FC2ブログ
セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

岩波文庫 中村元訳 「ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経」

  ワイド版岩波文庫「ブッダ 最後の旅」 を読みました。 面白くなかったです。 繰り返しがとても多く、 退屈な文章運びです。 それは 古い本だからと大目にみましょう。

  面白くなかったところを引用します。

 「ヴァッジ人が、ヴァッジ族の古老を敬い、崇め、もてなし、 そうして 彼らの言を聴くべきものと思っている間は、ヴァッジ人には繁栄が期待され、衰亡は無いであろう」


「資産者たちよ。戒めを犯した、行いの悪い人は身体がやぶれて死んだ後に、悪いところ、苦しいところ、堕ちる所、 地獄に生まれる」


 このような良いことをしたら良い報いがあり、悪いことをしたら悪いことが起こるというようのなことがずらずらと書かれています。

  僕の 知っている仏教というのはこういうものではありません。

  いいことをしたからいい結果が、 悪いことをしたら悪い結果になるというものではないはずです。

  東日本大震災、 そしてその後の原発の事故で 福島県は酷い目にあっています。 それは福島県の人たちが 悪いことをしたからでは決してないはずです。

 僕の甥は25歳の若さでなくなりました。 彼は とてもいい子でした。ぼくは大好きでした。
  決して 悪いことをしたから 早く死んだわけでは ないのです。

  いいことをしているのに 悪い結果になる。そういう不条理をも救ってくれるのが仏教だと僕は信じています。

  別の箇所を引用します。

 「 私は聖者の流れに踏み入ったものである。 私はもはや堕することのないものである。 私は必ずさとりを究めるものである」


  僕のイメージしてきたブッダは 決してこのような事を言う人ではありません。 仏教で悟りをひらいた人は偉ぶらない人です。
  自分のことをおろかなもの、痴者といいながらも、その人の徳が自然に感じられる人というイメージです。 自分で自慢するような人は好きにはなりません。

「それらの文句を、(ひとつずつ)経典に引き合わせ、戒律に参照吟味してみて、経典(の文句)にも合致せず、戒律(の文句)にも一致しない時には、この結論に 到達すべきである、ーー 確かに これは かの尊師の説かれた言葉ではなくて、 その集いの誤解したことである>と」


  まったくの 教条主義です。 バイブルに書かれていることが唯一の真理である、というようなキリスト教を思わせます。

 僕の持っている仏教のイメージは、 個人個人で それぞれが 自分の真理を持っているというものです。

 アーナンダが、ブッダの遺体をどのように処理するかということを尋ねられた時の返答です。

 「アーナンダよ、 世界を支配する帝王(転輪聖王)の遺体を処理するような仕方で修行 完成者 の遺体も処理すべきである」


  自分の葬式を王様のようにしろ、ということでしょうか。僕は好きではありません。

  悪いことだけを書いてきましたが、 いいなと思ったところを書きます。

 ブッダは、鍛冶工チュンダが 作ったキノコ料理を食べて病にかかり、死にます。 誰かがチュンダを責め、後悔の念を起こさせるかもしれないと気づかい、次のように言います。

「アーナンダよ、鍛冶工チュンダの 後悔の念は、このように言って取り除かねばならぬ。
  友よ、修行完成者は最後のお供養の食べ物を食べてお亡くなりになったのだから、 お前には利益があり、 大いに功徳がある」


このように チュンダのことを思う優しさはいいなと思います。

  それから 死ぬ間際

「やめよ、アーナンダよ。悲しむな。(中略)
およそ生じ、存在し、つくられ、破壊さるべきものであるのに、 それが破滅しないように、ということがどうしてあり得ようか」


 このように生きている者は死ぬ、 存在するものは消滅する、というのが仏教の教えの中核だと思います。


スポンサーサイト



Copyright © セルフ塾のブログ. all rights reserved.