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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

屋良朝苗さん、個人的思い出
 昨日は中学3年生に社会を教えました。学年末テストに時事問題が出てくるかもしれないということで、最近のニュースを話したのです。

 生徒たちが、かなり興味を持っていろいろ質問するので、ついつい長い時間話してしまいました。まるで「池上彰のここが知りたいニュース」に似たような雰囲気でした。
 ぼくは池上さんになったつもりで話していましたね。

 さて、北方領土問題が出て、その話をしているうちに、沖縄の復帰運動に話が及びました。

 そして、屋良朝苗さんの話を少ししました。

 屋良朝苗さんは、ここ読谷の出身なのです。
 地元出身でもあるし、高校入試にも出てくる可能性があるからしっかり覚えておくように、と話しました。

屋良朝苗(やらちょうびょう) [ 日本大百科全書(小学館) ] (1902―97)

 教育者、政治家。沖縄県読谷(よみたん)村で生まれる。広島高等師範学校卒業後、沖縄県教諭となる。1943年(昭和18)台北師範教授。敗戦後、沖縄に戻り知念(ちねん)高校校長として自主性と創造性を重んじた教育を実践。50年(昭和25)沖縄群島政府文教部長に就任し、戦災校舎の復興改善に尽力。52年沖縄教職員会を組織し初代会長。60年沖縄県祖国復帰協議会会長。68年初の琉球(りゅうきゅう)政府主席公選に野党統一候補として出馬当選。返還闘争が激化するなか、米民政府や佐藤栄作首相と折衝を重ね、施政権獲得に全力を傾ける。さらに72年6月復帰後最初の沖縄県知事選で革新統一候補として出馬、圧勝した。76年知事退任。平成9年2月14日没。


 さて、ここに個人的な話をします。

 僕が高校三年生の時だと思います。だから1970年か71年でしょう。復帰直前です。

 そのころ、屋良朝苗さんは、初の公選主席でした。その屋良朝苗さんがぼくの通っている首里高校に来たのです。

 新しくできた体育館で、たぶん講演をしたのでしょう。

 恥ずかしながら、その内容などはまったく覚えていません。

 ただ覚えているのは、握手をしたことだけです。

 友人の一人が、せっかく屋良知事が来たのだから、握手をしようと誘いました。それがだれだったかよく覚えていません。

 とにかく新しくできたばかりの体育館から職員室か正門に向かおうとしている屋良朝苗さんのところに駆け寄り、握手をお願いしました。

 にこにこしながら、それに答えてくれました。

 そのころも、僕は長髪で顎ひげをはやしていました。今のように長くはないのですが。

 その僕を見て、「あなたも高校生ですか」といったのを覚えています。

 そのころからふけて見えたのです。よくそう言われていました。

 さてもう一つの思い出です。

 僕の父仲松庸幸(ようこう)は復帰前は屋良朝苗知事のもとで琉球政府の労働局長までやりました。

 そして復帰後は総務部長をやって屋良知事を支えていました。

 その父が、僕が結婚して数年後に亡くなりました。

 そして、49日か何かだと思いますが、法事の時に、屋良知事がご夫婦でぼくの家にいらしたのを覚えています。

 ぼくの妻は読谷の出身です。舅は読谷に住んでいました。同じ読谷ということもあり、僕の舅は屋良さんと親しくしていたそうです。

 妻は、「曽根信一の娘です」と屋良さんにあいさつしていました。

 舅からは、屋良知事の若いころの思い出をよく聞きました。
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