「子どもは、みんなそれぞれ違うのだから、子育ての講演会なんかに行ってもしようがないのよ」
知人が言いました。
心理学の本には、平均的な子ども像が描かれています。しかし、そこに描かれている「子ども」と全く同じ子どもは絶対にいません。子どもはみんな違うのです。
素直な子がいますが、わがままな子もいます。明るくおしゃべりな子がいる一方で、殻に閉じこもりがちな子がいます。活発な子、おとなしい子、ほんとうにいろいろな子がいます。だから知人の意見はもっともな感じがします。
しかし、次はどうでしょうか。
「入学試験の問題はそれぞれ違うのだから、勉強したってしようがないんだよ」
これはあきらかに間違っていますね。確かに入学試験の問題に同じものはありません。しかし、基礎的な学力をつけ、いろいろなパターンの問題をたくさん解いてこそ、初めて出合う問題が解けるのです。基礎的な力がなければ、入学試験の問題を解けるはずがありません。
現代社会には、育児ノイローゼに悩むお母さん、子どもを虐待してしまうお母さんが多くなっています。それは、おばあさんからお母さん、お母さんから娘へと受け継がれた子育ての知恵が、断ち切られてしまったことも原因の一つだと考えられています。核家族化が進んだせいです。
「こんなことをするのが子どもというものなんだよ」というおばあさんの一言が、お母さんをどんなに慰めてくれることでしょうか。子育て経験者にとってはなんということもないささいな問題に悩み、そして虐待してしまうお母さんが多いのです。
どの子にも適用できる画一的な育児法というのはありません。子どもはみんな、それぞれ違うのですから、それぞれに適した、いろいろな育児法というのがあるのです。でも、それは、お母さんの勝手な思いつきでいいというものではありません。その子に適した、その子を伸ばす育児法があるはずです。それを考え出すには、育児についての基礎的な知識と柔軟な考えが必要なのです。
子育ては、入学試験よりも複雑で難しいです。でも、試験は自分一人で解かなければいけませんが、子育てはみんなの力で対応できます。
おばあさん、お母さん、そして友人の話を聞き、子育て講演会に行き、育児書を読み、子育ての基本を学びましょう。そのうえで自分の子どもを見つめ、まわりの人に相談し、試行錯誤を繰り返しながら、子育て応用問題を解いてもらいたいのです。
1月5日付琉球新報「論壇」に掲載されました。
知人が言いました。
心理学の本には、平均的な子ども像が描かれています。しかし、そこに描かれている「子ども」と全く同じ子どもは絶対にいません。子どもはみんな違うのです。
素直な子がいますが、わがままな子もいます。明るくおしゃべりな子がいる一方で、殻に閉じこもりがちな子がいます。活発な子、おとなしい子、ほんとうにいろいろな子がいます。だから知人の意見はもっともな感じがします。
しかし、次はどうでしょうか。
「入学試験の問題はそれぞれ違うのだから、勉強したってしようがないんだよ」
これはあきらかに間違っていますね。確かに入学試験の問題に同じものはありません。しかし、基礎的な学力をつけ、いろいろなパターンの問題をたくさん解いてこそ、初めて出合う問題が解けるのです。基礎的な力がなければ、入学試験の問題を解けるはずがありません。
現代社会には、育児ノイローゼに悩むお母さん、子どもを虐待してしまうお母さんが多くなっています。それは、おばあさんからお母さん、お母さんから娘へと受け継がれた子育ての知恵が、断ち切られてしまったことも原因の一つだと考えられています。核家族化が進んだせいです。
「こんなことをするのが子どもというものなんだよ」というおばあさんの一言が、お母さんをどんなに慰めてくれることでしょうか。子育て経験者にとってはなんということもないささいな問題に悩み、そして虐待してしまうお母さんが多いのです。
どの子にも適用できる画一的な育児法というのはありません。子どもはみんな、それぞれ違うのですから、それぞれに適した、いろいろな育児法というのがあるのです。でも、それは、お母さんの勝手な思いつきでいいというものではありません。その子に適した、その子を伸ばす育児法があるはずです。それを考え出すには、育児についての基礎的な知識と柔軟な考えが必要なのです。
子育ては、入学試験よりも複雑で難しいです。でも、試験は自分一人で解かなければいけませんが、子育てはみんなの力で対応できます。
おばあさん、お母さん、そして友人の話を聞き、子育て講演会に行き、育児書を読み、子育ての基本を学びましょう。そのうえで自分の子どもを見つめ、まわりの人に相談し、試行錯誤を繰り返しながら、子育て応用問題を解いてもらいたいのです。
1月5日付琉球新報「論壇」に掲載されました。
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