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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

舅(しゅうと)曽根信一の死
クローズアップ現代 2013年4月3日(水)放送
“凛(りん)とした最期”を迎えたい

をみました。それを見ながら、舅(しゅうと)曽根信一の死を思い出しました。

 ぼくが結婚して、舅と一緒に暮らし始めたのは舅が65歳のころでした。
妻(ぼくにとっては姑・義母)を亡くしていたので、ぼくら夫婦が一緒に住むことになったのです。

 もうそのころから、自分の死と真正面から向き合っていました。その頃はなじみのない「尊厳死」についても考え、尊厳死協会に入会して、毎年高い会費を払っていました。

 僕らにも、尊厳死の話をして、延命治療はしないなど、約束しました。
 僕も、それには大賛成で舅の思いをできるだけかなえるつもりでいました。

 さて、85歳の誕生日を過ぎたころです。舅が脳梗塞で倒れたのです。

 僕は塾にいましたが、すぐに駆けつけました。午前中だったと思います。まだ塾の授業は始まっておらず、自分の仕事をしていました。

 舅は意識はしっかりしていて、床を這っています。移動しようと手足をばたばたするのですが、移動できません。Kyokoは黙って見ていました。
 舅が「救急車は呼ぶな。そのまま死ぬ。覚悟はできている」と言っているからです。

 Kyokoは、僕にどうしようかと訴えます。かかりつけの医者、読谷診療所のK先生に、電話で相談しました。
「とにかく、早く救急車を呼ぶように」との指示です。

 K先生も舅の考えはよく知ってる理解者です。それを尊重しようと強く思っていました。

 僕も、ここでそのまま見守るだけではだめだと思い、救急車を呼ぶようにKyokoに云いました。

 舅には「お義父さん、このままでは死ねませんよ。救急車を呼びますよ」と告げました。舅は強く反対しています。

 僕は妻に「僕が責任をもつから、電話して救急車を呼びなさい」と告げました。
 そして、救急車が駆け付け病院に。そしてそのまま入院です。

 しばらくして、僕も病院に駆けつけました。
 病院での処置も終え、落ち着いた舅が僕に、涙を流しながら云いました。

「Yoji君。ここはとてもいいところだよ。看護婦さんも、とても親切にやってくれるし、天国みたいだ。僕はずっとここにいるからね」と。

 舅の性格を知っている僕は、それが本心からのものではないことはすぐにわかりました。

 学者肌の人で、独りで静かに本を読むことの好きな舅です。ほかの人の世話になることは大嫌いな人なのです。

 舅は、僕らに迷惑をかけたくないのです。半身不随の自分が家に帰ったら、忙しい妻や僕に世話になる。僕らの負担になる。
 だから自分は我慢して病院にいるんだ、という気持ちだったのです。

 前々から、もしそうなったら、そう言おうと考えていたのかもしれません。そういう人です。

 妻は、あの時のことを思うと、今でも涙が出ると言っています。

 僕等夫婦は、話し合って、できるだけ早く退院させて、僕らとまた暮らそう、と決めました。
 しばらくして、そのことを舅に話すと、とても素直に喜び、すぐにでも退院しよう、と勇んでいます。

 しばらくは、不自由ながらも、自分で歩いたりして生活していましたが、そのうちに寝たきりに。

 そして、90歳で、自宅で静かに息を引き取りました。

 僕は、幸せな死に方ではなかっただろうか、と今でも思っています。
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