セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

日本語学習者にとって副助詞「は」は難しい
lang-8
 で、日本語の学習を援助したりしています。
 そこで、日本語学習者にとって副助詞「は」は難しいようだということが分かりました。

 日本人にはaとtheの区別は難しいですね。ぼくもまだまだできません。

 lang-8でのやりとりをここに貼り付けます。

(日本語学習者)
. ~あるのは知っている / ~あることを知っている 
どちらのほうがいい? たとえば、 「分からないものまだいっぱいある。。。」と言えば。 同じの意味じゃないでしょうか?


(次は「の」「こと」のぼくの説明に対するコメントです)

(日本語学習者)
分かりやすい説明してくれてありがとうございます!
So, all that I have left to do is to find out the difference between when を is appropriate and when は is appropriate ね ^_^

(Yoji)
「は」と「を」の使い方の違い

(文法学者ではないので、間違えているかもしれませんが)

「は」は、「他と区別して、とくに取り出していう」場合に使います。(これは文法書にあった定義です)

「その本があることは知っています」
という場合、
 他と区別して(ある)ということを、知っているということを意味します。

 でもそれ以外のことは知らないのです。
 どこにあるのか、だれのものなのか、いつ買ったのか、などは知らない、「あるということ」だけは知っているということです。

 それに対して、
 「その本があることを知っています」
という場合、
(あるということを知っている)というだけを意味します。

 でもそれ以外のことは、知っているのか知らないのか、それについては述べていません。
 どこにあるのか、だれのものなのか、いつ買ったのか、知っているかもしれないし、知らないかもしれません。

 Can you understand?

(日本語学習者)
Yep! Thanks for the excellent explanation! So, this pretty much what I said to wakakoさん、 だね?
If I understood you correctly, then "は" is used for distinction, so that "About other stuff, I may not know them - but what I DO KNOW, is that Xがある" or in a more natural translation then : "X がある, I know this much, at least".

But for some reason, I'm still not sure about the case where I want to say "I KNOW THAT there are many things I don't understand yet", which one is better to use.

If I understand the 感じ correctly, then I guess that は is better because it's not just a simple "fact" (like 彼女は背が高い”) that I know, but some "profound truth" or a "reality" that I'm aware of, and therefore some emphasis is required... Am I right?

selfyojiさん、またありがとう!



(Yoji)
 I think you are right.

 きのう、後で「は」と「を」の違いについて、もっといい説明はできないかと考えていたら、「は」と「が」のことを思い出しました。

 「は」と「が」についても似たようなことが言えると思いました。

 日本人の苦手なものに a と the の使い分けがありますね。そのことについて次のような説明を読んだことがあります。

 a は、どれでもいい、ある1つの~

 the は、「その」と訳しますが、他のものではないですよ、その~ですよ、という感じがありますね。

A bird came flying. (1羽の)烏が飛んで来た,

The bird alighted on a twig. (その)鳥は小枝にとまった.

a bird という場合には、どの鳥かは決めていない、とにかく「1羽の鳥」という意味になると思います。

 それに対して the bird というのは、他の鳥ではない、その鳥ですよ、という意味になりますね。

 このthe bird は「その鳥は」と「は」を使わなければいけません。

 このtheが「は」に似ているのです。

 「は」は、「他と区別して、とくに取り出していう」場合に使います、と前に書きましたが、そういう点がtheに似ていると思います。

 完全に一致はしないでしょうが、the と「は」はよく似ています。
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lang-8 英語の添削を無料でしてくれるサイト
 lang-8 というサイトを知っていますか。英語の添削を無料でしてくれるサイトです。

lang-8
 ぼくは1週間ほど前にそのサイトを知りました。

 そして、1週間使っています。すごいです。これは。

 英語の勉強にはすごい武器になります。英検だと準2級以上なら、このサイトを使って、英作の力を伸ばしてみてはどうでしょうか。

 完全に無料です。これだけ勉強できて無料なのですから、すごい。

 そして、添削してくれるのが、ネイティブの人たちです。

 このサイトにまず登録します。登録も無料です。とにかく1円もでません。

 自己紹介などを書きますね。必要事項も。

 次は自分の日記などを英語で書きます。または、サイトをあちこちながめてみましょう。

 すると、日本語を学習中の人が日本語の日記を書いているのを見つけることができるでしょう。それを添削するのは、私達です。日本語ネイティブです。

 つまり、日本語を学習する人は私達に添削をしてもらうのです。
 もちろん、中国語、スペイン語を学んでいる人もいます。

 生徒であって教師でもある、ということです。相互に教え合う。世界中の人たちが。

 すばらしいシステムです。

 ただ、日記を書くだけではなく、外国の人が日本語を学ぶのを手伝ってあげるようにします。

 すると、自分の日記も直してくれるのですね。

 英語を勉強するだけではなく、外国の人との交流ができます。

 次のページを読めばLang-8の内容が分かります。

月間売り上げ10万円だが……添削SNS「Lang-8」で世界を狙う25歳社長
 次は英語での説明です。日本語版も作ってくれればと思うのですが、まだできていないようです。


「落ちる」と「倒れる」の違い
 私たちは「落ちる」と「倒れる」をまったく違った概念だと感じますね。

 しかし、日本語を知らない人にとってはそうでもないようです。

 Lang-8というサイトで「木が落ちる」という日本語に出合いました。意味がよくわからなかったのですが、やりとりをするうちに「木が倒れる」ということを言いたかったようです。

 それで、「木が倒れる」がいいのでは、と書き送りました。

 すると「倒れる」と「落ちる」の違いを教えてほしい、との返事がきたので、次のように書きました。

 fallするものが地面についているかどうかでしょうね。

 ボール、皿、りんごなど、地面についていない物体がfallするとき、日本語では「落ちる」と言います。

 それに対して、木、建物、人間など、地面についているものがfallするとき、日本語では「倒れる」と言います。

「人が落ちる」という文を読んだときには、ぼくらはビルの屋上から地面に人が落ちるイメージを持ちます。「木が落ちる」もそのように感じたので、意味がわからなくなったのです。



 おもしろいですね。ぼくらには自然に身についたことが、日本語を学ぶ外国人には難しいのです。ぼくらはぼくらでまた逆に苦労しているのですね。言語って難しいものです。

ウチナーンチュは老子的、ヤマトゥンチュは孔子的
 テレビで先日、だいぶ前に録画しておいた「天平の甍」をみました。

天平の甍

天平年間、日本仏教界の確立のために黄土に渡った四人の日本人青年僧の青春と、唐の高僧、鑒真和上の二十年の歳月をかけて渡日に成功するまでの苦難の道を描く。井上靖の同名の小説の映画化


 テレビの中で流れる会話で、きちんと記録してないのですが、その中で、中国の皇帝が、仏教のお坊さんと一緒に道教の師を日本に連れていくようにいます。

どう‐きょう〔ダウケウ〕【道教】
中国、古代の民間信仰を基盤とし、不老長生・現世利益を主たる目的として自然発生的に生まれた宗教。のち、仏教への対抗上、神仙説など道家の思想、および仏教の教理儀礼が取り入れられた。5世紀前半、北魏の寇謙之(こうけんし)が教祖を黄帝・老子とし、張道陵を開祖として道教教団を形成した例もあるが、多くは民間信仰として発展。



日本に骨を埋めた鑑真

鑑真の時代の皇帝は玄宗皇帝で道教の狂信者でした。



 しかし、当時日本では道教は禁じられていました。だから、道教の師を連れていくことは国禁を犯すことになります。それで、・・・ということでいろいろドラマが進みます。

 さて、これを聞きながら、ぼくの頭の中に、ある仮設が浮かびました。単なる思いつきです。あまり重大にとらないでください。

 それは、沖縄の人(ウチナーンチュ)と本土の人(ヤマトゥンチュ)の性格の違いは、道教の有無にあるのではないか、ということです。

日本では道教は禁じられていたのです。しかし、沖縄には道教は入ってきています。


琉球王国 道教

琉球に道教が伝来した正確な時期を示す文献はないが、1719年に来琉した冊封使・徐葆光の『中山伝信録』の中に、道教の竈祭(かまどの神を祝う祭)が行われていたとの記述があることから、18世紀初頭には道教が信仰されていた事実を確認できる。その後、道教は琉球土着の民間信仰と融合して、婦女子の間で広く信仰された。



石敢當(いしがんとう)

さて、僕は道教については全く知りません。沖縄にある石敢當などが道教から来ているということを聞いたことがあるくらいです。

 道教の思想は老子の教えだと言われています。老子が始めたわけではありません。道教を信じてる後生の人が老子を持ち出したと僕は思っています。

ろうし〔ラウシ〕【老子】
中国、春秋戦国時代の楚の思想家。姓は李、名は耳(じ)。字(あざな)は伯陽。諡号(しごう)は(たん)。儒教の人為的な道徳・学問を否定し、無為自然の道を説いた。現存の「老子」の著者といわれ、周の衰微をみて西方へ去ったとされるが、疑問も多い。後世、道教で尊崇され、太上老君として神格化された。生没年未詳。老。



 それでも、道教に老子の思想がある程度は取り入れられているのではないでしょうか。

 老子については関心があり、いくつか本を読んだことがあります。それで少しは知っているつもりです。

 さて、日本では道教は禁じられていて、その代りに仏教と儒教が盛んになりました。

 儒教的考え方が日本の思想、文化を作ったといえます。儒教はご存じのとおりに孔子の教えです。

 さて、つまり僕が言いたいのは

 日本本土の文化は儒教が基礎になっていて、沖縄の文化は道教の教えが基礎になっているのではないかということです。ここで道教の教えは老子の教えとして考えていきます。

 そう考えると、何かとてもすっきりします。

 日本人はとても勤勉だと言われています。それは、孔子の教えがあったからではないでしょうか。

 孔子の教えというのは、勤勉で、まじめに、こつこつ学んで働く、という感じを受けます。まさに日本人的ではないでしょうか。

 それに対して老子は無為自然に生きる、なるようになるといった柔軟な生き方のように思います。これはまさに沖縄人的ではないでしょうか。

 最近本土の人にも有名になっている「なんくるないさ(どうにかなるさ)」というのは沖縄人の特質だと思います。

 そして「テーゲー(いい加減)」というのも沖縄人的です。

 このようなものは老子に通じるように思うのですが、どうでしょうか。

 道教に対しては無知で、孔子、老子も少しかじっただけの僕の考えた仮設でした。

折り紙で10°、20°が作れるか。
 今、折り紙で、10°、20°の角度を折ることができるか、考えています。

 コンパスは手作りできました。その延長線上で、分度器が手作りできないかと考えたのです。もちろん、分度器で測って作ったのでは面白くありません。

 折り紙で折って、いろいろな角度を作ることができないかと考えているのです。

 180°は簡単です。どんな紙でも(もちろんしわしわはだめですが)かまいません。二つに折れば180°です。

 そして、それを二つに折れば90°。それをさらに二つに折ればって45°になります。

 60°、30°も折ることができます。長方形の紙を四つ折りにし、図のようにおれば90°と60° 30°の三角形ができます。

60do.jpeg


 三角形を見たら1辺と斜辺が1:2になっていることがわかります。1:2:√0と3の直角三角形です。

 30° 60°45°を組み合わせると、15°、75°の角度などは作れます。

 しかし、10°、20°という角度は作ることができません。

 もちろん角度を3等分にすればできますが、3等分というのは折るのが難しいです。

 だから3つ折りはしない方法で、10°、20°を作れないかと考えているのですが、まだ解答が出ません。ネットを調べても見つけることができません。

 20°を作れれば10°は二つ折りにすればできるし、20°2つで40°になります。
 5°間隔の角度はすべてできます。

 すると、5°間隔で角度を図ることも描くこともできるはずです。このようなことを最近考えています。

 知っている方はいますか?いたら教えてください。

助詞「が」と「は」の違い
 Lang-8というサイトで、外国人が)
助詞「が」と「は」の違いについて教えて欲しい、とあったので、ぼくは次のように説明しました。


「私は,これが好きです」

「私が,これが好きです」
 の違いについて。

「私は,これが好きです」という場合、
 私以外の人、Aさん、Bさん、Cさんもこれが好きであるかもしれない。彼らについては知らないが、「私は」好きです、

 という感じ。

「私が,これが好きです」(少しおかしい日本語)
 という場合は、私以外の人はこれが好きではない、「私が」好きなんです、

 といった感じでしょうか。

「私は行きます」
「私が行きます」
はどちらもよく使われます。

 その場合、
「私は行きます」
は、ほかの人は知らない、行く人はいるかもしれない、とにかく、私は行きます。

「私が行きます」
は、ほかの人は行かない、私だけが行きます

 という感じになります。

 日本人にも「は」と「が」は難しいです。中学生を教えていますが、彼らもよく間違えます。 

セルフ塾は人生に有利
「この塾(セルフ塾)は高校入試に有利なんでしょう?」
 Naohide君が僕に尋ねました。

 セルフ塾では、学校の教科書に合わせた学習はやりません。日頃は本当の学力をつけるということで、それぞれの子どもにあった学習を行います。

 点数をかせげればいいというのではなく、きちんと理解しながら学習すること、学習する習慣を身に着けることを重視しています。

 それに、英語は中学2年生であろうと3年生であろうと、中学1年の学習から始めます。読書の学習もあります。基礎力が大切なのです。

 それで、学校の定期テストにはあまり有利ではないのでしょう。多くの塾はたぶん毎日が定期テスト対策なのでしょうから。

 友人や親からも、「毎日塾に通っているくせに、それほど定期テストの成績が上がらないではないか」といわれているのかもしれません。

 それで上のような発言が出てくるのです。

 それに対してぼくははこう答えました。

「セルフ塾は人生に有利だ」

 彼は少し不服そうな顔をしていました。

 彼は高校に行くために塾に通っているのですから、少なくとも高校入試には有利なのだという言葉を僕から引き出したかったのでしょう。

 こういう質問は初めてです。だけどいつも考えていることなので、とっさではあったのですが、すぐに出てきました。

 ぼくは子どもたちに学習させるときに、短いスパンではなく、長いスパンで考えたいと思っています。

 目の前の定期テストの成績(もちろんそれも上がってほしいのではありますが)よりも人生において必要な力を、ぼくの塾で育てたいと思っているのです。

 なお、高校入試を軽視しているわけではありません。高校入試への対策も行い、全員合格を目指します。ただ、そのためにはふだんからきちんとした基礎力をつけておかなければいけないのです。

 また定期テストの成績も悪くはないと思っています。きちんと基礎力をつけて本物の学力をつければ学校の成績もそれに伴って上がるものです。

FC2カウンター、自動的に6ケタに
 一昨日はfc2カウンターが満杯になりそうだとかきました。

fc2カウンターもうすぐ満杯
 僕の予想では、そのままほっておけば 00000になってしまうでした。今まで増えてきたのが0にもどるのはいやですね。

 でも、そのままにしておくとどうなるのか、見てみたい気持ちもあり、そのまま見まもることにしました。

 5ケタの 99999は確認しました。(午後12時27分)
99999.jpg

そして、別のことをして戻ると、自動的に
100014になっていました。(午後1時40分)
100004.jpg


 正直ほっとしました。そしてすごいなと思いました。

逆向抑制
 前の記事では Shunya君があり得ない値が出たということで戸惑っていたことをかきました。

Shunya君は掛け算の計算の時に、分子と分母をひっくり返してかけていたのです。

 つまり、分数の割り算の計算方法でかけ算をやってしまっていたのです。

 その直前まで、Shunya君は分数の割り算の計算を学習していました。

 その前には分数の掛け算を学習しました。

 分数の掛け算の時には全く迷うことなく計算することができるようになっていました。

 しかし、分数の割り算を学んだために、掛け算の計算があいまいになってしまったのです。

 このように、別の事柄を学ぶことによって、その前に学んだことが阻害されることがあります。

 別の例をあげます。

 中学1年では正の数と負の数について学びます。

 足し算、引き算について学んで後で、かけ算、割り算を学びます。

 足し算、引き算の時には、少々戸惑いながらも何とかできるようになったとします。

 そして掛け算、割り算に移ります。そして掛け算、割り算のやり方もマスターします。

 掛け算では プラス×マイナス=マイナス です。それが頭に刻み込まれます。

 すると、前に習った足し算でもそのようなことをしてしまうのです。

 (+5)+(-3) =-2 などとやってしまうのです。「プラスとマイナスならマイナス」という掛け算でのやり方が足し算のやり方を阻害してしまっているのです。

 前はちゃんとをできていたのになぜできなくなっているのか、と思ってしまうのですが、それが普通なのです。

 心理学ではそれを「抑制」と云います。そういうことはとてもよく起ることなのです。だから指導するときには、そういうことが起こるから、そのつもりで抑制されたことをさらに、深く学んで、どちらもできるようにする必要があります

順向抑制と逆向抑制

順向抑制とは、あることを学習(記憶)することにより後続の学習(記憶)が阻害され、後続の学習内容が忘却されること。順向干渉ともよばれる。

一方、逆向抑制とは、2つの事柄を学習(記憶)するとき、後続の学習(記憶)により先行の学習(記憶)が阻害され、学習内容が忘却されること。逆向干渉ともよばれる。抑制の要因としては、先行・後続の学習材料の類似度、学習量など。


ありえない値
 「Yojiさん、あり得ない数になったんだけど、どうしてかな」

 小学6年生の Shunya君がそう言いながらやってきました。

文章問題をやっていますが、答えがあり得ない値なので、間違っていると思ったのです。僕はそれを見て、間違っているところを指摘すると、「わかった」といって戻って行きました。

 文章問題では、出てきた答えがその文章に適する値なのかどうなのかを、見極めることはとても大切なことです。Shunya君はそういう点でよく考えながら問題を解いているのです。

 ところが、そうでない生徒がなんと多いことでしょうか。

 子どもの身長を求める問題で、150mになっても平気でその答えを書いてくる子がいます。

 \1000で買い物をして、おつりが\1500という答えを持って来る子もいます。

 そういう値が出て来たときに一歩を立ち止まって、そのようなことをあり得ないなと考える姿勢が必要なのではないでしょうか。

 そういうあり得ない値を書いてきた生徒には、

「\1000を出してお釣りが\1500って、あり得ると思う?」
 と問い掛けをします。

 でも、なかなかそういう視点というのは育ちにくいですね。繰り返してやることが必要なのでしょう。

辺野古と高江に
 昨日は、辺野古と高江に行きました。いつものようにKyokoと二人です。

 辺野古と高江は、どちらも新しい基地がつくられるとして、県民が反対しているところです。僕ももちろん反対です。

 僕は前に民商の仲間と辺野古へは行ったことがあります。京子はまだなので、行ってみたいと言っています。

 昨日は休みだったので出かけました。

 基地問題で騒がれてはいて、ぼくも関心は高いのですが、現場を見たことがないので一度は見ておいた方がいいと思ったからです。

 高江は、これまでも通過はしていますが、基地問題とのことで訪ねたことは僕もありません。

 1時ごろ塾を出発。高速に乗って金武町へ。そこで田芋料理を食べました。

 そして辺野古へ。少し迷いましたが、何とか到着。

 テント村で座り込んでいる方にいろいろと説明をしていただきました。そして海岸を少し歩き、米軍基地との境のところも見学しました。カンパも少々。
henoko.jpg


 そして東村の高江に向かいました。辺野古も遠いのですが、高江はさらに遠いです。行けども行けどもつかないという感じ。やっと到着しました。

 道のそばのゲートの前にテントが張られています。座り込みを行っている方が4人いました。

takae.jpg


 高江を訪れることは 1カ月ほど前から計画していました。それがこの2、3日、新聞紙上を騒がしています。基地の工事を強行で行おうとしているようなのです。そして前日には米軍ヘリコプターが、ホーバリングを行い、テントが破損されたそうです。その破損状態も見せていただきました。ヘリの風力というのはすごいと思いました。

 高江では、工事現場などをのぞくことができるかと思っていましたが、見ることができたのは、テントだけ。これも現場に実際に足を運ばないとわからないものだと実感しました。

 新しい基地をつくらせてはいけないと、強く感じてはいるのですが、実際にはなんの協力もできません。でも、今回の辺野古と高江を訪ねて、現場を現場に足を運ぶことは関心を高めるとても大切なことだと思います。自己満足かもしれませんが。


より大きな地図で 辺野古、高江へ を表示



米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と県内移設に反対し、国外・県外移設を求める意見書

 米軍普天間飛行場は、沖縄本島中部の市街地に位置し、その周辺には住宅や学校等が密集しており、万一事故等が発生した場合は、その被害は多くの周辺住民や各種施設に及ぶことが想定され、極めて危険性が高い場所となっている。
 (中略)
 「普天間飛行場移設条件つき返還」は新たな基地の県内移設にほかならない。県民の意思はこれまで行われた住民投票や県民大会、各種世論調査などで明確に示されており、移設先とされた名護市辺野古沿岸域は国の天然記念物で、国際保護獣のジュゴンをはじめとする希少生物をはぐくむ貴重な海域であり、また新たなサンゴ群落が見つかるなど世界にも類を見ない美しい海域であることが確認されている。(後略)

平成22年2月24日 沖縄県議



やんばる東村 高江の現状

 高江は、約160人が暮らすヤンバルの小さな集落です。
 この集落をかこむように米軍のヘリパッド(ヘリコプター着陸帯)を6つ作る工事が、始まっています。高江は米軍のジャングル訓練センターの真横にありますが、これでは訓練センターの中に高江があるかのようになります。高江では米軍へりが低く長く飛ぶのです。
 これ以上ヘリが飛んだら、しかも新型機オスプレイが飛んだら、高江に人が住めなくなる!と考えた高江の住民が、「自分の家で普通に暮らすため」に去年の7月から工事現場の入り口で、工事をやめてもらうために座り込みを始めました。


Yojiサンタ
 クリスマスですね。

 生徒たちが僕に声をかけました。

「Yojiさん、忙しいでしょう。」

 僕は、もうそろそろ受験勉強も本格化するので、そのことについてなのかな、と思いましたが、そうではないようです。

「クリスマスが近づいて、プレゼントを集めたり、トナカイやそりの準備もしないといけないしね。

 Yojiサンタだもの」

 僕の髭もだいぶ白くなりました。サンタクロースのように見えるのでしょう。

 そして
 「Yojiさん、忙しいだろうから、塾を休みにしてもいいよ。」

 本心はここにあり、ですね。

fc2カウンターもうすぐ満杯
 ぼくのブログのfc2カウンターは5桁。現在カウント数は「99714」で、もうすぐ満杯になる。自動的に6桁になるのだろうか。それとも何かしなければ00000に戻るのだろうか。

ブログの上にも三年
 「石の上にも三年」といいます。

 fc2のブログを毎日更新し始めてから、ついに満三年になりました。

 旅行中にうまく更新できなかったことはありますが、基本的には毎日更新を続けることができました。自分でもよく頑張ったと思います。

 アクセス数も増えています。最初のころは一日に10や20.それが今では1日300に達することもあります。

 平均すると、200の後半といったところです。読んでもらっていると思うと更新を続ける力になります。

 ブログをつけるようになって、見る目も変わってきました。

 次の節目(4年)に向けて毎日更新で頑張ります。


「共通」とは何か ?
 中学2年生は数学で三角形の合同の証明を学んでいます。

 僕のテキストでは、証明の根拠となることを一つずつ学んでいきます。

 まず「仮定」について学び、その次に「共通」について学びます。

 この「共通」という概念は、それほどむずかしいものではありません。たいていの生徒は簡単な説明で分かってくれます。

 ただ、理解力の乏しいものにとっては、理解しにくいようです。

 それで、僕は次のようなたとえ話からはじめました。

 Nobuhide君には友達がいる。Aくん、Bくん、Cくん、Dくん、そしてTakuho君。

 Masaru君にも友達がいる。Eくん、Fくん、Gくん、Hくん、そしてTakuho君。

 Takuho君はNobuhide君の友達でもあって、Masaruくんの友達でもあるね。

 このようなときに、Takuho君はNobuhide君とMasaru君は「共通」の友達、というんだ。

 これと同じように、辺ABは△ABCの辺でもあるし、△ABDの辺でもある。

 こういうのを「共通」の辺という。共通だから、長さ等しいというのは明らかだ。

 それで証明の根拠として使えるんだよ。

 これで理解が深まったように感じます。次の証明から比較的スムーズに進んでいました。



セルフ塾のブログの中学2年数学に関する記事をまとめてキンドルから出版しました。




「失う」と「プラス」に,「受け取る」と「マイナス」に
 いま中学3年生は,イオンを学習しています。ゆとり教育でなくなっていたのが復活したのです。

 「イオンは難しい!」と言っています。

 まず,混乱するのが,電子を「失う」と「プラス」になり,「受け取る」と「マイナス」になるということです。

 中学3年生にもなると,プラス,マイナスのイメージはしっかりできています。

 ふつうは,「失う」と「マイナス」,「受け取る」と「プラス」です。

 「なぜ??????」

 子どもたちはとても混乱するのです。だから,

「ナトリウム原子(陽子11個)が電子を1個失った。電気的にプラスかマイナスか。」

 といった問題では,すべて不正解ということになります。

 そこで,原子のイメージをしっかり持たすことが大切です。

 プラスを帯びた原子核があり,その周りをマイナスを帯びた電子がまわっているというイメージです。

 そして,出たり入ったりするのは,マイナスである電子だということです。これはとても強調します。

 そして,次のような説明をします。

 ナトリウム原子は,ふつう陽子11個,そして電子11個を持っている。

 だから,
+++++ +++++ +
----- ----- -

 という感じ。いまプラスが11個,マイナスが11個だから,プラスマイナス0で,電気的に中性。分かるね。

 さて,そのうちの電子(マイナス)が1個なくなったとする。すると

+++++ +++++ +
----- -----

 こうなるでしょう。

 さあ,電気的にこれはプラスか?マイナスか?

 ここまできたら「プラス」と答えてくれます。「失う」と「プラス」です。

 塩素原子は,陽子も電子も17個ある。

+++++ +++++ +++++ ++
----- ----- ----- --

 その塩素原子がが電子を1個受け取った。すると,

+++++ +++++ +++++ ++
----- ----- ----- ---

 になるね。もう分かるだろう。このように,電子を受け取るとマイナスになるんだよ。


コザ暴動その後 -首里高校1200人が米民政府に押しかけて抗議
 コザ暴動から40年がたちました。

 暴動が起こったのは、1970年12月20日午前1時過ぎ。



 「第二の糸満事件にするな」「犯人を逃がすな」と不信・不満を口々に叫び騒然となった


(コザ暴動 - Wikipedia)
 そうです。

 この「コザ暴動 - Wikipedia」のページに、次のような記述もみられます。

 事件を受けて生徒・学生が抗議行動を展開した。12月22日には首里高校で討論集会が開催され、外出禁止令が短縮される12月24日には同高生徒1200人が米民政府に押しかけて抗議を行った。



 この首里高校の抗議行動に僕もかかわっています。
 僕が思い出せるだけのことを、ここに書き残しておきます。

 当時ぼくは首里高校の3年生でした。

 僕は毎日裏門(安国寺がわ)から登下校します。

 首里高校は裏門から入り階段を下ると、そのまままっすぐ正門に続きます。その右側がグランドで左側に校舎群がありました。その間にブロック塀があります。

 21日の夕方、下校前のことだったと思います。その塀のところに砂辺君が立ってました。彼がぼくに話しかけてきました。

 彼は、コザ騒動、というよりも糸満でのひき逃げ事件について、ぼくら高校生も考えるべきではないかと主張したのです。

 もちろん僕もその通りだと思いました。ただ自分で行動することまでは思いもしませんでした。

 とにかく砂辺君を中心に、首里高校で何らかのことをやろうということになりました。そのとき集まっていたのは5~6人だったでしょうか。

 そして翌日。朝礼がありました。それをある意味では「のっとった」のです。通常の朝礼ではなく、糸満轢殺事件についてみんなで考えよう、と主張したのです。

 今考えると先生方もよくそれを許してくれたものです。僕らのペースで朝礼が進みました。たぶん先生方も轢殺事件を高校生が考えることはいいことだ、と思っていたのでしょう。

 その朝礼の中で、何が言われ、どうなったのか、よく覚えていません。

 その後各クラスで討論会を催すことになりました。そしてすべてのクラスで討論会がもたれました。

 討論会を行ったという記憶はきちんとあるのですが、その中でどのような意見が出されたのかは記憶にありません。ただ、高校生としてみんな積極的にいろいろな意見を述べていたように思います。

 抗議行動に反対する人もいたようにも思いますが、はっきりしません。

 そのあとどのような経過でそうなったのかは覚えていませんが、アメリカの民政府に抗議行動に行くことになりました。バスを借り切って行ったのです。

 その前の晩には、僕も参加しながらいろいろな資料作りをしたように思います。たぶん、抗議文を作成していたのでしょう。僕もその中に参加はしていましたが、自分の意見を言ったような記憶もきちんとはありません。

 とにかく、夜遅くまで眠らずに生徒会室に残っていろいろやっていました。徹夜状態だったと思います。

 先生方もとても協力的だったと思います。

 バスを借り切って多くの生徒が出かけました。Wikipediaの記事によると参加したのは1,200人。当時は首里高校の在籍者は2,000人ぐらいだったと思います。希望者が出かけたのでしょうか。

 パスを借り切ったのですから、先生方が協力してくれたのは確かなことです。カンパを集めた記憶もありません。学校の費用で行ったのでしょう。

 代表者(僕は入っていません)が民政府に抗議文を届けたと思います。

 その日はあいにく民政府は休日だったのではなかったかと思います。その辺はきちんと調べていなかったのかもしれません。

 民政府の前にバスをずらりと止めて、代表者が戻ってくるまで、僕らは並んでシュプレヒコールを行いました。

 帰りのバスでは眠くてしょうがなかった記憶があります。

 とにかく高校生としてできるだけのことは行ったと思います。

 どれぐらいの力になったのでしょうか。ただ、高校生が抗議行動を行ったというのはアメリカ政府にとってもショックはあったのではないでしょうか。僕は今振り返るとそれなりの効果はあったと思います。

 いずれにしろ、高校生としてもあのような行動をとることができたことをぼくは誇りに思っています。

 なお、砂辺くんは卒業後自殺したと聞いています。残念です。

心理学と読心術
 大学時代、心理学の小牧先生(当時助教授)の話です。

 大学で心理学を教えていると自己紹介すると、自分の心が読まれてしまうのではないかと少し引くような態度に出る人がいる。
 その時には、いや人間ではなく動物心理学です、と言うようにしている。すると相手も安心して話を続けてくれる。

 確かにそういうものかもしれません。心理学というと読心術だと思う人が結構います。

 心理学を学ぶと、相手の心を読む技術が身につくと思うのでしょうね。

 確かにそういうところが全くないわけではありません。

 ボディラングエージという分野がありいます。人間の心というのは態度にあらわれるものですから、その態度が何を伝えようとしているのかを研究するのですね。

 「目は口ほどに物を言う」ということわざもあります。目を見れば相手の心を読むことができるということです。

 でも、心理学を学んでよくわかったのですが、人間の心というのは簡単に読むことはできないのです。

 僕は心理学を学んで、かえって相手の心を読もうとしなくなったように思います。

 人間の心はとてもとても複雑です。心とは逆の態度にわざと出ることもあります。

 好きな人にわざときつくあたってりすることはよくありますね。

 人によっても態度に差があります。そのあたりをすべて考慮しないといけません。

 だから心理学を学ぶようになってから安易に人の心を読まないようにしているのです。

 心理学の一分野に行動主義というのがあります。それは、心というのは読むのが難しいから、表に現れた行動だけを学問の対象にしようというものです。

 その立場に立った行動主義がとても発達をとげています。

 一般的な意味での読心術というのは、無理だと考えた方がいいように思います。

 ただ、身近な人の心を読むことはある程度できますね。

 妻が夫の態度に不信を感じて調べてみたら浮気をしていたということは実際にありうることです。

 長い間一緒に暮らしていると、その人の行動と心がわかるのですね。

 そして女の直感というようなのが働く。すると相手の心が見えてくるというようなものです。

 それは、学問として心理学を学んで身につけるというよりも、日常生活の中で自然に身につくようなものだと思います。

 僕は心理学を学びましたが、そういうところはかなり下手だと思っています。

近未来の会話
「もしもし、今どこにいるの?」

「ちょっと待ってね。確認するから。
 今は、北緯26度6分3秒、東経120度43分 6秒だよ」

「わかった。私は今26度6分12秒、120度43分4秒にいるから、すぐ近くだね。私があなたの所に行くから、そのまま動かないで立っていて。」

 僕は予想する、ごく近未来の会話です。

 カーナビなどで GPSが使われています。僕もGPSロガーの時計を買って利用しています。

GPSロガー時計 EEA-SJ-5262
古宇利島に
 GPSロガーではその地点が北緯何度何分、東経何度何分という位置を示してくれます。

 この北緯何度何分、東経何度何分というのは、台風情報ではこれまでも耳にしましたが、全く身近なものではありませんでした。

 しかし、今後はもっと身近に使われるようになるのではないでしょうか。

 いま、ネットで検索してみると、GPS機能つきの携帯電話はすでにかなりあるのですね。携帯電話は持っていないので知らなかった。

 とすると、もうすでに上のような会話はどこかでやられているのかもしれませんね。

netで調べていたら、こんなページを見つけました。
Sat-Track 携帯電話 GPS 追跡システム
追跡システムがGPSならびにGSMテクノロジーを使って携帯電話を追跡します。




泡瀬干潟三人展に
 泡瀬干潟三人展にKyokoと二人で行って来ました。

 きれいな写真がたくさん並んでいました。

 こんなに、こんなにたくさんの生き物がここにはいるのですね。一つ一つが生きているのです。とてもきれいです。干潟にはいろいろな表情があります。それがよく撮られています。

 このような光景を表現する力がなくて、とても口惜しく思います。

 小橋川さんさんがいろいろ説明してくれました。ハブクラゲが魚をくわえているのは、説明がないと見落としてしまいます。

 ここにはいろいろな鳥もやってくるのです。そして卵を産み、ふ化するのです。
 卵から産まれ出てきた赤ちゃんひよこ、その眼がなんとかわいいことでしょう。

 干潟がなくなると、そういうのもなくなってしまいます。その命がなくなってしまうのです。

 ぜひとも工事を中止させたいものです。

 オブジェを制作した屋良朝敏さんのミニトークも聞くことができました。

 Kyokoは貝がとてもきれいだったと興奮気味に話しています。

 行ける条件のある人は、ぜひ出かけてみてください。

泡瀬干潟三人展~生き物たちからのメッセージ

 小橋川共男・写真 屋良朝敏・オブジェ 名和 純・貝世界

那覇市民ギャラリー(パレット久茂地6F)

 2010年12月14日(火)~19日(日)
 10時~19時(最終日は17時まで)

泡瀬干潟を語るミニトーク 小橋川PM3時~毎日
屋良(木)(土)(日)PM4時~ 
    名和(火)(土)(日)PM2時~


 帰りに、カレンダーと写真の絵本を買ってきました。

 残念なことにカメラを忘れてしまいました。携帯電話のカメラで写せばいいと思っていたら、妻はしっかり携帯電話も忘れていました。

 絵本に書いてもらったサインをここに載せますね。

kobasigawa.jpg

2011年度 カレンダー ニライカナイの海

写真絵本「こんにちは泡瀬干潟」










サンタクロースがいないと知った日
 もうすぐクリスマスですね。

 僕はちょっとした自分の好奇心で、子どもたちに訊いてみました。

 「サンタクロースがいないと思ったのはいくつぐらいのとき?」と。

 子どもたちのほとんどが「小学校5年」でした。「4年生」という子もいます。

 ところで、それを思い出したとき、暗い表情をする子が多いのです。

 それまでサンタクロースがいるという夢を持ち続けていたのに、それを壊されてしまったという記憶がよみがえってくるのでようです。

 Aさんは次のように話しました。

 クリスマス前に、お母さんの携帯電話をのぞいたら、お父さんからメールが入っていた。それには

「Aは何をほしがっているの?」とあったのです。
 
 どうもお父さんは、おもちゃ屋さんかどこかに来ていて、クリスマスのプレゼントを買おうと思っているのですが、何を買えばいいのか、お母さんにたずねているようなのです。

 「私はそれを見てショックで、凍り付いてしまった」
 Aさんはそう言っていました。

 そのメールでサンタクロースがいないというのを悟ったのです。夢が音をたてて崩れていくのを感じたのでしょうね。

 Yさんは次のような話しをしてくれました。

 寝ていると、お父さんが寝室にはいって来たような気がした。

 翌朝お父さんに「入って来たでしょう」と尋ねると、

 お父さんは、すっかりばれたと思って、
「そうお父さんがサンタクロースになんだよ」と告げたようです。

 Yさんは、お父さんがサンタクロースだ確信していたわけではないのです。でも、お父さんの言葉でその夢がくじかれてしまったと言っていました。

 そばで聞いていたお母さんが、必死で取り繕ってくれたのですが、もう後戻りはできなかったようです。

 次のような話しをしてくれた中学生3年生もいました。
 ○○さん(塾生ではない)は友達みんなが「サンタクロースはいない」という話しをすると、涙をこぼさんばかりに、「サンタクロースは絶対にいるよ」と訴えていたそうです。

 中学生にもなると、ほとんどの子がサンタクロースの存在を否定するようになるのですが、どうしても信じ続けたい子がいるのでしょうね。

 Sさん(中2)は「私はまだ信じています」と返ってきました。Rくんもそう言っていました。信じたいのでしょうね。

 でも、中学2年生にもなってサンタクロースを信じるというのは、ぼくにはよく理解できません。

 Mくんは「子どものころから信じていないよ」と言っています。ぼくも信じていた記憶はないですね。一般に男子は淡泊な感じです。

 Aさんは、サンタクロースを信じなくなったらプレゼントはないというから、お父さん、お母さんには、サンタクロースはいると信じてるふりをしているよと言っていました。

 このような話を聞ききながら、僕は子どもたちにとってはサンタクロースがいるということはとても大切な夢なんだろうと感じました。だから、安易に「サンタクロースがいないと知ったのは何歳のころ」と訊くのはいけないのかも知れません。

 でも、「サンタクロースがいないと知った日」をというのはそれぞれの子どもたちにとって大きなドラマなのだなとも感じています。そういうドラマを知りたいという気持ちも強いですね。

セルフニュース 248号 きょう発行
セルフニュース 248号をきょう{2010年12月17日(金曜日)}発行いたします。保護者には、1時間後に投函する予定です。明日にはお届けできると思います。

( も く じ )

① 上原Ayaneさん英検3級合格! 

② 保護者面談は、27日(月)・28日(火)

③ 数検合格、おめでとう!

④ 11月皆出席

⑤ 漢 字 検 定 を1月29日(土曜日) に実施

⑥ 冬休み12月29日(水)~1月3日(月)}

⑦ 高校受験生冬期学習

⑧ 高校受験生,1月からは 土,日も

⑨ 第3回「沖縄県統一プレ入試(最終)」(予定)

⑩ 本かプリントか選択してください

⑪ 家庭からの通信

⑫ ネットでの声

⑬ 中学部12月のスペシャルオフは24日(金曜日)に

⑭ 小学部、24日の学習を23日に

⑮ セルフ塾 予定表

web版 セルフニュース 248号

文を読み取る前提の知識
 rinkaan さんのブログ
『トム・ソーヤー』のジム少年 (英語文学の読解と指導の必要性)に以下の文を書き込みました。



 「ペンキ塗り」のエピソードは、知っていましたが、ジム少年(ジムという名は忘れていました)が「黒人奴隷の子」だったのというのは知りませんでした。

 そういえば、「奴隷って何?」と質問した中学生がいました。

 「奴隷」とは何なのか、それは常識として知っているはずだ、という前提のもとに小説が書かれていることが少なくありません。

 だから、そのようなった知識がなければ本を読み解くができません。

 多少なりともアメリカ史がわからなければ、アメリカの小説は読み取れないことが多いと思います。

 信長、秀吉、家康がだれで何をしたのか分からなければ、日本の小説は読めないことがあるでしょうね。

 西洋では、聖書やシェイクスピアが当然の知識としてあるように感じます。

 それで思い出すのが星新一の「最後の地球人」という話です。中学生に読書で与えている「おーいでてこーい」の中にあります。

 これは、聖書の創世記の部分が当然のごとく理解しているという前提のもとに書かれています。

 「光あれ」から始まり、男の人が作られる。そのあばら骨から女性が作られる。2人は裸に気づき服を着る。

 この小説では、その順序をさかのぼるという描き方がされています。そこが面白いのです。

 逆に言えば、聖書の創世記がわからなければ、この話は全く面白くない話なのです。

 どこまでが前提となる教養になるのか、決まったものはないでしょう。

 英検の問題だったと思いますが、天体の話が出ていました。

 僕は本文を全く読まないで、設問だけで正解が分かりました。本文の中にある知識を、僕はすでに持っていたのです。

 極端な話をすると、「太陽はどこから上りますか」という設問があれば、本文を読まなくても「東」という正解が出ますね。そのような問題だったのです。

 国語の読み解く力というのは、いろんな知識に支えられたものでもあると感じます。

 厄介なことに、自分にそういう知識がなければ、わからないということさえわからないということです。

 そこに深い意味が隠されていても、隠されていること自体わからないのです。

 だから、若いころに読んだ小説を読み返すと、こういうことが書かれていたのか、と分かることもあるのでしょうね。

 ぼくも深い意味が分からずに多くの本を読んできたのでしょう。


カレーバイキング&居酒屋 spicelife
古宇利島に行く途中、昼食は名護市で、カレーバイキング。

 前夜、ネットで調べました。カレー好きなぼくは、カレーバイキングとあったので、すぐに「決まり!」。Kyokoも「まあいいか」といった表情。

 地図上では裏道を通ってと、思っていたのですが、裏からは行けず、国道へ戻ってしまいました。

 でも、すぐに見つかりました。

 980円でこれだけ食べられるのですから、大満足。

 5種類のカレーもよかった。それぞれに個性を主張していました。ポークカレーはポーク缶を使っているのがおもしろい。沖縄の家庭ではよくします。

 ぼくはキーマカレーが特においしかったです。お勧めのお店です。

午後2時ごろ行ったのですが、客はぼくらだけ。こんなにいい店なのにWhy?

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カレーバイキング&居酒屋 spicelife

原子は見えないのに、どうやって(原子の構造が)わかるの?
 Ayaneさんが習いにやってきました。中学3年生理科です。イオンの学習に入りました。

 最初に、原子の構造について学んでいます。

 Ayaneさんが言いました。

 原子はとても小さくて見えないんでしょう。どうやってそんなことが分かるの。

 原子さえ見えないのに、原子の構造(原子核や電子)について書かれているので不思議に思ったようです。(「いい質問ですね」と言えばよかった。)

 僕は次のように説明しました。

 ここに箱があるとするでしょう。
 中は開けたらいけない。でも、中に入っているのが何なのか知りたいとするね。

 見ることはできない。どうすればいい?

 まずは持って重さを確かめてみるでしょう。
 そして少しゆらして動かしてみる。
 音が出ないか確かめる。
 においがしないかかいでみる。

 このようにしているうちに、中に何があるのかわかることがあるでしょう。

 原子についてもこのようなことをしてるんだよ。

 重さを量ったり、電気的性質を調べたりする。

 そして、こうなっているのではないかという考えを出してみる。それは仮説という。

 そしてそれが正しいかどうかまた実験をする。

 そういうふうにするうちに見えなくても原子の構造などがわかってくるんだよ。

 人間てすごいね。

 Ayaneさんはどこまで理解してくれたのでしょうか。
「そーか」と言って課題に学習に戻りましたが。

イオンと原子の構造
 学校で、そして教科書でどのように教えているのかはっきり分からないで、少々無責任かもしれないと思いながら書きますね。

 「イオン」が中学校で復活しました。ゆとり教育でなくなっていた分野です。

 イオンという概念を理解するには、原子の構造をある程度は理解していないと、ぼくは思います。

 学校、そして教科書では、それが弱い、いやないのではないでしょうか。

 量子力学の世界の原子は、電子が雲のような存在として描かれます。この世界はぼくには十分に理解できません。
 そこまで分からなくてもいいです。いや、そこまで教えると中学生の頭は混乱します。

 中心に原子核があり、そのまわりを電子が飛び回っている、そのようなイメージをまず生徒に持たせることが大切です。

 原子核は、陽子と中性子からなる。陽子はプラスの、電子はマイナスの電気(電荷)を帯びている。

 そこまでは教えておかないと、イオンの概念を理解させることはできないと思っています。

 ぼくは、次の問題をまず生徒にさせます。

 【問1】原子について、だれの説が正しいと思いますか。 (         )
(1) ドルトン 「物質のもっとも小さい単位は原子である。それ以上分けることはできない。」

(2) トムソン「原子は、+プラスの電気をもった海の中を、マイナスの電気をもった電子が動き回っている。(スイカの種のよう)」

(3) 長岡半太郎「原子は、正の電気をもった粒子のまわりを、負の電気を帯びた粒子が、ちょうど惑星が太陽をまわるようにまわっている」

 中学生は、原子を学んでいます。そしてドルトンを。
 
 だから、ドルトンの説が正しいと思い込んでいます。だから、ほとんどの人がドルトンと答えます。

 そこで、日本人の長岡半太郎氏の登場。日本にも偉大な物理学者がいたのだと。長岡半太郎氏の描いた原子像が現実にはもっとも近いんだよ、と教えます。

 そこからイオンの話に移るのです。あとは後日。

数検合格、おめでとう!
 Yukikoさんと、Mikunoさんが、学校で受けた数学検定4級に合格しました。おめでとうございます。2人は、過去問題を解いて検定に備えました。


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 実用数学技能検定「数検」は、数学の実用的な技能(計算・作図・表現・測定・整理・統計・証明)を測る検定で、財団法人日本数学検定協会が実施している全国レベルの実力・絶対評価システムです。(財団法人日本数学検定協会 HPから)

4級(中学校2年生修了程度)社会で主体的かつ合理的に行動するために役立つ基礎的数学技能
二つのものの関係を文字式で合理的に表示することができる。
写真・地図・印刷物の拡大・縮小時の材料計算ができる。
簡単な情報をヒストグラムなどで表示することができる。(Wikipediaから)


2005年入試問題(英語) 青学高等部
青学の「ひめゆり退屈」問題で触れた入試問題本文です。

 次のページからお借りしました。
愛・蔵太のもう少し調べて書きたい日記

Almost 60 years have already passed since World War Ⅱ ended in August,1945. Well,of course you can say that this war is not over yet for some people in some ways, so it could be "only" 60 years. Anyway,we have to think about this age. We should not forget this important experience. Japan is the only country that has experienced the atomic bomb. We, all Japanese, even people born after the war, are responsible for telling the world not to make the same mistake again. But remember, it's been 60 years. Year by year, we are losing people who have experienced the war. From then on, in what way can we pass our experiences, messages and wishes to the next generations?
 

1945年の夏に第二次世界大戦が終わってから、ほとんど60年が過ぎました。確かに、何人かの人にとってはいろいろな意味でまだ終わっていない戦争で、「まだ」60年、でもあるでしょうか。とにかく私たちはこの期間について考えなければなりません。この重要な経験を忘れてはいけません。日本は核兵器を経験した唯一の国です。私たちすべての日本人は、たとえ戦後の人間であっても、同じあやまちを繰り返さないために、そのことを語る責任があります。しかしとはいえ60年ですから、年を追うごとに戦争を経験した人間は亡くなっています。それなら、どのような方法で私たちは自分たちの経験、メッセージ、意志を次の世代に伝えることができるのでしょうか。

Last summer, I saw an unforgettable TV program. Actually, it was shocking. It was a special program to remember the end of Wold War Ⅱ. It came from one writer's war experience and had many old soldiers' comments. Most of those soldiers were in their late eighties, unable to hold their shaking bodies without the help of their walking sticks. The program didn't hide any of the dead bodies of the soldiers. I wasn't ready for such a scene and I couldn't keep watching it, so I turned the channel to another program. I understand that such pictures can be useful. On the other hand, I thought many people would fell the same way I did. But to my surprise, a few days later, I found a letter from an old lady in the newspaper. In the letter, she said that she was impressed with the program. "Thank you for showing the pictures. We will soon become unable to describe the war with words but we can tell something even without using words. We shouldn't be afraid of showing the truth." After reading this letter, I started to remember one of my high school experiences.

 

昨年私は忘れることができないテレビ番組を見ました。実際、ショッキングでした。それは第二次大戦末期を思い起こさせる特別番組です。一人の作家の戦争体験と、複数の年老いた兵士たちのコメントによるものです。兵士の大部分は80代後半で、杖の助けなしでは震える体をささえることができませんでした。番組は兵士の死体を一切隠しませんでした。そのような場面に対する心の構えは私にはなく、見続けることができなくて、テレビのチャンネルを変えたのです。そのような映像が有意義だということは知っていました。しかし一方では、私と同じようなことを考える人も多かっただろうということも。しかし驚いたことに何日か経って、私は年老いた婦人の投書を新聞で見ました。それには彼女は、その番組に感動した、と書いていたのです。「映像を見せてくれたことに感謝します。私たちはもうじき戦争を言葉で語ることはできなくなるでしょうが、言葉以外のことで何かを伝えられるのですね。真実を見せることを恐れるべきではありません」この手紙を読んで、私は高校時代のある経験を思い出しはじめました。

It happened during my school trip to Okinawa. During my stay, my class had a chance to visit an old air-raid shelter which was last as it was from the war. Everyone had their own lights, and followed the old guide info the cave. Inside the cave, it was dark and wet. It was almost untouched from the time of the war. It was a perfect playground for city kids. We laughed at each other when someone slipped and fell. We enjoyed the echo of our voices. "Won't it be interesting if we camp here?" someone said. Yes, that sounded really nice! Then the old guide said, "OK, let's turn off our lights." After the final light went out, darkness appeared. It was a ( 3 ) darkness. No one said anything. I mean "couldn't say" anything "This is the war. The only thing we wished in this cave was to survive the war. I don't want to experience it again." On our way back, no one spoke and of course no one laughed. I still remember how I felt when I saw the outside light and how I thanked God when I finally got out of the cave. I wasn't surprised when I saw some of the girls were crying. There weren't many words but we understood what that experience meant. Only at that moment, I understood why the old guide didn't talk much and answered our questions with only a few words during the tour.

それは沖縄への修学旅行のときのことです。滞在中に私たちのクラスは古い防空壕を見る機会がありました。それは戦争中から残っていたものです。各自が明かりをもって、年老いたガイドに従って洞窟に入りました。洞窟の中は暗くて湿っていました。戦争のときからほとんど手が加えられていないのです。都会の子どもたちにとっては完全な遊び場です。私たちはお互いに、誰かがすべったり転んだりしたときには笑っていました。声がこだまするのを楽しみました。「ここでキャンプしたら面白くないかい?」と、誰かが言いました。確かにそれはいい考えのように思えました。そのとき年老いたガイドは言いました。「それでは、みんな明かりを消してみてください」。最後の明かりが消えると、暗闇になりました。それは(3)な暗闇です。誰も何も言いません。というより何も「言えなくなった」のでした。「これが戦争です。私たちがこの洞窟で願った唯一のことは、戦争を生き延びることでした。そのような経験をもう一度したいとは私は思いません」帰り道では誰も何も話さず、もちろん笑うこともありませんでした。私はいまでも、外の明かりが見えたときに何を感じたか、最後に洞窟を出たときにいかに神様に感謝したか、ということを覚えています。女の子の何人かが泣いていたのを見たときにも驚きませんでした。たくさんの言葉はありませんが、私たちはその経験が意味することは理解しました。そのときようやく、私はなぜその年老いたガイドがほとんど話さず、旅行中にほんの少しの言葉で質問に答えたのかがわかりました。

Then we moved to the Himeyuri Memorial Park. Although we started to forget the cave, we still didn't talk much because we were a little afraid and nervous that we might have to listen to some stories, maybe even more shocking. Yes, the story that the old lady who survived the Himeyuri squad told us was shocking and gave us a great image of the war. But, to tell you the truth, it was boring for me and I got tired of her story. As she spoke more and more, I lost my strong impressions from the cave. I could see that she told the story so many times, on so many occasions, and she became so good at telling it. Her story sounded so easy, like a bedside story told by a mother to a baby. Of course, some of my friends were moved by it, so I shouldn't say that her story didn't mean anything.

そして私たちはひめゆり平和祈念公園に移動しました。洞窟のことは忘れはじめましたが、さらに衝撃的な物語を多分聞かなければならないだろうため、いささか心配だったりナーバスだったりして、お互いあまり話はしませんでした。確かに、ひめゆり部隊で生き延びたおばあさんの話はショッキングで、戦争に対して強いイメージを受けました。しかし実際のところ、それは私には退屈で、彼女の話には飽きてしまいました。話されれば話されるほど、私には洞窟の強い印象が薄れてきました。その物語は何度も、いろいろな機会に話されたので、話すことがうまくなったように私には見えました。物語は安易に聞こえ、母親が赤ん坊に話す寝物語のようでした。もちろん、私の友人の何人かは心を動かされましたので、その物語はあまり意味がないと言わざるを得ません。その物語が無意味とまではいうべきではないでしょうが。

Passing truths and experiences to the next generation is important work. But how? WHat is the best way to do it? Of course the clearest way is with WORDS. The power of words is great. But the problem is how we understand them. If the listener doesn't understand the ideas of the speaker, even a good story becomes just a list of words. Another problem is that if the speaker's opinion is too strong, it may give a different message. Remember the Asian Soccer Cup held in China last summer? Many Chinese booed Team Japan. Probably most of them heard war stories from their parents and created their own ideas about Japanese. Of course we shouldn't say that the information they got from their parents was wrong, but what exactly did their parents say to them? And how?

次の世代に真実と経験を伝えることは重要な仕事です。しかし、どうやって。そのために一番いい方法は。もちろん、確かな方法は「言葉」です。言葉の力は大きいです。しかし問題は、どうやって私たちがその言葉を理解するか、です。聞き手が語り手の理念を理解しなければ、いい物語であってもただの言葉のつらなりにしかなりません。もう一つの問題は、語り手の主張が強すぎるときには、それは違うメッセージになるかもしれない、ということです。去年の夏中国でおこなわれたアジア杯サッカーを思い出してください。多くの中国人は日本チームにブーイングを送りました。多分そのうちの大多数は両親から戦争の物語を聞き、日本人に対して彼らなりの考えを持ったのです。もちろん私たちは彼らが両親から受けた情報が間違っていると言うべきではありませんが、実際のところ彼らの両親は何を、どのように言ったのでしょうか。

As I wrote, we will not be able to listen to firsthand messages about the war someday, but there are some other ways instead. Sometimes you can send the best message without words. When you become a student of Aoyama Gakuin High School, you will visit Nagasaki on your school trip. You will have a chance to listen to the stories of people who experienced the atomic bomb. What message do you think you will get at that time?

前に書いたとおり、私たちはいつの日かには戦争についての直接のメッセージを聞くことは出来なくなるでしょう。しかしそれに変わる方法はあります。ときどきあなたたちは言葉を使わないでベストのメッセージを送ることができます。青山学院高校の生徒になったときには、あなたたちは学校の旅行で長崎を訪れるでしょう。原爆を体験した人たちの話を聞く機会もあると思います。そのときあなたたちはどんなメッセージを得るでしょうか。

青学の「ひめゆり退屈」問題
rinkaanさんからコメントをいただきました。rinkaanさん、ありがとうございます。

読解力の問題
僕も読解力の問題を考えています。よかったらコメントください。ただし、英語の文章読解問題です。これから取り上げるのは、青学2005年のひめゆり退屈問題と、英語教育についての推理・推論・あてずっぽう なのです。


青学の「ひめゆり退屈」問題



 以下は、rinkaanさんのブログに残したコメントです。
 なお次の記事で、入試問題本文と日本語の訳文を次の記事に貼り付けました。参照ください。




 青山学院高等部の英語の入試問題、読みました。

 新聞報道では知っていましたが、本文を読むのは初めてです。新聞でもたぶん見出ししか読まなかったと思います。

 さて、ぼくは高校受験生に英語の長文読解を教えるときに、

 「こういう文には、おりこうな中学生しか出てこないからね」と、半分侮蔑的に話します。

 高校入試の問題には「いい子」しかでないのです。
 ボランティア活動をしたり、平和の問題を考えたり、沖縄の歴史を大切にしたいと思ったり、・・・そういう中学生が登場します。

 少し横道にそれても、あとではちゃんと戻ってハッピーエンド。

 八方美人しか出てこないのですね。

 僕には面白くないです。

 斜に構えた中学生が出てきた方が面白いと思うのですが。

 そういう意味でも、もし沖縄戦、ひめゆり部隊の話が退屈だとしても、それはそれでいいと思います。

 ところで、この青山学院の入試問題を読むと、単に「ひめゆり部隊の話が退屈だと感じた生徒」の話ではありません。

 マスコミなどは、最後のひめゆりの塔を訪ねた時の「話が退屈だった」ところだけを取り上げて報じたのでしょう。

 この話は、全体を読むとそこに主題があるわけではありません。

 壕(ごう)の中に入って、真っ暗闇を経験する、その強烈な印象が中心です。
 僕も壕の中で真っ暗闇を経験しました。まったく明かりがないというのはこういうものかと強烈な印象を持ったものです。

 それに比べると、言葉での説明というのは退屈だということです。薄っぺらなのです。

 戦争を知らない世代に戦争を伝えるにはどのようにするのか、ある意味では、ここにも「いい子」が登場しているのです。

 沖縄に住む僕にとっても、この感想文は悪い感じは全く受けません。

 それよりも、どのようにすれば戦争のことを次の世代に伝えていくのか考えさせられる「いい文」だと思います。

古宇利島の遠見番所跡
 きのうは法事があり、今帰仁村古宇利島に行きました。

 帰り道に「アマジャフバル農村公園」の道しるべがあり、好奇心の強いKyokoが行きたがり、道しるべにしたがって公園へ。

アマジャフバル農村公園
 そこで大きな収穫がありました。

 その公園に「古宇利島の遠見番所跡」があったのです。」

 要するに「のろし」の中継場所です。

 その地について、亡き舅曽根信一から話を聞いたことがあります。舅が元気なころですから、10年以上前になるでしょうか。

 何か用事があり、3人で古宇利にやってきました。そして、「遠見番所跡」をさがしました。

 地元の人に聞くと、あいまいな説明でした。それを元にこのあたりだろうかというところに行きましたが、きょう訪ねたところとはまったく別のところです。

 説明版がありました。
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 説明版の全文は次のページで見つけました。

http://blogs.yahoo.co.jp/neoisland2/17419744.html

古宇利島の遠見番所跡

琉球における遠見番所の設置は1644年にさかのぼる。『元禄国絵図』(18世紀)の古宇利島に「異国船遠見番所」と記されている。唐船や異国船が来ると烽火をあげて首里王府へ知らせる通信網である。

沖縄本島では御冠船(うかんせん)や帰唐船(きとうせん)の場合、一隻の時一炬(かがり)(煙)、二隻の時二炬(煙)、異国船の場合は三炬(煙)が焚かれたという。古宇利島の遠見番所は伊是名島と国頭村伊地(くにがみそんいじ)から受け、具志堅(ぐしけん)の大嶺原(おおみねばる)、伊江島の遠見番所に伝達する役目を担っていた。



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近世火立のネットワークの写真はもっとアップで撮ればよかった。


大きな地図で見る

 とてもいいところです。歴史的な場所という点は別にしても、古宇利に来たらぜひ訪ねてみてください。

 舅を連れてきたかったね、と妻と話しました。

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