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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

客観的視点があるからYOJI文章になるんだ
ジジ・アマデウスさんから,「私は~~です」の記事にコメントをいただきました。ありがとうございます。


そうなんだ・・・
なんとなく、なんとなく言いたいことが分かった感じです。
よく文章を書いているYOJI兄が、「自分の文章はおもしろくない」
というのは・・・何故かなと。
始めは、行間が問題だ!?と思いました。

上記文章は行間OKだけど、時々行間なくザァーと書くときあるから
読む人が息がつけないこと・・・じゃないかな?って。

だから次またそんなメール来たときは
「息!」「息!」息しよう!・・・と書こうと思ってた。

でも、大学時代の心理学の課題の一つだったと知って
「ヘェ~」って。
「私は○○です」は面白い分析するんですね。

私にはYOJI兄の客観的視点の文章が
「こうもきちんと文章化できるな!?学者タイプだ!」
と私にはない力を見てたんですがね。

客観的に物事を見、自分なりに分析しようとする力。
それがあるからYOJI文章になるんだと思う。
悪くないと思うけどな。

だって、おもしろいもん。このブログ!

でも・・・私だったら何て答えるかな?
「私は○○です」
きっと、誰も知らない私を露出するはず(^^)v


 ジジ・アマデウスさん、.評価していただきまして、ありがとうございます。

 客観的な文章に関しては、わかりやすいと言ってくれる人がほかにもいます。自分でもいろいろ工夫しているつもりなのでそれが評価されるとうれしいです。

 確かに、それが僕の文章なのだろうと思います。

 ジジ・アマデウスさんからいただくメールの文はとてもおもしろいので、そういうのを見ると、ないものねだりをしてしまうのです。

 でも、あきらめないで、生活の文や、感覚を使った文に関して、少しずつでもジジ・アマデウスさんに近づけるように努力していきたいと思います。

 またブログも面白いと評価しれたこと、とてもうれしいです。これからも頑張って面白いブログを書いていきたいと思います。

 行間も気をつけますね。きょうのはいいかな?
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理解力のない生徒は、僕の厳しく教師
 前にも似たようなことを書いたのですが、最近改めてまた感じるので少し視点を変えて書きます。

 最近の記事に書きましたが、「スコアボード式、正負の数の足し算」、また「賛成、反対、正負の数の掛け算」などいろいろ教え方を考え出してきました。ぼくはけっこういいアイデアだと思っています。

 さて、このようなアイデアが出てくるのは、理解力のない生徒を教えているからです。

 僕の教えるときのモットーは「学び手は常に正しい」です。

学び手は常に正しい

 この場合、理解力のない生徒はつねに正しいということです。

 どういうことか説明します。理解力がないから問題が解けない、それはそうです。しかし、私が一所懸命に教えているのに、これが分からないのは、あなたに理解力がないからなのだ、だからあなたのせいなのだ、ということで片づけても何の解決にもならないということです。

 理解力がない子に、あなたは理解力がないからこの問題が解けないんだ、と告げてもその子はそれを改善することはできません。そうなりたくて理解力がないわけではないのです。「はい、私は理解力をつけます」ということでつくのならなんの苦労もいりません。

 ではどうするべきなのか。
 教える方が、その子にもわかる教え方を工夫をしなければいけないのです。これまでのやり方で理解してくれない場合には、その子に理解させるために、どのような教え方をすればいいのか、いろいろ工夫をしなければいけないのです。

 「教え方をもっと考えろ」と子どもたちに言われてるようなものです。

 そういう意味では、理解力のない生徒は、僕を厳しくスパルタ的に教える教師なのです。

 「私が理解できないのは、あなたの教える力がないからだ、もっと教え方を工夫しなさい」、と子どもはぼくに言っているのです。

 理解力のある生徒を教えるのは、とても簡単なことです。
 問題を与えて解かせます。そして間違ったところ指摘して、もう一回考えてごらんと突き放せばいいのです。それでも分からなければ、参考書で調べなさい、それだけで理解力のある子どもはついてきてくれます。何の工夫もいりません。

 それに対して理解力のない子どもを教えるというのはとても難しいものです。教える力がかなりないと教えることはできません。

 だからいつでも教え方をもっと工夫しろ、と子どもたちに迫られているのです。必要に迫られているのです。

 そのような理解力のない生徒を教えるということの中から、いろいろ教え方のいいアイデアが生まれてくるのです。必要に迫られているので、そのようなアイデアが産まれてくるのです。

 そういう意味で「必要は発明の母」だというのは真理だと思います。

 ネットで「必要な必要は発明の母」を検索すると英文も出てきたので、ついでに載せておきます。

必要は発明の母
Necessity is the Mother of Invention


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