僕は、メモ代わりに別のブログを持っています。下書きをしたりして,まとまってないことを書いたりしています。
先ほどの 「LOVE異なるから愛する」の文を一時的にそのブログに保存しようととしたところ、次の文が赤い文字で出てきました。
すぐにわかりました。「近親相姦」という単語に反応したのでしょう。
しかし、前の記事の文を読んでいただければわかると思いますが、あの記事は「わいせつもしくは公序良俗に反する」ものではない、ちゃんとした議論の記事だです。
そういう種類のものでないのは読んでいただければすぐにわかるはずです。
単純にある単語が書かれていたら、それが「わいせつもしくは公序良俗に反する」と判断されていいのでしょうか。
それこそ、自由に物を言う権利を侵すものだと思います。
機械的にロボットにやらせなければ経費もかかり大変なのでしょうが、もっと考えてもらいたいものです。
先ほどの 「LOVE異なるから愛する」の文を一時的にそのブログに保存しようととしたところ、次の文が赤い文字で出てきました。
わいせつ、もしくは公序良俗に反すると判断された表現が含まれています
すぐにわかりました。「近親相姦」という単語に反応したのでしょう。
しかし、前の記事の文を読んでいただければわかると思いますが、あの記事は「わいせつもしくは公序良俗に反する」ものではない、ちゃんとした議論の記事だです。
そういう種類のものでないのは読んでいただければすぐにわかるはずです。
単純にある単語が書かれていたら、それが「わいせつもしくは公序良俗に反する」と判断されていいのでしょうか。
それこそ、自由に物を言う権利を侵すものだと思います。
機械的にロボットにやらせなければ経費もかかり大変なのでしょうが、もっと考えてもらいたいものです。
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LIKEについて前に書きました。LIKE は 「似ている」にから「好きになる」ということでした。
like : 似ているから好きになる
さて.きょうは「愛する」LOVEについて書きます。
なお、これから書く「愛する」というのは、親子や家族などの愛ではなく男女間の性的な愛についてです。
愛するのは異なるから愛するといえると思います。今日は英語についてということではなく遺伝子的に書きます。likeの語源は「似ている」と「好む」が同じでしたが、loveが「異なる」と「愛する」が同じというのではありません。
まずアフリカの飢饉について書きましょう。
アフリカは作物が実らずに飢饉になり、飢餓で死んでしまう人が多いようです。
なぜでしょうか。
それはヨーロッパやアメリカの植民地政策によるそうです。
ヨーロッパ人はアフリカの生産高を高めるために単一作物をつくるようにしたのです。コーヒーならコーヒー、カカオならカカオだけを作るのです。
一つのものをつくるのですから大規模で合理的です。大量生産ができます。
だからそれがうまくいってるときには大もうけするのです。
しかし、ちょっとした気候不順で、その作物に悪い状況が起こったとしましょう。そうすると全滅してしまうのです。全滅するので食べるのもありません。それで飢饉になり、飢餓で死んでしまう人が出るのです。
それ以前はどうだったかというと、いろんな種類の作物を少しずつ作っていたのです。だから大量生産をすることはできません。しかし気候不順になっても、すべてがだめになるわけではありません。そういう気候に強い種類の作物が中にはあるのです。
だから貧しくても生きのびることができたのです。
さて、近親相姦というのがあります。それは禁じられています。なぜでしょうか。それが禁じられるのは全世界的なものだと思われます。一つの文化としてというわけではなく自然の法則として近親相姦が禁じられているのです。
それは近親相姦を続けることによって、同じ遺伝子を持つ子どもたちが多くなるからです。
そういうなかである病気が流行ったとします。その場合にはすべての子どもが死んでしまいます。自分の遺伝子が絶えてしまうのです。
しかし、いろんな遺伝子を持つ子どもがいたとしましょう。
兄弟の中のほかの子は死んでも、別の子が生き延び残るということがあり得るわけです。その病気に強い遺伝子を持つ子が中にはいるのです。
だから似た遺伝子を持っている人と結婚をするのではなく、違う遺伝子を持つ人と結婚をして、いろんな遺伝子を持つ子を作る。それが遺伝子が生き延びる道なのです。それが自然の法則なのです。
フェルモンというのがありますね。雌の出すにおいで、遠くからでもやってきて性的にまじわろうとするものです。
人間には性的なフェルモンはないと言われてきましたが、それがあるのだそうです。
次のような実験が行われています。
汗のにおいをしみ込ませたシャツを女性にかがせるのです。いくつもの中でどのにおいを好むかというのでを調べたそうです。
そうすると自分の遺伝子とは異なる人の匂いが沁み込んだシャツを選ぶ傾向があったのだそうです。
つまり、自分とは違う人と一緒になりたいという本能的なものが人間にはそなわっているのでしょう。
そうすることによって、いろいろなパターンの遺伝子を持った子供ができるわけです。
そう考えると、愛するLOVEというのは「異なるから愛する」といえるのではないでしょうか。
likeが「似ているから好きになる」というのもありそうですし、
loveが「異なるから愛する」ということも、またいえるような気がするのですが、
どうでしょうか。
like : 似ているから好きになる
さて.きょうは「愛する」LOVEについて書きます。
なお、これから書く「愛する」というのは、親子や家族などの愛ではなく男女間の性的な愛についてです。
愛するのは異なるから愛するといえると思います。今日は英語についてということではなく遺伝子的に書きます。likeの語源は「似ている」と「好む」が同じでしたが、loveが「異なる」と「愛する」が同じというのではありません。
まずアフリカの飢饉について書きましょう。
アフリカは作物が実らずに飢饉になり、飢餓で死んでしまう人が多いようです。
なぜでしょうか。
それはヨーロッパやアメリカの植民地政策によるそうです。
ヨーロッパ人はアフリカの生産高を高めるために単一作物をつくるようにしたのです。コーヒーならコーヒー、カカオならカカオだけを作るのです。
一つのものをつくるのですから大規模で合理的です。大量生産ができます。
だからそれがうまくいってるときには大もうけするのです。
しかし、ちょっとした気候不順で、その作物に悪い状況が起こったとしましょう。そうすると全滅してしまうのです。全滅するので食べるのもありません。それで飢饉になり、飢餓で死んでしまう人が出るのです。
それ以前はどうだったかというと、いろんな種類の作物を少しずつ作っていたのです。だから大量生産をすることはできません。しかし気候不順になっても、すべてがだめになるわけではありません。そういう気候に強い種類の作物が中にはあるのです。
だから貧しくても生きのびることができたのです。
さて、近親相姦というのがあります。それは禁じられています。なぜでしょうか。それが禁じられるのは全世界的なものだと思われます。一つの文化としてというわけではなく自然の法則として近親相姦が禁じられているのです。
それは近親相姦を続けることによって、同じ遺伝子を持つ子どもたちが多くなるからです。
そういうなかである病気が流行ったとします。その場合にはすべての子どもが死んでしまいます。自分の遺伝子が絶えてしまうのです。
しかし、いろんな遺伝子を持つ子どもがいたとしましょう。
兄弟の中のほかの子は死んでも、別の子が生き延び残るということがあり得るわけです。その病気に強い遺伝子を持つ子が中にはいるのです。
だから似た遺伝子を持っている人と結婚をするのではなく、違う遺伝子を持つ人と結婚をして、いろんな遺伝子を持つ子を作る。それが遺伝子が生き延びる道なのです。それが自然の法則なのです。
フェルモンというのがありますね。雌の出すにおいで、遠くからでもやってきて性的にまじわろうとするものです。
人間には性的なフェルモンはないと言われてきましたが、それがあるのだそうです。
次のような実験が行われています。
汗のにおいをしみ込ませたシャツを女性にかがせるのです。いくつもの中でどのにおいを好むかというのでを調べたそうです。
そうすると自分の遺伝子とは異なる人の匂いが沁み込んだシャツを選ぶ傾向があったのだそうです。
つまり、自分とは違う人と一緒になりたいという本能的なものが人間にはそなわっているのでしょう。
そうすることによって、いろいろなパターンの遺伝子を持った子供ができるわけです。
そう考えると、愛するLOVEというのは「異なるから愛する」といえるのではないでしょうか。
likeが「似ているから好きになる」というのもありそうですし、
loveが「異なるから愛する」ということも、またいえるような気がするのですが、
どうでしょうか。
楽しく勉強する、楽しく学習する
mixi「セルフラーニング」に立ち上げたトピックです。
はじめまして帳に
くるんさんから
>>もっと楽しんで勉強してもらいたいと思っているのですが
というコメントをいただきました。
ぼくは、
>> 楽しく学習してもらいたい、
願いは同じです。
と、気軽な気持ちでコメントを返しました。
そしてあとで「楽しく勉強する、楽しく学習する」、というのはどういうことだろうかなと考えてみました。
いまぼくの頭の中に三つあります。
一つは、子どもの好きなことをさせるということです。以前サドベリーの学校について意見を交換し合いました。その学校では子どもが好きなことだけをさせるそうです。そうする中で自分で何を学んだらいいのかを見つけ、そしてその時に学べばいいというのです。
一つの試みとしては面白いかも知れません。しかし実行するのは、今の日本では難しいと思います。
二つ目は、ゲームのような子どもの楽しいことをさせながら、それの中に学ぶことを紛れ込ませるということです。
すごろくをしながら、数の概念を教えていく。
買い物ごっこをするなかで、足し算引き算を教える。
などが考えられます。
このコミュで以前意見交換をした、漫画で学ぶなどもその中の一つでしょう。
それはうまくいけば面白いものです。漫画で学ぶというのは、僕自身が好きですし、結構有効な方法だと思います。
三つ目は、学ぶこと自体が面白い、学ぶこと自体が楽しいとすることです。
わかるというのは、楽しいことです。
塾に入ってしばらくすると、「わかると面白いね」という言葉をよく耳にします。これまではわからなかったから面白くなかったのですね。それがわかるようになると勉強そのものが面白く感じるのです。
面白いというのは楽しいとつながると考えて今書き込んでいます。
だからどのようにすれば、子どもたちがわかるようになるのか、というのがその場合の課題になります。
僕はそれを大切にしています。子どもたちがわかる学習をするにはどうすればいいのかということです。
そのための一つの方法が、セルフラーニングです。セルフラーニングだと個人で自分のペースで学ぶことができます。ほかの子と歩調を合わせるのではなく、自分がわかるように学習を進めていく。そうすると子どもたちもわかって、そして楽しく学習をすることができるのではないでしょうか。
また、ビール片手に、気軽な気持ちで意見を交換し合いましょう。
mixi「セルフラーニング」に立ち上げたトピックです。
はじめまして帳に
くるんさんから
>>もっと楽しんで勉強してもらいたいと思っているのですが
というコメントをいただきました。
ぼくは、
>> 楽しく学習してもらいたい、
願いは同じです。
と、気軽な気持ちでコメントを返しました。
そしてあとで「楽しく勉強する、楽しく学習する」、というのはどういうことだろうかなと考えてみました。
いまぼくの頭の中に三つあります。
一つは、子どもの好きなことをさせるということです。以前サドベリーの学校について意見を交換し合いました。その学校では子どもが好きなことだけをさせるそうです。そうする中で自分で何を学んだらいいのかを見つけ、そしてその時に学べばいいというのです。
一つの試みとしては面白いかも知れません。しかし実行するのは、今の日本では難しいと思います。
二つ目は、ゲームのような子どもの楽しいことをさせながら、それの中に学ぶことを紛れ込ませるということです。
すごろくをしながら、数の概念を教えていく。
買い物ごっこをするなかで、足し算引き算を教える。
などが考えられます。
このコミュで以前意見交換をした、漫画で学ぶなどもその中の一つでしょう。
それはうまくいけば面白いものです。漫画で学ぶというのは、僕自身が好きですし、結構有効な方法だと思います。
三つ目は、学ぶこと自体が面白い、学ぶこと自体が楽しいとすることです。
わかるというのは、楽しいことです。
塾に入ってしばらくすると、「わかると面白いね」という言葉をよく耳にします。これまではわからなかったから面白くなかったのですね。それがわかるようになると勉強そのものが面白く感じるのです。
面白いというのは楽しいとつながると考えて今書き込んでいます。
だからどのようにすれば、子どもたちがわかるようになるのか、というのがその場合の課題になります。
僕はそれを大切にしています。子どもたちがわかる学習をするにはどうすればいいのかということです。
そのための一つの方法が、セルフラーニングです。セルフラーニングだと個人で自分のペースで学ぶことができます。ほかの子と歩調を合わせるのではなく、自分がわかるように学習を進めていく。そうすると子どもたちもわかって、そして楽しく学習をすることができるのではないでしょうか。
また、ビール片手に、気軽な気持ちで意見を交換し合いましょう。
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