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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

「これはもう遊びだ」と考える外ない、 座喜味城址 日本の城ランキング 11位
 今朝の琉球新報に「 行ってよかった日本の城 県内4箇所選出」の記事が載っています。

  それによると

  世界最大の旅行口コミサイト 「トリップアドバイザー」の 「行ってよかった!日本の城ランキング 2015」が26日、発表され、 上位20位に 県内から4箇所が入った。同サイトへの旅行者からの投稿を基に選ばれ、座喜味城跡 (読谷村)が11位、勝連城跡( うるま市)が12位、中城城跡(北中城村、中城村)が14位、 首里城(那覇市)が17位だった

 座喜味に住んでいる 僕としては 座喜味城跡が 11位に入ったというのは 素直に嬉しいです。

  そこで思い出すのが、座喜味城址を愛した舅の故曽根信一です。彼は座喜味で生まれ、その生涯の大部分を そこですごしました。

 もう30年も前、 僕が 結婚をして 座喜味に来た時、座喜味城址を案内してくれました。 そこで 座喜味城がどんなものか、その思いを話してくれました。

 それが 彼が著した 「読谷山路を行く」に載っているので、紹介します。

(前略)
それにしても分からないことがある。 この城壁に何度も上がり、 いくら考えても、この城が、按司の戦闘用の城郭として造られたとは思えないのである。

  それはこの城が優しく美しすぎるというだけではない。 普通の城郭にしては、 目いに余る過多な曲線、所によっては、ろくな建物1つ建てられそうもない狭い空き地を、高い城 壁が ゆったりと取り囲んでいる。

 その城壁の高さが15メートルのところがあるかと思えば、 一方では わずか5メートルのところもある。城内の平坦地といえば本丸だけで、二の丸に至っては ほとんどが斜面になっている。

  一体こんなところで何ができたのだろう。 それに、 この城内には 一滴の水気もない。 平生の 水を得るにも、城外に出て、ずっと麓の座喜味部落まで下りて行かねばならない。

 これを築いた城主は、 いざという時のことなど、 まったく 頭になかったのか、 などと、同じ問いを 思い繰り返しているうちに、 「これはもう遊びだ」 と考える外ないと思うようになった。 そうとでも考えない限り決着がつかないと思った。

  初めて この城を訪れたというジャーナリストの 「ガウディの作品を思い出した」 という一言が私を勇気づけた。

  世紀の建築家 ガウディは、 公園や アパートの壁や回廊を、くねくねと曲げていった。この城の設計者、城主は 、その芸術的感興にまかせて、 ちょうどおもろで歌っているように、城壁をくねくねと 「百曲(ももま)がり積み上げて」いったのである。

 この城ができたのは、 15世紀の初期、本土でいえば室町弱体政権の下で、建築・ 庭園・演劇・茶道・ 華道等々、今日の日本文化が芽吹いた時代である。

  時を同じくして、 遠く離れた 沖縄島のしかも 大北(ウフニシ)と呼ばれた片田舎に、こんな美しい城を築いた人たちがいたとはほんとに嬉しい。
(後略)

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