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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

屋良朝苗氏の足跡をたどる企画展「本土復帰の父 屋良朝苗」
 「読谷村で屋良さんの企画展が行われているそうだから、見に行って」
 首里に住む母からの電話です。

 「そして、お父さんが写っていたら教えて。あったら(私も)見に行くから」

 僕の父仲松庸幸(ようこう)は、屋良朝苗さんのもとで復帰前は労働局長、復帰後は総務部長として、屋良さんを支えてきました。

 だから、屋良朝苗さんのそばに、父が写っていてもおかしくはありません。

 読谷村役場ロビーで復帰記念パネル展が、読谷村立歴史民俗資料館で「屋良朝苗生誕110年記念企画展」が行われているとのこと。

 きのうの昼過ぎ、僕はまず近くの読谷村役場ロビーに向かいました。

 復帰に関連する写真と簡単な説明がありました。よくまとめられています。
 懐かしく感じながら見ていました。

 1971年の写真として、僕の母校の首里高校で全校生徒の討論会が行われている写真もありました。1971年は僕が高校を卒業した年です。注意深く見たのですが、記憶がありません。卒業した後の写真のようです。

 目当ての父の写真はありませんでした。

 そして昼食を終わって後、読谷村立歴史民俗資料館に行きました。

 屋良朝苗さんの誕生から死亡までの流れが、イラストや写真でつづられています。説明もゆっくり読みながら回りました。これをそのまま写真絵本として出版して、多くの人に見てもらいたいなと思いました。

 ここにも残念ながら、僕の父の姿は見られませんでした。

 でも二つの企画展を見学できてよかったです。
 母には電話で写真はなかったと伝えました。

屋良朝苗氏の足跡をたどる企画展「本土復帰の父 屋良朝苗」



~屋良朝苗生誕110年記念企画展~


本土復帰記念企画展 「本土復帰の父 屋良朝苗」

2012(平成24)年に生誕110年を迎える読谷村出身の屋良朝苗氏(1902年~1997年)。
 彼は「本土復帰の父」とも称され、アメリカ施政権中は行政主席として、復帰後は戦後初の沖縄県知事として、希望の実現に努力し、陣頭指揮に当たった。
 この偉大な人物を輩出した我が読谷村、屋良朝苗氏の生き様を読谷村の誇りとし、読谷村に生きる我々の将来を照らす明かりとするために彼の足跡をたどる。
本土復帰40年記念企画
本土復帰の父 屋良朝苗
~屋良朝苗生誕110年記念企画展~
平成24年5月1日(火)~7月1日(日)
※5月3日~5日は特別開館いたします。
【休館日】:毎週月曜日・6月23日(慰霊の日)5月8日~10日(振替休館日)
【開館時間】: 9:00~17:00(最終入館16:30)
【入館料】: 大人¥200(¥160) 小中高生¥50(¥40)
               ()内は、40名以上の団体割引料金
お問い合わせ先:読谷村立歴史民俗資料館
電話)098-958-3141
FAX)098-982-9022



平和創造パネル展(5月7日~26日)
復帰特別平和創造パネル展(5月7日~26日) 読谷村役場1階ロビー


日食グラスを注文
 今月5月21日、金環日食が見られるそうです。

<金環日食>歴史的な天体ショー 21日各地で観測会 (毎日新聞 ...

 21日の朝、太陽が月に隠れてリング状に見える「金環日食」が広い地域で観察できる。国内では25年ぶり、近畿地方では282年ぶりとなる。


 沖縄では、部分日食とのこと。でも、見たいです。

 それで、日食グラスを注文しました。

 前の日食では、日食グラスがどこも売り切れていたので、早めに注文。今ならまだ大丈夫です。今回は、企業も大量に作っているかもしれませんが。

 ぼくが注文したのは次の2商品です。





 その後、アマゾンを見ていると、
「その優れた安全性が認められ、世界天文年2009日本委員会公認の太陽観察グラスに認定」とある、次のめがねがよかったかなと思っています。それほど高くもないし・・・



口語と文語はなぜ違うか
 詩のパターンには、口語詩と文語詩があることはきのう書きました。

 基本的には、口語は話し言葉、文語は書き言葉です。

 ただ、口語は現代の言葉、文語は昔の言葉という感じもあります。テストの問題ではそう理解してほとんど解けます。

 短歌や詩などでは、文語は昔の言葉と考えた方が理解しやすいところがあるのです。
 
 それで、口語詩は現代詩、文語詩は古語詩と考えたほうが理解しやすいのです。

 なぜ、口語が現代語、文語が古語のようになったのでしょうか。

 それは、書き言葉が止まっていることに対して、話し言葉が動いているということによります。

 話していると言葉はどんどん流れて消えていきます。だから、変化が激しいのです。

 実際、現代の若者の言葉は、ぼくら年寄りには通じないこともあります。最近の言葉の変化はとても速くなっています。

 それに対して書き言葉は止まっています。

 また文を書くときには、話すときと違って、改まって書くというところがあります。
 考え、考えしながら、よそ行きの顔をして書くことが多いのです。

 そのときに、昔の文書を参考にすることが多くなります。

 その文書は止まっているので、昔の書き方のままでまねてしまいます。
 そのために変化が少ないのです。

 平安時代に使われていた書き言葉が、そのまま、まねられて、江戸時代の人たちは、それに似たような言葉を書いていたのです。

 もちろん少々の変化は見られます。しかし、文語(書き言葉)は昔のままのものがそのまま残って来たと考えられます。

 それに対して口語(話し言葉)はどんどん変わってきました。

 江戸時代には、この2つの言葉はある意味で全く違う言語になってきたのです。

 江戸時代の、ある程度の教養のある人たちは口語と文語の2つの言語を使い分けしていたのでしょう。

 現代のぼくらは、現代国語と古文を学びますね。
 でも、江戸時代の人々は、古文の書物だけで学問をしていたのでしょう。

 そして、明治時代になり言文一致運動がおこります。そして、書き言葉も話し言葉に近いような言葉になっていくのです。

 しかし、短歌や詩においては、言文一致は小説のようには進まずに、そのまま文語で作り続けてきたのでしょう。

 だから文語詩がそのまま生きていのです。

 ただ、最近は短歌や詩でも口語でつくられるようになってきていますし、短歌においても言文一致がこれからどんどん進められてくるかもしれません。

古堅中学校、2012年度年間予定表
 古堅村立読谷中学校の2012年度、平成24年度の年間予定表が手に入ったので、ここに掲載致します。Rkさんが持って来てくれました。

 古堅中学校のホームページをのぞいても、まだ年間予定表が掲載されていません。

 知りたい人も多いと思います。また僕もネットに予定表があれば便利です。それでここに掲載することに致しました。



4月~6月
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7月~9月
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10月~12月
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1月~3月
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方言は、「文語」ではなく、「口語」なんだよ
 Nnmさんが、「これは絶対に間違えていないと思う」と、国語の問題集を持ってやってきました。

 自信を持って書いたのに、×になって返ってきたというのです。

 詩のタイプを問う問題です。

 詩には、口語自由詩、口語定型詩、文語自由詩、文語定型詩の4つのタイプがあります。

 その詩を見て、僕はすぐに理解しました。

 その詩は、津軽の方言で書かれた詩です。

 彼女にかぎらず、中学生の多くは、口語と文語の違いを、現代の言葉と、昔の言葉の違いと考えています。

 そして、自分の理解できない言葉は、昔の言葉だと思うのです。

 そう考えて、ほとんど間違えることなく問題を解くことができます。

 でも、このように方言で書かれた詩の問題が出ると、自信を持って答えたのが、不正解として戻ってくるのです。

 現代の子どもたちは、沖縄の方言もよく知りません。
それで、方言は昔の言葉であり、文語だと考えてしまうのです。

 それで、文語というのは、文章語で書き言葉であり、口語というのは、話し言葉なのだ、ということから説明しました。

 方言は、あなたたちは話し切れないだろうが、話し言葉であって、書き言葉ではないんだよ、と説明しました。

 なぜ、文語が昔の言葉なのかの説明もしました。

 それは、次回の記事で書きます。

だるま落とし
 百円ショップ「ダイソー」で「だるま落とし」を買ってきました。

 中学理科の慣性の説明で、だるま落としが例に出るからです。

 机の上に置いておくと、男の子たちが、「させてくれ」と言ってよくやっています。かなり夢中になって、とても楽しんでいるようです。

 やる中でコツがつかめるようで、自分が上達するのも楽しいのでしょう。

 きのうは、「だるま落としをやるために早く来た」と言って、塾開始のだいぶ前に、男の子3人が楽しんでいました。
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 さて、このだるま落としをやるのは男の子です。女の子も「これなに?」と、少しは興味を持ちますが、やり続けようとは思わないようです。

 ここにも男の子と女の子の違いがあります。

 このようなおもちゃはいいですね。
 自分が力を加えると、それが結果として直接現れてきます。

 コンピューターゲームとなると、なぜそのように動くかはブラックボックスの中です。

 こういう遊びをする中で、理科の理解も深まってくるように感じます。


 画像はアマゾンのものですが、僕が勝ったのは\100ショップでです。

割り算の意味は、分けること、割ることとは限らない。
【問】 1/3(L)のペンキで1/5(m2)ぬれます。1Lでは何m2ぬれますか。
の式は、1/5÷(1/3)になります。

また

【問】1/3(L)のペンキで2/5(m2)ぬれます。1Lでは何m2ぬれますか。
は、2/5÷(1/3)になります。

 なぜ、そうなるのか、詳しく説明して欲しい、との質問が朝日小学生新聞の読者からいただきました。


 お答え致します。

 まず、割り算の意味を、きちんとを理解する必要があります。

 割り算を、分けること、割ることだと思っている人が少なくありません。いや、ほとんどの人がそう思っているでしょう。

 でも、それは正しいとは言えません。

 割り算は、
いくつ分と全体量が与えられて、1当たり量(単位当たり量)を求める操作です。

 具体的に説明します。

 4個で200円のリンゴAと、5個で 240円のリンゴB,どちらが安いか、という時、それぞれ 1個当たりの値段(単価)を出しますね。

 200円÷4個=50円/個。240円÷5個 =48円/個。それでリンゴBの方が安いと判断しますね。

 主婦のみなさんはよくやっていることだと思います。
 この時は割り算をしています。そして、それは分けるという操作です。常識的わり算のイメージです。

 ただ、1個当たりの値段を出すという、本来の意味の操作をしていることも確認しましょう。

 この場合、4個や5個を「いくつ分」、そして、200円、240円を「全体量」と言います。
そして、50円/個、48円/個といった単価が「1あたり量」です。

 4個や5個といった「いくつ分」と, 200円、240円といった「全体量」から、50円/個、48円/個という「1あたり量」を出しています。
これが本来の意味です。

 それでは、次の場合はどうでしょうか。
 4分の1個のケーキCが200円。また、5分の1個のケーキDが150円。どちらが安いでしょう。

 たぶん、多くの人は掛け算で求めていますね。

 200円×4=800円。150円×5=750円。ケーキDの方が安い、ということになります。
 もちろん、それで間違いではありません。

 しかし、4分の1、5分の1といった問題に与えられた数を使っていません。

 4分の1個のケーキCが200円で、1個の値段はいくらか、という場合、
1/4個が「いくつ分」、200円が「全体量」になります。

 そして、200円÷(1/4) という式になるのです。

 これを200円を1/4に「分ける」と言っても、意味がよく分かりません。だから、わり算は「分ける」ことだと思ったら、壁にぶつかってしまいます。

 「分ける」というのではなく、、全体量÷いくつ分 をして、1当たり量を出す操作のことを割り算という、と考えましょう。

 4個で200円なら、200円÷4個で、1個の値段が出るのだから、
 1/4個で200円なら、200円÷1/4個で、1個の値段が出るのです。


【問】 1/3(L)のペンキで1/5(m2)ぬれます。1Lでは何m2ぬれますか。

をみてみましょう。

 1/3(L)のペンキが、「いくつ分」で、1/5(m2)が「全体量」になります。そして、1Lでは何m2 という「1あたり量」を求めなさい、ということです。

 だから、(1/5)÷(1/3)になるのです。

 割り算の意味は、分けること、割ることではなく、

 いくつ分と全体量から、1当たり量(単位当たり量)を求める操作だということをきちんと理解することが大切なのです。

 そう考えることで、整数だけでなく、分数や小数まで、わり算を拡大して使えるようになるのですね。

(なお、1あたり量ではなく、いくつ分を求めるのもわり算です。でも、難しくなるので、ここではふれませんでした)



計画帳は、将来役に立つ
中学3年生當山 Shyくんの作文に、次のようにありました。

(前略)
 計画帳というのは、その日にやるノルマの科目、ページなどを書くノートです。
(中略)
もしかしたらこれは将来もこんなふうに書いたりするのかということです。そうすると、とてもありがたいものだと感じました。(後略)


 そうです。この計画帳というのは、将来役に立つものだと思っています。

 Shyくんのの文の中にもありますが、計画帳というのは、その日やるべきことをかきだすノートです。そして、やり終えた科目には、○をつけていくのです。

 ビジネスマンにとっては、もう常識になってるかもしれませんが、TO DOリストのようなものです。

 僕がそのことに出合ったのは、板坂元さんの本だったと思います。

 今はその本を探しだせませんが、最近読んだ本にも書いてあったので、それから抜き書きします。



 アメリカのある経営コンサルタントの話を本で読んだ。この人は、1人の中堅企業の社長にアドバイスした。今の倍の仕事ができるようになる方法をお教えします。実行して下されば、将来、大企業のトップになれることを請けあいます。1年たって、実行ありと思われたら、コンサルタント料をいただきます。効果がないようでしたら結構です、いただきません、といった。

 その方法というのはこうである。毎日、夜になったら、翌日、しなくてはいけないこと、したいと思うことを、思いつくままに書き出す。これは簡単にすぐできる。

 次に、重要なものから順位をつける。そして番号をふる。これはなかなかやっかいで、すらすらできるとは限らない。とにかく、こういう一覧表をこしらえて、翌日はそれに従って、大事なことから、普通なら後回しになりやすい、何となく抵抗なあることから、手をつける。それがすんだら、次に大切なことにかかる。そうすると、1日のうちに、重要な、意味のある仕事がずいぶんたくさんできる。自然に仕事をしているのとは比べものにならない。このコンサルタントはそう教えたのである。

 社長は、さっそくこれを実行した。目に見えた効果があったのであろう。1年後には、コンサルタントの示した額の倍近い金額の小切手が送られた。ちなみに、この経営者は、後年、アメリカ第一の製鉄会社 USスティールの社長、会長になった。


 学習においても、きょうは何をやるべきか、きちんと意識化することが大切です。それを計画帳に書いておくと、それを目標に学習に集中できます。

 それをねらってセルフ塾では計画帳を作って、生徒に書かせているのです。
 僕は結構、効果があると思っています。 

「文字式の利用」・・・ここで差がつくんだよ
 中学2年生は、数学で「式の計算」の「文字式の利用」をやっています。

 「奇数と奇数の和は偶数になることを証明しなさい」
というような問題です。

 Nnmさんがやってきました。
「こんなの苦手なんだよな」と、つぶやいています。

「こういうところで差がつくんだよ」
と僕が言いました。

「単純な計算はほとんどの人ができるから、差がつかないよね。

でもこんな問題は難しいからできる人は少ないんだよ。

 簡単な計算問題は階段の高さが低いようなものだね。だれでも上れる。

 それに対して、こんな証明の問題は階段が高いんだね。だから多くの人が上れないんだ。

 ここで頑張ってのぼることができたら、多くの生徒に差をつけることができる。高いところから下を見おろすことができるんだ。

 ここで上りきれなければ、それを上った人に差がつけられてしまう。難しいけど何人かはできるからね。その人たちに見下ろされてしまうんだよ。

 Nnmさんは、
「絶対できるように頑張るよ。負けるのは嫌いだから」
と言ってもどっていきました。

 負けず嫌いのNnmさんです。きっと頑張ってくれるでしょう。

 Kkさんに同じような話をすると、
「ハハハ」と笑って、
「できるようになるんじゃない」と流されてしまいました。

 こちらは楽天的な性格です。

「さとうきび畑」の歌碑を見てきました
さとうきび畑」歌碑建立 読谷・高志保 琉球新報2012年4月2日
 

【読谷】「ざわわ、ざわわ、ざわわ」とサトウキビの葉が揺れる歌詞で始まる、沖縄戦の悲しみを歌った故・寺島尚彦さん作詞作曲の「さとうきび畑」(1967年)の歌碑が読谷村高志保のサトウキビ畑に囲まれた地で完成、1日に除幕式が開かれた。


 ということで、Kyokoと歌碑を見に来ました。変わったことがあるとすぐに関心を示す2人です。

 かなり立派な歌碑でした。

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ざわわ憲章

私たちは、平和を希求する全国の皆さんの熱い志で建立した「さとうきび畑」歌碑の継承を、次の憲章で表明します。

♪ 歌碑は、いくさのない世界をめざすために活用します。

♪ 歌碑は、こどもたちの平和な心を育むために活用します。

♪ 歌碑は、戦没者の無念の思いを後世に伝えるために活用します。

♪ 歌碑は、沖縄に点在する平和学習の場の一つとして活用します。

♪ 歌碑は、さとうきび畑の自然景観を守るために活用します。

♪ 歌碑は、作者が詩と曲に込めた平和の精神を歌い継ぐために活用します。

2012年 4月1日 さとうきび畑歌碑建立実行委員会



 この歌は、南部の摩文仁のサトウキビ畑の中で生まれた、ということを知っていたので、なぜこの読谷に、と不思議に思っていました。

 説明版には「昔 海の向こうからいくさがやってきた」地点の一つが読谷だからとあります。

 少し無理があるような気もするしますが、とにかくこの歌碑が建ったのは、とてもいいことだと思います。

 歌碑のそばに、ボタンを押すと、「さとうきび畑」のメロディーが流れてくるのは、とてもよかったです。

 次は説明板からです。

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さとうきび畑の歌碑
沖縄戦から19年たった1964年6月にサトウキビ畑の作詞作曲者、寺島尚彦は34歳で初めて沖縄を訪れ、地元の人の案内で、激戦地であった南部、摩文仁のサトウキビ畑に立ちました。このときのことを寺島尚彦はこのように書き残しました

車から降りて土の道をどのくらい歩いただろうか、気がつくと私の背丈よりずっと高くのびたサトウキビ畑の中に埋もれているのだ。暑い南国の陽ざしと抜けるように青い空。そのときだった、「あなたの歩いている土の下に、まだたくさんの戦没者が埋まったままになっています」天の声のような言葉が私に降りかかり、一瞬にして美しく広がっていた青空、太陽、緑の波打つサトウキビすべてがモノクロームと化し、私は立ちすくんだ。轟然と吹き抜ける風の音だけが耳を圧倒し、その中に、戦没者たちの怒号と嗚咽を私は確かに聴いた。


 寺島尚彦は2年近くかけてサトウキビ畑を渡る風の音「ざわわ」という言葉にたどりつき、66回繰り返される「ざわわ」に思いを込め、1967年、「さとうきび畑」は生まれました。そして半世紀近くたった今も、多くの歌手や合唱団によって全国で歌い継がれ、普遍的な世界平和を希求する名曲として、世代を超えて人々の心の中に染み込んでいます。

住民の4人に1人が亡くなるという未曾有の被害をもたらした沖縄戦において、読谷村は「昔 海の向こうからいくさがやってきた」地点の一つです。歌碑はさとうきび畑歌碑建立実行委員会により建立され、読谷村に寄贈されました。

作曲家、寺島尚彦のプロフィール

1930年6月4日生まれ、東京出身。さとうきび畑など作詞も多数。東京芸術大学音楽学部作曲家卒業後、コンボバンド 「♯さん♭さん」「なかよしリズム」などのテレビやラジオで活躍。作品は「みんなのうた」や「全国学校音楽コンクール」課題曲をはじめ、学校の教科書などに数多く提供。全国の学校の校歌も手掛ける。作曲以外にも演奏会の企画制作、コラム、エッセーの執筆、講演活動を行い、同時に大学でも教鞭をとり多くの演奏家を育てた。生涯現役を貫き、2004年3月23日永眠。


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「さとうきび畑」の歌詞


 歌碑への道筋は次のページへ。
歌碑への道筋


 なお、沖縄の本土復帰に尽力された、屋良朝苗さんの銅像を、ぜひこの読谷村に建ててもらいたいです。屋良朝苗さんは読谷村の出身ですからね。

「さとうきび畑」歌碑までの道筋
 「さとうきび畑」歌碑までの道筋をここに記します。

 読谷村広報には、「高志保の丘」とあるだけで、具体的な地図はありません。

 また「さとうきび畑」歌碑建立実行委員会の公式ホームページの地図は、親切ではありません。


 それで、僕がこのページで紹介することにし、きのうKyokoと一緒に行きました。

 ただ、その時GPSロガーのスイッチがちゃんとを入っていなかったので、今日をもう一度一人でバイクに乗って行きました。

 GPSの編集がまだ慣れていないので、アップするのにかなり苦労しましたが、まあ何とかできました。

 読谷村以外からの人は国道58号線から来た方がいいでしょうね。

 伊良皆の交差点で県道6号線に入ります。

 読谷高校、トリイステーション、読谷村診療所を通過、大当(ウフトウ)という地点に来ます。
 左手にスーパー「金秀(かねひで)」があり、三差路になっています。
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 県道6号線は、そこから右に大きく曲って坂を上って行きます。

 この三差路で県道から離れ、支線(たぶん村道)に入ります。ただ方向としてはまっすぐ進むという感じです。

 そこをまっすぐ進み、チビチリガマの前を通過します。チビチリガマは、先の沖縄戦で、集団自決のあったところです。まだの人はぜひどうぞ。
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 しばらく進むと、右手に細い「さとうきび畑歌碑広場」と書かれた、細い案内があります。
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 そこを右に曲がります。少し行くと右下に「→」が見えます。その角で左折します。
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 するとすぐ目の前に、目的地「さとうきび畑」歌碑広場があります。
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より大きな地図で 「さとうきびばたけの唄」の歌碑への道 を表示

または
「さとうきびばたけ」の歌碑への道

木綿原遺跡・・・沖縄に埋葬があったという最初の証拠遺跡
 Kyokoと2人で,木綿原遺跡に行きました。沖縄に埋葬があったという最初の証拠遺跡だそうです。

「沖縄にも、埋葬があったというはっきりした証拠の最初が、この渡具知木綿原遺跡である。これは沖縄の葬法研究にとって画期的なことであった。」
 曽根信一著「読谷山路を行く」



 現在は埋め戻されていて、遺跡らしきものは何も見当たりません。
 芝生が広がっていて、国指定の史跡だということを示す石塔と説明版があるだけです。
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 僕が、最初にここをおとずれたのはもう30年も前のことです。
 結婚をして、読谷に越して舅と一緒に暮らし始めたころです。郷土史を研究していた舅の曽根信一が僕を連れて来てくれたのです。読谷を知ってもらいたいと思ったのでしょう、村内をあちこち案内してくれました。

 その頃は、この遺跡は、背の高い雑草が生い茂っていて、立ち入ることもできませんでした。

 久しぶりに来ましたが、とても整備されていると感じました。

 次は説明板からです。

木綿原遺跡

国指定史跡

1978年11月15日指定

木綿原遺跡(もめんばるいせき)

 木綿原遺跡は沖縄貝塚時代の前期から後期にまたがる複合遺跡であり、その主体は2千2、3百年前の箱式石棺墓を含む後期の墓地となっている。

 昭和52年の発掘調査によって沖縄初の箱式石棺墓の発見に成功し、長い間不明であった沖縄原始社会の墓制ついて貴重な資料を提供することになった。

 調査の結果、7基の箱式石棺墓と17体の人骨が出土した。石棺墓の構造は、近くの海浜でとれるテーブルサンゴや石灰岩魂を素材にして長方形状に組んだ箱式石棺を下部構造には複数の遺骸が納められ、4基の石棺から13体の被葬者が確認された。棺内の遺骸は、ほとんど伸展葬による埋設法がとられ、骨の上には摩滅したシャコガイ等が据え置かれており、当時の人々の死者に対する精神生活の一端をかいま見ることができる。

 この遺跡は箱式石棺墓という墓制の存在、およびゴホウウラ製の貝輪や弥生前期の土器等が出土することなどから九州弥生文化との交流が想定され、沖縄先史文化の編年を本土の弥生文化との関連において把握しうる資料として重要である。

文部省・沖縄県・読谷村

所在地:沖縄県中頭郡読谷村渡具知


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 その説明版のほかに、次のような読谷村教育委員会の文もありました。

木綿原遺跡からは、今からおよそ2200年前の 7基の墓と17体の埋葬された人骨が出土しました。2200年の時を超えて、17の人骨は私たちにいろいろなことを語りかけています。

 この地に、私たちは生まれ、生活し、そして死にました。死んでしまった私たちを、子や親戚、周囲の人々は手厚くテーブルサンゴや海岸から拾い集めた石などで箱式石棺墓をつくり埋葬してくれました。死を悼む心をもった人々と一緒に過ごすことができて、私たちは幸せでした。

 命あるものには必ず死がやってきます。その死を悲しみ、寂しさを乗り越え、墓を造り亡骸を大切に扱った人々がこの地に住んでいたのです。

 現代社会では命を大切にしない人の起こす事件が毎日のように起こっています。私たちはこの場に立ち、もう一度「いのちの大切さを思う心」について考えてみようではありませんか。

 2200年前の人々から脈々と受け継がれているはずの「いのちの大切さを思う心」、きっと今を生きる私たちにもその心はあるはずです。

 この地を「いのちの大切さを思う心」を育む場に !

 2008年3月読谷村教育委員会



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より大きな地図で 木綿原遺跡 を表示

同期生会に、アルバムの写真の拡大コピーを提案
 先週の日曜日、4月28日に首里中学の同期生会がありました。

 その10日ほど前に、僕は幹事の1人に、
「中学のアルバムから、みんなの顔がのっている写真を、拡大コピーして壁に張ってはどうか」
と提案しました。

 当日同期生会の会場に入りましたが、その写真はありませんでした。
僕の提案は却下されたようです。

 会は、旧友と出会い、とても楽しく過ごしました。

 しばらくすると、スライドショーが始まりました。そこでアルバムが流れたのです。

 僕はそれを見ながら、このスライドが行われるので、僕の提案は不採用になったんだろう、と思いました。

 でも、この2つは全く違うものです。スライドショーを行うのはいいのですが、顔写真の拡大コピーを壁に張るのは、また別の意味でいいことだと思うのです。

 スライドショーは流れていきます。自分が見たいと思った時に見ることができません。

 例えば、1人の人と出会い、挨拶をして、名札を見るのですが、思い出すことができません。そういう時に、こっそり壁に張られている写真を見て、思い出すこともあるでしょう。

 また、旧友と話しているとき、
「M君と数日前に出会ったんだ」
「えっ、M君てだれ?」
 そういう時に、壁に張られた写真を示して
「これがM君だよ」と言われると、思いだすものです。

 こういうことは、スライドショーでは絶対にできないことです。

 だから、写真の拡大コピーをという提案は、スライドショーとは別に採用してもらいたかったと、今でも思います。

 これを考えながら、一斉授業と、セルフラーニングの違いのように感じました。

 一斉授業では先生の話しはどんどん流れてしまいます。スライドショーもそうです。

 セルフラーニングでは、自分のペースで学ぶことができます。また、壁の写真も逃げないので、自分の都合で見ることができます。

Yojiさんは、なぜ幽霊を信じないの ?
 中学2年生のNnmさんがたずねました。
「Yojiさん、幽霊を信じる?」

僕が「信じないよ」と言うと、

「なぜ、Yojiさんは幽霊を信じないの?」と続きました。

「幽霊がいないと考えた方が、きちんといろいろなことが説明できるからだよ」

「それはどういうこと?」

 その時には、あちこち話が飛んで、以下のように整理して話したのではないのですが、ここでは整理して書いてみます。

「人間というのはね、なぜだろうと考える癖があるんだよ。

 何かが起こると、それはなぜだろうと考える。

 そして、こうなるからではないか、と考え出すんだよ。
それを仮説というね。

Nnmさんは、カミナリさんを知ってるでしょう。雲の上にいる」

「わかるよ。たくさんの太鼓みたいなのを後ろにつけて、雷を起こすんでしょう」

「そう。昔の人は、雷を見て、なぜ雷が起こるのだろうか、と考えたんだ。

そして、雲の上にカミナリさんがいて、そのカミナリさんが雷を落とすと考えたんだね」

「Nnmさんはカミナリさんのことを信じる?」

「信じないよ」

「そうだよね。現代ではほとんどの人がカミナリさんを信じない。

それは、雷の正体が電気だということを、みんな知っているからだよ」

「さて、昔の人は人間が死ぬとどうなるだろうかと考えた。
考えるのが人間は好きだからね。

 そして、人間の体の中には魂があって、死ぬと、魂が人間の体から抜けていくと考えたんだよ。

 体は死んでも、魂はずっと生きているとね。そしてそれが生きている人間の前に現れるのが幽霊ということだね。

 魂を考えることによって、生きているとは何か、を説明しようとしたんだね。

 さて、人間は、生きているとは何かを、科学的に研究を進めてきた。

 Nnmさんは、(中学)1年の理科で植物のことを勉強したでしょう。細胞のことも。
 2年では動物のことを勉強する。

 そういう科学的な研究が進むと、生きているというのは、細胞の働きだということがわかって来たんだよ。

 そして、人間が考えるというのは脳の働きだということもはっきりわかってきた。脳の働きで僕らは考えているんだ。

 そこには、もう魂の入る余地は全くないんだよ。
 だから、魂というのは存在しなくても、人間がなぜ生きていて、なぜ考えることができるかは、十分に説明ができるんだ。

 ぼくは、その方が納得する。

 だから、僕は魂の存在を信じないし、その結果として幽霊の存在も信じないんだよ。

 雷が何か説明できるから、カミナリさんの存在を信じないようにね」

 Nnmさんは、「そうなんだ」と納得したようでした。

保科正之に注目していきたい
 BS歴史館 今いてほしい!?日本を変えたリーダーたち(2)保科正之
を見ました。

 保科正之という人物を、僕はこの番組で初めて知りました。

 こんなにすばらしい人物が日本にいたとはおどろきです。
 本当に庶民のことを考えた政治を行った人です。そういう点では、日本共産党に通じるところがありますね。

 なぜこんなすばらしい人物が世に知られていないのか。

 明治政府は薩摩、長州の藩閥政治でした。一方、時代は違うのですが、保科正之は会津藩の藩主だったのです。

 会津藩は薩長にとっては、にくい敵です。

 そういう意味で、保科正之が世に知られることを妨げたのだそうです。

 なるほどそういうこともあり得ると思います。

 これから、保科正之に注目していきたいです。

江戸人物事典保科 正之


保科 正之 (ほしな まさゆき)
1611~1672 (慶長16年~寛文12年)
【会津藩主】 会津の名君。腹違いの兄家光の遺言で、家綱の名補佐役に。
会津23万石の藩主。徳川家光の異母弟。父秀忠の命で保科氏の養子となる。1643年会津藩の大名として入部すると、幕府に先駆けて殉死を禁じるなど、藩政を改革した。家光の遺言で4代家綱を補佐し、武断政治から文治政治に転換する幕政を主導した。殉死の禁は正之の献策。玉川上水開墾の建議も行った。


セルフ塾ブログ、2012年4月の拍手数ランキング
過去30日間のブログ拍手、エントリーランキンです。 この 30日間に 45の拍手がありました。ありがとうございます。

 今回は、最高が2回で、ドングリの背比べといったところです。

拍手数の記事別統計
エントリー名 グラフ

拍手数 2回
元素記号のごろ合わせ

沖縄方言で、「11、12」などを何というか

結婚まえ、Kyokoは女性の姓を主張した

分数のわり算(小6),タイル図での指導

顕微鏡,なぜ低倍率から

宅配の商品が迷子になっている

拍手数 1回

2÷3=2/3 の教え方

中学生、新しい教科書になり、漢字が大幅に増える。

「美しい」と「きれい」の違い・・・「美しい」は、みにくくないこと、「きれい」は、きたなくないこと

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