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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

寝違え
 月曜日の朝、首がとても痛みました。少し首を動かそうとすると、とても痛みます。

 起き上がるときも、首に力が入り、ひどく痛みます。寝違えです。これまでも寝違えることがありましたが、こんなにひどいのは初めてです。

 しばらくするとよくなろうと思い、我慢して過ごしました。しかし、全く良くなる気配がありません。

 のどにごくりと水を落とす時にも首が痛みます。

 一番ひどいのは横になっている状態から起き上がるときです。
 その時には改めて感じましたが、その時には首を支えるために首の筋肉にすごく力を入れているのです。
 頭を手で支えながら、自分の頭を持ち上げる感じで起き上がったりしました。

 火曜日も同じような状態が続きました。

 今朝(水曜日)起きても同じです。それで整骨院にへ行きました。

 整骨院へ行くのは初めてです。

 バイクで行ったのですが、首が回らないものですから、横や後方の確認がうまくできず、少し危険な感じで運転しました。

 受付で「初めてです」と言うと、問診表を渡されました。そこに症状などを書き込みました。妻がよく通っている整骨院です。

 診察室に通されました。先生は、問診表を見て、そして首に触りました。

 すごく硬くなっていると言ってました。

 この首の筋肉はとてもよく使う筋肉で、これだけ硬くなっていると、もう動こうとしなくなると言っていました。

 まさにその通りです。首に触るだけでぼくの症状が理解できるとはすごいです。

 そして治療に入りました。首の牽引です。その後、横になって電気の治療を行いました。

 そして、助手らしき人が軽くマッサージをしました。

 そのあとを先生がかなりきついマッサージなどをしました。

 指圧をしたり、首を引いてひねったりします。かなり手荒くしている割には痛くありません。

 そして終わってみるとかなり楽になっています。

「ほら首が回ってるじゃない」と先生はわらって言いました。

 本当です、これまでは全く回らなかった首が回るのです。

 かなり効果が見られました。

 先生は、「中心部まではほぐすことが出来なかったが、今日は周りはだいぶをほぐすことができた」というようなことを言っていました。そのような感じがします。

 まだ少々痛みはありますが、だいぶ楽になりました。

 帰りはバイクを運転しながら、意識して首をまわして周りを見たのですが、見ることができます。

 今昼寝をして起きたところですが、起き上がるときに首の痛みがほとんどありません。すごいなと思いました。これで今日はゆっくり眠れるでしょう。



比嘉Yoshitakaくん、真栄田Kojiくん、竹井Takahiroくんが来塾
 さる6月22日水曜日。塾の学習が終えた10時30分すぎ,比嘉Yoshitakaくん、真栄田Kojiくん、竹井Takahiroくんの3人がセルフ塾にやってきました。

 3人は、セルフ塾の卒業生で、さる3月に高校を卒業、それぞれに進学したとのことです。

 Kojiくんは前にも進学の報告に、やってきました。

 Yoshitakaくんは名桜大学、Kojiくんは沖縄国際大、Takahiroくんは専門学校の日経ビジネスに進み消防隊員を目指すとのことです。

 1時間ほどゆっくりおしゃべりを楽しみました。
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1週間使い捨て弁当箱の使用を禁止
 7月11日月曜日から15日金曜日までの 1週間、使い捨て弁当箱の使用を禁止します。

店で買った弁当(買い弁)について、食べ終わった弁当箱は家に持ち帰るように指導しています。使い捨て弁当箱で塾のごみ箱が毎日いっぱいになり、片づけるのが大変だったからです。

 しかし、しばしば塾のごみ箱に捨てられていることがあります。捨てた人を探し、家に持ち帰るように指導しています。

 しかし、だれが捨てたのか分からない場合には仕方がないのでこちらで処理しています。

 先日、食べ終わった弁当箱がごみ箱でもなく机の中に入れたままになっていました。通常の学習室ではないロッカー室の前の特定の個人用ではない机です。

 だれがそこに置いたままにしたのか尋ね、家に持って帰るように言いました。しかし、しばらくしても誰も持って帰ろうとしません。

 7月7日木曜日には、「今日中に持ち帰らなければ使い捨ての弁当箱の使用を禁止するよ」と生徒に告げました。しかし、弁当箱はそのままになっていました。

 それで8日の金曜日には、「次の1週間は使い捨ての弁当箱の使用を禁止する」とみんなに宣言しました。

 次の点も付け加えました。
 店で買った弁当でも、使い捨てでない弁当箱に中身を移し替えれば別に問題ない。また、家でこしらえたにしても、使い捨ての弁当箱に入れた場合は認めない。もしそれをもってきた場合には取り上げて、帰るときに戻す。

11日の月曜日、8時の休み時間にチェックしてみると、2人が使い捨ての弁当箱を使っていました。それで申し渡したように、取り上げました。
 そして、帰る時に戻しました。

 単なる脅しだと思っていた生徒もいたようです。とにかく 15日までの 1週間は使い捨ての弁当箱の使用は禁止にしますので、よろしくお願いします。

 その後も、きちんと処理ができない場合には、このような強硬策に出なければいけなくなります。それぞれがきちんと責任をもった行動をしてもらいたいです。

生徒が塾をやめる時
 Akemiさんからコメントをいただきました。いつもありがとうございます。

ありがとうございます
コメントを取り上げてくださり感謝です。
H君の過去記事、拝読しました。指導者としてこれほど嬉しいことはないですね。
うれしかったHくんの合格

漢字の指導、頭が下がります。

奥様のアドバイスも見事ですね。書きながら読みも習得、と言う考え、なるほど、です。

漢検合格など、小さな達成感が、次へのやる気を育んでおられますね。

塾の指導を始めてまだ数ヶ月、私にとっては試練です。
今日、退会の連絡を受けてショックでした。表向きの理由はあれど、私の指導力や技量不足が原因と思われます。
この先生はよく見てくださる、この先生になら任せて大丈夫、というような、親御さんの信頼を得ることができませんでした。

話がそれて申し訳ございません。
私も、生徒さんのように、日々進歩していきたい、と、失敗をしながらやっていきます。いつもありがとうございます。



  生徒が塾をやめる時というのは落ち込みますよね。僕もそうです。残念というか.悔しいというか・・・。

 まず、親御さんが自分の子どもの力を知らないということがあります。

 塾に入ったからすぐに成績が上がるだろうと過剰な期待をしてしまうのです。

 子どもの力というのはとても差があります。どの子でも同じように成績が上がるとは限りません。そこのところを知らない親御さんがとても多いのです。

 私どもも、「あなたのお子さんの頭も悪いですから、、、」などとは言えません。

 遠回しに伝えることがありますが、それがどの程度を伝わっているのか。

 とにかく、自分の子どもの力を知らないで、過剰な期待を塾にかけ、そしてだめだったということでやめてしまうケースがあります。

 次は、目の前の点数に左右されるということです。

 塾によって違うでしょうが、僕の塾では目の前の点数はそれほどは重視していません。

 それよりも、その子の将来にとって何が大切かということを僕は考えています。

 塾で読書をさせるのもそうです。また理解を重視するのもそうです。

 長い長い人生のスパンで考えて、その子たちを教育していきたいのです。

 そうすると学校の定期テストの点数はそれほど上がりません。それに不満を持って辞めるケースもあるのです。

 何度も味わっても生徒が塾をやめる時はいやな気持になります。平気ではいられません。

 でも、僕は自分に言い聞かせています。

 とにかく自分の思う教育をこの塾でやり続けていくことしかないのだと。

 親御さんや生徒たちの要求や意見は真摯に聞くべきです。そして、できるだけかなえていくということも大切だと思います。

 しかし、それに迎合することはいやです。親御さんたちがテストで点数を上げてほしいと思っても、僕はそれだけを追求したくはありません。

 自分の思う教育ができなければ僕は塾をやめるつもりでいます。

 生徒が集まらなければ塾の経営はできません。

 だから、僕の思うことをことが親御さんや生徒たちとを全くかけ離れていて、生徒が全く集まらなければ塾はやっていけないでしょう。

 そこで、自分の信念を曲げて点数主義に行くか、自分の信念を貫くかです。

 僕は点数主義の塾をやるよりもは塾をやめるつもりでいます。

 幸いなことに、ぼくのやりたいことに理解を示して付いてくる生徒や親御さんもたくさんいます。

 生徒が塾をやめるときには、自分に言い聞かせます。

 とにかく、自分の信念を貫くだけだと。
 僕は自分の道を歩んでいくだけだと。


 このブログの教育論についてまとめた第2弾です。


YojiさんとKyokoさんが夫婦って知っていた?
 「家庭からの通信」をいただきました。

 Yojiさん、Kyokoさん、いつも子どもたちがお世話になっております。子どもたちはお二人をとても尊敬しているようで、うらやましいです。

 それぞれよく、Yojiさんはこう言っていたとかKyokoさんにこんなふうに言われたよとか、話しています。

 先日○○がものすごい勢いで

「お母さん!! YojiさんとKyokoさんが夫婦って知っていた?」言ってきました。

「知っていたよ」と答えると、「おれは今日友人のS君から聞いて初めて知った」と興奮気味。

「最初からお似合いだなと思っていたけれど、本当に結婚していたとはびっくりした」と言っていました。

 しばらくはこの話題でしたよ。

 知らなかった○○にもびっくりでしたが、こんなにも驚いている様子はもっと驚きでした。

 また「お似合いと思っていた」という言動にも笑ってしまいました。とてもあの楽しい出来事でしたのでお知らせまで!



(Yojiから)

 とても楽しい話題をありがとうございます。○○君の興奮している様子が目に浮かぶようです。

 ときどきいますね。僕らが夫婦だとしてびっくりする子どもが。

 まあ、職場である塾では同僚として振る舞っているのですから、ある意味当然なのかもしれません。

「親は最悪の教師」・・・大切にカバーをつけて
 「家庭からの通信」をいただきました。

 「親は最悪の教師」読ませていただきました。もっと早くに出合いたかった本(冊子)です。

 周りの人にも、すごい本だと言われ、私の本を持ち帰って行ってしまい、再び購入しました。

 もう一人の友人も、子育てで落ち込んだときにこの本を読んで、元気がもらえる、と話していました。大切にカバーをつけてあったのでうれしく思いました。

 今から○○には役立つ本だと思います。感謝です。

 夏休み目前と喜んでいる○○です。今年も8月4日から7日まで渡嘉敷島キャンプに行きます。塾休みます。

 毎年参加するので費用も大変です。今年はゲームソフトの購入をやめて、その費用に充てました。キャンプから帰って来て、一時は靴をそろえたり、食事のあいさつを心をこめて行いますが、、、。

日が経過すると忘れます。親の方も同じで「のど元過ぎれば熱さ忘れっぱなし」です。当たり前のことがむずかしいです。



(Yojiから)
 僕の書いた冊子を丁寧に読んでいただいているようで、とてもうれしく思います。ありがとうございます。

 少しでも子育てのお役に立てばうれしいです。

 キャンプの体験は一時的には忘れたように見えても、決してすべてがなくなるわけではありません。どこかには残っていい影響を残すと思います。

4つの辺の長さがどれも等しい四角形は、正方形??
 小学4年算数の問題に「4つの辺の長さがどれも等しい四角形を何といいますか」という問題があります。

 答えは「ひし形」です。

 「『正方形』でもいいんじゃないか」と考える生徒がいます。

 正方形は、4つの辺の長さがどれも等しい四角形だからですね。

 「正方形は、4つの辺の長さがどれも等しい四角形」が正しいのだから、
 「4つの辺の長さがどれも等しい四角形は正方形である」も正しいような気になります。

 しかし、「逆は必ずしも真ならず」です。

 「吉永小百合は女性である」・・・正しいですね。(吉永小百合を例に出すのは古いと思われるだろうな、と思いつつ・・・)
 しかし
 「女性は吉永小百合である」・・・正しくないですね。

 女性は小百合さんだけではないよ、もっとたくさんいるよ、ですね。

 人間は、「母親の胎内で育ってから誕生し、母親のお乳で育つ動物」です。

 しかし、
 母親の胎内で育ってから誕生し、母親のお乳で育つ動物は何ですか?
 と問われたときに、「人間」と答えたら正解ではありませんね。ここは「哺乳類」と答えなければいけません。

「逆は必ずしも真ならず」です。

「4つの辺の長さがどれも等しい四角形」と「正方形」の関係も同じです。
 「正方形」はひし形の特殊な形です。「ひし形」と答えたら、「正方形」も含むことになります。

 できるだけ一般的な、すべてをふくむ言い方で答えなければいけないのです。

 4つの角がどれも直角の四角形も同じです。
 正方形は長方形の特殊な形と考えます。正方形の長方形の一種なのです。だから、「長方形」と答えれば、「正方形」もふくむことになります。

 この問題は難しい言葉で言えば「上位概念、下位概念」という問題に属します。
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マンジェリコンを植える
 マンジェリコンの苗を昨日を植えました。

 マンジェリコンは糖尿病によく効く薬草だそうです。

 二週間余り前、友人のYoshihiroくんに紹介してもらいました。

 僕が血糖値が少々高めだというと、彼が勧めてくれたのです。
 3本の茎を折って持ってきてくれました。

 その夜帰って、茶碗に水を入れてつけておきました。

 翌日も生き生きとしていました。

 そして鉢に植えて水を絶やさないようにしていました。

 根が少しつけばいいと思っていたのですが、この2週間でとても大きくなり、葉が多くなっています。

 ネット上の、あるサイトにも書かれていましたが、ものすごい生命力のようです。

 きのう簡単に畑を作って植えました。どのように茂っていくかが楽しみです。

 お茶にして飲むようですが、おいしいものではなく、だいぶ苦いとのこと。どれぐらいの苦さなのでしょうか。

マンジェリコンとは

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英検3級1次 Yukikoさんが合格
 6月10日(金),学校で行われた実用英語検定(2011年度1回)の合否結果が発表されました。その3級1次試験に、知花Yukikoさんが合格しました。
 3級合格者は,次の日曜日(7月10日)に、2次試験(面接)があり,それに向けていま学習をしているところです。
 実際にぼくが試験管になり、過去問題のカードを用いて、黙読、音読、そして質疑をし、その後解説をしています。
 1次試験に向けても,試験2週間前から過去問題を解いて試験に備えました。
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ぼくの名前を覚えきれるのだから、勉強もできるよ
理解力の劣る生徒は接着力の弱い接着剤を使って記憶しているようなもの と書きました。

 そのような状態を一番嘆いているのは、彼ら自身です。

 なかなか覚えきれない。そしてすぐに忘れてしまう。それに対し、

「なぜ僕はこんなに頭が悪いんだろう」「なぜぼくはバカなんだ」と自分を責めています。

 彼らの気持ちはとてもよくわかります。僕も同じ気持ちです。一緒に嘆きたい気持ちです。

 でも、それを後押ししてしまってはいけません。一緒に嘆いていては、事態は悪くなるだけです。

 そういう場合に僕は彼らに言います。

「僕の名前を覚えているか」

「Yojiさんでしょう」

「ほら、ちゃんと覚えているじゃないか。あなたたちは覚える力はちゃんとあるんだよ」

「勉強とYojiさんの名前は別だよ」

「いや、別じゃない。僕の名前を何度も何度も言っているから覚えてるんだ。

 勉強の方も何度も何度も繰り返していけばだれでもちゃんと覚えることができるんだ。

まだまだ回数が足りないということだ。

とにかく続けるしかないんだから。
続けていけば、あなたなら絶対覚えることができるよ」

 そう言って励まします。

 完全に納得した表情ではありませんが、それでも努力を続けるしかないな、とは思うようです。

どの子にも基本的学力を
 Akemiさんからコメントをいただきました。Akemiさん、いつもありがとうございます。


覚えても忘れる
小さな塾で小学生さんの勉強をみています。ある子は五年生ですが、二年生の漢字がわからなかったり、九九もうろ覚えだったりします。
ベテランの指導者に相談すると、その子は学習障害なのではないか、と言われました。
私は学習障害LDがどのようなものなのか知識は持ち合わせていません。
が、理解や記憶をするのに、他の子よりもとても時間がかかる子がいることは確かです。先生の、接着力の弱い接着剤のたとえはしっくりきました。

国語は漢字、算数は計算、だけは定着させてやりたいと思います。将来、どんな職業についても、電卓を利用できても、やはりある程度の基本は必要ですし。

学校の勉強が不向きな子は、出来なくてもいい、という考えもありますが。
最低限のところは何とかしてやりたいと思うのですが、現実は厳しいです。
王道や魔法などないのでしょうね。



 Akemiさんのご意見に全面的に賛成です。

 どのような子どもであれ、基本的な学力は身につけてもらいたいと、僕も思っています。

 個性という名でふるいにかけ、あなたは勉強はいいいから、この道を進みなさいというのは好きではありません。

 基本的な学力は誰でもきちんと身につけて、そしてその上に個性を発展させるということが必要です。

 できれば、義務教育の中学レベルまでは身につけてもらいたいですが、難しいです。

 そのレベルまで達する力のない子がいるからです。

 いずれにしても、それぞれの子どもが、自分の能力をできるだけ伸ばすように援助していきたいものです。

 学習障害(LD)かどうかというレッテルを貼ることに関しては、間違えているとは思いません。

 学力が伸びない原因を探ることは必要です。

 学習障害だと思っていた子の原因をきちんと調べると、耳が不自由だった、それで補聴器をつけさせると学習がとてもスムーズになったということもあるそうです。

 そういう意味でも、学習が進まないのはどうしてなのかを調べるということは大切なことです。

 しかし、レッテルを貼るだけで終わっては何にもなりません。

 その子の学習をどう進めるかというのは、やはり指導者の工夫が必要です。その子をじっくり見て、そしてどうすれば分かってくれるのか格闘するしかないでしょうね。

 王道や魔法があれば、教えてもらいたいです。


 以前セルフ塾にいたHくんのことを思い出しました。漢字の読み書きがまったくできない生徒でした。それでもいろいろ工夫してそれなりに伸びていきました。詳しくは次の記事。

うれしかったHくんの合格
 さった3月の合格祝いにHくんもやってきました。高校を無事卒業したそうです。

近未来の名刺交換
 先日の日曜日、嘉手納町で東日本大震災に向けてのチャリティーバザーがありました。音楽などの舞台もありました。それに僕も出かけました。

 さて、そこに若者のグループがいました。高校生から大学生ぐらいでしょうか。複数のグループの人たちがそこで出会ったようです。

 楽しそうに語らっていたのですが、しばらくして、携帯電話をお互いにかざして、赤外線によって、メールアドレスの交換をしています。

 それを見て、僕は社会人の名刺交換のようなものだなと思いました。

 社会人が名刺交換をするように、若者たちはお互いのメールアドレスの交換を携帯電話でしているのです。

 そして考えました。近い将来においては名刺交換を、携帯電話でするようになるのではないだろうかと。

 初対面の社会人は今は紙の名刺を交換しますね。

 近未来では、初対面の時に携帯電話をお互いに近付けるのです。

 そしてピッピッとやれば、お互いの情報が交換できるようになるはずです。

 氏名、職業、職場の住所、電話番号、そしてメールアドレスなど。顔写真も付いてくればいいですね。

 住所録にすぐ登録されるようになるはずですから、いろいろと便利なことがあるはずです。

 紙の名刺をスキャナーのように読み込む携帯電話のCMは見たことがありますが、赤外線で名刺交換をするのは見たことがありません。

 でも、もしかしたら、僕の知らないところで、もう商品化されているのかもしれません。

郵便物、「3g超過」をくつがえす
 今日は貴重な体験(?)をしました。

 昨日、小包が戻ってきました。紙が貼られています。
 「3g超過」のため、「料金が50円不足」しているようです。

 僕は、秤できちんと量ったつもりなのでおかしいなと思い、もう一度量り直しました。すると500gちょうどです。オーバーはしていません。

 何度も量り直しました。たまに499gになったり、501gになったりしますが、基本的には500gです。3g超過はありません。

 もしかすると、僕の持っている秤が狂っているのかもしれません。それが正しいかどうか、なんとか調べてみたいと思いました。

 いろいろ考えているうちに、十円玉コインで何とかならないだろうかという考えにいたりました。ネットで調べると十円玉1個の重さは4.5gだそうです。

 それで十円玉を集めました。塾の生徒が電話をかけるために十円玉を入れます。だから十円玉は簡単に100枚集まりました。

 それを秤に載せました。すると450gちょうどなのです。この秤は狂っていません。

 ただ、ぼくの集めた十円玉は使い古したものです。もしかしたら、使っているうちにすれてしまって重量が減っているかもしれません。厳密に考えるとそういう考えも浮かびます。

 しかし、逆にさびたり、汚れが付いたりして重くなっていることも考えられます。

 いずれにしても450gちょうどになるいうのは秤が正確だと考えた方がいいかもしれません。

 一抹の不安はありましたが、とにかく郵便局に行くことにしました。

 目の前で実演するつもりで秤も十円玉も持参しました。

 そして窓口に行き、説明しました。

 すると、窓口の人は、もう一度こちらの秤で量らせて下さい、と言いました。もちろんOKです。

 数回を秤に載せたり、取り上げたりしていましたが、僕の方に向かって
「こちらの秤でも500gちょうどです」とのことです。

 実演する必要はありませんでした。

 それで、小包をそのまま受け付けてもらうことになりました。

 なぜ3g超過ということになったのか知りませんが、これでぼくにとっては一件落着です。

 僕の主張が通ってなにか愉快です。

助詞の「は」と「が」の違い(2)
 先日、助詞の「が」と「は」について、インド人の Lang-8友達に説明したのですが、理解できないとのことでした。

助詞の「は」と「が」の違い
 それで、別の説明を考えてみました。具体的な方がいいと思い、具体例で説明します。

 まず、あなたは彼が誰なのか知りたいと思っています。
そして、彼はトムかもしれないと思っています。

その場合には
「彼はトムですか」と、助詞「は」を使って尋ねます。

そして、尋ねられた人は
「はい、彼はトムです」または
「いいえ、彼はトムではありません」と、助詞「は」を使って答えます。

この場合には「彼は」というところに焦点が集まっています。

次は、あなたはトムはどの人なのだろうかを知りたいと思っています。
そして、彼がトムかもしれないと思っています。

その場合には
「彼がトムですか?」と助詞「が」を使って尋ねますね。

そして尋ねられた人は、
「はい、彼がトムです」と答えます。

この場合には、トムに焦点が集まっています。

ただ、「いいえ」の場合は、「いいえ、彼はトムではありません」と助詞の「は」を使います。

 彼は違うよ、ということで、「彼」に焦点が集まるからです。

 物や動物の場合でも同じです。

 あなたは目の前にある、この果物が何なのか知りたいと思っています。そして、それがリンゴかもしれないと推測します。

すると
「この果物はリンゴですか」と、助詞「は」を使って尋ねます。

答える人は
「はい、この果物はリンゴです」
または「いいえ、この果物はリンゴではありません」と答えます。

この場合には「この果物」が焦点になっています。

 一方、あなたはリンゴってどんな果物なのかを知りたいと思っています。そして目の前にあるこの果物がリンゴかもしれないと推測します。

すると、
「この果物がリンゴですか?」と助詞「が」を使ってたずねます。

 この場合には「リンゴ」に焦点が集まっているからです。

 尋ねられた人は
「はい、この果物がリンゴです」と答えます。

 ただ、いいえの場合には。
「いいえ、この果物はリンゴではありません」と答えなければいけません。

「いいえ」の場合には、「この果物はちがうよ」と「この果物」に焦点が集まるからです。

 前に書いたエントリーのまとめです。

助詞の「は」は、
 あなたは○○について知っていますね。その○○について、これから話ますよ、
 というような場合に使われ、

 助詞の「が」は、
 頭の中では、「○○」以外についての記述がまずあり、それに対応するものとして「○○」があるときに使います。



さあ、今度は理解してくれるかな。

理解力の劣る生徒は接着力の弱い接着剤を使って記憶しているようなもの
 比熱が小さい物質は温まりやすくて、また冷えやすいです。鉄などは、すぐに熱くなり、またすぐに冷たくなります。

 水のように、比熱が大きい物質は、温まりにくくて、冷えにくいです。

 ところが、人間の記憶というのは、そのようなものではありません。

 理解力のいい人は、短時間に理解できて記憶します。そしてその記憶が長時間続きます。忘れにくいのです。短時間で覚えて、長時間覚えています。

 一方理解力の劣る人は、理解するために長い時間が必要です。そして、しばらくするとすぐに忘れてしまいます。

 先日、一学期の期末テストの勉強をしました。

 中3の数学では「式の展開」が主な試験範囲でした。ただ、中間テストの範囲であった平方根についても出題されるとのこと。

 それで、平方根の問題をプリントしてさせました。

 ところが、理解力の劣る生徒は平方根について、すっかりと言っていいほど忘れているのです。

 中間テスト前には、かなり勉強して、何とか平方根の理解ができるようになっていました。そして計算もだいぶ上手になっていました。

 それを全く覚えていないのです。「全く」というのは、正しくないかもしれません。

 とにかく単純な計算さえ自分ではできないのです。

 何とか一緒にやってあげると、少しずつ思い出しては来るようでした。だからゼロからの出発ではないのですが、あきれるぐらい忘れているのです。

 あんなに苦労しながらも何とかできるようになったのに、あの苦労は何だったんだろうかと思ってしまいます。

 一方、平方根の理解にそれほど苦しまなかった生徒は、少し戸惑いはあったようですが、すぐに思い出して計算を進めていました。

 理解力の劣る生徒は、接着力の弱い接着剤を使って理解の道をつなぎ合わせているようなものかもしれません。

 最初にその道をつなぐにも、接着力が弱いのですから、何度も接着剤を塗ってはつけを繰り返したのです。そして何とか道がつながったのです。

 しかし、しばらくするとその接着剤がはがれてしまったのです。その道はもうバラバラになっていたのです。彼らの頭の中はこのようなものかなと感じています。

 でも、嘆いていても仕様がありません。

 これが現実なのだということを知って、そのためにはどうするかを考える必要があるのです。

 少し残った記憶を頼りに、それを思い出しながら学習を進めていくのです。
 忘れたといっても全くゼロに戻るわけではありません。

 とにかくこのようなことをくりかえしながら、そのような生徒を指導していかなければいけないと自分を励ましているところです。

波カッコの説明もする
 これからカッコについて書きます。ただ、このエントリーを書くために「カッコ」を検索したところ、次のような記述に出合いました。

括弧 - Wikipedia

日本などの一部の国では、数式における括弧の入れ子は [{()}] の順で用いられてきた。しかし、世界的には {[()]} の順で用いられる方式が多数派である。

JIS Z 8201-1981 においても「小括弧」・「中括弧」・「大括弧」という名称は廃止され、現在は「丸括弧」・「角括弧」・「波括弧」と表記されている。


 僕は単独の場合には、「()」は丸カッコとして読んでいましたが、他のカッコ「{}、[ ]」などと組み合わさったときには、小カッコ、中カッコと呼んでいました。

 そして、生徒たちに先日説明した時には、小カッコ、中カッコと言っていました。

 ただ、Wikipediaの記述によると、丸カッコ、波カッコの方がいいようなので、それに置き換えて以下に書きます。

 ただし、国語辞典を調べたら、小カッコ、中カッコという語もちゃんとあります。間違えているというわけではないようです。



 さて、中学一年生は、正の数と負の数の四則計算を学んでいますが、カッコの入った計算も出てきます。そして「{}」(波カッコ)が入ることもあります。

 テスト前、1年生を集め、黒板の前で話していると、生徒の一人が

「この変なカッコは何?」という質問をしました。
「学校でも出てきたのだけど、先生は説明してくれなかった」と不満そうに言うのです。

 波カッコのことです。

 学校の先生が説明しなかったとのことですが、僕も当然知っているだろうと思っても、これまできちんと説明してしなかったように思います。

 しかし、中学1年生にとっては、初めての記号なので、戸惑ってているようです。

 「丸カッコがあって、それを含んでもっと広くカッコをつけたいときには、このような波カッコを使うんだよ」と、具体的な式を使って説明しました。

 簡単な説明でしたが、すぐに理解できたようです。

 単純なことではありますが、やはり初めて出合うものは説明してあげないといけないなと感じました。

 そういえば、子どもたちは「」(かぎ括弧)、『』(二重かぎカッコ)については、知っているのでしょうか。それが分かっていたら、その関係に似ているということで、もっとスムーズに分かってくれるかもしれませんね。

正の数、負の数の四則計算
中学1年生は正の数、負の数の四則計算をしています。だいぶ混乱しています。

 小学生の時も四則計算はありました。でも、その時に比べるとだいぶ混乱しています。

 それは+,-がはいって符号がごちゃごちゃになっているのです。ここは足し算なのか掛け算なのか分からないといった状態です。

僕が指導したやり方をここに書きます。

例えば、次のような問題です。

-7+(-2)×4-8×2÷(-4)

 まずは符号は別にして数字だけに着目します。

ここには7, 2, 4, 8, 2, 4という数字がありますね。

その数字が、くっついているのか、離れているかと、いうのを、まず判断します。

「くっついている」というのは ×,÷が間にある、ということです。

「離れている」というのは ×,÷がないということです。

7と2はくっついている? 離れている?

「離れている」

 それでは7の後ろで切るよ。

 次は2と4はくっついている?
 「くっついている」

 4と8は?
「離れている」

 それでは 8の後ろで切るよ。

 8と2は?「くっついている」

 2と4は?「くっついている」

 それでこの式を分けてみると次のようになるね。

-7 / +(-2)×4 / -8×2÷(-4)

 くっついているのをひとまとめにしてすればいいんだよ。(実際は式を□で囲みました。)

 次はそのひとまとめのところを計算します。まずはマイナスがいくつあるか数えます。

 -7はそのまま-7でいいね。

 +(-2)×4 はマイナスがいくつある?「一つ」

 マイナスが一つだと、プラス?マイナス?「マイナス」

 そして2×4をすると8だから -8

 -8×2÷(-4)では、マイナスはいくつ? 「二つ」

 だからプラスになるね。8×2÷4をすると 4だから +4 になる。

 これをまとめると次のようになる。

 -7-8+4

 これをスコアボードで計算すると - 11これが答えだ。

 このように×÷があるとくっついているということで、まとめて考えるということです。

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助詞の「は」と「が」の違い
 Lang-8で質問メールが届きました。
「助詞の「は」と「が」の違いについて教えてほしい」とのことです。

 さあ、大変なことになりました。

 僕でも、日本語を使うとき、この場合には「は」がいい、この場合には「が」いいというのは、よくわかります。

 しかし、それがなぜそのようになっているのか説明することはできません。

 中学の国文法にも助詞の「は」と「が」は出ます。でもとても単純な説明です。そして生徒たちも使い分けはできるのです。

 しかし、外国人にとっては、どのようにして使い分けるのかとても難しいと思います。

 僕が、冠詞のtheとaの使い分けがなかなかうまくいかず、苦しんでいるようなものです。

 それでいろいろ勉強していました。外国人でも分かるような説明はできないかと。

 そして、いま一つの結論に達しました。これはあくまでも僕の解釈です。国文法学者でもないので、正しいかどうかはわかりませんが、それなりに、説明し切れができているのではないかと思っています。

 助詞の「は」
 あなたは○○について知っていますね。その○○について、これから話ますよ、
 というような場合に使います。「○○は」になります。


 「これは本です」・・・
 「あなたも目の前で見ているので、『これ』が何を指しているのかわかりますね。その『これ』について話しますよ。それは本です。」

 「僕は学生です」・・・
「あなたは目の前にいる僕が見えますね。その僕について話しますよ。僕は学生です。」

「ゾウは鼻が長い」・・・あなたはゾウを知っていますね。そのゾウについて話しますよ。その鼻は長いのです。


助詞の「が」
 頭の中では、「○○」以外についての記述がまずあり、それに対応するものとして「○○」があるときに使います。「○○が」になります。


「どれが本ですか」と質問された場合、
「これが本です」と答えます。

この場合、「本です」というのが頭の中にまずあり、それに対応するものとして「これ」があると考えます。

「本です」・・・「何が」・・・「これが」

「どれが本ですか」と質問されているのに、「これについて話しますよ」ではおかしいのです。

「どれが本かといえば、これが本です」という感じになります。

「だれが学生ですか」に対しては。
「僕が学生です」と答えなければいけません。「学生です」がこの場合先にあるのです。

「学生です」・・・「だれが」・・・「ぼくが」 という感じ。


 さて、次のような場合を考えてみましょう。
 電話で友達と話しています。電話口から泣き声が聞こえます。

 「だれが泣いているんだ」と友人に訊きました。

 それに対しては、「君の弟が泣いているんだよ」となりますね。

 この場合には、助詞の「が」が使われます。

 「泣いている」というのが先にあるからです。

 それに対して、
「僕の弟は何をしているんだ」に対しては、
「君の弟は泣いているよ」と答えなければいけません。

「君の弟」についてこれから話すからです。

「だれがその窓を壊したんだ」
「ぼくが壊しました」
(「窓を壊した」が内容的に先)

「それで、君は何をしたんだ」
「ぼくはその窓を壊しました」
(「ぼく(君)」が先)

 「柿が赤い」という場合には、「赤い」というのを先に考えた発言です。

 それに対して「柿は赤い」という時は、柿について説明しますよ、という文になるのです。

このように、

 助詞の「は」は、
 あなたは○○について知っていますね。その○○について、これから話ますよ、
 というような場合に使われ、

 助詞の「が」は、
 頭の中では、「○○」以外についての記述がまずあり、それに対応するものとして「○○」があるときに使います。


 ということで説明できるような気がします。


 「昔々、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。」

 この場合、どのおじいさんなのか、どのおばあさんなのか、聞き手は知りません。

 だから、「誰がいたって?」「ああ、おじいさんとおばあさんがいたのか」という気持ちで聞きます。

 だから助詞の「が」が使われます。

 しかし、その次には、

 「おじいさんは山に芝刈りに、おばあさんは川に・・・」になります。

 それは、最初に「おじいさんとおばあさんがいました」というのが出てきたので、「そのおじいさんとおばあさん」について話すんですよ、ということで、相手も知っている「おじいさん、おばあさん」のことを話すからです。

次のページを参考にしました。
http://www.pantomime.org/nihongo-tusin/note.html
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