伊是名島は、琉球国王第二尚氏の始祖尚円(金丸/かなまる)の生まれた島として有名です。
8:21セルフ塾を出発する。その前に犬の梅子や猫たちにえさを与える。
小雨天気予報通り小雨模様。
9:47運天港に到着。有料駐車場に駐車する。愛想のいいおじさんたち。あめ玉が準備されている。
9:51 New伊是名の乗車券を乗船券を買う。往復二人で\6900。
10:03、構内ターミナル売店で朝食の手巻きと飲み物を買う。
10:18 フェリーNew伊是名に乗り込む。
10:30フェリーが動き出す。時間通りだ。
10:38古宇利島の大橋が後ろに見える。
庸次は船室で寝る。
11:34フェリーを降りる
伊是名レンタカーで軽自動車を借りる。
11:48 尚円王御庭公園

12:00尚円王生誕地屋敷みほそ所

尚円王御庭公園
伊是名島内に数多くある尚円王ゆかりの史跡のひとつで、この場所は尚円王の生誕地。王国時代から大切に護られてきた土地で、今も沖縄各地から参拝者が絶えない。園内には高さ3.5mの尚円王像が東方を指して堂々と立っている。奥の林には県史跡の尚円王生誕地屋敷・御臍所[みほそじょ]がある。1415年(応永22)に、金丸が誕生した場所で、大きな石の下にへその緒が祭られている。近くには金丸が産湯を使ったという馬蹄形の井泉、潮平御川[すんじゃがー]がある。
12;04伊是名村諸見の神アサギ
12:04井伊文子歌碑
12:07自動販売機でお茶 110円を買う
12:13逆田

伊平屋島旧記によれば、この逆田は、毎年のように豊作がつづき、又、いかなる大旱魃のときでも、決して水が涸れることはなかった。これを見た下の田主達は、「水をよこし入れた」と思い違いをし、それならばと、ある晩のこと、下の田園に水が流れるように畦を切り開きました。ところが、翌朝いって見ると、我が田園は水が涸れ、上の北(にし)の松金(尚円王)の田園だけが、水を満々と湛えていました。
これは不思議なことだ、さては「水が逆さに流れたんではないか」と巷に噂がながれ、「水が逆さに流れた田園」ということで「逆田」の名がつけられたと伝えられている。
12:25 勢理客の部落
12:37 銘苅殿内

銘苅殿内
伊是名集落にある尚円王の叔父が先祖の銘苅家は、王朝時代に代々島の地頭職を務めた旧家。その住宅が国指定重要文化財に指定されている。
12:48 ノロ殿内とデイゴ

ノロとは村の神事を主宰する神女のこと。伊是名集落のノロ殿内には、推定樹齢400年という県下随一のデイゴの大木が立っている。
12:55 ギタラ展望台

海ギタラ 陸ギタラ
ギタラとは尖った岩山のことで、海にあるのが海ギタラ、山間にあるのが陸ギタラと呼ばれお互い向かい合うように競り立っている。
12:59 サムレー道
13:02 伊是名玉御殿と伊是名城跡

伊是名玉御殿
尚円王の息子、尚真王の時代の1501年(文亀元)、伊是名城跡の北斜面に造られた第二尚氏王統の墓陵。首里の玉御殿[たまうどん]が造営された直後のことだった。県指定史跡。
伊是名城跡
伊是名島にある。第二尚氏に先立ち、1429年に琉球初の統一王朝である第一尚氏王朝を築いたのは尚巴志[しょうはし]だが、島の東端にある伊是名城跡は、14世紀中ごろ尚巴志の祖父にあたる鮫川大主[さめかわうふぬし]が築城した城だ。
13:15 伊是名レンタカーに車を返す。ガソリンのガソリン込みで \2400。
伊是名もずくようかん\840、じーまーみスペシャル\250、計\1090を売店で買う
13:17 フェリーに乗り込む
フェリーに乗ってから大粒な雨が降り始める。伊是名を回っているときはほとんど雨が降らなかったのでかなりラッキーだ。(この後、本降りに。)
ぼくは、船室で寝る。
14:35運天港にフェリーが到着。船を下りる
14:41 駐車場に。駐車料金¥500
15:17 レストラン「まーすやー」に入る。本部町渡久地
17:31セルフ塾に到着。
犬や猫がいるので日帰りです。
午前10:30に、今帰仁村の運天港から伊是名向けにフェリーが出ます。それに間に合わせて読谷村を出発します。
1日空けるので、犬の梅子や猫たちのご飯を朝早くあげに来なければいけません。
7時過ぎには起床です。いつもよりだいぶ早い。
そして 8:15ごろには出発する予定です。
読谷から運天港まではグーグルマップの「ルート・乗換案内」によると 1時間26分。午前10時ごろには港に着きたいものです。
運天港から伊是名まではフェリーで55分だそうです。だから 午前11:30ごろに伊是名に到着する予定です。
伊是名レンタカーに軽自動車を予約してあります。
帰りは午後1:30のフェリーいです。だから伊是名滞在は約2時間ということになります。
2時間の間に欲張りをして、あちこちまわろうと計画しています。できれば以下の地点をすべて回ろうかと考えています。どれだけまわれるかな。
尚円王御庭公園[動植物園・公園]みほそ所
逆田
伊是名村ふれあい民俗館[美術館・博物館]
伊是名集落[建物・史跡]
ノロ殿内とデイゴ[自然]
銘苅殿内[建物・史跡]
伊是名山森林公園[動植物園・公園]
美織所
サムレー道
ギタラ展望台
海ギタラ 陸ギタラ[自然]
しらさぎ展望台
伊是名玉御殿[建物・史跡]
伊是名城跡[建物・史跡]
明日火曜日は11月のスペシャルオフ、
あさって水曜日と明々後日の木曜日は、テスト勉強の代休です。
よろしく。 セルフ塾
「H₂Oには酸素分子が( )個,水素原子が( )個ある」
という問題です。
僕は
「H₂Oの2はHが2つということだよ。
だから、H₂Oは、HHOという意味だ。
5H₂Oの5は、H₂Oが5個あるということだよ」
そうと言って、次のように書かせました。
HHO
HHO
HHO
HHO
HHO
「それでは酸素原子は何個ある?」
「5個」
「水素原子は?」
「10個だ」
とすぐに理解できたようです。
「4 CO₂には、炭素原子が( )個、酸素原子が( )個ある」
という問題を目の前でさせましたが、すぐにできました。
午後2時前に妻と二人で投票場に出かけました。
会場である喜名小学校体育館の前にアンケート用紙をもっている女の子がいます。「出口調査だな」と思いました。腕には「読売」の腕章をつけています。
投票を終わって出てきて、僕から声をかけました。
「写真いいですか?」と。
女の子はびっくりして「いえだめです」と答えました。
まあ、しようがないか、と思っていると、「アンケートお願いします」と言われました。
それで、だれに投票したか、基地問題は、支持政党は、などのアンケートにチェックを入れ、アンケート用紙を戻しました。
「写真家ですか?」というので
「いや、ブログに載せたいから」と答えました。
出口調査に合うのは初めてです。このようにあちこちでやっているのですね。できれば写真も載せたかったのですが。
・・・張倹らしき人物が李篤(りとく)のもとにいる。
そういう報告をうけた外黄の県令である毛欽(もうきん)は、兵を率いて、その門に到った。毛欽を迎えて、家のなかにいざなった李篤は、
「張倹は天下に知られた人であり、逃亡をしていますが、罪を犯したわけではありません。たとえ張倹をみつけても、捕らえてよいものでしょうか」
と、いった。すると毛欽は、立って李篤の肩をなでて、
「遽伯玉(きょはくぎょく)という春秋の大夫は、自分だけが君子になることを恥じた。あなたはなぜ仁義をひとりじめにしようとするのか」
と、ささやくようにいった。ここでの李篤の答えは、さすがというしかない。
「たしかにわたしは義を好んでいますが、あなたにも、今日、その半分をになっていただきたいのです」
毛欽は嘆息すると、家のなかをしらべることをせず、兵とともに去った。
いいな、と感動しました。その感動をみなさんにも味わっていただきたいのです。
さて、この年の十二月に奇妙な叙任があった。
梁冀(りょうき)の弟である梁不疑(りょうふぎ)には馬(ば)という子があり、この梁馬が潁陰(えいいん)侯に封ぜられた。それだけではない。梁冀の子の梁胤にも子があり、名を桃(とう)というが、この梁桃も城父(じょうほ)侯に封ぜられたのである。
梁馬はよいとしても、梁桃が列侯になったことをおどろかぬ人はなかったであろう。なぜならこの年に梁胤はニ十一歳であり、梁桃はようやく立って歩けるようになった幼児にすぎなかったからである。これが梁冀の恣檀(しせん)でなくてなんであろう。
百僚みな眉をひそめたが、その叙任に異をとなえた者はひとりもいなかった。
じつは後漢王朝の創業者である光武帝はこういう事態が生ずることを嫌い、官吏採用試験のなかの秀才{後漢では茂才(もさい)}を重視しなかった。
いくら学問で優秀な成績をとっても、官吏となったかれらは、権力に迎合しやすく、争臣となりえないという事実を、前漢末、王莽(おうもう)が皇位を簒奪(さんだつ)するときに博識の高官たちが無抵抗であったことから知った。
ゆえに光武帝は孝道を重視した。ほんとうに皇帝と王朝のために働くのは、儒学で頭をいっぱいにした官僚ではなく、学識では劣っていても親や目上の人を敬う心をもつ者たちだ。そのように選挙された者たちが官僚になっているはずであるのに、やはり梁冀の横放をとめられなかった。
昔も今も、変らないのでしょうね。官僚は頭はいいが、権力に迎合しやすい。自分を守ることに懸命で、大局を見ようとしないのでしょう。
ぼくは、官僚については、テレビなどで見るくらいしか知らないので、これ以上無責任な発言はやめておきます。
まあ、そうでしょうね。ヤフー辞典を調べてみました。
ルビ【ruby】
振り仮名用の活字。また、振り仮名。英国でルビーとよばれた5.5ポイントの欧文活字の大きさが、和文で5号活字の振り仮名として用いた7号活字とほぼ等しかったところからいう。「―を振る」[ 大辞泉 提供: JapanKnowledge ]
なぜ、「ルビ」は「ふりがな」なのか、と考えたかというと、
そもそも英語にふりがななんてあるのか、と思ったからです。
漢字で読めないのがあると、ふりがなをつけます。
英語で読めない単語があった場合に、なにでふりがなをつけるのか、です。
例えば、「十分な」という意味の enough 。
これが読めない場合にどうするのか。
英語ネイティブのほとんどは発音記号を知らないそうです。とすると発音記号をふりがなにつけるわけにはいきません。
enough には [ inuf ] のような読み方をつけるのでしょうか。英英の百科事典には、そのような発音が添えられていたように記憶しています。(ふりがなではなく)
無理に英語のふりがなをつけられないこともないですが、それよりも読み方を教えてもらう方が楽なのでしょうね。
だから、英語には「ふりがな」という概念そのものがないのではないでしょうか。
ヤフー辞典の説明から読みとってみます。
そもそも「ルビ」というのは、活字の大きさであった。「ふりがな」という意味はまったくなかった。
「ルビ」と呼ばれる小さい活字があった。日本語の「ふりがな」にするにはいい大きさだったので、その大きさの活字をふりがなに使うようにした。
そうするうちに、「ルビ=ふりがな」になっていった。
ということではないでしょうか。
しかし、ひらがなだけの文は読みにくい、とも書きました。
きょう、おきなわは よくはれています。
と書くより
きょう、沖縄はよく晴れています。
と漢字も混じった方がずっと読みやすいです。
ところが漢字はたくさんあり、ひとつ一つ覚えていかなければいけません。漢字混じりの方が読みやすいと感じるのは、その漢字を覚えている人にとってです。
しかし、「ふりがな」という便利なものがあります。
きょう、沖縄(おきなわ)はよく晴(は)れています。
とすればいいのですね。(本当は横につける)
明治の新聞や雑誌を見ると、すべてふりがながついています。あれはだれでも読むことができます。ひらがなさえ学んでいればですが。
ぼくは、教科書はすべてふりがなつきの漢字、かな混じり文にしたらどうかと思います。齋藤孝氏もどこかで書いていたと思います。
小学1年生にも常用漢字の範囲で漢字を与えるのです。そしてまだ学んでいない漢字はふりがなとつければいいのです。
すると小学1年生でも不自由なく読むことができます。
そして、まだ学んでいない漢字に慣れ親しむことができます。
習った漢字は、ふりがなをつけないようにしたらいいですね。いつまでもふりがな付きだとそれに頼りきってしまうでしょうから。
小学校に入学すると平仮名を学びます。五十音の平仮名を学べば、基本的にどのような文でもつづることができます。また、どのような文でも読むことができます。もちろん、与える方が、漢字を平仮名に変えてあげなければいけないのですが。
ひらがなをすべて覚えれば、算数や理科、社会のテキストを読むこともできます。すぐにテストをすることもできます。
どんな言葉でもあらわすことができるのです。
当然といえば当然なのですが、たぶんほかの国々ではそのようなものではないのでしょう。
例えば、英語です。
英語では最初はアルファベットを習うでしょう。大文字のABC・・・、そして小文字のabc・・・ということで、すべての文字を学びます。
でも、それを学んでも、単語を読むことは全くできません。
本を意味するbookもアルファベットを学んだだけでは ビーオーオーケイ としか読むことができません。
それを「ブック」と読み、本を意味するということは、別口に覚えなければなりません。
それは漢字を覚えるのに近いものです。フォニックスという文字の発音法を学ぶことはできますが、ひらがなのように簡単ではありません。
その言葉のスペルを教わってからしか、文を読むことができないのです。
子どもに漢字かなまじりの文を与えると、ときどき
「この漢字なんて読むの?」とやってきます。
学んでいない漢字がまぜて与えてしまっているのです。または習ったのに覚えていない場合です。
英語の場合には、すべてそのようなものではないでしょうか。
多くの単語を覚えてからしか文を読むことができないのではないでしょうか。
ひらがなさえ覚えてしまえば、どのような言葉さえ書き表し、読むことができる日本語とは全く異なります。
お隣の中国の場合には漢字を読めなければどうしようもなりません。
小学一年生のころにはどのような学習をしているのでしょうか。基本的な漢字を数多く覚えることから始めるのでしょうか。中国の場合には小学一年生の時にいくつの漢字を覚えなければいけないのでしょうか。考えただけでも大変だなと思います。
隣の国の韓国ではハングル文字をもちいています。
ハングル文字は表音文字ということですから、たぶんひらがなのようなものでしょう。だから学ぶにはとても簡単だと思います。入門はいいのでしょう。
ただ平仮名だけで書かれた日本語はとても読みにくいです。大人になると、平仮名だけの文を読むとそう感じます。
ハングルではそうではないのでしょうか。そのあたりはぼくはまったく知りません。
いずれにしろ、日本語のように、ひらがな、カタカナ、そして漢字が混じったはとても素晴らしいことだなと思っています。
僕は、「コンパスはないよ」と言って、「コンパスの作り方を教えてあげようか」といいます。
「えっ、コンパスも作れるの?教えて」と答えるので教えてあげました。
まず細長い紙片に直線を引かせます。0からで0.5cmごとにしるしをつけます。5cmぐらいまで。
補強のためにセロテープを両面からはって、それぞれの点に小さな穴をあけるのです。
これで出来上がりです。

ゼロのところにくぎなどを刺して固定し、そして描きたい円の半径の長さの点にシャープペンシルの芯を差し込み、ぐるっと回せばきれいな円(弧)を描くことができます。
市販のコンパスよりも濃いはっきりした線を描くことができます。
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Masaru君は「セルフ塾はコンパスも手作りなんだ」と笑っています。
以前はコンパスをいくつか準備して貸し出していたのですが、いつの間にかなくなってしまうのです。持ち帰ってしまうのでしょうね。
それで最近は貸し出しはせずに自分で手作りにしています。
このような経験もまたひとつの勉強ではないでしょうか。

割れた陶磁器などをよくくっつけて楽しんでいます。よくつきます。スリッパの底もそれで修繕すると、しばらく持ちます。
妻は、「われたのは捨ててしまえばいいのに」といいますが、修復されると楽しくて、よくやっています。
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セルフ塾の合格者は次の通りです。
3級 U原 A音
セルフ塾から2次試験の受験生はA音さんだけでした。

写真、友人に祝福されるA音さん
「これは本ですか」に対して、「はい、そうです」または「いいえ、違います」と答えます。
「あなたは学生ですか」に対しても「はい、そうです」「いいえ、違います」と答えます。
「あなたのお父さんは~」に対しても「あなたのお母さんは~」に対しても、「はい、そうです」が使えます。
このように主語が何であるかというのを、日本語ではまったく意識しないで答えることができます。
しかし、英語の場合には絶対的にそれを意識しないといけないのです。
Is this a book? に対しては Yes, it is. No, it is not. で答えます。
Are you a boy? に対しては Yes, I am. No, I am not. と答えなければいけません。
「あなたは」に対しては「私は」でこたえなければいけないのです。
同じように Is your father ~? に対しては Yes, he is. などと答えます。
だれについて聞いているのかを意識し、判断しないといけないのです。
日本語とだいぶ違うところです。
それで生徒たちはとても混乱してしまいます。英文和訳の場合は問題ありません。和文英訳をさせると分かります。
「あなたは一人の学生ですか」「はい、そうです」
「あなたのお母さんは一人の看護婦ですか」「いいえ、ちがいます」
「私は一人の王様ですか」「はい、そうです」
などを英訳させてみればその混乱するのが分かります。
教科書では、 Yes, it is. を「はい、そうです」と教えているので、すべて it で答えるような子がいます。
慣れてしまった私どもにとっては当たり前だと思うことですが、よく理解できないようなのです。
「あなたは一人の少年ですか。はい、( )は(そう)です」という日本語を英語に直すことができない生徒が習いにきます。
Are you a boy? Yes, まではできるのですが、答えの主語が分からないのです。
僕は「あなたは一人の少年ですか」と言いながら、その生徒を指差します。
そして、「ぼくと同じ方向を指でさしてごらん」と言います。
そして、自分のところに指をむけると、「それは誰?」と尋ねます。すると「あ、私だ」と気付いてくれます。
このようにでもしないと、理解できないのです。
それで、今回改訂するにあたって、日本語だけでの応答をするという問題を挿入しました。
次のようなものです。
《練習》 日本語で考えましょう。( )内に「私,あなた,彼,彼女,それ」を入れなさい。
1] あなたの妹は、大学生ですか。はい、( )は大学生です。
2] あなたの兄さんは、科学者ですか。いいえ、( )は科学者ではありません。
3] あなたは、プロ野球の選手ですか。はい、( )はプロ野球の選手です。
4] 私は、帰ってもいいですか。はい、( )は帰ってもいいです。
このように、まずは日本語で主語を意識するという練習をすることによってって、英語による答え方がスムーズに学習できるのではないかと期待しています。
教えてやると、「Yojiさん、教え方うまい。Yojiさん天才」と言い、去り際に「照れてる」とからかうのです。
僕は、すこしムッとしましたが、それに腹を立てては大人げないと思い、聞かないふりをしていました。
ところが、それを何度も何度も繰り返すのです。
それで考えました。
それに腹を立ててしかるのは、確かに大人げないことかもしれません。
しかし、そのような行動をTくんがするのを見過ごすというのは、その子のためにならないと考えたのです。
大人をからかう行動をして楽しむということを他でもやっているのでしょう。そして今後もやっていくのでしょう。
周りの人を不愉快にするというのを、一応教育者である僕が見過ごすわけにはいきません。
それで先日またからかった時に、厳しく叱りつけてやりました。
子どもたちのために「あえて叱る」というのも必要なことだと思います。
漢字を面白く学ぶ方法
形声文字はこうしてできた
象形文字、指事文字、会意文字、形声文字という順序で学習すれば、無理なく学習が進むはずです。漢字の勉強もおもしろいと子どもたちは思うでしょう。
さて、僕は白川静(著)「常用字解」という本(辞典)をもっています。この「常用字解」には、常用漢字の成り立ちが書かれています。それほど専門的ではなくわかりやすい方だと思います。
僕は専門家ではないので、常用漢字に限定されてちょうどいいと思っています。
さて、宮城谷昌光(著)「三国志 第1巻」に、次のような記述があります。
・・・文字は、なぜこの形になり、この音になり、この意味になるのか。
許慎の研究が稿本となっていちおうの完成をみたのは、和帝期の永元十二年(100年)である。その年から執筆をはじめたという説もないことはない。それからニ十一年後にあたるこの年に、十五巻(十四篇と後叙)、十三万三千四百四十一字が安帝に献呈された。説文解字という四字をいれかえると解説文字となり、すなわち、文字の解説である。
(中略)
けっきょくこの字典は、学界のなかで絶対的な地位を占め、その支配力はニ十世紀の後半までおよんだ。後漠王朝以降、いくたび王朝が興亡したか。が、『説文解字』は滅びなかった。個々の漢字とその全体を考えるとき、許慎の説にまさる説(体系)を呈示できた者はいなかった。
ところが、日本で昭和四十八年(一九七三年)に、『説文新義』という書物が刊行された。著者は白川静である。白川静は許慎の知らなかった甲骨文字を研究することによって、先人がなしえなかった許慎の呪縛を解くことに成功した。その偉業は絶賛されるべきものであり、漢字を使用する民族にもたらされた恵訓の巨きさははかりしれない。白川静は涵蓄淵邃(かんちくえんすい)の人である。
僕は白川静さんについてはほとんど知らないままに、この「常用字解」を買ったのですが、白川静さんというのが素晴らしい人だと知り、改めていい買い物をしたと思っています。
最近は、漢字辞典にも簡単な漢字の成り立ちが書かれていますが、.この「常用字解」も持っていて損はありません。
今この記事を書くためにネットをいろいろのぞいてみました。
白川静さんの学説はまだ定説にはなっていないようです。宮城谷昌光さんは白川静さん信奉者の一人なのでしょう。
僕は専門家ではないので難しいことはわからないし、これから深く学ぼうとも考えていません。
この「常用字解」程度のものをいつでも調べられるように手元に置いておけば十分かなと思っています。
漢字を面白く学ぶ方法
今回は形声文字です。「形声文字」の意味をヤフー辞典で調べてみました。
けいせいもじ5 【形声文字】
形声によってできた文字。
これでわかる人はいませんね。
漢字の成り立ち
のページから。
形声文字
「意味」を表す部分と「音」を表す部分が合わせてできた漢字です。
形声文字は、たくさんあって、漢字のほとんどがこれにあたります。
「シ(さんずい)+音符 工」→江や、「シ(さんずい)+音符 可」→河のように、片側に発音を表す音符(つまり意味を表す言葉)を含み、他方にそれが何の事態に関係するかを示す偏をそえたものです。
漢字全体の七~八割はこれに属します。
例・・・
シ と 羊 で 洋 になります。
シは水を表し羊は「ヨウ」
会意文字と形声文字の二種は、文から派生しふえたので、字といいます。
「字」は、「孳」・「滋」(ふえる)と同じような意味です。
この説明だと、なんとか分かりますね。
僕はこの仕事、学習塾の仕事をやって初めて、この形声文字というのを知りました。民衆社の「国語大好き小学6年生」にあります。
さて僕なりに推測も含めて説明してみます。
「イタ」の文字を作ろうと昔の人が考えました。
象形文字もだいぶできました。でも「イタ」も象形文字であらわすと面倒です。
「イタ」のことを、その当時中国の人は「ハン」と言っていました。言葉(音)はすでにあったのです。
また、「反(ハン)」という漢字はすでにありました。会意文字で、「そむく、かえる、かえす」という意味です。
それでその「反(ハン)」の字を「いた」という意味の「ハン」にも使おうと考えたのです。
でも、そのままでは「そむく、かえる、かえす」という意味になります。
それで、もう少し考えてみました。
「イタ」というのは木でできています。それで「木」を「反」にくっつけたのです。
つまり、この場合右側の「反」で音をあらわし、左側の「木」で意味を補うということで「板」の字を作ったのです。「木ハン」という感じでしょうか。「木」に関係のある「ハン」だよ、という意味です。
同じようにして、「飯」という字も作りました。「めし」も当時の中国の人は「ハン」と呼んでいました。「ごはん」の「ハン」ですね。
それで「反」の字を用いようと考えたのです。「めし」は「食べる」ことに関係しています。それで左側に「食」をつけました。「食」+「反」で「飯」の漢字ができあがったのです。。「食」に関係のある「ハン」だよ、という意味です。
この方法で漢字くっつけてたくさんの漢字を作ったのです。
次の漢字は読めますね。すべて同じ音です。音をあらわす部分が同じだからです。
個 古 固 故 枯 湖 姑 糊 胡 瑚
白 伯 舶 迫 拍 泊 帛 箔 魄
音をあらわす部分、読みの部分を音符(おんぷ)または「声(せい)」と言います。
また、意味をあらわす部分を「意符(いふ)」または「形(けい)」と云います。
声と形で出来上がった漢字なので、形声文字というのです。
形声文字は象形文字や指事文字が多くみあわせてつくります。だから最初に象形文字、指事文字を覚えて、その後で、形声文字を教えます。
すると、漢字の成り立ちを理解することができます。すると、漢字も面白く学習することができると思います。
形声文字の学習では、音符か意符かに焦点を合わせて、そのグループをまとめて学習すればいいと思います。
例えばお金に関係する言葉は「貝」の字がつきます。昔は貝が貨幣として使われていたからだそうです。
貝のつく漢字
寶(宝の旧字体)、財、費、貢、貨、貪、販、貧、貴、貸、貰、貯、貿、買、資、賃、賜、質、賞、賠、賦、賭、贅、贖……
このうちの教育漢字をまとめて覚えればいいですね。成り立ちも教えながら。この方法で漢字を教えてみたいものです。
「勉強するくせがつきます」は最高のほめ言葉
に、コメントをいただきました。
ホンマに勉強する癖がつきますよ。自分は高校に行ってからは参考書だけで勉強していました。結局大学には行かなかったけど、成績が悪かった訳じゃないしね。ホンマに役にたってます。
卒業生からもこのようなコメントをもらうと、また違ったうれしさがあります。
木に登ってしまいそう!!
日本人として漢字の読み書きができなければ日常生活も送れないし、読書もできないと思うからです。
しかし、それは単純な作業であり面白くないのです。僕でもそう思います。子どもたちは、漢字の練習が終わると、生き生きとして算数の学習に入ります。
でも、漢字を面白く学ぶ方法があります。しかし、その方法は現在はできません。なぜなら教科書の順序にしばられているからです。
教科書に出てくる漢字の順序ではだめなのです。
覚える漢字の順序を根本的に見直すことにより、面白く漢字を練習する学習することができると僕は確信しています。
その方法というのは、漢字の成り立ちに従って、系統的に学習するということです。
象形文字の学習からはじめ、指事文字、会意文字、そして形声文字の順に学習をするのです。
たぶん現在は、よくつかわれる順に漢字を練習しているのでしょう。それをもっとを系統的に漢字の学習をするようにするのです。
象形文字というのは、みなさんわかると思います。象形文字というのは絵文字から発達したものです。文字のないころ、絵で書きあらわしていたのでしょう。「山」の絵を描けば、それが「山」を意味します。それをだんだん省略して単純化していきます。すると「山」という漢字ができあがるわけです。
しょうけい‐もじ【象形文字】
物の形を点や線で表してできた文字。古代エジプトのヒエログリフや、漢字のうち象形によって形成された文字の類。
図は、次のページからお借りしました。
日本文化研究会

僕はとても面白いと思います。
小学一年生になったら、もちろん平仮名や片仮名を先に学びます。
そしてそのあとに漢字を導入するのですが、象形文字の、「日、山、木」などから教えるのです。
もちろん、どのようにしてその漢字ができたのかを説明します。
子どもたちはきっと興味を持って漢字を覚えてくれるでしょう。
次に指事文字に入ります。
指示文字とは、形で表しにくい物を点や線を使ったり象形文字に印をつけたりして表した文字。
絵としては描きにくい一般的な事態を、抽象的な約束や、印であらわした字。
一・二・三などの数字や、平面上に-印をつけた上や、平面の下を-印で示した下なども指事文字。

これも象形文字のように楽しく学習ができるはずです。白川静著「常用字解」の「下」の項には、
指事。掌を伏せ、その下に指示の点をつけて掌の下を示し、「した」の意味を示す。
とあります。おもしろいですね。
象形、指事の次は、会意文字です。これも成り立ちを教えながらやると子どもたちも退屈することなく学習に取り組んでくれるはずです。
かいいもじ【会意文字】
二字以上の漢字の字形・意味を合わせて作られた漢字。
白川静著「常用字解」
「男」:会意。田と力とを組み合わせた形。(中略)古くは農地の管理者を男といった。

最後に形声文字を教えます。形声文字はたくさんあります。でも、形声文字というのは象形文字、指事文字の組み合わせです。
それまで学んだ象形文字、指事文字をきちんと覚えて、その上に、会意文字、形声文字を組み立てていくのです。
今はその順序がまったくバラバラです。
例えば「頭」という字は小学2年でまなび、「豆」は小学3年でまなびます。
「豆」を学んでから、「頭」を学べば「頭」が「豆」という字を使ってできているということが理解できます。そして覚えることもたやすいはずです。「灰」は6年、「炭」は3年です。
順序を考えて系統的に教えれば、楽しく漢字の練習ができると思うのです。ただ今は、教科書の漢字の順に縛られているもので、このような学習ができないのはとても残念なことだと思います。
形声文字については 改めて書きます。
に礼さんからメールをいただきました。
件名:■沖縄のうわさ話 のこと。
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■沖縄のうわさ話 9月 29日 【塾】読谷村の塾を拝見。
単に、「いい塾です」とか「成績が確実にあがります」というようなことより、「他の塾ではけっして見られない授業形態です」「自信を持って言えるのは、勉強するくせがつきます」とわれるのは、塾の講師として、もしかして最大のほめ言葉ですね。
本当に、募集は、1年1日、30分ほどなのですか?新幹線の一番列車切符販売開始時間のようですね。
コメント,メールのブログ掲載について
礼さん、mailありがとうございます。
「勉強するくせがつきます」というのは本当に最高のほめ言葉だと思います。とてもうれしいです。
セルフ塾の目標は、学校も塾もなくても自分で学習のできることです。だから「セルフラーニングの世界」という塾の名前にしました。
もう塾も学校も不必要とする人に育て上げたいのです。
梶田叡一著「自己教育への教育」にあるように、
「自らが無用の存在となることを目指して教育」しています。
「募集は、1年1日、30分ほど」の真偽ですが、数年前までは「真」でした。
以前は募集時間前にずらりと入塾希望者が並んでいました。前日から泊まり込みで待っている人もいました。それで整理券を発行するほどでした。
それが、徐々に入塾希望者が少なくなっていいます。今は 募集人員に達するのは 1カ月ほどかかります。
それがなぜなのかははっきりしません。周りに塾の数も増えているせいかもしれません。
それよりも、ゆとり教育の中で、学習が軽視されてきているせいなのかもしれませんね。
でも、募集の広告を出さなくても,定員に達するので、まあまあよく頑張っているほうかなと思います。
近詠「普天間」抄
をいただきました。

おじは復帰前、沖縄人民党党員の立法院議員として復帰運動の先頭に立っていました。
そして復帰後は日本共産党党員の県議会議員として基地返還などで闘ったきました。
もう80歳も越え、大分年はとりましたが、その熱意は全く衰えていません。この短歌集の中でもそういうのを読み取ることができます。
闇の合意を密約にあらずとは如何に西から日の出というに等しき
でも、僕は叔父の人間的なところが現れた句の方が好きです。
空前の大渋滞の中にいて大会実況を聞きつつ焦る
ぼくの住んでいる読谷で県民集会が開かれました。その時にはすごい渋滞でした。おじたちは糸満からバスに乗って会場へ向かいます。大会に間に合わなければとあせっていても、バスが動かないのであせる気持ちがよく分かります。
バスを下り杖に縋りて群衆に越されつつ会場への径
おじさんは足腰がだいぶ弱っています。気持ちははやるのでしょうが、なかなか歩むことが出来なかったのでしょう。「死んでも行く」と言いながら歩いていたと、後で、おじの娘に聞きました。
席をたちつとよろぼいて目覚むれば点滴の管につながれており
おじさんが入院したと聞きました。たぶん気を失ってしまったのでしょう。気がつけば病院で点滴を受けいたのでしょうね。気は若くても・・・・。
いままさに参院選挙たけなわをこの為体(ていたらく)老残悔し
妻と娘に支えられきて伊集唯行・仁比そうへいを丁寧に記す
伊集唯行・仁比そうへいは、参院議員候補者名です。
悔しさは辺野古・高江の戦いに行けぬ老耄(おいぼれ)月を眺むる
気になる句があります。
雇用破壊の記事を読めば新聞社を追放されし記憶の戻る
よくは知りませんが、新聞社の記者をしていたと思います。沖縄人民党の党員として赤狩りにあったのでしょうか。次にで会ったときにたずねてみたいです。
2010年11月19日(金曜日)発行
( も く じ )
① 検合格おめでとう3級1次1人、4級8人、5級7人
② 1年生全員アップで、50番以内
③ 10月皆出席
④ 台風14号接近で休み
⑤ 自転車には必ずライトをつけてください
⑥ 家庭からの通信
⑦ 「沖縄のうわさ話」に、セルフ塾のこと
⑧ 小学生の国語力を伸ばすには
⑨ セルフ塾 予定表
web版セルフニュース 247号
通常のダイエット法とは全く逆ですね。
その方法を薦めているお医者さんは、次のように話しているそうです。
自然界では肉食動物はスマートで、草食動物は太っている。
ライオンやトラ、チーター、豹などの肉食動物はスマートです。
一方、像、牛、カバ、サイなど草食動物の多くが太っています。
このように、自然界では肉食動物はスマートで、草食動物は太っているのです。
つまり、肉食動物は肉を食べるからスマートになっていて、草食動物は草を食べているから太っているのです。
だからダイエットをするには、野菜類はとらずに、肉類を多くとった方がいいという結論になります。
ちょっと聞いただけだと、何か正しいようで説得力があります。
しかし、そうでしょうか。僕は、立ち止まって考えてみました。
まず肉食動物がスマートな理由です。肉を食べたからスマートだというよりもスマートだから肉を食べることができるのではないでしょうか。肉を食べるにはほかの動物を追いかけてつかまえなければいけません。速く動くことができなければ動物をつかまえることはできません。太っていたら速く動けません。
スマートで速く走ることのできる動物が、肉食動物として生き残ることができたのです。
原因と結果が逆だな、僕は思います。
それでは草食動物はどうでしょうか。それも同じです。
象やカバなど大きな体をしているために肉食動物は簡単に襲い掛かることができないのです。ライオンやトラでも、あのように大きな動物をうかつに襲い掛かることは危険です。
大きな体をしているのですばやく動くことはできません。ほかの動物を襲い、食べるということはできません。
草をせっせとを食べる。それによって、大きな体の動物は生き残ることができるのです。
草食動物の場合には、太っている動物がすぐに思い浮かびますが、スマートな動物も数多くいます。
キリン、シカ、ガゼル、ヤギなど。
ライオンに追われて必死で逃げるがガゼルの姿がよくテレビなどで見られますね。
足が速いということで生きのびることができたのです。スマートだからすばやく走ることができ、そのために肉食動物から逃げることができ、種を残すことができたのです。
このように考えると、野菜を食べるから太っているというのは、間違いだと思いますね。
一部の例に相関関係があるというだけで、原因と結果だと結論づけてはいけません。
上の推測も僕の思い付きです。ちゃんとした結論を得るには、もっとしっかりした証明が必要でしょう。
母は信じてダイエットしているようですから、どうなるのか見守ってみたいです。
はじめまして。
いつも子供の学習指導でいきずまると、ブログを読ませて頂いております。助かります。
私は小4の娘をもつ母親です。
娘が学習全般にわたって、おもわしくなく、小2の時にIQが低いと診断されました。(具体的な発達障害等の病名は、言われませんでした。)
私立小に通学しているため、「ことばの教室」等の公的機関に通学する資格がなく、家庭や、塾で学力アップの方法を思考錯誤しております。
幸い、算数の方はなんとか、道筋がみえてきましたが、国語がどうしてもうまくいきません。
先生も注目されている、ふくしま国語塾に先日、入塾審査に行きましたが、落ちました。
理由は、「1対5生徒の指導ではゆきとどかないだろう。」とのことでした。つまり、うちの娘は国語力が低すぎて、1対1の指導ではなくてはならないということでした。
家庭では、「論理エンジンの小学生版 4年」を母子で取り組んでおりましたが、4年生版になると問題文の文章が長くなり、問題を読むこと自体、嫌がるようになり、一歩も進めなくなりました。
先生がセルフ塾でお使いの、民衆社の教材を今日、アマゾンで頼みました。ふくしま国語塾の問題集、書籍等も購入したのですが、私は教職等の資格もなく、自分がどのように子供に教えてよいか、わかりません。
先生のご意見を伺えないでしょうか?
よろしくお願いします。
コメント,メールのブログ掲載について
僕のブログを読んでいただいているようで、ありがとうございます。
さて、子どもの国語力をどうやって伸ばすのか、ということですね。
どこかにも書きましたが、国語というのはとても伸ばしにくい科目です。それでも、参考になればと思い、僕が考えていることを、ここに書き出してみます。
まずは「会話」です。
お母さんと子どもの会話の中で、国語力というのはかなり伸びてきます。
簡単な単語だけで話をしていたのでは国語力はつきません。
ちゃんとした主語や述語の入った文を使って会話をする努力をしたらどうでしょうか。
そして少し難しい言葉も、故意に使ってみるというのもいいと思います。
ただ、教育という観点だけから会話をすると面白くなくなります。お母さんと話をするのは面白くない、と思われては逆効果です。そのあたり微妙なところですが、注意して下さい。
次は「読書」です。
読書によって国語力はだいぶつきます。別にむつかしい本を選ぶ必要はありません。子どもが面白いと思われるような本を選んで読ませることが大切です。
読み聞かせるの段階はもう過ぎていると思います。小学高学年でも読み聞かせをするのは悪くはないのですが、いつまでも読み聞かせでは困ると思います。
本を読むことが苦手なら、音読をさせるのも大切でしょう。子どもに音読みをさせておかあさんが聞いているというのも、いいと思います。
それを卒業したら、お母さんと子どもが同じ本を読んで、お互いにおもしろいところを出し合うというのもいいでしょう。
とにかく読書を継続的に続けるということです。読書は必ず国語力を向上させます。
次は漢字の力です。日本人は漢字を自由に読み書きできなければ国語の力をはつきません。大人になるまでに、最低でも常用漢字を簡単に読める程度の力はつけたいものです。漢字が読めなければ本を読むこともできず、読書も面白いとは思わないものです。
漢字は毎日でも少しずつ練習していく必要があると思います。子どもたちは漢字の練習をいやがりますが、ぜひさせたいです。
民衆社の「国語大好き」をお買いになったとのこと。とてもいい問題集です。それを少しずつさせるのはいいことだと思います。
セルフ塾では、週3回1日2ページのペースで進んでいます。すると1年足らずで終わることができます。続けていけば国語力はだいぶ向上すると思います。ただ、読解問題は記述式が多く、難しいです。子どもがいやなならないように手伝ってあげて下さい。
なお、僕は、お母さん方が自分の子どもの勉強を見るのはとても難しいと考えていて、「親は最悪の教師」とも言っています。
「親は最悪の教師・・・最良の教師への道」という原稿を書き、出版社に売り込んでいるところです。
できればその原稿を読んでもらいたいです。ヤフーのブリーフケースにアップし、読むことができるようにしようかと考えています。準備ができたらメールしますね。
次のページで冊子を販売しています。
「親は最悪の教師・・・最良の教師への道」
NHK クローズアップ現代 2010年11月15日(月) 放送
“尖閣映像” 流出の衝撃(NO.2964)
立花 隆さん(ジャーナリスト) の発言がおもしろかったです。短くして紹介します。全文は以下のページで読むことができます。
http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=2964
(立花さん)
ほとんど個人的にはテレビ局を持ったと同じような、そういうパワーをインターネットのユーチューブというメディアを使うと、そういう力が発揮できる社会になっちゃったということですね。
あの保安官がやったことは、あの日、午後9時にアップしたことだけなんですよ。
3時間の間に、ほとんど本流のような情報の流れになって止まんなくなった。それでそのあと、今も膨大な数の子・孫の放送局ができて、それを再生産し続けてるんですね。要するにその過程、拡散過程でこれがものすごくたくさんの人が加わってるんです。
ぼくもその拡散過程に加わっていたんですね。ぼくがブログをアップしたのは、午前01時24分なので、もう4時間もたっているので、その3時間には入っていませんが、・・・。
ぼくでも動画をアップすることができるので、確かにテレビ局を持っているようなものですね。
さて、中学三年生の国語では短歌がテスト範囲に入っていました。
「『句切れ』がわからないから教えて!」とやってきました。
「切れ字のところで句切れになることは分かったけど、それ以外がよくわからないよ」と言っています。
句切れ(くぎれ)とは、意味や内容、調子(リズム)の切れ目のこと。短歌や俳句は、一つの歌の中に、二つの内容が表現されていることが多い。その前半の内容の終わり部分を「句切れ」という。作品の途中で「。」を付けられるところを探してみるとよい。
きれ‐じ【切れ字】
連歌・俳諧の発句で、句中または句末に用いて、句に曲折をもたせたり、特別に言い切る働きをしたりする語。終助詞や用言の終止形・命令形などが多い。「や」「かな」「けり」など。
僕は次のように教えました。
まず、黒板に即興で文を作りました。
「Makotoくんが走っています」
「はい、続きをあなたたちも考えて」
と言って子どもたちに続けさせました。
そして、次のような文ができました。
「Makotoくんが走っていますそして転びましたそれを見てKenta君が笑いました」
故意に句点(。)をつけません。そして、それを子どもたちに見せながら言いました。
「これにマル(句点)をつけてごらん。どこにつける?」
「『走っています』の後ろと、『転びました』の後ろと、『笑いました』の後ろ」
「そうだね、丸がなくても、僕らはこのように文を見ただけで、どこにマルをつければいいかすぐ分かるよね。
この丸がつくところが短歌では『句切れ』になるんだ。マルがつくのは、動詞や助動詞などの終止形の後だね。
例えば、
春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山
その現代語訳をみると、
春が過ぎて夏が来たらしい。夏に純白の衣を干すという天の香具山なのだから。
「来たらしい」の後ろに句点(。)がついている。
「夏が来たらしい」に対応するのは、「夏来にけらし」だね。
その後に区切れがあるんだ。
それは二句だから、この短歌は二句切れということになる。
中学生では古典の文法をきちんと学ばないのでだから、終止形は分からない。
僕は、このような問題をあなたたちに与えるのはいい問題だとは思わない。
でも実際にはテストに出されるんだからしょうがないね。
とにかく、マルをつけるべきところにところが切れるということを覚えておくこと。
短歌の意味が添えられていたら、そこにはマルがついているよ。意味と短歌を対応させて、マルのついている場所をさがせばいいね。
とにかく、今度のテストでは、教科書に出てくる短歌だけが出題されるはずだから、どこに句切れがあるか、覚えるしかないと思う。」
子どもたちは一応納得したようでした。
今朝、ネットで検索してみると次のようなページも見つかりました。参考までに。
http://study-japanese.web.infoseek.co.jp/verse/4.htm
Yoji著「セルフ塾の国語 わかる教え方」をAmazon Kindle で電子出版
わいろについて説明をしました。
すると、Moekoさんが
「わいろって悪いことなの?」という質問をしました。
僕が、わいろがなぜ悪いかを説明しようとすると、隣に座っていたYukaさんが、Moekoさんにこう言いました。
「わいろって、先生におカネを上げたりして、通信簿の成績を5にしてって言うようなものだよ」と。
Moekoさんは、すぐに納得して「そうか」と言いました。
ぼくも「そうだね」と続けました。
ちゃんと実例に沿った説明よりも、彼女らにとって身近なこのような喩えの方がわかりやすいですね。次からはこれでいこう。
2学期になり、少し落ち着いてきたのでしょうか。引き続きがんばってもらいたいです。
(小学部)
3年(2人/2人) U原Y花・T覇M愛
4年(1人/1人) I波T樹・
6年(4人/8人) I嶺K子・N浜M凜・H元R子・H嘉A里
(中学部)
1年(3人/4人)A垣Y真・K谷A人・T真T瑠・・
2年(8人/16人)I波S佳・K吉A日香・S木M久乃・C花M・C花由紀子・T山S矢・H元晋一郎・H田絵音・・
3年(9人/14人)U原A音・O原C佳・K謝K太・T山K輝・N宗根M珠・N平K也・N平M子・H嘉K太・M田M宏・
次のページにもあります。前半部分だけ転載します。
金銭の約束、やる気そぐ? 脳活動の記録でも判明・・アンダーマイニング効果
金銭報酬を期待して課題に取り組むと、約束された報酬がないときにはかえってやる気(動機づけ)を失い、報酬なしで好奇心や関心を持って取り組んだ人より脳の活動も低下する―。
心理学の「効果」として知られていた現象を、磁気共鳴画像装置(MRI)でとらえることに、玉川大の准教授(認知脳科学)らが成功した。
自発的な学習を促す教育法の開発などにつながるとしている。
これはよく心理学ではよく知られた現象です。
アンダーマイニング効果【あんだーまいにんぐこうか】内発的動機づけによって行われた行為に対して、報酬を与えるなどの外発的動機づけを行うことによって、動機づけが低減する現象をいう。 例えば、好きでしていた仕事に対して褒美を与えると、褒美なしではやらなくなってしまう、などの現象。
古典的な実験があります。
サルにパズルを与えます。サルにも知的好奇心があり、一生懸命にパズルを解きます。
さて、パズルができたら報酬として餌を与えるようにします。すると猿はさらに一生懸命にパズルを解こうと努めるのです。パズルを解くと餌がもらえるのですから。
しばらくして、報酬を与えないようにしますパズルが解けても餌がもらえないのです。するとパズルに関心を示さないようになるのです。
餌がもらえないのでパズルをしなくなるのです。最初は餌という報酬がなくてもパズルに関心を示して一生懸命に解いていたサルが、報酬がなくなればパズルに取り込もうともしなくなるのです。
報酬というのが知的好奇心を阻害してしまうというのです。
このことは教育をする者にとっては、知っておく必要のあることです。
私たちは物で釣るのではなく、子どもたちの知的好奇心を刺激して学習をさせるように努めるべきだと思うのです。
でも、僕は報酬を全く否定するつもりはありません。知的好奇心だけで学習を続けさせるというのは至難のわざです。
塾では、報酬として物を与えることはしません。年間出席率の高い子に、図書券などを与えたりするくらいです。
でも、お母さん方から相談された場合には、アンダーマイニング効果ということがある、というのは話しますが、全面的に物で釣るということを否定しません。
なぜなら、ものでつってでも勉強をさせなければいけない子どもたちがいるからです。
そういう子どもたちは最初は物で釣ってでも勉強させて、そして少しずつでも学ぶという喜びを教えることが大切だと思っているのです。
また、ぼくも塾料という報酬をもらって教育をしています。報酬をもらうことを否定することはできないのです。