, watch, look にけっこう近い使われ方なのです。いまは日本語では、すべて「見る」でよしとされますが、本来異なるのです。

 このように、英語の単語の違いを日本語である程度分かるように工夫をしているのです。

 「~していただけませんか」のような依頼文に対して、「もちろんいいよ」という返答には Sure, Certainly. が考えられ、ほとんど同じ意味だそうです。そうすると、Sureを覚えた生徒はCertainly.を使わないのです。

 ぼくとしてはどちらも覚えさせたいのですね。

 それで、Sureは「確かに、いいですとも」 Certainly. は「かしこまりました」と区別しました。

 だから僕はできるだけ本質に迫った日本語訳をするように心がけているのです。

 学習する者はその日本語と対応させて英語の単語を覚えることにより、本質的な学習もできるのではないかと期待しています。

 そのためには、それぞれの英単語が持っている基本的な意味は何なのかを、いろいろ調べてそれに対応するような日本語訳を心掛けています。

 そうすることにより、自然な日本語というものは損なわれます。そこはもう仕方のないことだと思っています。

 自然な日本語というのは犠牲にして、英語の力をつけることに力を入れているのです。

 自然な日本語は「国語」の力をつけることによって身につけていけるはずです。そのためにたくさん日本語の読書が必要になります。

相対性理論は難しい
 僕の書いた「塾長先生の相対性理論わかる授業」の原稿をいろんな方に読んでいただいています。

相対性理論入門書、原稿のモニター募集
 今は退職していますが、高校で物理をおしえていたSinsei先生に読んでいただきました。

 その後のある集まりで一緒になったのですが、「途中まで読んだのだが、とてもすばらしい」と高く評価して下さいました。数点、注意を受けました。

 周りの人にも、僕が恥ずかしくなるぐらい「面白くて分かりやすい素晴らしい本だ」と絶賛し、紹介して下さいました。

 僕の兄にも読んでもらいました。

 兄は、「相対性理論は難しい」と言っています。「説明はわからないことはないが、何かごまかされている感じがする」といっています。

 相対性理論の常識とはかけ離れたことが、すぐには受け入れられないようでした。

 友人のYoshihiro君は「やはりむつかしいよ」といっています。

 何度も途中まで読んでは置いて、又暫くして読んでいるとのことです。何度も同じところを読み返してなかなか前に進めないそうです。

 話しを聞いてみると、けっこう理解しているようですが、やはり受け入れることが簡単にはできないように感じました。

 Yoshihiro君はとても理解力の高い人だと思っています。彼がむずかしいなら、多くの人にはもっと難しいだろうな、と思います。

 「兄が何かごまかされている気がすると言ってた」と話すと、その通りだと同感していました。

 だれにでもわかる説明をするのはとても難しいことだと実感しました。

前置詞は「次の~」
 前置詞というのは,「前に置く詞」です。だから,日本語の語順とちがいます。だから,学習進行中の生徒には,英作が難しい。

 そこで,英和中間語で,それを「次の(に)~」とすれば易しくなるのではないか,と考えました。

 to は「目標点」です。だから「次の目標点へ」という意味。

 I go to school. 「私は行きます,次の目標点へ,学校」

 There is a book on the desk. 「1冊の本があります,次に接触して その机」

 They are playing baseball in the park. 「彼らは野球を楽しくしています, 次の範囲で その公園」

 Look at me. 「視なさい 次の一点を 私」

 Stand by me. 「立ちなさい 次のそばに 私」

 これで,英作はだいぶ楽になるはずです。

 そして,実際ネイティブの人は前置詞についてこのようなイメージを持っているはずです。だから,このような訳の方が,早くネイティブの感覚に近づけると思います。

 ただ,転ばぬ先の杖」のジレンマに書いたように,これでいいのかを考えますね。

 楽になったぶん,考えなくなる。

 自然な日本語 → 英和中間語 → 英語

 のような感じで英訳ができればいいのですが,英和中間語が英語に近くなりすぎると,日本語→英和中間語ができなくなります。

 だから,導入のときには「次の~」として,階段を低くし,しばらくしたらもう少し日本語に近い英和中間語にし,階段を少し高くするというふうにしてはどうかと考えています。

セルフニュース 241号 をきょう発行

 セルフニュース 241号 をきょう発行します。きょう午後投函するので,保護者のみなさんへは明日にはお届けできるかと思います。

( も く じ )

① 年間出席率100% Rikoさん,Asukaさん,Kantaくん 

② 4月皆出席、27人 

③ 「セルフ塾の好きなところ嫌いなところ」(Yohei,Yuta,Yusuke,)

④ 「セルフ塾の好きなところ嫌いなところ」(Shun,Shoya,Ryota)

⑤ 「セルフ塾の好きなところ嫌いなところ」(Rina,Wakaho,Shoko,Yuka)

⑥ 家庭からの通信

⑦ 中学,地区総合体育大会特別休暇

⑧ セルフ塾 予定表


ネット「セルフニュース 241号

「転ばぬ先の杖」のジレンマ
 (外野ですが)さんから,「まい晩、身なげをするやつは、おまえだろう・・・何がわからないのかわからない 」に,コメントをいただきました。
 (外野ですが)さん,ありがとうございます。


コメント,メールのブログ掲載について

そうですね!
塾で教えている者ですが、

何が分からないのか分からない・・・

そういう場面にしょっちゅう出くわして悩んでいます。
塾に通うことで子供の(親も)依存心を増長させてしまっているのではないかと思うこともしばしばです。また、「教える」ことが「自分で考える」機会を奪ってしまっているように思えてなりません。
セルフ塾、素晴らしいですね。
たくさんヒントをいただいています。ありがとうございます。



 (外野ですが)さんのコメントにある
・子供の(親も)依存心を増長させてしまっているのではないか
・「自分で考える」機会を奪ってしまっているのではないか

 ぼくもよく悩みます。

 生徒が理解できないことは,教える側が何とか工夫して理解できるようにする,というのがぼくのモットーではあります。

 しかし,そうすると,教えすぎることにつながることがあるのです。

 子ども自身が試行錯誤の中から学ぶことは多いです。失敗の中から得たものは大きいです。

 そのような失敗をすべてぼくら教える者が奪ってしまっては,考えることができなくなってします。自分で分かろうとする工夫をしなくなります。

 「転ばぬ先の杖」はよくもあり,また悪くもあります。転んでみるのも,いいことなのです。

 いま英語のテキストの改訂作業をしています。

 ぼくはどうも甘いようです。妻はきびしい。

 生徒がよく間違えるところを,間違えることが少なくなるように変えようとぼくがする。すると,妻が反対する。

 妻の言い分は,
 間違えてもいいんだ。間違えてから,もっとじっくり考えて直せば,最初から楽な問題を解くよりも,力がつくんだ,ということでしょうね。

 よく分かります。ジレンマですね。

式の展開は,100ます方式で
 中学2年生は,文字式の計算をしています。そこに簡単な式の展開が出てきます。

 2(a+3b+4c)

 のようなものです。簡単な計算の部類です。それがなかなか出来ない生徒がいます。

 そういう子には,100ます方式でさせれば,けっこう間違えることなくやってくれます。

    a  +3b  +4c
─┼─────────────
2 │

 のように書いて,たてと横がまじわったところに,その積を書くのです。

    a  +3b  +4c
─┼─────────────
2 │ 2a  +6b  +8c

 これで,出来上がりです。
 計算が苦手な子でもこれで大丈夫!!

 もっと複雑な式の展開にも有効です。だから,ちょっとできる子もこれでさせた方がいいのかな,と考えています。

 因数分解にも利用できます。それは次の記事で。

自ら考えて行動する力・・・セルフ塾のおかげ
「家庭からの通信」でお便りがありました。

いつもお世話になっております。ありがとうございます。

先日の家庭訪問にて、うれしいことがありましたので、ペンを執りました。

 本人が塾の話しをしていて、担任の先生にとって、とても興味深いようで質問がありました。セルフ塾の趣旨や要項、内容などについて、、、、。

 今までの長い教職生活で初めて知るセルフ塾の趣旨に「素晴らしい塾ですね」と話していました。

 そして学校での本人の様子を、自ら考えて行動できること、その日も先生がすっかり忘れていたことを気付いて用意してくれたこと、係でないときでも気づいて黙って準備したり、手伝ったりしてくれることなど話してくれました。

 そして一言「セルフ塾に行っているから身に付いているのですね」とおっしゃっていて、2年余り続けてセルフ塾で学べたことを本当によかったなと思っています。

 親として一番気にかけていた、成績よりも人として自ら考えて行動できること(生きる力)、そして自分のことのみでなく他者への思いやり、気遣うことができることが少しでも身に付いていることを知り、セルフ塾のおかげだと感謝しています。

 学習面のみでなく、生活面での大切なことをいろいろご指導くださり、一人一人の心理、性格に合った指導法に、先生方との出会いに、心より感謝!!

 ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。



(塾から)
 うれしいお便り、ありがとうございます。

 お母さんの書かれている「自ら考えて行動する力、他者への思いやり」は学力よりも大切なことだと同感いたします。

 これは、もちろん私どもセルフ塾の育てたものというより、お母さん、お父さんが子どものころから培ったものだと考えられます。

 ただ、私どもの指導が少しでもそれのお手伝いになっていいれば、うれしく思います。

まい晩、身なげをするやつは、おまえだろう・・・何がわからないのかわからない
 中2のN君は読書として「日本のわらい話」を読んでいます。


 その中に「身なげ」という短い話があります。わずか2ページの話です。

 両国橋で毎晩のように身投げがあります。番人が見張りをします。すると
 

 あやしい人影があらわれて、橋のらんかんを、くぐろうとします。
 それっとばかり、番人は走り寄り、うしろから、むんずと、かかえこんでいいました。
「やいやい。まい晩、身なげをするやつは、おまえだろう。」

 さて、この話しの面白いところがNくんには全く分からないようです。
「これは笑い話なんだけども,この話しのどこが笑えるところなの?説明してごらん」
 と僕は問いかけました。

 適当に答えているうちに,この「毎晩身投げをする奴はお前だろう」というところを読み上げました。

 笑い話のおちは一番最後にあります。よくわからなくても一番最後の行がポイントになるのです。

 それで
「確かにそこが面白いところだ。では,この『毎晩身投げをする奴はお前だろう』の何が面白いの?」
 と僕は訊ねました。

 それに対して,あれやこれや言うのですが,まったくピントが合いません。

 そうこうするうちに 15分ほども立ったでしょうか。

 小学生も目の前にいます。そのぼくらの会話を聞いていたの小学生の一人Sくんが,「『身投げ』って何?」とぼくに尋ねました。

 僕は,そのとき「しまった」と思いました。僕にとって「身投げ」というのはよく知っている言葉です。その言葉の意味を知らない,ということもあるということを,うっかりしていました。

 Nくんは言葉のひとつ一つの意味は分かっているが,状況を思い浮かべることができないから理解できないんだ,と思って,何度も似たような問いかけをしていたのです。

 それでN君に「身投げって何か知っている?」と尋ねました。

 すると「知らない」というのです。

 この短い文の中で「身なげ」を知らないで,この文の意味がわかるはずがありません。

 それで,「それでは辞書を引きなさい」といいました。

 小学生もそのときには,ぼくらの会話に関心をもっているので,さっさと辞書を引いて納得したようです。辞書引きも小学生が速い。

 Nくんも辞書を引き,意味は分かったようです。でも,すぐには,おもしろさが分からないようです。

 でも,しばらくすると何とか納得したようでした。

 さて,
 「まい晩、身なげをするやつは、おまえだろう。」
 の意味がよく分からない。ぼくに何度問われても分からない。15分もです。そして,その中の「身投げ」という意味が分からないのです。

 そこで,なぜ「身投げって何だろう」と疑問に思わなかったのでしょうか。ぼくにはそれが分かりません。

 何が分からないのか,まったく分からないのでしょうね。身投げの意味が分からないから,分からないんだ,ということが分かれば,辞書を引けばいいのです。

 小学生のSくんは「身投げって何?」と言いました。その言葉がネックになっているのが分かったのでしょう。そこまでくれば解決は早い。

 でも,何がネックになっているのか分からない子は,道を開いていくことができません。

 そういう,何が分からないのか分からない子の指導をどうすればいいのか,ぼくの課題です。
 

全国商工新聞にぼくが
 全国商工新聞(5月17日付)にぼくが載っています。
 4面、中ごろ、「9万人超が参加 県内移設反対心一つに」の見出しの2段目です。

 会場近くで学習塾を経営する沖縄民商会員の仲松庸次さんは「基地は結局戦争の道具。超党派が基地反対で集まったのは初めて。本当に意義のある集会だった」と振り返ります。


 大会翌日、知人で元民商事務局員のShueiさんが記者をつれて、塾までやってきました。1時間ほどお話をしました。
 わずかこれだけの記事のために1時間も話をしてご苦労さんですね。

4月皆出席、27人 
4月は、27人の生徒が皆出席でした。
 27人は、在籍46人中の58.7%にあたります。
 前年度4月は,58.3%だったので,0.4ポイントだけ上になっています。

(小学部)
小3(0人/1人) 
小4(1人/1人) Taiki
小6(3人/6人) Marin・Riko・Ayari

(中学部)
1年(4人/5人) Shotaro・Akito・Tsuguru・Mirei
2年(10人/17人) Saika・Asuka・Kodai・Senri・Shuichi・Tsubasa・Seiryu・Takuho・Shin-ichiro・Mone
3年(9人/16人) Chika・Kenta・Kazuki・Makoto・Moeko・Yuka・Kanta・Suzuka・Munehiro

年間出席率100% Rikoさん,Asukaさん,Kantaくん
 2009年度の年間出席率が出ました。この1年間1度も休まずにセルフ塾で学習を行った生徒は今年は濱元Rikoさん(小5),国吉Asukaさん(中1),比嘉Kantaくん(中2)の3人でした。前年度は2人だけだったので,1人増えました。


  2009年度セルフ塾年間出席率ランキング(年間出席率95%以上の生徒たち)

(小学の部)
1位 濱元 Riko 100.0%
2位 比嘉 Ayari 99.2%
(途中入塾)
長浜 Marin 100.0%
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(中学の部)
1位 国吉 Asuka 100.0%
1位 比嘉 Kanta 100.0%
3位 宮城 Ryota 99.5%
4位 仲宗根 Makoto 99.5%
5位 伊波 Ayaka 99.1%
6位 伊波 Saika 98.5%
7位 末吉 Kodai 98.0%
8位 濱元 Shin-ichiro 97.1%
9位 幸地 Yohei 96.8%
10位 當山 Shuya 96.6%
11位 波平 Moeko 95.7%
shussekichuu.jpg



2m+2n → 2(m+n)
 中学2年生は,文字式を学んでいます。文字式による証明が出てきます。証明は子どもたちにとって難しいものです。

 「偶数と偶数の和は偶数であることを示せ」といった問題。

 2つの偶数は,2m と 2n と書くことができます。
 その和は
 2m + 2n

 問題は次です。これを因数分解して
 2(m+n) としなければいけません。この式になると,2×整数 なので,これは偶数だと証明できます。

 ふつうの参考書や問題集では,
  2m+2n=2(m+n) について何の説明もせずに書かれています。

 2(m+n) → 2m+2n は,子どもたちはすぐにできます。「分配法則だよね」などといいながら。

  でも
 2m+2n → 2(m+n) はきちんと学んでいないのです。ここでつまずきます。
「何?,これ?」 です。

 分かる人にとっては,
2(m+n) → 2m+2n と
 2m+2n → 2(m+n) は同じことではないか,といったところでしょう。
 
 しかし,学習進行中の人にとっては,まったく初めてのものなのです。

 だから,ぼくのテキストでは,このようなことを学ぶページをきちんと設けてから,証明の問題に入ります。

 このようにつまずくということもぼくは生徒に教わりました。塾を始めたときは,ぼくも当然こんなのは簡単にできるだろうと思ったのです。

 でも,ほとんど全員がここでつまずくのですね。だから,このことについて教えることが必要だと分かったのです。

 生徒の立場に立つことによって分かることは,少なくありません。

NHK基礎英語1の木村松雄先生
 rinkaanさんから,メールをいただきました。ありがとうございます。


件名:NHK基礎英語と英語の意訳法

以前、英英辞典だとか、英語教育には直訳法がよいといった趣旨のことを書いたものです。

実は最近分かったことですが、このような考え方を真っ向から否定している人がいました。なんと、NHK基礎英語1の木村松雄先生です。この人は中学生にも英語をおしえる経験が豊富だとか。青山学院中学で教えたのでしょう、たぶん。またNEW Horizonの共編者の一人でもあります。

さて、木村先生の発言です。「できるだけ自然な日本語の訳を一文ずつ考え」といった学習法を指導します。英語もスゴイです。

基礎英語5月6日の段階で次のような英文です。

「池の真ん中にあるあれは島なの?」
Is that an iland in the middle of the pond?

↑ スゴイですよね。こんなのをやらせてしまう。

6月号でも平気で「正と負の数のわり算について理解している」 Do you understand about division of positive and negative numbers? だとかあります。名詞を後から修飾する語句がでてくるものもがんがんでててくるんですよ。

東京では、NHK基礎英語を薦めているのは、桜蔭や四谷双葉のようなトップ校であり、エリート英語教育の方法論なのかもしれません。しかし、公共放送だと考えるとちょっとびっくりしました。

まとまりのない文章ですが、「ぴっくり」を伝えたく、メールいたしました。



 情報をありがとうございます。木村松雄先生ですね。気をつけてみたいと思います。

 すごいのをどんどん自然に訳しているのですね。

 アマゾンで木村松雄先生の著書で何かいいのかさがしてみました。いくつかありますが,何にしようかまだ決めきれないところです。


コメント,メールのブログ掲載について

big:おっきい large:大きい 
 きのうは,littleは「ちっちゃい」、 smallは「小さい」について書きました。

 きょうは,「大きい」について。

 ヤフー辞書から


[類語]bigとlargeは基準を超えて大きいことを意味するが, 同じ大きいものでもbigが重さ, 重み(重要度)の側面を強調する傾向があるのに対し, largeは量や広がりといった側面を強調する傾向がある. そこから, bigにはしばしば主観的な評価の意味合いが伴うのに対し, largeは比較的客観的にサイズを問題にしている感じがある. 反意語としてはbigとlittle, largeとsmallが対応.



 ここにもありますが,

 「反意語としてはbigとlittle, largeとsmallが対応」します。

 主観的な大小がbigとlittle
 客観的な大小がlargeとsmall

 いま使っている教科書準拠の問題集に,smallの反意語がbigのようなことが書かれていましたが,明らかに間違いです。

「エクスプレスEゲイト英和辞典」から

little : big, large はともに「大きい」という意味だが,bigの方が口語的で話し手の主観が含まれることがある。また「重大な」という意味ではbigを使う。客観的な規模(サイズ)・数量の大きさについてはlargeが使われる。



「図解英語基本語義辞典」から

 対象の規模・数量が大きいとき、客観的にはlargeと言うが,感情を加えてこの状態を表現するときにはbigと言う。



「英語語義イメージ辞典」から 

 largeが(大きい)なら,bigは(おっきい,でっかい),これはtall(高い):high(高ーい),あるいはsmall(小さい),little(ちっちゃい)の関係も同様



「ヴィスタ英和辞典」から
bigとlarge の意味のちがいは説明ありません。

 
 ぼくが作った現在のテキストでは、big「大きい(感情を加えて)」、large「大きい(客観的に)」ということで区別しています。

 「小さい」同様に、子どもたちはよく間違えます。今回の改訂で変更しようと思っています。

big:おっきい または でっかい
large:大きい

big:大きい
large:大型

 big:おっきい large:大きい がいいかな。

中学,地区総合体育大会特別休暇
 セルフ塾から中学生の部関係者に連絡です。
 明日は休みではありません。

 通常第3火曜日はスペシャルオフで休みですが,明日はそうではありません。
 6月の最初の週に中体連体育大会があります。スペシャルオフは,その直前に移動します。

6月4日(金)~6日は,沖縄県中頭地区中学校体育連盟の第37回総合体育大会です。

 それで,以下のように休みを集中させました。

○ 6月4日(金曜日)は,中学地区総合体育大会特別休暇とし,中学の部は休みとします。

○ 5月のスペシャルオフを1週間繰り下げ,6月のスペシャルオフを繰り上げ3日4日も休みとします。それで,中学地区総合体育大会前の水曜日~金曜日は連休になります。

 毎年6月には,中学地区総合体育大会が行われます。中学生にとってはとても大きな行事で,その前は部活中心となり,塾の勉強にもなかなか身が入らないようです。

 勉強も大切ですが,部活でもがんばってもらいたいです。

 セルフ塾も応援します。


普天間基地包囲行動に参加
昨日は普天間基地包囲行動に参加しました。かなり大粒の雨が降る中でした。それでも多くの人が参加して、人間の鎖はぐるりとつながったそうです。

 この激しい雨の中で、包囲行動が成功したのは、かなり意味が大きいのではないかと考えています。

 昨日は午前中、古堅中のテスト勉強がありました。それを12:30に終了し、1時過ぎに、京子と二人で出かけました。

 天気予報でも強い雨が降るとのことでしたが,その予報通り、出発する時はかなりの雨が降っています。大雨警報も出ていることでしょう。

 この雨のために参加を取りやめる人がいるかも知れないと心配になりました。

 二人とも雨合羽を来てスクーターに乗りこみました。雨にうたれながら走りました。雨の中でめっとにスクーターに乗らない京子は,「雨が痛いね」と言っています。

 そして人間の鎖が始まる2時前には現地に到着することができました。

 僕の所属する民商グループの旗を探して、走りました。スクーターは便利です。民商グループの前にスクーターを駐車してみんなの中に入りました。

 よく知った仲間たちです。

 2時、2時半、3時の3回手をつないで基地をぐるりと囲みました。

 3回のうち2回は切れ目なく手をつなぐことができたそうです。

 そこにいる時も雨はよく降っていました。時々は小降りになりますが、雨が続いています。梅雨時なのでしょうがないことでしょう。

 人間の鎖は 1回につき3分ほどなので、そのほかの時間は近くにいる仲間とおしゃべりを楽しみました。

 僕は民商のグループにグループの一員として参加しましたが、一般市民の参加も多いように感じました。県民大会後、県民の意識は高まっているようです。

 目の前は大きなスーパーマーケットがあります。そしてその通りにはお店や民家がずっと立ち並んでいます。普天間基地のすぐそばがこのような人家が立ち並んでいるのです。本当に危険な場所だと改めて感じました。

 日本政府が代替基地を探すというよりも、この危険きわまりない基地をすぐにでも無条件に撤去することが必要だと思います。そして、そのあとアメリカ軍基地をどこに作るかなどは、アメリカ政府の責任にすればいいのです。そういう気持ちを込めながらみんなと手を握っていました。

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琉球朝日放送 報道部
基地の無条件返還を! 普天間包囲行動に1万7000人
普天間基地の即時閉鎖・無条件返還を求めて人間の鎖で基地を取り囲む「普天間包囲行動」が16日、市民らおよそ1万7000人が参加して行われました。


littleは「ちっちゃい」、 smallは「小さい」
 little と small 。どちらも「小さい」ですね。その違いが分かりますか。

 ヤフー辞書から

[類語]サイズが「小さい」の意では, smallがもっとも一般的. littleには「小さい」ことに伴う愛らしいという気持ち, 重要でないという評価などが含まれる(反意語はsmall⇔large, little⇔big). tinyはきわめて小さいという感じ. minuteは識別の困難なくらい小さいという感じ.



「エクスプレスEゲイト英和辞典」から

little : 「小さくてかわいい」「ちっぽけな」といった話し手の感情を含む

small: 大きさなどが「客観的に小さい」という意味



「図解英語基本語義辞典」から

 対象の規模・数量が小さいとき、その状態を客観的にはsmallと言う。smallに感情(かわいさ、幼さなど)を込めて言うと little になる。



「英語語義イメージ辞典」から 

 対象の規模・量が小さいとき、その様子を客観的にはsmall(小さい)、感情込めて言うとlittle(ちっちゃな)になる。



  「図解英語基本語義辞典」と「英語語義イメージ辞典」は同じ著者なので似た説明です。

「ヴィスタ英和辞典」から
little と small の意味のちがいは説明ありません。

 
 「図解英語基本語義辞典」の説明を参考にし、ぼくが作った現在のテキストでは、littel「小さい(感情を加えて)」、small「小さい(客観的に)」ということで区別しています。

 でも、子どもたちはよく間違えるのです。little も smallも「小さい」と覚えているのです。( )内の説明は無視して。

 それで、今回の改訂ではもう少し工夫をしたいな、と考えています。説明的ではなく、もっと違う言葉にしたほうがいいと思います。

 候補は二つ
small:小さい
little:ちっちゃい(な)

small:小型(の)
little:小さい

 「ちっちゃな」はかなり幼い感じがします。

 「小型」と漢語にすると、客観的なニュアンスが入るような気がします。
 
  「ちっちゃな」の魅力は、ちゃんとした辞書に書かれているということですね。権威がある。

 ヤフー辞書にある例文から
・ a little box 「ちっちゃな箱」小箱
・ a little woman 「ちっちゃな女の人」小柄な女性
・ the littlest boy 「一番ちっちゃな少年」いちばん小さな男の子
・ a little cake「ちっちゃなケーキ」小さなお菓子
・ a nice little house「すてきなちっちゃな家」小さなすてきな家
・ a little family「ちっちゃな家族」小家族
・ a little village「ちっちゃな村」小村.

 悪くないですね。

・ a small notebook「小型のノート」小さなノート
・ a small home「小型の家庭」小さい家
・ a small room「小型の部屋」狭い部屋
・ small wrists「小型の手首」細い手首
・ a small man「小型の男」小柄な男
・ This jacket is too small for me.「このジャケットは私には小型すぎる」このジャケットは私には小さすぎる
・ Small is beautiful. 「小型は美しい」小さいことはよいことだ.

 少しかたいなか。

周囲のみんなが真剣に勉強
(家庭からの通信より)

 「友達と一緒にセルフに入りたい」と、本人の希望で入塾しました。

 部活をしながら週に5日は○○が続くかな?と思っていましたが、塾に行くと周囲のみんなが真剣に勉強をしているので、自然と本人もやる気が出るようです。

 今のところやる気満々で頑張っています。



 (塾から)
 塾では、学習に集中して取り組んでいます。
 部活をしながらの週に5日の塾での学習は大変だとは思いますが、頑張ってもらいたいものです。
 そのうちに、このような生活が当たり前になり、楽に楽しく学習に取り組むことができるようになるはずです。
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