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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

義烈空挺隊玉砕之地
 読谷村座喜味の掩体壕(えんたいごう)のすぐそばに「義烈空挺隊玉砕之地」の碑が建っています。

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 写真のようなもので、
正面に「義烈空挺隊玉砕之地」、
片側に「建立平成二十三年六月吉日 施工者(資)長浜屋土木」、
もう一方に「全日本空挺同志会 沖縄支部 建立」とあります。
CIMG1741.jpg

CIMG1740.jpg

 その他の説明は見あたりません。

読谷村の戦績めぐりの「義烈空挺隊玉砕之地」

 には次のようにあります。

 (前略)
 空挺隊とは、航空機で敵中に進入し、パラシュートやグライダー、または航空機自体で強行着陸して敵陣を撹乱(かくらん)する特別攻撃隊(特攻隊)です。
(中略)
 『沖縄方面陸軍作戦』によりますと、
 「(1945年)5月24日18:50、奥山隊長以下120人が搭乗した12機が熊本健軍飛行場を離陸。22:11飛行場突入の無電。北飛行場に6機、中飛行場に2機着陸(4機は引き返す)」となっています。


 一方、『アメリカ軍戦史』では、
 「北飛行場に5機侵入、4機は撃墜され1機が胴体着陸した。アメリカ軍の損害は9機炎上・29機損傷、7万ガロンのガソリン炎上。死者20名。日本兵の死体は69。(中飛行場の記録なし)」とあるようです。
 この作戦で2名の沖縄出身者(山城金栄准尉と比嘉春弘伍長)が搭乗していますが、山城准尉は中飛行場で戦死したようです。

 なお、読谷村の戦績めぐりの義烈空挺隊玉砕之地の頁には、
「読谷村役場新庁舎前の道路(旧誘導路)を隔てて写真で示すような碑が立っています。」
 とあります。


 ぼくは、その場所にあるときに、舅の曽根信一に連れられてその碑を見ました。

 その後、読谷中学が2010年(平成22年)8月にこの「義烈空挺隊玉砕之地」の碑の近くに移転しました。

 「義烈空挺隊玉砕之地」の碑はどうなったのだろうかと、探したこともありますが、周りでは見つかりませんでした。

 ある集まりで座喜味の掩体壕のところに移ったという話を聞き、見に行ったらあったということです。

 読谷村の戦績めぐりの記述は直したほうがいいですね。

 それから、現在の碑には、「建立平成二十三年六月吉日」とあります。
 その新しい碑を建立したのはその日でしょうが、以前に別のところにあったわけです。そのことはどこかに書き添えた方がいいな、とぼくは思います。


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父仲松庸幸の命日で、首里の実家に

きのう(11月24日)は僕の父仲松庸幸の命日でした。1983年に亡くなっているので、もう29年になります。

 たいていは平日にあたるので、夜の仕事のぼくは、昼間ちょっと顔を出すしかできなかったのですが、きのうは土曜日だったので、夜出かけ、母親や兄の家族と一緒に夕食をとりました。

 おしゃべりもゆっくりできました。

 甥(兄Mutsuoの長男)と、姪(兄の長女)の息子たちが仲良く遊んでいる姿を写真に写したので掲載します。

 甥YosukeとそのフィアンセYokoさん、そして姪Chihiroの長男Ko君。
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Yosukeくんと姪Chihiroの次男Maki君。
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