○○があなたをフォローし始めました
といったメールです。
ぼくがほかの人をフォローした時には
仲松庸次があなたをフォローし始めました
というようなメールが届くのでしょう。敬称が付いていないのです。
日本語ではこういう場合には
仲松庸次さんがあなたをフォローし始めました
となるのが普通でしょう。「さん」をつけるかつけないかで、とても感じが違います。
たぶんツイッターがアメリカで始まって、英語では敬称はつけないで、フォローしたということを告げるのでしょう。
考えてみると「さん」は便利な言葉です。男であろうが、女であろうが「さん」をつけても全くおかしくありません。
しかし、英語では男か女かをきちんと区別すしなければ、Mr., Mrs., Miss, Mis.といった敬称を使うことができません。ぼくの知識の範囲では、男にも女にも使える敬称はありません。
性を区別してまで、Mr. Mrs. などをつける必要はないということでしょう。コンピュータにそれをさせるのは、面倒でしょう。
しかし、日本語では性を区別する必要がないので、コンピュータに「さん」をつけさせて、
「○○さんがあなたをフォローし始めました」のようなメールにするのはとても簡単なことだと思うのですが。
そこでいろいろな話しが出ました。
ぼくのおばToshikoが無口だという話になりました。とても無口な方でした。もう故人です。
Toshikoおばの長女、ぼくのいとこのHiroko姉が、母Toshikoが無口であるということに理由があるというのです。
「母が子どものころに、親から『真玉橋の 七色ムーティー』の話を聞いたからなのよ。
軽はずみなことを言ってしまうと、それが自分に降りかかってくる、という話を聴いて、それ以来、口数がとても少なくなったのよ。」
僕は、その話を知らなかったので、Hiroko姉に話してもらいました。
先ほど、ネットで検索してみると次のページが出てきました。引用をいたします。
真玉橋の人柱伝説 ― 七色ムーティー
豊見城村と那覇市の間を流れる国場川にかかる真玉橋は、1522年、尚真王により、首里と豊見城間切を結ぶ重要な橋として建設されました。
しかし、当時木で造られた真玉橋は、大雨のたびに洪水で流されてしまうため、1707年尚貞王の時代に、じょうぶな石で造り替えることになったのです。
ところが、工事のために大勢の人をかりだしたにもかかわらず、大雨になるとせっかく造った橋脚が流されてしまうため、工事はなかなかはかどらず、役人たちは困り果てていました。
そんな時ひとりの神女が現れ、「この橋を完成させるためには、子(ね)年生まれデ、七色の元結をした女を人柱として立てよ」と神のお告げがあったといいました。
「な、な、なんと人柱とな」びっくりした役人たちでしたが、神女の言うことにはさからえないため、あらゆる手段を使って探させました。けれども、子年生まれで七色の元結をした女は、なかなかみつかりません。
そんなある日のこと、あの神女も子年生まれであることが、役人の耳に入りました。そこで、役人たちが神女の家を訪ねてみると、なんと神女の元結が七色に輝いているではありませんか。
思わぬ役人の訪れにあわてふためいた神女は、「これは、誰かが私をおとしいれるためのしわざです」と泣きながら訴えましたが、役人たちは耳を貸しませんでした。
あくる日、神女は、自分が口に出した神のお告げどおり、人柱として生き埋めにされることになりました。
大勢の人々がその様子を見守る中でなげき悲しんでいるひとり娘に向かい、神女は大声でこう叫びました。「娘よ、どんなことがあっても人より先に口をきいてはいけない」泣きながら母の最後の言葉を聞いた娘は、それ以来、口をきかなくなったのです。
その後、村人たちは、「物ゆみ者や 馬ぬ さちとゆん」(おしゃべり者は、馬の先を歩いて災いをまねく)と言って、お互いに戒めあったということです。
※七色ムーティーの言い伝えは、本土の「長良川の人柱」という芝居をもとに平良良勝が「真玉橋由来記」として書き直し、昭和10年頃上演されたのが始まりともいわれています。
「雉も鳴かずば撃たれまい」という話しによく似ていると思います。
まんが日本昔ばなし「キジも鳴かずば」
親の話で無口になったというのはおもしろいです。
でも、同じ話を聴いたと思われる次女のFumiおばは、とてもお喋りです(Toshikoおばは長女)。
「2人を足して2で割ればいいのに」という声も聞かれました。
また、Hiroko姉は母親からこの話しをきいたのだが、自分は無口にはならなかったと、笑いながら話していました。
結局は気質の問題かなと思いました。