FC2ブログ
セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

生きている牛を思い出さないため、ビーフとした
 前の記事で、
 生活に密着するほど、言葉は分化すること、
 西洋では、動物とその肉を区別し、牛はビーフ(beef)、豚はポーク、鶏はチキン、羊はマトンとなる

 ことを書きました。

生活に密着するほど、言葉は分化

 さて、先日、NHKの衛星放送でクールJapanを見ていました。

 西洋では、肉の名前をその動物と別になっていますが、その理由について別のことを言っていました。
 テレビで書き留めてはないので正確ではないのです。また、ぼくの解釈も入っていると思います。

 生きているときの姿を思い出さないためなのだそうです。目の前に出された肉から、それが生きていたときのことを思い出すのは不快なのです。

確かに私たちは動物を殺して。殺した結果として肉があるということに多少の罪悪感があります。僕も改まってそこまで考えると、やはりかわいそうなことをしているな、自分の食欲を満たすために、その生命を奪っているんだと後ろめたい気持ちになります。

 ただ西洋の人たちは、もうずっとその生活をしているのですから、当然のことだと完全に受けていると思っていました。

 しかし、彼らもやはり動物を殺すということはかわいそうだという気持ちがあるのでしょう。

 だからビーフを食べているときに、その元になった牛を思い出したくないのです。

 それに比べると、日本人は 牛肉(牛の肉)と、すぐに生きているときを思い出せる名前で食べているのです。

 西洋人には残酷な感じを受けるようなのです。

 クールジャパンの中で、「親子丼」「目玉焼き」もよくないようなことを言っているひとがいました。parents と children, eyeballs を食べるのか、というのですね。

 慣れなのでしょうか。「親子丼」「目玉焼き」を食べるときにぼくはこんなことは全く考えません。西洋人は考えてしまうのです。

 動物とその肉との名前が西洋では異なるのは、生活に密着しているからというのが大きいようには思いますが、生前を思い出さないため、というのも面白いと思いました。
スポンサーサイト




生活に密着するほど、言葉は分化
 生活に密着するほど、言葉は分化します。

 西洋人は狩猟民族です。牧畜が盛んです。

 だから牛や羊といったものと非常に密接に生活しています。

 その西洋では、「牛」と言っても英語にするといろいろです。

〔雌牛〕は cow、〔雄牛〕はbull、〔労役用の去勢雄牛〕は ox、〔子を産んだことのない若い雌牛〕はheifer、〔子牛〕はcalfです。

 日本語は、雄牛(雄の牛)という感じで、説明した語であって、別の語ではありません。

 日本語の「馬」は、英語になると
【馬】horse; 〔雌馬〕mare 〔種馬〕stallion, stud; 〔子馬〕foal; 〔雄の子馬〕colt; 〔雌の子馬〕filly; 〔小形種の馬〕pony となります。

 では、日本語はどうでしょうか。

 日本語の、「米、御飯、稲」8を英語にするとすべてriceです。日本人はお米といっしょに暮らしているので、米、御飯、稲をきちんと区別するのですね。

 「私は稲を育てる」でも「I grow rice.」とriceになります。

 「米を食べる」とは言いますが、少し意味が違います。または知っていて故意に「御飯」を使っていないのです。

 水、お湯は、英語では、water, hot water です。「温かい水」と説明的な語になります。西洋より水を大切にしてきたのでしょうか。

 you, I を日本語にすると多くなります。人間関係に敏感なのでしょうか。

 日本語では、米と御飯を区別すると書きました。西洋では、動物とその肉を区別しますね。

 例えば、生きているときは牛ですが、それが肉になるとビーフ(beef)になります。

 ビーフ(beef)を日本語にすると「牛肉」です。牛の肉ということです。説明的語で別の語とはいえません。

 豚の場合には、肉になるとポーク、鶏はチキン、羊はマトンとなります。

 日本語では、豚肉、鶏肉、羊肉と説明的です。

 職業や趣味によっても使い方がちがってきます。

 ぼくにとっては「花」は「花」であればいいです。

 「あの小さな青い花」と言えば十分です。
 
 ところが、花屋さんになればそうはいきません。 
 「キキョウ」という名を知らなければ、仕事ができないでしょう。
 
 そして固有名詞がでてきます。

 名前をつけて他と区別するのです。

 他人にとっては、ただの男の子。でもその親にとっては、「太郎」になるのです。

 このように言葉というのは、生活に密着するほど名前は分化してくるのです。
Copyright © セルフ塾のブログ. all rights reserved.